映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術 -8ページ目

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 今日、3/6(日)の毎日新聞一面下段の書籍広告欄(三八広告)に、『映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単!イメージ読書術』の広告が載りました。

 2年前の出版時に出した朝日新聞の広告は、事前に原稿を見ることができず、私には不本意なものでしたが、今回は私の意見を全面的に取り入れてもらえたので、この本を必要とする読者と出会える広告になったと思います。

 

 

 

 そのおかげで、Amazonの売り上げランキング(図書館情報学)も、現在4位まで上昇しました。

 

 

 「カットイメージ」を通じて、より多くの皆さんに、イメージして読むことの楽しさを体験していただけたらと思います。

 

 

 

 

 私の著書『映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単!イメージ読書術』の中に、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を全編、カットイメージ作業をしながら通読した、という話を書いた(P215)。

 

 古代インドを舞台に、生身の人間として“道”を求める一人の人物の生涯を描いた作品。

 それまでにも何回か読んでいたが、カットイメージで再読すると細部のイメージがありありと浮かび、まさに“映画を観ている”ように、主人公の自己探究の道に没入した。

 読み終えて、「本当の意味で自分の愛読書になったと実感した」(P216)。

 

 それからしばらく経つが、ふと、同じヘッセの『デーミアン』をカットイメージで再読してみたくなった。

 不思議な転校生デーミアンとの出会いから始まる、青年エミール・シンクレアの“真の自己”を求める、あてなき魂の放浪の物語。

 

 『シッダールタ』のひとつ前の作品で、テーマは同じ線上にある。

 第一次大戦を舞台にエンディングを迎えるこの小説は、大戦後の若者たちに熱狂的に読まれたという。

 

 私は高校2年のとき、図書委員会の「読書会」担当として、校内の公開読書会でこの小説を取り上げた。

 口達者な一部の生徒が好き勝手に作品をこき下ろし、まじめに線を引いて読んできた女子生徒が発言できないような読書会。それを変えたいという思いがあった。

 

 私が司会を務めたその読書会の内容は、なぜか憶えていない。

 何ひとつ実を結ばなかったという、苦い後味だけが遠い記憶の中にある。

 

 参加者みんなが自分のイメージを否定される不安なく話せて、互いの読みの個性を認め合い、学びあう。そんな読書会はできないか。

 半世紀近く前に自ら掲げたその問いに、カットイメージのセミナーでようやく解決案を示せたかな、と今は思っている。

 

 

 さて、久しぶりに手にした新訳の『デーミアン』(酒寄進一訳 光文社古典新訳文庫)。

 鉛筆を持ち、簡易式のカットイメージ作業をしながら読んでいく。

 

 主人公シンクレアが、不良少年に強請られ続ける場面は、カットイメージで読んでいくと、募る不安と苦悩が胸に迫る。

 いじめられっ子だった自分自身の幼時の記憶を刺激する。

 

 それを救ってくれるデーミアンとの出会い。

 彼の不思議な風貌と、権威を怖れずに語ることばが、とても魅力的に聞こえる。

 読者である私にも。

 

 少年デーミアンが語ることばと、いったん彼と別れた後のシンクレアの自己探求の旅は、しばしば観念的な語りの連続である。

 しかし、カットイメージで読んでいくと、抽象的なことばの中に、人物の表情の変化とともに、思考の切れ目・塊を見つけることができる。

 こうして読むことができたら、高校生でも、作品の内容にもっと深く迫れたのに……と、手前味噌ながら思う。

 

 ストーリーはほとんど忘れている、と思っていたが、読み進むと、脳の奥底から忘れていた記憶が蘇ってくる。

 先が見えない感覚で読んでいるが、読み進むと、確かに記憶がある。

 

 そして、デーミアンと再会するラスト。……確かに覚えていた。

 忘れていたのに、しっかり憶えている。とても不思議な感覚だった。

 

 そして、難解な作品だが、今の自分の力で読めるところまでは読み切れた手ごたえがある。

 

 それでも、わからないところは多々残されている。

 奥深い作品は、カットイメージで読み込めば読み込むほど、さらなる謎を提起してくる。

 ……きっと、いつかまた再読するときがくる、そんな予感が残った。

 

 

