目覚ましコール 神の声が響き渡る 神の教えに戻れ! | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

 

 
 
 
このチャートには、イエシュアが祝われたハヌカも書いてありますが、それはレビ記23章にあるモアデイムではなく、イスラエルの神の神殿を、反キリストの教えをユダヤ人に強要させたギリシャ帝国が奪い豚とその血で祭壇を汚し、そしてゼウスの神の偶像を設置した神殿を奪い返し、神殿を清めた戦争勝利記念日です。
 
マカバイ戦争は、イエシュアが来られる2世紀前、マラキが
書き記され、マタイが書かれる間の空白の時代に起きたことで
マカバイ記には記録がありますが、聖書自体の中には、その出来事は記されていません。
でも、この祭りを、イエシュアがエルサレムの神殿で祝った記録が唯一ヨハネ10:22-23に記されています。
その他には、モアデイムには入らない、でもエステル記にユダヤ人がずっと祝うことになった、これも勝利記念日、ユダヤ人
殲滅作戦、敵の手から救い出されたことを記念する祭り、
プリムがあります。
 

エステル 9:17 これはアダルの月の十三日であって、その十四日に休んで、その日を酒宴と喜びの日とした。

9:18 しかしスサにいるユダヤ人は十三日と十四日に集まり、

十五日に休んで、その日を酒宴と喜びの日とした。

 9:19 それゆえ村々のユダヤ人すなわち城壁のない町々に住む者はアダルの月の十四日を喜びの日、酒宴の日、祝日とし、

互に食べ物を贈る日とした。

9:20 モルデカイはこれらのことを書きしるしてアハシュエロス王の諸州にいるすべてのユダヤ人に、近い者にも遠い者にも書を

送り、

 9:21 アダルの月の十四日と十五日とを年々祝うことを命じた。

9:22 すなわちこの両日にユダヤ人がその敵に勝って平安を得、またこの月は彼らのために憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変ったので、これらを酒宴と喜びの日として、互に食べ物を贈り、貧しい者に施しをする日とせよとさとした。

9:23 そこでユダヤ人は彼らがすでに始めたように、またモルデカイが彼らに書き送ったように、行うことを約束した。

 
イスラエルの歴史でも分かるように、神の民は、神に戻り、
神の契約に戻り、神の国に戻る。エデンから出て、エデンに戻る!
それが、7年ごとの、シュミタ年の修復でも教えられています。負債が全てチャラになる。
負債のために、負債を肩代わりした主人の家にボンドサーバント
負債返済のために働いた人、それを奴隷と書いてありますが、
不適切な訳です。主人に対して負債を負っている使用人です。
その使用人もシュミタ年、7年目には、その家から自由になります。
その家に居続けたい、働き続けたい場合は、それが出来ます。
住み込みで働くということです。
神の教えは、本当にどの人ももれなく救出することを、教えています。ずっと負債を抱えたままでは、生活を立ちなおせない、
一生負債の奴隷になったままにならない為です。
 
その他、農地を休ませる。シャバットと同じ、休み。
土地が再生される為、休む。
神の創造は、ぴったり同じ。休みなく働く、疲弊して行く。
ローマ帝国は、7日間、ひっきりなしに人を働かせて、休日が
ありませんでした。
そこで、4世紀に、ローマ帝国皇帝が初めて、休日を作った。
ミトラ神=太陽神、不屈の太陽の記念日、日曜日、日=サン=
太陽の日を、ローマ帝国の休日としたのが始まりです。
それは、イエシュア、聖書とは何も関係のない、ローマ帝国皇帝の休日を作った、それが日曜日の休みの本当の意味であり、
神の教えとは、全く無関係、日曜日は、昇天以降、神の聖別された日になったのでもありません。
 
1つ1つ伝統でやっている宗教の教えや、記念日、行事が実は
聖書とは何の関係もない、人間が作った作り物である事実を
知れば良いのです。
そして、神はいつでも今は神の記念日、聖日と言った、なんでも受け入れるよ〜などと、神は言ってもいないのです。
そう言うことをする行為、姦淫の罪、生ぬるい、吐き出そう!
と言っているでしょう。
イスラエルがそれをしたのです。異邦人も同じように、同じ
ヤラベアムの罪を辿っているのに、全くその罪、ずれに聖書から
気がつけていないのです。
聖書に警告されている罪、姦淫の罪、イスラエルがやった罪は
異教の神々の教え、神の教えではないことを通して、イスラエルの神を拝んだことです。
契約の命の生き方を捨てて、人間の編み出した教えを生きた。
この神の警告は、今も全ての人に同じであること、神の言葉を捨てる人、廃れたという偽情報を信じる人の頭脳には届かなく
なっているのです。
 
シャバットも、シュミタ年も、ヨベルの年も、神が全世界の
創造主、所有者であり、主権者であり、人間ではない!という
宣言なのです。最後は、神の元に戻る。本当の所有者、イスラエルの神に全ての人が、神の教え=トラーを生きて、世界をイエシュアと共に、神の義=トラーに記された生き方で治める世界が
来る。
神が創造された通りを人が生きることの神の宣言でもあるのです。神が宣言された通りを、人が受け止め、生きるのか、
生きないのか、それは個人の選択にかかっており、強制ではないのです。
でも、神を愛する人は、神の仰せ=トラーを生きる!とイエシュアが申命記を引用した、神の教えが真実です。
聖書が最初の部分終わった!という偽情報を本当と信じていると
迷いでます。
 
