"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書には、最初の75%、創世記〜マラキと、最後の25%

マタイ〜黙示録には、別の教えが書いてあると、クリスチャンが

本気でそう信じている理由は、聖書を正しく教えられていないからであり、聖書に書かれている内容を、書いてある通りに理解していないからです。

黙示録には、この世の終わり大惨事、ハリウッド映画のストーリーが

書かれていると誤解しているのも、全く同じ理由です。

聖書は、最初から最後まで、どの箇所も矛盾はなく、一貫して、

神の教え=契約=トラーを解説しているものなのです。

 

「教会」という誤訳造語で、聖書にはない概念、神の群れは2つあるという偽の教えを植え付けられ、律法という誤訳と、旧約、新約聖書という異邦人が神の言葉に勝手にタイトルをつけた不適切な名前で、益々偽の聖書概念が浸透し続けて行ったのです。

 

黙示録や、マタイ以降には、今のような宗教〜キリスト教や、

ローマが作った宗教を生きているクリスチャなど一人も居ないし、

ローマが神の言葉を曲げた宗教の教えも無かったのです。

聖書には、キリスト教を生きている人のことは書いてない。

その実践、儀式、幼児洗礼、聖餐式、記念日〜日曜礼拝、クリスマス、イースター、レント四旬節、その他諸々聖人を祝う記念日、

カトリックが4世紀以降作った教えや、記念日、、そのようなことも、1つも書かれていません。

自分でぜひ、聖書を読んで、その事実を突き止めて下さい。

 

歴史が解説する、1世紀のキリスト教徒は〜などと聞くと、

新しい宗教が出現したと、思わされてしまうのですが、使っている

言葉、用語、解説が不適切なのです。

キリスト教、カトリック、キリスト教徒も、聖書が書かれた時代

1世紀にはいません!

1世紀のイエシュア信者は、殆どがユダヤ人なのです。

ヨハナンが黙示録を書いて、宛てた7つの群れも、全てユダヤ人の

群れなのです。その中に少数の異邦人が居ただけです。

そして、イエシュアをメシアと認識してない人も、認識していた人も

どちらも、同様に、神の教え=トラー=契約を生きていたのです。

イエシュアが、トラー、預言書、諸書に記されたメシアと認識できなかったのは、様々な理由があります。

預言書に記されたように、最初は、子羊として来られる。

エレミヤ11:19 イザヤ53

最後は、世界を統治する獅子、王の王、主の主として来られる。

創世記49:9、黙示録5:5 ゼカリヤ14章。

これが、よく分からない人達がいただけです。

なぜなら、常に、ローマ帝国、その他の帝国の支配、軋轢、迫害から

救出されるメシアを待望していたからです。

聖書には、今のようなキリスト教の教えは書かれていません!

今のように、神の教えは廃れたと信じ、神の教えを捨て、何でもOK

何でも食べる。神のモアデイムを全部捨て、その代わりにローマ帝国が作った別物の、人間の作り物の記念日を神のモアデイムとして

祝う、そのようなことを考える人、生きる人、実践する人は一人も

いなかったからです。

なぜなら、黙示録の1世紀当時のローマ帝国下での、彼らイエシュアを信じる人達の戦いは、まさに今のようにミックス、融合した

西洋宗教の教えのような、偶像礼拝に断固として拒否、拒絶して

生きるという患難の中にあったからです。

エジプトの偶像を持ち込むな!エジプトの一番の神は、太陽神ラーです。

そのラーの神、女神をローマ宗教は、ふんだんに取り込んだのです。

そのような、異教の神々、女神の要素を混ぜるな!という警告が

預言書の警告なのです。異教の女神、神々の教えなど混ぜてないと

クリスチャンは考えているでしょう?

しかし、神の言葉を廃れた!と捨てる行為こそが、死に匹敵し

神のモアデイムを汚す行為を神が断固として禁じているのに、

聖書を読んでも気がつけず、今は何でもOKという偽の聖書解説を

信じて、神の言葉を退けているのです。

異教の神々の礼拝日、祭りを、パクったものを祝っているのに

全く気がついていない人も大勢いるのです。

これでは、黙示録の警告、ヨハナンは、預言書に記された警告を

していることなど、全く通じていないのは当然なのです。

 

ローマ帝国が、混ぜ物宗教を作らなかったらもしも偽の教え

偽教師に教えられることが、なかったら。

もし、パウロのような教師に教えられていたら、結末は全く違うもの

になっているのです。

しかし、パウロの時代でも既に、神の教えとは異なる教えをする偽教師、偽使徒が居たから、そのような警告をパウロが書いているのです。

パウロや使徒達は、今の教えのように、神の教えが破棄された、

神のシャバットは人間がいつの日としても良い、清くない動物も祈ればきよくなるからなんでも食して良いなどと、そんなことなど教えないからです。

罪の定義とは、神のトラー=教え=モーセの五書=契約に違反する

行為の全てを指して、ズレ、罪と書いてあるのに、罪の定義〜

神の教えが廃れたら、照らし合わせる基準が全て吹き飛び、

それこそイエシュアが警告した無法=アノモス=神の教えがない、

無法、違法地帯になるのです。

 

