いつも周りには、色々な国籍のクリスチャンがいます。
そして、クリスチャンだけではなく、色々な宗教信仰があります。
流石に、神道を信奉している人は、日本人以外はいませんが、
世界では、カトリック、プロテスタント、イスラム、仏教、ヒンズー
その他諸々の新興宗教を信奉している人がいます。
様々な宗教は、全て人が作ったものです。仏教、神道、イスラム、
ヒンズー教、ユダヤ教も、キリスト教も人間が作ったものです。
ユダヤ教、キリスト教、イズムとは、神の言葉に、人の思想を混ぜて
作った宗教なのです。
聖書には、ユダヤ教も、キリスト教も書かれていません。
聖書に書いてあるのは、神の教え=トラー=契約=神の大家族の家訓だけなのです。
私は、古い教え、モーセの五書がユダヤ教で、新約聖書以降が
キリスト教という、モーセの五書とは違う、新しい教えが書かれていると教えられました。
本当に全く無知でした。信じた最初に牧師、教師、周りの人にそう
教えられたら、そうなのだと思うのは当然です。
現代のユダヤ教とは、口頭トラー、人の教えで解釈、または様々な
戒律を人が編み出して、解釈を付け加えた宗教の実践です。
神殿が無い後にできた宗教ですが、その中には、トラーに根付いた
正しい解釈もありますが、人の教え、戒律、ルールで人の生活を
縛るような教えがたくさんあるのです。
これは、神の言葉が、どのように宗教に変身したかの歴史や
偽物の教えから脱出した人たち、それは、ユダヤ教だけでなく
キリスト教も同様に、異端思想、カルト化した今の世界に蔓延しているのです。
神の教えとは遠くかけ離れたことを教えられ、実践していること
その呪縛から脱出し、それらのムーブメントがどうしてできて、
どのようなズレた違反行為をその群れの中で、教えられ、行われているのかを、研究している人たちがいるので、なるほどそんなことを
教えて
やっているのか!と、真相が見えてくるのです。
どのみち、神の教えから、少しでもずれれば、それは真理ではないから、人を不自由にし、支配し、縛ります。偽物の教えに騙されないため、神の言葉、教えから、右へも左へもそれるな!と神が教えて
くださっているではないですか。
創造の歴史のさかのぼれば、聖書の中に記されている神々、
バアル神、モレク神、これらも全部人間が作った神々であり
その架空、空想の神々への信仰です。考えたら、馬鹿馬鹿しい!
でも、同じことをやらされているのです!人間の教えをやらされるのは、神の教えではない、架空、空虚を生きること、虚しいからです。
偽の神々の宗教も古代中近東では、聖書と同じ動物のコルバンが捧げられていたのです。
バアル神、エル=神は、ジェネリック名で、イスラエルの神も創世記の最初に神=エロヒム(複数)エル(単数)という名でご自分が創造主であることを紹介しています。
異教の神々=エル、バアル、でも、聖書を読み進めて行くと、
この創造主である本物の神=エロヒムは、異教の神々=人間が作り出した神とは違う事が分かって来るような書き方がされているのです。
他の神々は、無から有を創造しない。偽物で存在しないからです。
他の神々は、人間と関わりを持たない。偽物だからです。
他の神々は、人に何も出来ない、約束、補償もしない、偽物だから。
悪霊が、偽の神々を利用し、人を騙すのです。
蛇の騙しは、同じ。エデンの園の騙し。神の言葉を人が疑い、
そう言う意味で神は言ってない?!そうではない!と、人が神の言葉の方を、変えたでしょう。
神が永遠に変わらないと言っているのに、クリスチャンは、神の言葉を塗り替えた人の教えに聞き入り、永遠普遍ではなく、昇天以降は
変わったのだ!という聖書に書いて無い嘘を本当!と信じて、
実践していることに、気がついていないだけなのです。
他のどの宗教も最初誰かが作った事を、内容を作り変えて行きます。
自分が神から啓示を受けた、自分が預言者、教祖、救い主と思い
こむのは、悪霊の騙し、プラス、脳に何か異常があるのでしょう。
人は人であり、神ではない。神から啓示を受けて、偽物=悪霊の手先になる宗教の啓示など受けないからです。
聖霊か、悪霊しかいないのです。聖霊は、聖書が閉じられた後、
ある人に聖書とは異なる思想の啓示などしないからです。
アルツハイマーになると、幻や幻聴、レビー型アルツハイマーは、
本人にはリアルな幻視などがあるそうですが、これも脳の障害です。
レベルは違っても現実ではないことを、現実と思い込めることが
