レビ記6:8 主はまたモーセに言われた、
6:9 「アロンとその子たちに命じて言いなさい、『燔祭のおきては
次のとおりである。燔祭は祭壇の炉の上に、朝まで夜もすがらある
ようにし、そこに祭壇の火を燃え続かせなければならない。
6:10 祭司は亜麻布の服を着、亜麻布のももひきを身につけ、
祭壇の上で火に焼けた燔祭の灰を取って、これを祭壇のそばに置き、
6:11 その衣服を脱ぎ、ほかの衣服を着て、その灰を宿営の外の清い
場所に携え出さなければならない。
神のミシュカン、神殿の中で、祭壇の上の灰を毎朝取り除き、
衣服を着替えるという詳細な儀式から、3つ目の教訓が見えてきます。
ラビ・S・R・ヒルシュは、日々の灰を取り除くことについて次のように述べています。
「昨日の成果の記憶が、今日果たすべき義務へのエネルギーを
削いではならない。……人は、あたかもそれが自分の生涯の仕事の
最初の一日であるかのように、新たな完全なる献身をもって
各一日の仕事に取り掛からなければならないのだ」
神の家の祭壇の上に捧げられる、朝に夕に捧げられるコルバンを通して、福音そのもの、イエシュアそのものを教えているのです。
それを理解していた祭司たちは、永遠から同じイエシュア=福音
贖いの代価を通して、人は神に新しくされ、受け取られている事実
祭壇の上から、天に上る、芳しい香りは、私達そのものであり、
地上と、天と同時に住んでいる事実を、目にみえる、匂いで分かる
五感を通して体感することで、教えているのものなのです。
これは、レビ記を、書いてある通りの意味で、詳しく学べば、見えるのです。そして、イエシュアが語られた教え、そして永遠普遍の同じ教え、福音は最初から詳しく体験を持って教えられていることを、
知ることになるのです。
それをしないから、聖書に書かれている同じ言葉、教え、同じ福音
イエシュアがずっと教えられていることが見えないだけです。
イエシュアが昇天されて、面倒で複雑な教えは終了!このような
思考回路を持つ場合、神が教えてる深く、麗しい生き方など、理解もできなくなる。最初から、神の言葉、教えに対して、偏見、誤解を
植え付けられているのです。
神を知る、自分を知る、神が伝える本当の人の生き方を知る、
その手段を閉ざしている言動、行為であることを、覚えておいてください。
言葉=イエシュア=聖霊なのに、神ご自身の深い所にある考えを
人の言葉で、神が人に伝えているのに、それを捨てる?拒絶する。
それが正義、恵?これは、イエシュアが伝えたこととは真逆
蛇の騙しそもののです。
神が禁じている罪を、イエシュアを信じながら、ずっとやらせられているのです。
神の言葉が、悪いもの!という思想を刷り込み、人を神の教えから
意識をそらせることをしているからです。
神の教え、言葉を捨てる、種を捨てる、命を捨てるということ、
神が教えていることを、理解する手段を捨てているということ
詰まり、宝をドブに捨てることを、推奨されて、それが今の時代の
楽な生き方だ〜恵の生き方だという、間違った方向に人を導く道に
乗っかることなのです。
イエス(イェシュア)はこのレビ記の中に記されたコルバンを通して教えられていることを、別の角度から、この同じ原則、教訓を
教えています。イエシュアは何と言われましたか?
思い悩むなと教えられました。昨日の灰を今日という日に持ち込むなかれ、ということではないでしょうか?一日の苦労はその日一日だけで十分であると説きました。(マタイによる福音書 6:25–34)。
マタイ6:25 それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物に
まさり、からだは着物にまさるではないか。
6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り
いれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを
養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
6:27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、
自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモン
でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よく
してくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を
着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに
必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、
これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
6:34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、
あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
これを聞いた人たち、当時のユダヤ人は、イエシュアが神の家の中
で行われるコルバン、オラーの捧げ物に基づいて話していると
分かったのです。
イエシュアは、神の教えとは違う教えを、突如として話しているのではないからなのです。100%どの教えも、モーセの五書、父の教えを、たとえ話を通して解説しているものなのです。
使徒も、パウロも全く同じなのです。
どうして、パウロやヨハナンが、この世の礎が創造される前から
永遠の中に屠られた子羊の血の購い、この世の礎が創造される前に
神に選ばれ、聖別された人と、書いていると思いますか?
それらが、全てトラー、預言書、諸書に記されているからです!!!
どうして異邦人は知らないまま、キリストが来られて、初めて救い
贖い、許し、聖霊が住まうことが始まったと主張するのか?
それは、聖書の最初の75%に何が書かれているか、正しく学ばない
書いてある通りに読み取っていない、読者側の問題そのものなのです。
人が、神の言葉を塗り替えて、混ざり物、偽物、別の宗教を歴史の
途中で編み出してもそれで、神の言葉が無効になるのではありません!
神の言葉を、受け取らない、拒絶する人には、神の教えが通じなくなり、人間が作った宗教の教え、その実践、記念日にすり替えられた
別物が浸透する!それが、起きた、起きているだけなのです。
神が伝えている真実は、常にあるのです。消えない、消せない。
神が永遠普遍の証拠として、ヘブライ語で記された聖書があるからです。人に永遠普遍の教えを伝える、手段は1つの変わらない言語なのです。
1つの民、1つの国、1つの言語が選ばれた理由は、人間が手を
加えても、それが嘘であるという証拠を残すためです。
もとのオリジナル、ヘブライ語は、変えられません!
翻訳をする人が、反トラー思想、反ユダヤ思想、ローマ教の思想を
信じて、違う翻訳解説をしても、オリジナルは消えません。
もとの言葉に戻れば、神は永遠に変わらない事実を、証拠として
気が付く、知るために保存して下さっているからです。
デイスペンセーション思想=聖書を正しく知らないアイルランド人が編み出した肉にアピールする思想は、聖書とはズレた思想なのです。聖書とは違う人が作った思想を通して、聖書曲げた解説がされてしまって、それが主流の教えとして浸透してしましたが、それは、聖書を人の思想で歪めた間違った聖書の読み込みを教えているもので、
大問題なのです。元々存在してはならない、人造宗教、人造神学
聖書を歪める思想。