"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -2ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1世紀以降ローマ帝国皇帝達が、モーセの五書=トラーの実践を禁じ、4世紀にコンスタンチヌス皇帝が、イエシュア信者に

メシアを信じることを許可したのは、ローマ帝国を統治する

目的、大衆の支持を得る為です。

異教徒である帝国市民が受け取りやすい太陽神、ミトラ教宗教の思想を混ぜた思想を土台とする、ユニバーサル教と言う混ぜ物宗教を作ったのです。

 

その時点で、人間がこの様に、神の仰せを無視して、666の

仕業をし、神の言葉に手を加えて変形させた創作宗教は、混ぜ物の教え、不純な教えであり神の教えとはズレている人間の創作

思想!砂の土台と気がつかないとならないのです。

神が禁じたことを、そのままやり続けているからです。下矢印

 

申命記4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、主の命令を守ることのできるためである。
<神の教えを変えたら、何が本当なのか人は分からなくなり、
神が言われた通り、神の言葉をガードすることができなくなり
鎧兜に穴が開くのです。危険にさらされる。>
 
12:32 あなたがたはわたしが命じるこのすべての事を守って行わなければならない。これにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。
 
ずっと神は人に同じことを警告し、その警告は今日も同じ。

 

ヨシュア1:7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたトラーをことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。

1:8 このトラーの書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、

あなたは勝利を得るであろう。

1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しく

あれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。

 
 

この箇所、クリスチャンも暗唱聖句で覚えているのではないのでしょうか?このコンテキスト〜内容は何を話しているのでしょうか?神のトラーを忘れるなです。

神のトラーは、神ご自身、イエシュア、聖霊でありこれが人を

守る鎧兜だから、どこに行っても神が共に内側にいて、聖霊

が内側にいて、聖霊=言葉が頭脳に浸透してれば、自分を守り生きれるから、恐るな!とあるのです。

申命記27:26 『このトラーの言葉を守り行わない者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
 
エレミヤ17:5 主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。
 
自分の文化、日本で言えば呪縛、呪い、わら人形など、人を呪うとは、呪いを施し、魔術をして人に酷い目に合わせる、
呪いを唱えて悪霊をその人に送るなど空想しますよね。
聖書に書いてある「呪い」と言うヘブライ語は、アルアארור 
と言う言葉です。
何を意味しているのかと言うと、これ、神が伝えていることを、その通りに理解すれば、意味はクリアーに見えてきます。
 
神の言葉=トラーは聖霊=神ご自身=イエシュアであり、
鎧兜、安全な要塞、臍帯、守りと書いてあるのです。
神の守りを捨てる人はどうなりますか?神の言葉を捨てる人は、
神の守り、保護を自分で捨てて、防御服なしで汚染地帯、
放射能蔓延している中を歩く。
神の守りがその人から離れます!と言う意味なのです。
そうでしょう。
伝えられているルール無視して、時速70キロの道を150キロで爆走する様なことをすれば、危険であり、他の人も危険に
巻き込み事故を起こしますと言うことです。
 
そして、命と死、呪いと祝福とずっと神が言っていることと繋がるのです。呪われる=守りをその人が捨てて、祝福の反対、
呪いをこうむると言うことなのです。

神の言葉を捨てる人は、防御服、鎧兜、神の守りを捨てる行為をしているのですから、呪われる〜危険な目に合い、神の守りが

ない状態になる!と言っているのです。

 
ヨハナンは、トラー、預言書に記された神の言葉に対して話しているのです。
神の言葉に付け足し、差し引き、ローマ帝国宗教は、これを
ずっと今に至るまで続けているので、聖書に記されている神の
警告の意味は全く通じていないことになるのです。
 

黙示録22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、

神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。

22:19 また、もしこの預言の書の言葉とり除く者があれば、

神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。

 

創世記12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを

のろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、

あなたによって祝福される」。

 
この箇所にある呪いは、カラル קָלַלは、和らげる、軽蔑する、軽くする、苦しめる、より悪くする、より弱める、などの意味がある言葉です。
これは、祝福とは反対、違う状態になることです。
神の目には、軽い、意味ない、価値無い存在と成り下がる。
 
神の教えをあざけるものは、もちろん神の守りがその人にはない
鎧兜を捨てる人は、危険にさらされる。
そして、その人は、神の目から見たら一番無価値な意味ない存在であると、イエシュアはこれらのトラーの教えからその事実を
語っているのです。下矢印

 

マタイ5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

 

小さいものと訳れている、ギリシャ語では、エラキストス、

ヘブライ語のカラルの裏にあるギリシャ語翻訳です。

神の教えを軽んじるもの、あざけるもの、無法、捨てるものは

神の目には、軽い意味ないものになる!と警告しているのです。

トラーから。それが、イスラエルの歴史の中で証明されているでしょう。神のトラーに戻り生きよ!と言う警告を無視し続けて

偽物の宗教の教えと交わっていた。そしてバビロン捕囚と言う

刈り取る結末を負ったのです。

 

