映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術 -6ページ目

映画を観ているみたいに小説が読める イメージ読書術

小説の世界に没入して
“映画を観ているみたいに” リアルなイメージが浮かび
感動が胸に迫り、鮮やかな記憶が残る。
オリジナルの手法「カットイメージ」を紹介します。
小説を読むのが大好きな人、苦手だけど読んでみたい人
どちらにもオススメです。

 『罪の声』を読んで(観ながら読んだ 塩田武士『罪の声』)、私がその実力を買っている作家塩田武士が、主人公に俳優大泉洋を“あて書き”したという小説『騙し絵の牙』(2019 角川文庫)。 

 表紙はもちろんだが、各章の扉絵に大泉洋の写真が使われ、文庫解説も大泉洋である。

 

 映画は2021年公開、吉田大八監督。

 主演はもちろん大泉洋

 他キャストは松岡美優、宮沢氷魚、池田イライザ、佐藤浩市、木村佳乃、國村隼など。

 

騙し絵の牙

 

 例によって“観ながら読む”つもりで、文庫本を用意しておき、まず映画を観始めた。

 文芸誌『小説薫風』で名高い薫風社を舞台に、創業社長の突然の死によって起こる、経営層の主導権争い。

 その中で新社長は経営を優先し、『小説薫風』を月刊から季刊に格下げする。

 

 『小説薫風』の若手編集者高野恵(松岡美優)は、季刊化に伴う人事で編集から外されかけるが、カルチャー誌『トリニティ』の編集長速水輝也(大泉洋)に、小説編集への情熱を買われて引き抜かれる。

 速水と高野は、雑誌の目玉となる連載小説の企画を考え、その実現のためにそれぞれに奔走する。

 

 彼らの企画がそろそろ見えてきたころ、映画をいったん中断した。

 1時間50分の映画の前半、50分ほどのところである。

 予定通り、ここから文庫本を開いて読み始めた。

 

騙し絵の牙 (角川文庫)

 

 しかし読んでいくと、速水や高野など人物名は同じだが、内容はかなり違っているので驚く。

 薫風社内の権力闘争というより、経営層から『トリニティ』の廃刊をチラつかされた編集長の速水が、社内外の人間関係の中で四苦八苦する様子が、リアルに描かれている。

 

 映画では硬軟の手を使い分けて対等に渡り合っていた大御所作家二階堂大作に対しても、速水は常に顔色を伺い、いかにご機嫌をとって案を通すかに腐心する。

 その努力は涙ぐましく、痛々しくさえある。

 そこには、出版不況の深刻さが赤裸々に浮き彫りにされている。

 

 しかし、そうした中でも速水は「いい小説を出したい」という信念を捨てず、状況を読み、頭をフル回転させて、当意即妙の手を繰り出す。

 そうして人の心を動かし、自分の信ずる道を実現していく。

 

 そんな速水のイメージに、大泉洋はピッタリである。 

 また、その部下である有能な編集者高野恵も、映画通り松岡美優のイメージで読んでいける。

 

 ……と思っていると、映画ではあり得ない速水と恵のベッドシーンが展開する。

 大泉洋と松岡美優でイメージしていて読んでいたので、ドギマギしてしまった。

 松岡美優ファンは、ご注意あれ。

 

 それにしても塩田武士は力のある作家だと、あらためて感じた。

 デジタルの普及、急速な書籍離れの中で起きている出版業界の実情を丁寧に取材し、書き込んでいる。

 そして、そこに情熱をもって働いてきた人々の苦闘を、リアルに描き出す。

 

 また、『騙し絵の牙』というタイトルに込められた意外な展開も見ものである。

 思い込んでいたストーリー、人物像が、あるとき騙し絵のように反転する。

 地と図が入れ代わって、新たな絵が見える。

 と同時に、人物への理解が奥行きを見せ、深みを増す――。

 

 見事と言うほかはない。 

 ひじょうに満足して、原作を読み終えた

 そして、映画の残り後半を楽しみに観た。すると……、

騙し絵の牙

  やはり小説とはまったく違う。

 しかも、前半で仕込んでおいたネタが次々と炸裂し、息もつかせぬ展開になる。

 一瞬の逆転劇が何度も続き、誰が勝者かは最後までわからない。

 

 飽きさせない映画という意味では、よくできた脚本だ。

 もちろん作り話の世界ではあるが、斜陽の一途をたどるように見える出版界でも、大胆な発想を持てばこれだけのことができる。そういう意味でもおもしろい。

 

 『騙し絵の牙』という小説と映画、これは全く別の物語として、それぞれに楽しめばよい。

 いずれも、それぞれのメディアの長所をよく活かした作品に仕上がっている。

 読んで、観て、損はない。

 

 ただ、大泉洋というキャラクターは、本人が演じた映画よりも、“あて書き”された小説の方が似合っている。

 そう感じるのは、やはり私たちのイマジネーションの力であるし、小説家塩田武士の筆の勝利であろう。

 

