イスラエルの神 神の言葉に対しての誤解 騙しを一掃する | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

エデンの園で起きた間違いは、人が神に創造されたのに、神が創造されたこと、性質とは違うこと、神の言われたことではない嘘を信じて

騙されて、人が食べるべきではない知識の木から食べた事です。

 

これは人類の問題の根本なのです。最初から最後までずっと同じ。

創造主の言われたこと、性質通りを無視して、それを生きないこと。

そして、人間が神の言葉を勝手に付け足し、差し引きして、神が神の言葉、教えは変わらない!1つだ!と神が言っているのに、

それを、神の教えは2つあるのだ!古い契約、新しい契約

中身が別物だ!と1000000000%、聖書ではない教えを編み出し、その人の思想が聖書=本当だと勘違いした偽情報を信じている事。

偽の教え=人造宗教思想の聖書解説をされてしまっているのです。

 

この問題の根も、結局エデンの園で起きた問題、罪と全く同一なの

です。神に創造された人が、神に敵対することです。

人が神の言葉、教えを否定し、本来創造された状態、神と一体、

神が見る通りを見て、神が考えて教えている通りを生きる!

これから、ズレてしまったこと!全く同じことが、今も今日も

続いているのです。

 

神に創造された人が、神が言われたことは違うことを囁かれ、

神が言われたことから意識を逸らして、「もしかして、神はそういう

意味では言ってないかも〜!」前と今とは違うかも〜!

神の性質は、神の言葉、教えは、永遠に同じ、変わらないと言ったけど、本当は途中で変わったのかもね〜!と言い換える。

LGBTも今の時代は人権擁護の方を尊重するべきだ〜!

人が神の教えを捨てて、人が考えた通りをやれば良いと神が言っているのだ〜!

人が考えた日を、今はいつでも記念日にすれば良いと言っている!?

(パウロの手紙の記された内容を完全読み違えしているのです。)

今は心、気持ちが大事なのだ!気持ちさえあれば、神の言われた通りなどしなくても別に良い。ユダヤ人と異邦人は、別の生き方をするのだ!ユダヤ人と異邦人は別の群れだ!

ユダヤ人には、罪でも、異邦人には罪にはらならないのだ?

2000年以前と以降では、別の救いの方法、別の贖いの方法

別の許しの方法が与えられているのだ〜!

 

これは、ローマ帝国、西洋教父、ローマ皇帝、司教の主張であり、

聖書を記した=聖霊=イスラエルの神=イエシュアの教えていること

とは100000%真逆な人の発想、思想なのです!

 

人が神の教え、言葉を変えた結果、世界には45000以上の無数の

プロテスタント宗派と、預言者、イエシュア、使徒が教えて生きた

聖書に書かれている神の言葉、実践、生き方と、今現在解説されている聖書解説、実践、されていることとは、同じではなくなってしまったのです。

聖書が最後に書かれ、閉じられた1世紀当時は、今のようなユダヤ教などもなかったのです。

聖書には、人間の教え、思想、実践が混じったものは記されていません。

聖書に書かれているのは、純粋な神の言葉=教え=トラーであり

神の言葉の完全版=契約書は、モーセの五書以外にありません。

 

クリスチャンの間では、マタイ以降がモーセの五書とは違う

「新しい契約書」であり、そこにはモーセの五書を終了した、

違う別の新しい教えが書かれているなどと、そのような偽情報を、

聖書であるがごとくに、当然のように皆教えられえてしまいますが、

マタイ以降にはモーセの五書=トラーとは別の教えや、トラーを終了させた教えや、異邦人には別の教えなども、1つも書かれていません!

見てもわかる通り、マタイ以降の使徒が記した書簡は、聖書のたった25%の短い内容なのです。

それは、モーセの五書、預言書の短い註解、後書きに過ぎないからです。

その箇所は、預言者が記したものではなく、使徒が書き記した書簡

なのです。使徒は、神の教え=トラーを否定した、自分の思想や考えなど1つも記してなどいません。

 

使徒は、預言者が聖霊により書いた神の言葉を、否定、削除、付け足し、差し引きするようなことは1つも書いていないのです。

事実、聖書に基づき考えて、見ないとなりません。

神の教えに、新旧2つの別物はない。神は神の教えを一点一画も、

否定、終了などしていない!イスラエルを代表で与えた「契約」は

全ての内容を網羅しているものであり、もし、クリスチャンが神の

教え=トラーは、自分には関係ないと言うならば、それならば、

その人は、イエシュアとも関係がない、恵も関係ない、許しもない、信仰義認もない、祝福も、約束も、未来も神との関係もない!と

主張していることに気がついてください。

 

勘違いしているでしょう。神の教え、言葉を正しく学ばない結果

聖書を読む前提、根本、土台そのものがズレているのです。

神が提示している契約は、丸ごと1つなのですが、その中には、

アヴラハムへ与えた「譲渡契約」があります。

そして、神の者とされた人に与えらた契約は、条件付きの契約であり

「婚姻契約」です。これは、神の元に戻った人だけに与えられて

いる契約です。だから、神の教え=契約を生きて義とされるという

西洋人の思想は、聖書とは何も関係のない解説をしているのです。

そのような目的〜神の教えを生きて義とするということは、神の婚姻契約の中にはないからです。

異邦人〜異教徒は、夫=イスラエルの神が伝える生き方、教えを

生まれた時から、知りません!天の国の生き方を知りません!

