京都発、言いたい放題!~毎日更新~ -776ページ目

公園は誰のものや!

4/13(木) 満開の桜に無情な雨・・・。今年は気温がいまいち上がらないので、桜の時期が長いなぁ・・・と喜んでいたのに、花散らしの雨・・・・が降り続いている。桜といえば、やっぱりこの時季、陽気に誘われての、お花見やね。。。。毎年、お花見のマナーの悪さが夕方のテレビのニュースで流れるが、まぁ、それはそれ。日本人は、やっぱり「お花見」という野外宴会がやっぱり好きな人が多いのだろう・・・。長い冬をやっと終えて、良い季候になってゆくベストシーズン。学校や会社でも新しいメンバーが入ってきて、色々に事が、生き生きと動き出す季節でもある。

 ところが、ここ数年、問題になっているのが、お花見会場でもある公園で寝泊まりしているホームレスたちである。寝泊まりというから、キャンプのテントのようなものかと思ったら、なかなか本格的なバラック程度のものまである。この時期、決まって、公園を管理する公園課は、公園法という法律を楯にして、ホームレスたちの排除をする。ところが、どこからか、出て来るのがホームレスを支援する人たちの団体である。この人たちの意見が、とびきり、ふるっている。ホームレスには生存権がある。この権利は憲法で認められているのだから、格下の法律である公園法より上や。だから、ホームレスたちの公園での居住を認めろというのである。

 こんなおかしな話があるかいなぁ・・・。こんな支援団体やら、左まがりのマスコミくん、やらは、ホームレスを排除することに、どうやら反対の人が多いようである。みんなの公園を一部の人が独占していて、汚くて恐ろしいために、一般の人が近寄れない事が異常な事であるという認識が、この人たちは、判らないのであろうか・・・。

 公園に勝手に住む権利を、「ホームレスの生存権」にすり替えて、主張すること自身、終わってます・・・。私は役人が好きではないけれど、この件に限っては、公園管理をちゃんとしようとしている職員さんが、マスコミの連中につるし上げられているのは、可哀想だし、マスコミやらホームレス支援団体の人の言う事の方が、間違っていると思うけどね・・・。

 そんなに言うなら、立派な新聞社や、テレビ局の地下駐車場をホームレスに開放してあげて、手厚く守ってあげたらどうやねん・・・。そして、そこで毎日ホームレス中継しとけや。。。アホちゃうか・・・。いつも、思うことやけど、ホームレスを支援している人達って、いったい何のために、この運動をやっているのか、不思議でしゃあない。。。本人が、本気で社会復帰する人なら、行政が支援するのはええ事だと思うけど、ホームレスを支援する事によって、何をしたいんやろう。。。

 生活保護を受けている人たちの待遇改善をしたいのやろうか・・・。選挙で支持して欲しいから支援しているのやろうか・・・。いずれにしても、仕事に就かないで、住所も持てない人たちに、行政はいろいろ手をさしのべている。それを拒否して公園暮らししている人は、やっぱり規制しないと、他の利用者からしたら、大変困ることになるのとちがうか・・・。

ただ、お花見客のために、ホームレスが追い出されて、終わったらまた戻ってくる。酔っぱらい客や、桜の木を折るヤツら、大きな音でのカラオケ、大喧嘩、これを市民にやっていただくためだけに、ホームレスを年に一度追い出す・・・。こんな矛盾もまた、別の問題やけどね・・・。やっぱり、お酒は愉しく飲まんとね。。。

国土交通省なんていらん・・・

4/12(水) 今日のニュースで私が一番印象に残ったのは、日航やスカーイマークエアラインズが整備不良の航空機を運航していたとして、国会に参考人招致された、そこでのヤリトリである。スカイマークエアラインズの西久保慎一社長は、「安全は当然の前提だが、健全な収益性を確保しなければならない」と述べた。また、不採算の路線の撤退にも言及したようであった。

 これに対し北側国交相が、「公共交通機関としての自覚がない」とこれを非難した。つまり、西久保社長は、利益追求を株主から常に求められる企業である限り、利益が出ない路線は撤退するし、より儲かる路線は増便するのは当たり前だと主張したのに対し、北側国交相は、いくら赤字でも、続けるのが公共交通機関としての責務であるという無茶な主張をしたという、くだりがあったのである。おぃ、北側のオッサン、ほな、あんたやれや。。。アホかこいつは。。。。

 この論戦は、いろいろな意味で良い問題提議になっている・・・。公共交通の安全性というのは、利用者の立場からしたら、絶対に守ってほしいものである。これは当たり前の事である。ところが、誰が、何の基準を持って、これを監視・監督するべきなのかという、大変難しい問題を含んでいるのである。

 例えばこの飛行機のタイヤは、3000回離発着を繰り返したら、どんなことが有っても交換してくださいと、航空機メーカーであるボーイング社が顧客である航空会社に指定していたとする。でも、この航空会社は、3000回も使うのは怖い、2000回で交換しようと内規で決めていた。逆にもう一つの航空会社は、5000回までタイヤを換えないということを決めていた。それは、その会社が事故というリスクをどう考えているかという一点に関わることである。

 ここで、出て来るのが、国土交通省というお役所である。国土交通省は、ボーイング社が交換までの発着回数を3000回と決めているのだから、3000回離発着までにタイヤを交換しなさいと、航空会社に指導したとする。これって、本当に何の意味があるのか・・・・。もし2999回目の着陸時に飛行機のタイヤがパンクして、死傷者で出る事故が起こったとする。航空会社は国の定めた基準通りに整備していたから、私のところには責任が無いという。そうなれば、基準を決めた国に責任が発生し、税金で死傷者の保証をしなければならなくなる。

 だいたい、国土交通省なんていう役所が本当に必要なのか・・・。世界の常識は、航空会社は、自らのリスクで航空機を整備し、安全に運行する。万が一のリスクは、その会社が負うというのが、当たり前やろう。。。事故ばかり起こしている会社は、当然、乗客が逃げるし、安全性を売り物にしている航空会社は、運賃が少々高くても顧客を集めるだろう。これが、自然の競争原理で、良いところは残るし、悪いところは淘汰される。。。これを弱肉強食というか、税金で守ってでも続けさせるか・・・。そういう問題やろう。。。

