神が創造された神のアポイントメントの日、シャバット、新月、
春と秋の3つの祭り、都上りの祭りは、全てイエシュアの業 を
網羅している、預言的、神の教えの中心=イエシュアそのものを
生きることを教えいてるものです。
私自身の経験ですが、神と神の言葉は、神が伝える通り変化しないという事実を、聖書から突き止めた人全て、皆同じことを通っていると思います。
聖書の土台、大元、教科書の本編を捨て去って、後書きだけ読んでも、神が伝えている言葉、教えの意味は正しく把握できません。しかも、神の教えを、人間の作った宗教で変換してしまっているのですから。
古代ヘブライの世界に生きていた人達が、預言者達が記した
聖書、トラー、預言書、諸書、聖書記者たちが意図した通り
彼らが語る内容、文脈で理解していたように、聖書を把握しないならば、それは、聖書記者、著者、預言者が書いた意味通りには
伝わらなくなってしまいます。
神は、神の創造された物理的な全てを通して、様々なことを
教えています。
それらは霊的、物理的なものは、実際に一体で切り離せない
同一のものです。見える世界と、見えない世界。
でも、事実は確実に存在しているのです。
ニコラ・テスラが神が創造された世界の解説を通して、神の言葉
実態を語っている内容があります。
命は、息をしていなくても、創造物の中に命がある。
硬い岩も、その他の物質も、見えないけれど、粒子がその中を
確実に動いている。
波動、振動、周波数、目に見えないけれど、確実にそれらは命を持っている。世界は、エネルギー、周波数、振動で出来ている。
だから、神が神の言葉を発言したらそれは波動、周波数、
命が現れ出る源=神の言葉から全てが出現したのです。
神が人の内側に住むのも、世界中を神が存在しているのも、
人の理解を超えた見えない世界が現実にあるからです。
新しく生まれ変わると書いてあるでしょう。
ニコデモが、どうやって再び母の胎内入って、又生まれ変わる
ことができるのですか?と言いました。
ヨハネ3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言って
おく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、
どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
ニコデモは、イスラエルのトラー教師であったと、書いてあります。
詰まり、トラーを教えながら、メシアが誰なのか、そして聖霊
を内側に受けていなかったということです。
同じように、同じトラーを聞いて、アヴラハムのように、
メシアを知り、聖霊を受けていた人がいたのです。
イサクも、ヤコブも、ヨセフも皆聖霊を受けていたのです。
預言者も、イスラエルの王、ダビデ、ヒゼキヤ、ヨシアも同じ。
ネヘミヤや、エズラも同じです。
残りの民、1世紀に居た弟子達も、イエシュアがタナックに記された、彼らが待ち望んでいたメシアであることを知っていた。
イエシュアが生まれて割礼を授けるために両親にエルサレムの
神殿にイエシュアが連れてこらました。
神殿でイエシュアを見た、シメオンが、神が告げられたメシアが来られるまで、天に帰らないというお告げをされ、これで安心していつでも天に帰れると言いました。
エリザベス、母ミリアム、その他名も無い人々も、
同じようにイエシュアをタナックに記されている約束のメシアであることを、最初から知っていた人達=残りの民がいたのです。
そうでなければ、母ミリアムがみ使いから告げられた内容は、
意味不明、神の言葉に根拠がないことなど、信じられなかった
でしょう。
メシアの系図にある異邦人ナオミも、姑の信じたイスラエルの神を、自分の神と分かっていたのです。
両方混在していることが分かります。
今のイスラエルに関して、この点に関して、もう少し深掘りした
内容を、別の記事に書いてみたいです。
神を知っているイスラエル、更にメシアを知るイスラエル=これが残りの民です。
異邦人の世界では、トラーは破棄されたという教えにより、
聖書に書いてある本当に狭い範囲だけを知るだけ。
