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デジタル編集者は今日も夜更かし。

出版社に在籍していながら、仕事はネット、携帯などデジタル企画のプロデュース。

もし雑誌をやっていたら記事にしたかもしれない様々なネタを、ジャンルにこだわらずコラム風に書いてみる。アナログ志向のデジタル編集者は、相も変わらずジタバタと24時間営業中!

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15歳の女のコが300枚の小説を書き上げたからって、そんなに大騒ぎするこたぁないんじゃないかなぁ。
書き上げたことは、誉めてあげたい。将来に可能性もあるだろう。

でも本音を言えば、彼女には、出版デビューまでの時間と習作のチャンスをもう少しあげたかった。

自分が中学生だった頃。こういう“小説”を書きそうな子を何人か思い浮かべることができるね。
もしかしたら、その子たちは実際に書いていたのかも知れない。

ボク自身がその当時書いた文章が手元に残っていたりするのだが、文章だけではなく生き方も、比喩やレトリックとは無縁のストレートな不器用さが鼻持ちならなかったりする。独りよがりと思い込みによる偏狭な押しつけ。でもそれは、経験の浅さからくる“角”のようなもので、その当時はそんなことには気付きもしなかった。だれも教えてくれなかったし。

この“小説”を読むと、そんな気恥ずかしさを感じる。同世代には支持されるかも知れない。リスペクトもされるだろう。もしかしたら、でも、オトナが読む本じゃないかも…。

綿谷りさら若手の芥川賞受賞に続いて、今年はライトノベル系の新人賞を総なめして5冠に輝き天才高校生作家・日日日(あきら)のデビューもあり、若い作家の台頭がクローズアップされている。
多くの小説やストーリーに接するチャンスがあり、パソコンや携帯で書くことにも慣れているなど、その原因が分析・解説される。
でも、太宰治だって17歳で習作『最後の太閤』を書いたし、柴田錬三郎は14歳で小説らしきものを書いていたという。もしかしたら、出版のハードルが低くなったとか、クォリティよりマーケティング主導…なんてことはないだろうか。昔は出版点数も格段に少なかったし、同人誌で揉まれないとデビューは適わなかったのだ。

若いデビューといえば、河崎愛美氏と同じく中学三年で書かれたのが(もう手に入れにくいかも知れないが)、85年の毎日新聞社主催の毎日児童小説特別賞を受賞した蜂屋誠一のSF『タイム・ウォーズ』
テーマも文章も『あなたへ』と比べると遥かに子どもっぽいが、こちらはちゃんと物語になっていた。36世紀(!)のタイムパトロールが活躍するスペースファンタジーで、一億年単位で舞台は飛ぶわ、四次元空間で恐竜人間と戦うわで、オトナの想像力を超える自由自在な展開が凄い。

さらにさらに米国生まれの中学生のモデルhanae*は、小6、12歳の時に『小学生日記』 出版している。この本は小説とは言わず、作文集とされているが、文章も構成も立派に小説&エッセイとして成立している。
作文コンクールで文部科学大臣賞を受賞した“ポテトサラダにさよなら”なんて、書き出しから1ページ読んだら、その才能に脱帽必至。
冷静で客観的で、それでいて子どもらしく素直。全体を通して描写力、表現力に裏打ちされたボキャブラリー豊かな“作文”に仕上がっている。
ボクがこの『小学生日記』 を読んだのは出版直後の昨年の正月だったのだが、いいオトナがいろんな意味で影響を受けてしまった。
たとえば、彼女が後書きに好きな本として紹介していた絵本、『はせがわくんきらいや』(長谷川 集平) と米国にいるとき初めて買ってもらったという『I Like Me!』(Nancy L. Carlson) をすぐに購入。どんな本を子どもの頃読むと(今でも彼女は子どもだけど…)、こんな文章が書けるのか知りたかったのだ。
そしてこのムスメ、なかなかの本の目利き、本当に読書が好きなんだなと嬉しくなった。
さらに彼女の兄が敬愛し、そのことで作家・hanae*が嫉妬するという“シゲマツ”(重松清)は、『ナイフ』
を皮切りに立て続けに読んだ。
『 小学生日記』(hanae*) にはいい大人が、十分に影響を受けるだけの力があった。


