聖書を今迄一度も読んだことがないつもりで、今迄教えられて
来た、固定概念、思想、先入観を捨てて読んでみます。
神の教えは廃れた!神の教えを生きる事は、律法主義だ
恵みを捨てた生き方だから、古い律法には戻るな!という
第四の獣の龍の声が語る大嘘の方を捨てる。
神はエデンの園から変わらない、同じ教えを口頭で伝え、
それを文字、法的効力がある婚姻契約書として、永遠の保証、
証拠、約束として与えて下さったのです。
それを捨てよ?その声は誰の声?と考えないとならないのです。
はっきり言って、西洋宗教の教えの土台、思想、反モーセの
五書、実践、宗教活動や記念日etc etcは、聖書には書かれていない、イエシュアが教えられた父の教えなどではありません。
なぜなら、ローマ帝国が聖書が閉じられた後、4世紀に作った
宗教だからであり、神の言葉を廃れた律法!という反トラー、
反ユダヤ思想を持つ人のみにより、その宗教の思想を土台に作ってしまったものだからです。
元々、作ってはならなかった人造宗教だからです。
聖書には、ローマ教の教え、実践、記念日は書かれていません。
人造だからです。
預言されている通り、見かけは子羊でも、物言いが龍=まがいものの宗教の教えを語る!と書いてあるとおりです。
ある部分の教えは、聖書から取り出していますが、イエシュアが教えられた父の教えではないのです。
父の教えに逆らう物言いを龍が教えて、律法に戻る気か!
神の教えを生きる事は、律法主義だ!古い恵みのない生き方に
戻るな!聖書を正しく理解しないローマ帝国がやってはならないこと、まがいものの宗教を人間の意見で色々決めて、次から次へと聖書ではない教えを作り続けて、今もずっとそれが続いているのです。
LGBTQ賛同?人の意見で神の言葉を変えて良い?
時代ごとに神の教えの解釈は、その時代の風潮に合わせて
人間が変化させて良い?
神の教えの本質、中核、実態を曲げるような行為は、許されていないのです。神が創造されたモアデイムも同様に、人が変えてはならないのです。神を汚す、聖別を汚す行為だと、神が厳重に
警告、禁止しているからです。
それを平気で出来るのが、異教徒上がりであり、異教まみれの
西洋宗教が出来たのは、神に対する冒涜、敵対行為が666=神の教えを捨て去る事をする行為であり、反キリストが行う事という警告を理解しない異邦人だからです。
2026年は、9月11日の日没が、聖書の暦の第七の月の1日です。この日は、ショファーを吹く日です。
神の創造された聖会の日です。神の子ら、全員を呼び出して、
招いている。ユダヤ人だけの祭り、記念日など、聖書には
ありません!「わたしの記念日」神の創造された記念日に
神が人を呼び出して、特別な会見をする!と教えているからです。
そして、その日から10日間、10の言葉に沿って、一年を振り返り、何がズレた生き方なのか、起動修正をするのです。
それは、一人、個人ではなく、神の大家族全員でするのです。
以下は、トラーに記された仰せではありませんが、伝統的に
されていることがあります。
自分がズレていると気がついた事、そして、そのズレ、的はずれな生き方、罪と決別することを、紙に書いて、それを川、湖などに投げるということを、伝統的にするのです。
תַּשְׁלִיךְ タシュリフ 投げると言う意味です。
ミカ 7:18 だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のためにとがを見過ごされる神があろうか。
神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず、
7:19 再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で
踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を
海の深みに投げ入れ、
7:20 昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、
真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される。
異邦人の世界に伝わったのは、第四の獣で預言された
ローマ帝国が作り替えてしまった宗教の教えであり、
イエシュアが教えられた父の教えではありません。
元に戻るのです。イエシュアが来られたら、全ての人が、
父の教えを生きるようになると伝えているのが、
エレミヤ31:31であり、イエシュアが過越の祭りの晩餐で、
宣言された「新しい契約」です。
新しいとは、中身が新しい、別物と言う意味ではありません。
新月は、同じ月が、満ち欠けして、新月になるでしょう。
契約が、永遠に更新され続けることを、天の万象を通して、
目で見える形でも、教えているのです。同じ契約が更新され続けて行く。
新しい、新しく再更新され続ける、中身の教えは同じ契約書
モーセの五書=父の教え=はじめの愛です。
変わるのは、神の教えの方ではなく、人の内側の方なのです。
キリスト教や、ダービー教は、人ではなく、神の言葉の方が変わる、廃れた、破棄、終了、無用という、聖書ではないことを
ずっと語り続けていますが、それは完全偽情報、誤情報です。
聖書ではない教えが、これ程迄に広く異邦人に拡散され、根強く浸透し、人の頭脳にこびりついてしまっているから、偽情報、
嘘から目覚める事が出来ないのです。
神は変わらない!永遠から、昨日も、今日も永遠に同じ!