イエシュアがメシアであることを知りながら、神の教え=トラーを生きよ!と神、イエシュアが教えていることを知らない、人の教えに妨害されているので、神が伝えている永遠不変の教えを
正しく認識していない、そのような問題があるのです。
なぜなら、イエシュアが到来したら、全ての人が、神の婚姻契約を頭脳に刻まれて、生きる時が来ると預言されています。
エレミヤ31:31がそれを伝えているでしょう。
そして、神が統治する世界、全ての人が神のトラーを生きる世界が永遠に続くからです。神の教えは廃れた!という、偽物の教えを売る商人は、神の宮からいなくなる!と預言されているからです。
このヨハネの箇所を、ユダヤ人のトラー学者であるラビがこう
解説していました。
胎というヘブライ語は、レヘン、憐れみという言葉と同じです。
胎内とは、これ以上近い場所はない所です。
腹の中。赤ちゃんがお腹にいる様子でも、分かるでしょう。
臍帯命の源と繋がれて、栄養を与えられ、酸素を与えられて
生きて、成長して行く。この様子は、外からは見えません。
私達の腹の中、内臓も同じように隠されて見えません。
そして、赤ちゃんが安全に母の胎内にいる様子を考えても分かります。
安心している、心地良い、母の声を聞いて、愛されている、
満足、エデンの園のようです。
これなのです。胎内に戻る。神の声を聞く場所に戻る。
そこから、生まれ出る。
神の声を聞いて、神の言葉=命の源、臍帯で神と繋がれている
そこに戻り、自分が誰かを再発見、再学習する、それが生まれ
変わるというスタート地点です。
肉で生まれたから、神から切り離されて、自分が誰かの自己像も
教えられず、知らないまま、この世の声=競争、比べる、少しでも何に秀でている人が、価値ある存在と、どこに行っても
大小比較される世界に生まれました。
人間の価値観で、全てが測られているからです。
神の教えを捨てるという行為は、この神の命=言葉と繋がる
臍帯を切り刻み、命の源、神の命=言葉を捨てて、栄養失調になり、神の命とぴったり繋がらない、別の臍帯で、別の媒体=人間の教え、宗教の教えに繋がり、添加物満載の人には毒な人間の教えを取り入れて、それを自分の価値観、自己像にしてしまうことが起きているのです。
神の言葉を捨てる、神が伝える神ご自身の本当の神像と、人がどう生きるかを伝える教えの内容が、見えなくなる、別物の教えに変身しています。そして偽札だけを見る人は、本物がどれか見分けられなくなる、そういうことが起きているのです。
少し違っても、それは偽札なのです。混ざり物、偽札。
秋の祭り、明日のヨムテルアは、正に、神の目覚ましコールです。偽の教えに聞き入る人!戻れ!神の教え、言葉に戻り、
神が何を教え伝えているのか、悔い改めよ!
悔い改めとは、翻訳ではずれていますが、ヘブライ語では
戻る!です。テシュバです。何に戻るのか?神の言葉、命の源、聖霊=イエシュアである言葉、教えに戻り、それを生きることに
軌道修正して!と神がずっと伝えているのです。
預言者の言葉、預言書になっているテーマ、メッセージは全て
婚姻契約=神の伝える神の創造された人の生き方に戻れ!です。
神の教えを捨てて、神の教え、イエシュアの業を網羅する
神のアポイントメントの日を捨てているから、聖書に書かれて
いることが、字面で分かったようで、実は宗教の教えに変換して
聖書に書かれていることを、正しく把握しないままになっているのです。
神のシャバット、新月、祭りの意味を知り、神が伝える通り
永遠に祝って!と、神が言われた通りを、実際に生きて祝い続ける人には、命のサイクルを生きる中に、神が招き入れてくださったことを発見する、知ります。
これを通して、神は人の中にある、ずれたこと、自分に属さないこと、様々なことに対して、取り組まされる。
訓練を生きることをさせてくださることを、実践できるのです。
神のアポイントメントは、神が創造された命のサイクル、神の
時=モアデイムなのです。
過越の祭りと聞いても、それが何か分からない。
聖餐式、日曜礼拝、クリスマス、イースターというものに変えられているから、神が教えている意味の全貌が見えないのです。
神のアポイントメントの日、祭りは、イエシュアが地上でされた
業、イスラエルが通った歴史の史実とぴったり合っていること
に気がついて下さい。
春の祭りは、何ですか?
