イエシュアの到来をイエシュアが伝えた通りに生きて準備する | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

出エジプト34:6 主は彼の前を過ぎて宣べられた。

「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、

いつくしみと、まこととの豊かなる神、

 

神の名、ヘブライ文字、四文字で表される神の性質を表す名を、2度も繰り返し、神の名=実態を人に伝えて言っています。

強調です。神の性質を人に伝えている

強調です。

そして、書いてあるでしょう。神は、恵、哀れみ、怒ることに

遅く、いつくしみとまこととの豊かなる神であると。

これヘブライ語で読んだら、もっと意味が見えます。

 

字面だけ読むと、神が怖い神に思えるでしょう。

なぜなら、悪と善を、神ははっきり区別しているからです。

でも、神が言ったことを後でひるがえすような、いい加減な神だったら、正しい裁きは出来ません。

 

人間が考える、神の怒り、裁きと、神が伝えるものとは違うのです。神の怒りは、神の正しい裁きは、人を悪から解放する為の

ものです。

今の世の中のように、腐った司法、裁判官では、悪を悪とはっきり判定しないまま、弱者が潰されて行ってしまいます。

 

主の名は今発音されていませんが、四文字で表されています。

יהוה 

ヨッド ヘイ ヴァヴ ヘイ この四文字は、本当に弱い発音の

文字なのです。神の性質を表している、神は人を搾取したり、

威圧的に上から命令するよな、人が想像しているようなお方では無い。でも、悪を善とは、決して容認されないのです。

でも、神は、忍耐強いお方であり、イスラエルが偶像礼拝

異教の神々の慣し、記念日、儀式を通してイスラエルの神を

神が忌み嫌われるおぞましい行為を通して、礼拝していたことを1000年近く、無言、何も裁かれず、忍耐し待っていたのです。

同じことを、イスラエルの神は異邦人に対してもしているのです。異邦人は、勝手気ままに何でもやって良い?

イスラエルだけ、神の教えを生きていれば良い?

どこかの国のロイヤルファミリーが、もしロイヤルファミリーの自覚がなく、相応しく無い振る舞いをして、素行の悪い生き方をする。

特権を使いやりたい放題搾取し、人を下僕のように扱い、省みない。

周りをかき回し、その一族を代表するような生き方をしないで、ずれてしまうのと同じ。

神の国に属する人は、神が伝える、イエシュアの性質、聖別された人の生き方をする。その生き方が何か知らないのは、神の言葉を捨てているから、分かっていないのです。

 

偽物の教え、神が警告する姦淫の罪、666の主張を復唱して

いても、何も言わない。でも、これで終わり!と言う時が来る。それが目覚ましコールで表されているのです。

神の教えに戻れ!

 

間違った教え、土台=人間の思想を根拠にしていること自体が間違った、砂の土台だから、デイスペンセーション神学のように、壊れた家を手直し続けなければならないような、聖書とは異なる所詮人間の教えに過ぎないものを、部分修正をし続けていても

全く意味がありません。

根こそぎ、偽物の教えの土台、神の教えが廃れた!という砂の

土台を撤去して、最初から土台から岩の上=イエシュアの言葉の

上に、自分の思索、生き方を建てあげない限り、ずっと偽物の教えが

混入した、混ざり物、姦淫の罪を信じ続けて、実践してしまうのです。

春の祭り、購い、救い、新しくされた人、地上での旅路=神と共に約束の地に入る迄の新しくされた人が成長する命のサイクルを生きる旅路。

そして、秋の祭りは、これから来るイエシュアが再臨、到来し

そして、イエシュアが永遠の世界を治める王の王、主の主として

イスラエルに戻られる、新しい時代、永遠に神の義を通して

トラーに記された通りの生き方を、全ての人がしてシャロームが

訪れる、それらを教えいている預言的祭りなのです。

 

春の祭りは、イエシュアの最初の到来、永遠の中に完了している

子羊の血の購いの業を、地上で証明されたのです。

苦しみを担う、受ける僕として、来られたのです。

これは、地上で証明されました。

春から夏を通りました。これが人の人生の地上の旅路を表しているものです。荒野の40年間がそれです。

そして、秋の祭りは、再臨と新しい世界、イエシュアが

イエシュアの義、トラーに基づき統治され、永遠にそれが続く

世界が来ることを表す、預言的祭りです。

 

