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映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 東野圭吾原作の映画『パラレルワールド・ラブストーリー』を、AmazonPrimeVideoで見つけた。

 2019年 森 義隆 監督 

 主演;玉森裕太  共演;吉岡里帆、染谷将太

 

 例によって映画を途中まで観てから、原作を読むことにした。

 

 

 映画のプロローグとして、象徴的なシーンがある。

 隣り合う線路を同じ方向に走る電車。

 ドアのガラス越し、向こうの電車でいつも見かける女性に主人公は惹かれる。

 しかし、2つの世界は並行しつつ、互いに交わらない。――

 

 ストーリーが始まると、それは過去のシーンで、主人公はそのときの女性と一緒に暮らしている。

 二人は同じ脳科学の研究所に勤め、彼女は知的で優しい。

 なぜか、彼の願望がかなった世界。――

 

 しかし、ふと場面が変わると、似て非なる世界が展開する。

 そこでは彼女は、親友の恋人として現れる。

 それが昔、並行する電車で見詰めていた女性だと気づき、 彼女への思いが再燃する。

 彼女も親友も同じ研究所に勤める同僚で、彼は複雑な感情に悩む。 ――

 

 2つの世界は場所や人物は同じだが、いくつかの点で異なる、パラレルワールドに見える。

 彼女と暮らす世界がリアルの世界だが、主人公はときおり夢の中でもう一方の世界に入り込み、それが現実の記憶であるような、不思議な感覚に悩まされる。

 

 パラレルワールドの不思議感を楽しみながら、前半を観て映画を中断した。

 

 さて、これはSFなのか、ファンタジーなのか、それともミステリーなのか。

 映画を半分観ただけでは、それがまだよくわかならい。

 その疑問をもったまま、原作を読み始めた。

 東野圭吾『パラレルワールド・ラブストーリー』講談社文庫

 

 

 小説では、彼女と暮らす世界が主人公崇史の三人称で、もう一つの世界が「俺」の一人称で区別されている。

 崇史の世界はクールだが、「俺」の世界は、かなわぬ恋に悩み、親友への嫉妬に苦しむ姿がリアルに描かれる。

 これはやはり小説ならではの深みである。

 

 読んでいくと、ときおり2つの世界がごっちゃになりかけるが、映画のイメージの助けも借りながら、どちらの世界か、ときどき読み返して確かめながら読み進めた。

 

 すると、記憶の迷宮に迷い込む崇史の不安定な感覚と、ストーリーのサスペンス感を持続することができた。

 そして、明らかになる真相と結末が哀しくも切ない。

 これはラブストーリーだが、友情ストーリーでもあるというのが、読み終えた感想である。


 そして、映画に戻り、残りを観終えた。

 結末のまとめ方が、小説とは少し違っている。

 

 もしかして映画だけを観たら、一度では理解できない部分が残るのかもしれない。

 しかし、小説のストーリーをどうアレンジしたか、という視点で観られたので、映画独自の展開に入り込み、ラストの不思議な余韻、一抹の希望を味わうことができた。

 

 さて、ではこれは、ファンタジーか、SFか、それともミステリーか……。

 

 このブログで何度か書いているが、人が生き返ったり、運命が変わったりする“ファンタジー”の展開が,、私はあまり好きではない。

 私たちが悩む現実世界の制約をいとも簡単に捨てて、要するに「何でもあり」になってしまうと、感動できない。

 

 ままならない現実から自由になって想像世界に遊ぶのが、ファンタジー・ファンの心理かもしれないが、私は「非現実」と思うと、どこか冷めてしまう。。

 東野圭吾の作品で言えば、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』がそれだと思う。

 だから映画を観ただけで、原作を読む気にはまだなれないでいる。

 

 SFはリアルの世界に足を置きつつ、「今より科学が進歩したら、ありうるかもしれない」という世界を描く。

 東野圭吾の作品で言えば、『人魚の眠る家』はこのジャンルに入る。

 現実に立脚しつつ、その延長で想像をふくらませるので、私はけっこう楽しめる。

 

