鹿児島倉敷EVドライブレポート11九州道8熊本北SA上りで2回目の充電 | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
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を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。

COVID-19による影響が世界を混乱の渦に巻き込んで早3年。

 

日本国では令和5(2023)年5月8日をもって政府による制限が実質的に解除され

コンサートや祭り、様々なイベントなどが数年ぶりに復活しました。

この混乱が収束しているのかどうか分かりませんが、無事息災であることの幸せを噛み締めています。

 

 

令和元(2019)年9月某日午後7時前

 

ゴッチ本部長の所有する

 

日産LEAF(初代)30Sを倉敷まで運ぶ役目を果たすため

 

屋久島からクルマをフネに載せ鹿児島本港に上陸

 

一路倉敷を目指して高速道路ドライブを慣行したときの様子をレポートしています。

 

(E3九州自動車道の北熊本SA上り)

 

(E3九州自動車道の城南SIC手前にある塚原古墳群の真下を通るトンネル)

 

(E3九州自動車道18八代IC上り)

 

(E3九州自動車道の肥後トンネル上り6331m)

 

(E3九州自動車道えびのPA上り)

 

 令和元(2019)年9月下旬に実施した

 

〇〇電力担当者様との協議会参加のための屋久島訪問ミッション

 

そのときの模様をレポート、無事に鹿児島中央駅まで到達し

 

楊田が一人でナイトEVドライブした模様をレポートしています。

 

出発地点はJR鹿児島中央駅

 

E3九州自動車道を只管(ひたすら)北上し

 

1箇所目の充電ポイントえびのPA上りで小休止

 

山江SA上りは通過し

 

淡島(あわしま)トンネル上りから始まる23本もの連続トンネルを通過し

 

久しぶりの平地走行へ

 

18八代ICを通過し平野部走行モードとなり

 

塚原(つかわら)古墳群保全のため敢えて掘られた

 

塚原トンネルを通過した様子までレポートしました。

 

 

 

先回は短めですが

 

非常に貴重な史跡

 

塚原古墳群について紹介したため

 

-緑川PA    186.7 159.5

 

を通過したときの様子から紹介します。

 

 

緑川PAが位置するのは

 

人口約1万人の

 

上益城郡甲佐町(こうさまち)です。

 

 

甲佐町(こうさまち)を越えますと

 

北隣の町名は

 

人口約1.7マン人の

 

上益城郡(かみましきぐん)御船町(みふねまち)となり

 

16御船IC    門司ICから183.1km 鹿児島ICから163.1km

 

を通過します。

 

 

御船町(みふねまち)の由来は

 

4世紀ごろの景行天皇の御世まで遡るそうです。

 

「御船町の名は、景行天皇の九州平定ご巡幸の際、その「御船(おんふね)」が着岸したことによって名づけられたと伝えられる。

南北朝のころは、阿蘇氏の一族、御船氏が支配。

戦国時代は御船行房が支配。行房は阿蘇氏の智将、甲斐宗運に討たれ、甲斐氏が支配。

1587年(天正15年)、豊臣秀吉によって肥後国は2分され、小西行長が支配。

関ヶ原の戦いで行長が滅ぼされると、加藤清正が支配。さらに1633年、加藤忠広の改易により細川忠利が支配。以後、細川氏が明治まで支配。

加藤、細川の時代には、豪商の町「御船」の名は関西まで知られ県内第一の町として栄えた。

その後、明治を経て大正になり、文明開化とともに交通が発達するに従い、御船の名は影を薄めたが、昭和30年(1955年)の合併に際しても町名は「御船町」を残した。」

 

(出典:ウィキペディア御船町 - Wikipedia

 

そのようなE3九州自動車道ドライブ

 

今回紹介するコースは

 

北熊本SAに到達した様子までの紹介となります。

 

施設番号、施設名、門司ICからの距離(km)、鹿児島ICからの距離(km)

29鹿児島IC    346.2  0

28鹿児島北IC    341.9 4.3

-鹿児島TB    336.7 9.5 (以上、3まで)

27薩摩吉田IC    334.8 11.4

26姶良IC    326.2 20

<25-2>    桜島SA/SIC    323.6 22.6 (以上、4まで)

25加治木IC

25-1加治木JCT    317.5 28.7

24溝辺鹿児島空港IC    309.8 36.4

-鹿児島空港南BS    308.6 37.6

-溝辺PA    302.7 43.5

23横川IC    296 50.2

22栗野IC    290 56.2(以上、5まで)