神が言われた言葉、教えは永遠に変わりません。

黙示録の警告も、神の契約=トラーに違反し、トラーを捨てて

当時のローマ帝国の偶像礼拝、皇帝崇拝に染まり、はじめの愛=神の

契約を捨てて生きた群れへの警告が書いてあるのです。

それ、今のキリスト教も同じなのです。なぜなら、はじめの愛を

捨てている、そこから、始まった宗教だからです。

ローマ帝国の勅令に屈した。これは、7つの群れへの迫害、脅迫、

強制と全く同じこが4世紀にも起きたのです。

 

神の契約を捨てよ!それを生きる人は処刑!ローマ帝国下に生きる人は、ユダヤ的な生き方の全てを捨てよ!

これが、クリスチャンの間に浸透した、「信じたらユダヤ人やめよ!」「ユダヤ的な古い教えをやめよ!」「律法に戻るな!」

というスローガンです。これを、ルターも堂々とやったのです。

彼の反ユダヤ思想と、反トラー思想は半端ないものでした。

ユダヤ人殺戮は神のみ旨、神の教え=トラーに違反する教えを堂々と

した!!!

詰まり、彼も異邦人。神の契約に根付く、神の教えを生きるという

それを、理解していなかったのです。

聖書のある部分だけ信じても、後は捨てる思考回路は、ローマ帝国の

混ぜ物、融合、ミックス思想。別の神々の教えと統合、同化、

シンクロするのと、全く同じ根を残したものです。

そして、神の民、それは血筋に関係なく、神の教えに反したことは

生きられない!ということを理解しない異邦人は、平気で自分たちに

合う教えに、神の言葉を変えたのです。

そして、ユダヤ人は日曜礼拝、クリスマス、イースターなど祝わないのは当然、それは異教の神々、女神の祭りの作り変えリブランドであり、偶像礼拝そのもの、偽物です。

そして、なぜ神が創造されたシャバット、モアデイムを捨てることが

神の仰せ?などと信じられるのか?それは、神に対しての冒涜行為

罪、姦淫の罪であり、神の対する叛逆、聖別を破り、契約を破る

行為そのものだと言うことを、神の言葉を捨てた人には、神の教えが

神が伝える通りに通じなくなってしまっているからです。

そのようなことを理解しない、そしてキリストだけ信じれば良いという歪んだ強制をし、神の教えを捨てさせること、そんなことをしたら

神の教えを理解するユダヤ人は、それに抵抗するのは、当然の行為です。

黙示録のスミルナと、フィラデルフィアに居た神のトラー、契約に

忠実に生きて、ローマ帝国の偶像礼拝、皇帝崇拝に混ざり合うことを、断固として拒否した人達が称賛されていることが、

書いてあるのです。

それは、今のクリスチャンには通じません。なぜなら、最初から

ミックス、混ぜ物の人造宗教の教えを教えられ、神の教えを捨て、

別物の教えを、混ぜたものが神の教えであると考えているから

聖書に書かれている警告、偽物を生きるな!という警告の意味に

全く気が付かないのです。

神のモアデイムは、レビ記23章に書かれています。

その他出エジプト、民数記、申命記にも記されていますが、

完全版として、書かれています。

日曜礼拝は、ローマ帝国皇帝崇拝日、太陽神崇拝日を、キリストの

復活という意味を後付けして、リブランドしたものであり、

神の創造されたシャバットではありません!

シャバット〜7、神との関係にある印、婚姻指輪なのに、ローマが

別物に変えて、神の意図とは違う日、意図ではない

やり方を取り入れて、皆がそれをやらされたから、今もそれをやっているだけです。

神が、シャバットを汚すな!と何度も、何度も警告しているのは、

それは重要だからです。黙示録にある、7もシャバットを意味しているのです。聖書の最初から、最後まで書かれている同じ意味、

警告が、聖書を読んで、聖霊が内側にいるのに、その事実が見えない

それは、聖書を歪めて読んでいる、聖霊が書いた通りに捉え、

理解していないから、神が言ってもいない別の解釈を平気でできてしまうのです。

問題は、神の言うことを聞いていない!と言うこと。エデンの園の

最初から、全く同じ問題が根付いてしまっているのです。

 

申命記 5:12 安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、

主があなたに命じられたようにせよ。

 

