9月22日月曜日の日没から、23日火曜日の日没までが
ショーファーを吹く日の聖会、ヨムテルア でした。
諸外国に住む人は、伝統で2日間やりますが、その理由は、
古代は新月の日がいつか分かりませんでした。
だから、イエシュアが言われた通り、イエシュアが来られるのは
誰も、いつか分からないと言われたのです。
この日から、10日、一年を振り返り、神の言葉に照らし合わせて、自分がどのように生きたのかをシュヴァー、悔い改めと
訳されていますが、省みて、神の教えからズレていたら、それを
軌道修正して、次からはそれを生きない!神の教えに根付いていきる、変更をするのです。この10 日間は、個人ではなく
神の民全体でそれを行うことを、教えられているのです。
神の最後の審判にもあるように、神の前に申し開きするのは、
自分の生きたこと全てです。
人にはたわいなことでも、日々の中を生きること
太古は今のような暦はなく、いつが満月、新月ともわかっていませんでした。
祭りの日を告げ知らせる古代の方法は、エルサレムのモリヤ山
神殿がある場所で、新月が薄ら観測されたら、それを山々の
上にいる人達が、イスラエル中に火を点灯しながら、次の山の上で火が点火されたら、次々のそれ以降の北、南、東、西の山の上に火を灯してそのようにしてイスラエル中に新月、ヨムテルア の日の到来を知らせたのです。
ですので、タイムラグ、時差が生じるので、その為、2日間の祝祭をする伝統があるのは、遠方のコミュニティが新月の確認を間に合うように得られず、正しい日に祝祭を祝うことができなかったことから、予防措置として2日間祝う慣習が生まれました。
ショーファー、角笛とは、音楽を奏でる楽器ではありません。
どのような時に、角笛が吹かれたのでしょうか?
聖書の中で、ショファーは1)儀式、2)軍事、3)預言など様々な目的のために何度も吹かれています。
初めて吹かれたのはシナイ山で、イスラエルにトーラーが与えられた際に、人々を畏敬の念に震え上がらせた時です。
第7月の1日、ヨムテルア (ショーファーを吹く日)を厳粛な集会として
祝う際に、ショファーを吹くことが命じられています。
また、ショファーは、4)ヨベルの年を告げるためにも吹かれ、
国中の自由、奴隷や負債の解放を宣言します。
エリコの物語では、イスラエル人が町を行進する際に
ショファーが吹かれ、その音によって城壁が崩れ落ちました。
ショファーは、エフドがイスラエル人にモアブ人との戦いを命じた時のように、戦いの開始を告げるために、また敵がエルサレムの城壁の再建を脅かした時のように、危険を警告するためにも
使われました。
又、ソロモンが油を注がれた時など、5)王の戴冠式を告げるためにも吹かれました。
さらに、ショファーは祭りの始まりを告げたり、神殿の礼拝に添えたり、悔い改めを呼びかけたりするためにも使われました。
詩篇89:15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。
主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み、
89:34 わたしはわが契約を破ることなく、わがくちびるから出た言葉を変えることはない。
89:35 わたしはひとたびわが聖によって誓った。
わたしはダビデに偽りを言わない。
聖書には、人間が作り替えた宗教の教えは書かれていません。
聖書には、神の教え=トラー=モーセの五書に記された神の教えだけが、記されているのです!
