映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術 -6ページ目

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 小説『人間失格』は高校生のとき読み、大学生で再読し、今回、映画『人間失格~太宰治と3人の女たち』(2019)を観て、このブログを書いている。

 

 そこで、「読んでから観た」というわけだが、?をつけたのは、この映画は、太宰の小説『人間失格』の映画化ではないからだ。

 太宰治自身の人生を描いた映画であり、そのタイトルとして、『人間失格』を冠したというのが正しい。

 

 監督:蜷川実花    主演:小栗旬  

 出演:宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみ、成田 凌 、千葉雄大、高良健吾、藤原竜也……

 

 

 

 実際に映画を観ると、蜷川実花の映像美学に驚かされる。

 室内のつくり、調度品、服装、それらの色合い、デザインが強烈なインパクトを与える。

 また、戦後の街並みを見事に再現したCG映像もリアルで美しく、郷愁をそそる。

 

 そして、配役の妙とその役づくりが興味深い。

  

 脇役から言えば、坂口安吾が藤原竜也なのは、かっこよすぎる。

 しかし、敢えてした配役なのだと思う。

 坂口安吾は、蜷川監督にとってはきっと美男子なのだ。

 

 高良健吾の三島由紀夫はお見事。

 ストイックな風貌、死を意識した厳しい生き方など、晩年の三島をよく表している。

 三島は当時23歳で作家デビューを果たしたばかりだから、実際はもっとひ弱で神経質な感じではないかと思うが、それもご愛敬である。

 

 そして、タイトルにあるように太宰をめぐる三人の女。

 太宰の才能を信じて忍耐強く家庭を守る妻=宮沢りえ

 文才と功名心のあるセレブで、太宰の子を産み、堂々と生きる女、太田静子=沢尻エリカ

 正妻の地位も子どももなく、太宰とともに死ぬという至福だけを求める女、山崎富栄=二階堂ふみ

 

 女たちはそれぞれに異なるしかたで太宰を愛する。

 おのおのの人物造形と演技は、見事なものだ。

 それだけに、中心にいる太宰がつまらない男に思えてくる。

 

 小栗旬が太宰をどう演じるのか、というのがこの映画の大きな魅力だと思うが、映画から見えてくる太宰像は、騒がしいばかりで深みに欠ける。

 映画で描かれた太宰のメチャクチャな生活ぶりは、確かに史実通りなのだろう。

 だが、作品から伺える太宰の内面がもっと表現されるとよかったと思う。

 

 実際に太宰の小説を読むと、臆病でどうしようもない男が、それでも精一杯生きようとしてうまくいかない哀れさが伝わってくる。

 それがこの映画からは感じられなかった。

 

 調べてみたら、この映画の前に生田斗真演じる『人間失格』がある(2009 荒戸源次郎監督)。

 こちらは原作を映画化した形のようなので、いつか観てみたい。

 正直、生田斗真も太宰のイメージではないが、もう少し繊細な演技をしてくれそうである。

 もちろん『人間失格』の主人公葉蔵=太宰治ではないから、葉蔵は葉蔵としての人物造形がありうるし。

 

 

  ちなみに他に私の心に残る太宰原作の映画と言えば、 『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ』(2009 根岸吉太郎監督  松たか子 浅野忠信 )。

 

 松たか子演じる健気でポジティブな妻が、とても魅力的だ。

 こちらはおススメである。

 

 

 

 

 又吉直樹の小説『劇場』(2017)は、芥川賞受賞『火花』に次ぐ第2作。

 

 無名劇団の脚本・演出家として、恋人に経済的に依存して暮らす男永田。

 彼の才能を「すごい」と無邪気に信じ、尽くす恋人紗希。

 

 映画は、監督:行定勲、主演:山﨑賢人、松岡茉優で、2020年公開。

 

 例によって映画の予告編を観てから読んだ。

 恋人紗希は基本、松岡茉優のイメージで読める。

 

 しかし、私の中で主人公永田は、山崎賢人のイメージにはならない。

 乱れた長髪と無精ひげでやつしても、山崎賢人の品のよい美少年っぽさはごまかせない。

 私小説と思ってはいないが、読みながら私の脳裏に浮かんでくるイメージは、作者又吉直樹に近い。

 強烈な内面的個性を秘めて鋭い目で世界を眺めており、笑顔がいつも薄ら笑いにしか見えない。

 