なぜなら、マタイ以降には、神の教えはほんの少ししか記されていないからです。見ても分かる通り、聖書のたった25%の量
です。最初の部分、モーセの五書=トラーが神の教えの完全版であり、これを生きよ!と言われているのです。
それを捨てて、イスラエルは、世界に散らされてしまったのです。イエシュアを否定したからではない。
神が生きよ!という生き方を捨てたからです。
 
マタイ以降は、100%モーセの五書に記された神の教えを
指して、全てが解説されているのです。しかも、マタイ以降は
神の教えは全て書かれていません。ほんの短い抜粋・注解のみ
です。だから、そこだけを読んでいても、神に何を教えられているのかの全貌は見えません。しかも、自分の中にある、西洋宗教の教え、伝統、文化、記念日を想像して読んでいては、
聖書を記した著者が意図した通りは見えないままになります。
だから、聖書を記した預言者が書いている意味通りに、学ばないとならないことは、必須であると分かると思います、
 
申命記6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主
ある。

6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、

 6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

 

神の教えを頭脳に留めて、寝ても覚めてもいつもそれを考える。

そして、子供たちにも、神の教えを常に語り教えると神が教えています。

西洋宗教、人間の作った宗教は、神の言葉を捨てよ!と、

神の言われることと真逆を教えています。完全に危険!

 

詩編 1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

 1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。

<思うと書いてありますが、ヘブライ語では、ハガという言葉で

これは、ずっとぶつぶつぶつぶつ自分で神の言葉を、四六時中

唱えていること、四六時中神の言葉を口で直接話しているという意味の言葉です。詰まり、頭脳が神の教えで充満している状態のことなのです。>

1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

 

イエシュアが100%父の教え=トラーを語っているということをはっきり理解して、捉えてください。

イエシュアを愛するならば、イエシュアが教えているトラーを

ガードする!トラーを生きる!と書いてあるでしょう。

でも、西洋宗教は、イエシュアの語る教えとは、真逆を語っていることに、気がついてください。

わたしのいましめ、イコール、クリスチャンが終了した!という

トラー=モーセの五書=父の教えです。

イエシュアは勝手に、トラーとは違う教えを人に伝えているのではありません!100%純粋なトラー、それを教え、それが

イエシュアの戒めであり、それをガードする人は、イエシュアを

愛している人だ!と言っているのです。

 
ヨハネ14:15 もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。

 

1ヨハネ 2:3 もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。

2:4 「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。

 2:5 しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、

神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。

 

同じことを、ヨハナンが言っていることに、気がついてください。

トラーをガードし、生きているならば、その人こそが、イエシュアを知っている。この知るという言葉は、夫婦間の親しい間柄、最も親密な関係を表している、ヤダという言葉、知るです。

トラーをガードし、生きない人は、偽りもの!とはっきり書いてあるでしょう。西洋宗教の教えは、神の教えに反した矛盾だらけの教えを通して、聖書解説しているから、このような箇所を読む場合、全く辻褄の合わない解説になるのです。

 

神の言葉を憎み、捨てるように教える人〜イエシュアを愛しているどころか、人間の教えを愛して、その人の中には神の真理はないと言われているのです。

御言葉とは、トラーです。モーセの五書です。勘違いして

聖書を読み、御言葉、マタイ以降の聖書?と考える。

マタイ以降に書かれているのは、100%モーセの五書の短い

抜粋です。考えたら分かるでしょう。

本当に辻褄が合わない、その理由は、人間の編み出した教え

偽情報、神の言葉が廃れて、別物の教えをイエシュアがしているという拡散されしまった前代未聞の大嘘、偽情報を信じて、

神の言葉の方を曲げて解説しているからです。

イエシュアに属する人は、トラーを捨て、破棄し、自分の考えで

自由自在に神の言葉を仕分けて生きる?これこそが、大嘘です。

 

イエシュアが到来して以降、トラーとは違う別の新しい教えが

教えられた!という偽情報全て根底から削除して、聖書を読み

直せばと、神が伝える真実が見えます。

 

イエシュアは、100%モーセの五書に記された父の教え

トラーを教えているのです。人間の解釈ではなく、父の意図

意味通り、天直送のトラーの解釈、そしてそれに根付く生き方を

地上で示して下さったのです。

 

ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた、「わたしはであり、真理であり、である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

 

道、ハ デレフとは何を意味していると思いますか?太古から

先祖代々、神のトラーを教えられた人が生きた道、トラーを生きること!とイエシュアが言っている意味が、見えないでしょう。

何が書いてあるのか、1世紀当時のヘブライ人ならクリアーに

説明なしに、イエシュアの言葉を聞いているのですが、

現代の異邦人は、人間の宗教の教えで、聖書に書いてある本当の意味を教えられいないので、自分たちの宗教の教え、伝統

宗教文化を通して、聖書とは違うことを考えているのです。

 

イエシュアが何を言っているのか、はっきり知れば、トラーに

戻る、婚姻契約に記された神が伝える生き方に戻るのです。

真理、命、全てトラーに書かれた神の言葉の中にあります。

あなたは、命を選びなさい!と言われた。その意味は、神が

伝える教えを生きること、命そのものです。

死、呪いを選ぶのは、エデンの園で食べてはダメ!と神に言われたことを、神の言葉に違反して生きる行為そのもの。

それを、西洋宗教は、人に奨励し、教え続けて今に至るのです。

 

14:21 わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は

わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に

愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

 

わたしの戒めを、捨てて、これをガードしないものは、

わたしを本当には愛している人ではありません!と言っているのです。