過越の祭りの日に、イエシュアが、子羊のコルバンとして
処刑されたでしょう。
これ、私は聖書を読みながら、18年前迄分かりませんでした。
私が知っていたのは、ローマ帝国が作った宗教の教えであり、
神の言葉、教えではなかったからです。
処刑=過越の日。その日から7日間の種無しパンの真ん中の日に復活=初穂の祝い日とぴったり合っている。
シャバットで休み、止まり、シャバットが終わる夕暮れに復活
されたのでしょう。
そして、種無しパン=復活の命、新しくされている、初穂、
イエシュアの命、初子、初穂=神の本来のデザイン、神の性質
を取り戻されている。
新しくされた人が、七週間成長する過程、小麦の初穂を捧げるまでの週を過ごし、婚姻契約を、七週が満ちて受け取った。
それが、シャヴオート(「第五十、ペンテコステ=ギリシャ語)の祭りなのです。聖霊降臨祭りではありません!
小麦の収穫祭であり、この小麦の初穂、最上の小麦粉に、
今度は種を入れる。イエシュアの性質にされたことを表している
新しくされた人、種ありパンが2つ神の祭壇にシャブオートの祭りでは、捧げられるのです。
種無しパン=罪が削ぎ落とされている。種ありパン=イエシュアの性質を入れられた人となった、花嫁となった。
シャヴオート、子羊の血の購いで新しくされた人が、神に娶られ
正式に神の婚姻契約、神の家族となった人に与えられた、それが
トラー=モーセの五書=婚姻契約書=神が人と関係を結ぶ土台
証拠、永遠の証として、神の家の家訓を生きることに招かれた。
これずっと、神が伝える神の子らの生き方とぴったり一致していることに、気がつくでしょう。
神の婚姻契約は、人間が捨てても、その人に悪影響が及ぶだけで、神の側では、神が忠実、忠誠、真実、嘘つきではないから
神は契約を破りません!人間が、勝手に神の言葉に違反したことを、自由自在に自分の都合、理由、思想で破り続けて違反しているだけ。神の教えに敵対することを言い続け、やり続け、
人に間違った道、罪に生きることを教える場合には、
そんな偽物の教えを拡散することに、良いことは1つもありません!これを、神がいつか覆す日が来るからです。
神は正しい裁判官であり、偽証を全て撤回するのです。
そして、全ての人が、エデンから出て、偽物の主人、神々の奴隷となっている。イスラエルが430年間、エジプトに長居をして
奴隷のように生きていた。偽物の神々の奴隷です。
自分が誰か分からない。自分の本当の主人、イスラエルの神に
繋がり生きることが阻まれて、太陽神の教えに悪影響を受けた
地にそんなに長い間住んだのです。
モーセが、ヘブライ人であるのに、エジプトの王の宮廷で育ったことには、意味があります。
エジプトは当時最高峰の教育、今でいう大学を最初に作った国でもあり、古代中近東の頭脳でもあったのです。
モーセが、エジプトの王室に育つことで、最高級の教育を受け
られたのです。
政治、司法、様々な知識を得たモーセが、神のトラーを書き記す
知識を持っていたのです。
神は、様々なことを、利用します。人にはなぜ?ということが分からないことでも、神の壮大なプランはその裏にある。
織物の裏を見て、又は一部を見ても、全体像は見えないのです。
永遠の中に屠られた子羊の血の代価は、エデンの園から同じように教えられています。
それが、イスラエルの出エジプトという一連で、教えられているのです。
過越、子羊の血とは、鴨居に塗った血です。これはイエシュアの
購いを表している、影です。実態は同じなのです。
神の言われたことを、その通りに信じた人、異邦人さえ、
出エジプトしたのです。
過越の日、さっと小麦と水で種無しパンを作れ!と言われたのは、マッツア=いらないものが削ぎ落とされた、新しくされた人にされている。それは神が支払った代価=子羊の血の購いを
通して、永遠の中に完了済みであることを、最初から教えているのです。
モーセが、唐突に神の祭り=ハーグを祝うために、荒野に行かせてくださいと言っているでしょう。そこは、エルサレム、
モリヤ山でしょう。
祭りが何かを知っているからです。勝手な祭り、町内祭りでは
ない、神が後に正式に神の国を地上で反映する代表とする民族
イスラエルとイスラエルの国を通して、神の実態を世界へ伝える
役割を与えた、祭りを含め文字で記されたのは後のことであり
エデンの園の最初から、全て神の教えは口頭でずっと同じトラーが伝えられたのです。
続く