-吉松PA    281.6 64.6 

21えびのJCT    276.4 69.8
20えびのIC    274.3 71.9
-えびのPA    271.9 74.3(以上、6まで)

-加久藤TN    -

-人吉南BS    256.4 89.8

-人吉仮出入口    256.2 90 

 人吉球磨SIC    255.8 90.3

-人吉TB    252.1 94.1

19人吉IC    252 94.2

-山江SA    248 98.2 (以上、7まで)

-小鶴BS    242.4 103.8
-肥後TN    -     (以上、8まで)
-坂本PA    222.1 124.1

18-1八代JCT    214.6 131.6

18八代IC    213.5 132.7 (以上、9まで)29鹿児島IC    346.2  0

-宮原SA    208.8 137.4

17-1宇城氷川SIC    204 142.2

17松橋IC    195.1 151.1

16-1城南BS/SIC    189 157.2(以上、10まで)29鹿児島IC    346.2  0

-緑川PA    186.7 159.5

16御船IC    183.1 163.1

15-2嘉島JCT    180.7 165.5
15-1益城熊本空港IC    176.4 169.8
-託麻PA    174.3 171.9

15熊本IC    171.2 175

-北熊本SA    162.2 184   (以上、今回まで)

-北熊本SIC 

14植木IC    157.3

13菊水IC    146.6

-玉名PA    142.7

12南関IC    135

-山川PA    128

11-1みやま柳川IC    125.6
11八女IC    118.4
-広川SA    113.6
10-1広川IC    113.2
10久留米IC    105.4
-味坂SIC
9鳥栖JCT    96.1

-基山PA    90.8

 筑紫野IC    86.9

8太宰府IC    80.1

7-1須恵PA/SIC    73.4

7福岡IC    68.3

6古賀IC    57.7

-古賀SA    54.5
5若宮IC    45.2
4-2宮田SIC    42.1

-鞍手PA    36.3

4-1鞍手IC    36.1

-直方PA    34.9
4八幡IC    31.4

3小倉南IC    20.2

2-1北九州JCT    16.5

2小倉東IC    13.4

-吉志PA    6.2

1-1新門司IC    4.4

1門司IC    0

(参考:ウィキペディア九州自動車道 - Wikipedia

 

E77九州中央自動車道 と接続する

 

15-2嘉島JCT  が近づいて来ました。

 

「九州中央自動車道(きゅうしゅうちゅうおうじどうしゃどう、英語: KYUSHU-CHUO EXPWY)は、

熊本県上益城郡嘉島町の嘉島ジャンクション (JCT) から宮崎県延岡市の延岡JCTに至る、

全長約95キロメートル (km) の高速道路(高速自動車国道および高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路)である。

略称は九州中央道(きゅうしゅうちゅうおうどう)。

国土開発幹線自動車道の路線名は九州横断自動車道延岡線である。

九州の中南部を東西に横断する高速道路であり、九州自動車道と東九州自動車道を接続する。

同じく九州を東西に横断する高速道路である長崎自動車道・大分自動車道が九州の北寄りに位置する長崎県・佐賀県・福岡県・大分県を結ぶのに対し、

本路線は隣県でありながら九州山地に阻まれ往来が盛んでなかった熊本県と宮崎県北部を結んでおり、

両地域の交流促進が期待されている。」

 

(出典:ウィキペディア九州中央自動車道 - Wikipedia

 


15-2嘉島JCT    門司ICから180.7km 鹿児島ICから165.5km

 

を通過します。

 

 

嘉島JCTがある

 

人口約1万人の嘉島町(かしままち)

 

北益城郡です。

 

 

嘉島町を通過しますと、その北隣は

 

人口3.3マン人

 

北益城郡の益城町(ましきまち)です。

 


15-1益城熊本空港IC    は、門司ICから176.4km 鹿児島ICから169.8km の地点です。

 

 

益城町についてもウィキ記事を読み込みましょう。

 

「熊本市東部に隣接し、熊本県のほぼ中央からやや北寄りに在る。

 

 東部から南部にかけては九州山地に属する城山(480メートル)をはじめ朝来山(405メートル)、船野山(308メートル)、飯田山(431メートル)の四峯が連なっている。 