 当然、競争社会では、整備費やら人件費、機内サービスなどを極力削って、運賃を安くして運行する航空会社も出てくる。その方が安くて良いと思う人はそっちを使うし、やっぱりこの会社の飛行機は、ひょっとしたら落ちるかもしれないから、高くても他の航空会社で行こうと思う人もいるし、滅多なことでは命まで落とさへんやろう・・・と思う人は、安売りの航空会社に乗る。。。。

 自由主義国で、サービスや価格で、競争があるのは当然のことで、安全というのはもちろん最低限のサービスであるという見方もある。ただ、日本のように、そのレベルを維持させるのに、役人がのこのこ出て行って、多額の我々の税金を使って管理するというのは、ちょっと違うんやないかと思う訳である。このことを言い換えれば、航空会社という私企業を監視するために、国土交通省という役所の何千人という人の給料を使っているということなのである。

 つまり、見方を変えれば、本来航空会社がちゃんと機体の整備しているかという監視という仕事を、税金で賄ってしまっているということにならないか。本来、航空会社は、例えば共同で整備監視の組合や組織を、自前で運営すべきなのに、これを税金で肩代わりさせていることになる。

 これは、日本社会というものが、何から何まで、お役所の役人の監視やお許しがないと、何も出来ないという異常な社会であるという、そんな意味も持っていると私は思う訳である。。。日本は何でも官僚が物事を決めて、それを監視、うまく運営させるために、国という組織をどんどん膨張させてきた。こんな風に、国が一から十まで、全てを決めてしまっては、まるで共産主義国や社会主義国やないか・・・。もう、ええかげんにさせないと、この国は役人の力が強すぎて、役人を喰わすために国民みんなが納税するという、おかしな国になっている。

挙げ句の果てに、何かあったら、何でも国が税金で、そのケツ拭きをする。役人達には何のおとがめも、なし・・・。こんなアホな事は、ない・・・。役人達の社会主義的な発想を、今の時代に則した、本当の自由主義国的発想に切り替えて、仕事をさせないようにしなあかんわなぁ。。。ただし、このことは、今回のスカイマーク手抜き整備事件の話とは全く別。これは、言語道断や。不真面目で不誠実な会社には天誅が下るべきや!。という意見である事は念のために申し添えておく。

おかしいぞ!京都新聞!

4/11(火) 京都には京都新聞という地方紙がある。147万人の人口のある京都市では、圧倒的シェアを持つ地方紙で、中日新聞を除けば、日本一の地方紙だと言われている。この日本一という基準はあくまで発行部数と市場占拠率においてということだが、反東京、反中央の地方気質を反映しているのか、もともとそういう社風なのか、どうも、どちらかというと、ちょっと左系な記事や論説が多い。

 地方紙の弱点といえば、国際的なニュースとか、東京発のニュースや、他の地方発のニュースがなかなかタイムリーに入らない点にある。これを補う意味であるのが共同通信社という会社で、社名そのまま、共同で国際的なニュースとか、全国的なニュースを配信している。このおかげで、地方紙でも、全国紙並に紙面にあんまりもれなく大ニュースが載っていることになる。この共同通信社の論調も反日的というか、朝日的というか・・・。どうもなぁ・・・。昔の朝日といえば、インテリの人が読む新聞というイメージやった。

 20歳までに共産主義に傾倒しない人は、熱意が足りない。でも、二十歳を過ぎて共産主義を信奉している人は、知恵がない。という言葉があるように、左翼系の運動というのは、はしか的な要素が強い。まだまだ、こんな呪縛から解き放たれてないような人が多いのかねぇ・・。とっくに、イデオロギー論争は、ソ連や東欧の崩壊で、もう決着は付いているのにねぇ・・・。

 さて、その京都新聞の今日の記事のなかで、少し首をかしげるような記事があったのでご紹介しよう。。。。「相次ぐ京都市バス事故-民間委託増に件数もスライド-」というものだった。タイトルだけ見れば、京都の市バスが赤字解消のためどんどん民間委託されているのに伴って、どんどん委託されている会社が市バスで事故を起こす比率がどんどん上がっているようにも受け取れる。だから、民間に委託するから、安全がおろそかになる。民間委託イコール、安全軽視になっているのではないか・・・と、いうのが、いかにも言いたいように取れる。。。

 ところがところが、記事を良く読むと、どうも計算が合わない。現在、京都市には750台の市バスがある。これを運転している京都市交通局の職員さんは、もちろん公務員さん。ところがところが、この人たちの年収が最高で1500万円、平均でも1000万円近くだということが発覚した。同じような仕事をしている私営のバス運転手さんの平均が450万円程度だから、倍以上。。。そりゃ、京都市の市バスは赤字になるわ・・・。

 この指摘を受けて、京都市は市バスを民間会社に委託していく方針を発表。2000年の3月から阪急、近鉄などの民間会社に委託開始した。この委託比率は現在約4割。来年度までには、約半数に達するという。

 一方、この市バスが1年間に起こす人身・物損の事故は年間平均160件前後で推移しているという。このうち、民間委託した会社が起こした事故2001年~2003年度の民間委託率が1割台だったときは、年間3~7件の事故だったのが、委託率が3割に達した2004年には40件になったという記事だった。

 これだけ見たら民間に委託したら、民間委託した事故がどんどん増えているという風に見えるのだけれど、この記事をそのまま表にしてみると判るのだが、この記事の数字を分析すると、

                市職員        民間

2000年           160          0    160件 (委託率 0%) 市の1台あたり事故数 0.21件

2001年~2003年   153~157     3~7   160件 (委託率10%) 市の1台あたり事故数 0.23件

2004年           120         40    160件 (委託率30%) 市の1台あたり事故数 0.30件

 つまり、この記事の数字をそのまま数字に置き換えると、京都市の運転しているバスが750台→675台→525台と減っているにも関わらず、1台当たりのバスが事故を起こす率はどんどん増えていっているということになるのである。つまり、市バスの運転手の方が民間の運転手よりはるかに事故率が高い事を意味する。

