"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう? -3ページ目

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今は365日いつでも聖日、礼拝日と主張する人の、言いたい、

表現したい、その人の気持ちは理解できますが、

大事なのは、その人が考える何か?ということではなく、神が何と

人に教えているか?説明しているか?なのです。

神が言われることを、その通りに人が聞く、そして、神の言われる

意図通りを知る!それが第一なのに、神が意図する意味を、

勝手に言い換える違反をしているのです。

 

これ、本当に宗教の特徴なのです。神が言われることではない、

神が言われたことを、その通りに聞かず、別物の教えに作り替える!

手を加える、捨てる、破棄する。こんなことをやり続けて、偽の

イエシュア像の影を地上で好き勝手に投影しているのです。

 

境界線が無い世界は、区別が無いのです。

神は、最初から分けて、世界を物理的に造られています。

昼と夜、空と地。上の水と、下の水。光と闇。

全部境界線が敷かれているのです。

区別がなければ、その見分けが出来ず、全部が一緒くたになるのです。

神は全ての日、全ての時を創造されました。その中で、神が特別な

意味を持たせ、特別な目的の為に創造された日があると教えて

いるのです。

それを、人間が神に対する尊敬、愛情からですが、別物に言い換えている、その違反をやめないとなりません。

人の間でも、他者が言ったことを、別のことに言い換えるのは

無礼、冒涜、不遜、嘘でしょう。そんなことしないのに、なぜ

聖書に書いてある神の言葉には、その様な冒涜を平気で主張し続ける、

やり続けているのですか?と考えたこともないのです。

神の完全版の言葉に、余計な添加物を加えてはならないのです。

365日、いつでも聖日、主の日、シャバットではありません!

 

これは、別枠で解説する必要がある内容ですが、礼拝とは

クリスチャンが考えている、想像している西洋宗教の礼拝式や

その礼拝日でもありません。

シャバットは、礼拝日とは聖書では呼びません。止まる日です。

しかし、その日、止まる目的は、家族、仲間が神の前に集まる

修復の時、神の言葉を皆で考える日、そして喜び楽しむ日という

特別な時が設けられている日なのです。

 

だから、普段の様なこと、仕事、雑用、この世の雑事、煩いから

離れて、エデンに戻る!

違うことに気が逸らされない、時間を奪われない為。

だから、止まる。神がとまられたから止まる。神が呼び出されている日、神が言われる通り、神の中、神の特別に設けられた会見の時を

喜び、祝う日。だから、宴会があるのです。

聖書に記された言葉、神が意図している基本中の基本が教えられず

人間が編み出した考えを前面に主張している、それをしている!

ということにさえ、全く気がついていないのです。

 

神の言葉、教えは、日々、寝ても覚めてもいつも考え、それを生きる。そして神のトラーを子供達にも常に教える!と言う、

それが神の命じていることです。

それを、シャバットや、過越、仮庵の時にするのは、当然です。

 

この日については、いつが安息日?いつが聖日?いつが礼拝日?

いつが主の日?などという議論から来るものですが、これは人が議論するものでは無い、神がどの日が神のアポイントメントの日であるかを、はっきり教えているからです。

それなのに、神が既に教え、定義していることを、人間が判定、議論する余地がない!という、神の言葉に対しての正しい理解がごっそり抜けている、初めから、神の言葉を理解していないのです。

初めから、神の教えとは違う、人間、第四の獣が作った混ぜ物宗教の教えを刷り込まれてしまっているから、聖書に書いてある事が、

書いてあるのに、その意味がよく分からないままなのです。

 

人間が作り替えた宗教など4世紀に作られなければ、イエシュアが教えられた通り、1世紀の人たち、マタイ〜黙示録に登場する人たちと同じトラーの実践をしていたはず。

今の様な、神の教えを否定し、ローマや西洋教父達が作り替えた日曜礼拝、クリスマス、イースターなど存在さえしていなかったのです。

 

どの日も主が造られましたが、全ての日、365日を無差別に

特別な会見の日、アポイントメントの日として創造されていません。

それが、聖別の意味なのです。特別な目的、意味の為に取り分けられた日、それが主の日、聖日です。

その日は、神がレビ記23章に、神のアポイントメントの完全版の

暦を書いているのに、クリスチャンはそれを知りもしないと

思います。いや、神が呼び出しているアポイントメントの暦を読みもしない、確認、気にも留めない。廃れた古い律法さ〜と言うローマの

大嘘を刷り込まれているからです。

代わりに、第四の獣創造、由来の別物をやっているのです。

気がついたら、闇に光が灯って、部屋がゴミだらけだと気がついたら、そのゴミは全部処分する、ゴミの山が邪魔で床が見えない状態だから

ゴミを一掃するのです。

そして、未来は皆霊になりフワフワ浮いて、神の教えなど関係なくなり、エルサレムの神殿もなく生きると言う不明なことを信じているのです。

いつでも、どこでも神と共にいる、神に会える、神と話せる、祈れる

しかし、神が定めた日、アポイントメントの日、モアデイムは、

個人だけではなく、全世界にいる神の子ら全員を呼び出している

神が特別に設けて、特別な目的の為に分かたれた日なのです。

 

