"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の言葉、トラー、契約、ユダヤ人が代々継承して来た神の言葉

教え、トラー、契約、はじめの愛。

イエシュアが教えられた父の教えが、異邦人の手に渡り、歪んだものにされてしまいました。

同様に、ユダヤ人も、神の言葉を彼らの思想で別の生き方に作り替えた思想をプラスした、それが今のユダヤ教です。

 

異邦人は2世紀以降、ユダヤ人とは完全決別し、パウロのような

トラー教師に学んだこともない、グレコローマ哲学思想に思索に洗脳されている西洋教父に教えられたのです。

彼ら西洋教父達が、2世紀早々から聖書ではない記念日、教えを次から次へと編み出し続けたのです。

 

ユダヤ人は、第四の獣が作った偽物の教え、西洋教父が主張する

神のトラーを覆す教えなど、聞くわけない、神の教えを捨てる罪を

生きることなどできない。

その葛藤と、誘惑が、ローマ帝国下に生きていた7つの群で表されるユダヤ人の群れにあったのです。

ある人は、社会生活を生き延びる為に、皇帝崇拝カルト、

異教の神々、女神の祭り、不品行、人が食せない動物を一緒に儀式で食すると言う偽の教えに迎合したのです。

それをした5つの群れに対する警告が、黙示録に書かれているのです。はじめの愛から、離れた5つの群れ。

 

異邦人とユダヤ人の完全決別は、徐々にこの様になされて行って、

それぞれ、別の路線に行ったのです。

異邦人はその後、完全にローマの作った宗教に繋がったのです。

それが、今に続いているから、聖書に書いてあるイエシュアが生きた

トラー、神のモアデイムがクリスチャンの間で捨てられ、忘れられ

代わりに4世紀にローマ帝国が作った宗教の実践をやって今に

至るのです。クリスチャンは、その事実を、知らない、考えてもみたことがないと思います。

なぜ、聖書に書いてあるイエシュアが教えた通りの生き方、

シャバット、新月、祭りをクリスチャンが祝わないのか?

その理由は、嘘です。神が神の教えをキャンセルしたから!!!

嘘なのに、それが理由と信じさせられているのです。

聖書に照らし合わせたら、真実はそこに記されています。

 

16世紀の宗教改革でも、結局、明らかに聖書とは異なる異物の教えは、排除されても、大元の嘘、パン種、反モーセの五書、反ユダヤ思想は健在のまま結局、ローマが神の言葉に手を加えて作った宗教から枝葉を伸ばしただけなのです。

だから、カトリックも、プロテスタントも、全ての人が、契約に

生きることを知らない、していません。

そして、反トラー、反ユダヤ、日曜礼拝、クリスマス、

イースターを祝うのです。

カトリックもプロテスタントも、イエシュアが教えた通りのトラー、

契約に根付く生き方を知らない、生きていない。

イエシュアが祝われた、イエシュアが再び来られたら祝う

シャバット、新月、過越、仮庵も祝わないのです。

不思議に思った方が良いのです。なぜ?と。

イエシュアではなく、ローマ、人間の教え、宗教をやっているからです。

今に至る迄、様々な偽教師、偽預言者が出現し、再臨預言が無数にされましたが、それらは全て偽予言でした。

なぜなら、イエシュアは偽預言者達が預言した日には、再臨されな

かったからです。再臨など、なかったでしょう。

 

その時に、その偽預言をカバーする、うまい解説をするのが、

偽預言者、その偽預言者サポーターの主張なのです。

神が思いとどまったとか、皆の祈りが伝わったとか、勝手なことを

言い続けているのです。

 

無数の偽預言者、偽教師、偽預言がされて来ましたが、

それらの偽教師、偽預言をする人達は、聖書を正しく理解していないことは、聖書に照らし合わせれば分ります。

そして、とても神の言葉に対して無知、無思慮、やってはならない

ことをやっているのです。

なぜなら、イエシュアが来られる時は誰も知らない!とイエシュアが言われているのに、その言葉を丸無視して、神の代弁者になっている、こんなことばかりをするのは、何も再臨に関してではない。