 永田の一人称語りなので、その内面の葛藤はさまざまに語られる。

 自分自身へのいらだち、恋人への感謝と申し訳なさ。

 演劇への一途な思い、あるいは他人の才能への嫉妬の炎。

 

 紗希とふざけるやりとりや、照れ隠しのように独りでしゃべり続けることば、演劇仲間との激しい応酬など、会話のディテールに迫力がある。

 ヒモと彼女、と言えば片づいてしまうシチュエーションだが、“ヒモ男”への偏見をひとまず脇に置いて、素直に物語を追っていく。

 すると、永田のことばには心を揺さぶられるし、紗希との恋愛のゆくえはとても切ない。

 

 同棲しているのに性愛的なシーンが全くない点にも、この物語への筆者の思いが伺える。

 世間の価値観を超えたところにある、純粋な恋愛を描きたかったのだと思う。

 読み終えて、永田と紗希のいくつものシーンが、美しく心に残った。

 

 さて、これをどうやって映画にしたのだろうか。興味深く、AmazonPrimeVideoで観た。

 

 

 文庫本200ページ余りの中編小説を映画にすると、ちょうど2時間半になるのか、と納得してしまうほど、原作を忠実に映像化した作品だと思った。

 

 観ていると、「あ、この場面は観た」(読んだ、ではなく)と思ってしまうことが何度もあった。

 例によって予告編を観てから小説を読んだせいでもあるし、これこそ “カットイメージの効果の証” とも言えるが、原作をいかに映像にするか、製作者たちが腐心した結果だと感じる。

 

 その意味では、原作を読んでいて感じたつらさやもどかしさを、再び味わうことのできる時間だった。

 そして、観ているうちに気づいたのが、配役の妙。

 

 松岡美憂は小説を読み始めた段階で適役と思ったが、映画を観ても、まさに紗希そのものだった。

 一方、当初、イメージが合わないと思っていた山崎賢人の配役の意味が、映画を観るうちに腑に落ちてきた。

 

 紗希の前では子どものようになってしまう永田。

 女を食い物にする、横暴なヒモ男ではなく、誰の中にもある、幼くて弱い、でも純粋な部分を失わずにいる男。

  

 その傷つきやすい心をごまかすことができず、もて余す永田は、素の自分を紗希の前でさらけ出し、紗希の愛の中で幼児のように安心して眠る。

 ヨレヨレのシャツを着た、ぼうぼう髪とひげの姿に似合わぬ、山崎賢人の童顔と曇りのない眼が、幼く、優しさに飢えた内面のおびえを、垣間見せる瞬間があるのだ。

 

 小説の主要な部分を占めるドロドロした内面語りがない分、永田の内面は外から観た行動、セリフ、表情から読み取るしかない。

 山崎賢人のもつピュアな存在感が、この恋愛物語の純粋さを際立たせている。

 

 そして、エンディングには、小説にはない、というより映画にしかできない巧みな演出があった。

 このエンディングを観るためにこそ、冗長とも言える2時間半はあった、と感じる。

 小説と同じく、これもまた心に残る、切なく、美しいラストシーンである。

 

 

 

  

 前回(①)の続き。

 

 映画『ラブレター』(1995 岩井俊二監督 中山美穂 豊川悦司)の続編を思わせる『ラストレター』。

 岩井俊二監督自身による小説『ラストレター』を、“観ながら読む”つもりで、まず映画を観始めた。

 

 

 
 
 

  

  高校時代と現代との交錯、手紙のやりとりというロマンチックな展開は、やはり『ラブレター』を連想させる。

 2時間の映画の半分、約1時間観て一度中断し、小説を読み始めた。

 

 

  冒頭から驚いたのは、乙坂鏡史郎の一人称で書かれ、彼が書いた小説だということだ。

  本の扉の裏には、こんな献辞が書かれている。

  

  美咲へ

    これは君の死から始まる物語だ。

    君が本当に愛していただろう、そしてきっと君を愛していただろう、

    そんな君の周りの愛すべき人々の、ひと夏の物語でもある。 

    そして、同じそのひと夏の、僕自身の物語でもある。  (以下、2行略) 

 

 本文は乙坂鏡史郎の主観が色濃く出た文体で、小説ならではの「語り」の魅力を存分に発揮している。

 これは映画にはできないことで、岩井俊二はほんとうにメディアの特性を知り尽くし、それを巧みに使いこなす表現者なのだ。

   