 ところが、この記事の見出しは、民間委託に伴い、民間委託したバスの事故率が増えているかのように、書かれている。これは明らかにおかしい・・・。本当は、民間委託することによって、事故率が減っていると書くべきなのにね・・・。これは、悪く言えば捏造である。ではなぜ、こんな論調の記事になってしまうのか。。。これは、新聞記者さんの中にある、あるつまらない意識が原因していると思うのである。

 日本の新聞の多くは、「正義の味方」を気取りたがる。正義の味方は庶民の味方、貧乏人の味方ですよという図式が新聞の記事を書く人の頭の中にある。お金持ちやら、お役人やら、権力者は敵であり、いくら罵倒しても良い対象である。叩けば叩くほど、民衆に受けるという、迎合主義がまかり通っている。ところが、この概念は、実はものすごく古くて、今はいくら日本が格差社会と言われても、まだまだ日本は世界一中流な国である。

 昔は安月給で宮仕えと言われて、敬遠されていた公務員は、今や、全く逆差別の最たる存在である。優遇された手当や雇用条件、保証された身分、指定業者制度を使っての格安での買い物、格安の家賃や互助組合への税金での補助金・・・民間に比べて、優遇されすぎているという批判の声が大きい。

昔は、大企業がいつも矢面に立たされていたが、超不況を脱するために頑張ったのもやっぱり大企業のあかげ。日本経済の再生は、やっぱり大企業がなかったら、中小企業も喰っていけないというのが、痛いほど今度の不況で判った・・・。だから、今までのマスコミが、守ってきた対象であった、一般庶民の代表である労働組合なり、安月給の公務員が、今、社会的な批判にサラされておる。

官から民へという小泉自民党の政策により、今までマスコミ連中が一生懸命守ってきたそのような人たちがピンチになった。それを助けたいけど、世の中のトレンドは、逆になった。こんなところやないやろうかね。。。でも、新聞は嘘をついたらあかんで・・・。そやないと、新聞の信用まで無くなるで・・・。新聞はいつも、日和見的なものである。いつも、いったい何が正しくて、何が問題であるかという事には敏感になっておくべきものやろう・・・。

今回の場合、本当にスポットを当てるべきなのは、市バスの民間委託によって「事故率」が減ってきた事であって、批判するべきは、運営台数が減っているにも関わらず、事故数がそれに見合って減らない京都市交通局の体質の方やと私は思うけどね。。。

勇気ある提案

4/10(月) お昼過ぎから、投票終了の午後8時まで・・・選挙係のお仕事は長かった~。特に、ほとんど人の来ない7時から8時までが辛かった・・・。寒いし、眠たいし・・・。さて、この選挙というもの。実は、けっこうなお金がかかるものである。この日、私が下京区の選挙管理委員会から、事務従事者様委託料という名目で封筒の中に入ったお金をいただいた。この金額が6250円やった。こんなにもらってええのかと思う反面、休みの日を潰された割に合わんと思ったり、ご意見はいろいろやろう・・・。それにしても、この250円の端数はいったい何やろう。。。消費税ではないやろうけど。。。なんて、しょうもない事を考えてしまう・・・。

さて、この金額が高いか安いかは別にして、選挙には、この他にお弁当代やら、区役所の人の休日出勤代やら、時間外手当やら、会場設営・準備や撤去、障害者の方の介護、トイレや食事の交代要員などに必要なアルバイトの学生さんに払うバイト代やら、臨時電話の設置料、投票箱の移動の為の経費、職員の移動のためのタクシー代、選挙監視という名で回ってこられる議員の先生方の視察経費、こんなの入れたら、いったい全部で何億かかったことやら・・・。

 ところが、選挙に関して、先日神戸市からのニュースで面白いのがあった。神戸市は、今まで当然のように即日開票していたのを、止めて、翌日開票にするというのだ。選挙に立候補している人や、選挙事務所に詰めているような人は、今か今かと待ち続けている選挙結果なのだが、そのために、職員さんの残業代やらバイトくんたちの費用が大変多くかかる。これを翌日の月曜日の普通の時間帯にやれば、職員給料の中で開票作業が出来る。目から鱗とは、このことや。。。

 そうや、何にも無理して、どうしても当日に開票する必要なんて無いんや・・・。マスコミの開票速報番組やら、徹夜で新聞の早刷り競争をしている新聞社には申し訳ないけど、明日の朝の就業時間帯に開票作業をすることによって、ものすごい税金やら無駄なエネルギーを使わなくてもすむ。こんなええ事、なんで早く気づかなかったんや・・・。全国レベルの選挙でも、これをやったら、何千億円の節約になるんとちがうやろうかね。。。これは、真剣に全国でやるべきやろう。。。。

 選挙といえば、やることが決まっていて、いつまでもそのままのやり方を続けていたらええと思ったらあかんやろう。携帯で投票出来たり、ネットで時間外投票が出来たりしたら、選挙にかかる経費は限りなく安くなるはずや。みんなの税金、出来るだけ、いらんお金を使わないで節約できたら、ええのにね・・・。そんな知恵を出していく努力も、これからは必要やと思うし、この案を恐れず提案した神戸市の職員さんは、特別賞をあげて、特進優遇させてあげるべきやろうね・・・。

知事なんてもういらん?