いつでも、安息日、365日、安息日という主張も、聖書から逸脱しています。なぜなら、365日、全て止まる日ではないからです。

書いてあるでしょう。神は第1〜第6日までは、普通の日、労働日とし、その時に十分働き、第七日目はシャバット、止まると。

 

どうして、神の言われることを丸無視して、人の思想、考えを前面に出し、神の言われることを退けて、今は365日どの日も聖日ですと言うのか?それは、聖書、神の言葉を知らないから、勝手に言っているだけです。

いや、西洋教父達の自分教、グレコローマ哲学思想、人間主体の神

そっちのけ、神の言葉無視で、冒涜的に神の言われることを言い換えるそんなことをしている、西洋教父の受け売りを伝授しているのです。

今や聖書があり、ネットがあるのに、未だ未だ聖書を正しく教える

教師の方が、極少数ですし、多くの人が西洋人、ローマが4世紀に

神の教えを否定して作った宗教が本物と思い込んでいます。

ましてや、2世紀、手書きの聖書、書簡のコピーを特定の人が持っているだけであり、それを回し読みしているだけの異邦人の世界。

いや、普通の人は、聖書、トラーの巻や、手書きコピーさえ見たこともないのです。

聖書教育など、ユダヤ人とは全くダントツに違う環境で、正しく

トラーを教えられることもないまま、神の言葉が西洋教父達の手に渡り、神の教えが、作り替えられて行く過渡期、そして、西洋教父の思想で、

聖書に書いてある通りの聖書解説がなされない様になったのは、

使徒達が地上から去った2世紀以降なのです。教師がいない!

その後、知る通り、4世紀には、ローマ帝国が正式に、トラーを否定した、反ユダヤ思想を土台とした、新興宗教を作ったのです。

西洋人だけの、ユダヤ人抜きの宗教会議の続発で、聖書ではない思想を

無数に作り続けて来ました。LGBTQ婚受け入れますもそれです。

プロテスタントも、同じことをやっています。

その聖書解説も、もちろん西洋教父、司教、教皇が、ラテン語で読み上げ、一般人は聖書には何が本当に書かれているのか、知る術もないまま、西洋教父の思想を刷り込まれて中世に突入するのです。

 

神の創造されたシャバットを、人間が定義し直し、作り替えることをする、この行為こそが、反キリストが行う行為であり、ダニエル

7:25に記された通り、神のトラーと、神のモアデイムを変える!

それに賛同する人々がいるという警告なのです。

第四の獣が作った偽物宗教。神のトラーと、神のモアデイムを変えた!その通りのことが4世紀に起きたのに、クリスチャンは、その事実を知らない、何も気に留めていないのは、それが新しい時代の本物の教え、古い教えがキャンセルされたからだと、西洋教父の思想を教え込まれて、聖書を教えられていないのです。

その時代、デイダケーという異邦人クリスチャンの共同マニュアルが

作られていました。それには、「主の日に集まり、聖餐式をするように。」という指示が書かれていました。

 

ここで、これを書いた人が、聖書を知らないことは、明らかです。

1)主の日、イコール、日曜日ではない。

2)聖餐式とは、聖書にはないものであり、主の晩餐とは、

過越の祭りの日の晩餐の儀式でするものであるからです。

 

異邦人は、神の創造された本物のアポイントメントの日、

シャバット、新月、過越、仮庵の祭りなど、教えられいませんし

知りもしない、何それ?古い律法の祭りでしょう!とそう言います。

 

集まるごとにするのは、聖餐式とは呼びません。

親しい集まり、交わりで食卓を囲んでいるだけであり、

祭りやシャバットの特別な晩餐行事ではありません。

ユダヤ人は、シャバットや、シャバットを閉じる時には、

2つのパンワインで、祝います。

後、今現在もそうですが、金曜日の日没のシャバット、そして

土曜日の日没のシャバットが終わる時に、集まることをするのは

伝統的な慣しですが、それを日曜礼拝になったと勘違いするのは

早合点そのものです。

シャバットが始まる時、終わる時にも集まっているだけです。

徐々に、日曜礼拝に移行する様に、神が教えたのではありません。

大体、古代ローマ帝国下では、休みの日というのが、無いのです。

異邦人、異教徒は、休みなしに働いていたのです。

だから、ユダヤ人が、シャバットや祭りで仕事をしないと

怠け者と中傷されたのです。

 

多分、初期の西洋教父達には、既にユダヤ人のように、シャバットを祝うこともしない、シャバットの晩餐をするようなことをしない人達だったのです。異邦人だからです。

日曜日は、神の創造されたシャバットではありません。

西洋教父達が、いかにそれらしく解説しても、それは聖書、神の

仰せ、教えではありません!