 ところで、高校時代、私が最初に読んだのは、旺文社文庫の『デーミアン』(常木実訳)であった。

 読書会のテキストとしたのは、ポピュラーな新潮文庫版『デミアン』(高橋健二訳)である。

 今回読んだ酒寄進一氏の新訳は2017年に出ているから、ずいぶんと新しい。

 

 巻末の「訳者あとがき」を読むと、冒頭に「『デーミアン』を初めて読んだのは高校二年生のときだから、1974年のことだと思う」とある。

 なんだ。酒寄氏は私と同い年だ。

 私が『デーミアン』の読書会に臨み玉砕した、その同時代に、彼もこの作品に出会っていたのだ。

 不思議な縁である。

 

 

 私の瞑想の世界、その5回目。

 

 前回、私の瞑想の中の「建物の入口」の扉(実はガラスの自動ドア)を開けるために、5つの「暗示ことば」を唱える、ということを書いた。

  

  1,日に日にあらゆる面で、私はますますよくなっていく。

  2,日に日にあらゆる面で、私はますます自由で明るくなっていく。

  3,日に日にあらゆる面で、私はますます自然で温かくなっていく。

  4,日に日にあらゆる面で、私はますます聡明で行動的になっていく。

  5,日に日にあらゆる面で、私はますます柔軟で創造的になっていく。

 

 これらは、イメージの中では石碑に刻まれているという設定だが、実を言うと、そのイメージはけっこうあいまいだ。

 むしろ、これらの暗示ことばを明確に“条件づけ”しているのは、「指の形」である。

 

 前回書いたように、瞑想の最初の導入時には、左手の親指、人差し指、中指の指紋のあたりを合わせる「3本指のテクニック」を使う。

 いつもこの形で、最初の自律訓練法をやるので、指を合わせることが条件反射で、心身のリラックスにつながっている。

 

 そして、5つの暗示ことばのところへ来ると、薬指と小指も加えた4本指の先を親指の腹の上に集合させて、「1,日に日にあらゆる面で、私はますますよくなっていく」をとなえる。

 親指を中心に他の指へと扇型に広がっていく形が「あらゆる面で」のイメージである。

 

 以後は、指を一本ずつ親指と合わせていくが、次のように、指と暗示ことばが対応している。

 

  2,小指 → 自由で明るく

  3,人差し指 → 自然で温かく

  4,中指 → 聡明で行動的

  5,薬指 → 柔軟で創造的

 

 これは、それぞれの指のイメージとも自然と一致している。

 

 小指は赤ちゃん指なので、自由で明るく。

 人差し指はお母さん指なので、自然で温かく。

 中指はお兄さん指なので、聡明で行動的。

 薬指はお姉さん指なので、柔軟で創造的。

 

 さらに言うと、「交流分析」の「エゴグラム」とも一部似ている。

 ご存じの方は、考えてみてほしい。

 小指はFC(自由な子ども)、人差し指はNP(保護的な親)、中指はA(大人)……。

 ただ、AC(従順な子ども)は「柔軟で創造的なお姉さん」とは違うし、私の指の形では親指は別格。

 

 それはさておき、こうした指の形の助けも借りながら、息をゆっくりと吐き、一息のあいだ、ひとつの暗示ことばをくり返す。

 くり返しの2回目からは、「日に日にあらゆる面で、私はますます」の部分は略して、それぞれのメイン部分だけをくり返す。

 

 そうして、5つ唱え終わると、入口の自動ドアが開く。

 そうして私は建物の中に進んでいくが、その内容についてはまた次回に。

   

 私の瞑想の世界を、順次紹介していきますが、早く知りたい方は、私のホームページで、瞑想レポート「私流イメージ瞑想法の実践」をご覧ください。

  

 瞑想習慣から生まれた “映画を観ているみたいに小説が読める” 「イメージ読書術」については、下の画像から。

 

 

 

 大好きな松岡圭祐の近現代史ものが久々に出た。

 『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎~黄金仮面の真実』

 

 

アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実 (角川文庫)

 

 さっそく顔見知りの図書館司書氏にリクエストしたところ、江戸川乱歩の『黄金仮面』とセットで貸してくれた。

 要するに、『ルパン対明智』は、『黄金仮面』のパロディ作なのである。

 

 

明智小五郎事件簿6 「黄金仮面」 (集英社文庫)

 

 まず大衆小説臭プンプンの『黄金仮面』を、あっという間に読み終えた。

 松岡がこれをどう料理するのだろうとワクワクしながら、『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎』のページを開いた。