イスラエルの神、創造主、父なる神の純粋、永遠不変、恵とまことに満ちた神と、そしてその神の性質通り=イエシュアの性質に似せられて造られた人の生き方が書いてあるのみです。
そして、それは、聖書の最初と最後では、教えが違うなどという教えは神の教えなどではありません。
クリスチャンが、マタイ以降、イエシュア到来以降は、新しい別の教えと勘違いしている本当の理由は、これです。
今の世界と同じ、国、政府、権力者、支配者の勝手な決め事
1世紀のローマ帝国皇帝、それ以降ずっと弾圧してきた、
トラーを生きるな!神の記念日を祝うな!というローマ帝国の勅令のせいです。
そのように、神の教えではないローマ帝国の勅令が、習慣、
伝統となって、国、政府、権力者、インフルエンサーにより
強制的に、神の教え=トラーを否定した教えが拡散されたのです。ローマ帝国の支配下に住む一般市民は、神の教えを塗り替えた教えに従うようにさせられ、その偽造品の宗教が伝統により
定着したからです。
少し遠回りになりますが、色々な事実を繋げて行くと、神の語る真実は永遠にそこにありますから、神の言葉に、光が与えれば
神が伝えている永遠不変の真実、真理が見えるようになります。
この間殺害されてしまったチャーリー カークさんのメモリアルがアリゾナで行われました。大統領始め、政府の要人もたくさん
詰め掛けて、会場に入るのが困難な程、多くの人が集まったそうです。
チャーリー さんの話題は、世界中で今語られています。
チャーリーさんは、イエシュアを信じるアメリカ人です。
彼の活動、影響力は、物凄く大きかったのです。
裏の勢力になぜ消されたのか、口封じをさせたい!という、
その理由は、色々な意味で見えてきます。
チャーリー さんが、あるリーダー、牧師、聖書教師に、
シャバットをガードすることを、教えられたそうです。
トラーを教える、メシアニックのユダヤ人でしょうか。
そして、その時こう思ったと言っていました。
「クリスチャンは、古い律法、ユダヤ的な思想に交わってはならない!だから、シャバットなど、ユダヤ人がやる、廃れた教えを
クリスチャンである自分がやってはならないのだ。」と
最初そう考えたそうです。
これ、彼ではなくても、普通のクリスチャンならば、そう考えるのが自然です。なぜなら、聖書を読んでいても、聖書を正しく
教えられないまま、神の教えに、旧、新という2種類がある。
古い教えは、呪いの律法で、人が生きられないものだったので
その古い悪い教えから解放する為に、キリストが来られた。
そして、キリストと共に古い悪い律法を十字架につけて、
その代わりに新しい教え、楽な教え、聖霊が内側に初めて住み、人は内側に住む聖霊により直観を通して生きれる、恵の時代に
なったから、神の教えは廃れて無用になったのだ、と教えらるのです。古い教えに戻る、イコール、神の恵みを無駄にするという
聖書とは全く関係ない、人間の思想を教え込まれているのです。
この矛盾。神の言葉は永遠に固く立ち、聖書は聖霊により記された完全で誤りのないものである!と言いながら、神の教えは
不完全で廃れなくてはならなかった!という、大矛盾を唱えて
いても、全くその嘘、偽情報、矛盾に対して無感覚。それは、
キリストと共に律法が十字架につけられて葬られたという、
偽情報を信じて、その嘘に照らし合わせて、矛盾した思考回路を、偽情報に辻褄を合わせて、聖書に書かれている事実を曲げているからです。
何度も書いている通り、クリスチャンの世界に浸透した教えは、
純粋な神の言葉、イエシュアが教えられたトラー=父の教え=
婚姻契約=モーセの五書に記された神の言葉、教えではなく、
ローマ帝国皇帝が、321年に神の言葉=トラーを禁じる!として、ミトラ神の思想を混ぜた新しい新興宗教です。
そして、イエシュアが教えた、トラーの教えを破棄されたと教え
神の創造されたイエシュアが教えて、祝ったレビ記23章に書かれている神が永遠に、代々祝われるわたしの記念日と人に紹介し
その聖別された日、聖なる会合、ミクラコデッシュを教え、
祝っていたのに、それがクリスチャンの間では、全く教えられず、理解されず、捨てられているのです。聖書を正しく教えられていない!それが、問題の根、イエシュアを信じながら、
神の教えを捨てて、神の教えを生きていない原因なのです。
チャーリー さんがそう思った通り、ユダヤ的な教えや慣し
聖書に記されている神の記念日を祝うことが悪いこと!という
意識を、徹底的に刷り込まれているのがクリスチャンの間の
一般的な思考回路なのです。又はその人の考えで、神の言葉を
仕分けて良いという、パウロが語る内容を誤解している。
ローマ14:1−6
神は神のミクラコデッシュ、モアデイム=アポイントメントの日に、神の子らを全員呼び出しています。未来イエシュアがエルサレム に戻られたあかつきには、全世界が神のモアデイムを祝うようになる。
全ての人が、頭脳に割礼がされ、神の教え=トラーを裏も表も