 

北部は益城台地(高遊原台地)と呼ばれる畑作地が広がっている。 

 

中央部は熊本平野の一環を形成しており水田地帯が広がっている。 

 

河川はすべて緑川水系に属し木山川、赤井川、秋津川、金山川などが東から西へ向けて流れている。

熊本空港や九州自動車道の益城熊本空港インターチェンジなどがある交通の拠点で、熊本市のベッドタウンとして住宅街の役割も果たしている。」

 

(出典:ウィキペディア益城町 - Wikipedia
 

 

 

そして何よりも、平成30(2016)年4月に発生した熊本地震により

 

大きな被害が出た地域でもあります。

 

「2016年(平成28年)4月14日午後9時26分頃と4月16日午前1時25分頃に発生した「平成28年熊本地震」(14日が前震、16日が本震とされる)で2度とも震度7を観測し、大きな被害を受けた。本震での震度は当初、地震による影響で情報がすぐに確認ができなかったことから「不明」であった。ちなみに本震では、益城町宮園にある震度計が、国内観測史上最大の計測震度である、計測震度6.78を記録している。

益城町では同年12月に復興計画を策定、現在も復興・復旧事業が進められている。

1980年(昭和55年)に建てられた鉄筋コンクリート造・3階建の町役場庁舎も地震で大きく損傷し使用不能となり、町公民館と仮設プレハブ庁舎で業務を行ったのち、2017年(平成29年)5月8日より宮園702番地から木山594番地の仮庁舎へ移転して業務を行っていた。

2023年(令和5年)、益城町大字宮園に建設された新庁舎で落成式が3月28日に行われ、5月8日から業務を開始した。」

 

(出典:ウィキペディア益城町)

 

 

そうこう(走行)謂うておりますううち

 

再び

 

人口約74マン人

 

県都熊本市に入ってきました。

 

 

熊本市エリアに入ってまず通過したのは

 

-託麻(たくま)PA    門司ICから174.3km 鹿児島ICから171.9km です。

 

詫麻PAにはお手洗いと自販機が備えられているのみですが

 

このような場所にもEV用急速充電器の設置が求められる、と確信しています。

 

 

県都熊本市の玄関口である熊本ICまで、あと2km

 

 

熊本ICの開通は

 

昭和46(1971)年6月30日

 

とのことですから

 

日本で最初に開通した、名神高速道路(昭和38(1963)年7月16日)

 

の数年後ではあるものの

 

我が国ニッポンのモータリゼーション急速進化を象徴する高速道路国道の一つとして

 

E3九州自動車道

 

という名は、歴史に刻み込まれていることでしょう。

 

 

15熊本IC    門司ICから171.2km 鹿児島ICから175km

 

この辺りがE3九州自動車道の中間地点となることを、今更ながら、実感致しました。

 

 

この辺りは熊本市の東区とのこと。

 

人口約19マン人は熊本市内で最大の行政区とのことです。

 

(参考:ウィキペディア東区 (熊本市) - Wikipedia

 

 

「東区(ひがしく)は、熊本市を構成する5区の行政区の一つである。熊本市の行政区で人口が最も多い。

熊本市の東部に位置し、以前の町村では画津村(1932年に熊本市と合併)、健軍村の大部分(同1936年)、秋津村(同1954年)、託麻村の大部分(同1956年・1970年)の4村にあたる。北・西・南の3区は平成に入ってから熊本市となった地域を含むが、東区はすべて1970年(昭和45年)までに熊本市に併合された地域である。北区、中央区、南区のほか、菊陽町、益城町、嘉島町と隣接する。北区との境界は白川となっており、嘉島町との境界付近には加勢川が流れている。南西部には江津湖がある。」

 

(出典:ウィキペディア東区(熊本市))

 

 

全長約340km余りのE3九州自動車道を北上中の

 

日産自動車LEAF30S

 

程なく、熊本市と隣接する

 

人口約6.4マン人

 

合志市(こうしし)エリアに入りました。

 

 

合志市(こうしし)は、県都熊本市に隣接しているため

 

ベッドタウンエリアとして現在でも人口が増加中とのことです。

 

 

そして道は再び、県都熊本市内エリアに入ります。

 

人口約14マン人

 

熊本市北区です。

 

(参考:北区 (熊本市) - Wikipedia

 

 

熊本市北区内にある

 