4/9(日) 今日は、京都府の知事選挙の日。私は選挙の立ち会いの役が回ってきていて、午後から格致小学校の体育館に張り付きや。。。

 今回の知事選は現職の山田知事と共産党の衣笠さんという自共対決。いまいち、盛り上がってない。投票率も低そうやから心配やね。京都というところは、都を東京に取られてから、反中央の気質が強いお土地柄である。長い間、共産党の知事が当選を続けていた。でも今は、自民系の知事が続いている。米ソ冷戦が終わって、共産主義自身が崩壊してから、日本が共産国になる可能性は限りなく低くなったからね・・・。

 それにしても、他の都道府県と比べて、傑出した人材がなかなか出て来ないのか、あんまり選挙戦が盛り上がらない。それは、知事という役職が、もう京都という地域であまりにも存在意義が薄れているということやろう・・・。京都府には京都市という大政令指定都市がある。この京都市長と京都府知事というのは、はっきり言ってかなり重複する。大阪府もそうだが、高校に府立高校と市立高校があって、府立のホールと京都市立のホールがあって・・・つまり京都市に住む者からしたら、二重行政以外の何者でもないのである。

 私は、市という単位は、最小の行政単位として必要だと思うのだが、人口の多いところでは区という行政単位だけで十分な気がしている。役人や議員の数だけ増えて、何ひとつ存在意義を感じないのである。都道府県というのもいらん。近畿という州が国の仕事をして州議会だけあったら、それで何とかなるのやないかと思っているのである。

 もし、この制度が実現したら、今の市会議員・府会議員・市職員は全部要らないことになる。つまり州で全てを決めて、区なり市で実務をやる。シンプルで機能的な行政が可能になるのである。もちろん、国の仕事も国防やら外交以外は全部この州にさせる。行政改革とは、税金でメシを喰っとるヤツの頭数をいかに減らすかが鍵である。やってほしくもない仕事をどんどん無駄に作るのを黙認してきた議員さん方は、このツケを払うために自らの職も賭けてもらわんとあかん。

急には無理だから、だんだんと、役人達に仕事をさせないようにせんとあかん・・・。仕事が増えること=税金が上がること、であるという認識が必要やろう・・・。誰も頼んでないし、望んでないような国民一人当たり500万円もの借金。これを作った人たちに、ちゃんとツケを払ってもらわんとあかん。。。

マサイ族とBBQ。。。

4/8(土) 世の中ブログというのが流行っているというので、この日常のページというのもアメブロというブログのサイトに登録することにした。普通のの日記ページとの違いは、見た人がコメントというのをしてくれたり、TBというトラックバックというのをしてくれたりするらしい・・・。この違いが私にはもひとつ分からん・・・。情けないなぁ・・・。まぁ、ランキングも出る事やし、少しは励みになるかいなぁ・・・というところである。


 さて、民主党は小沢一郎が党代表に決まって、これからしばらく小泉VS小沢の、同い年対決のなるようである。若いものええけど、若気の至りが続いて、大失策になった民主党にとったら、信頼を取り戻す最後の切り札を遂に切ったというところやろう・・・。カードの少なさがちょっと気になるところやけどね・・・。今日の読売なんかは、小沢のことを劇薬とか言って、豪腕で対立する人をどんどん切って行く人。自分で物を言わず、側近に言わす側近政治やとか、自由党や自民党をぶっ壊してきた張本人だとか、今までの政治手法を紹介している。問題はこの態度を変えられるかどうかやろうね。。。


 私は、この小沢という人は、本人も言うように「口べた」な人やと思う。雄弁さが無い分、どうすれば、自分の重みが増すのかという演出は上手になってゆく。テレビや新聞などのマスコミ受けは、小泉のオッサンと比べたらやっぱりど下手やろう。そのかわり、裏工作とか、根回しとかいう昔の自民党の手法は、知り尽くしている。なかなか対照的なお二人になるやろうね。。。


 さて、話は変わって、2007年問題というの世の中を騒がしている。昭和21年、22年に生まれた団塊の世代の人口は640万人もいるという。この塊の人たちが2007年から大量にリタイヤする。この人たちは、生活にも余裕があり、住宅ローンなどの負担もかなり減っていて、消費に向かうのではないかというので、世の中景気の良い話になっている。


 この団塊世代の人たちにアンケートをとったところ、会社を辞めたら、退職金を使ってどうしたいと聞いたら、趣味に生きたいが1位、2位が旅行、3位がローンの返済だった。戦後の世の中でいつも景気に大きな影響を及ぼしてきた年代だけに、この人たちがお金をどんどん使うと、景気がどんどん良くなっていく。また、何に使うかによって、注目点が動くので、目が離せない世代なのである。。。


 そこで、こんな年代の人たちを対象にした商売が盛んになっているのだという。海外旅行でも熟年世代専用の旅行会社が立ち上がった。このパックツアーが、大変ユニークなのである。「マサイ族とバーベキューパーティをするツアー」が有ると聞いた私は、なんやねんそれ・・・。と、びっくらこいた。。。いくら物好きでも、そんなのは行きたくないぞ・・・私は。。。


 アメリカ人たちが老年を迎えて、世界各国を旅行するのを見て、当時の日本人は、ワニに食べられそうになるメコン川ツアーなんて、誰が行くねん・・・と思っていたのだが、日本人も似たような感じになってきたから不思議や・・・。もう、いろんなところに行き過ぎて、普通の旅行では、飽き足らないようになってきているのやろうね。。。。この年代の人たちは、団体旅行でガイドさんの説明を一生懸命聞くし、メモまで取るような世代の人たちである。


 この年代の人たちの特徴は、海外旅行に行くと、一生に一度しか、こんな珍しいところに来ることはないだろうから、せっかく来たのだから、いっぱい見なければ損、写真もパチパチ、山ほど撮らなくてはいけない。。。というスタイルの旅行を続けていたはずや・・・。ところが、これが飽きてくる。どこへ行っても一緒やね・・・。と、なると、若い人ならダイビングや釣りなどの特別な目的を持って、海外へ行く。熟年世代もやっと、修学旅行みたいなスタイルの旅行から解放されて、旅の目的が変わってきたということやろう・・・。


ところが、悲しいかな、語学力はあんまりないし、不慣れな旅先で単独行動は不安がある。だから、相変わらずパックで、高級で変わったものに手を出して行く。そういうこっちゃろうね。。。海外に行ったら、重い洋酒を無理矢理お土産に買っていた時代、安くもないビトンのバッグをわざわざ香港のデューティフリーで買う。こんな愚行をする人も減ってきたやろう。。。このゴールデンウィークに旅行をする人は何と2000万人を超える。そのうち海外は50万人とか・・・。豊かになった日本人・・・、これから先、いったい、どこに向かうのやろうね。。。

1円であなたも社長さん?