『あなたへ』(河崎愛美)
の感想を書くつもりが、大きく脇道に逸れてしまった。
それにしても、小学館文庫小生賞受賞作品が、どうして文庫じゃなくて、単行本で出版されたんだろう…。

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ハナミズキが満開。


年末にはクリスマスイルミネーションのツリーとして大活躍 をしてくれた家のシンボルツリーのハナミズキも、爽やかに咲き誇る。

世間が桜(ソメイヨシノ)に浮かれている間に、ミツマタ、八重桜、ドウダンツツジ、山吹などなど季節は次々と花を咲かせる。気がついて愛でる人たちは、幸せだよね。どうだ、群れる者たちよ、っと。


ボクは、薫風に揺れるハナミズキが好きだ。
この樹の下での酒盛りは似合わない。陽光の下、サンドイッチでも持ち寄ってランチをするのが楽しいかな。


ハナミズキは、1912年にワシントンに送られた桜の返礼として1915年に日本にやってきた。
最初から、友好と平和のシンボルなのだ。

一青窈は9.11にインスパイアされて、ハナミズキを歌う。大好きな曲。


君と好きな人が
  百年続きますように


世界中で起こっている不幸なことをすぐに止められるチカラは、ボクらにはないかもしれない。だからね、まずは身近な人の幸せを祈ろう。

そして、これを読んでくれている皆さんのために。あなたと、あなたの大切な人が、ずっと仲良く幸せでありますように。


*花びらのように見えるのは総苞片(そうほうへん)と呼ばれる器官で、じつはハナミズキの花はその中心にかたまっている部分。花弁は緑色で4枚。よく見ると雄しべや雌しべもちゃんとある細かな花がたくさん集まっている。
今年のハナミズキは、どこの花も少し小振りのように思うのだが、気のせいだろうか。

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数年前まで、ドラム缶様の焼却炉で紙のゴミを燃やすのが週末の楽しみだった。
もちろん、焚き火をしたかったけど、住宅街の小さな庭ではそうもいかない。煙も匂いも、それに火の粉も気になる。
そこで、高温で灰が白くなるまで燃やし尽くすという小型の焼却炉を購入して、いろんなモノを燃やした。空気穴の開閉度合いや投げ入れる紙の量次第で、燃料も使わないのにゴーと音を出しながら吹き上げる炎は、とっても好きだった。

火は、たぶん人に根源的な安心感を与えてくれるのだろう。それに、不要なモノを永久に取り戻せないように燃やしてしまうという行為は、ある意味、ストレス解消にもなった。

 

しかしダイオキシン問題で、ある時期から都内では焚き火はもちろん、家庭での焼却炉の使用もほとんど不可能になっている。それなりの金額を出せば、ダイオキシンの発生を抑えるという800度燃焼の小型焼却炉もあるのだが、炎が見えない焼却炉では面白くも何ともない。こうして、楽しみのひとつが奪われた。

 

焼却炉を愛用していたころ燃やしていたのは、山のように届くダイレクトメールや古い請求書、メモや会社から持ち帰った書きかけの企画書、買い物のレシート、市販薬のパッケージや、もっと恥ずかしいモノなどなど。つまり、主に個人情報だ。
じつは焼却炉は楽しみだけではなく、安心してゴミを処理する貴重な存在でもあった。

 

1993年、東京都はマナー向上とダイオキシン発生防止のため黒いビニール製のゴミ袋を禁止して、現在の半透明のタンカル入りゴミ袋を指定した。餌漁りを視力に頼っているというカラスが急激に増加したのもこのころからだが、カラスにも中が見える、ということは人の目にも見える、ということだ。

 

ボクは、焼却炉を諦めると同時に、シュレッダーを購入した。
いままで燃やしていたモノを、とてもとても、半透明なゴミ袋で世間に晒したくなかったからだ。

 