神の言葉は永遠普遍、変わらない、すたらないと書いてある
神の口から直接出た言葉を読んでも、偽情報を信じる人には、
脳回路が変わらない=変わる=一時的=異邦人には関係ないと、
勝手に事実を言い換えて、変化させているのです。
こんなことは、人が書いた書に対しても決してしない事であるのに、なぜ、神の言葉に対してし人が平気でし続けているのか、
気がついたら、目からウロコが取れ始めます。
たくさんの鱗=聖書出はない教えが目に張り付いて、神が
語る真実を見えなくさせているのです。
悔い改めという言葉では、ヘブライ語の言葉に対して、
ピッタリではない翻訳です。
シュヴァ=戻るのです。放蕩息子が、父の元に戻ると同じ
戻るのです。
戻るとは、自分本来の姿、性質、生き方に戻る!という意味です。それは、神の言葉で伝えられた通りの生き方に戻る以外の
方法はないのです。
人間の教えに騙されて、宗教の教えを生きても、真理はその中にはないから、本当の自分の生き方、神が教えているイエシュアの
生き方とはズレたものにとどまってしまいます。
神が創造された秋の祭りは、再臨と未来のイエシュアが統治される世界が到来することを教えている祭りなのです。
春の祭りはイエシュアの地上への最初の到来であり、永遠の
中に完結している、贖い、救い、新しくされた事実そして花嫁とされ神の大家族の一員に加えられたことを教えているものです。
その人たちは、神が与えた婚姻契約を生きる!と、神に教えられているのに、その神の教えが、クリスチャンに通じないのは、
龍の物言いが、神の言葉を捨てよ、古い、悪い!と言い続けて、
ローマの作った別物をやらせ、神の記念日ではない、
人間のつくりものに日曜日、クリスマス、イースター、
そして聖餐式などをやって、それが神の仰せの記念日、
聖書だと勘違いしているのです。ローマ帝国製造物です。
聖餐式をするならば、それは過越の祭りを祝う晩餐でするものです。イエシュアを愛する人は、神の仰せを愛して、実践し、
イエシュアがされた通りにするのです。
日曜日は、聖別された日ではありません。労働日、普通の日、
普段の日であり、第一日目と呼ばれて、第七日目のように
特別な名はない日です。他の6日間の日と同じ!
そして、神が聖別された日は、週の中で、第七日目だけです。
それは、神から与えられた婚姻指輪であり、神が創造主であり
神が贖い主である世界へ向けての宣言、証明なのです。
日曜日ではない!
異教まみれのキリスト教、 Peagan Christianityは、人造宗教異教の神々、女神に思想、実践をふんだんに入れたのが
第四の獣だからです。
神の創造されたモアデイムの意味を知り、実際に生きて、
祝う命のサイクルに入る成長過程を、神が設けているのです。
それが、荒野の40年で表されているものであり、
約束の地に入る旅路でもあり、この世の人生のそれぞれの
旅路、神と共に、神の言葉、教えに根付いて、見えないものを
見るように生きる訓練なのです。
昨年書いたヨムテルアの記事です。
お時間がありましたら、読んで頂けると幸いです。
神の創造されたモアデイムが本物であり、イエシュアの業を表す預言的祭りであるのです。
日本人が、お正月を知らないということがないように、
神の元に戻り、イスラエルの大家族にされた人達、聖別された
生き方をせよ!と神に言われているのです。
神が創造された、神の大家族を神が全員呼び出して会見する
特別に聖別された祝宴を神が設けているのです。
それを、全部まるごと逃している。いやそれが何とも知らないとは変だと分からないとならないのです。
家族の大事な記念日は、家族のメンバーなら皆、知っている、
準備して、その日を待ちわびて、特別な時に神と共に特別な出会いをすることを、心待ちにするのが普通でしょう。
その記念日を知らない?それでは、家族ではない、特別な関係の
中にいない人と同じです。
神が創造された本物の教えや記念日を捨てて、人間が作ったもの、コピー品を大事にする意味は何なのでしょう?
それらを神が混ざりものと警告していることを、聖書を読んで
その意味を気がついた人にしか、通じないものなのです。
明日は神の祭り 王の到来 主の道を備えよ!神の教えに戻れ!という目覚ましコール
その2 明日は神の祭り 王の到来 主の道を備えよ!神の教えに戻れ!という目覚ましコール