4/7(金) 会社法というのが改正されたというのは、皆さん、ご存じだろうか。会社というものに関する法律には、じつに色々な法律があって、今では10ヶぐらいの法律が、どんどん、つぎはぎのように追加改正され続けてきた。中には大昔の法文のモノもあって、カタカナと旧字体の難解な、法律独特の言い回しも多かった。こんなもん、普通の日本人でも意味が判らんわ・・・というのもあった。

 そこで、こんな法律を1つにまとめて、記述も現在の日本の現状に則したものにしようというのが、今回の法改正である。とはいえ、経済を規定するような法律は、常に流動的で、グローバルな流れが起こる。米国などの外資の仕掛けてくるヘッジファンドやM&A、敵対的買収やら、なんやらわからんホワイトナイトとかポイズンビルとか、そんな新手がどんどん現れてくる・・・。法律はルールを決めるという性質のモノだから、これらをしっかりフォローして、より国益にかなうもの、より公正なもの、より国民のためになるものにフレキシブルに対応していかなくてはならない。そうしないと、取り返しの付かないような甚大な被害を日本企業が受けることもあるだろうしね・・・。

 この改正法案の陰に隠れて、実は、大きな大きな法改正も行われた。それはこうである。今まで会社という形態には、株式会社のほか、有限会社、合資会社、相互会社などがあった。株式会社は資本金が最低1000万円無いと設立出来ないし、有限会社でも300万円無いと出来ない。つまり、会社は、どこのだれでも作ることが出来るモノではなかったわけである。

 ところが、今回、このハードルを大幅に低くして、たった1円の出資金でも株式会社が設立出来るようになったのである。それと、事実上、有限会社などが無くなった。全ての会社は株式会社ということに、法律上はなったことになる。このことが何を意味するか・・・。これを考えてみよう。

まず、1円出資で会社が設立出来るということは、株式会社の設立に証紙代やら定款の登録料などで24万円の費用が最低限かかるが、240001円あれば、どこの誰にでも会社の社長さんになれるということや。以前は、5年以内に資本金を1000万円に引き上げないとあかかったんけどね。。。。この事は大学生の学生さんが社長になって、どんどん起業するなんていう事を促進して、経済をどんどん活性化しようという政策や。これはこれでええこっちゃ。

 でも、こんなことが可能になったら、雨後の竹の子のように、会社をどんどん作って、5年以内にどんどん潰すような輩が出て来るのではないやろか・・・という心配がある。どうせ会社を潰すのなら、好きなことバンバンやって、稼ぐだけ稼いで、自己破産して、会社を潰して、また作ればええという、ピンポンダッシュのようなヤツが出てくるというこっちゃ・・・。起業家支援という美名の元に、こんなアホな案を考えた役人も役人や。ぜったい、これ問題になるで。。。

 会社というのは、その会社がやっていること自身やら、信用が会社の「売り」であるはずや。だから、そんなええかげんな会社をのさばらせたら、会社自身の値打ちというのが、だんだん無くなってくる可能性があるから怖いんや・・・。会社の社長さんは少なくとも、リスクを負って何某かの商売をやっている。

 たとえば普通の主婦の人が会社を設立して、社長さんになるのはいい。さて、この人は、自宅でインターネットだけで商品を仕入れて、それを転売するだけの会社をやったとしよう。ところが、この人は貯金が10万円ほどしか無いようなスカンピンの人かも知れん。ところが、この人が売るのは50万円のコピー機。市価は100万円ほどするコピー機やから、みるみる注文は集まった。。。コピー機のメーカーはこのスカンピン主婦の作った会社に商品を卸して、はたしてこの代金がちゃんと回収出来るかいなぁという疑問を当然持つやろう・・・。

 ひょっとしたら、この主婦は、1つの商品を写真にとってバーチャルな商店街に上げて、20人に売るだけ売って、金だけ集めて、夜逃げしてしまうかも知れない・・・。こんな会社にコピー機の注文を出して、金だけ払って、ドロン。商品は待てど暮らせど来ない。。。こんなことも、出来るわけや・・・。普通、消費者やら取引先は「会社」という、一応「お上が認めた金看板」を信用して、この会社なら大丈夫やろう・・・と、注文をするのだが、この看板へのハードルがあまりにも低くなりすぎると、これが金看板ではなく、ただの身分証明書ぐらいの価値しか無くなってくるのである・・・。

 現在、日本には300万社もの会社があるという。ところが、この中で、まともなと言えば語弊があるが、ちゃんと申告して納税している会社は何とたった8万社だけなのだという・・・。つまり、大多数の会社は、名前だけのペーパーカンパニーであるという実態がある。このニセ会社が何をしているのかというと、資産運営やら、営業権や免許の取得とか、節税のために「名前だけ」活動している会社なのである。こんな実態を放置しておいて、またまたペーパーカンパニーやら実態のない会社を作るハードルを低くするのは、ほんとうに大問題である。まともな会社がバカを見たり、不公平感が増えるような政策は、支持出来ない・・・。

全部の会社が株式会社ということになると、今まで株式会社にまでは出来ないけど、こじんまりと有限会社をやっていた街の八百屋さんやら電気屋さん、小さな不動産屋さん、などは、会社組織ではなくなり、ただの個人経営商店になるというこっちゃ・・・。この面では、会社を「足きり」することになり、決算の義務化などの費用が嵩むから、ペーパーカンパニーの割が合わなくなる可能性も有るわけである。

この事は、ひょっとしたら、会社数の激減を意味することになる。今まで社長さんやった街の電気屋さんは、自分の稼ぎを給与という名の人件費で落とせる会社じゃなくて、個人経営者になって、専従者の青色申告になるから、税務的により不利になる可能性がある。人を雇っていたなら、この人の身分も変わってくる。会社の厚生年金なら、社会保険も会社と折半やったのに、高い掛け金の国民年金にせなあかん。つまり、またまた格差社会が拡がって、大企業は勝ち組、小企業は負け組ということに繋がりかねない要素が大変多いのである。。。日本もホント、弱肉強食の怖い世の中になってきたもんや。。。国民みんなが、ほんとうに、それを望んでいるのかいねぇ・・・。









