"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -2ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

2025年の一年の締めくくりの神の祭り、イエシュアの業、再臨と未来イエシュアの統治を表す預言的祭りは、第七の月の1日が

ヨムテルア〜角笛を吹く日、大贖罪日は、第一日目のモエッドから

5日後、今年は、10月1日日没から2日日没迄。

そして、仮庵の祭りは15日(14日が終わる日没から)7日間

そして、第8日目の祝い日、2年前の10月7日、第8日目、

同時にその日は週一度のシャバットと同じ土曜日の朝に、サタン

テロリスト、ハマスに、イスラエルと外国人が、家で、祭りの会場で襲われ、800人以上が殺されました。

251人の人質が取られ、多くの人が殺戮されたのです。

 

神が創造された本物の聖日、主の日、記念日=モアデイム〜アポイントメントの日、人間由来創作の別物、偽物ではありません。

神ご自身が神の民、全員〜人種に関係なく、神のもとに戻った全ての人、神の大家族を呼び出し、代々、永遠に祝われ会見すると言われた、ミクラコデッシュ=聖なる集いの日をを、聖書の暦〜レビ記23章に記されています。

 

レビ記23:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたが、

ふれ示して聖会とすべき主の定めの祭は次のとおりである。

これらはわたしの定めの祭である。

 

神のアポイントメントの日の完全版です。出エジプト、民数記、

申命記にも記されています。

これを、人が知っていても、知らなくても、無視しても、しなくても、人の教えに聞き入り捨てていても、神が呼び出している日は、

永遠に変わらないのです。

 

もし親であるならば、子供たち兄弟が皆仲良く集い、同じイスラエルの神を祝い、喜ぶ宴会をする。家族が皆一致して同じ事を喜び

祝う!これ以上に嬉しい事は親に取ってはないでしょう。

 

詩篇133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しい

ことであろう。

 

神がデザイン、創造された神の民〜大家族を、2つに分裂させている西洋思想、ローマ教、ダービー教、西洋人が語る分裂西洋思想、

イスラエルの神のエハッド性、人の性質と異なる分裂を語る教えは、聖書とは真逆だと、体験上でも分かるのです。

 

仲違い、隔たり、会話がない、つながりがない、無視、無関係、関係遮断、このような中からエデン=喜び、本来の性質を体験できません。ユダヤ人も異邦人もどちらが欠けても、完全=シャロームには

なれない!と神が教えているのに、神の言葉を聞いていない人たちが

勝手な思想哲学を編み出すのです。

体験上でも分かりませんか?神の教えと真逆、2つ分裂した思想を

語っている事、聖書に書かれていない事を、クリスチャンは教えられてしまうのですが、今や聖書を正しく学ぶ異邦人教師もたくさん

いるのです。

それは、今まで聞いた教えが、本物の神の教えではない!と気が付く

異邦人の残りの民もいるからです。終わりの時代が来たからです。

 

聖書は分厚いし、良く分からないと思っても、聖書と違う思想を

簡単に見分けられます。

神の教えを、人間が一点一画でも変えて良いという思想です!

神の教えに古い、新しいという別物があるという教え。

神の教え、性質、救いの業が、時代ごと、人種事に違う、変化するという教え。

このように教える教えは、聖書が根拠ではない、ローマ帝国皇帝

が発祥、発令、勅令の宗教の教えを土台とした思想です。

神の教えではない!と、聖書から確認すれば良いのです。

 

神は厳重に教えています。偽物の教えの注意。

神の言葉から右へも左へも絶対それるなかれ!!!

それを、ゆるゆるにして、今はなんでも良いよ〜という蛇の声を

復唱し、人を偽物の教えに誘っているのが、人造宗教の教えなのです。なんでも良いなら、神は最初からそう人に言うのです。

神は変化しない、偽らない神であると教えているからです。

神が、厳重にガードしてと言われる意味は、ガード、シュモウ

それらは、

1)神の教えを曲げない、歪めない、付け足し差し引きしない!

2)そして、神が伝えた通りを生きる、それが本物のあなただから!