春の祭りは、地上でイエシュアがされた最初の到来で証明され

実現しました。

秋の祭りの一連は、再臨と、未来神の国が地上に実現することを表す預言的祭りなのです。

明日の日没に、ショーファーを吹く祭りが来ます。

世界中が、この時にショーファーを、神の民が一斉に吹く

聞くのです。再臨のリハーサルでもあるのです。

神の教えを聞いて生きる人は、誰でも神の創造された記念日に

招かれています。

クリスチャンは、ローマ帝国が神の教えを捨てよ!と言う勅令に

従った先人たちのおかげで、神の教えと、神の記念日を捨てさせられ、ローマ帝国が作った教えと、ローマ帝国、人間が作った

神由来では無い、人間由来の記念日をやっている事実に

気がついてください。

再臨を待望するなら、イエシュアが言われた通りを生きて、

準備して待つ。

10人の乙女の五人は、5=トラー神の教え=油を持たないまま、眠った状態で、花婿が来たら不意打ちくらい、油を分けて

下さいと言ったのです。

この油とは、その人が神のトラーに根付いて生きることだから

それを、人に分け与えることは不可能。

誰かの歩んだ人生を、他の人に上げらないでしょう。

 

本物とコピー品は違うからです。神はコピーでも良いよ!などと

そんな嘘、いい加減なことを人に教えていません!

以前書いた記事です。

 

下矢印

ヨム テルア 過去記事2023年

 

以下に記されている祭りの日とは、このヨムテルア です。

そんなこと、分からないまま、空想の祭りを考えて以前は

読んでいました。そして、神の招いて下さっている祭りにも

参加しない、祝わない、無関係、いや知らないまま。

 

レビ記 23:23 主はまたモーセに言われた、

23:24 「イスラエルの人々に言いなさい、『七月一日をあなたがたの安息の日とし、ラッパを吹き鳴らして記念する聖会としなければならない。

 
詩編 89:15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。
主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み、
 
<喜びの声とは、テルア、ショーファーで表される神の声!
神が全ての人を呼び出している、目覚ましコールです!
ここに記されている、祭りの日とは、秋の祭り、ヨムテルア、
明日の祭りのことを、詩篇の記者は書いているのです。
ショーファー=神の声、目覚ましコールの意味を知る人は
幸い。知ると言うヘブライ語は、夫婦間の親しい間柄で
裏も表も知り尽くしている意味の言葉です。
神が与えた祭りの意味を知り、それを祝う人は幸い!
逆は何ですか?このショーファーの音の意味、神の呼び出している聖日を知らない人、祝わない人は、幸いではありませんと言う意味です。>
 
詩編98:6 ラッパと角笛の音をもって王なる主の前に喜ばしき声をあげよ
<これも、秋の祭りを語っているのです。>
 
イザヤ 27:13 その日大いなるラッパが鳴りひびき、アッスリヤの地にある失われた者と、エジプトの地に追いやられた者とがきて、エルサレムの聖山で主を拝む。
 
ゼカリヤ14:9 主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。

14:16 エルサレムに攻めて来たもろもろの国びとの残った者は、皆年々上って来て、王なる万軍の主を拝み、仮庵の祭を守るようになる。

14:17 地の諸族のうち、王なる万軍の主を拝むために、

エルサレムに上らない者の上には、雨が降らない。

14:18 エジプトの人々が、もし上ってこない時には、主が仮庵の祭を守るために、上ってこないすべての国びとを撃たれるその災が、彼らの上に臨む。

14:19 これが、エジプトびとの受ける罰、およびすべて仮庵の祭を守るために上ってこない国びとの受ける罰である。

14:20 その日には、馬の鈴の上に「主に聖なる者」と、しるすのである。また主の宮のなべは、祭壇の前の鉢のように、聖なる物となる。

14:21 エルサレムおよびユダのすべてのなべは、万軍の主に対して聖なる物となり、すべて犠牲をささげる者は来てこれを取り、その中で犠牲の肉を煮ることができる。その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない。