まるで自民が独占や・・・

4/6(木) 小澤か菅か。前原民主党代表の辞任で、民主党は、4/7に次の代表を決定するというので、新聞やらテレビは、盛り上がっている。あれだけ、表に出ないフィクサー的に役割をずっと続けていた小沢氏が、その豪腕ぶりを発揮して、同じ選挙するなら、圧倒的に勝つ。遠慮はしないと言っているように、今度ばかりは小沢が有利かもね・・・。いささか、遅きに失した感はあるけどね・・・。


 もし負けても一兵卒になって、支えると菅氏が発言したと言うと、小沢側が、そんなにやりたいなら菅を一兵卒にしてやれ。。。と、言ったとか言わなかったとか・・・。あんまり、品のある方やないのかねぇ・・・。この人、表ズラも強面やけどもね・・・。


自民党にとって、「一番嫌な相手は小沢」という自民幹部の発言も、逆に小沢を助けて、後押ししているようになっているから面白い。偽メールだけでボロボロになった民主党を立て直して、小沢の言うように、本当に二大政党時代にしたいのなら、代表を小沢にして、自民からも兵隊を引き抜くというのはどうだ。自民の圧倒的有利がいっぺんに崩れて、民主が強くなることも可能性はある。。。それには、政権担当能力が民主党の中にもあるということを、ここでちゃんと、示すべきやろうね・・・。


 腐敗や独裁を防ぐのに、二大政党制というのは、なかなか良い風に作用するものである。先進国になって、国民の民度や、社会通念が有る程度のレベルに達すると、政府の政策というのは、どうしても似通ってくるものである。現代の日本でも、極端な意見というのは、だんだんスポイルされてきて、あの共産党でさえも自衛隊の存在を認めるようになってきたし、好戦的な人の意見も、平和惚けの日本では、あまり意味が無く、無視されるようになってくる。つまり、政策がどんどん中道化してゆくのである。


 政党の出すマニュフェストやら、政策が似通ってくると、焦点は、政策の数少ないほんの小さな差だけを、論議するだけでよくなってくる。日米同盟は大事。これは共通だけれど、アジアも大事。いや、アジアとは慎重に付き合うべきや。で、差が出る。こんなもんである。日本は、今、この政権交代が可能な民主党という党を、みんなが育成しようとしている。自民党だけが40年も50年も政権担当していては、国民の選択肢が狭くなりすぎて、不幸になるからである。


 反対反対、何でも反対・・・・のつまらない野党ではなくて、ちゃんと自民党に変わって政権担当が出来る健全野党の存在は、国民に夢をもたらしてくれる。それがダメなら次の選挙で戻せばよいし、良かったら続ければよい。シビリアンコントロールで一番大事なことは、このバランス機能が正常に働くことである。よくできたもので、昔はアホやアホやと、政治家連中にバカにされてきた国民も、そんなにアホやなくて、意外とみんな真剣に国の未来を考えているもんや・・・。


 日本人が政治的関心が元来、低いのは、日本が島国で、他人とあんまり対立したくないという、日本人の気質から来ている。日本人は、もし、人と意見が違っても、滅多に言い争うような人は少ない。自分に危害や不利益が被るまで、だまっている。相手を変に刺激したり、変に喧嘩をしたくないという意識が、どうしても働いてしまう民族性なのである。。。


 だから、自分はこの人やら政党やらを支持すると、ハッキリ言わない人が半分以上もいる。この人らは投票も関心無い場合が多いし、政治に期待もしていない。でも、最近の若い日本人はちょっと変わってきている。主張することが、善であり、主張出来ない事が、悪であるという西洋的な発想がここにある。ディベートして、相手を言い負かす。自分の意見に相手を従わせる。これが出来る人が、評価の高い人であるという価値観が、知らず知らずの間に植え付けられてきているのではないか。


人の気持ちを思いやったり、弱きを助け、強きをくじく。自分を押さえて、人のために見返りのない仕事で働ける。こんな人徳のあることが、まるで全く意味のない「負け組」にカテェゴライズされてしまったという、罪は大きいやろうね。。。人は徳を積むために生きている。そんな素晴らしい昔からの日本人の価値観は、どこ行ってしてしもたんやろうね・・・。日本の政党も、もっと重みのある「徳」を積まないとあかんのやろうね。。。ペラペラと薄っぺらい政治ばっかりやっていたら、国民はもう飽き飽きしてくる・・・。どっしり、ぶれない、民主党期待してまっせ!

閉校になった小学校の跡地活用

4/5(水) 私の住んでいる京都市中心部の地域に、11年前まで格致小学校というのがあった。児童数の減少により、11年前に他の5校、7学区と一緒になり、洛央小学校に統合された。生徒たちは新しい小学校へ通うようになり、閉校になった旧小学校は、人影があまり見えなくなった・・・。洛央小学校に通っている元学区は、永松・開智・有隣・尚徳・修徳・成徳・格致の7学区だが、この11年でこの元小学校もどんどん姿が変わった・・・。

 永松小は四条河原町に一番近い立地からか、京都市教育委員会の施設として、先生たちの研修施設になった。開智小は、閉校になった学校が所蔵していた美術品などを展示する施設として、学校歴史博物館になった。尚徳中は下京中学として来年生まれ変わることになって、現在改築工事が進んでいる。修徳小は、老人健康施設として建て替え済み。成徳中は下京中学の体育施設になることが決まっている。

 有隣小跡は、五条署の建て替え時の仮庁舎になったり、今度建て替えが予想されている下京税務署などの入る庁舎のまたまた代替地になるのではないかという噂である。でもまだ最終的な成り行きは決まっていなくて、格致と同じく、「将来用地」となっている。京都市教育委員会は、学校統合の時、10年間という期限を切って、結論を先送りする事を明言していたが、その期限も近づいたのか、格致の跡地対策委員会というところに、「跡地をどうしますか?」という打診をしてきている模様である。