 乱歩の『黄金仮面』は、私の頭の中では、大正時代の弁士付き活動写真か、古いアニメーションのようなイメージで見えている。
 それが、『ルパン対明智』を読み始めると、色鮮やかで、多様なアングルから人物の表情もリアルに捉える、“実写版映画”が浮かんできた。

 起こる事件は乱歩の『黄金仮面』をそのままなぞっているが、同じ物語をアルセーヌ・ルパンの側から見ていく場面が多い。
 ルパンはなぜ来日したのか、なぜ黄金仮面の扮装なのか、富豪の令嬢不二子がなぜルパンと恋に落ちるのか、など乱歩版では説明なく既成事実になっている設定に、ひとつひとつ必然的な裏づけがある。
 そして、明智小五郎と対決するのだが、もともとルパンをリスペクトしている明智はやがて真相に気づき、ルパンと手を携えて本当の敵と対決していく。
 
 全編を通して、松岡圭祐は常に乱歩の原作を尊重しつつ、モーリス・ルブランが創造した怪盗紳士アルセーヌ・ルパンの名誉も回復していく。
 そこにはやはり、松岡流の人への優しさ、創作への真摯な姿勢を感じる。
 これは、乱歩の原作を読んでいればこそ味わえる楽しみだ。
 この機会を与えてくれた図書館司書氏の慧眼と配慮に感謝である。

 ……と楽しんで読んでいると、本の半ばくらいで、『黄金仮面』で描かれていた話は終わりになってしまう。
 エッ?と思ったが、実はそこからが松岡圭祐のオリジナルである。

 1929年、日本の満州進出、張作霖爆殺事件、ウォール街の株価暴落(世界恐慌)といった時代背景をふまえて、物語は思いがけない方向へ展開していく。
 そこは、近現代史小説の傑作を数々ものしてきた松岡圭祐の本領発揮である。
 歴史のリアルの陰に、実は怖ろしく壮大な犯罪計画があったというフィクション。
 互いにリスペクトしつつ牽制し合う明智とルパンは、悪魔の陰謀を阻止すべく、力を合わせて戦う。

 この物語では、幾多の犯罪を重ねて50代となったルパンの心情が丁寧に描かれている。
 誇り高き窃盗王の人生のいくつかの心残り。
 鬼畜の犯罪集団は、その心の傷すら容赦なくえぐる。
 彼らとの最終決戦は、乱歩の小説をもしのぐ大スペクタクルである。

 ドラマチックな大団円の後は、明智小五郎の後日談となる。
 そこでも松岡は、乱歩へのリスペクトを忘れない。
 私もあまり読んだことはないが、明智小五郎と少年探偵団の話を多少とも知っている人なら、はたと膝を打つ、見事な結末が用意されている。

 細部まで仕掛けに満ちたよくできた小説で、さすが松岡圭祐。思った以上に楽しめた。

 この小説に興味を持った方には、ぜひ江戸川乱歩の『黄金仮面』から読むことをお勧めしたい。

 さいわい著作権の切れた乱歩作品は、「青空文庫」でも読むことができる。

 青空文庫版『黄金仮面』

 

 


 
 

 松岡圭祐は、個人的趣味としてもっとも好きな作家のひとりである。

 催眠療法家として知られていた松岡が小説を書き始めた、『催眠』、『千里眼』の時代から読んでいる。

『探偵の探偵』と『万能鑑定士Q』のシリーズは大好きだが、コラボ作『探偵の鑑定』など、器用な作家で読者へのサービス精神もたっぷりだ。

 

万能鑑定士Qの事件簿 I 「万能鑑定士Q」シリーズ (角川文庫)

 

 そして、私を夢中にさせたのが、『黄砂の籠城』に始まる近現代史ものである。

 描く世界がガラッと代わり、松岡圭祐にこんな歴史の深い教養があったのか、と思わずうなった。

 

 義和団事件を両陣営の視点から描き、歴史の真実に迫る『黄砂の籠城』『黄砂の進撃』二部作。

 見事な知略で多くの人命を救った伝説の司令官を描く『八月十五日に吹く風』。

 男装の麗人川島芳子の恋と冒険を描いた『生きている理由』。

 円谷英二の弟子が戦時下のドイツで特撮技術を発揮する『ヒトラーの試写室』

 ……と、近現代史の好きな私は、興奮して読みふけった。

 

