神の声 神の呼ばわる声がとどろく日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

11日金曜日の日没からは、ヨム テルアであり、同時に週一度のシャバットで、12日の日没迄です。

 

去年2025年9月21日、日曜日、日没から月曜日、

日没迄でした。

そうすると、日曜日の日没は、第七日目ではなく、

聖書の暦では第二日目、月曜日なので普段の日ですが、

モアデイム、アポイトメント、記念日は曜日に関わらず、

その日をシャバットと同じように止まり祝います。

 

神が神の子ら全てを呼び出している日と、意識して考えて見る

必要があります。

子羊の声、本物の羊飼いと、龍の声を聞き分けることが出来るのは、神の言葉に照らし合わせる事だけを通して可能なのです。

 

龍の物言いは、神の教えが廃れた、変化する、破棄された、

異邦人には関係ない、時代ごとの文化、風習に合わせて、

神の言葉の解釈、中身を変えて良い、又は、その人が考えて

選択したり、捨てたりして良いと言います。

今はいつでも記念日、安息日。その人が選択、考える日で良い、

これらは、聖書を正しく読むことを学ばない人たちの語る

思想であり、神の言葉そのものを曲げている解説に過ぎません。

本物の羊飼いの声、語る教えとは真逆のことを主張しています。

 

神の声は、肉声で耳元に聞こえませんが、神の言葉を読めば、

それが神の声そのものなのです。

聖書には永遠に変わらない!と神ご自身が伝えている教え、

メッセージ、言葉、インストラクション、指針が書いてあるのです。

それを捨てよ!無視せよ!無効!異邦人には無関係!と言い続けているのが、龍の声、物言いとヨハナンが暗号で伝える、

666,神に反する、敵対する、神の言葉を人間が変える、

捨てる勢力のことなのです。

神が創造されたと神ご自身が人に伝える特別な会見の日、これらが本物の聖日であり、神が、世界の四隅に住んでいる神の子ら

全てを呼び出している日です。

聖なる集会と神が教えている日です。

人間が自己主張で勝手に作り出した日は、神は聖別してもいないし、神が人を呼び出してもいない日です。

神の時の完全版が、レビ記23章に書かれています。

この暦は、永遠に変わりません。

人間、「第四の獣」という暗号で記されているローマ帝国が

4世紀に宗教を作り、神の創造されたモアデイムをことごとく

別物に変えたという事実に目が開かれないと、神が伝える真実は、偽物の教えという目隠しに妨害されて見えません。

 

聖書には、人間が作った宗教の教えなど書かれていません。

そして、キリストが最初の到来をしたから、初めてキリスト

イエシュア、罪の許し、聖霊が住まう事が教えられ、聖霊、

許し、新しくされた人の実態が初めて人類に与えられた

2000年前にキリスト教という新しい宗教が教えられるように神が命じたという、歴史線上、時系列上に聖書を読んでいる読み方こそ、西洋哲学思想であり、聖書、ヘブライ思索、永遠の中から語る神の思索とはズレたものなのです。

神はローマが4世紀に作った、神のトラーが廃れた!という

思想を土台にした宗教の教えも、人間が編み出した教えも、

人に教えていません。

聖書を読めば、エデンの園から神に修復され、神と対話し、

祈り、教えられて生きて居る人たちのことが、書かれているのです。

聖書に書かれている事実を読んでも分からないのは、間違った

周波数、別のチャンネルの似て非なる教えの下で、時代ごとに変化する神と変化する神の人への対応という人造宗教とその産物である置換神学やデイスペンセーション神学の教えを通して、聖書を歪めて、曲げた思想を聞き続けているから、聖書に書いてある事実が見えないだけです。

 

旧約聖書、新約聖書、別の教えが書かれていると思っているでしょう?新約聖書には、古い教えが廃れて、新しい時代、聖霊時代

恵みの時代、使徒時代の新しい教え、契約、別の教えが書かれていると本気で信じていませんか?

そんな事、1つも書かれてもいないのです。そう書かれていると

勘違いしている箇所は、100%間違った聖書解説、

不適切な翻訳、原典にない言葉や文章を挿入し、書いてある意味を歪めている、翻訳者の思想が投影されているからです。

使徒は、100%、モーセの五書しか人に教えていません!

イエシュア、パウロ、ペテロ、使徒、当時の人達は、誰一人として神の言葉が変化した、教えが変わったなどと考えている人、

人のそのように教えている人などいません!