 それらに対してミステリーは、リアルの世界そのものである。

 現実にはありえない不思議と思えたできごとの謎が、次第に紐解かれて、結末でみごとにつながる。

 だから素直に感動できる。

 東野圭吾の作品の多くはこれに属するが、その典型は、『ガリレオ』シリーズであろう。

 天才科学者湯川は、不可思議な現象を科学で解明する。

 だから、これはSFではない。 

 

 では、この作品『パラレルワールド・ラブストーリー』は、けっきょくファンタジーなのか、SFなのか、それともミステリーなのか……。

 その答え自体がネタバレになってしまうので、ここでは控えておこう。

 

 ぜひ、ご自身で確かめてほしいが、映画だけではちょっと物足りなさが残るかもしれない。

 ここは、まず映画の予告編を観て、イメージの材料と期待感を得てから、小説を読むことを勧めたい。

 

 

映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単! イメージ読書術

 

 発達障害当事者会イイトコサガシ代表で、コミュニケーションのワークショップを全国で開催してきた冠地情(かんちじょう)さんとは、10年近いお付き合いです。  

 彼がパーソナリティを務める地域局のラジオ番組にゲスト出演し、私自身の発達障害?体験を語りました。

 

 

 幼いころからの劣等感(生きづらさ)を、どう乗り越えて、ポジティブ、クリエイティブな教師に変貌できたのか。

 そこで、私の自律訓練法による瞑想体験が関わってきます。

 教育エジソン 「瞑想・イメージ」 のページにリンクをがあるので、お聴きください。

春休みに2つのカットイメージ・セミナーを開催します。

 

3月26日(土) 10:00~11:30  カットイメージ初級90分セミナー

4月 2日(土) 10:00~11:00  カットイメージ超入門60分セミナー

 

“映画を観ているみたいに小説が読める”と評判の“イメージ読書術”(カットイメージ・リーディング)を、短時間で体験していただけるセミナーです。

教育エジソンのブログをお読みいただき、興味を持ってくださった方は、この機会にぜひ体験してみてください。

 

申込みは、セミナータイトルをクリックして、こくちーずのイベントページから。

 

 

セミナーの詳細は、「教育エジソン」 セミナー・研修会のページをご覧ください。

 

 

読んでから参加するか、参加してから読むか。

本当は、「参加してから読む」が理想です。

本ではできないセミナーならではの体験があるので、それで実感をつかんでから読めば、本の内容がスラスラと腑に落ちます。

 

「カットイメージ」について、より詳しく知りたい方は、教育エジソン カットイメージのページで.。

 

 今日、3/6(日)の毎日新聞一面下段の書籍広告欄(三八広告)に、『映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単!イメージ読書術』の広告が載りました。

 2年前の出版時に出した朝日新聞の広告は、事前に原稿を見ることができず、私には不本意なものでしたが、今回は私の意見を全面的に取り入れてもらえたので、この本を必要とする読者と出会える広告になったと思います。

 

 

 

 そのおかげで、Amazonの売り上げランキング(図書館情報学)も、現在4位まで上昇しました。

 

 

 「カットイメージ」を通じて、より多くの皆さんに、イメージして読むことの楽しさを体験していただけたらと思います。

 

 

 

 

 私の著書『映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単!イメージ読書術』の中に、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を全編、カットイメージ作業をしながら通読した、という話を書いた(P215)。

 

 古代インドを舞台に、生身の人間として“道”を求める一人の人物の生涯を描いた作品。

 それまでにも何回か読んでいたが、カットイメージで再読すると細部のイメージがありありと浮かび、まさに“映画を観ている”ように、主人公の自己探究の道に没入した。

 読み終えて、「本当の意味で自分の愛読書になったと実感した」(P216)。

 

 それからしばらく経つが、ふと、同じヘッセの『デーミアン』をカットイメージで再読してみたくなった。

 不思議な転校生デーミアンとの出会いから始まる、青年エミール・シンクレアの“真の自己”を求める、あてなき魂の放浪の物語。

 