朝、街を歩くとゴミ袋には様々な生活の残滓が詰め込まれて出されている。ちらりちらりと目をやると、ハガキの宛名を始めとして、様々な個人情報が透けて見える。その人の常備薬が分かる。使っているクレジットカードの種類がわかる。寄付の依頼状から卒業した学校も知れるし、宅配便の伝票から購入した物品まで分かる。

それらが、カラスに突かれた袋からは路上に溢れ出て、チョー恥ずかしい。っていうか、ヤバイでしょ、これ。

 

酷使したシュレッダーは数年で歯がダメになり、いまは2代目。復元がほぼ不可能といわれるクロスカットで処理してくれる高性能機で、普通の紙なら一度に10枚の断裁が可能だ。
捨てる、残しておく、という判断。決断。シュレッダーにかける行為は、焚き火と同じで、いまそこにあるモノを過去に葬り去り二度と復元できないというスリルと快感を伴う。焚き火ほどではないにしろ、なかなか楽しめる。

 

個人情報保護法の施行で、会社は大慌てだったが、おかげで個人レベルでの情報漏洩に関する意識も高まっているという。あちこちで、家庭用シュレッダーの品切れ状態が続いている。良いことだ。
そこで、シュレッダー歴10年のボクからアドバイスをさせてもらうなら、とにかく安物を買わないこと、だ。あらためて自分の周囲を見回してみると、思いの外、個人情報の記載されている書類が多いことがわかる。だから、手動や電池式のおもちゃのようなシュレッダーはほとんど役に立たない。スパイや粘着質のストーカーなら、時間をかけて復元可能なストレートカットタイプよりも、縦横に切り刻んでくれるクロスカットタイプがイイ。
ちなみに、ボクが使っているのは、“フェローズ シュレッダー PS80C-2+”

 

生きていれば、どんどん溜まるゴミ。とっておけば執着に変わる思い出も、ズバズバ断裁すれば、未来に向かって生きていけるよ。

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ゼッタイ、生活には不必要だよなぁ…と、思いつつもモビールがマイブーム。

 

 

フレンステッド・モビールスの“SWALLOW MOBILE/ツバメ” (1,600円/厚紙)が、部屋に舞う。
飛び交う“虹のかけら” と戯れる。

 

 

風と光を感じることができる無駄な買い物のおかげで、昼のリビングは、夜のリビングとまったく異なる爽やかな明るさを見せてくれる。
冬の日溜まりの暖かさとはまた違う、気持ちの良い季節を部屋イッパイに表現してくれる。窓を開け放して、風を入れたくなるリビングができあがる。

 

 

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調子に乗って手に入れたのが、同じくフレンステッド・モビールス社の“BLACK RHYTHEM” (アルミ製)。
これは、どちらかといえば、夜のリビングのためのアイテムだ。黒い金属質の羽が、部屋の灯りを鈍く反射しながらゆったりと動き続ける。精緻なバランスをデザインされ、柔らかな曲線で構成された微妙な隙間が、人の移動や温度の変化など、微妙な空気の動きに併せてゆっくりとシルエットを変化させる。
しかし、なにせサイズが72cm×75cmと巨大で、まだ、どこに飾るか悩んでいて居場所が定まらない。


フレステッド・モビールズ社 は、デンマークの会社で、ホームページをみると日本には入っていないモビールがたくさん! 個人輸入には手を出さないぞ…、と、自らを戒めつつ…でも“Tango", Red”なんてムチャクチャ欲しい。。。

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村上龍『半島を出よ』上下巻 と並行して、瀬尾まいこ氏の三作品を続けて読んだ。


かなり無茶な読書作法。

でも『半島を出よ』で精神的にかなりプレッシャーを感じていたので『幸福の食卓』 で初めて出会ってホンワカできた氏の作品を中和剤としたかったのだ。

おかげで、胃に穴が開くこともなく『半島を出よ』を読み終えた。

そしていまもどうにか希望を持って生きている(^^

 