 

 島本理生の直木賞受賞作『ファーストラヴ』(2020 文春文庫)。

 

 

ファーストラヴ (文春文庫)

 

 映画は、2021年公開、監督堤幸彦、出演は北川景子、中村倫也、芳根京子。

 

 美貌の大学生聖山環菜(芳根京子)は、キー局アナウンサーの採用試験を受けた直後に、著名な画家である父を包丁で刺殺し、逮捕された。

 しかも、捜査関係者に「動機はそちらで見つけてください」と語ったと、センセーショナルに報道された。

 彼女の心理に関心を持ち、本を執筆するという企画を受けた公認心理師の真壁由紀(北川景子)は、夫の弟で弁護士の庵野迦葉(あんのかしょう 中村倫也)とともに、事件の謎、そして環奈の心の闇に迫っていく――。

 

 この作品、まず映画を30分ほど観てから、小説を読み始め、半分ほど読んだところでまた映画を途中まで観て、後は小説を最後まで読み終えてから、映画の残りを最後まで観た。

 

ファーストラヴ

 

 由紀、あるいは迦葉が、拘置所の面会室で聖山環奈とアクリル板越しに話す場面がくり返される。

 環奈の語ることばはあいまいで、ときに取り乱す。

 

 環奈の心の闇、それをもたらした家族の暗部が予感される。

 また、義理の姉弟である真壁由紀(小説では一人称の「私」)と迦葉の間にも、禁断の過去が想像される。とくに小説において。

 
 いずれも、過去の深刻な罪や過ちが隠されているではないかと、嫌な予感がある。

 好きなタイプの物語ではないかも……と思いながら、展開を負っていく。

 

 だが私は、主人公の真壁由紀をどうも好きになれない。

 彼女はマスコミに好んで出演し、「カウンセラーとして有名になりたい」と言う。

 そんな人に誰が自分の悩みを打ち明けたいと思うだろうか。

 

 由紀(「私」)の資格は、小説では臨床心理士、映画では公認心理士となっているが、公認心理士は2018年に認定が開始されたからだ。

 それまで心理系でもっとも信頼性の高かったのは臨床心理士だが、公認心理士は初めての国家資格である。

 

 いずれにせよ、心理士の有資格者であるはずの由紀が、環奈との対話では相手のことばを受け止めず、すぐ疑問を呈したり、理由を問い詰めていく。

 これは、カウンセラーの「聴き方」ではない。

 さらに、すぐ感情を露わにする。

 そんな役に北川景子はピッタリなのかもしれないが、私はどうも苦手なタイプである。

 

 そんなことを思いながら小説を最後まで読み、映画も最後まで観終えた。

ファーストラヴ

 結果として、隠されていた真実が結末で明らかになり、スパッと解決、という話ではない。

 かといって、深刻な悲劇を暴いて終わる話でもない。

 

 実は謎解きの真相は、展開の中で少しずつ明かされていたことがわかる。

 だから、結末で一気に……という感動はない。

  

 その代わり最後には、主要人物たちが勇気をもって一歩前に踏み出す姿が描かれる。

 それによって過去を乗り越え、次の人生へと進んでいく。

 

 結末の後味が読めないまま、結末に少し嫌な予感を持ちながら読んでいったら、そうではなかった。

 いい意味で裏切られたが、それが筆者の意図的なミスリードだとすれば、このブログの読者には一種のネタバレをしてしまったかもしれない。

 

 しかし、結末の後味が悪いのではとこの作品を読む(観る)ことをためらう向きには、安心していただく材料を提供できたのではないかと思う。

 

  映画の結末部分、私は小説を読んでいるのでよく理解できたが、映画だけ観たらどんな印象を持つのだろうか。充分には想像できない。

 もし映画を観て結末が腑に落ちないという方には、小説を読んでみることをおススメする。

 

 ところで映画のエンディングに流れてきたのは、私にとってはうれしいことに、聴きなれたUruの曲。

 あ、この曲がテーマだったのか、と思ったら、曲名は確かに『ファーストラヴ』だと前から知っていた。

 なるほど……と、つながった。

 

 

 

 2022年のアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』(監督・脚本;濱口竜介 2021)。

 Amazon Prime Videoの見放題に出ていたので観ようと思い、まずは原作を取り寄せた。

 

 村上春樹の短編集『女のいない男たち』。

 『ドライブマイカー』はその冒頭の一編で、わずか50ページほどしかない。

 

 そんな小品を原作にして、3時間近い映画ができている。

 映画は原作を下敷きにしつつ、想像を広げて独自に構築した物語なのだろう。

 そう思いながら、映画を観始めた。

 

 出演は、西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生……。

 

ドライブ・マイ・カー インターナショナル版

 

 舞台俳優で演出家の家福(西島秀俊)は、脚本家の妻(霧島れいか)と二人きりの睦まじい生活を送っているが、妻はベッドの中でときおり、頭に浮かんだ不思議な物語を話す。

  

