東野圭吾原作の映画『パラレルワールド・ラブストーリー』を、AmazonPrimeVideoで見つけた。
2019年 森 義隆 監督
主演;玉森裕太 共演;吉岡里帆、染谷将太
例によって映画を途中まで観てから、原作を読むことにした。
映画のプロローグとして、象徴的なシーンがある。
隣り合う線路を同じ方向に走る電車。
ドアのガラス越し、向こうの電車でいつも見かける女性に主人公は惹かれる。
しかし、2つの世界は並行しつつ、互いに交わらない。――
ストーリーが始まると、それは過去のシーンで、主人公はそのときの女性と一緒に暮らしている。
二人は同じ脳科学の研究所に勤め、彼女は知的で優しい。
なぜか、彼の願望がかなった世界。――
しかし、ふと場面が変わると、似て非なる世界が展開する。
そこでは彼女は、親友の恋人として現れる。
それが昔、並行する電車で見詰めていた女性だと気づき、 彼女への思いが再燃する。
彼女も親友も同じ研究所に勤める同僚で、彼は複雑な感情に悩む。 ――
2つの世界は場所や人物は同じだが、いくつかの点で異なる、パラレルワールドに見える。
彼女と暮らす世界がリアルの世界だが、主人公はときおり夢の中でもう一方の世界に入り込み、それが現実の記憶であるような、不思議な感覚に悩まされる。
パラレルワールドの不思議感を楽しみながら、前半を観て映画を中断した。
さて、これはSFなのか、ファンタジーなのか、それともミステリーなのか。
映画を半分観ただけでは、それがまだよくわかならい。
その疑問をもったまま、原作を読み始めた。
東野圭吾『パラレルワールド・ラブストーリー』講談社文庫
小説では、彼女と暮らす世界が主人公崇史の三人称で、もう一つの世界が「俺」の一人称で区別されている。
崇史の世界はクールだが、「俺」の世界は、かなわぬ恋に悩み、親友への嫉妬に苦しむ姿がリアルに描かれる。
これはやはり小説ならではの深みである。
読んでいくと、ときおり2つの世界がごっちゃになりかけるが、映画のイメージの助けも借りながら、どちらの世界か、ときどき読み返して確かめながら読み進めた。
すると、記憶の迷宮に迷い込む崇史の不安定な感覚と、ストーリーのサスペンス感を持続することができた。
そして、明らかになる真相と結末が哀しくも切ない。
これはラブストーリーだが、友情ストーリーでもあるというのが、読み終えた感想である。
そして、映画に戻り、残りを観終えた。
結末のまとめ方が、小説とは少し違っている。
もしかして映画だけを観たら、一度では理解できない部分が残るのかもしれない。
しかし、小説のストーリーをどうアレンジしたか、という視点で観られたので、映画独自の展開に入り込み、ラストの不思議な余韻、一抹の希望を味わうことができた。
さて、ではこれは、ファンタジーか、SFか、それともミステリーか……。
このブログで何度か書いているが、人が生き返ったり、運命が変わったりする“ファンタジー”の展開が,、私はあまり好きではない。
私たちが悩む現実世界の制約をいとも簡単に捨てて、要するに「何でもあり」になってしまうと、感動できない。
ままならない現実から自由になって想像世界に遊ぶのが、ファンタジー・ファンの心理かもしれないが、私は「非現実」と思うと、どこか冷めてしまう。。
東野圭吾の作品で言えば、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』がそれだと思う。
だから映画を観ただけで、原作を読む気にはまだなれないでいる。
SFはリアルの世界に足を置きつつ、「今より科学が進歩したら、ありうるかもしれない」という世界を描く。
東野圭吾の作品で言えば、『人魚の眠る家』はこのジャンルに入る。
現実に立脚しつつ、その延長で想像をふくらませるので、私はけっこう楽しめる。
それらに対してミステリーは、リアルの世界そのものである。
現実にはありえない不思議と思えたできごとの謎が、次第に紐解かれて、結末でみごとにつながる。
だから素直に感動できる。
東野圭吾の作品の多くはこれに属するが、その典型は、『ガリレオ』シリーズであろう。
天才科学者湯川は、不可思議な現象を科学で解明する。
だから、これはSFではない。
では、この作品『パラレルワールド・ラブストーリー』は、けっきょくファンタジーなのか、SFなのか、それともミステリーなのか……。
その答え自体がネタバレになってしまうので、ここでは控えておこう。
ぜひ、ご自身で確かめてほしいが、映画だけではちょっと物足りなさが残るかもしれない。
ここは、まず映画の予告編を観て、イメージの材料と期待感を得てから、小説を読むことを勧めたい。