『半島を出よ』は近未来を描く非日常的な小説であり、一方の瀬尾まいこ氏は、極めて日常的で穏やかな日々を描く。
しかし、自分にとっていまどちらの世界がリアルで身近に感じるか、と問われれば、ボクは迷わず『半島を出よ』と応えるだろう。

日本列島を取り巻く現状を見るとき、他国の兵士に国土の一部を占拠されるという非日常的な近未来と正面切って向き合わねばならない、とマジに感じている。

だから、『半島を出よ』は胃が痛くなる。そして、日本のリーダー(!)たちの顔を思い浮かべると、辛くなる…。

 

それに比べてこの三作品は、紆余曲折はあっても、それを乗り越えるだけの優しさに包まれ、穏やかな日常に溢れている。そこにある偶然の出会い、手が届きそうな幸せ。

でも、こんな日常がそうそう転がっていないことも同時にボクたちは知っているのだ。
非現実的だと思っているわけではない。こんな日本に、かつてボクも住んでいた。ここに描かれているような学園生活を送った思い出もある。

 

氏の小説は、誰と誰がどんな料理が並ぶどんな食卓を囲むか、という関係性のバリエーションだ。
4冊目の『幸福の食卓』 で、象徴的なそれがタイトルにもなるわけだが、処女小説『卵の緒』からず~っとその姿勢は貫かれている。社会性から隔離された小説は、何となく非現実的な、現実から目をそらせた夢物語になりがちだけど、じつは、この食卓や食べ物がリアルな世界との接点を保っている。小説が、小説として確立するための重要なファクターを担っているような気がする。


卵の緒/瀬尾 まいこ
「坊ちゃん文学大賞」受賞の表題作と、もう一編収録。せつなくなるほど優しさにあふれるている。子どもたちと周囲のオトナが、疑いもなく信頼関係を築いている安定した心地よさ。家族が、家族であるための要件が、何であるのかを思い切りストレートに描く。

 

図書館の神様/瀬尾 まいこ
もしかしたら、瀬尾氏の作品のなかでもイチバン好きかもしれない。本を読むこと、本を語ること、本に出会うこと。瀬尾さんは、本当に本が好きなんだろうな。そして、その素晴らしさをみんなと共有したくて、教師になったんだろうな(彼女は現役の中学校教師)。そして、もっともっと伝えたくて、小説を書いているんだろうな。主人公と、瀬尾氏のイメージがダブる心地よい読後感。

ニコっと微笑みながら、泣いた。

 

天国はまだ遠く/瀬尾 まいこ
シチュエーションは氏の作品としては異色だけど、でも底知れない優しさと、希望はここでも貫かれている。現実から逃れているようで、現実と正面切って向き合っている瀬尾氏のマジメさも滲み出る。


本棚に入りきらない文庫約2,000冊の山が書斎の片隅に積み上げてある。その文庫の山の上に、三作品を並べて撮影。単行本で読んだ小説も、その一部は文庫化されるとまた買って、何度も読み返したりする。瀬尾まいこ氏のこの三冊と『幸福の食卓』は、たぶん文庫化されればまた買うだろう。そして、心がしんどいときや、躓いたときに、また読み返すだろう。
優しくなれること、人を信じることは、本当に素敵だ。
皆さんの週末の食卓は、誰と囲み、どんな料理が並んで、どんな話が弾むのかな。

 

Dizzy

 

羽田空港の第2ターミナルビルにある『キース・マンハッタン』という小じゃれた洋菓子店に、10数人の行列ができていた。

 

うん? こんなケーキ屋の名は聞いたことがないぞ?


