エレミヤ31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの
トラーを彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの
神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
心とは、ヘブライ語ではレヴ=頭脳です。レブは心臓という臓器ですが、頭脳を表す言葉なのです。マインド。
臓器で表す言葉、肝臓=意思、怒り、腎臓=感情など、古代
ヘブライの世界の人は理解していた言葉で表されているのです。
日本語でも、胸が痛むとか、腹ワタ煮え繰り返る、腹に据えかねると、腹の中の臓器を通して表現をしていますね。
この内蔵ですが、神の家、ミシュカン、神殿の祭壇で捧げられる
動物の内臓、臓器を通して重要なことが教えられています。
これは別のトピックなので、ここには書きません。
来たる未来、全ての人が頭脳に割礼がされた状態になる。
その人達は、頭の中に神の教え=トラー=モーセの五書に記された神の教えを記された状態になると書いてあるのです。
これが、未来に起こるのに、どうして昇天以降から再臨までの時代は、神の教えが廃れたというローマ教、ダービー教=デイスペンセーショ神学=時代ごとに神の教え、性質、業を区分けするような神の言葉を塗り替えた思想を信じているのでしょうか?
クリスチャンの世界では、福音書以降だけを主に読んで、最初の
部分を学ばない、その理由は最初の部分が廃れたと言う人間の
思想を聞いているからです。
そして、福音書以降にこそ、今まで教えられて来なかった新しい教えが記されている!と言う神話、空想話をしているのです。
福音書以降に記されている内容は、トラーの短い解説であることにも、全く気がつけないと思います。
しかも、スラッと読んでもそれが、レビ記のあの箇所、詩篇の
レビ記に記された祭壇の前で神と対話している内容である
などともまったく気がつけないのです。
聖書のどの箇所も、100%全てモーセの五書を解説している
ものでしかないのに、それが、人間の教えにすり替えられて
曲がった、歪んだ聖書解釈が施されているのです。
それこそが、ペテロがパウロの手紙の内容に関して言ったことなのです。
2ペテロ3:16彼(パウロ)は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
パウロはトラー学者であるから、一般の素人の人々には、理解が
良くできない内容があったのです。
無学=トラーを知らない、頭脳が神の教えに正しくフィックス、定まっていない人が、神の教えに対して、無理な解釈を施している、それを西洋宗教、トラーを知らないローマ帝国伝統の教えを
することで、ずっと今迄、神の教えを否定する、無理なめちゃくちゃな、聖書ではない解釈を施しているではないですか。
滅亡を招いている。詰まり、聖書とは異なる教えをする人は
自分で自分に滅亡を招いている!と言っているのです。
人にも害毒な教えを、純粋に知らないまま施している。
例の生物兵器が安全で人を守るためのもの!という大嘘を
信じるのと同じこと、偽情報しか与えられないから、偽情報を
本当だと信じ込み、イワシの頭も信心からのようになってしまうのです。嘘でも、聖書、神の教えだと信じてしまう。
福音書以降は、聖書の25%。しかも、その箇所は預言者が書いたトラー、預言書、諸書の短い註解を使徒が書いている使徒の
書簡であるのです。
福音書以降だけを読んでも、最初の部分を熟知しない場合には、
空想で、自分の文化、宗教体験、宗教の教えや実践、習わしを
通して、違った読み込みをするのです。
その良い例が、1コリント16:1のパウロの提案を、
架空、無いもの、西洋宗教の日曜礼拝の席上献金でエルサレムに
いる人たちを助ける資金を集めよ!とパウロが言っていると
完全に間違った読み込みをして、プラス、日曜礼拝に変わった
根拠が書いてある箇所だ!などと言っていますが、聖書に基づき考え直す、読み直してください。
パウロは、日曜礼拝なども知らない、ローマ教が作った宗教儀式の日曜礼拝席上献金のことなど知らない、そんな考えは微塵にも
頭の片隅にないのです。しかも、神の言葉を人が塗り替える冒涜をする?パウロは神殿で、神の教え=トラー=モーセの五書に
100%忠実に生きている人であることを、神の前に、そして
公に人々の前に、ナジル人の請願、動物のコルバンを通して
証明しているのです。使徒21;21ー26