神の言葉を、人間が曲げて、歪めて、否定し、削除、破棄して、

人間の教えを通して、聖書を解説しているからです。

違反です。神の言葉は、神の言葉で解説しないとならないのに、

聖書を人の思想で、解説している、それが西洋宗教の聖書解説です。

その思想こそが、偽教師、偽預言者の発言なのです。

聖書では、その様なことをする事に関して、それらは死に匹敵する程重い罪である厳重警告がなされていますが、聖書を教える教師は

それを理解していません。

神の言葉は廃れたと、神の言葉を軽く扱い、軽く、無思慮にあしらっているからです。

モーセの五書に於いて、偽預言者を死刑に処すべきであると

定めている主な記述は、申命記の中にあります。

 

特に代表的な箇所は以下の2つです。

 

1. 申命記 13章 1〜5節(他の神々、偶像礼拝へ誘う偽預言者)

主以外の神々を拝むように民を惑わす預言者は、死刑に処すべきで

あると規定されています。

 

申命記 13:1-5

「あなたたちの間に預言者あるいは夢見る者が現れ、しるしや奇跡を示して、あなたの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようと

誘う場合……その預言者あるいは夢見る者は死刑に処せられる。

彼はあなたたちをエジプトの国から導き出し、奴隷の家から救い出されたあなたたちの神、主に対する離反を促し、あなたの神、

主が歩めと命じられた道からあなたを惑わそうとしたからである。

 

要点: たとえその預言者が奇跡やしるしを起こしたとしても、

人々を真の神から引き離そうとするならば「偽預言者」とみなされ、死刑とされました。

 

ローマ帝国も、これをしたのです。偽の教えを作り、人に強制的に

やらせ、それを擦り込み、実践させ続けたからです。

 

 申命記 18章 20〜22節

(語ることを命じられていない事を語る偽預言者)

神が命じていないことを勝手に神の名によって語ったり

外れる予言をしたりした者に対する規定です。

 

申命記 18:20(新共同訳)

「しかし、預言者が命じられてもいないのに、わたしの名によって

不遜にも語り、あるいは他の神々の名によって語るならば、

その預言者は死刑に処せられる。」

 

続く21〜22節では、偽預言者を見分ける基準についても、触れられています。

申命記 18:21-22

「あなたが心の中で、『どうしてその言葉が主の語られたものではないと分かるだろうか』と言うならば、預言者が主の名によって語っても、*その言葉が成就せず、実現しないならば、それは主が語られた

言葉ではない。*その預言者が不遜にも語ったのである。あなたは

その人を恐れるに及ばない。」

 

 予言が外れる(成就しない)ことは、その言葉が神から出たものではない明確な証拠であり、不遜に語った偽預言者として死刑の対象となりました。

 

マタイ7:15–20: イエスは偽預言者を「羊の皮をかぶった狼」

と呼び、「良い実を結ばない木は切り倒されて火に投げ込まれる」

と神の審判を警告しました。

 

黙示録 20:10: 終末において、人を惑わした偽預言者は

「火と硫黄の池」に投げ込まれると描写されています。

 

偽預言者、再臨を預言する愚かな教師は、無数にいます。

なぜ、聖書を教え、信じると言いながら、聖書に書かれていることを

その通りに受け取らないのか?

元が人間=ローマの作り替えた宗教だからと言うのもありますが、

イエシュアも、その日を誰も知らない!と言われているのに、

自分は神からお告げがあったと言う妄想を信じられる、これ聖霊ではありません。

 

偽預言で有名になったアメリカ人がいます。

 

ウィリアム・ミラー(William Miller)とエレン・G・ホワイト(Ellen G. White)は、19世紀アメリカで起きたキリスト再臨運動(アドベンチスト運動)及び「セブンスデー・アドベンチスト教会(SDA)」の形成において中心的な役割を果たした宗教的指導者たちです。

ミラーが「再臨の時期」を予言して運動の火付け役となり、

その運動の崩壊(大失望)の後にエレン・ホワイトが新たな神学的解釈を示して現代の教団組織へと発展させました。

 

ウィリアム・ミラーは、アメリカ合衆国のバプテスト派信徒

(後に説教者)であり、農民や軍人としての経歴も持つ人物です。

 

再臨予言(ミラー主義運動)

聖書のダニエル書(8章14節「二千三百日の夕と朝」)などの預言的記述を自ら解釈し、「1日=1年」とする原理に基づいて計算を行い、1843年から1844年10月22日の間にイエス・キリストが地上に