並ぶほどに美味いのか、と、覗いてみると、どうやらお洒落な篭に入っている“Dizzy”(ディジー)という焼き菓子が目的らしい。飛ぶように売れている。陳列棚には、あと数個。
これは、試さねばなるまいと一本購入。
写真左が陳列棚で、最後の一個がいままさに売れようとしているところ。

 

“Dizzy”は、アーモンドスライスたっぷりの柔らかめのパイに、目いっぱいカスタードクリーム、栗、小豆が詰まったウムムなお菓子だった。美味しいんだけど、こいつのちっちゃいバージョンはお土産系お菓子で経験のある味だなぁ、と思いつつ。でも、これだけ中身がギッシリと重たい焼き菓子も珍しい。

 

グルグルと検索してみたら、羽田で買ったファンが全国にいることが分かった。
問い合わせ先の会社として、プレジィール(銀座)の住所が記載されているが、工場は愛知県。いろいろ調べてみたら愛知県の製粉会社の関連会社らしく、どうやら洋菓子関連は名古屋を中心にいくつかのブランドで展開していて、あっちこっちで行列を作っているようだ。

 

お洒落だけど、小豆のあんこもたっぷり入って和菓子風。

お年寄りにも、子どもにも受けるに違いない優しい甘さのこの焼き菓子、なるほど故郷に向けて羽田から飛び立つ人にはちょうどいい東京土産かもしれない。
でも、ボクの故郷は東京だから…、もうこのココに並ぶことはないかも、しれないな。。

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嘘をついたので、亀戸天神社で“鷽(ウソ)”の土鈴を受領(購入)してきた。

 

鷽(ウソ)は“幸運を招く鳥”とされている。
正月の鷽替神事は、前年の鷽を神社へ返納して新らしいものととり(鳥)替えることによって一年の吉運を招き、開運・出世・幸運を得ることができると信仰されているが、一説には、ついた「嘘」を天神さまに「誠」に替えていただき、正しい幸運に替えるともいう。

 

さて、ボクがついた嘘とは、
4月1日の記事『快感/繰井未来』である。


ブログ記事だけではなく、知人・友人はもちろん、仕事関係、会社の上司、親兄弟、親戚にまで“【初の無料単行本15万部、本日17時に全国書店で配布開始!】”というビジネスニュースもどきのメールを送ったのだけど、これはぜ~んぶ“嘘”。
もちろん、エープリルフールの冗談ネタだった。

 

もう何年もいろんな嘘イベントを考え実行しているのだが、今回は、ちょっと凝りすぎたかもしれない。
無料の単行本小説『快感』が4月1日に全国書店で配られる、という内容だったのだが、ボクの知ってる限りで10人に近い方が実際に書店まで足を運ばれたらしい。


自分では良くできたジョークだと思っていて、メール直後から絶賛の返信も多数いただいた。でも、その後のインタビューで、ジョークと気づいていない方が半数近くいることが分かった。もしかしたら、ブログの読者も含めていまでも真実だと思っておられる方がいるかもしれない。

 

あらためて告白すれば、出版の経緯も、小説の内容も、流通のビジネスモデルも、すべて創作。

つまり、真っ赤っかの嘘

 

著者の繰井未来氏はソーシャルネットワーキングのグリー(Gree)とミクシ(mixi)だし、書評を装ってはいるがジャンルはBOOKではなく「イベント」だしネタバレリンクの下には「注:読みたくない人も、↑をご覧ください。」と注意書きを入れた。写真に使った本の装丁は、パソコンでチョコチョコっと作ってプリントアウトし、他の単行本に被せただけで、著者近影はボク自身だったりする。
すぐにはばれたくないけど、良く読むと、あれ?と疑問に思うような仕掛けを散りばめたつもりだったのだが。

 

少しだけ反省中。
でも、少しだけ。
多くの人は、4月1日がエープリルフールだと意識していなかった、という。そこがボクの反省点。

でもさ、もっと、遊ぼうよ。もっと、遊ぶことに一生懸命になろうよ。

確かに、忙しい毎日だし、オトナはそんな馬鹿げたことにはつきあえないかもしれない。

でもね、ボクは誰も傷つかない嘘を必死になって考えて、朝までかかって準備して、しんどかったけど楽しかったよ。手品を見て怒る人はいないだろう。ドラマを見て、フィクションだと怒る人はいないだろう。エープリルフールは、いつも観客である自分たちがエンタテインメントの舞台に立てる絶好のチャンスだと思うのだが、いかがだろうか。

 

