百田尚樹『フォルトゥナの瞳』(新潮文庫)
映画は、2019年公開 監督;三木孝浩 主演;神木隆之介 有村架純
死にゆく人の運命が見えてしまうという能力を持った青年の物語。
未来は知ることができず、人生にやり直しはない。
一秒先も見えず、一回限りだからこそ、私たちが今を生きる意味はある。
そう考える私は、未来が見えたり、人が生き返ったりする話が、正直、好きではない。
そのことは、以前、辻村深月『つなぐ』のブログにも書いた。
しかし、百田尚樹は『海賊とよばれた男』が素晴らしかったので、きっと期待を裏切らないだろうと、今回はこの作品を選んだ。
まず映画を30分ほど見て中断し、それから原作小説を読み始めた。
小説を読むと、映画のシナリオは、初めの方から適度に話の展開を端折ってテンポよくまとめているのがわかる。
その分、小説には読みごたえがあった。
それは、主人公木山慎一郎の心情が丁寧に語られているせいである。
幼くして事故で両親と妹を失い、孤独に生きてきた木山は、高級車のコーティングを請け負う小さな工場で地道に働き、社長にも認められる。
しかし、あるときから、死ぬ人の運命が “見える” ことに気づき、彼の苦悩が始まる。
それと同時に、ひとつの出会いから、彼の恋も始まる。
映画を先に見ていてよかったのは、ボディコーティングの作業場や仕事の様子がイメージしやすいことである。
一途に仕事に向き合う彼の姿が浮かんでくる。
そして、孤独に、だが誠実に生きてきた彼の苦悩や恋の喜びもリアルに感じられる。
読んでいくうち、最初は違和感のあった“死が見える”という設定が、あまり気にならなくなってきた。
それは、主人公の心情がとても丁寧に描写され、その行動にも納得がいくからである。
“死が見える”という、たった一つの「絵空事」さえ受け入れてしまえば、この物語は深く共感できる世界になるのだと感じた。
木山の葛藤の深まりとともに、どんどん物語の世界に没入していく。
残り50ページ足らずとなって、このまま一気に読み終えたいと思ったが、「もったいない」と、自分にブレーキをかけた。
何せ、読書は通勤電車の中である。読み終わるかどうか、ちょうどギリギリだ。
この感動をもっと大切に味わいたい。
あえて本を閉じ、鞄にしまった。
それから2,3日置いて、映画の続きを見た。
この映画のシナリオは、原作小説のストーリー全体を適度に整理して、映画らしい展開にまとめている。
苦悩する誠実な青年木山に神木隆之介は適役で、小説を読んだ後でも違和感がない。
そして、彼に希望をもたらす女性桐生葵も、有村架純がぴったりだ。
清純、清楚で、限りなく素直で明るい。
彼女の優しさが、孤独に強く生きてきた反面、頑なでもある木山の心を自然と解かしていく。
彼女が働く携帯電話ショップは、もちろん、“au”である。
小説のストーリーがどう脚色されているのか、興味を覚えながら、映画として楽しむことができた。
そして、小説で読んだところまで観て、再び中断……。
本当は映画に没入していて、つい観すぎてしまった。
小説で読んだところより、少し先がわかった気がした。
翌日、本を開いて、小説の残りを一気に読んだ。
いつもの通勤電車ではなく、休日の朝、一人静かに机に向かって。
読み終えてみると、
……よかった。
結末がどうかよりも、やはりそこに至る主人公の思いが丁寧に描かれていることこそを評価したい。
先へ先へとストーリーを追うのではなく、イメージを味わいながら丁寧に心情を味わっていくのが、この作品にふさわしい読み方である。
だからこそ、最後の最後の結末に、救いを感じることができる。
この “救い”の感じは、読み終えた瞬間ではなく、後になって、こうして物語をふり返る間にじわじわと効いてきた。
今ごろホントに、胸が詰まって涙が出そうになってきた――。
“救い”があるから、泣けるのだ。
この作品は、映画をある程度観てイメージの材料をストックしてから、小説をじっくりと読むのをおススメしたい。