聖書に書かれていることを、いい加減な読み方、空想で読み
注意深く、書いてある意味を把握していないことが問題なのです。
パウロが言っているのは、シャバットではない日、普段の日、
労働の最初の日の日曜日に、それぞれの家でエルサレムに居る
人々への支援をしようと思う人は、資金を集めておいて。
そして、パウロが行った時に、その資金を一度に回収すると
言っているのです。
宗教団体に献金する、十一献金は聖書、神の教えではありません。
互いに助け合うこと、イスラエルに住んでいるなら、トラーが
イスラエルの国家憲法、法律、行政方法だから、1)イスラエルの国への税金、神殿運営、土地を持たないレビ族への報酬。
それらは、農作物、動物。
2)そして、祭りの時のため、資金を手元に持っておく。
その殆どが農作物、動物なのです。
3)貧しい人、寡婦、父のいない子供達のために、食糧や資金を
与える。これは全て自由意志です。
でも、それが神の教えであり互いに助け合うのは、特に信仰にある兄弟の間でより多く、より助け合うとパウロが言った言葉は、トラーにある神の教えだからです。
申命記15章をパウロは解説しているのです。
ガラテヤ6:10 ヘブル13:16
クリスチャンの世界で教えられるのは、神の教えは、律法であり
「するしない掟リスト」という、神の言葉に対して誤った、
間違った歪んだ思想を植え付けられ続けています。
最初から神の教えに古い悪い、新しい良いもの取り替えられた
という、神の言葉、イエシュア=聖霊=神ご自身である神の言葉に対して敵対心を刷り込まれ、植え付けられているのです。
神は、神が創造された人がどう生きるのか、神の元に戻った
人たちに教えている!という、シンプルな事実を正しく理解していないのです。
嘘、神が永遠にこの実態を神の家族が生きると教えていることを、勝手に曲げ続けて、自由自在に付け足し差し引き、人間ができる時代になったと、勘違いして知らない間に、神に敵対していることを主張、行動しているのです。
福音書以降は、最初の部分=完全版教科書を短く解説する最後の後書きであり、解説書である参考書=福音書以降は、元の教科書を塗り替える事など絶対に解説をしません。するとしたら、
それは意味不明な解説になるのです。
もし、教科書の上巻で習うことが、下巻になった時に、今迄とは別の教えになる、又は今までの教えを大部分破棄した別の内容に変わったなどと言われたら、これは、インチキ教科書と分かるでしょう。
そういうことを、人造宗教の教えは、神の言葉に対して勝手に
主張しているのです。
だから、矛盾だらけ、辻褄合わない、堂々巡りなのです。
なぜなら、神が神の言葉、性質、契約は永遠に変わらない!
と神が言われて、神の教えは、人種、国家、民族が出来る前、
永遠の中から同じなのに、それを人種別、時代ごとに別物に
変えたと主張する思想、ダービー教、デイスペンセーショ神学
は、神の言葉に照らし合わせてると完全にずれているのです。
その大元であるのが、ローマ帝国皇帝教は、神の教えを真っ向から否定し、人間が自由に付け足し差し引きする人間が作った教えを、宗教会議で編み出し、可決し続けるという偽物、混ぜ物宗教が土台だからです。
だから、それぞれが勝手なことを主張しているのです。
聖書に書いてないことを、聖書であるかのようにずっと解説しているではないですか。
それらの聖書にはない教え、ずれた教えが変だと気が付く人は、聖霊が聖霊が書かれた神の言葉から神の永遠の真実に目覚めさせている状態になっている場合です。
なんでも良いのだ今の時代。これこそが、神を退ける人間至上主義のあってはならない思想であり、神を神としない態度を助長させ、人間の悟り、判断が中心の、所詮人間が作った宗教の教えであり、それらは人を奴隷に逆戻りさせる教えなのです。
そして、防御がないから、危ない状態になるのです。
自分で守りを脱ぎ捨てる=神の言葉をあざけり、蔑ろにする人は、自分のした行動が自分自身に降りかかる!と警告されているそれが呪いという意味なのです。
神が十字架で厳しい教えを葬ったのに、それに戻るのは、神の恵を捨てている悪い行為だ!という、聖書とは何も関係ない人間、ローマ、ダービーその他の異邦人が編み出した聖書に反する教えを聖書だと信じているから、解放してくれた悪い教えに戻るのは悪!などと、信じ込んでいるのです。
神の教えを捨てる行為こそが、恵を捨てて、自分で自分に呪いを招く危険な行為です。
なぜ神の言葉が、これほどまでに異邦人の間で、誤解され悪者扱いされるのか?