 『シッダールタ』のひとつ前の作品で、テーマは同じ線上にある。

 第一次大戦を舞台にエンディングを迎えるこの小説は、大戦後の若者たちに熱狂的に読まれたという。

 

 私は高校2年のとき、図書委員会の「読書会」担当として、校内の公開読書会でこの小説を取り上げた。

 口達者な一部の生徒が好き勝手に作品をこき下ろし、まじめに線を引いて読んできた女子生徒が発言できないような読書会。それを変えたいという思いがあった。

 

 私が司会を務めたその読書会の内容は、なぜか憶えていない。

 何ひとつ実を結ばなかったという、苦い後味だけが遠い記憶の中にある。

 

 参加者みんなが自分のイメージを否定される不安なく話せて、互いの読みの個性を認め合い、学びあう。そんな読書会はできないか。

 半世紀近く前に自ら掲げたその問いに、カットイメージのセミナーでようやく解決案を示せたかな、と今は思っている。

 

 

 さて、久しぶりに手にした新訳の『デーミアン』(酒寄進一訳 光文社古典新訳文庫)。

 鉛筆を持ち、簡易式のカットイメージ作業をしながら読んでいく。

 

 主人公シンクレアが、不良少年に強請られ続ける場面は、カットイメージで読んでいくと、募る不安と苦悩が胸に迫る。

 いじめられっ子だった自分自身の幼時の記憶を刺激する。

 

 それを救ってくれるデーミアンとの出会い。

 彼の不思議な風貌と、権威を怖れずに語ることばが、とても魅力的に聞こえる。

 読者である私にも。

 

 少年デーミアンが語ることばと、いったん彼と別れた後のシンクレアの自己探求の旅は、しばしば観念的な語りの連続である。

 しかし、カットイメージで読んでいくと、抽象的なことばの中に、人物の表情の変化とともに、思考の切れ目・塊を見つけることができる。

 こうして読むことができたら、高校生でも、作品の内容にもっと深く迫れたのに……と、手前味噌ながら思う。

 

 ストーリーはほとんど忘れている、と思っていたが、読み進むと、脳の奥底から忘れていた記憶が蘇ってくる。

 先が見えない感覚で読んでいるが、読み進むと、確かに記憶がある。

 

 そして、デーミアンと再会するラスト。……確かに覚えていた。

 忘れていたのに、しっかり憶えている。とても不思議な感覚だった。

 

 そして、難解な作品だが、今の自分の力で読めるところまでは読み切れた手ごたえがある。

 

 それでも、わからないところは多々残されている。

 奥深い作品は、カットイメージで読み込めば読み込むほど、さらなる謎を提起してくる。

 ……きっと、いつかまた再読するときがくる、そんな予感が残った。

 

 

 ところで、高校時代、私が最初に読んだのは、旺文社文庫の『デーミアン』(常木実訳)であった。

 読書会のテキストとしたのは、ポピュラーな新潮文庫版『デミアン』(高橋健二訳)である。

 今回読んだ酒寄進一氏の新訳は2017年に出ているから、ずいぶんと新しい。

 

 巻末の「訳者あとがき」を読むと、冒頭に「『デーミアン』を初めて読んだのは高校二年生のときだから、1974年のことだと思う」とある。

 なんだ。酒寄氏は私と同い年だ。

 私が『デーミアン』の読書会に臨み玉砕した、その同時代に、彼もこの作品に出会っていたのだ。

 不思議な縁である。

 

 

 私の瞑想の世界、その5回目。

 

 前回、私の瞑想の中の「建物の入口」の扉(実はガラスの自動ドア)を開けるために、5つの「暗示ことば」を唱える、ということを書いた。

  

  1,日に日にあらゆる面で、私はますますよくなっていく。

  2,日に日にあらゆる面で、私はますます自由で明るくなっていく。

  3,日に日にあらゆる面で、私はますます自然で温かくなっていく。

  4,日に日にあらゆる面で、私はますます聡明で行動的になっていく。

  5,日に日にあらゆる面で、私はますます柔軟で創造的になっていく。

 