北熊本サービスエリア に無事、到達しつつあります。

 

 

-北熊本SA    門司ICから162.2km 鹿児島ICから184km

 

 

E3九州自動車道ドライブも後半戦に差し掛かったことを示す場所まで、到達したことになります。

 

 

熊本北SA上りを利用するのは初めてのことでしたし

 

EV用急速充電器の場所探しも初めてのことでした。

 

 

充電器へと繋がる進行方向は、ここを左に曲がるようです。

 

そうそう

 

熊本市北区を解説するウィキ記事で<こころ>に引っ掛かった言葉は

 

田原坂(たば「る」ざか)

 

(参考:ウィキペディア田原坂 - Wikipedia

 

「西南戦争/西南の役(せいなんせんそう/せいなんのえき)は、

 

1877年(明治10年)1月29日から9月24日に

 

現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において

 

西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱。

 

明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、

 

日本最後の内戦でもある。」

 

(出典:ウィキペディア西南戦争 - Wikipedia

 

人吉、御船など、数々の激戦地を通過したことを、今更ながら知るに至りましたし

 

ここから近くに田原坂があるということですから

 

熊本城見学も含めて

 

西南戦争ゆかりの地を巡礼の旅もセッティング・実行したいです。

 

 

「田原坂(たばるざか)は、熊本県熊本市北区植木町豊岡一帯の地名。

西南戦争の最大の激戦地として知られ、国の史跡に指定されている。また同地に因んだ民謡の曲名にも使用されている。

田原坂公園はツツジや桜の名所として知られる。園内には西南戦争時の激戦の跡を遺した資料館があり、往時の戦いを知ることができる。また近くに官軍墓地がある。民謡はこの戦いを歌ったもので日露戦争当時に士気高揚のため作られた。またこの場所は金峰山県立自然公園に指定されており、2013年3月には「西南戦争遺跡」の一部として国の史跡に指定された。

映画『ラスト サムライ』のクライマックスの峡谷は、田原坂・吉次峠の戦いがモデルになったと思われ、劇中の風景が田原坂に似ている。」

 

(出典:ウィキペディア田原坂)

 

 

「近因(私学校と士族反乱)

赤龍丸と弾薬掠奪事件

西郷隆盛暗殺計画

西郷軍の結成と出発

征討軍派遣

熊本城強襲と植木・木葉の戦い

薩軍主力北部進出と高瀬の戦い

田原坂・吉次峠での激闘

衝背軍の日奈久上陸と熊本城解放

城東会戦

薩軍の三州盤踞策と人吉攻防戦

大口方面の戦い

鹿児島方面の戦い

都城方面の戦い

豊後・美々津・延岡方面の戦い

可愛岳突囲

山岳部踏破と帰薩

城山籠城戦

戦後処理」

 

(出典:ウィキペディア西南戦争)

 

 

まだまだ、知らないことば多すぎます。

 

 

熊本エリアだけでなく

 

全国至る所に残されている

 

歴史・文化・地理的環境などなど

 

一つでも多くのことを見聞きし、学び、<ミライ>に活かしたいと思う次第です。

 

 

日時は令和元(2019)年9月某日の午後9時半頃

 

 

EV用急速充電器は、無事、空いていました。

 

 

此れで、待ち時間なしで、充電開始することができますけれども

 

 

えびのPAから一気に100kmほど北上してきたため

 

電池残量は僅かです。

 

 

なので、午後9時半より

 

ここ熊本北SAで

 

30分の充電を開始します。

 

 

10月が近づきつつありましたが

 

残暑厳しい令和元年

 

夜9時を過ぎても、まだまだ、温かい気候であった記憶が残って居ます。

 

 

温かい気候であるからこそ

 

或ることが気になり始めました。

 

 

それは、日産LEAF特有の問題です。

 

30分の充電で何と!

 

17.2kWhもの電力

 

すなわち、たった30分で一般的な家庭での電力消費1.5日分

 

を充電することができる程の状態だと

 

発熱の問題が気になり始めた次第です。

 

というわけで(何が)

 

次の写真をご覧下さい。

 

 

見慣れた<ひと>には、「何を今更」でしょうけれども

 

午後10時過ぎ、充電完了した夜の時間帯でも気温25度ほどの温かい陽気の中

 

93%の充電量を確保した結果

 

残り136kmの走行可能距離を確保しましたが

 

電池の温度計は危険帯であるレッドゾーンに突入してしまいました。。。

 

 

 

 

ゴッチ本部長の日産自動車LEAFで

 

鹿児島から倉敷を目指すEVドライブの旅

 

次回も、お楽しみに!!

