エデンの園で起きた間違いは、人が神に創造されたのに、神が創造されたこと、性質とは違うこと、神の言われたことではない嘘を信じて
騙されて、人が食べるべきではない知識の木から食べた事です。
これは人類の問題の根本なのです。最初から最後までずっと同じ。
創造主の言われたこと、性質通りを無視して、それを生きないこと。
そして、人間が神の言葉を勝手に付け足し、差し引きして、神が神の言葉、教えは変わらない!1つだ!と神が言っているのに、
それを、神の教えは2つあるのだ!古い契約、新しい契約
中身が別物だ!と1000000000%、聖書ではない教えを編み出し、その人の思想が聖書=本当だと勘違いした偽情報を信じている事。
偽の教え=人造宗教思想の聖書解説をされてしまっているのです。
この問題の根も、結局エデンの園で起きた問題、罪と全く同一なの
です。神に創造された人が、神に敵対することです。
人が神の言葉、教えを否定し、本来創造された状態、神と一体、
神が見る通りを見て、神が考えて教えている通りを生きる!
これから、ズレてしまったこと!全く同じことが、今も今日も
続いているのです。
神に創造された人が、神が言われたことは違うことを囁かれ、
神が言われたことから意識を逸らして、「もしかして、神はそういう
意味では言ってないかも〜!」前と今とは違うかも〜!
神の性質は、神の言葉、教えは、永遠に同じ、変わらないと言ったけど、本当は途中で変わったのかもね〜!と言い換える。
LGBTも今の時代は人権擁護の方を尊重するべきだ〜!
人が神の教えを捨てて、人が考えた通りをやれば良いと神が言っているのだ〜!
人が考えた日を、今はいつでも記念日にすれば良いと言っている!?
(パウロの手紙の記された内容を完全読み違えしているのです。)
今は心、気持ちが大事なのだ!気持ちさえあれば、神の言われた通りなどしなくても別に良い。ユダヤ人と異邦人は、別の生き方をするのだ!ユダヤ人と異邦人は別の群れだ!
ユダヤ人には、罪でも、異邦人には罪にはらならないのだ?
2000年以前と以降では、別の救いの方法、別の贖いの方法
別の許しの方法が与えられているのだ〜!
これは、ローマ帝国、西洋教父、ローマ皇帝、司教の主張であり、
聖書を記した=聖霊=イスラエルの神=イエシュアの教えていること
とは100000%真逆な人の発想、思想なのです!
人が神の教え、言葉を変えた結果、世界には45000以上の無数の
プロテスタント宗派と、預言者、イエシュア、使徒が教えて生きた
聖書に書かれている神の言葉、実践、生き方と、今現在解説されている聖書解説、実践、されていることとは、同じではなくなってしまったのです。
聖書が最後に書かれ、閉じられた1世紀当時は、今のようなユダヤ教などもなかったのです。
聖書には、人間の教え、思想、実践が混じったものは記されていません。
聖書に書かれているのは、純粋な神の言葉=教え=トラーであり
神の言葉の完全版=契約書は、モーセの五書以外にありません。
クリスチャンの間では、マタイ以降がモーセの五書とは違う
「新しい契約書」であり、そこにはモーセの五書を終了した、
違う別の新しい教えが書かれているなどと、そのような偽情報を、
聖書であるがごとくに、当然のように皆教えられえてしまいますが、
マタイ以降にはモーセの五書=トラーとは別の教えや、トラーを終了させた教えや、異邦人には別の教えなども、1つも書かれていません!
見てもわかる通り、マタイ以降の使徒が記した書簡は、聖書のたった25%の短い内容なのです。
それは、モーセの五書、預言書の短い註解、後書きに過ぎないからです。
その箇所は、預言者が記したものではなく、使徒が書き記した書簡
なのです。使徒は、神の教え=トラーを否定した、自分の思想や考えなど1つも記してなどいません。
使徒は、預言者が聖霊により書いた神の言葉を、否定、削除、付け足し、差し引きするようなことは1つも書いていないのです。
事実、聖書に基づき考えて、見ないとなりません。
神の教えに、新旧2つの別物はない。神は神の教えを一点一画も、
否定、終了などしていない!イスラエルを代表で与えた「契約」は
全ての内容を網羅しているものであり、もし、クリスチャンが神の
教え=トラーは、自分には関係ないと言うならば、それならば、
その人は、イエシュアとも関係がない、恵も関係ない、許しもない、信仰義認もない、祝福も、約束も、未来も神との関係もない!と
主張していることに気がついてください。
勘違いしているでしょう。神の教え、言葉を正しく学ばない結果
聖書を読む前提、根本、土台そのものがズレているのです。
神が提示している契約は、丸ごと1つなのですが、その中には、
アヴラハムへ与えた「譲渡契約」があります。
そして、神の者とされた人に与えらた契約は、条件付きの契約であり
「婚姻契約」です。これは、神の元に戻った人だけに与えられて
いる契約です。だから、神の教え=契約を生きて義とされるという
西洋人の思想は、聖書とは何も関係のない解説をしているのです。
そのような目的〜神の教えを生きて義とするということは、神の婚姻契約の中にはないからです。
異邦人〜異教徒は、夫=イスラエルの神が伝える生き方、教えを
生まれた時から、知りません!天の国の生き方を知りません!