 これらは、イメージの中では石碑に刻まれているという設定だが、実を言うと、そのイメージはけっこうあいまいだ。

 むしろ、これらの暗示ことばを明確に“条件づけ”しているのは、「指の形」である。

 

 前回書いたように、瞑想の最初の導入時には、左手の親指、人差し指、中指の指紋のあたりを合わせる「3本指のテクニック」を使う。

 いつもこの形で、最初の自律訓練法をやるので、指を合わせることが条件反射で、心身のリラックスにつながっている。

 

 そして、5つの暗示ことばのところへ来ると、薬指と小指も加えた4本指の先を親指の腹の上に集合させて、「1,日に日にあらゆる面で、私はますますよくなっていく」をとなえる。

 親指を中心に他の指へと扇型に広がっていく形が「あらゆる面で」のイメージである。

 

 以後は、指を一本ずつ親指と合わせていくが、次のように、指と暗示ことばが対応している。

 

  2,小指 → 自由で明るく

  3,人差し指 → 自然で温かく

  4,中指 → 聡明で行動的

  5,薬指 → 柔軟で創造的

 

 これは、それぞれの指のイメージとも自然と一致している。

 

 小指は赤ちゃん指なので、自由で明るく。

 人差し指はお母さん指なので、自然で温かく。

 中指はお兄さん指なので、聡明で行動的。

 薬指はお姉さん指なので、柔軟で創造的。

 

 さらに言うと、「交流分析」の「エゴグラム」とも一部似ている。

 ご存じの方は、考えてみてほしい。

 小指はFC(自由な子ども)、人差し指はNP(保護的な親)、中指はA(大人)……。

 ただ、AC(従順な子ども)は「柔軟で創造的なお姉さん」とは違うし、私の指の形では親指は別格。

 

 それはさておき、こうした指の形の助けも借りながら、息をゆっくりと吐き、一息のあいだ、ひとつの暗示ことばをくり返す。

 くり返しの2回目からは、「日に日にあらゆる面で、私はますます」の部分は略して、それぞれのメイン部分だけをくり返す。

 

 そうして、5つ唱え終わると、入口の自動ドアが開く。

 そうして私は建物の中に進んでいくが、その内容についてはまた次回に。

   

 私の瞑想の世界を、順次紹介していきますが、早く知りたい方は、私のホームページで、瞑想レポート「私流イメージ瞑想法の実践」をご覧ください。

  

 瞑想習慣から生まれた “映画を観ているみたいに小説が読める” 「イメージ読書術」については、下の画像から。

 

 

 

 大好きな松岡圭祐の近現代史ものが久々に出た。

 『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎~黄金仮面の真実』

 

 

アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実 (角川文庫)

 

 さっそく顔見知りの図書館司書氏にリクエストしたところ、江戸川乱歩の『黄金仮面』とセットで貸してくれた。

 要するに、『ルパン対明智』は、『黄金仮面』のパロディ作なのである。

 

 

明智小五郎事件簿6 「黄金仮面」 (集英社文庫)

 

 まず大衆小説臭プンプンの『黄金仮面』を、あっという間に読み終えた。

 松岡がこれをどう料理するのだろうとワクワクしながら、『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎』のページを開いた。

 乱歩の『黄金仮面』は、私の頭の中では、大正時代の弁士付き活動写真か、古いアニメーションのようなイメージで見えている。
 それが、『ルパン対明智』を読み始めると、色鮮やかで、多様なアングルから人物の表情もリアルに捉える、“実写版映画”が浮かんできた。

 起こる事件は乱歩の『黄金仮面』をそのままなぞっているが、同じ物語をアルセーヌ・ルパンの側から見ていく場面が多い。
 ルパンはなぜ来日したのか、なぜ黄金仮面の扮装なのか、富豪の令嬢不二子がなぜルパンと恋に落ちるのか、など乱歩版では説明なく既成事実になっている設定に、ひとつひとつ必然的な裏づけがある。
 そして、明智小五郎と対決するのだが、もともとルパンをリスペクトしている明智はやがて真相に気づき、ルパンと手を携えて本当の敵と対決していく。
 