 二人には娘がいたが、幼くして亡くなった。

 その悲しみを乗り越えて、今の二人の暮らしがある。

 

 あるとき家福は、妻が若手の俳優と自宅でベッドをともにしている光景を目撃してしまう。

 だが、家福は妻を問い詰めることはせず、今まで通りの生活を続ける。

   しかしその妻は、くも膜下出血で突然、逝ってしまう――。

 

 何か予感があって、そこで一度、映画を中断し、小説を数ページだけ読んでみた。

 すると、やはり妻が死んだことは既定の過去で、そこから物語が始まっている。

 

 このまま小説を読んでしまうと、きっとネタバレになって映画の興を削ぐぞと思い、本を閉じて、映画を最後まで観ることに決めた。

 

 映画を再開してまもなく、家福が真っ赤な愛車のサーブ(SAAB スウェーデン車)を長距離運転し、市内へ入ったところで、音楽とともにキャスト、スタッフのテロップが流れる。

 案の定、ここからが本編の始まりだった。

 

 妻を亡くして2年後。

 家福は演劇祭の参加作品、チェーホフ作『ワーニャおじさん』の監督を引き受ける。

 広島に2ヶ月滞在して、俳優のオーディションから稽古、本番まで取り仕切る仕事だ。

 

 家福は毎日気持ちをリセットするために、劇場から離れた海岸のホテルをとり、愛車で往復する予定だった。

 しかし、演劇祭を主催するプロモーターの規定で、万一の事故のリスクに備えて本人の運転は禁止され、ドライバーを雇わなければならないとわかる。

 紹介された女性ドライバー渡利みさき(三浦透子)は無口で愛想はないが、車の操作は巧みで安定している。

 彼女の運転ぶりを見て、家福は愛車を任せることにする。

 

 オーディションに応募してきた若手俳優高槻(岡田将生)は、実は妻がかつて夫に隠れて肉体関係を持っていた男の一人である。それを知ったうえで、家福は彼を主役のワーニャに起用する。

 

 舞台のキャストは日本人だけでなく、稽古は中国語、韓国語、さらに韓国語手話と、多彩な言語で展開する。(もうひとつ欧州系の外国語が出てくるが、確認できず)。

 

 その稽古の毎日、行き帰りの車の中で、家福は妻が吹き込んだ『ワーニャおじさん』のセリフのテープを相手に、自分がかつて演じたワーニャのセリフを暗唱する。

 それが舞台センスを維持するための習慣だった。

 

 渡利みさきは分をわきまえ、雇われドライバーに徹して何も言わないが、家福は問わず語りに少しずつ妻の話をする。

 そして、妻の不倫相手だった高槻とも酒を飲みながら妻の思い出話をするようになるが、秘密を隠し持った同士の本音の探り合いにも見える。

 

 舞台の準備とともに進行していく物語は、淡々としているようだが、退屈することがない。 

 

 やがて、寡黙な渡利みさきも少しずつ自分の過去を語り、家福との間には癒えない痛みを抱える同士の静かな共感が流れるようになる――。


 物語の終盤、クライマックスとなる舞台の場面。

 無言の中、手話で語られるセリフが、深く心に沁みる。

「ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう」――と。

 

 観終えて、いくつかの場面が映像的にも心情的にも強く印象に残っている。

 いい映画を観たと、素直に言える作品だった。

 

 さて、映画を観終えてあらためて村上春樹の原作を手に取った。

 

女のいない男たち (文春文庫)

 

 映画のまま、西島秀俊、三浦透子のイメージですんなりと作品世界に入っていける。

 設定の小さな違いはあるが、軸となる家福と渡利みさきの距離感は基本的に同じである。

 

 演出家の家福は、死んだ妻の不倫の事実について知らないふりを続けたことに、深い後悔を抱いている。

 毎日のドライブの中で無口で運転に徹するみさきが、鏡のように家福の心を写しだしていくのだ。

 

 それだけのシンプルな物語である。

 渡利みさきの生い立ちにも何かが予感されるが、語られることはない。

 その分、想像の余地が大きい。

 

 この思わせぶりな短編に、濱口竜介監督は想像を掻き立てられたのだろう。

 ちょうど小さな貝殻の欠片が核となって美しい真珠ができていくように、想像の世界が膨らみ、やがて結晶化する。

 そして濱口監督は脚本を書き、スタッフ・俳優たちを集めて、この映画を創造した。

 

 小説家村上春樹と、映画監督濱口竜介。

 優れた表現者たちの幸運な出会い、深い響き合いによって、この映画は生まれたのだと思う。

 

 この作品、私のように「観てから読む」のがおススメだが、このブログを読んだ後なら、「読んでから観る」のも悪くない。

 監督の想像の翼が豊かに広がっていく様を、実感できるかもしれない。

 

