【It will be All Good】
【It will be All Good】
「Hey, R U awake, man?」
「Yo, How long U've been here for..」
「Not much, How're U feeling...?」
「Feel like I lost about 50lbs, kind of pain though..」
「aight, Just don't talk anymore and take it easy, buddy...」
「How's China?..」
「Will explain tomorrow..」
「Okay, I can wait..」
「Cool, Let's chat tomorrow.」
「See ya」
;D
※ スラング語集:R= are, U= You, aight = alright
「Hey, R U awake, man?」
「Yo, How long U've been here for..」
「Not much, How're U feeling...?」
「Feel like I lost about 50lbs, kind of pain though..」
「aight, Just don't talk anymore and take it easy, buddy...」
「How's China?..」
「Will explain tomorrow..」
「Okay, I can wait..」
「Cool, Let's chat tomorrow.」
「See ya」
;D
※ スラング語集:R= are, U= You, aight = alright
【幸運の扉を開ける鍵】
ちょっと肌寒いぐらいの水に足を浸した後、
ゆっくり水の中に入る。
「久しぶりだなぁ。。 今日もゆっくり泳いでみよう。。」
水の中で浮か時、全ての物から離れたような気がするんだぁ。
25m、50m、100m、
距離を増すごとになんだか意識が体から離れていくような。。
(幽体離脱こと泳体離脱か?!)
「。。。。。。」
考えても考えても、わからないことはわからない。
そんな時は、
考える時間が問題ではなく、考え方を変えることが大切だと思うんだぁ。
本当はねぇ、
未来に起きることなんて誰にもわからないと思うんだぁ
もしも、この世の中全てを“世界”と呼ぶならば、
こんな小さな惑星に住んでいる僕たちも“世界”の一部ということになるなぁ。
野菜もニワトリも山も川も、
みんな、世界の一部だとしたら、
自然、宇宙、魂だって世界の一部ということになる。
世界というものは生き物であって、
一人一人、自分の役目を果たすために頑張って生きていると思うんだぁ。
「じゃぁ。 頑張っている理由はなんだろう?」
お互いを試し合ったり、苦しめたり、憎みあったりするために
頑張っているのではないだろうなぁ。
自分を攻めたり、慈悲したり、後悔するために
頑張っているのではないのだろうなぁ。
頑張っている理由は、
やっぱり「気分がよくなる」ために生きているだと思うよ。
世界という生き物は
あたたくて、やさしくて、たのしくて、うつくして、
まるくて、おおらかで、おちついていて、
あかるくて。。。
たまにオチャメなことをしたり、
娯楽もするけれど、
お互い助け合い、尊重し、
感謝するために頑張っているのだと思うよ。
そんな世界を僕たちは一緒に造っているのだろうなぁ。
それは、それは、
いろいろな役目があるのだから、
いろいろな個性や、いろいろな力を養って生まれてくるだろう。
太陽の光が眩しすぎるといけないので、
大きな葉っぱを広げて影を造る人や、
その影の下でやさしい花を広げ、喜びを与える人。
その喜びを預かりミツバチのように飛び去って
お日様が当たっている花畑に届ける人。
また、お日様が当たりすぎないように
雲のように影を落としたり、雨を降らせたり。。
僕たち人間はイルカのように海を自由に泳いだり、
豹のように陸を素早く走り抜けたり、
鳥のように空には羽ばたくことができないけれど、
創造力という不思議な翼をもってこの世界に生まれてきたんだよねぇ。
創造力という翼を使えば、
困っている問題を解決することもできるし、
かみさまのように時間の壁をも越えることができるかもしれないよねぇ。
将来どんなことが起きるかはわからないけれど、
僕らの人生が幸運なのか不運なのかは
自分で創造し、決めることができると思うんだよ。
そんな力をもって生まれてきたのだから、
創造力という翼を使いこなせるように頑張らなくっちゃいけないなぁ。
創造力という翼の使い方も毎日練習しなくっちゃいけないなぁ。
もし、
自分の人生が不運なものだと決めつけたら、
きっと不運な出来事に集中し、悲しい経験をするだろう。
もし、
自分の人生が幸運なものだと創造すれば、
きっと幸運な事柄に気がつき、
幸せな出来事を経験するだろう。。
全ては創造から始まり、
創造通りに時間がすぎるのだから。
See ya,
:D
ゆっくり水の中に入る。
「久しぶりだなぁ。。 今日もゆっくり泳いでみよう。。」
水の中で浮か時、全ての物から離れたような気がするんだぁ。
25m、50m、100m、
距離を増すごとになんだか意識が体から離れていくような。。
(幽体離脱こと泳体離脱か?!)