 全編を通して、松岡圭祐は常に乱歩の原作を尊重しつつ、モーリス・ルブランが創造した怪盗紳士アルセーヌ・ルパンの名誉も回復していく。
 そこにはやはり、松岡流の人への優しさ、創作への真摯な姿勢を感じる。
 これは、乱歩の原作を読んでいればこそ味わえる楽しみだ。
 この機会を与えてくれた図書館司書氏の慧眼と配慮に感謝である。

 ……と楽しんで読んでいると、本の半ばくらいで、『黄金仮面』で描かれていた話は終わりになってしまう。
 エッ?と思ったが、実はそこからが松岡圭祐のオリジナルである。

 1929年、日本の満州進出、張作霖爆殺事件、ウォール街の株価暴落(世界恐慌)といった時代背景をふまえて、物語は思いがけない方向へ展開していく。
 そこは、近現代史小説の傑作を数々ものしてきた松岡圭祐の本領発揮である。
 歴史のリアルの陰に、実は怖ろしく壮大な犯罪計画があったというフィクション。
 互いにリスペクトしつつ牽制し合う明智とルパンは、悪魔の陰謀を阻止すべく、力を合わせて戦う。

 この物語では、幾多の犯罪を重ねて50代となったルパンの心情が丁寧に描かれている。
 誇り高き窃盗王の人生のいくつかの心残り。
 鬼畜の犯罪集団は、その心の傷すら容赦なくえぐる。
 彼らとの最終決戦は、乱歩の小説をもしのぐ大スペクタクルである。

 ドラマチックな大団円の後は、明智小五郎の後日談となる。
 そこでも松岡は、乱歩へのリスペクトを忘れない。
 私もあまり読んだことはないが、明智小五郎と少年探偵団の話を多少とも知っている人なら、はたと膝を打つ、見事な結末が用意されている。

 細部まで仕掛けに満ちたよくできた小説で、さすが松岡圭祐。思った以上に楽しめた。

 この小説に興味を持った方には、ぜひ江戸川乱歩の『黄金仮面』から読むことをお勧めしたい。

 さいわい著作権の切れた乱歩作品は、「青空文庫」でも読むことができる。

 青空文庫版『黄金仮面』

 

 


 
 

 松岡圭祐は、個人的趣味としてもっとも好きな作家のひとりである。

 催眠療法家として知られていた松岡が小説を書き始めた、『催眠』、『千里眼』の時代から読んでいる。

『探偵の探偵』と『万能鑑定士Q』のシリーズは大好きだが、コラボ作『探偵の鑑定』など、器用な作家で読者へのサービス精神もたっぷりだ。

 

万能鑑定士Qの事件簿 I 「万能鑑定士Q」シリーズ (角川文庫)

 

 そして、私を夢中にさせたのが、『黄砂の籠城』に始まる近現代史ものである。

 描く世界がガラッと代わり、松岡圭祐にこんな歴史の深い教養があったのか、と思わずうなった。

 

 義和団事件を両陣営の視点から描き、歴史の真実に迫る『黄砂の籠城』『黄砂の進撃』二部作。

 見事な知略で多くの人命を救った伝説の司令官を描く『八月十五日に吹く風』。

 男装の麗人川島芳子の恋と冒険を描いた『生きている理由』。

 円谷英二の弟子が戦時下のドイツで特撮技術を発揮する『ヒトラーの試写室』

 ……と、近現代史の好きな私は、興奮して読みふけった。

 

 そして、『シャーロックホームズ対伊藤博文』。

 明治時代の史実をふまえて、フィクションとリアルの有名人物たちが活躍する。

 

シャーロック・ホームズ対伊藤博文 (講談社文庫)

 

 しかも、これらの作品には、松岡の持ち味である人間への温かなまなざしが一貫している。

 そこがまた魅力だったが、その後、近現代史ものはしばらく出版がなく、とても残念に思っていた。

 

 多作な松岡は、その後、『グアムの探偵』、『高校事変』などのシリーズを次々と出している。

 読めばきっとおもしろいとは思うが、制服の女子高生が銃器をもっている表紙絵の『高校事変』など、高校教員である私にはなかなか手が出ない。

 