 

 

 

 塩田武士『罪の声』(2016年刊。2019年講談社文庫刊)は、グリコ森永事件(1984~85)の真相に迫る小説である。

 

罪の声 (講談社文庫)

 

 前回、映画を半分ほど観て、小説を読んだ。

 観ながら読んだ 塩田武士『罪の声』【ネタバレ無し】

 

 映画の記憶の助けを借りながら、ありありとイメージして読み進め、読み終えて、とても満足した。

 グリコ森永事件を忠実になぞりながら、未解明の部分を大胆に推理して構築した物語である。

 

 小説では「ギンガ萬堂事件」となっている事件の謎を解き明かしていくサスペンスに引き込まれ、推理の見事さに舌を巻くと同時に、事件に利用された子どもたちの運命が、胸に迫る。

 

 周到に準備された力作であり、よくできた小説だと思った。

 そして、映画の後半を楽しみに観た。

 

 映画は2020年公開 監督: 土井裕泰 主演:小栗旬 星野源 

 

 

罪の声 通常版 [Blu-ray]

 

 この映画もとてもよかった。

 

 小説で詳細に描かれた事件の謎とそれを解くプロセスをわかりやすく整理し、飽きさせない。

 よくできた脚本だと思う。

 

 真犯人に迫る種明かしの場面は、日本と英国、2つの舞台を同時進行で交互に重ね、テンポよく見せる。
 真犯人とその動機がわかってみれば、空疎な犯罪であり、子どもたちの運命をもてあそぶ結果になったことに怒りを禁じえない。

 

 原作小説は謎解きだけに終わらず、巻き込まれた子どもたちに寄り添う物語だから、共感できる。

 その点、この映画は、子どもたちの運命、その後を描く結末部分を丁寧に場面化、映像化し、原作者の思いをしっかりと受け継いでいると思う。

 派手なシーンはないが、物語の展開をじっくりと追い、最後には感動と後味のよさを残す。

 

 事件の真相はけっして後味のよいものではないが、新聞記者阿久津(小栗旬)と子どもたちの一人である曽根俊也(星野源)が、事件を追うことを通じてそれぞれ人間的に成長するプロセス。

 そして二人の間に生まれる共感と不思議な友情。

 それが最後のシーンに象徴されていて、とてもよい後味で終わる。

 

 主題曲はUruの『振り子』で、最近、Uruの曲をよく聴いている私には耳懐かしく、物語の余韻に浸りながら、じっくりとエンドロールを観てしまった。

 

 小説と同じで、「グリコ森永事件」をよく知らない若い世代には、観る前に事件の概要を知っておくことが必須だろう。

 

 そのためには、NHKの再現ドラマ「未解決事件」シリーズに「グリコ森永事件」があるが、私もまだ観たことがない。

 NHKオンデマンドで視聴可能なので、今度ぜひ観てみたいと思う。

 

 

 

 

 「どくいり きけん たべたら しぬで」と、関西圏を舞台に複数の食品会社を脅迫した、グリコ森永事件(1984~85)。

 マスコミに送りつける「挑戦状」は警察への敵意とからかいに満ち、大いに世間を騒がせたが、身代金の受け渡しに成功することなく終わった、今なお謎の多い未解決事件である。

 

 その事件に着想を得た、塩田武士の小説『罪の声』は2016年刊。2019年に講談社文庫版が出た。

 映画は2020年公開 監督: 土井裕泰 主演:小栗旬 星野源 

 

 これはぜひ読みたいし、観たいと思い、まず映画『罪の声』を前半だけ観た。

 

 

罪の声 通常版 [Blu-ray]

 

 亡父のテーラーを継いで地道に仕事をし、妻と幼い娘と暮らす曽根俊也(星野源)は、ある日、押し入れの奥から古いカセットテープと英文のメモが書かれた黒革の手帳を見つける。

 カセットテープに録音されていたのは、幼い自分の声で身代金の受け渡し場所を指示するメッセージ。

 

 それは30年以上前に起きた “ギンガ萬堂事件”で使われた電話の声だった。

 イギリス滞在歴を持つ伯父の関与を疑う俊也は、亡父の親友であった堀田の力を借りて関係者を探し、話を聞いていく――。

 

 一方、大手新聞の記者 阿久津英士(小栗旬)は、ギン萬事件の特集企画のために文化部から駆り出され、事件を調査していく。

 二人の軌跡はしばらく平行線上を進むが、やがて阿久津は同じところで聞き込みをする俊也の存在を知る。

 

 新聞記者の突然の訪問に驚いた俊也は、マスコミ報道によって平和な暮らしが破壊されることを怖れ、阿久津を激しく拒絶する――。

 

 そこまで観て映画を中断し、原作を開いた。

 

罪の声 (講談社文庫)

 

 映画を途中まで観ているおかげで、星野源、小栗旬のイメージで自然に読み進められる。

 