 そして、『シャーロックホームズ対伊藤博文』。

 明治時代の史実をふまえて、フィクションとリアルの有名人物たちが活躍する。

 

シャーロック・ホームズ対伊藤博文 (講談社文庫)

 

 しかも、これらの作品には、松岡の持ち味である人間への温かなまなざしが一貫している。

 そこがまた魅力だったが、その後、近現代史ものはしばらく出版がなく、とても残念に思っていた。

 

 多作な松岡は、その後、『グアムの探偵』、『高校事変』などのシリーズを次々と出している。

 読めばきっとおもしろいとは思うが、制服の女子高生が銃器をもっている表紙絵の『高校事変』など、高校教員である私にはなかなか手が出ない。

 

 それが、久しぶりに『ホームズ対博文』の続編を思わせる『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎』が出版されたと知った。

 

 これはぜひ読みたいと思ったが、以前、『ホームズ対博文』の話で盛り上がった、図書館の司書さんにあえてリクエストをしてみた。

 すると、気配りの図書館司書氏は、すぐ購入してくれただけでなく、江戸川乱歩『明智小五郎事件簿Ⅵ「黄金仮面」』(集英社文庫)も一緒に貸してくれた。

 

 『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎』は、副題に「黄金仮面の真実」とある。

 博識の図書館司書氏は、既に両作品とも読んでいて、「乱歩の方は癖のある文章で読みにくいかもしれませんが……」と控えめながら、比べ読みする楽しみを私に用意してくれたのである。

 

 まず乱歩の方から読んでみると、確かに、大正・昭和初期の大衆小説臭プンプンの文章である。

 活動弁士や紙芝居屋さんの語りを思わせる。

 

 そして、物語は一時も休むこととなく、次から次へと展開する。

 謎を追っていくミステリーではなく、謎はすぐに解けるが、次々とまた事件が起こり、すぐに思いもかけない真相がまたまた明らかになる。

 主人公と敵の勝敗は常に逆転し、窮地に追い込まれてもお互い即座に巻き返す。

 一時も目の離せない、ジェットコースター的展開。すごいすごい。息もつかせぬ冒険活劇。

 これがいわゆる「通俗小説」なのかと実感した。

明智小五郎事件簿6 「黄金仮面」 (集英社文庫)

 

 しかも、この作品では、後半、明智小五郎の前にアルセーヌ・ルパンが姿を現す。

 なんだ、松岡圭祐が初めて両者を対決させるわけではかったのか。

 では、松岡の小説はどういう展開になるのか、と興味が湧いた。

 

 というわけで、あっという間に『黄金仮面』を読み終え、楽しみに『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎』のページを開いた。

 

 ②へつづく

 

 

 

 『豊穣の海』四部作をはじめ、『金閣寺』、『仮面の告白』など三島由紀夫の小説は好きだが、『潮騒』は読んだことがない。
 山口百恵、三浦友和主演の映画で有名な漁村の純愛物語だが、嵐の夜に焚火の前で裸になるシーンがくり返し取り上げられる。
 そんな印象が強く、どうも気恥ずかしくて読む気にはならなかったというのが正直なところである。

 

潮騒 (新潮文庫)
 

 しかしふと、吉永小百合主演の映画『潮騒』(1964年)を観てみたくなった。
 山口百恵は私にとっては同世代アイドルである。それだけに照れを感じるが、一世代前になる吉永小百合の日活青春映画には、「旧き良き時代」への憧れがある。
 幸いAmazon Prime Videoで公開されていたので、すぐに観始めた。

 


 漁業に生きる伊勢湾の小さな島。そこで生まれる純愛と、島民たちの心ない噂。
 頑固で人のよい年寄りの漁師たち、血気盛んな若い漁師たち。そして、海女であるがゆえに逞しい島の女たち。
 なんと牧歌的な(というか島唄的な)素朴な世界であることだろう。
 1964年ならばまだリアルタイムで存在していたであろう、そうした世界を見事に写しとっている。

 その中で、初江役、当時19歳の吉永小百合は飛びぬけた可愛らしさだが、肌が黒く、島の漁村の中で違和感がない。
 水汲みをしながら歌う島唄がとても素晴らしい。

 吉永小百合はレコード大賞新人賞に輝く歌手でもあるだけに、やはり声が魅力的だ。


 当時相手役の定番だった浜田光夫も素朴な感じで、新治役に合っている。
 問題の焚火の前で裸になるシーンも、二人の初々しさがぴったりで、いやらしさがない。
 予定調和のように展開する映画で、純粋に楽しめたし、気持ちのよい後味が残った。