来年も、心と生活に余裕があれば、きっとやります。
今年ボクに騙された皆さん、楽しみにしていてください。

また、次はぜひ、ボクを騙してください。そして、お互いの嘘で笑い合いましょう!
でも、今回は、一応謝っておきますね。
ゴメンナサイ (m_m)

 

*鷽=ウソとは実在の、頬、喉が紅色の可愛いアトリ科の野鳥で、サクラ・ウメの花芽を好む。鷽替神事に使われる木彫りの鷽は、神事当日にしか手に入らないが、亀戸天神社の土鈴は年中あり。こいつもとってもキュートです。

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皆が満開の桜を愛でているときも、愛犬ソピアが樹上の花を見上げることはない。
あと一週間ほどして、風が花びらを散らし始めたとき、彼女は初めて桜の存在に興味を持つ。
じつは、飼い主のボクも散る桜が好きだ。散ってこそ桜。風に舞う桜は美しい。

 

ソピアはもうおばあちゃんなので、日射しの強い暖かな日は、昔のように走りながらの散歩は少々しんどいようだ。リードに繋がれた身の上ゆえ、ソピア、走るか!と声をかけると耳を後ろになびかせながら軽快に走り出すものの、50メートルも行くとボクの方を上目遣いに見上げて、まだ走るつもり?と訴える。
ホントは道の匂いをクンクン嗅ぎながらの寄り道散歩が大好きなのだ。


そんなわけで、必然的に地べたに咲く小さな雑草の小さな花や、庭のプランターで開き始めた色とりどりの春に興味津々、となる。

彼女の目線で路傍や庭の花々を観察してみると、桜のように衆目を集めなくても十分に魅力的な花がそこ此処に咲いている。

チューリップ、カタバミ、ヒヤシンス、ビオラ、クロッカス、パンジー、セイヨウタンポポ、わすれな草、ラベンダー…。オランダ直輸入の高価な球根の花も、雑草も、見方によっては同じように可憐で美しい。
ソピアの鼻先の群生は、オオイヌノフグリ。フグリとは陰嚢=金玉のことで、付ける実がふたつ並んだ犬のタマタマのように見えるからこの名前。ソピアは雌犬なので、当たり前だけど“フグリ”はない。1センチに満たないけれど、よく見ると4枚の花弁と2本の雄しべを持つ可憐なブルーの花で、日溜まりで開き、夕方の散歩の時には花を閉じてしまっている。まだまだ昼夜の寒暖の差が大きいこの季節に、身を守る賢い仕組み。

 

花見の歴史は平安時代まで遡るらしいが、それは貴族の遊び。
8代将軍吉宗が江戸・飛鳥山に桜を植えて庶民に解放したあたりから、現在の花見イベントに繋がってくる。
とくに、江戸後期に品種改良で誕生したソメイヨシノは大名たちにもてはやされた。
城下、学校、役所、大名屋敷跡の公園や寺社、公共事業で作られた河川の土手やダムなどに残り、桜の名所はどうも権力と結びつく。散り際の潔さも、どうも“お上”に都合良く解釈されているような気もする。
な~んとなく、「まあ、たまには息抜きをしなさいね、庶民の皆さん」と言われているような気がして、ボクはいわゆるブルーシート系花見の経験がない。
とはいってももちろん桜の花は好き。いまイチバン見たい桜は、しかし井の頭公園や千鳥ヶ淵の喧噪の桜ではなく、全国にぽつんぽつんと立ついわゆる“一本桜”たち。もう少し年齢を重ねたら、一本桜を巡る旅をしてみたいと思っている。

 

そんなワケで花びらが風に舞う時まで、ボクはソピアと一緒に、フグリを愛でる。

 

 

AprilFool
 
あるソーシャルネットワーキング(*注)で知り合った高校生グループが社会に巻き起こす“親切の快感”というビッグウエーブ。

誰も傷つかない、誰も死なない小説だけど、ボクは途中10回は涙して、最後には号泣してしまった(^^ゞ

 



キッカケはある高二の男のコが日記に書き込んだエピソードだった。
「電車で席を譲ったら、スッゲー意地悪そうな顔をした爺さんが深々と頭を下げてくれた。生まれて初めての快感~! おまいらも一度やってみ!?」

