重松清の小説『ステップ』(2012年中公文庫)は、2020年 監督・脚本飯塚健、主演山田孝之で映画化された。
この映画を最初の30分だけ観て、小説を読み始め、最後まで読んだ。
映画の残りは、数日後に観た。
1歳半の幼い娘を遺して愛妻が逝き、残された夫が男手一つで娘を育てていこうとする。
その歩みを描く。
悩みながら、周りの人々に支えられて誠実に生きる主人公を、山田孝之が好演している。
映画のイメージも借りつつ小説を読み、また映画に戻って観るなかで、小説では見せにくい、映画(映像)のよさを感じる点があった。
小説で書くとくどくなるが、映画だと毎回同じ風景が出てくれば、すぐにわかる。
それが、父子が毎朝通る道。
電車の線路が地面より低い位置を走り、その上に架かる細い跨線橋を、父と娘は毎朝通る。
保育園へ向かうには、正面の坂を登る。
小学校になったら、坂を上がらず左へ曲がって集団登校の集合場所へ。父はそれを見送って、反対の道を駅へ向かう。
毎日同じ場所を通るのは当然なのだが、小説ではあまり描かれない。
それを、映画だと同じロケーションをくり返すことで、時間の経過を瞬時に見せる。
そして、定点観測で登場人物の変化・成長を際立たせる。
もう一つの定点観測スポットは、父娘が暮らすマンションの部屋である。
妻がカレンダーに予定を書きかけて倒れ、赤ペンの軌跡が残る壁。
そこに娘の成長が刻まれていく。
かと思うと、ある時期、家具の配置が少し変わって、月日の経過を印象づける。
また映画では、成長していく娘を3人の子役が順番に演じているが、その連続性に違和感はない。
それよりも、小説で読んでイメージしていた娘が、生身の姿で動き、話し、笑っているのが、私にはとても新鮮に感じた。
それはなぜか。考えてみる。
この小説は一人称語りで書かれている。
つまり、父親の時々の思いを重ねて娘の姿が描かれるので、父に感情移入はしても、娘の映像イメージはあまり鮮明に浮かんでいなかったのかと思う。
小説を読んで思い浮かべる娘は、父の目を通した主観的な存在なのだ。
だから映画を観ると、一人の人間としてそこにいて、イキイキと動き、元気な声でしゃべる子どもの姿が、それだけでとても感動的なのだと思う。
成長し、憎まれ口を叩く姿さえ、とても愛しい。
ひとり親の子育ては、いろいろな人に支えられてこそ成り立つ。
亡き妻の両親や義兄夫婦を中心に、さまざまな人々が彼らを温かく包む。
その理解と励ましに支えられて、親は子どもと共に成長していく。
かつてひとり親だった私には、共感できる点が多かった。
観る人の年代や経験によって共感ポイントは違うだろうが、家族のよさをしみじみ感じたい人には、おススメの映画である。