 映画を観終えて、三島由紀夫の原作を紐解いた。

 


 

 文庫本200ページに満たない中編小説である。

 読んでいくと、映画の記憶のおかげで、島の風景、漁師や海女の仕事の様子、漁村の暮らし、人々の服装や表情までもがありありと浮かんでくる。
 初江はやはり吉永小百合のイメージで読んでいくのが楽しい。
 新治のイメージは基本、浜田光夫だが、固定せずいろいろに変化していく。
 というのは、小説では新治の心の内が丁寧に描かれるので、表面は地味でも内面は純粋で熱い、その人物像がより強く感じられるからだ。

 日ごろは無口な新治が初江と肩を並べて歩きながら、自分が立派な船乗りになりどこよりも平和で幸せなこの島を守っていきたいと、口下手に夢を語るシーンがある。

 

 「海がなア、島に要るまっすぐな善えもんだけを送ってよこし、島に残っとるまっすぐな善えもんを護ってくれるんや。そいで泥棒一人もいねえこの島には、いつまでも、まごころや、まじめに働いて耐える心掛や、裏腹のない愛や、勇気や、卑怯なとこはちっともない男らしい人が生きとるんや」

 

 訥々としゃべるそのことばを、初江はいちいちうなずき、共感と信頼の表情で受けとめる。
 なんと純粋で美しい郷土愛だろうか。

 そしてこれは、島の暮らしに一種の理想郷を見る三島の視点でもある。

 新治と初江も、考えてみれば理想的なキャラクターである。
 新治は無口で目立たないが、実は海の男としての力量と勇気を立派に備えた若者だし、それを危機的な場面で身をもって証明してみせる。
 初江はまぶしいような若さを発散するべっぴんさんだが、ベテランの海女たちにも負けない素潜りの技量を持ち、人への思いやりも深い。


 そんな二人が惹かれ合うが、初江の父の反対で忍ぶ恋となる。
 しかし二人は、心身ともに結ばれる日を大切に夢見て節度を保ち、純愛を育む。
 そんな彼らの一途さが、やがて道を開く。
 理想郷の島で、理想の恋愛が成就する。これはそんな物語である。

 三島の筆はうっとりするような文章で、心の美しい人々が住む島の世界を鮮やかに描き出す。
 それを味わうのに、”観てから読む”アプローチは最適である。
 映画を観てリアルな漁村の暮らしをイメージとして記憶に入れ、その助けを借りながら小説を読むと、明るさと厳しさにあふれた島の暮らしの中に人々の純朴さが見えて、それが心に深く沁みてくる。

 実は小説を読んだ後に百恵・友和の『潮騒』も観る計画であったが、小説を読んだら満腹してしまって、その気が失せてしまった。
 しばらく間をおくこととしたい。

 

 

 2021.12.11「カットイメージ超入門60分セミナー」、オンラインで開催しました。

 参加いただいた方のひとり、Oさんから次のようなご感想をいただきましたので紹介します。

 

 今日は、本当にありがとうございました。

 小説を読むのは大好きなのですが、国語の時間はとても苦手という、珍しい生徒でした。

 でも、今回のセミナーで「正解は1つじゃない」ということを聞いて、「自由に発想していいんだ」と思うことができました。

 カットイメージのやり方についての身近なCM映像を用いた説明も、とてもわかりやすかったです。

 また、読書は基本一人でするので、私はどうしても自分軸のみで作品を捉えがちだったり、小説といっても読むジャンルに得意不得意がありました。

 でも、本日のセミナーのおかげで、いろんな小説を読んでみたいなと視野が広がりました。これからの読書の仕方が変わってくるなとワクワクしています。

 また機会があれば、ぜひよろしくお願い致します。

 

 東野圭吾の小説が大好きだというOさんは、お仕事が入らなければ、「2022年1月10日カットイメージ読書セッション(東野圭吾作品)」にぜひ参加したいとのことでした。

 充実した時間をまたご一緒できること、楽しみにしております。

 

 カットイメージのセミナー受講がまだの方は、Oさんのような体験を、ぜひ60分セミナー、90分セミナーで味わっていただければと思います。

 

 