普通の意識、思考回路の状態ではないと言う事です。
そして、デイスペンセーション神学を作ったダービー、その他、
聖書の教えを塗り替える思想を人に教える偽教師も、再臨を偽預言した色々な偽預言者、脳に大怪我を負って、長い間昏睡状態から
覚めた後、自分が預言者だとか、神から聖書に無い新しい啓示をもらったなどと宣言し、新しい教派や、教え、神学を作ったりしていますが、こう言う事と同じなのです。
神の言葉は、それだけで完全であり、閉じられています。
後から、別の教えの付け足しなどは、無いのです。
未来に何が起こるのか、それは預言されていても、それは起きた時に
後になって、色々な事実がはっきり見えてくるのです。
それは、新しい啓示などではありません。
神は、人にいついつ、誰々が何何をするなどの詳細は、人に伝えないからです。人に未来が全部分かれば、神に信頼する必要がなくなるからです。
反キリストのやることは、歴史の中で何度もずっと繰り返され、
患難も何度も何度も繰り返されているのです。自分だけ免れるという
逃避思想を教えられてはならない。患難の中で、神が守られる!
イエシュアが悪魔の大御所と対峙した時何を言われましたか?
マタイ 4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と
イエシュアが悪魔から、これしろ、あれしろ!と試みられた時、
神の言葉をサタンに突きつけ「書いてある!」『書いてある!」
「書いてある!」と言われたのです。
イエシュアは、申命記、神の言葉が契約書形式で記された完全版、
神の子ら、ユダヤ人、異邦人混合の大家族に与えられた神の家の家訓である神の言葉から、サタンに対峙し、サタンは書いてある神の言葉が絶対であるから、退いたのです。
クリスチャンはイエシュアが教えた言葉を、廃れた!という偽情報を信じた最初から教えられているのでしょう。書いてある!とイエシュアが宣言している教えを、古い廃れた関係ない教え!と主張する。
では、何のために聖書を読むのですか?マタイ〜黙示録は、完全なる神の言葉=トラーの短い引用抜粋であり、昇天以降の新しい教えなど
聖書には1つも記されてなどいないのです。
そして、人が神の言葉を仕分ける基準は何ですか?結局神ではなく
その人の考え次第でしょう?それこそが、人間至上主義であり、
人が神になり代わり、神の座に座り、神が禁じている重い罪〜違反
行為、神の言葉に人間が手をつけて良い!と宣言しているのです。
教皇が、その極め付けでしょう。人のなのに、神の名を使い、聖なる父と呼ばれ、そして、教皇が神の教えを再定義、解釈して良い!と
考える。だから、数々の聖書ではない教えを、20世紀にわたり
宗教会議で作り続け、結婚を禁じたり、LGBTを容認、同性婚祝福しますと宣言するのです。世も末。
聖書には何と書いてありますか?イエシュアが教えた本物の神の
教えは、モーセの五書なのです。
レビ記18:22 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。
これは憎むべきことである。
18:23 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。
また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。
これは道にはずれたことである。
18:24 あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、
これらのもろもろの事によって汚れ、
18:25 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のために
これを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。
アメリカで、両親が牧師、ミニストリーをやっている家に生まれたのに、家庭では母親がアル中で、その後、離婚し、母の友人や親族から5歳の時から性的虐待を受けて、自分は男だ!と思い生きていたのに、ある時イエシュアに癒されて、今は元ゲイだった男性と結婚して
子供も与えられた人の証を動画で見ました。
詰まり、歪んだ体験、学習が自分の自己像、自分を自分として受け入れられないという悲劇があるのです。そして、そんなことを許可した
神をずっと憎んでいた。