なぜ神の言葉が1つであり、丸ごとで一体と聖書に書いてある
事実に気がつけないのか?
聖書には、神=聖霊=イエシュアであると書いてあるのに。
それは人間が作った偽の教えを聞いて、それが本当、聖書だと信じているからです。嘘は永遠に嘘でしかない。嘘が歴史の途中から真実になるなどと考える方がずれた思考回路なのです。
そのような偽物、偽情報が頭脳に刻まれて信じて生きている人は未来にはいない状態になることが預言されているのです。
ローマ帝国の太陽神、ミトラ神が神ではなく、聖書に記された
イスラエルの神が全ての人の神になる!と神が伝えています。
エレミヤ31:34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。
主を知りなさいと、互いに言わなくても良い。
知るという言葉の意味は、腹の深くで知っている、婚姻契約の中にある究極の親しい関係の中で知るという意味の知る。
知っていると言う意味の、ヤダ=知る=夫婦間で使われる言葉と
同じ言葉が使われているのです。
イコール、イスラエルの神がどんなお方で、神のトラー=教えを
皆腹の深い奥底=カロブ、頭脳=レブに記されているから、
そのように、互いに教え合い、言わなくても良くなる状態、
神の教えを、裏も表も知り尽くして、そしてそれを生きている
状態。
詰まり、人間が作った宗教の教えは嘘!ここに書いてあるように、神の教えが廃れた、破棄された、十字架で葬られたという
偽情報を皆が人間の教えでそれは神の教えではない!と認識している、そして神の教え=トラーを皆が理解して知って生きている状態になる時代が来る!という預言なのです。
クリスチャンの間では、イエシュアが処刑、昇天されて、
別の新しい契約、神の古い契約を破棄して、自由に人が生きれる別物の教えを与えられた!という、聖書に記されてもいない
偽情報、ダービー教の偽の教え、神話を教えられているのです。
でも、イエシュアが過越で再更新された契約は、エレミヤ31章と同じ、シナイ山で神が立てた同じ契約なのです。
クリスチャンが聖書に書いてあるのに、その書いてある通りの
意味を理解しない、自分、異邦人、今の時代には、関係ない教え、祭りと考えているのです。他人事。神が自分に語られていると聖書を読みながら、気がつけない状態。御言葉を聞けない
飢饉。いや、部分的にしか扉が開いてない状態。
イエシュアが遺言で過越の祭りを祝うたびに!と言っている意味が全く通じず、クリスチャンの間で捨てられている神の祭りの
時に、イエシュアは同じシナイ山で与えた契約の再更新を弟子達の前でしている場面が以下です。
この箇所は、出エジプト6:6−7で神がされた、1)子羊の血できよめ2)エジプトから救い出され 3)購いの代価で買い取られ そして4)神に受け取られ、娶られた
福音を網羅することを、過越の晩餐の儀式で4つのワインの杯と、マッツア=種無しパン=新しくされた人の事実を表す儀式を行って、同じ福音イエシュアの業をずっと教え続けているのです。
ルカ 22:15 イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
22:16 あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。
22:17 そして杯=(3杯目の杯、購いの杯と呼ばれる杯)を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。
22:18 あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
22:19 またパン=マッツア=種無しパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
22:20 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、
あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
ここに書かれているのは、カトリックが変えた聖餐式の事では
ありません。
春の祭り、過越の祭りの晩餐の中で祝う儀式であり子羊の血の
購いで新しくされている事実、種無しパン=マッツアで、
この儀式を行うものなのです。
子羊の血の購いの代価は、既に永遠の中に屠られ、支払済みです。どの時代の、どの人種も、どの場所からも神がアプローチ
するのです。円の真ん中に居られるのが神、それが永遠の中に
完了しているイエシュアの業であり、時代ごとに変化する業
人種ごとに違う生き方、教え、時代ごとに違う方法の救い、義
許しの方法というダービーが主張するような思想は聖書には
記されていません!異教徒、異邦人思想ではなく、ヘブライ思索
でヘブライ語で記されていることが、神が人に伝えている事実です。