 阿久津は事件の足跡を丁寧に追い、それに関わった人々を特定していく。

 そして偶然にも助けられて新たな証拠をつかみ、真犯人へと迫る。

 

 当初マスコミ報道を怖れていた俊也も、次第に阿久津の誠意を感じ、自分と同じように事件に巻き込まれた “他の子どもたち”のその後を案ずる彼と行動をともにしていく――。

 

 これは、グリコ森永事件を忠実になぞりながら、未解明の部分を大胆に推理して構築した物語である。

 しかも、電話メッセージに声を使われた子どもたちの存在に深く思いを寄せて、彼らの運命を想像し描き出す。

 

 文庫本で500ページ以上あるが、一部はルポルタージュのように現実のグリコ森永事件の詳細を描きつつ進むので、必要なボリュームだと思う。

 資料を周到に研究し未解決事件の真相に迫る構成のみごとさと、犯行に利用された子どもたちの心情に思いを馳せる作家の人間的なまなざし。

 

 たいへんな力作であり、よくできた小説だと思った。

 これはおススメだが、グリコ森永事件を知らない世代は、まず事件の概要を知ってから読むとよいのではと思う。

 

 この小説にはひじょうに満足し、そして、映画の後半を楽しみに観た。

 

 それについては、次回「読んでから観た 映画『罪の声』【ネタバレ無し】」

 

 

 

 私が主催するカットイメージのセミナーや公開講座で常連のMさんが、「久しぶりに当たりでした。こんな物語を読みたかった」と言って勧めてくれたのが、横山秀夫『ノースライト』。

 さっそく取り寄せて読み始めた。

 

 

ノースライト(新潮文庫)

 

 一級建築士の青瀬稔はバブル経済期に大手設計事務所で力を発揮していたが、バブル崩壊とともに職を失い、妻も心のすれ違いから幼い娘を連れて彼のもとを去った。

 その後、大学時代の友人岡嶋が経営する設計事務所に職を得て、細々と建築士としての仕事を続けてきた。

 

 そんな彼が設計した信濃追分のY邸は、北からの光(ノースライト)を大胆に取り入れた木造の家で、『平成の建築200選』に選ばれた。

 施主の吉野淘汰は、「あなたの住みたい家を建ててください」と言って、青瀬に設計を依頼した。

 それに応えたのがY邸だったのだ。

 

 しかし、引き渡しから4カ月後、Y邸にはだれも住んでいないことが判明する。

 吉野夫妻と子ども3人も、忽然と姿を消してしまった。

 Y邸には引っ越してきた痕跡もなく、あるのは、ドイツ人の建築家ブルーノタウトの作と酷似した椅子が一脚だけ。

 吉野のゆくえを探し、青瀬はブルーノタウトとのつながりをたぐるが、断片的な手掛かりはつながらず、謎は深まるばかりだ。

 

 一方、岡嶋設計事務所は、孤独な生涯で800点の未公開作を遺した画家 藤宮春子の記念館の設計受注を賭けたコンペに臨む.。

 しかし、その選定をめぐる疑惑が持ち上がり、やがて悲劇へとつながっていく――。

 

 そうした物語の末に明らかになる真相は、とても哀しく、そして美しい。

 物語全体を通じて浮かび上がってくるのは、自身に誇れる仕事を残したいという建築家青瀬や岡嶋の思い、そして家族を思う愛。

 それが、彼らの父親世代の職人魂とも重なり、ブルーノタウトや藤宮春子、さまざまな人々の生きざまともダブってくる。

 

 悲劇もあるが、それを乗り越えて人々は前へ進み、思いは結実していく。

 まさに感動の結末と言ってよい。

 

 吉野家の失踪の謎を追っていく途中経過は少し冗長に感じる部分もあったが、読み終えた感動がそれを忘れさせてしまった。

 

 ノースライト(北からの光)の建物といえば、織物の街 桐生(群馬県)で戦前に数多く建てられた “のこぎり屋根”として知られる。

 染色の状態を自然光の下で見分ける必要から直射日光を避け、優しい北からの光を多く取り入れる工夫をしたのだ。

 

 妻が桐生市の出身なので、“のこぎり屋根” の遺構に作られたパン屋さんに行ったり、クルマで走る沿道に見かけたりしていたので、私の中にはすぐその連想があった。

       

 物語の後半、因縁が桐生につながったときには、「やはり」とうなずいた。

 桐生川ダムのイメージも含めて、個人的な記憶ともつながり、より感動が深まった。

 私の中でとても大切な一冊になったと思う。

 勧めてくれたMさんに感謝である。

 

 調べてみたらこの作品は、2020年12月12日(土)前編、19日(土)後編、NHKの土曜ドラマとして放送されている。

 

 脚本 大森寿美男
 出演 西島秀俊 、北村一輝 、田中麗奈 、柄本時生 、田中みな実

 