それらに関して、対峙、解決することと、LGBT罪を受け入れることとは、全く別のカテゴリー、課題、問題であり、切り離して考えないとならないのです。
そんなことを言えば、殺人鬼は、人を殺める衝動があるから、
その衝動を抑えられないから、仕方ないのだ!だから、殺人が認められるで言うのと同じ事を言っていることに気がついてください。
神が創造されたデザインに反する生き方を、群れの中の人がする
それは、群れから絶たれる行為なのです。
絶たれるとは、地獄行きなどという意味ではありません。
群れの関係から、切り離されないとならない!他の人を破壊していくからです。神の教えを捨てる人には、神の伝える契約に根付いた、
契約の愛の生き方の全貌など見えないまま、罪を容認することが、
愛などととんでもなく勘違いしていくのです。
神の教えに本当に気がつけば、宗教の世界は異端思想で汚染されて
いるのです。信仰の土台が、神の教えを否定した異端思想=砂だから、当然なのです。
歪んだことを、学習した人、それは周りに悪い歪んだ影響を与え
必ず人を破壊、歪めて行くものだから、排除しないとならないのです。
私達は、聖書に「書いてある」というその、書いてある事を、正しく
知る必要があるのです。イエシュアと同じように知る。
神の言葉の上、岩の上、イエシュアの上に、私達自身の命を建て続けよ!と教えられているのです。別の岩=イエシュアが言われてもいない教えの上=砂の上に、人生、命を積み上げてはならない。
神の言葉だけでは、十分ではない!と教える思想は、神の考えと一致してない、人間の思想を土台として、神の伝える事とは違う事を
次から次へと編み出して、別物を生きさせる、異端的思想です。
だから、様々な教えのムーブメントが出てくるのです。
誰かが、神から特別な啓示を頂いた、これ聖書が警告する偽預言者の
主張、発言なのです。
有名な先生だから、学者だから、正しいことしか教えないと考えるのは、やめないとならないのです。教師が、偽物の教えをするから
偽教師に注意!と、聖書にはあるのです。
偽物教えは、神の教えを否定する教えです。人が神の言葉を勝手に
仕分ける教え、そして神の教えやモアデイムを律法だから、今は関係ない異邦人には、関係ない、遠い外国の祭りでしょう!と有名教師が堂々と教えているのです。
それは、西洋人の作った宗教の教えの中で、宗教の教え、人間の思想で聖書を解説することを神学校で学び、神の言葉、モアデイムを変えた教えが、最新式の神の教えという、これ、全部偽情報を土台に、
聖書=神の教えの方を歪めて解説していることが問題なのです。
世界にある宗教は皆同じです。同じという意味は、その発祥が人間の
考えが由来であり、空想、虚構だからです。
実在しない神々と、その偽物の教えを人間が考えて編み出したものだからです。
偶像礼拝、偶像の神とは、人の思想、思索、空想、想像、考えから
出て、それが偶像という形、様々な礼拝儀式や、記念日として目に見える形で現れて、それを人が行動で行うから、偶像礼拝というのです。
そして、偶像の神々は、歴史の途中で編み出されたものなのです。
詰まり、神が創造された物から、人間が空想、想像して、神々や
教えを作る。
だから、人の形、人と動物とが融合した像、その他諸々、神の創造
を歪めて、変えた偶像を作っているでしょう。
それらの宗教は、歴史の途中で、人が作ったものです。
更には、その宗教も、時代ごとに、教えの中身を変え続けて、
別々の宗派に分裂し続けて行くのです。
仏教を取ってみても、分かると思います。
紀元前5−6世紀頃にインドで、釈迦が悟りを開いて作られた人造
宗教、それが、手を変え品を変え、日本に入って来て、日本の中でも
様々な宗派に分かれて今に至るのです。
神道は日本にしかない宗教ですが、同じです。人間由来。
そして、キリスト教も同じです。
4世紀にローマ帝国が、神の教えは廃れた!生きるな!という勅令
を土台に、彼らの土着信仰=太陽神の教え、思想、異教の神々、
人の教えを盛り込み続けた、人間が作った宗教なのです。
ユダヤ教も、聖書には記されていません。イエシュアが居られた時代
現代のようなユダヤ教もありませんでした。
聖書には、神の言葉、教えしか書かれていないのです。
宗教とは、神の言葉に、人間の思想を混ぜて作った不純物、
神の言葉を、人間が1つでもなし崩しにしたり、変えたり、今は神は同性愛を認めていますと、神の罪の定義を人間が塗り替える思想は、聖書、神の教えなどではないのです。