前回(①)の続き。
映画『ラブレター』(1995 岩井俊二監督 中山美穂 豊川悦司)の続編を思わせる『ラストレター』。
岩井俊二監督自身による小説『ラストレター』を、“観ながら読む”つもりで、まず映画を観始めた。
高校時代と現代との交錯、手紙のやりとりというロマンチックな展開は、やはり『ラブレター』を連想させる。
2時間の映画の半分、約1時間観て一度中断し、小説を読み始めた。
冒頭から驚いたのは、乙坂鏡史郎の一人称で書かれ、彼が書いた小説だということだ。
本の扉の裏には、こんな献辞が書かれている。
美咲へ
これは君の死から始まる物語だ。
君が本当に愛していただろう、そしてきっと君を愛していただろう、
そんな君の周りの愛すべき人々の、ひと夏の物語でもある。
そして、同じそのひと夏の、僕自身の物語でもある。 (以下、2行略)
本文は乙坂鏡史郎の主観が色濃く出た文体で、小説ならではの「語り」の魅力を存分に発揮している。
これは映画にはできないことで、岩井俊二はほんとうにメディアの特性を知り尽くし、それを巧みに使いこなす表現者なのだ。
ときどき、あとで裕里から聞いた(取材した)エピソードを、三人称的に描写し、映画と同じストーリーを展開する。
ただ、ところどころ設定が違っている。
小説と映画の特性に応じて設定を変えているのだろう。
そうして小説は、乙坂鏡史郎自身の生き方の甘さを追い詰めていく展開になる。
一気に最後まで読みたいと思ったが、結末の20ページほどを残して、最後は映画で味わうことにした。
やはり岩井俊二の表現フィールドのメインは映画ではないか、と思ったからだ。
そして観た後半、期待を裏切ることなく、切ないが、美しい映画だった。
とりわけ、高校時代と瓜二つの姿で、乙坂の前に現れる二人の少女。
広瀬すずと森七菜の一人二役の妙で、乙坂が感じた目眩のような幻覚感を、私たちも体験できる。
だから、最後は映画で観てよかった。
やはり岩井俊二は映画監督なのだ。
器用に小説も書ける映画監督なのだ。
この作品、まずは映画を映画として純粋に楽しむことをおススメする。
後で小説を読めば、乙坂鏡史郎の内面をじっくりと味わえる。
また、あえて映画で設定を変えた部分について、脚本化の意図を考えるのもおもしろい。