 それが、久しぶりに『ホームズ対博文』の続編を思わせる『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎』が出版されたと知った。

 

 これはぜひ読みたいと思ったが、以前、『ホームズ対博文』の話で盛り上がった、図書館の司書さんにあえてリクエストをしてみた。

 すると、気配りの図書館司書氏は、すぐ購入してくれただけでなく、江戸川乱歩『明智小五郎事件簿Ⅵ「黄金仮面」』(集英社文庫)も一緒に貸してくれた。

 

 『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎』は、副題に「黄金仮面の真実」とある。

 博識の図書館司書氏は、既に両作品とも読んでいて、「乱歩の方は癖のある文章で読みにくいかもしれませんが……」と控えめながら、比べ読みする楽しみを私に用意してくれたのである。

 

 まず乱歩の方から読んでみると、確かに、大正・昭和初期の大衆小説臭プンプンの文章である。

 活動弁士や紙芝居屋さんの語りを思わせる。

 

 そして、物語は一時も休むこととなく、次から次へと展開する。

 謎を追っていくミステリーではなく、謎はすぐに解けるが、次々とまた事件が起こり、すぐに思いもかけない真相がまたまた明らかになる。

 主人公と敵の勝敗は常に逆転し、窮地に追い込まれてもお互い即座に巻き返す。

 一時も目の離せない、ジェットコースター的展開。すごいすごい。息もつかせぬ冒険活劇。

 これがいわゆる「通俗小説」なのかと実感した。

明智小五郎事件簿6 「黄金仮面」 (集英社文庫)

 

 しかも、この作品では、後半、明智小五郎の前にアルセーヌ・ルパンが姿を現す。

 なんだ、松岡圭祐が初めて両者を対決させるわけではかったのか。

 では、松岡の小説はどういう展開になるのか、と興味が湧いた。

 

 というわけで、あっという間に『黄金仮面』を読み終え、楽しみに『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎』のページを開いた。

 

 ②へつづく

 

 

 

 『豊穣の海』四部作をはじめ、『金閣寺』、『仮面の告白』など三島由紀夫の小説は好きだが、『潮騒』は読んだことがない。
 山口百恵、三浦友和主演の映画で有名な漁村の純愛物語だが、嵐の夜に焚火の前で裸になるシーンがくり返し取り上げられる。
 そんな印象が強く、どうも気恥ずかしくて読む気にはならなかったというのが正直なところである。

 

潮騒 (新潮文庫)
 

 しかしふと、吉永小百合主演の映画『潮騒』(1964年)を観てみたくなった。
 山口百恵は私にとっては同世代アイドルである。それだけに照れを感じるが、一世代前になる吉永小百合の日活青春映画には、「旧き良き時代」への憧れがある。
 幸いAmazon Prime Videoで公開されていたので、すぐに観始めた。

 


 漁業に生きる伊勢湾の小さな島。そこで生まれる純愛と、島民たちの心ない噂。
 頑固で人のよい年寄りの漁師たち、血気盛んな若い漁師たち。そして、海女であるがゆえに逞しい島の女たち。
 なんと牧歌的な(というか島唄的な)素朴な世界であることだろう。
 1964年ならばまだリアルタイムで存在していたであろう、そうした世界を見事に写しとっている。

 その中で、初江役、当時19歳の吉永小百合は飛びぬけた可愛らしさだが、肌が黒く、島の漁村の中で違和感がない。
 水汲みをしながら歌う島唄がとても素晴らしい。

 吉永小百合はレコード大賞新人賞に輝く歌手でもあるだけに、やはり声が魅力的だ。


 当時相手役の定番だった浜田光夫も素朴な感じで、新治役に合っている。
 問題の焚火の前で裸になるシーンも、二人の初々しさがぴったりで、いやらしさがない。
 予定調和のように展開する映画で、純粋に楽しめたし、気持ちのよい後味が残った。

 映画を観終えて、三島由紀夫の原作を紐解いた。

 