 現在、格致校跡には、空き教室を利用して、京都市ユースサービス協会と、立命館大学の研究部門の一部が入っている。体育館は堀川高校のクラブが使っているし、グラウンドの畑では洛央小の5年生が古代米というお米を育てている田んぼがある。地域の少年野球チームである洛央メジャーズのジュニアチームも練習しているし、体育振興会のバレーボールチームも、テニス同好会やらゲートボールクラブも、剣道クラブも使っている。運動会やふれあいまつり、体振の各種スポーツ大会でも、もちろん使っている。閉校になったとは、いいながら地域にとっては、中核施設であることに間違いはない。。。

 旧格致小学校は、もともと明治時代に、地域の人たちが、子供の教育のためならと、土地やお金を集めて設立した経緯がある。格致であれば、土地を寄付した黒田さんやら、お寺を移設した荒神さんなんかは、冗談だろうが、学校で無くなったのなら返して欲しいと言っている。土地の所有権の問題からしたら、京都市に寄付したのだから、京都市が煮て食おうが、焼いて食おうが、文句は言えないのだが、いろいろ寄付したりした地域の人たちからしたら、おらが学校的な意識がある。だから、京都市が、一方的に、跡地はこうしますと言えないような経緯がある・・・。

 京都市の方からしたら、いろいろ使いたいアイデアは有るのだろうが、たたき売って地域に反感を売っても仕方ないし、地域の方から要望が上がってこないと、なかなか手が出せないといったところだろう。。。ところが、跡地問題というのは、地域エゴがぶつかり合うところが大きくて、案を一つにまとめるという作業は、途方もないほどのエネルギーが必要やし、片一方を立てれば、こっちが立たず。の繰り返しになる。誰も火中の栗を拾う人もいないから、まず決まらないし、リーダーシップをとる人もなかなかいない・・・。

 数年前に広報委員会というところで、跡地アンケートというのをとってみたが、これが、本当に千差万別・・・・。体振関係の人たちは、グランドやら体育館をどうしても残せというし、老人施設にという人も多かった。緑地公園にしてほしい人もいれば、下京ドームに、いや図書館にと、ほんまいろいろ出てくるものや・・・。

私自身は、ちゃんとバレーボールのコートが1面取れて、少しでいいから観客席のある屋根の高い体育館が1個はどうしても欲しいと思っているのやけどね。。。格致の体育館は堀川高校の子らが、校舎の建て替えの時に、床をボコボコにしてしまったから、何十カ所もテープが貼ってあって、それに足を取られるからほんま危ない・・・。天井も低すぎるし、サーブを打つところは何と幅員30センチしかない。ほんま情けない欠陥体育館や・・・。まぁ、こんな調子でみんなが好きな事を言い出したら、結果的に何にも出来ないことになる。

京都市に任せたら、またどうせデイケアの施設やら、身障者の施設やら、役所の書類保管庫やら、埋蔵物の管理場所やら、ろくなものを持ってこないやろう・・・。つまり、役人達に都合の良いようなものになってしまう。これだけは避けたいところや。。。

 そこで、いろいろ話が出ても、あんまり収拾がつかないやろうから、私なりにちょっと、何か条件で整理してみようと思う。私は、学校の2軒となりに住んでいる者として、言わせてもらえれば、何を優先するかの条件で決めてみてはどうかと思うのである。ではどういう条件の施設が良いか・・・。

周りは背の高いマンションばっかりなので、せめて3階建てまでの低層の施設であってほしい。

夜間に施設周辺部が暗いので、防犯上でも、照明が常にある、明るい施設にしてほしい。

浮浪者やら暴走族が集まらないように、夜間は閉鎖され、管理された施設であってほしい。

当たり前だが、騒音や排気、危険な物質や菌などの出ない施設であってほしい。

ご近所としての要望は意外と少ないけど、こんなもんである。これなら、そんなに高いハードルではないと思う。

 では、現実的にどのような施設がここに望ましいのだろうか。ここ堀川高辻近辺では、染色関係の人が多い。また呉服の下絵を描いたり、紋書き屋さんであったり、糊を置く仕事であったり、デザイン系の仕事も多い。また、祇園祭の山鉾のうち5つの山鉾がこの地域にはある。これらの特色を生かす方向性になれば・・・・。私の勝手な妄想案であるけど、ちょっと考えてみた。

祇園祭ミュージアム・・・現在山や鉾のある町内では、会所と呼ばれる祇園祭の山鉾の装飾品やら部品を保管したり、お囃子の練習をしたりするところが、減ってきているという。本来なら、その町内の篤志家が家屋を提供して会所にしていたのだが、マンションの建設やら、後継者不足などで会所の維持管理が困難になってきている。そこで、各町内が管理している装飾品などを一元管理し、また、常設展示として、公開出来るものは公開して、祇園祭期間中以外の時期でも観光客に見て貰うアイデアはどうだろう。旧格致校では、現在でも四条傘鉾の子供たちの踊りや、お囃子の練習に使われており、地域の人などが自由に見学出来るのも良い事だろう。また、祇園祭期間中には、集客施設としての情報発信基地やら、イベント会場としての利用も考えられる。

若者文化を育てる・かくちスタジオ・・・京都市民の10人に1人は大学生という京都でも、音楽をやっている学生の練習場所が意外にもほとんどない。音楽といえばロック、うるさいと思われがちだが、クラシックや、ビッグバンド、コーラスなどの練習施設などは、驚くほど少ない。地下に作るなどの工夫をして、完全な防音対策を施した施設が有れば、若者文化の発信基地になる。レコーディングスタジオや、写真スタジオ、伝統的なデザインを若者に継承する施設としての活用方法も考えられるのではないか。。。また、ちょっとしたイベントやら、コンサートが開けるイベントスペースがあれば、賑わいが生まれる。新風館のような成功例があるのだから、官がやるのではなく、どこか優秀な民間会社にコンペさせて貸し出してみるのも手かも知れない・・・。あんまり賑わい過ぎても、困るかも知れないけどね。。。この部分はご意見の分かれるところや。。。