 

神の教え=聖書を曲げて解説している、クリスチャンの間に20世紀近くに渡り恒久的に浸透している思想、教えはこうです。

以下は、聖書、神の教えではありません!人間の編み出した思想です。

 

1)律法はユダヤ人だけのもの、異邦人には関係ないものだ。

キリスト信じたら、ユダヤ的な事に一切関わるな!

神の教え、古い教えを生きるな!

 

2)今は自分で考えて、いつでも安息日として良い。

日曜日は、イエシュアの復活の日、安息日でもなく、

ローマ帝国皇帝のミトラ神、戦争勝利をもたらす神としてコンスタンチヌスが信奉していた太陽神を崇める日として、日曜日を休日としたものなのです。クリスチャンは、昇天以降、神がシャバットを日曜日に変えた、神の祭りを捨てて、クリスマス、イースターを祝うように

神が命じたと、聖書に書いてないことを、本気で信じています。

それはどこから、来た教え、実践なのか?自分で調べてみれば良いのです。

 

325年ニカイヤ会議で、異邦人だけの宗教会議で神の教えを

ローマ帝国の教皇、教父、司教たちが捨て、シャバットを土曜日から日曜日へ変えよう!と、勝手に変えたのです。

この行為こそが、神の前に死に匹敵する罪である事、預言書に記された反キリストが行う事!と警告されていることを、ローマ帝国の教皇教父、司教は全く神の教え、警告を正しく理解などしていませんでした。

このように、聖書を正しく、理解していない、知らない、偽物の教えを施す人たちが作った宗教の教えを、異邦人は、聖書だ!と教えられ続けて来たのです。

 

3)ユダヤ人と異邦人は永遠の天と地で分かれて別々の場所を治め

2つ分裂した家族なのだ。

だから、異邦人クリスチャンは神の教え=トラーに縛られる必要などないのだ。

 

天の神の家、メルキゼデクの位に属する天の大祭司は、何を生きて

教えているのか、トラーを知らない異邦人には、神の語る聖書の真実は、全く通じないままなのです。

このような教えをする場合、それらは全て正しく聖書を解説していないという証拠、証明、照らし合わせる基準、バロメーターなのです。

なぜなら、聖書には、上記の人間の編み出した思想とは全く逆が

書いてあるからです。

神の性質は、エハッド=1つ以上で全く1つである性質です。

その神の性質に反する教えをしているのが、人造宗教=ローマ

ユニバーサル教、そこから発生したプロスタントも同じ思想を土台としています。そのような宗教を編み出した人たちは、誰一人として

パウロのような正しいヘブライのトラーを教える教師を持たないまま

翻訳聖書を、自分たちが編み出した思想で読み解き、人に聖書ではない事を教え続けて来たのです。

 

異端とは、神の教えから外れてズレた思想を語る教え、それらを聖書では異端の教えと呼んでいるのです。

エホバの証人、モルモン、統一教会など、これらは完全に聖書とは

異なる、聖書に登場しない、それぞれの宗教の教祖、預言者、聖書とは異なる経典や教えを信奉していますから、そんな宗教の教えは、

聖書に書いてある教えではない事、聖書に照らし合わせれば、

クリアーに分かるでしょう。

分かりにくいのは、ローマ教、本物の神の言葉に、偽物の教え

人間の教えを混ぜた、偽物の教えの宗教教理を教えられる、

混ぜ物です。

翻訳聖書を使いながら、読みながら、実はその宗教の土台は、

神の教えは終わった!という、聖書に書いてもないことを信仰の土台として、神の教え=律法という誤訳が施された、本当は神の教え、

インストラクション=トラーは廃れたという偽情報、大嘘、聖書に

書いてもないことを、根拠としている!!!

これ、気がついた人は、最初は本当に驚愕する事実なのです。

 

大勢の人が、信じている、イコール真実だと思うからです。

長い年月信奉され、ジーザス、主の名を唱えているから本物と思う。

狭き門なのです。それを見出す者は稀とあるでしょう。

信奉者の数や、年月で、神の言葉の真実を測ってはならないのです。

聖書だけ!聖書に記された、神の言葉が語る事実か、そうでないか、

神の教えではない、人間の教えを語っているのか?それが、偽物と

本物を見分ける唯一の方法なのです。

人数や、人気度、年月を、真実を図るバロメーターとしていたら

迷い出た場所から、本物の神の教え、事実、契約に根付く本来の生き方には戻れません。

 

簡単な事実が、人の教え=偽情報、神の教えは古い、新しいがある

古い教え=律法=モーセの五書が廃れた!