 映画『マチネの終わりに』(2019 西谷弘監督)は、早くにAmazon Prime Videoで公開されていたので、観ることができた。
 天才的ギタリスト蒔野聡史(福山雅治)と、世界を舞台に活躍するジャーナリスト小峰洋子(石田ゆり子)の劇的な恋とそのすれ違っていく運命を描く。

 

 

 東京、パリ、マドリード、ニューヨーク、あるいはバグダッドと、国際的な舞台や同時代の情勢を背景に展開するドラマチックな大人の恋愛。
 それを福山雅治と石田ゆり子が演じるのだから、熟年のカップルなどでちょっと観に行きたくなる映画ではないか。

 もちろん私自身も、福山・石田は好きな俳優である。

 実際に映画を観ると、美貌と才能に恵まれた二人が出会い、急速に惹かれあっていく。
 恋の成就を夢見る二人を引き裂いたのは、ひとつの小さな嘘といくつかの皮肉な偶然。

 メールのことばはアンジャッシュのコントみたいにすれ違い、二人の人生のレールは大きく離れていく。


 運命を恨みたくなる皮肉な展開は、確かにやきもきし、感情をくすぐられるが、それがかえって少女マンガかメロドラマのようで、少し安っぽい感じもした。
 名優二人には役不足ではないか、というのが、正直、映画を観た感想だった。

 だから原作を読もうとは思わなかったのだが、芥川賞作家の平野啓一郎がこんな物語を書くんだ……と、少し不思議に思った。

 古風で難解な文体の作家、ということは聞いていたが、その作品を読んだことはなかった。
  
 しかし、カットイメージ・セミナーの常連M氏から、「観てから読むか読んでから観るか」のシリーズで、ぜひ『マチネの終わりに』を、とリクエストがあった。
 そこで、原作の平野啓一郎『マチネの終わりに』(文春文庫)を手に入れ、読み始めた。


 冒頭から夏目漱石の『こころ』を思わせる古風な語り口。
 初めはそれに戸惑いを覚えたが、読み進むと、どんどんイメージの世界に入っていく。
 
 映画ではメロドラマに思えたが、小説を読んでみると、丁寧に描かれた心理描写が非常に味わい深い。

 語り手の巧みなことばに耳を傾けているうちに物語の世界に没入していく感覚である。
 

 もちろん人物が動き、会話し、事件が起きていく各場面は描写的に書かれているので、映画の記憶の助けも借りながら、イメージは鮮やかに浮かんでくる。
 その流れの中で、ふと人物の視点に入って、心情を語る文章がある。それが、確かに古風な文体で書かれている。

 

  たとえば、最初の出会いで惹かれあった二人が、イラクのバグダッドと東京と遠く離れてメールのやりとりをくり返したのち、パリのカフェでデートしたときの一節。

  • ただ言葉だけでわかりあってきた二人は、今やからだを備え、見ることが出来、触れることが出来る二人だった。どちらも遥かに先走って、ほとんど相手と融け合う寸前にまで高揚していた自分の言葉に追いつこうとして、しかし、その深刻さにも、様々な愛情の仄めかしにも、いきなり触れることは出来なかった。(中略)そして、結局は、あの初対面の夜の続きからやり直すより他はなかった。(P111)

 これだけを抜き出すと、観念的な心理描写に見えるが、この前後には、二人の楽しい会話のやりとりが描かれている。

 その情景をイメージしていく流れの中で、こうした語りはごく自然に読め、人物の気持ちがすうっと心に落ちてくる。

 実はこれこそ、映像では味わえない小説の醍醐味なのである。

 
 巧みな語りによって人物の内面に寄り添い、共感する体験。

 それを堪能するうち、 不思議なことに、記憶の中の映画の場面場面が鮮やかな色あいに染め直されていく気がした。

 読み終えてみると、映画の記憶そのものが、すっかり違った印象になってしまった。
 二人の演技も素晴らしいし、原作の味わいを映像化することに見事に成功している。
 この映画について、今ではそう評価している。

 二人の出会いのときに蒔野が言った「過去は変えられる」ということばは、この物語全体に流れるテーマとして、何度もくり返される。
 そのことば通りに、この映画に対する私の過去の評価も(記憶さえも)、小説を読んだことで見事に変わってしまった。

 

 私のセミナーのある受講生が、「カットイメージのおかげで、明治時代などの難しめの小説も楽しく読めるようになりました」と言っていたが、なるほどその通りだと思う。

 