 これはぜひ観たいと思い、NHKオンデマンドに登録して、単品購入で観た。

 前編後編それぞれ210円で、3日間の視聴期限。 

 

 

 

 

 これも素晴らしくよかった。

 脚本がとてもよくできていて、小説ではやや冗漫に感じた途中経過もテンポよく進む。

 それでいて下手な改変はなく、原作の物語を細部まで丁寧に映像化している。

    

 主人公青瀬の風貌について、原作の中に「高倉健かゴルゴ13と喩えたくだりがあるが、違和感があった。主演の西島秀俊は、私の中では青瀬のイメージにふさわしい。

 

 信濃追分の森林、浅間山、桐生川ダムなど、風景の描写も美しい。

 この物語のモチーフである「鳥」の映像と鳴き声が随所で効果的に用いられ、鮮烈な印象を残す。

 原作の持ち味を最大限に活かし、このうえなく後味のよいドラマに仕上がっている。

 

 この作品は、ぜひ “読んでから観る”のを勧めたい。

 どちらも、割いた時間以上の満足が得られると思う。

 

 

映画を観ているみたいに小説が読める 超簡単! イメージ読書術

 

    

 

 映画『護られなかった者たちへ』は、2021年 瀬々敬久監督 出演 佐藤健 阿部寛 清原果耶……。

 予告編で観た佐藤健の眼つきがすごくて強烈な印象が残り、小説も映画も観てみたくなった。

 

 

 そこで原作小説も購入、スタンバイして、AmazonPrimeVideoで映画を観始めた。

 映画の冒頭、東日本大震災直後の風景を再現したCG映像が衝撃的で、喧騒と泣き声が満ちる避難所の様子はリアルだった。

 刑事役の阿部寛は、東野圭吾原作の映画『新参者』シリーズで演じた加賀恭一郎のイメージと区別するのが難しい。

 20分ほど映画を観て、いったん中断し、小説を読み始める。

 

 中山七里『護られなかった者たちへ』 宝島社文庫

 

 

 仙台市内で、品行方正を絵に描いたような市役所の課長と県議会議員が、相次いで殺害された。

 二人とも、手足と口をガムテープで固定し、人目に触れない廃屋に放置して、2週間ほどの苦しみの挙句に餓死させるという手口。

 最大限に苦痛を与える残忍な殺害方法から、よほどの怨恨が動機と推察された。

 事件を追う県警捜査一課の笘篠と若手の蓮田は、被害者の経歴を辿り、二人が同僚だった福祉保険事務所にたどり着く。

 

 一方、並行してもう一人の人物の姿が描かれる。

 放火の罪で10年の懲役に服し、模範囚として8年で仮釈放となった若者、利根勝久。

 彼が罪を犯した背景には、生活保護申請を拒否して老女を餓死させた福祉保険事務所職員たちへの恨みがあった。――

 

 小説を途中まで読んだら、また映画を30分ほど観たりして読み進めた。

 しかし、次第に私の中には、この物語に対する違和感が募っていく。

 

 読んでいて、犯罪の動機にまったく共感できない。  

 生活保護の申請が通らず、餓死した老女の無念を晴らすために、その窓口職員らを殺してどんな意味があるのか。 しかも8年も経ってから。

 笘篠刑事は犯人への共感を口にするが、それも理解できない。

 

 最後まで読んで、その気持ちは強まるばかりだった。

 何の救いもない。

 救いがない物語があってもいいが、その分、投げかける問いがあるはずだ。

 しかし、社会にどんな問題提起をしたいのか、それも全然わからない。

 

 映画は少し展開が違う。

 結末の残り40分は、小説の読後に観た。

 原作の根っこにある浅さや歪みは如何ともしがたいが、脚本家や演出家が、そこを何とか修正しようとした形跡は見られる。

 観る者に問題を提起し、わずかな救いの道は描こうとしている。

 

 だから、この作品が気になるむきには、映画だけ観ることを勧めたい。

 

 震災直後、孤独な三人が絆を深めていく場面は美しい。

 倍賞美津子演じる遠島けいを中心に、利根(佐藤健)と小学生の女の子 “カンちゃん”が家族のようにつながっていく。

 歳の離れた、それぞれに孤独を抱える二人の優しさが、頑なだった利根の心を開かせたのだ。

 

 それだけに、けいを餓死に追いやることになった市職員への怒りはわからなくもない。

 その結果起こる犯罪、謎の多い捜査の展開、第3の被害者に迫る危機、そして意外な結末……。

 

 物語の終盤、明らかになるけいの遺言は、涙を誘う。

 ――だが、そこに救いはない。

 

 原作に責任のある数々の疑問、納得いかない点に目をつぶれば、映画には感動できるかもしれない。  

 

 

 小説『人間失格』は高校生のとき読み、大学生で再読し、今回、映画『人間失格~太宰治と3人の女たち』(2019)を観て、このブログを書いている。

 