再臨して世界が終わりを迎えると確信しました。

社会への影響

彼の説教は全米に広がり、数万人から十数万人の信者(ミラーライト / ミラー派)を生み出す一大ムーブメントとなりました。

大失望(Great Disappointment)

1844年10月22日に何も起きなかったため、信者たちは極度の絶望と混乱に陥り、運動は崩壊しました。ミラー自身は失意のうちに

翌1849年に没しましたが、最後までキリストの再臨自体への信仰は

捨てませんでした。

 

そして、この偽預言をうまくカバーする解説をしたのです。

うまく解説しても、神の偽預言者の定義と、それに対する罪の度合いは人は変えられません。

人を誤りの教えに導く、それは、正しい教師ではないからです。

エレン ホワイトです。

エレン・G・ホワイトは、ウィリアム・ミラーを「偽預言者」として非難することはせず、また彼の主張の核心であった計算を捨てることもありませんでした。

それどころか、彼女はミラーの運動を養護し、失敗に終わった

「出来事」の解釈を改めることで、1844年の運動の正当性を守ろうとしました。

 1844年10月22日の「大失(GreatDisappointment)」に対する

彼女の対応は、主に3つの神学的な説明によって発展して

いきました。

 

 1. 「日付は正しかったが、起こる出来事が間違っていた」 

ホワイトは、ミラーのタイムラインが誤りであったと認めるのではなく、預言のタイムライン(ダニエル書8章14節の2300日)自体は

「数学的に100%正確であった」と主張しました。 

 

<そう言う発想は、神から与えられたものではないことは、

明らかです。>

 

解釈の修正:1844年10月22日にキリストが地球を火で清める

ために地上に再臨する手はずになっていたのではない、と彼女

説明しました。 

天の聖所:そうではなく、キリストは天の聖所の「聖所」から

「至聖所」へと移動し、「調査審判」として知られる

審判のフェーズを開始されたのだと主張しました。 

 

<こんな事実、教えは、聖書にはありません。>

 

「誤りは預言の期間の計算にあったのではなく、2300日の終わりに

起こる出来事にあったのである。」 

エレン・G・ホワイト『各代の論争』405ページより

 

2. 「神は信者を試すために誤りを覆い隠された」 初期の著書

(『霊の賜物』や『初期の著作』など)において、ホワイトは、

神が信者たちの信仰を試すために計算上の見落としを意図的に認められたのだと主張しました。

 

 彼女は幻(ヴィジョン)の中で次のようなことを見たと言います。 ・神の手はこの運動の最初から伴っていた。 ・審判を免れたいだけの

不熱心な信者と、心から誠実に信じる者をふるい分けるため、

神は計算のわずかな間違いを意図的に「覆い隠された」。

 

 3. 「神に遣わされた指導者」としてのウィリアム・ミラーの擁護 

ホワイトはミラーを非常に高く評価しており、「エリアの霊と能力」をもって興された僕(しもべ)として描写しました。

 

人間の弱さへの帰結:ミラーは誠実で謙虚な人物であり、出来事の「性質」について人間的な誠実な勘違いをしたに過ぎないと

主張しました。 

 

<勘違い以前に、聖書を正しく理解している人なら、再臨がいついつ

などと言う預言自体しません!!!>

 

「偽りの牧者」への責任追求:人々を迷わせたとしてミラーを責めるのではなく、ホワイトはアドベンチストのタイムラインに反対し、

群れを落胆させた主流派キリスト教の教職者たち

(彼女は彼らを「偽りの牧者」と呼びました)を非難しました。

 

大失望の解釈を言い換える(再定義する)ことで、エレン・ホワイトは2つのことを成し遂げました。

 

1. 出来事の誤りを聖所神学の未熟な理解によるものと説明することで、ミラーが「偽預言者」の烙印を押されることから守った。

 

 2. 1844年が預言において極めて重要な年であり続けたと主張し、「セブンスデー・アドベンチスト教会」の神学的基礎を築いた。 

 

偽預言者など、守る必要はなく、偽預言などしてはならないこと

これらの無知で、人を間違った教えに導くことは、してはならないことだけを、はっきり言及させなくてはならないのです。