 ときどき、あとで裕里から聞いた(取材した)エピソードを、三人称的に描写し、映画と同じストーリーを展開する。

 ただ、ところどころ設定が違っている。

 小説と映画の特性に応じて設定を変えているのだろう。

 

 そうして小説は、乙坂鏡史郎自身の生き方の甘さを追い詰めていく展開になる。

 一気に最後まで読みたいと思ったが、結末の20ページほどを残して、最後は映画で味わうことにした。

 やはり岩井俊二の表現フィールドのメインは映画ではないか、と思ったからだ。

 

 そして観た後半、期待を裏切ることなく、切ないが、美しい映画だった。

 とりわけ、高校時代と瓜二つの姿で、乙坂の前に現れる二人の少女。

 広瀬すずと森七菜の一人二役の妙で、乙坂が感じた目眩のような幻覚感を、私たちも体験できる。

 

 だから、最後は映画で観てよかった。

 

 やはり岩井俊二は映画監督なのだ。

 器用に小説も書ける映画監督なのだ。

 

 この作品、まずは映画を映画として純粋に楽しむことをおススメする。

 後で小説を読めば、乙坂鏡史郎の内面をじっくりと味わえる。

 また、あえて映画で設定を変えた部分について、脚本化の意図を考えるのもおもしろい。
 

 

 

 映画『ラブレター』(1995 岩井俊二監督 中山美穂 豊川悦司)は二度観たが、私の好きな映画としては五本の指に入る。

 今もラストシーンの記憶が鮮明に残っている。

 

 その続編を思わせる、岩井監督の『ラストレター』(2020)がAmazon Prime Videoの見放題に出ていたので、これは観るしかないと思った。

 
 
 

 これには原作がある。しかし、作者は岩井俊二監督自身である。

 単なるノベライズ本なのか。

 それで原作と言えるのかなと思いつつ、Amazonで注文しておいて、映画を観始めた。

 

 うつ病が高じて自ら命を絶った女性 遠野美咲の葬儀から映画は始まる。

 離婚した美咲が身を寄せていた宮城県の実家に、高校生の娘 鮎美(広瀬すず)が遺された。

 

 美咲の妹 裕里(松たか子)が葬儀を終え、仙台市内の自宅に戻ろうとすると、中学生の娘 颯香(そよか 森七菜)が、しばらくここにいたいという。

 鮎美の“話し相手”として。折しも夏休みである。

   

 裕里は、実家を出る間際、鮎美から美咲あての高校の同窓会(同期会)の通知を預かる。

 その会に出むいた裕里は、姉と間違われてしまう。

 

 真実を言えずにそそくさと会場を後にするが、追いかけてきた同級生 乙坂鏡史郎(福山雅治)に声をかけられ、連絡先を交換する。

 それから裕里は、姉の名前で乙坂に手紙を送ることになる。

 

 乙坂は売れない小説家で、唯一出版し受賞した作品の題名は、『美咲』。

 大学時代の彼女との恋の顛末を描いた小説だった。

 

 高校時代、乙坂と裕里は部活の先輩と後輩の間柄だったが、乙坂は同級生の美咲に恋をしており、美咲あての恋文を何通も書いては、裕里に託していた。

 高校時代の乙坂鏡史郎を演ずるのは神木隆之介だが、美咲は広瀬すず、裕里は森七菜で、二人の娘たちと瓜二つの設定である。

 

 高校時代と現代との交錯、手紙のやりとりというロマンチックな展開は、やはり『ラブレター』を連想させる。

 2時間の映画の半分、約1時間観て一度中断し、小説を読み始めた。     ②へつづく

 

 

  

 

 

 

 映画『小説の神様』(2020)がAmazonPrimeVideoで公開されていたので、例によって“読んでから観よう”と思い、原作の相沢沙呼『小説の神様』(講談社タイガ)を開いた。

 ライトノベルなので、映画の助けを借りず自由にイメージして読み、そのあとで映画を観ればいいと思ったのだ。


 

 高校2年の千谷一也は、千谷一夜というペンネームを持つ覆面作家だ。

 中学2年のとき、新人賞で「日本刀のような」切れ味を持つ文章の才能を称えられ、デビューを飾った。

 しかし、その後、本を出すごとに売れ行きは落ち、読者レビューでも酷評されて、すっかり自信を無くしている。

 

