
ちょっと出遅れてAmazonで注文していたのだが、
“誠に申し訳ございませんが、大変残念なご報告があります。お客様のご注文内容のうち、以下の商品については入手できないことが判明いたしました。”
なんていう、すっごくドキドキするメールが届いた。
“現時点ではどの仕入先からも入手できないことが判明いたしました。”
と、続く。
おおお、さすがに今が旬の瀬尾さんだ、尋常ではない。
もしかしたら、このまましばらくおあずけを食っちゃうかもしれん、と会社を抜け出して慌てて書店に走り、山の低くなった平積みから一冊抜き取り購入。帰りの電車から読み始め、帰宅して風呂に持ち込んで続きを読み、ベッドのなかで読み終えた。
例によって、優しい関係性が3編の物語になっている。
不可解な出会いだったり、不倫だったり、同棲中の自室にホームレスが住みついたりと、通常だったらどうにも受け入れがたい恋の物語だ。
ボクがこれらのシチュエーションに巻き込まれたら、ゼッタイにそうは対応しないぞ、というシーンが満載。でも、瀬尾さんの書く登場人物たちはみんな優しい。
読んでいると違和感もある。
瀬尾さんは、いろいろなことを寛容に受け入れているんだなぁと、気がつく。こういう生き方もあるなぁ、と教えられる。書き手自身の他人との向き合い方がストーリーに滲み出る。
でもボクは、この3編に登場する恋人たちが少しも羨ましくないのだ。普通、恋の小説を読むと、その主人公に憧れたり、会ってみたくなったり、そんな恋がしてみたくなったりするものだ。
それが、ない。つまりボクは、瀬尾さんの描く世界に憧れていない! だから、たぶん影響も受けない。
それなのに、結論を言えば、ボクはこの『優しい音楽』も好きだ。面白かった。不思議だな。次の新刊が出れば、きっとまた読む。
『優しい音楽』の3編でも、いままでの作品と同様に“食卓”には象徴的なメニューが並ぶ。以前、「氏の小説は、誰と誰がどんな料理が並ぶどんな食卓を囲むか、という関係性のバリエーションだ。」と断言してしまったが、これはやはり間違っていなかった。
ただしボクの理想とする食卓やメニューとは、微妙に異なる。これだけ食べ物が出てくるのに、あ、これ食べたい、と思うことがほとんどないのだ。
もしかしたら、ボクの感じる違和感の原因は、つまるところ“好きな食べ物の差”、のようなものかもしれない。
■優しい音楽/瀬尾まいこ■