皆が満開の桜を愛でているときも、愛犬ソピアが樹上の花を見上げることはない。
あと一週間ほどして、風が花びらを散らし始めたとき、彼女は初めて桜の存在に興味を持つ。
じつは、飼い主のボクも散る桜が好きだ。散ってこそ桜。風に舞う桜は美しい。
ソピアはもうおばあちゃんなので、日射しの強い暖かな日は、昔のように走りながらの散歩は少々しんどいようだ。リードに繋がれた身の上ゆえ、ソピア、走るか!と声をかけると耳を後ろになびかせながら軽快に走り出すものの、50メートルも行くとボクの方を上目遣いに見上げて、まだ走るつもり?と訴える。
ホントは道の匂いをクンクン嗅ぎながらの寄り道散歩が大好きなのだ。
そんなわけで、必然的に地べたに咲く小さな雑草の小さな花や、庭のプランターで開き始めた色とりどりの春に興味津々、となる。
彼女の目線で路傍や庭の花々を観察してみると、桜のように衆目を集めなくても十分に魅力的な花がそこ此処に咲いている。
チューリップ、カタバミ、ヒヤシンス、ビオラ、クロッカス、パンジー、セイヨウタンポポ、わすれな草、ラベンダー…。オランダ直輸入の高価な球根の花も、雑草も、見方によっては同じように可憐で美しい。
ソピアの鼻先の群生は、オオイヌノフグリ。フグリとは陰嚢=金玉のことで、付ける実がふたつ並んだ犬のタマタマのように見えるからこの名前。ソピアは雌犬なので、当たり前だけど“フグリ”はない。1センチに満たないけれど、よく見ると4枚の花弁と2本の雄しべを持つ可憐なブルーの花で、日溜まりで開き、夕方の散歩の時には花を閉じてしまっている。まだまだ昼夜の寒暖の差が大きいこの季節に、身を守る賢い仕組み。
花見の歴史は平安時代まで遡るらしいが、それは貴族の遊び。
8代将軍吉宗が江戸・飛鳥山に桜を植えて庶民に解放したあたりから、現在の花見イベントに繋がってくる。
とくに、江戸後期に品種改良で誕生したソメイヨシノは大名たちにもてはやされた。
城下、学校、役所、大名屋敷跡の公園や寺社、公共事業で作られた河川の土手やダムなどに残り、桜の名所はどうも権力と結びつく。散り際の潔さも、どうも“お上”に都合良く解釈されているような気もする。
な~んとなく、「まあ、たまには息抜きをしなさいね、庶民の皆さん」と言われているような気がして、ボクはいわゆるブルーシート系花見の経験がない。
とはいってももちろん桜の花は好き。いまイチバン見たい桜は、しかし井の頭公園や千鳥ヶ淵の喧噪の桜ではなく、全国にぽつんぽつんと立ついわゆる“一本桜”たち。もう少し年齢を重ねたら、一本桜を巡る旅をしてみたいと思っている。
そんなワケで花びらが風に舞う時まで、ボクはソピアと一緒に、フグリを愛でる。