 そんなとき、編集者に共作の話を持ち掛けられる。

 同じ高校生作家で、ベストセラーを連発し、華々しく活躍している不動詩凪(ふどうしいな)が考えるストーリーを一也が文章にする企画だという。

 しかし、会ってみると、不動詩凪の正体は、同じクラスの転校生小余綾(こゆるぎ)詩凪だった。

 

 ……と、読み進む。 しかし、予想に反して、この小説はかなりしんどかった。

 ストーリー自体は興味深い。この二人がこれからどうしていくのかと先が気になる。

 だが、一也のあまりに自虐的で、全否定的な内面語りとか、それに対して、高飛車すぎる小余綾詩凪の言動など、読むのがだんだん苦痛になっていく。

 歳のせいか、ライトノベルの世界との距離を感じた。

 

 とうとうあきらめて本を閉じ、本棚に戻してしまった。

『キミスイ』を観てから読んだときは、その文章の軽さに少し違和感を感じたが、やがて慣れた。

 しかし、この作品の文章は無理かもしれないと思った。

 

 そして何日かが過ぎた。

 ……が、ふとひらめいた。

 自分は、小説を読むのが苦手な人、もっと楽しく読みたいと思う人のため、『イメージ読書術』を広めているし、映画を観ながら読む方法も伝えている。

「読むのが苦痛」と感じた今こそ、自らそれを試すチャンスではないか。

 

 そう思って、映画を観始めた。

 『小説の神様 ~ 君としか描けない物語』 2020年

 監督:久保茂昭  

 主演:佐藤大樹 橋本環奈

 

 

 前半、ほぼ原作通りで映画は展開していく。

 小説の中で私が抵抗を感じた主人公の自虐的独白やヒロインの高慢な言動も、あまり気にならない。

 実写人物たちの行動として、自然に観ることができた。

 

 ただ、この映画、最初はモノクロで始まるが、それが長い。

 どこかでカラーになるだろうと思って観ていくが、なかなかならない。

 ヒロイン小余綾詩凪が共同で書く小説のストーリーを語るシーンから、世界は鮮やかな色彩に染め出される。

 その映像の変化は鮮烈で印象的だが、そこまでが長い(約20分)。

 これから観る方は、そのつもりでいてほしい。

 

 映画はとても楽しく、そのまま最後まで観たい気持ちになったが、約2時間の映画の半分でいったん観るのをやめた。

 そこまでで、だいたい小説を中断したあたり(文庫本で約120ページ)だった。

 

 そうして、小説の続きを読み始めた。――

 

 物語はさらに紆余曲折の展開を見せていく。

 主人公千谷一也とヒロイン小余綾詩凪の感情の浮き沈み、ぶつかり合いは激しく、共感しにくい点もあるが、最初のような苦痛はなく、自然に物語の流れに乗っていく。

 

 そして、読み終えると、「なかなかいい話じゃないか」という読後感が残る。

 

 実は、私のように小説が好きな人間、小説を書きたいと思っている人間には、とても共感できる世界がそこにはあった。

 途中で投げ出しかけたが、最後まで読んでよかった。正直、そう思った。

 

 その余韻を味わいながら、映画の残りを観た。

 映画の後半も、よくできていた。

 

 脇役の成瀬秋乃(文芸部新入部員)、九ノ里正樹(文芸部部長)にも光を当てる場面を作り、一也と詩凪の物語をより立体的に際立たせいている。

 そして、一進一退の波をくり返しつつ、結末へと進んでいく終盤、セリフ回しだと冗長になりがちなストーリー展開を、声のない人物の映像と音楽でテンポよく見せていく。 

 

 主演の佐藤大樹はEXILEのパフォーマーだが、地味で内省的な高校生作家の雰囲気をうまく出している。

 ヒロイン橋本環奈は、高飛車さの反面、優しく傷つきやすい内面をもつ複雑なキャラクター小余綾詩凪を、ツンデレに堕ちず、深みをもって演じている。

 喜怒哀楽の豊かな表情がとても魅力的だ。

 

 最後まで観終えて、「なかなかいい映画じゃないか」という感慨が残る。

 

「小説を書く」というきわめて内面的で画になりにくい題材を、みごと興味深く、感動的な物語に仕立て上げた。

 その意味で、小説も映画もよくできていると思う。 

 