イエシュアを通して父の元に戻った人は、もれなくイスラエルの神の大家族に加わる、その場合、同じ天の国=イエシュアが筆頭になる

家族の家訓を生きる!と教えられている事に、盲目状態なのです。

同じ家族が、それぞれ勝手にバラバラな生き方をし、イエシュアの

性質を反映しない偽物を生きると神は教えていません!

人の思想=宗教を生きて、地上にイエシュアの実態ではない、別物の

教えの影の生き様、記念日を通して、イエシュア=実態とは違う別の

偽物の影を勝手に映し出していることに気がついていないのです。

 

聖書に書いてあるのに、何が書いてあるのか気がつかない。

イエシュアが、トラーを生きることを手本を通して教えているのに

気が付かない、それは人間の教え=ローマ帝国が作った、トラーを

生きたら処刑!という勅令を元に、神の教えは異邦人には関係ない!

という教えを信じて、その後パウロの手紙など、完全に勘違いした

読み込み解説しか聞かされていないからです。

歪んだ、間違った聖書解説は、人の思想を通して、聖書の記述を

曲げた間違った解説なのです。

 

そして新しくされた、聖霊が内側に住む、神に娶られ神の花嫁と

されイスラエルの神の元に戻った人は、もれなく全員、神の家の

大家族の家訓=婚姻契約に記された生き方に戻る!と教えられているのです。

イエシュアが言われたでしょう。トラーに記された言葉、

「神を愛する人は、神の仰せを生きる!」と。

その意味が通じていないのです。神を愛する人は、神の教えを捨てて

勝手に生きる!と教えられてしまって、人間が作った教えを、神の教えだと疑いもなく受け取り、実践している。それは周りが皆人間の

作った宗教の教え、伝統、儀式、慣わし、記念日しか生きてないから

それが本当と思ってしまっているのです。

1世紀、イエシュアが教えた、使徒達が、当時の人が知っていた

トラーに記された生き方や、記念日をクリスチャンは知りません。

 

これは、神が創造された人の本来の性質、生き方、イエシュアが

生きた通りの生き方が記された、神の契約だからです。

この婚姻契約は、信仰義認=譲渡契約=信じるだけで良いんですよ〜と言うのとは違う「条件付きの契約」なのです。

花嫁になった人たちに与えられた契約なのです。

そして、神の教えは人が無視し、破ることができるでしょう。

神の教えを聞かない、蔑ろにする人は、神の婚姻契約に忠実には

生きていません。

普通に考えても分かりませんか?夫と婚姻関係に入ったら、後は

好き勝手にやって良いよという夫は無責任、関係を育む役割を捨て、

主導権を捨て、本物の関係、愛はその中にはありません。

新しい嫁ぎ先の家に入って、妻としてその家族の一員として生きる事を、手取り足取り教える、それが夫の役割〜それが神の言葉です。

神の言葉は、守りです。鎧兜であり要塞です。見えない神を見るが

如くに生きる、それは神の言葉にしっかり右へも左へもそれずに、

根付いて生きること、それが道を照らす光であり、完全に人を生かすことのできる、命のパン=源=イエシュアそのものです。

仮庵そのもの。

その神の言葉の事実を完全に、悪者に仕立て上げ、勘違いさせられているのです。

神の言葉は、人を守もの、導くもの、神は人をどのような性質に造られ、どう生きるのかを教えるものです。

神がどんなお方であるのか、教えているのに、それを捨てよ捨てよ!と執拗に言い続けることが正義と勘違いしている、異常な思考回路なのです。

それは、神の教えは、古い=悪い=縛り=律法=キリストが来られるまでの仮の教えで暫定的なものという偽情報、エデンの園の蛇の嘘のオンパレードを、あたかも神が語る真実、聖書であるかのごとく、

普通に教師が神学校、講談、メッセージで語り続けているからです。

それが問題なのです。

この騙し、大嘘、偽情報に気がついたら驚愕します。一体誰の言葉、教え、声を拡散しているのか?神ではない、偽物、エデンの園の蛇の声そのものだからです。敵の片棒担ぎ、イエシュアを否定することを

堂々と主張する、矛盾した、ちぐはぐな生き方をさせられているのです。

神の教えから少しでも意識を逸らせ、そして神の言葉を少しでも

蔑ろにするように人に教え、神の言葉を実際に軽視する、捨てる、

関係ない、要らない、必要ない、その代わりに体験至上主義、奇跡、不思議、幻、預言、別物を求める、肉声を聞く、その他を求めるように教えるのは神ではなく、別の霊です。

神=言葉=イエシュア=聖霊であり、人は神の口から出た一つ一つの

言葉を食べて生きると教えているのに、その命のパンを捨てよ!