 

東京のあちこちで、大阪で、福岡で、高校生たちが突然、電車の席を譲り始める。
快感報告が次々と届き、さりげなく譲るノウハウ、妊娠初期の女性や、重い生理痛の女性を見分ける方法などがネットワークを通じて議論されていく。

 

ある時、千葉の元ヤンから「お年寄りとは何歳からを指すのか?」という質問が寄せられる。価値観の異なる全国の高校生たちは、最初は譲るべき相手さえ見分けられないのだ。

そこからが、この小説の真骨頂。
彼らは話し合い、家族に年寄りがいるものは祖父母にインタビューをしてネットで報告、次々にマニュアルを決めていく。
結果、「面倒なので自分の両親より年上の人が目の前にいたら、席を立つ」という基準を設ける。このマニュアルによって、やりたくてもできなかった親切をより多くの高校生たちが実践できるようになる。いままで電車に乗れば寝たふりをしていた子供たちが顔を上げるようになる。
また「電車内で立つときもドアの近くに立たない。長椅子の端には座らない」というルールもできる。
お年寄りはじつは席に座るのも立つのも不安定なので、手すりに掴まる必要がある、という理由からだ。彼らはネットを駆使して、そういうことを学んでいく。

 

最初は“席を譲る程度の快感”で盛り上がるのだが、次第にそれは当たり前のことになり、座っているヤツを見るとかっこ悪く思えてくる。そうなると自分たちは退屈だ。高校生たちは“より強い快感”を求めるようになる。
たとえば、老人ホームに慰問に行くのだが、彼らはそこで歌ったり踊ったりをほんの少ししか見せない。彼らは、自分たちが一曲披露したら、すぐに年寄りたちをうながして、自分たちは聞いたこともない軍歌や歌謡曲を歌わせ、それをさも楽しそうに聴くのだ。ただ聴くのではない。真剣に耳を傾け、手拍子に参加して、心を込めて乗り出すように集中して聴く。そしてやんやの喝采。見せるより見てあげる方が老人たちは喜ぶ、ということを学ぶ。
年寄りの踊りの発表会があると聞けば、饅頭や羊羹を持って駆けつける。最後まで鑑賞して、控え室の前で出待ちまでして、“楽しかったよ~、ばあちゃん上手だねぇ”とニコニコしながら誉める。そして最後の決めゼリフは“次は、いつやるの?”。

すべてマニュアル通りなのだが、ここまでやるとほぼ100%年寄りたちは、皺だらけの顔をぐちゃぐちゃにして高校生たちにすがるように「ありがとう!」と泣き出す。

 

彼らは、最初からボランティアをやっているつもりはない。自分たちが気持ちよくなることを探していたら、たどり着いたのが他人が喜ぶ顔を見ることだったのだ。ほとんど遊び感覚なのだが、快感を伴いルールが明確な遊びが流布するのは早い。あるものは献血に、あるものは地域の清掃活動にと、小さなサークルが次々に生まれ、ピンポイントの快感を求め始める。

そして日本中に広まりつつあるとき、“快感”という動機を快く思わない教育委員会や文部科学省が動き出す。あるいは組織化して利用しようとする者が現れる…。

 

彼らのエピソードを読んでいると、当然、読者も気持ちよくなってくる。

まず親切にされた人々が笑い、高校生たちが喜び、その光景を目撃した周囲が微笑み、そして読者も感動する。なんという幸せの循環。こんな小説、読んだことがない。

 

ちなみに、エピソードの半分は実話だという。

参考:「小さな親切」運動本部:グッドハートな高校生たち
http://www.kindness.jp/archives/000054.html


さて、
皆さんご存じのように、この小説はソーシャルネットワーキングのなかで生まれた。リアルなエピソードを高校生たちが持ち寄り、それを著者である繰井未来氏が小説として仕上げて、デジタル編集者が無償で一冊にまとめ上げた。