クリスチャンは、昇天以降、神が神の教えを別の新しい教えに

変え、古い律法〜異邦人に聞きなれない教えは、廃れた!と完全に、聖書にない教え、勘違い、誤解した教えを施されてそう信じていますが、神の言葉を変えて、666、反キリストの悪事を行ったのはローマ帝国皇帝達なのです。神ではない。

神が神の言葉を変えると、そんな偽情報を信じている時点で、

聖書とは違う人間の教えを信じている!と、はっきり事実に

気が付かないとならないのです。

聖書に書かれていないこと、真逆の思想を信じているのです。

1世紀以降歴史の中で何が起きたのか、一般的に語られない、

教えられていないから、知らないだけなのです。

 

ユダヤ人が世界へ散ったのは、ローマ帝国によりトラーを生きることを禁じられ、70年の神殿崩壊で110万人のユダヤ人が

殺害され9000人が奴隷となり、それ以外の人々はイスラエルから出て行ったから、その後ユダヤ人イエシュア信者のことは、異邦人クリスチャンの間では、聞かれなくなったのです。

 

異邦人とユダヤ人イエシュア信者は、徐々に、そして4世紀以降は完全に決裂し、別の路線に別れたのです。

そして、ローマ帝国支配下は広範囲で、ローマ帝国教がヨーロッパ、西洋に伝えられて行ったから、人造宗教が異邦人の間で

浸透、拡散されたのです。純粋な神の言葉、教え、福音ではない

人間の教えが混じる思想が語られてしまったのです。

トラーをイエシュアが教えられた通りに生きる契約の民と、

ローマ帝国が、異教の神々の思想、教えを取り入れ、土台は

神のトラーを破棄する!と言う勝手な主張で作った宗教。

 

そして、ローマ帝国の権威、力、支配が大きいため、ローマ帝国下に住んだ全ての人は、ローマが神の教えを作り替えて作った

宗教が、異邦人の間に強制的に行わされて、人造宗教が

ヨーロッパへ、そして世界中へ浸透して行ったのです。

だから、あたかも、昇天以降は、異邦人により、西洋人が作った

宗教なのに、それが聖書、神の教えと伝えられたことが真実だと

思い込まされ今まで来たのです。

 

パウロに関してでも分かる通り、ユダヤ人は異邦人には迫害され、同様にユダヤ人イエシュア信者は同胞であるユダヤ人にも

迫害され続けて行ったのです。

 

ローマ帝国が作った、なんちゃって宗教〜神の教えを塗り替える

冒涜など、神の教えを知るユダヤ人は実践できません!

これこそが、聖書で警告している反キリストの教えであると

クリスチャンの方が、理解しないとならないのです。

そして、異邦人も同様に、神の教えを否定する人間が作った宗教思想は聖書ではないと、気が付く必要があるのです。

契約を受け継ぐ民が神の教えを勝手に塗り替えた、偽物宗教を

信じて生きよ!と言う方が、神に対する冒涜を強要し、罪を

犯せ!と言っていることに、全く気がついていないと思います。

 

だから、ユダヤ人イエシュア信者は、深く潜り、口を閉じて

目立たなくなっただけなのです。

どの時代も、世界のどこかに必ず残りの民は存在しているのです。特にユダヤ人はその役割を負って来たのです。

 

神の教えを知る人が、神の聖別を汚す行為をするなど、死に匹敵する罪は犯せない。もしクリスチャンも聖書に書かれた神が伝える意味、教えが正しく書かれた意味通りに理解することが出来たら、今までやってきた冒涜、罪を2度としたいとは思わなくなります。進化論が嘘と分かれば、その嘘を2度と真実であるが如くに語れなくなるのと全く同じです。

嘘は嘘。嘘が分かったら、真実に戻り、嘘には2度と戻れない。

それは、神に反逆する行為であり、神の性質に造られた人の

生きる生き方ではないと、はっきり目覚めるからできなくなるのです。

 

メシアが来られたから、日曜に昇天?されたから、だから教えや

記念日が変えられたという、嘘に騙されて信じてはダメであり、嘘を信じてもそれは、全く神の前に意味がないのです。

聖書に書かれていない、異教神、ローマ皇帝崇拝の礼拝日であり

コンスタンチヌスが4世紀に、不屈の太陽をあがめて、日曜日を休日とする!と制定したものです。聖書ではない!

イスラエルの神が呼び出しているモエッド=聖別されたアポイントメントの日ではないのです。

 

神はどれ程シャバット(それに繋がる神の聖別された記念日)を

汚すことに対しての重大警告をしているのか、神の教えを捨てている場合には気がつけません。

同じ神を信じているはずが、異邦人の世界に語り継がれ、教えられているのは、純粋な神の教え、言葉ではなく、人間の思想が混じった曲げられた神の教えだからです。

教えの根拠が人間至上主義だからです。人間の考えが中心と考えて、別物を平気で取り入れているからです。

又は、神は今はいつでも安息日、自分の考えで自由に生きて良い

時代なのだ〜というのも、神の教えに真っ向から反した、

糸の切れた凧状態を人に教える、まがい物の教えなのです。