 

永遠の中に全てが完了、完結している事実から、この世界が物理的に造られたと書かれているからです。何も変わらない。

シャバットでそれが表されているのです。

付け足すものが何もない状態が完成した!それが6日目です。

全部完成!人間の構造も中身も、生き方も神が創造された通りを

生きることに何も変わらないのです。

そして、全てが揃って、神との関係を祝い、祝福し、そして

祝宴の宴会を過ごす日が、第七日目です。

全てのものが揃って、神との関係を喜び、楽しむことを体験する

生まれて初めて体験した日が、第七日目、シャバットなのです。

 

神の創造された生き方からズレているから、今は悪が支配し、

人が破壊される歴史の時を通っているのです。

2つだけです。悪が支配する時代と、永遠に神、イエシュアが

統治する世界が来る!この2つだけです。

人間は、途中、進化、変化しません。肉体も頭脳も変化しない。

神の創造された世界も、進化、変化しない。

神ご自身も、進化、変化しない。永遠に変わらない!と言われた事が真実です。

人間が、神の語られる事実、真実、真理を真っ向から歪め、

曲げ続けている、それが人間の編み出した宗教なのです。

 

目覚ましコール、ヨムテルアから、10日後に来る大贖罪日も

同様にシャバットとして止まり、祝い過ごします。

9月20日日曜日の日没から21日日没迄が、2026年の

大贖罪日、ヨムキプールであり、普段の日ですが、シャバット

同様の扱い、祝い方をします。

そして、その後、9月25日、金曜日の日没から、7日間が

仮庵の祭りです。

9月25日は、シャバットであり、仮庵の祭りが始まる最初の日であり、シャバット、止まり祝う日になります。

そして、10月2日、金曜日の日没迄が、仮庵の祭りです。

そして、金曜日2日の日没から単独の第8日の祭りが始まり、

3日、月曜日の日没迄続きます。

2023年の同じ日、第八日の仮庵の最後の日に、ガザの

過激派テロリストにイスラエルの多くの人が殺害されたのです。

祭りは、諸外国ではイスラエルの様に祭りで休日にならない

ので、2日間、その日を伝統で設けています。

 

昨日の晩は、ユダヤ人の友人ファミリーと大いに盛り上がった

楽しいヨムテルア、シャバットのひとときの祝宴を楽しみ

ました。楽しい時はあっという間に過ぎます。

神の呼び出している祝宴の日を、西洋宗教は、律法の厳しい教えの廃れた祭りだ、安息日だと、世界の果てまでズレた思想を

龍の声で刷り込まれている災難があるのです。

 

心から敬愛する、大事な人の祝宴に招かれて、面倒だ、律法主義だ!とぷんぷん怒る人がいますか?

大事な人との祝宴、パーテイを毛嫌いする、それは相手と

相当悪い関係、信頼関係がない上辺の関係であるのでしょう。

それをやらされているのです。

主の名=神の実態、臨在の中で、神が設けて下さった特別の

呼び出し日、祝宴、特別な出会いをするから来て!と神の子ら

全員を招いている日です。

 

イスラエルは、神のシナイ山で与えられた婚姻契約を破り続けて

神が婚姻契約書を渡した時の警告を破りました。

イスラエルは大家族の長男ですから、弟妹に対して、正しく神の教えを学び、教え、生きて伝える役割があるのです。

だから、長男が神の教えを捨てて、別物に混じった時、特別に

厳しい訓練を与えられたのです。

 

あなたは命を選びなさいとは、どういう意味でしょう?

そして、イエシュアが「地の塩、世の光」であると言われた意味は、1つで繋がって居ます。

神が与えたインストラクション、創造主が伝える創造主が

造られた人が何を生きて、何を生きないように造られているか

それを無視、はずしたら、破壊、壊れる、傷つくということを

理解しないとなりません。

地の塩、世の光は、神の教え=トラーに根付いた生き方をする

事で表れ出る、それ以外にその実態はない!という基本的な理解から外れていたら神が伝えていること、イエシュアが教えられた父の教えは、神の言葉を捨てる人、勝手に変える人には、変形した

別物の実態を生きる事としか、伝わらなくなるのです。

 

DNA、設計図、楽譜、デジタルコード、どんな形でも、文字で

伝えられるものを形、音、その他に再現したら、その通りの実態が現れ出て来て、人が見る、聞く、体験することが可能になるのですが、その大元を変えたら別物になるのと全く同じです。

神の言葉で造られた人は、神が伝える言葉通り、神の口から

直接出た1つ1つの言葉により生きる!と言われているのに

その1つ1つの言葉を、人間=神に敵対する=反キリスト=

第四の獣が変えてしまった教えに聞き入っていてはならないのです。

イスラエルが神が伝える生き方、生きるのに難しくない!