ボクも発売前に、そのクローズしたコミュニティで読んだ。登録者しか読めないわけだから、せいぜいまだ数万人が目にした程度だと思うが、出版を目前にしてバズ(噂)による認知度はあの『電車男』をもしのぐかもしれない。

 


『快感』は、しかしAmazonや書店で購入することはできない。
ネット予約だけで既に15万部という話題の本は、今日4月1日(金)17時を期して地方の小型書店を中心に無料で配布されるのだ。一部、高校や中学、福祉施設、図書館への納品も決まっているという。

 

出版には、従来の出版社や流通は一切関わっていないのである。
流通は、セミ・オンデマンドの形式でデータが地方の印刷製本会社に送られ、そこで数百から数千部ずつ製本される。それを、地元の高校生たちが、町の小さな本屋さんに自転車やバイクで届けるのだ。サイトで募集されていた「配布ボランティア」は、あっという間に応募多数で抽選となった。

 



ビジネスモデルは、広告収入。
コミュニティ内の事前マーケティングのおかげで、この小説の潜在的な部数は数十万部と予想されている。
表4、表2、表3を始め、行間や柱など随所に広告を入れることで、その印刷・製本の費用はまかなうという。

タダで配られる小説、つまり初めて本格的な、“フリーペイパー単行本版”が登場したのだ。小説のテーマも相まって今回は3社のスポンサーが付き、なんと初版で既に黒字は確定している。

 


さらに素敵なのが、エピソードを提供した数百人の高校生たち。
彼らは、個別に著作権の主張をしないことを早々に決めた。その代わり、黒字分をどこかに寄附することを求めたのだ。
その結果、当初10%の配当が与えられるはずだった地方書店や作家さえも、寄附することに賛同した。印刷・製本に必要な実費を除き、黒字分はすべて寄附! なんてこったい。

 


じつはいま、制作の舞台となったソーシャルネットワーキングのなかでは、寄附する先をどこにするか、が熱く議論されている。取らぬ狸の皮算用~!とかイイながら、寄附してイチバン喜ばれるところはどこか、イチバン気持ちいいのはどこか、と、高校生たちは楽しそうなのだ。

 



読みたい人は、こちらをご覧ください。

快感/繰井未来 

注:読みたくない人も、↑をご覧ください。

 

*ソーシャルネットワーキングとは、推薦人がいないと入会を認められない人と人とを結びつけるインターネット上のサービスだ。ある意味排他的だけど、匿名性が主役のネットの世界にあって、リアルな人間関係を構築する特異な仕組みでもある。



家族四人の幸せを象徴する“食卓”。
すでにその食卓には家出中の母が欠けているのだが、次に“父さん”が“父さんであることを辞める”と宣言するところから物語は始まる。
主人公の女のコが中学から高校時代まで、家庭と学校と恋が4編の連作でつづられていく。
誰かが欠けたり、兄の彼女が加わったり、彼氏ができたり、そして…。

核となる話の流れは、『さくら』 とよく似ている。
小説としてのテイストはまったく違うのに、2冊を読み終わって思い返そうとすると、なぜだかディテールの記憶が混ざり合っていて、どちらのエピソードだったのか、もう一度本を開いて確かめてみたりする。

基本的に、いい人、優しい人たちが織りなすおとぎ話の世界だ。
そして、悲しくも優しいハッピーエンド。
まあ、この小説でも、ボクは泣いた。『さくら』の担当編集者は、帯で「小説を読んで初めて泣いた」と告白していたが、ボクなんて、最近、何を読んでも泣いてしまう…。


『さくら』や、この『幸福な食卓』を読んで、家族や、愛や、他人との関係を考え始めた人には、村上龍の『最後の家族』 をぜひ一度、手にとって欲しい。
家族のリアリティが凄い。現実から逃げていない。
そして、家族が抱える様々な問題に対して、最終的に明確な結論を出しているのは、村上龍のこの小説だけだったような気がする。
“家族”の小説を続けて読んで、ずいぶん前に読んだ『最後の家族』をもう一度、読み直したくなった。


■幸福な食卓/瀬尾 まいこ■