ショッピングモール・CAKUTI館と町家レストラン・・・京都には日本中に誇れるような第一級の伝統的な職人さんが多い。そんな職人さんたちが使うプロの道具は、なかなか普通のところでは、売っていないことがおおい。京都ならではの刷毛だけを売る店。染め物の染料やら特殊な糊、画材やら、金箔なんかの変わったモノを商うお店は市内に点在しているのだが、観光客やら一般の市民にも、そんな道具は興味津々なのではないか。こんな変わったもの売れるもんか・・・という商品が今売れる時代でもある。。。一澤帆布とか、あぶらとり紙のよーじやとか、舞妓さんが使うおしろいとか、そんなものを売るお店が集められないものやろうか・・・。ついでに、今流行の町家で、ちょっとした美味しいモノが食べられるレストランなんかもテナントで入ってもらってもええのではないか。お洒落な施設が出来ると、その街全体もお洒落になって、上る時代です。表参道ヒルズなんかの施設が出来るだけで、その街がぐっとステータスが上がる。今はそんな時代でしょうね・・。

京都彩り創作館・・・呉服業界、染色業界には、あさぎ色、うすねず色など本当にたくさんの色があります。また、格致は、憲法染めと呼ばれた黒染めの発祥の地でもあります。染め物を古くさいモノと考えずにね新しい目で、光を当てることにより、後継者の育成にも役立つ事が考えられます。日本独自の色の世界をいろいろ体験しながら実際に自分で染め物が作れたり、自分のデザインした図案がタペストリーになるようなインテリアを作ったり売ったりする施設はどうでしょうか。インテリアは老若男女を問わず関心の高い世界で、日本のように高度成長した社会では、市場としても有望です。呉服が不振でも着物地を使ったアロハシャツなどはよく売れているそうです。染め物もモダンなインテリアとしての将来があると思うのですがね。。。

以上、ちょっと考えてみました。

銀行の敷居

4/4(火) 全銀協という銀行の団体は、日本全国の銀行で、2008年1月から、ATMによる自動振込を1回10万円に制限すると発表した。欧米をはじめ、世界各国で進められてきたマネーロンダリング防止が目的で、利用者には、不便がかかることも考えられる。つい、この前には、銀行は100万円以上の振込が出来なくなったばっかり・・・。何か、規制がどんどん厳しくなるなぁ。。。銀行さんは過去最高益を出しているのにね・・・。

 ただ、この措置は、本人確認が出来ないATMによる振込を制限したもので、その銀行に口座を持っている人が、自分の通帳やカードを使って振り込むのは、対象外ということである。だから、現金を銀行に持ち込んで送金していた人だけがこの規制を受けることになる。これは、不正に取得した金を、銀行に持ち込んで、海外送金するのに、身元が明らかでない人を事実上閉め出して、送金させないようにすることになる。

 不法滞在の外国人が、日本に出稼ぎに来て、母国にお金を送っていたのが、この不法滞在者は銀行に口座が持てないから、これからは出来なくなるということや。。。逆に、今までは日本では誰でも簡単に出来ていたのやから、これは怖い話や・・・。北朝鮮への送金なんか、直接は無理でも中国やら第三国経由で、やり放題やったんやからね・・・。

 どこの誰でも振込手数料さえ払ったら、自由にお金が送れるというのは、便利で良いことのように思われがちだが、実は大変怖い事でもあったわけである。中国の蛇頭やら、北朝鮮の工作員やら、南米や中東からの出稼ぎ労働者を斡旋して甘い汁を吸っておった、ヤー公くずれなんかにとったら、この措置は、大打撃やろうね。。。

 脱税しとるヤツも、困るはずや。香港やらスイスの海外口座へ送金していた金も、隠せなくなるから、調べようと思ったら、税務当局に丸見えになってしまう。ホント、この措置、遅すぎたぐらいや。。。反対に外国人にとって、日本の銀行を利用するには大きな障壁が出来たことになる。銀行にちゃんとした口座を持っていることがアメリカと同じように日本でもステータスになる時代が来る事になる。逆に口座を持つことだけに維持管理手数料を取る銀行も出て来る可能性がある・・・。

 銀行にとって、良い顧客は、大口定期をしてくれる客であり、それを担保に、お金をたくさん借りてくれる客であり、利益の高い外貨預金の手数料をたくさん払ってくれる客なのである。年金を受け取ったり、両替をするだけ、毎月1万円の積立預金をするような客は、はっきり言って、儲からない客だから、こんな赤字の客は排除したいのが本音なのである・・・。

 私は昔、学生時代に2ヶ月ほどアメリカに行っていた事があるのだが、その時、向こうの銀行に両替などの用事で何度か行くのだが、若い東洋人なんか、向こうの銀行は全く相手にしてくれない。クレジットカードも持たない人は、人にあらずという態度やった。アメリカという国は、移民の国なのだが、ロサンゼルスあたりには、不法入国したメキシカンなどが、山ほど住んでいる。こうした人たちは、銀行などは敷居が高くて近づけない。

 この時も、私が列に並んでいたら警備員がしずしずと近寄ってきて、何をしにきた。IDは有るか。本当に金は持っているか。パスポートをチェックさせろ。武器は持っていないやろうな・・・。こんな調子である・・・。まぁ、それだけ銀行口座を持つということだけが大変な事で、身元がまともじゃ無い人は、銀行制度自身も使えないようにガードしていたんやね・・・。この時代が日本でも来た・・・。そういうことやろう。。。

日本人は中流意識が世界一高い国だから、銀行なんて1円有れば、ただで通帳を簡単に作ってくれるし、どこでも偉そうにしていれば、銀行員はへいこら、するもんやと思いこんでいる。ところが、国際化によって、世の中には、身分証明を持てない人も意外と増えてきた。そういう事やろうね・・・。両替にも手数料を取る。同行の振り込みにも手数料を取る。小切手やら手形の用紙まで値上げ・・・。いつまでも、ええ顔だけは、してられない・・・。所詮、銀行も金貸し、サラ金、まち金なんかと基本的に変わらない・・・。金を貸す時と、金を預かる時のギャップはすごいもんや・・・。