 この作品、 やはりまず小説を読み、それから映画を観るのがおススメだ。

 私と違って、この小説の文章タッチに違和感を感じることがないのであれば……。

 

 

 

 

 織守きょうや『記憶屋』(角川ホラー文庫)

 

 前回、映画はあと回しにして予告編も観ず、さらで読んだ。

 すると、SFファンタジーとして純粋に楽しみ、結末の感動を味わうことができた。

 

 

記憶屋 (角川ホラー文庫)

 

 映画は、2020年 平川雄一朗監督、出演:山田涼介、佐々木蔵之介、芳根京子ほか。

 さっそく、PrimeVideoで楽しみに観始めた。

 

 

記憶屋 あなたを忘れない DVD通常版

 

 弁護士高原役が佐々木蔵之介なのは、原作よりもだいぶ年齢が上なので、おや、と思いながら観ていく。

 すると、登場人物名は原作を踏襲しているが、細かな設定やストーリー展開は原作とはだいぶ違うのがわかってきた。

 

 このブログシリーズ(観るか読むか)を書くうち、私が心掛けるようになったのは、「原作小説と比較せず、映画は映画自体として楽しむ」ということだ。

 

 そう思って観ていくと、映画独自のテーマも見えてきて、小説とは異なる結末にも、やはり別の意味での「哀しみ」が流れていることに気づいた。

 もしかしたら、原作を読んでいるからこそそう感じたので、映画だけを観たら結末の意味には気づきにくいかもしれない。

 

 この作品、「観てから読む」と、中途半端なネタバレで感動が薄れてしまうので、もったいない。

 小説自体は読んでイメージしやすく、ビジュアル的に特別な設定はないので、予告編や映画のチラ観も必要ない。

 

 やはり「読んでから観る」のがおススメだが、「映画独自の世界を楽しむこと」を忘れないでほしい。

 

 

 

 織守きょうや『記憶屋』 角川ホラー文庫

 

 

記憶屋 (角川ホラー文庫)

 

 映画は2020年公開。

 PrimeVideoで見放題になっていたが、今回は予告編も観ずに読み始めた。

 読み終えてみて、小説として純粋に楽しめたので、この選択はよかった。

 

 大学生の吉森遼一は、1年先輩の澤田杏子と知り合うが、彼女は痴漢被害にあった過去の記憶がぬぐえず、夜道を一人で帰ることができない。

 飲み会のたびに杏子を家まで送るうち、遼一は彼女を好きになり、その悩みを何とかしてあげたいと思う。 

 そんなおり耳にする、忘れたい記憶を消してくれる「記憶屋」の都市伝説。

 

 しかし、ある晩、遼一が久しぶりに見かけた杏子は、あれほど怖れていた夜道を平気で歩いている。

 声をかけると、遼一のことを知らないという――。

 杏子は「記憶屋」に嫌な記憶を消してもらうと同時に、その悩みに寄り添おうとしていた遼一の記憶まで失ってしまったのか。

 

 「記憶から消された側は堪らない」。

 遼一はその思いから、「記憶屋」の正体を追っていく。

 

 「忘れたい嫌な記憶を消す」ことは、果たしていいことなのか?

 人間は、嫌な記憶、つらい記憶を抱えつつ、それを乗り越えて生きていく存在だ。 

 だから、記憶を消すことはいけないことではないか。

 

 その考えは 「記憶屋」への本質的疑問として、くり返し語られる。

 その後、記憶屋をめぐるさまざまな人物の物語が交錯し、意外な真相が明らかになる。

 

 しかし、真相のさらに向こうに見えてくるのは、「記憶屋」の行為の是非を超えた、哀しい真実――。

 

 ジャンルとしてはSFファンタジーだろう。

 物語全体はリアルな世界だが、「記憶屋」の存在だけがファンタジー的SF設定。

 その中で人物の心情に感情移入していくと、結末、深い真実に涙する。

 最後の場面の味わいが格別なので、とくに終盤、結末を焦らずにじっくりと読んでほしい。

 

 ひとつだけひっかるのは、タイトルである「記憶屋」ということば。

 「○○屋」は「○○する人」だから、「記憶屋」は「記憶する人」。

 記憶を消す人なら 「消去屋」だと思う。

 「記憶」を使うなら「記憶喰らい」なんて妖怪っぽい名前も思い浮かぶが、この物語にはそぐわないか。

 