人が、神のシャバットを変えて、それが異邦人の間に浸透したのです。

詰まり、人間が作った教えや伝統が浸透して行くには、一挙に

それが起きたのではない、世界で同時に起きたのはありません。

ローマ帝国下に住まわない異邦人イエシュア信者は、600年代も

イエシュアと同じ様にシャバットや祭りを祝っていた人が存在していたのです。

ばらつきがありながら、やがて4世紀にローマ帝国が作った宗教

その宗教会議で、正式に神の教えと神のモアデイムを禁止され

捨てさせられ、人間が作った教え、神のトラーを排除する思想、

反ユダヤ思想、そして、シャバットを、日曜日と変えたのです。

 

人間が変えた!ということ、こんな簡単な事実が伝わらないのは、

それは、今に至るまで、クリスチャンが、日曜日、主の日、聖日という、聖書ではない教えを刷り込まれ、それを周りの異邦人クリスチャンが皆実践している、教師も、牧師もサンデークリスチャンだから、

それが聖書と疑いもなく信じているからです。

神の言葉が通じない、み言葉が聞けない飢饉そのものです。

 

神の仰せではないのに、日曜日、安息日とするのは、

人間が神に成り代わるそのものをやっているからです。

いつ集まろうと自由ですが、いつでも、シャバット、聖別された日

神の祭りではありませんし、神のシャバットを言い換える違反は、

神に許されていません。

日曜日に変わったとする解説は、それは麗しく、それらしく

解説しているものが多くありますが、神の言葉、教えではありません。日曜、光の日、復活の日。

イグナチウスは、安息日を律法と呼び、救われた人が、律法を守る

ことは、恵に反する生き方だと主張しました。

その後、今に至るまで、異邦人の世界では、この様なことを言う

教師ばかりになってしまったのです。

分かりますか?キリスト教で聞かされる教えは、聖書ではなく、

このような西洋教父達の、神の言葉を否定、無視した冒涜的な勝手な発想、主張、思想、受け売りであり、神の創造されたモアデイムを

真っ向から否定する行為であり、神のシャバットを汚す

罪であることを、西洋教父は理解さえしていないのです。

 

神の言葉を正しく理解しない人が、自分教の教えを編み出し続け、

勝手な解釈や、解説を加え、人を神の教えではないことを教え、

ズレた道に人を導く、罪をすることに導く。

罪とは、神の教えに違反、反することをすること。

いいじゃない、気持ちさえあればと思うのは、神の教えを知らない

理解していない、異教徒上りの異邦人だからです。

神の言葉を、神が言われている通りには理解しない人。

神の教えに聞こうと言う態度が、欠如しているのです。

その代表例が、イエシュアを信じる人が、堂々と律法は廃れた

無用、関係ない、古い教え、キャンセルされた教えと信じている事。

そういう人ばかりが世界に溢れてしまったら、イスラエルの神、

イエシュアが誰か、正しく伝わらない、分らなくなり、偽物の

イエシュアが伝えられてしまうから、神は代表者を選んだのです。

 

神の契約、教え、聖別を世界の中で、神の言われた通りに生きる人

イエシュアの生き方そのものを、神が言われた通りにガードする人を選び出した理由は、分かります。

 

皆が皆、このような西洋教父達のように、神の教えを捨てて、

自分の考え、解説、解釈を前面に押し出し、主張して、神の教えは

古くて悪い、神の古い教えの律法の安息日は廃れた!

こんな大冒涜を堂々と言い続けて、神を愛している、正しいことを

人に伝えていると錯覚する。

人を縛る悪い古い教えから、ジーザスは解放するために来てくださったのだから!いや、解放される大元は、人間の要素ではないズレた

生き方、罪の縛りそのものから解放されるのであり、神の言葉から解放されると言う意味は、聖書では、「不法」と警告されているそのものです。

詰まり、使徒達が、地上から去った後、このような偽物の教えをする異邦人、西洋教父達は、急激に、芋づる式に無限に、どんどん増えて行ったのです。トラーを正しく教える教師がいない、偽物の教えを

制する、正す教師、人がいなくなったからです。