新しい教え?マタイ以降?イエシュアが教えらたのは、モーセの五書=父の教え=トラーであることを理解しない異邦人が、聖書を曲げた

思想を通して、聖書を解説しているのです。

 

同じ地に2つの種を蒔く、混毛するなかれ、2つ別の種の動物を掛け合わせるな!の教えで教えられている通り、偽物と本物を掛け合わせている、それが人造宗教、西洋宗教です。

人間の教えを、神の教えの中に混ぜ、神の教えを歪め、捨てる宗教

それが、西洋人造宗教であり、こんなものは人間は最初から作っては

ならない、神の言葉、教えを捨て否定する死に匹敵する大冒涜であり

人を知らない間に、偶像礼拝の罪に引き入れて、やらせているものなのです。

偶像=人間の思想です。神の教えに別物を混ぜるもの=偶像です。

イスラエルの神が語る真実ではない、イスラエルの神に属さない教え

宗教実践、記念日。

聖書に書かれていない、特に神の教えを否定しているキリスト教の

教えは、異端的教えなのです。誰がどう、うまく説明しても、神の教えを捨て、神の言葉を変え、曲げて別物を語ること、それらは罪であり、

異端的教え=聖書の語る教えなどではなく、そういうことをする、

伝えることを、神ご自身が禁じているからです。

神がいつ神の教え、言葉を変えましたか?神がいつ、神のシャバットが日曜日になる、今は何曜日でも良いなどと言いましたか?

 

パウロの手紙を正しく読めない、イコール、最初の部分、神の言葉

の完全版を知らない人が、勝手に神の教えを変えて、パウロの語る

意味など理解せず、聖書に反する、偽物の聖書解説をしているのです。

聖書ではない 異端的教えがクリスチャンの中にも混入しているのです。

神の教えの中に、聖書ではない教えが混入しているのです。

その原因は、聖書を、人間が編み出した宗教教理、思想で、神の言葉の方を曲げて、ズレた聖書解説をし続けていることに、聖書を教える人が気がついていないからです。

 

パウロも警告しているでしょう

偽教師 偽の教え 人の編み出した哲学、人の言い伝えと。

1世紀は ギリシャローマ哲学思想に汚染されていたのです。

近隣諸国は、正に、異教の神々が混在する場所でした。

コリント、ガラテヤ、コロサイ、ローマ皆同じです。

神の教え、トラーに根付いて代々生きていない異邦人など、

神の教えを最初から理解などしていないのです。

神の教えを理解しない人は、簡単に偽物の教えを本物と引きずられて

行くのです。

これ、ダニエル書を読むとよく見えます。どうして、この三人の若者が、異教の神々に仕えるネブカデネザルの元で、自分たちの名前を

異教の名前に変えられても、神のトラーに根付き、偶像礼拝に

迎合せず、汚れた動物を食することを、知恵を持って回避し、

死に至るまで強い信仰を持つことを知っていたのか。

神の教え=トラーを、親に、先祖に教えられたいたからです。

そして、イエシュアを知って、聖霊を受けていたから、このような

頑強な信仰を与えられていたのです。

 

異邦人の世界に伝えられた神の言葉や教え、記念日は聖書ではない

オリジナルではない、ローマ帝国皇帝、宗教会議で人間が変えて

手を加えた別物であるという永遠に揺るがない事実を発見してください。

神がするなかれ!という事に、真っ向から反して、聖書を教えるべき人達が、聖書=神の教えではない人間の思想を、一般の人に刷り込み続けて、今に至る事、多くの人がその嘘を発見し出しているのです。

 

それは、聖書に戻れば、神の言葉が真実を語るから、人間の教え

しかも、歴史の中で堂々と神の教えに違反する思想を編み出した

ユニバーサル教、宗教が神の教えに真っ向から違反し、罪である

神の言葉を人が捨てる、塗り替える、付け足し、差し引きして

聖書ではない教えを、人に浸透させているからです。