 

 

・・・・・今回ドライブのおさらい・・・・・

 

令和元(2019)年9月某日午後7時前

 

JR鹿児島中央駅を出発し

 

鹿児島県道24号鹿児島東市来線と合流し、南方向へ向け進み

 

人口約60マン人

 

九州では福岡市(160万人余り)、北九州市(100万人弱)、熊本市(70万人余り)

 

に続く第4位の都市である

 

県都鹿児島市の中心部を走行し

 

(参考:ウィキペディア鹿児島市 - Wikipedia

 

総走行距離約700kmのEVドライブが始まります。

 

倉敷市内にあるエコノミライ研究所本部まで無事に走破することが、今回のミッションです。

 

ドライブしているクルマは

 

ゴッチ本部長の日産LEAF(初代)の30Sタイプです。

 

日産LEAFは、三菱自動車のi-MiEVに遅れること約1年

 

2010年にデビューした

 

日産自動車初の本格量産型EVであり

 

EV専用設計車両としての本格量産型EVとしては世界初のクルマです。

 

ゴッチ本部長は、このクルマを2016年頃導入

 

当初は補助金対応であったため、4年間は社用車としての利用でしたが

 

2020年シーズンからは

 

ワンズレンタカー屋久島空港店所属のリース車両として運用しています。

 

 

・・・・・中略・・・・・

 

 

E3九州自動車道最重要の「オアシス」ともいえる

 

山江SA上りを通過しますと

 

いよいよ

 

大小23本ものトンネルが待ち構えます。

 

 

23全長1801mの淡島トンネル上り
 

 

22柚木河内(ゆのきこうち)トンネル上り590m

 

 

21屋形(やがた)トンネル上り390m

 

 

20子鶴(こづる)トンネル上り190m

 

19万恵(まえ)第二トンネル上り280m

 

18万恵(まえ)第一トンネル上り490m

 

17白岳(しらたけ)第二トンネル上り200m

 

16白岳(しらたけ)第一トンネル上り290m

 

を通過しますと

 

その先には、いよいよ

 

E3九州自動車道で最長となるトンネル

 

 

 

15肥後トンネル上り6330m

 

が近づいてきたことを意味します。

 

 

肥後トンネル上りに入って

 

330m進みますと残り「6km」なのだ、と思いますが

 

と指し示す壁面塗装の存在も

 

きが引き締まる思いを抱く原因でもありました。

 

 

残り「2km」?

 

ポイントの辺りで

 

山江村が終わり

 

北隣の人口約12マン人

 

八代市に入ってきました。

 

通常はタンクローリー車が通過できない

 

とても長いトンネルです。

 

 

次の八代ICまで到達するには

 

残り14本ものトンネルを通過しなければなりません。

 

14登俣(のぼりまた)トンネル上り860m

 

13鮎帰(あゆがえり)トンネル上り640m

 

12日光谷(にちこうだに)トンネル上り220m

 

11大手木(おおてぎ)トンネル上り390m

 

10古屋敷(ふるやしき)トンネル上り100m

 

9坊ノ木場(ぼうのこば)トンネル上り120m

 

8上片岩(かみかたいわ)トンネル上り130m

 

坂本PAを通過しますと

 

残りのトンネルはあと7本

 

7馬廻(まめぐり)トンネル上り210m

 

に差し掛かります。

 

7本のトンネルをそれぞれ通過する間に

 

1級河川の球磨川を2度、跨ぐようになります。

 

6生名子(おいなご)トンネル上り830m

 

球磨川を渡った先にあるトンネルは

 

5原女木(はらめき)トンネル上り480m

 

ひらがなの「つ」の字のように蛇行する球磨川の川縁(かわべり)を貫くようにしてできたのが

 

ここ原女木(はらめき)トンネル上り480mです。

 

再び球磨川を渡ったその先にある

 

4横石(よこいし)トンネル上り120m

 

に差し掛かりますと

 

針路は若干、北西方向へと向きが変わりますが

 

3段(だん)トンネル上り480m

 

に差し掛かりますと進行方向は、ほぼ真北となります。

 