 それはさておき、映画を楽しみに観よう。

 

 

 

映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単! イメージ読書術

 

 

 映画は、2020年、武正晴監督作品

 主演:波留  

 原作:桜木志乃『ホテルローヤル』(集英社文庫)

 

 この映画が公開されたとき、一度、ブログを書いた。

 桜木紫乃『ホテルローヤル』をカットイメージで読む 2020年11月21日

 

 

ホテルローヤル (集英社文庫)

 

 桜木志乃の小説はけっこう好きで、数多く読んでいるが、『ホテルローヤル』は直木賞を受賞したにしては地味なストーリーで、あまり印象深い作品ではなかった。

 北海道の湿原に面したラブホテルをめぐる7つの連作短編。

 

 映画化をきっかけに再読し、ひとつひとつの物語を丁寧にイメージして味わってみた。

 すると、「ホテルローヤル」の30年の歳月が確かに感じられたし、実際に描かれた7つのエピソードの背後に、「ホテルローヤル」で起きた無数の物語が浮かんでくる気がした。

 …… それが前回のブログ。

 

 地味な作品だという印象は変わらないが、カットイメージを意識して再読することで、自分にとって心に残る作品にはなったと思う。

 

 けっきょく映画は観ないままで過ぎたが、今回、AmazonPrimeVideoの見放題になっているのを見つけた。

 

ホテルローヤル

 

  例によってジムで走りながら、iPadで前半を観て、一度中断した。

  いくつかのエピソードが忠実に映像化されているが、やはり映画も地味である。

 

  主演の波留には、あまりにも地味すぎる役柄。

  一方、個性的な脇役たちの存在感が大きい。

  松山ケンイチ 安田顕 夏川結衣 余貴美子 伊藤沙莉 友近 ……

 

  翌朝、原作をパラパラめくったり、このブログを書き始めたりした。

  そのあと、またジムへ行き、映画の続きを最後まで観た。

  大きな盛り上がりはないが、ホテルローヤル開業時に遡る場面は、その後の年月と終焉を思うと、しみじみとくる。

 

  やはり脇役俳優たちの演技で観せる映画であると思った。

  意外なストーリー展開を期待してはいけない。

 

  そのつもりで観ると、なかなか味があり、観終わったあとには、30年の歳月への思いが残る。

  ホテルローヤルをあとにする雅代(波留)の新たな人生の展開を、静かに応援したくなる。

 

  やはり、「少し観てから読む」のがおススメだが、映画だけ地味に浸って味わうのも悪くない。

 

 

 

映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単! イメージ読書術

 

 綿矢りさ『私をくいとめて』朝日文庫

 映画(2020年) 監督・脚本:大九明子  出演:のん 林遣都 中村倫也(声のみ)

 

 例によって、映画を途中まで観てから小説を読んだ。

 しかし、この作品は、“読んでから観る” のが正解だ。

 

 映画では主人公役  “のん”の演技がすばらしく、それを観てしまうと、小説はもう “のん”のイメージでしか読めない。

 

 映画を観る前だったら、この小説をどんなイメージで読んだだろう。

 それはもう体験できない。映画を観る前の私には戻れないのがくやしい。

 

 

 

 今回は、2時間10分の映画を最初の50分ほど観たのち、小説を読み始めた。

 映画で観たより先まで読んだころ、20分ほど映画を観て、また小説に戻り、最後まで読み終えた。

 その後、映画の続きを最後まで観た。

 

 小説も映画も、どちらもとてもよかった。

 だから、最初は小説を小説として、純粋に楽しみたかったのだ。

 

 アラサー女子の黒田みつ子は、会社でお局様になりつつ、休日はおひとり様ライフを楽しんでいる。

 その内面が、心の中の独り言で語られる。

 と同時に、自分の中に男の声 “A” が登場し、彼との対話が展開する。

 

 やがて、取引先の営業マン多田くんと家が近所であることがわかり、ときどき晩ご飯を作ってあげるようになる。しかし、部屋には上がらずテイクアウトで。

 二人の恋のゆくえが物語の柱だが、小説では、主人公みつ子の内面に入り込んで読んでいくのが楽しい。小説を読むおもしろさを実感できる。 

 