知り尽くし、それが人の生き方になり、世界は神のトラーを生きる人だけで満ちる!と預言されているのに、その事実を聖書から
全く読み取っていないのです。
未来イエシュアが来られたら、ローマ帝国が作った教えと、
記念日は消え去るのです。それが預言されているでしょう。誰も
イスラエルの神の教えに反する生き方を生きない!と。
チャーリーさんは、そこで神の前に、神の言葉から考えて、
それが真実だ!と聖霊により教えられたのです。
聖霊=言葉、聖書に書いてあることが事実だからです。
10の言葉は、神の言葉、聖書のタイトル、題目です。
この10 の言葉=神の教えを、モーセの五書=トラー全体で解説しているのです。
そして、ヨシュア以降は、神の教え=トラーの解説です。
諸書は、神のトラーの知恵を生きることが書かれています。
詩篇に記されているのは、神のモアデイムがたくさん書かれているのに気がついていないと思います。
チャリー さんは、神が言われた通り、金曜日日没から土曜日日没まで、働くのをやめて、家族の為にその時を、神が言われた通り聖別し、シャバットが台無しになるような余計なことをしないで、神が言われた通りに過ごすことを始めたと言われました。
そのように、残りの民は聖書に書かれた事実を生きることに
戻るのです。
そして、神のモアデイムは、シャバットを中心に、新月、
春の4つ記念日、祭りと、秋の3つの記念日、祭り、全部で
丸ごとシャローム!ワンセット、神の意図通りデザインされて
創造された神の記念日を祝うように、神の子らは教えられなくてはならないのです。
人造だろうが何の教えでも、ローマ帝国が作った記念日でも、
いつでもなんでも良いなら、最初からなんでも良いよ!と神は言います。
それぞれが考えついた、それぞれのやり方で、好きな日に
祝えば!などと、神はそんないい加減な事など言いません。
逆を言っているのです。どれほど、神が創造されて定めたモアデイムが重要であるのか、人に最初からずっと教えているのです。
それらが、イスラエルの神に属するものの印、他の異教徒と
区別して、分たれている、聖別でもあるからです。
神が神であり、創造主であり、全ての中心であり、神との関係を
表すもの、生き方なのです。
神の仰せの1つでも無視して良いという思考回路、態度は、残りの神の教えに対しても同じように、人間の悟りで適当に取り扱い神を神として見ていない、結局人間至上主義、自分中心、自分よがりの聖別をして、生きるのです。
これ、悪い言葉で言ったら、神に対して、神の考えではなく、
自分の考えを、ゴリ押し、押し付けてしてしまう事なのです。
このようなチャーリーさんのように影響力がある人が、神の言葉の真実、神の言葉は変わらない!という事実を多くの人に語ったら、多くの人が、今まで聞いてきた、ローマ帝国が作った宗教の教えは、聖書ではない!と考え始めて、神の語る永遠不変の
真実に気がついてしまうことが起きるのです。
真実=神の言葉に基づき考え始める人は、必ず聖霊が書かれた
神の言葉から、永遠不変の事実を突き止めることができます!
そしてそれ=神の言葉に戻り生きる事は、それはチャーリー さん個人、彼らの家族だけの中でのことではなくなって行くのです。
正しい情報に触れて、それが聖書の事実!と知った人は、
それは、個人的な実践ではなく、社会的現象の実践と移行して行くからです。
ローマ帝国がやったように、コンスタンチヌスの思想が、社会の
生き方、習慣、伝統を形作ったように、政治もメデイアも
形作って行くのです。
その形作られるものが、神の真実か、人間の教えの伝統が形成されるのか、それは中身は大きな違いがあるものなのです。
人の編み出した宗教の伝統、教え、記念日を実践するのか?
それとも、神が言われた通り、神が伝えた永遠不変の教え、
神の国、イエシュアが教えた伝統、記念日を実践するのか?
その選択が出来るよう、聖書を正しく教えられなくてはならないのです。
偽情報を、聖書だ!と信じるから、人間が作った教えを、知らない間に偽造品をやらされて、神の言葉を捨てる!という冒涜、
宝をゴミ箱に捨てるようなことを、させられてしまっているのです。
神の声、ショーファーでなぞらえている声=言葉を聞くことに
戻って!と、神が人に語りかけているのです。
それら、神の語る言葉の真理に人が気がついてしまうことは、
サタンには邪魔なことなのです。偽の教えは、人の口から語られる。それがクリスチャンの口から語られるから、まずいのです!
そして、LGBTをチャーリー さんも反対し、そしてイスラエルをサポートすることを、堂々と語っていたのです。
私達は、欠け目なく真実〜神の言葉の本当の意味に触れたら、
神が伝える言葉、意味がわかってしまうからなのです。
蛇は嘘を刷り込み、その結果死、罪が入り込みました。
サタンの目的は、常に破壊です。人が不幸になり、神が創造された
人の生き方が壊れる=その原因は、神の教えを捨てることから
始まるからです。
続く