 

2八丁山(はっちょうやま)トンネル上り1950m

 

 

1大平山(おおひらやま)トンネル上り1190m

 

に差し掛かります。

 

23本もの連続トンネル最後のトンネルです

 

 

2八丁山トンネル

1大平山トンネル

 

という連続トンネルの間の5km程で標高差は一気に100m異なりますから

 

下り線の自然渋滞が発生しやすいとのことです。

 

(参考:ウィキペディア大平山トンネル (熊本県) - Wikipedia

 

 

なにはともあれ

 

令和元(2019)年9月某日の

 

午後9時前頃

 

連続23本ものトンネルゾーンを漸く抜け出し

 

平野部ゾーンのドライブへとモードが変わりました。

 

 

18八代IC    門司ICから213.5km 鹿児島ICから132.7km

 

スタート地点の鹿児島中央駅からドライブすること約1時間半ほどで

 

18八代ICまで到達することができました。

 

 

18八代ICを通過しますと

 

しばらくは平野部走行となります。

 

標高300m前後の高地にある

 

えびのPAから一気に下ってきた関係で

 

電池残量もまだまだ十分余裕がありますから

 

E3九州自動車道の熊本エリアに位置する

 

宮原SAを通過します。

 

 

宮原SAを通過したということは

 

八代郡の氷川町(ひかわちょう)に入っていることを示しています。

 

 

その氷川町の最寄ICである

 

17-1宇城氷川SIC    門司ICから204km 鹿児島ICから142.2km

 

を通過します。

 

 

 

17松橋IC    門司ICから195.1km 鹿児島ICから151.1km

 

を通過します。

 

17松橋ICは

 

人口5.5マン人の宇城(うき)市

 

にあります。

 

 

宇城市には、筆者楊田も嘗て修学旅行で

 

九重連山

阿蘇山

天草諸島ドライブ

三角(みすみ)港

 

を経て対岸の島原市へフネに乗った記憶がありますが

 

宇城市へも訪問していたこともまた、今更ながら思い出します。

 

 

今回は次々と行政区が変わります。

 

八代市、氷川町、宇城市に続き、人口約74マン人、九州第3の大都市である

 

県都熊本市に入ってきました。

 

 

熊本市は、政令指定都市であり、5区画に分かれています。

 

(参考:ウィキペディア熊本市 - Wikipedia

 

 

そうこう(走行)云うておりますうち

 

見慣れないカタチのトンネルが迫ってきました。

 

平野部なので、どの辺りに位置するトンネルなのか調べて行きましたら

 

ビックリ

 

 

塚原古墳群 の真下を貫いているトンネル

 

に差し掛かって居たことを、今更ながら知り、驚きました。

 

 

「塚原古墳群(つかわらこふんぐん)は、熊本県熊本市南区城南町塚原にある古墳群。

九州自動車道建設工事の際に発見され、保存のため「高速道路がすぐ真下を通過している」という極めて珍しい特徴を持つ古墳群となった。本記事では古墳群周辺を整地した塚原古墳公園(つかわらこふんこうえん)と敷地内にある熊本市塚原歴史民俗資料館(くまもとしつかわられきしみんぞくしりょうかん)、および真下を通過している塚原トンネル(つかはらトンネル)についても述べる。

概要
同古墳群は、熊本県下最大で日本有数の規模を誇る古墳群であり、4〜6世紀に造成された。江戸時代の『肥後国誌』や『古今肥後見聞雑記』にもその存在が記述されているとされる[1]。1972年の九州自動車道建設に伴って発掘調査が開始され、方形周溝墓や円墳、前方後円墳など膨大な数の古墳が検出された。1976年に国の史跡へ指定された後、同地は「塚原古墳公園」として整備されている。出土した土器や資料は、公園内の歴史民俗博物館で見ることができる。

現在、調査・整備がなされているのは九州道の用地上のみにとどまっているが、それだけでも方形周溝墓39基、円墳・小円墳34基、前方後円墳1基、石棺18基、石蓋土拡1基が発見されている。公園内にある南北2つの丘陵のうち、主に北側丘陵の南に大型の方形周溝墓が集中しており、円墳は北側丘陵の周辺と、南側丘陵の南に大規模なものが集中している。前方後円墳は3基が存在したといわれているが、そのうち琵琶塚古墳と花見古墳が公園内に位置している。公園外にもこのような古墳が多数存在していると考えられ、実際1975年には塚原台地全体を試掘調査したことによって、古墳群が九州道の用地外にも幅広く及んでいることと、同地に集落が営まれていたことが確認されている。周辺地域も含めて調査済の古墳は203基あり、未調査のものを含めると同古墳群を形成する古墳は全部で500基近くあるのではないかと考えられている。