 私にはよくわからないが、今の独身アラサー女性の内面はこうなのか、と思わせるリアリティがある。

 いわゆる「奥手」とか「自意識過剰」とか、私が若いときに使っていたことばでは説明しきれない、当世的な心のありよう。

 それをうまく描き出している気がする。

 身近にいる独身のアラサー女子を思い浮かべて……、ムムム。

 

 

 一方で映画は、この小説の持ち味を生かした映像づくりに、みごと成功している。

 

 何しろ、のんの演技がすばらしい。

 彼女の顔のアップがものすごく多く、ほとんど一人芝居の映画だが、その表情の豊かさ、独白セリフの迫力にグイグイと引き込まれてしまう。

 

 のん(能年玲奈)は、NHK朝ドラ『あまちゃん』(2013)の印象が鮮烈だった。

 しかし、バラエティ番組で見る彼女は無口で、気の利いた受け答えができず、タレント性は低いと見えた。

 案の定、その後の俳優としての活躍は今ひとつだったと思う。

 

 しかし近年、厚生労働省の「最低賃金」啓発ポスターモデルに、2年連続で採用されている。

 何だか存在感が増してきたなと思っていたが、やはりこの映画で評価されたのか。

 

 映画の中では、『あまちゃん』当時の舌足らずのしゃべり方のまま、成熟した女性になり、アラサー女子の複雑な心の内を、体当たりで表現している。

 

 それにしても、映画の後半、『あまちゃん』で「潮騒のメモリーズ」のデュオを組んだ、親友役の橋本愛が登場したのもうれしかった。

 イタリア人と結婚した、学生時代の親友。

 イタリアの空気感の中で、息の合った二人の場面は心に残る。

 

 この作品はぜひ、“読んでから観る”、それがおススメだ。

 

パラレルワールド・ラブストーリー

 

 前回取り上げた、東野圭吾原作の映画『パラレルワールド・ラブストーリー』のエンディングに流れるテーマ曲は、宇多田ヒカルの『嫉妬されるべき人生』だった。

 

 

嫉妬されるべき人生

 

 「運命の人」だと直観でわかり、その人と添い遂げるという歌で、映画とのつながりが意味深である。

 なぜか私の心の奥深いところに触れてくるものがあり、その後、くり返し聞いている。

 

     今日が人生の最後の日でも
     五十年後でも あなたに出会えて
     誰よりも幸せだったと
     嫉妬されるべき人生だったと
     言えるよ

                      『嫉妬されるべき人生』(作詞・作曲・歌唱 宇多田ヒカル)より

 

 これがメインテーマで、言い換えられ、くり返される。

 その流れの中で、1か所だけ違和感のあるのが次の一節だ。

     人の期待に応えるだけの
     生き方はもうやめる
     母の遺影に供える花を
     替えながら思う

 『嫉妬されるべき人生』(作詞・作曲・歌唱 宇多田ヒカル)より

 

 自分の直観を信じて愛し続ける、ブレない生き方と思っていたら、「人の期待に応えるだけの生き方はもうやめる」とある。

 それまではブレる生き方だったので、これは、信じた愛に生きる宣言なのか。

「母の遺影」も謎であった。

 

 その点の理解があいまいなまま、くり返し聞いていたが、ふと、この「嫉妬されるべき人生」とは、亡くなった母の生き方であり、そこから学んでこれからそうあろうと娘が自分に宣言している歌なのでは、と気づいた。

 

 聴き始めたころから、私の心に浮かぶ女性のイメージは和服姿で、舞台は戦前か少なくとも高度経済成長前の日本である。 

 親が決めた結婚か。

 あるいは、「軽いお辞儀と自己紹介でもう」という歌い出しで、お見合いか紹介による出会いの印象がある。

 だが、直観を信じ、その人を運命の人として添い遂げた。

 

 そんな母の生き方を、「誰よりも幸せだった」、「嫉妬されるべき人生だった」と胸に刻んで、娘は「人の期待に応えるだけの生き方はもうやめる」と、自身の愛を貫く気持ちを固める。

 だから、全編くり返されることばは母の生き方であり、同時に娘である自分の今の思いでもある。

 

 そんなふうに考えて、この歌詞の世界は私の中で腑に落ちた。

 

 とはいえ、他の部分の歌詞も、曲調も、そして宇多田の歌い方も神秘的で、謎めいた味わい深い曲であることに変わりはない。