なぜなら、それはあなたのDNAそのもの、神の性質通りに

造られている通りであるから、腹に記されているから!と

言われたのに、それに違反したのです。

 

それは、周りにいる異教の神々、女神を崇拝する異邦人の

慣わし、偶像礼拝、生活習慣、その他を取り込み、

神に創造された人の聖別された生き方から外れて、

偽物に染まってしまったからです。

1000年近くも、神は沈黙していましたが、それはそれを

許しているからではない。忍耐の神だからです。

今も同じです。1900年もの間、龍の物言いが浸透しても

それは神が許可しているからではないのです。

神の時が満ちるまで、忍耐しているだけです。

 

異邦人の世界に浸透したのは、西洋人ローマ帝国が作ってしまった宗教の教えであり、イエシュアが教えられた父の教えではありません。ある部分だけは、聖書の事実を語っても、それは本当に

狭い範囲の聖書しか語りません。救い、許し、助け、などなどです。

考えれば変だと発見出来ます。なぜ、聖書に書いていない

イエシュアも教えてもいない、第四の獣が作った宗教が本物だと信じているのか?

見かけが子羊、部分的に似たように見えるからです。

しかし、素材も中身も偽物、コピー品。

神の言葉が廃れた!今は関係ない!そして、神が創造された

記念日をクリスチャンは全く知らないし、生きてもいない。

 

こういう事と同じです。例えば、ある王家には王家の人だけが

やる独特、特別な行事、しきたり、記念日あるでしょう。

それを、王族のある一部の人だけは全くやらない、参加しない。

代わりに自分たちが独自に作った別の記念日を祝う。

又は、王族のしきたり、生き方、振る舞いをしないで、

王族らしからぬ行動をするとしたら、それは異物、違反した行動でしょう。

人間の世界でもそうなのに、ましてや、神が伝える神の家に属する人の生き方を、人間が勝手に変えて、それぞれが勝手な生き方

勝手な行動をする。

それは、神の言葉、教えを捨てて、人間が作った宗教の教えを

やっているからです。

神の創造された記念日をクリスチャンが知らない、教えられていない、やらないのは、人間、第四の獣、ローマ帝国が

神に対する冒涜を行い、聖別を汚す行為である神の記念日を

全て捨てて作り替えたからなのです。

代わりに自分たち独自の考えで編み出した勝手な記念日を作ったからです。神は神の創造されたモアデイムを汚す、別物に変える事を、罪であり聖別を汚す行為だと禁じています。

ヤラべアムの罪とずっと言及されているそれを、4世紀にやったのです。その裏にあるのは、神が禁じた偶像礼拝です。

皇帝崇拝の日、太陽神の日、日曜日、クリスマスもイースターも既存の異教の神々、女神の祭りをぱくり、作り替え、キリスト

的な意味を加えて、作り変えてリニューアルしたものです。

 

一番の冒涜は、神の教えを捨てる行為と、そして神の記念日を

捨てる行為です。そして、別物を作り、すげ替える行為。

すげ替える、666の意味です。神の言葉を捨て去る、追いやる

すげ替えるという意味のヘブライ文字が、666という文字で

表される言葉だからです。

神が禁じている行為を、無感覚で平気で出来る理由は、

西洋宗教、人間の作った嘘を信じているからです。

神の言葉は廃れて、人に判断が委ねられる時代になった。

神の記念日はその人が考える日いつでも良い!

こんな大嘘、聖書に照らし合わせれば、嘘だと分かる。

もし、神が言われている警告、教えを正しく理解する人ならば、

そのような行為は、神の前に絶対に出来ない罪であると

はっきり自覚があるから、しないのです。

ユダヤ人に神の教えを捨てよ!と強要した、ギリシャ帝国、

ローマ帝国、そして西洋教父や、皇帝、教皇、司教、

ルターまでもがそのように、ユダヤ人を追いやったのです。

神の教えを捨てる?汚す?自分の聖別を汚す生き方をする?

そんなことをすることが、罪とも分からない人たちが伝える

キリストは、オリンピアローマの偽物、異端!と今もユダヤ人が大抵抗していることを知らないとならないのです。

ユダヤ人に、聖書、トラー、預言書、諸書に記された本物の

イエシュアを知る事を妨害しているのは、実は偽物のイエシュア変形したイエシュアを伝えているからです。

神の教えを捨て、シャバットや祭りを捨て汚し、異教徒と同じ

ように聖別も分からないまま、きよいもの、きよくないもの

の区別、識別も出来ない。偶像礼拝に交わり、何でも食する?

そんな偽もの教えを聖書だとユダヤ人に伝える方が、無茶です。

黙示録にも、それらが、「ニコライ派、バラムの教え、偽女預言者イゼベルの教え」という暗号で書かれているのがそれです。

偽物の教え全部捨てなくてはならないのは、偽物の教えを

取り入れた人たちの方だからです。

神の言葉を捨てよ!と言う主張こそが、廃れないとならないのです。

しかも、知らない間に、神の言葉を曲げる事が正義と教えられ、それをさせられ、選択余地がなかった、それが異邦人です。

塾やバイオリン、ピアノやスポーツのインストラクターを選ぶ

ように、聖書を教える教師を異邦人は選べなかったのです。

身近にいた人に教わる、イコール、聖書を正しく教えられて

こなかったのです。