無用!と教えるのが、悪霊から出る教えだからです。

 

だから、神の言葉に一点一画も、人が差し引き、付け足しするなかれ!と神が厳重警告しているのです。

そういうことをし続けて、偽物の教えに騙されるからです。

本物を捨てる人には、偽物の教えも、本物の教えも区別がつかなくなります。だから、人間が作った教えを、神の教えと信じられるのです。

神の契約は、1つです。その中には、最初、個人個人を代表として

与えた契約があります。

ノアの契約、アヴラハムの契約がそれです。

婚姻契約は、神の民=聖別された人、イスラエルと異邦人、イスラエルの神の花嫁となった群れに与えられたものなのです。

イエシュアを信じる人が、神の契約と関係ない!と言っていること

自体が、完全に神の言葉、声の下、中から飛び出して、偽物=人間の教えに聞き入った状態になっていることに、気が付かないと危険です。それならば、信仰義認も異邦人とは関係ありません!と言う事になります。

神の言葉、教えを捨てよ!?? これこそが死に匹敵する、神との

隔たりを作り、神の教えを正しく理解しない路線に導くつまずきの岩

そのものだからです。

この点を完全に混同し、理解していないことは、ズレた歪んだ聖書解説でも明らかにされます。

 

モーセの五書に記された内容は、契約書です。

1)創世記は、個人個人、一人一人が選び出された、ナレーション

ストーリー形式で、その人たちの辿った人生の道のり、生き様

家族の紛争が書かれていますが、最初から同じ福音が語られて

いるのです。

イエシュアがその中で語られています。

ヨセフも、イエシュアの業を表す役割をしています。

そして、エジプト=偽物の神、王の元で奴隷として430年も生きていた神の民がいたのです。

でも、彼らはその時には、イスラエルという民族として正式に形成されず、ヤコブの12の子らの子孫でした。

そして、エジプトを出た時、12のオアシスと、70のヤシの木が

ある「エリム」に来たことが書かれています。

聖書のメッセージはどこも矛盾なく、敵対せず、同じメッセージを

伝えているのです。

神に選び出された人々、永遠の中から聖別された人の代表が、

この12人のヤコブの子供であり、イエシュアにつながる子孫です。

そして、70のオアシス。荒野の中で水が湧き出るオアシス。

70完全な数字であり、神の子らを表しているのです。

私達が誰かを、神は最初から教えているのです。

人を生かす水〜イエシュア イエシュアに属する人、12のイスラエル、12弟子。

子羊イエシュアに属する人は、12という数字でも表されているのです。144000

 

永遠の中に屠られた子羊の血の代価を、神が提供している。

これを信仰により受け取る人は、子羊の血の代価で父の元に戻り

新しくされ、聖霊が内側に住まうことを教えているのです。

信仰義認は、「譲渡契約」です。その意味は、神が一方的にこの契約に対して、100%人に対して保証を与えているからです。

神はこの事実を途中で取り消さない。どの時代の、どの人種の人も

人の努力で義とされ聖霊を受けることはできない!

詰まり、クリスチャンが言うように、信じることで受け取る。

それ以外の方法では受け取れないのです。

努力で受け取るのではない。ただ、神がされた贖いの代価を、信仰により受け取る、それ以外、新しくされた人の事実を内側に受ける

方法はない!と最初から教えているのです。

エデンの園で、神がされた事と同じです。

神が失われた人を探し求め、罪を犯して隠れたアダムとハヴァが

神の前に出て全てやったこと、どうしてやったのか告白して、許され、神ご自身が彼らに動物の毛皮=衣=義の衣を着せているでしょう。

全く同じ福音、同じ救い、修復、許しの方法なのです。屠られた動物は、神が屠ったのであり、人がやったのではありません。

原始福音、進化福音などという、人が考えついた名前で考えていたら

聖書に書いてある意味は見えなくなります。

 

永遠の中に屠られた子羊と黙示録にあるのは、トラー、預言書を

通してずっとメシアが語られているから、それをヨハナンやパウロ

たちが解説しているのです。

彼らは、自分たちの考えや、思いつきや発想を書いているのではありません。

聖書記者は、100%モーセの五書に記された神の教え、トラーを

解説してる預言書、諸書を解説していると言う事実をはっきり知って

ください。