5:14七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も

同じである。こうしてあなたのしもべ、はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。

5:15あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのである。

 

レビ記19:3あなたがたは、おのおのその母とその父とをおそれなければならない。またわたしの安息日を守らなければならない。

わたしはあなたがたの神、主である。

19:30あなたがたはわたしの安息日を守り、

わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。

26:2あなたがたはわたしの安息日を守り、またわたしの聖所を

敬わなければならない。わたしは主である。

 

エゼキエル20:1 第七年の五月十日に、イスラエルの長老たちのある人々が、主に尋ねるためにきて、わたしの前に座した。

20:2 時に主の言葉がわたしに臨んだ、

20:5 かつ彼らに言え。主なる神はこう言われる、わたしがイスラエルを選び、ヤコブの家の子孫に誓い、エジプトの地でわたし自身を彼らに知らせ彼らに誓って、わたしはあなたがたの神、主であると言った日、

 20:6 その日にわたしは彼らに誓って、エジプトの地から彼らを

導き出し、わたしが彼らのために探り求めた乳と蜜との流れる地、

全地の中で最もすばらしい所へ行かせると言った。

 20:7 わたしは彼らに言った、あなたがたは、おのおのその目を

楽しませる憎むべきものを捨てよ。エジプトの偶像をもって、

その身を汚すな。わたしはあなたがたの神、主であると。

20:8 ところが彼らはわたしにそむき、わたしの言うことを聞こう

ともしなかった。彼らは、おのおのその目を楽しませた憎むべきものを捨てず、またエジプトの偶像を捨てなかった。それで、わたしは

エジプトの地のうちで、わたしの憤りを彼らに注ぎ、わたしの怒りを彼らに漏らそうと思った。

20:9 しかしわたしはわたしの名のために行動した。それはエジプトの地から彼らを導き出して、周囲に住んでいた異邦人たちに、わたしのことを知らせ、わたしの名が彼らの目の前に、はずかしめられないためである。

20:10 すなわち、わたしはエジプトの地から彼らを導き出して、

荒野に連れて行き、

20:11 わたしの定めを彼らに授け、わたしのおきてを彼らに示した。これは人がこれを行うことによって生きるものである。

20:12 わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間の

しるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、

彼らに知らせるためである。

20:13 しかしイスラエルの家は荒野でわたしにそむき、わたしの

定めに歩まず、人がそれを行うことによって、生きることのできるわたしのおきてを捨て、大いにわたしの安息日を汚した。そこでわたしは荒野で、わたしの憤りを彼らの上に注ぎ、これを滅ぼそうと思ったが、

 20:14 わたしはわたしの名のために行動した。それはわたしが彼らを導き出して見せた異邦人の前に、わたしの名が汚されないためである。

 20:16 これは彼らがその心に偶像を慕って、わがおきてを捨て、

わが定めに歩まず、わが安息日を汚したからである。

 20:17 けれどもわたしは彼らを惜しみ見て、彼らを滅ぼさず、

荒野で彼らを絶やさなかった。

 20:18 わたしはまた荒野で彼らの子どもたちに言った、

あなたがたの先祖の定めに歩んではならない。

そのおきてを守ってはならない。

その偶像をもって、あなたがたの身を汚してはならない。

20:19 主なるわたしはあなたがたの神である。

わが定めに歩み、わがおきてを守ってこれを行い、

20:20 わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間の

しるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、

あなたがたに知らせるためである。

20:21 しかしその子どもたちはわたしにそむき、わが定めに歩まず、人がこれを行うことによって、生きることのできるわたしのおきてを守り行わず、わが安息日を汚した。そこでわたしはわが憤りを

彼らの上に注ぎ、荒野で彼らに対し、わが怒りを漏らそうと思った。

20:22 しかしわたしはわが手を翻して、わが名のために行動した。

それはわたしが彼らを導き出して見せた異邦人の前に、

わたしの名が汚されないためである。

 

エゼキエル22:26 その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

22:27 その中にいる君たちは、獲物を裂くおおかみのようで、

血を流し、不正の利を得るために人々を滅ぼす。

22:28 その預言者たちは、水しっくいでこれを塗り、偽りの幻を見、彼らに偽りを占い、主が語らないのに『主なる神はこう言われる』

と言う。

 

エレミヤ17:27しかし、もしあなたがたがわたしに聞き従わないで、安息日を聖別して守ることをせず、安息日に荷をたずさえて

エルサレムの門にはいるならば、わたしは火をその門の中に燃やして、エルサレムのもろもろの宮殿を焼き滅ぼす。

その火は消えることがない』」。

使徒16;13ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。

使徒17:2パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、

 

18:4パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。

コロサイ2:16だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、

あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。

ヘブル4:9こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。