2016年の熊本地震では、墳丘内の家形石棺が破損したり、案内板が落下したりする被害が出た。」

 

(出典:ウィキペディア塚原古墳群 (熊本市) - Wikipedia

 

そのような塚原(つかわら)古墳群を見学するための最寄SICともいえる

 

16-1城南BS/SIC    189 157.2

 

を通過します。

 

 

塚原古墳群の見学は

 

このSICで高速道を退出し

 

高速道路の東側、南方面へ進むと

 

専用駐車場があるようです。

 

 

熊本市南区城南町を抜けて

 

上益城郡(かみましきぐん)甲佐町(こうさまち)

 

に入ってきました。

 

 

 

 

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【推敲】Gミーヴ倉敷東京往復ドライブ2019春1-1本部→淡河(おうご) 2022-09-17 07:00:00

 

 

<関連シリーズ>

ジャパンEVラリー白馬2018の思い出1(2018.9.22)

 

ジャパンEVラリー白馬2019の思い出2_エコノミライ研究所メンバーそれぞれの旅立ち(2019.9.14)

 

【新シリーズ】20190428Gミーヴで東京往復_01平成最後のEVロングドライブへ 2020-10-24 07:00:00

 

 

【新シリーズ】e-NV200「えこの弐」号で関東出張_00移動をした前提(2020.5.16)

 

<蛇足「えこの弐」とは>

エコノミライ研究所のブログを最初からお読み下さっている方々には、説明不要かもしれませんけれども

過去記事がありますので、リンクを貼っておきます。

 

ご参考になれば幸いです。

HハンドルNネーム、e-NV200について(2017-09-09)

 

<蛇足「Gミーヴ」とは>

エコノミライ研究所所長楊田が所有する2011年11月マイナーモデルチェンジタイプの三菱i-MiEVのGグレードのことを言います。楊田はこのクルマを2012年11月に購入選択権付きリースにて導入し、5年後の2017年10月末に残価を支払い、完全所有の形で2020年10月現在も所有し続けています。

我がGミーヴについて(2017.7.10)

 

【これまでの走行実績】

 

 電気自動車EVは、時速80km以上の高速走行の場合は、エネルギー効率が悪くなりますので、第2世代量産型EVである三菱i-MiEVや日産ZE-0リーフ、e-NV200の場合には、70kmから80kmごとに急速充電を継ぎ足して行かなければ、走り切ることができません。
 エコノミライ研究所は、このことを、経験をもって実証してきました。
 所長楊田は三菱i-MiEV「Gミーヴ」号を所有していますが、TECTOMさんの「燃費マネージャー」(実勢価格3万円前後)を搭載し、電池残量や消費電力、累積電費など、各種情報を記録し、適切な情報処理を施せば電気自動車という「次世代自動車」の実用性能をより詳しく分析することができ、快適なEVドライブに活かすことができます。


 楊田の片道300km超のEVロングドライブの実績と致しましては


(報告済)2017年7月横浜→関→倉敷(700km)
(報告済)2017年8月倉敷→鹿児島→屋久島(900km)
(報告済)2017年10月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2018年8月倉敷→小牧→白馬→小牧→倉敷(1400km)
(報告済)2018年10月倉敷→東京(700km)
(報告済)2019年4月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2019年9月倉敷→米原→白馬→敦賀→倉敷(1400km)
★今回★2019年9月鹿児島→倉敷(700km)
2021年3月倉敷→鹿児島(700km)
2022年3月倉敷→鹿児島→倉敷(1400km)

2022年7月倉敷→小牧→白馬→小牧→倉敷(1400km)

2023年7月倉敷→小牧→白馬→関→尾張一宮→倉敷(約1400km)


となっておりますが、2024年現在、まだまだ、過去に実施したドライブ報告ができておりません。

 

ですが、漸く2019年秋ドライブのレポートを実施することができています。

 

ネタは尽きませんので、ゆっくり・じっくりレポート継続していきます。