
このところ、経験をベースとしたイマジネーションによって書かれた小説ばかり読んでいた。
そのせいだろうか、村上龍の真剣勝負に対して、面と向かって発言するパワーを蓄積するのに時間がかかってしまった。
予約購入までしてあっという間に読み終えた1,650枚の小説は、綿密な取材から導き出された大胆な予測と可能性を、想像力と、卓越した技術に裏付けられた文章力によって、多くの読者が共有できる具体的なイメージとして描き出す。
登場人物紹介に6ページ(上巻分のみで…)を費やし、プロフィールのある登場人物だけで150人を超える。
巻末に記載された参考図書は200冊以上、50以上の映像・音楽資料に接し、そして脱北者を始め、多くの人々に直接会って話を聞いたという。
この本を読むべき人はすでに読んでいるだろうし、きっとむさぼるように読了したことだろう。
そして、存在を知っていてもいまだ手にしていない人は、何らかの理由でその真価に気がついていないか、読まずに済んでしまう人だろう。
ボクはこの本を誰にも勧めるつもりはない。知らなかった人に、その存在を伝えるだけだ。この小説には、始めから必然的な読者しか存在しないような気がするのだ。
心地よさに酔うことができる夢の世界が好きだ。
でも、それだけじゃ世の中は退屈だと思っている。キチンと世間と向き合うことも、ボクが生きていくためには欠かすことができない。
村上龍は、数年ごとに向き合うべき世の中を小説の形で発表する。風俗や経済、政治、音楽やスポーツと、その時々で扱うテーマを変えるが、しかしボクは、彼が一貫して言い続けていることはたったひとつだと思っている。
それは、家族や、学校や、会社、国などのコミュニティへの依存から独立すること。コミュニティからの脱出・逃避ではなく、独立だ。
ボクは、ボクたちは社会性の生き物だけど、アリンコじゃない。
独りでは生きていけないけれど、行列を作る必要はないし、生まれたときから役割が決まっているワケじゃない。
でも、時として、所属する社会は列に並ぶことを奨励するし、役割までも示唆する。従うことは往々にして、楽だったりもする。はみ出すことがしんどいということも教えられる。
もちろん、そこから逃げ出す人がいる。逃げ出さざるを得ない人もいる。
しかし、ボクは、自分自身で道を選びたい。
先人に付いて行くも、ひたすらにまっすぐに行くも、回り道をするも、立ち止まるも、自分で考えたい。そして、たとえば進む道に突然の障碍が現れることも想定しながら、自分の思う道を歩めるように準備をしておきたいと思う。『半島を出よ』を読み、さらに強く、そんな風に考えた。
村上龍の凄いところはたくさんあるけれど、この小説を読んで初めて気がついたことがある。それは、彼がありとあらゆる人々の存在と可能性を否定しないことだ。
それは、人種とか宗教とか、そういう表面的な違いではない。
たとえば、そう、カルト集団を否定する人もいれば、崇拝する人もいるという違いではなく、抜けたいけど抜けられない人がいるのと同時に、抜けるということを思いつかない人もいる、ということ。
そして彼が書くのは、その是非ではなく、その存在なのだ。
北朝鮮軍が福岡を占領する、それに対して日本は、日本人は…、という近未来小説である。ディテールまでリアリティがあり、ワクワクドキドキのエンタテインメントである。夢中になれる小説だ。文句なしにおもしろい。
でも、ボクは、泣きもせず笑いもせず、感動もしなかった。
読みながら、そして読み終えても、怒りと焦燥感に支配され続けた。いやむしろこの小説に費やした時間は、読了後の方が圧倒的に長かったかも知れない。
凄い小説だった。
■半島を出よ/村上龍■