イエシュアを通して父の元に戻った人は、もれなくイスラエルの神の大家族に加わる、その場合、同じ天の国=イエシュアが筆頭になる
家族の家訓を生きる!と教えられている事に、盲目状態なのです。
同じ家族が、それぞれ勝手にバラバラな生き方をし、イエシュアの
性質を反映しない偽物を生きると神は教えていません!
人の思想=宗教を生きて、地上にイエシュアの実態ではない、別物の
教えの影の生き様、記念日を通して、イエシュア=実態とは違う別の
偽物の影を勝手に映し出していることに気がついていないのです。
聖書に書いてあるのに、何が書いてあるのか気がつかない。
イエシュアが、トラーを生きることを手本を通して教えているのに
気が付かない、それは人間の教え=ローマ帝国が作った、トラーを
生きたら処刑!という勅令を元に、神の教えは異邦人には関係ない!
という教えを信じて、その後パウロの手紙など、完全に勘違いした
読み込み解説しか聞かされていないからです。
歪んだ、間違った聖書解説は、人の思想を通して、聖書の記述を
曲げた間違った解説なのです。
そして新しくされた、聖霊が内側に住む、神に娶られ神の花嫁と
されイスラエルの神の元に戻った人は、もれなく全員、神の家の
大家族の家訓=婚姻契約に記された生き方に戻る!と教えられているのです。
イエシュアが言われたでしょう。トラーに記された言葉、
「神を愛する人は、神の仰せを生きる!」と。
その意味が通じていないのです。神を愛する人は、神の教えを捨てて
勝手に生きる!と教えられてしまって、人間が作った教えを、神の教えだと疑いもなく受け取り、実践している。それは周りが皆人間の
作った宗教の教え、伝統、儀式、慣わし、記念日しか生きてないから
それが本当と思ってしまっているのです。
1世紀、イエシュアが教えた、使徒達が、当時の人が知っていた
トラーに記された生き方や、記念日をクリスチャンは知りません。
これは、神が創造された人の本来の性質、生き方、イエシュアが
生きた通りの生き方が記された、神の契約だからです。
この婚姻契約は、信仰義認=譲渡契約=信じるだけで良いんですよ〜と言うのとは違う「条件付きの契約」なのです。
花嫁になった人たちに与えられた契約なのです。
そして、神の教えは人が無視し、破ることができるでしょう。
神の教えを聞かない、蔑ろにする人は、神の婚姻契約に忠実には
生きていません。
普通に考えても分かりませんか?夫と婚姻関係に入ったら、後は
好き勝手にやって良いよという夫は無責任、関係を育む役割を捨て、
主導権を捨て、本物の関係、愛はその中にはありません。
新しい嫁ぎ先の家に入って、妻としてその家族の一員として生きる事を、手取り足取り教える、それが夫の役割〜それが神の言葉です。
神の言葉は、守りです。鎧兜であり要塞です。見えない神を見るが
如くに生きる、それは神の言葉にしっかり右へも左へもそれずに、
根付いて生きること、それが道を照らす光であり、完全に人を生かすことのできる、命のパン=源=イエシュアそのものです。
仮庵そのもの。
その神の言葉の事実を完全に、悪者に仕立て上げ、勘違いさせられているのです。
神の言葉は、人を守もの、導くもの、神は人をどのような性質に造られ、どう生きるのかを教えるものです。
神がどんなお方であるのか、教えているのに、それを捨てよ捨てよ!と執拗に言い続けることが正義と勘違いしている、異常な思考回路なのです。
それは、神の教えは、古い=悪い=縛り=律法=キリストが来られるまでの仮の教えで暫定的なものという偽情報、エデンの園の蛇の嘘のオンパレードを、あたかも神が語る真実、聖書であるかのごとく、
普通に教師が神学校、講談、メッセージで語り続けているからです。
それが問題なのです。
この騙し、大嘘、偽情報に気がついたら驚愕します。一体誰の言葉、教え、声を拡散しているのか?神ではない、偽物、エデンの園の蛇の声そのものだからです。敵の片棒担ぎ、イエシュアを否定することを
堂々と主張する、矛盾した、ちぐはぐな生き方をさせられているのです。
神の教えから少しでも意識を逸らせ、そして神の言葉を少しでも
蔑ろにするように人に教え、神の言葉を実際に軽視する、捨てる、
関係ない、要らない、必要ない、その代わりに体験至上主義、奇跡、不思議、幻、預言、別物を求める、肉声を聞く、その他を求めるように教えるのは神ではなく、別の霊です。
神=言葉=イエシュア=聖霊であり、人は神の口から出た一つ一つの
言葉を食べて生きると教えているのに、その命のパンを捨てよ!