 そこで、「読んでから観た」というわけだが、?をつけたのは、この映画は、太宰の小説『人間失格』の映画化ではないからだ。

 太宰治自身の人生を描いた映画であり、そのタイトルとして、『人間失格』を冠したというのが正しい。

 

 監督:蜷川実花    主演:小栗旬  

 出演:宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみ、成田 凌 、千葉雄大、高良健吾、藤原竜也……

 

 

 

 実際に映画を観ると、蜷川実花の映像美学に驚かされる。

 室内のつくり、調度品、服装、それらの色合い、デザインが強烈なインパクトを与える。

 また、戦後の街並みを見事に再現したCG映像もリアルで美しく、郷愁をそそる。

 

 そして、配役の妙とその役づくりが興味深い。

  

 脇役から言えば、坂口安吾が藤原竜也なのは、かっこよすぎる。

 しかし、敢えてした配役なのだと思う。

 坂口安吾は、蜷川監督にとってはきっと美男子なのだ。

 

 高良健吾の三島由紀夫はお見事。

 ストイックな風貌、死を意識した厳しい生き方など、晩年の三島をよく表している。

 三島は当時23歳で作家デビューを果たしたばかりだから、実際はもっとひ弱で神経質な感じではないかと思うが、それもご愛敬である。

 

 そして、タイトルにあるように太宰をめぐる三人の女。

 太宰の才能を信じて忍耐強く家庭を守る妻=宮沢りえ

 文才と功名心のあるセレブで、太宰の子を産み、堂々と生きる女、太田静子=沢尻エリカ

 正妻の地位も子どももなく、太宰とともに死ぬという至福だけを求める女、山崎富栄=二階堂ふみ

 

 女たちはそれぞれに異なるしかたで太宰を愛する。

 おのおのの人物造形と演技は、見事なものだ。

 それだけに、中心にいる太宰がつまらない男に思えてくる。

 

 小栗旬が太宰をどう演じるのか、というのがこの映画の大きな魅力だと思うが、映画から見えてくる太宰像は、騒がしいばかりで深みに欠ける。

 映画で描かれた太宰のメチャクチャな生活ぶりは、確かに史実通りなのだろう。

 だが、作品から伺える太宰の内面がもっと表現されるとよかったと思う。

 

 実際に太宰の小説を読むと、臆病でどうしようもない男が、それでも精一杯生きようとしてうまくいかない哀れさが伝わってくる。

 それがこの映画からは感じられなかった。

 

 調べてみたら、この映画の前に生田斗真演じる『人間失格』がある(2009 荒戸源次郎監督)。

 こちらは原作を映画化した形のようなので、いつか観てみたい。

 正直、生田斗真も太宰のイメージではないが、もう少し繊細な演技をしてくれそうである。

 もちろん『人間失格』の主人公葉蔵=太宰治ではないから、葉蔵は葉蔵としての人物造形がありうるし。

 

 

  ちなみに他に私の心に残る太宰原作の映画と言えば、 『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ』(2009 根岸吉太郎監督  松たか子 浅野忠信 )。

 

 松たか子演じる健気でポジティブな妻が、とても魅力的だ。

 こちらはおススメである。

 

 

 

 

 又吉直樹の小説『劇場』(2017)は、芥川賞受賞『火花』に次ぐ第2作。

 

 無名劇団の脚本・演出家として、恋人に経済的に依存して暮らす男永田。

 彼の才能を「すごい」と無邪気に信じ、尽くす恋人紗希。

 

 映画は、監督:行定勲、主演:山﨑賢人、松岡茉優で、2020年公開。

 

 例によって映画の予告編を観てから読んだ。

 恋人紗希は基本、松岡茉優のイメージで読める。

 

 しかし、私の中で主人公永田は、山崎賢人のイメージにはならない。

 乱れた長髪と無精ひげでやつしても、山崎賢人の品のよい美少年っぽさはごまかせない。

 私小説と思ってはいないが、読みながら私の脳裏に浮かんでくるイメージは、作者又吉直樹に近い。

 強烈な内面的個性を秘めて鋭い目で世界を眺めており、笑顔がいつも薄ら笑いにしか見えない。

 

 永田の一人称語りなので、その内面の葛藤はさまざまに語られる。

 自分自身へのいらだち、恋人への感謝と申し訳なさ。

 演劇への一途な思い、あるいは他人の才能への嫉妬の炎。

 

 紗希とふざけるやりとりや、照れ隠しのように独りでしゃべり続けることば、演劇仲間との激しい応酬など、会話のディテールに迫力がある。

 ヒモと彼女、と言えば片づいてしまうシチュエーションだが、“ヒモ男”への偏見をひとまず脇に置いて、素直に物語を追っていく。

 すると、永田のことばには心を揺さぶられるし、紗希との恋愛のゆくえはとても切ない。

 