 

 私の瞑想の世界、その4回目。

 

  前回までで紹介した、私の瞑想導入法は次の2ステップ。

  ①自律訓練法の標準練習の状態に一息で

  ②オリジナルの「イメージ指圧」

 

  これで導入は完成なので、ストップウォッチのラップタイム(中間計時)を押す。

  ここからは、イメージの世界に入っていく。

  ……が、導入はまだ続いている。

 

  まず、森の中を歩いて、やがて開けたところに、私の瞑想の“建物”がある。

  他人伝えに「教育エジソンさんの瞑想の館」などと言われるが、「館」というと、西洋のお城とか魔女のすみかのような、神秘的なものを想像されてしまうので、私自身はそのことばは使っていない。

 

 私のイメージの中では、コンクリートの白っぽい建物で、玄関はガラスでできた自動ドアである。

 昔、一人で訪れたある地方の美術館が原型になっている。

 

 建物の前は広い庭になっていて、花壇にきれいな花が植わっている(ここは、旧北海道庁の庭に似ている)。

 玄関に近づくと、向かって右手の植え込みに石碑が立っていて、そこに5つの暗示ことばが刻まれている。

 それを唱えなければ、扉は開かないのだ。

 

  1,日に日にあらゆる面で、私はますますよくなっていく

  2,日に日にあらゆる面で、私はますます自由で明るくなっていく。

  3,日に日にあらゆる面で、私はますます自然で温かくなっていく。

  4,日に日にあらゆる面で、私はますます聡明で行動的なっていく。

  5,日に日にあらゆる面で、私はますます柔軟で創造的になっていく。

 

  1番目は、フランスの薬剤師エミール・クーエが考案した、有名な暗示ことばである。

  「あらゆる面で」なので、自分の心も体も頭も、すべてである。場合によっては、人間関係も、運命も……。

  私たちの“潜在意識”は、ことばをことば通りにしかとらえられないという。

  その潜在意識に働きかける、核心的なメッセージである。

  これを毎日唱えることで、心も体も頭も健康になり、未来を信じ、ぶれない自分ができていく。  

 

  2番目以降は、クーエの暗示のバリエーションで、「こうありたい」自分のエッセンスをことばにした。

 

  2と3は、「1,よくなっていく」の意味を、人間関係の中で具体化した私なりのイメージである。

    2,自由で、明るく=自己肯定

    3、自然で、温かく=他者肯定

  と、自他を肯定して生きる理想の姿を示す。

 

  瞑想を始めた当初はここまでだったが、その後、2つを新たに追加した。

 

  4と5は、社会の中でしたいことを実現し、成長を続けていく、私なりの人生イメージである。

    4,聡明で、行動的 = 物事の本質を洞察し、ためらわず行動していく

    5,柔軟で、創造的 = 心を開いて広い視野から考え、より根本的な解決アイデアを発想する

 

 これらを毎日唱えることで、私は自分を信じて、なおかつ謙虚に生きて、成果をあげ、成長を続けることができる。……と信じている。

 もう何十年も唱えているので、これらのことばを疑うことはなく、実際に起きた事実によって、立証もされてきた。

 だから、深い確信になっている。

 

 瞑想の流れに話を戻すと、石碑に刻まれた文字をイメージの中で読みながら、息をゆっくりと吐いて一息の間、ひとつの暗示ことばをくり返す。

 5つ唱え終わると、固く閉ざされていた入口の自動ドアが開き、私は中に入っていく。

  

 建物の中に入ってからの内容をご紹介する前に、5つの基本暗示について、もうひとつ書いておきたいことがある。

 瞑想の際に決まった指の形をすることを、「印を結ぶ」というが、5つの暗示に対応させた指の形があるので、それを次回に。

 

  今後のブログで順次紹介していきますが、早く知りたい方は、私のホームページで、瞑想レポート「私流イメージ瞑想法の実践」をご覧ください。

  

 瞑想習慣から生まれた “映画を観ているみたいに小説が読める” 「イメージ読書術」については、下の画像から。

 

 

 

  カットイメージで短編小説を読み、話し合う「読書セッション」(2022.1.10)、申込み受付中です。

  カットイメージのセミナーや講座を受講した経験のある方が対象です。

 

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  2022/1/10 カットイメージ読書セッション 東野圭吾の短編作品を読む (ZOOM)

 

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