 

 文庫本200ページに満たない中編小説である。

 読んでいくと、映画の記憶のおかげで、島の風景、漁師や海女の仕事の様子、漁村の暮らし、人々の服装や表情までもがありありと浮かんでくる。
 初江はやはり吉永小百合のイメージで読んでいくのが楽しい。
 新治のイメージは基本、浜田光夫だが、固定せずいろいろに変化していく。
 というのは、小説では新治の心の内が丁寧に描かれるので、表面は地味でも内面は純粋で熱い、その人物像がより強く感じられるからだ。

 日ごろは無口な新治が初江と肩を並べて歩きながら、自分が立派な船乗りになりどこよりも平和で幸せなこの島を守っていきたいと、口下手に夢を語るシーンがある。

 

 「海がなア、島に要るまっすぐな善えもんだけを送ってよこし、島に残っとるまっすぐな善えもんを護ってくれるんや。そいで泥棒一人もいねえこの島には、いつまでも、まごころや、まじめに働いて耐える心掛や、裏腹のない愛や、勇気や、卑怯なとこはちっともない男らしい人が生きとるんや」

 

 訥々としゃべるそのことばを、初江はいちいちうなずき、共感と信頼の表情で受けとめる。
 なんと純粋で美しい郷土愛だろうか。

 そしてこれは、島の暮らしに一種の理想郷を見る三島の視点でもある。

 新治と初江も、考えてみれば理想的なキャラクターである。
 新治は無口で目立たないが、実は海の男としての力量と勇気を立派に備えた若者だし、それを危機的な場面で身をもって証明してみせる。
 初江はまぶしいような若さを発散するべっぴんさんだが、ベテランの海女たちにも負けない素潜りの技量を持ち、人への思いやりも深い。


 そんな二人が惹かれ合うが、初江の父の反対で忍ぶ恋となる。
 しかし二人は、心身ともに結ばれる日を大切に夢見て節度を保ち、純愛を育む。
 そんな彼らの一途さが、やがて道を開く。
 理想郷の島で、理想の恋愛が成就する。これはそんな物語である。

 三島の筆はうっとりするような文章で、心の美しい人々が住む島の世界を鮮やかに描き出す。
 それを味わうのに、”観てから読む”アプローチは最適である。
 映画を観てリアルな漁村の暮らしをイメージとして記憶に入れ、その助けを借りながら小説を読むと、明るさと厳しさにあふれた島の暮らしの中に人々の純朴さが見えて、それが心に深く沁みてくる。

 実は小説を読んだ後に百恵・友和の『潮騒』も観る計画であったが、小説を読んだら満腹してしまって、その気が失せてしまった。
 しばらく間をおくこととしたい。

 

 

 2021.12.11「カットイメージ超入門60分セミナー」、オンラインで開催しました。

 参加いただいた方のひとり、Oさんから次のようなご感想をいただきましたので紹介します。

 

 今日は、本当にありがとうございました。

 小説を読むのは大好きなのですが、国語の時間はとても苦手という、珍しい生徒でした。

 でも、今回のセミナーで「正解は1つじゃない」ということを聞いて、「自由に発想していいんだ」と思うことができました。

 カットイメージのやり方についての身近なCM映像を用いた説明も、とてもわかりやすかったです。

 また、読書は基本一人でするので、私はどうしても自分軸のみで作品を捉えがちだったり、小説といっても読むジャンルに得意不得意がありました。

 でも、本日のセミナーのおかげで、いろんな小説を読んでみたいなと視野が広がりました。これからの読書の仕方が変わってくるなとワクワクしています。

 また機会があれば、ぜひよろしくお願い致します。

 

 東野圭吾の小説が大好きだというOさんは、お仕事が入らなければ、「2022年1月10日カットイメージ読書セッション(東野圭吾作品)」にぜひ参加したいとのことでした。

 充実した時間をまたご一緒できること、楽しみにしております。

 

 カットイメージのセミナー受講がまだの方は、Oさんのような体験を、ぜひ60分セミナー、90分セミナーで味わっていただければと思います。