 同棲しているのに性愛的なシーンが全くない点にも、この物語への筆者の思いが伺える。

 世間の価値観を超えたところにある、純粋な恋愛を描きたかったのだと思う。

 読み終えて、永田と紗希のいくつものシーンが、美しく心に残った。

 

 さて、これをどうやって映画にしたのだろうか。興味深く、AmazonPrimeVideoで観た。

 

 

 文庫本200ページ余りの中編小説を映画にすると、ちょうど2時間半になるのか、と納得してしまうほど、原作を忠実に映像化した作品だと思った。

 

 観ていると、「あ、この場面は観た」(読んだ、ではなく)と思ってしまうことが何度もあった。

 例によって予告編を観てから小説を読んだせいでもあるし、これこそ “カットイメージの効果の証” とも言えるが、原作をいかに映像にするか、製作者たちが腐心した結果だと感じる。

 

 その意味では、原作を読んでいて感じたつらさやもどかしさを、再び味わうことのできる時間だった。

 そして、観ているうちに気づいたのが、配役の妙。

 

 松岡美憂は小説を読み始めた段階で適役と思ったが、映画を観ても、まさに紗希そのものだった。

 一方、当初、イメージが合わないと思っていた山崎賢人の配役の意味が、映画を観るうちに腑に落ちてきた。

 

 紗希の前では子どものようになってしまう永田。

 女を食い物にする、横暴なヒモ男ではなく、誰の中にもある、幼くて弱い、でも純粋な部分を失わずにいる男。

  

 その傷つきやすい心をごまかすことができず、もて余す永田は、素の自分を紗希の前でさらけ出し、紗希の愛の中で幼児のように安心して眠る。

 ヨレヨレのシャツを着た、ぼうぼう髪とひげの姿に似合わぬ、山崎賢人の童顔と曇りのない眼が、幼く、優しさに飢えた内面のおびえを、垣間見せる瞬間があるのだ。

 

 小説の主要な部分を占めるドロドロした内面語りがない分、永田の内面は外から観た行動、セリフ、表情から読み取るしかない。

 山崎賢人のもつピュアな存在感が、この恋愛物語の純粋さを際立たせている。

 

 そして、エンディングには、小説にはない、というより映画にしかできない巧みな演出があった。

 このエンディングを観るためにこそ、冗長とも言える2時間半はあった、と感じる。

 小説と同じく、これもまた心に残る、切なく、美しいラストシーンである。

 

 

 

  

 前回(①)の続き。

 

 映画『ラブレター』(1995 岩井俊二監督 中山美穂 豊川悦司)の続編を思わせる『ラストレター』。

 岩井俊二監督自身による小説『ラストレター』を、“観ながら読む”つもりで、まず映画を観始めた。

 

 

 
 
 

  

  高校時代と現代との交錯、手紙のやりとりというロマンチックな展開は、やはり『ラブレター』を連想させる。

 2時間の映画の半分、約1時間観て一度中断し、小説を読み始めた。

 

 

  冒頭から驚いたのは、乙坂鏡史郎の一人称で書かれ、彼が書いた小説だということだ。

  本の扉の裏には、こんな献辞が書かれている。

  

  美咲へ

    これは君の死から始まる物語だ。

    君が本当に愛していただろう、そしてきっと君を愛していただろう、

    そんな君の周りの愛すべき人々の、ひと夏の物語でもある。 

    そして、同じそのひと夏の、僕自身の物語でもある。  (以下、2行略) 

 

 本文は乙坂鏡史郎の主観が色濃く出た文体で、小説ならではの「語り」の魅力を存分に発揮している。

 これは映画にはできないことで、岩井俊二はほんとうにメディアの特性を知り尽くし、それを巧みに使いこなす表現者なのだ。

   

 ときどき、あとで裕里から聞いた(取材した)エピソードを、三人称的に描写し、映画と同じストーリーを展開する。

 ただ、ところどころ設定が違っている。

 小説と映画の特性に応じて設定を変えているのだろう。

 

 そうして小説は、乙坂鏡史郎自身の生き方の甘さを追い詰めていく展開になる。

 一気に最後まで読みたいと思ったが、結末の20ページほどを残して、最後は映画で味わうことにした。

 やはり岩井俊二の表現フィールドのメインは映画ではないか、と思ったからだ。

 

 そして観た後半、期待を裏切ることなく、切ないが、美しい映画だった。

 とりわけ、高校時代と瓜二つの姿で、乙坂の前に現れる二人の少女。

 広瀬すずと森七菜の一人二役の妙で、乙坂が感じた目眩のような幻覚感を、私たちも体験できる。

 

 だから、最後は映画で観てよかった。

 

 やはり岩井俊二は映画監督なのだ。

 器用に小説も書ける映画監督なのだ。

 

 この作品、まずは映画を映画として純粋に楽しむことをおススメする。

 後で小説を読めば、乙坂鏡史郎の内面をじっくりと味わえる。

 また、あえて映画で設定を変えた部分について、脚本化の意図を考えるのもおもしろい。