無用!と教えるのが、悪霊から出る教えだからです。
だから、神の言葉に一点一画も、人が差し引き、付け足しするなかれ!と神が厳重警告しているのです。
そういうことをし続けて、偽物の教えに騙されるからです。
本物を捨てる人には、偽物の教えも、本物の教えも区別がつかなくなります。だから、人間が作った教えを、神の教えと信じられるのです。
神の契約は、1つです。その中には、最初、個人個人を代表として
与えた契約があります。
ノアの契約、アヴラハムの契約がそれです。
婚姻契約は、神の民=聖別された人、イスラエルと異邦人、イスラエルの神の花嫁となった群れに与えられたものなのです。
イエシュアを信じる人が、神の契約と関係ない!と言っていること
自体が、完全に神の言葉、声の下、中から飛び出して、偽物=人間の教えに聞き入った状態になっていることに、気が付かないと危険です。それならば、信仰義認も異邦人とは関係ありません!と言う事になります。
神の言葉、教えを捨てよ!?? これこそが死に匹敵する、神との
隔たりを作り、神の教えを正しく理解しない路線に導くつまずきの岩
そのものだからです。
この点を完全に混同し、理解していないことは、ズレた歪んだ聖書解説でも明らかにされます。
モーセの五書に記された内容は、契約書です。
1)創世記は、個人個人、一人一人が選び出された、ナレーション
ストーリー形式で、その人たちの辿った人生の道のり、生き様
家族の紛争が書かれていますが、最初から同じ福音が語られて
いるのです。
イエシュアがその中で語られています。
ヨセフも、イエシュアの業を表す役割をしています。
そして、エジプト=偽物の神、王の元で奴隷として430年も生きていた神の民がいたのです。
でも、彼らはその時には、イスラエルという民族として正式に形成されず、ヤコブの12の子らの子孫でした。
そして、エジプトを出た時、12のオアシスと、70のヤシの木が
ある「エリム」に来たことが書かれています。
聖書のメッセージはどこも矛盾なく、敵対せず、同じメッセージを
伝えているのです。
神に選び出された人々、永遠の中から聖別された人の代表が、
この12人のヤコブの子供であり、イエシュアにつながる子孫です。
そして、70のオアシス。荒野の中で水が湧き出るオアシス。
70完全な数字であり、神の子らを表しているのです。
私達が誰かを、神は最初から教えているのです。
人を生かす水〜イエシュア イエシュアに属する人、12のイスラエル、12弟子。
子羊イエシュアに属する人は、12という数字でも表されているのです。144000
永遠の中に屠られた子羊の血の代価を、神が提供している。
これを信仰により受け取る人は、子羊の血の代価で父の元に戻り
新しくされ、聖霊が内側に住まうことを教えているのです。
信仰義認は、「譲渡契約」です。その意味は、神が一方的にこの契約に対して、100%人に対して保証を与えているからです。
神はこの事実を途中で取り消さない。どの時代の、どの人種の人も
人の努力で義とされ聖霊を受けることはできない!
詰まり、クリスチャンが言うように、信じることで受け取る。
それ以外の方法では受け取れないのです。
努力で受け取るのではない。ただ、神がされた贖いの代価を、信仰により受け取る、それ以外、新しくされた人の事実を内側に受ける
方法はない!と最初から教えているのです。
エデンの園で、神がされた事と同じです。
神が失われた人を探し求め、罪を犯して隠れたアダムとハヴァが
神の前に出て全てやったこと、どうしてやったのか告白して、許され、神ご自身が彼らに動物の毛皮=衣=義の衣を着せているでしょう。
全く同じ福音、同じ救い、修復、許しの方法なのです。屠られた動物は、神が屠ったのであり、人がやったのではありません。
原始福音、進化福音などという、人が考えついた名前で考えていたら
聖書に書いてある意味は見えなくなります。
永遠の中に屠られた子羊と黙示録にあるのは、トラー、預言書を
通してずっとメシアが語られているから、それをヨハナンやパウロ
たちが解説しているのです。
彼らは、自分たちの考えや、思いつきや発想を書いているのではありません。
聖書記者は、100%モーセの五書に記された神の教え、トラーを
解説してる預言書、諸書を解説していると言う事実をはっきり知って
ください。