 

神は、人を造られたイスラエルの神は、神が創造された記念日に

神の子ら全員を呼び出しているのです。

以前に書いた記事を載せますが、この日は、王の到来、再臨と

そして、これから来るイエシュアが全世界をイスラエルから

トラーを通して、神の義の御座から統治される世界の到来

未来預言的祭りを教えているのです。

 

それは、詩篇1にあるように、神が創造されたモアデイムを

祝い、その神の時の中を生きる人は、神から様々なことを教えられ

そして、神が神のモアデイムで特別に出会い、その人の中に確実に神らしい性質を

実らせる、それはその人が神の教えを生きたら、そうなると

教えているのです。

 

種=神の言葉を、頭脳=良い地〜神の言葉を理解する頭脳に

植えて、そして神の言葉を理解し、その通りを生きる人は

御霊の実が実る、新しい人=イエシュアと同じ性質を身につけて行くことを教えているのです。

 

昇天以降は、何でも良い。自分の勝手、自由で、自由にイスラエルの神を拝めば良いと教えられている教えは、神の教えではありません。

神の言われた通りにピッタリ合わせて、神の言葉通りを発言し

他者に伝え、そして、神の記念日を祝う!これが、本物の生き方であり、イエシュアが未来エルサレムに戻ったら、全世界の人が

神の祭りを祝うために、エルサレムに来るようになると預言されています。

 

具合が悪くて来れないから全員じゃない?いや、その人は自分の

生きている場所で、今と同じように神のシャバット、祭りを祝えるのです。

イエシュアが再臨されたら、神の祭りを最初に祝う!と預言されています。

目覚ましコール。神の伝える真実に、目覚めよ!目を覚まして

神の教えを、神が伝える通りを聞いて、軌道修正せよ!

これが、ヨムテルアです。

そして、その10日後が、大贖罪日であり、その5日後が仮庵の祭りの7日間に入るのです。そして、第8日目の祝い日。

これは、永遠にイエシュアが統治する時代に移行することを

表しているものです。

 

これら全て未来に起きること、再臨、永遠にイエシュアが世界統治する世界が到来することを教えているものです。

 

ダービーが言うように、クリスチャンだけ永遠に天に消え、

ユダヤ人だけが地を治める、それは嘘です。聖書ではない。

 

なぜなら、神の名、人間が作った宗教の教えは消えて

神の名=実態は神が伝える通り1つと、全ての人に認識されるからです。天と地も1つとなる。

エデンから出て、エデンに戻る!からです。

神の言われることを聞くのか?人間が作った宗教の教えを生きるのか?クリスチャンの中にある問題は、神の教えと、人間の教えの違いの区別が無いことです。

それは、神の教えを捨てて、聖書を正しく学んでいないからです。

西洋宗教とは、ローマ帝国が神の教えに違反して、神の教えを

塗り替えて勝手に作った人造宗教であり、パウロやペテロが

昇天以降新しい宗教の教えを編み出した!と言う大嘘を信じているから、それが昇天以降、イエシュアが教えよ!と言った新しい教えだと勘違いしているのです。

本当のことが、はっきり分かり、目から鱗が取れて、暗い部屋に

明かりが付いたら、その部屋は実はゴミだらけであったことに

気がつけるのです。

それは、神の言葉に戻る時、神の言葉が神が伝える通りに

永遠不変の真実だ!とその人が、聖霊により書かれた神の言葉の事実を受け取り信じたら、眼から鱗、暗いへやに明かりがつき、何が神の教えで、何が嘘、人間が塗り替えて施した間違った聖書解説か、はっきり分かり、人間の教えと、神の教えの区別が出来ます。

それには、注意深いトラーの学びが必要であり、人間が作った宗教思想

ダービー教、デイスペンセーション神学、神の性質と神の言葉の

進化論という大嘘を通して聖書を読んでも、灯はつきません。

その思想こそが、神の語る永遠の真実を、覆い隠す妨害、

つまずきの岩、障害物、添加物そのものだからです。

要らないのは、トラー、神の言葉、教えではなく、破棄されなくてはならないのは、そのような人間が編み出した神の言葉を捨て去る、曲げる

思想の方なのです。