「。。。。。。」
考えても考えても、わからないことはわからない。
そんな時は、
考える時間が問題ではなく、考え方を変えることが大切だと思うんだぁ。
本当はねぇ、
未来に起きることなんて誰にもわからないと思うんだぁ
もしも、この世の中全てを“世界”と呼ぶならば、
こんな小さな惑星に住んでいる僕たちも“世界”の一部ということになるなぁ。
野菜もニワトリも山も川も、
みんな、世界の一部だとしたら、
自然、宇宙、魂だって世界の一部ということになる。
世界というものは生き物であって、
一人一人、自分の役目を果たすために頑張って生きていると思うんだぁ。
「じゃぁ。 頑張っている理由はなんだろう?」
お互いを試し合ったり、苦しめたり、憎みあったりするために
頑張っているのではないだろうなぁ。
自分を攻めたり、慈悲したり、後悔するために
頑張っているのではないのだろうなぁ。
頑張っている理由は、
やっぱり「気分がよくなる」ために生きているだと思うよ。
世界という生き物は
あたたくて、やさしくて、たのしくて、うつくして、
まるくて、おおらかで、おちついていて、
あかるくて。。。
たまにオチャメなことをしたり、
娯楽もするけれど、
お互い助け合い、尊重し、
感謝するために頑張っているのだと思うよ。
そんな世界を僕たちは一緒に造っているのだろうなぁ。
それは、それは、
いろいろな役目があるのだから、
いろいろな個性や、いろいろな力を養って生まれてくるだろう。
太陽の光が眩しすぎるといけないので、
大きな葉っぱを広げて影を造る人や、
その影の下でやさしい花を広げ、喜びを与える人。
その喜びを預かりミツバチのように飛び去って
お日様が当たっている花畑に届ける人。
また、お日様が当たりすぎないように
雲のように影を落としたり、雨を降らせたり。。
僕たち人間はイルカのように海を自由に泳いだり、
豹のように陸を素早く走り抜けたり、
鳥のように空には羽ばたくことができないけれど、
創造力という不思議な翼をもってこの世界に生まれてきたんだよねぇ。
創造力という翼を使えば、
困っている問題を解決することもできるし、
かみさまのように時間の壁をも越えることができるかもしれないよねぇ。
将来どんなことが起きるかはわからないけれど、
僕らの人生が幸運なのか不運なのかは
自分で創造し、決めることができると思うんだよ。
そんな力をもって生まれてきたのだから、
創造力という翼を使いこなせるように頑張らなくっちゃいけないなぁ。
創造力という翼の使い方も毎日練習しなくっちゃいけないなぁ。
もし、
自分の人生が不運なものだと決めつけたら、
きっと不運な出来事に集中し、悲しい経験をするだろう。
もし、
自分の人生が幸運なものだと創造すれば、
きっと幸運な事柄に気がつき、
幸せな出来事を経験するだろう。。
全ては創造から始まり、
創造通りに時間がすぎるのだから。
See ya,
:D
【Memories of Hangzhou】
【Memories of Hangzhou】
初めて会った時はムスってしてた。
じっくり話しをしてみると
ニコって笑ってた。
建築ってオーケストラの演奏に似ているんだぁ。
オーケストラの指揮者って
バイオリンが世界一上手く弾ける訳でもなく、
ピアノを天才のように弾ける訳でもない。
でも一つ一つの楽器を良く知っていて、
各楽器を上手く表現できる音楽家を知っている。
一つの楽器が上手く弾けても、
みんなと波長が合わなければ
一つの音楽として演奏することはできないからねぇ。
練習後、みんなが去った楽屋でも
常にどうすればもっと上手く表現できるかって考えているし、
一人一人の音楽家を最大限に生かすように
常にタイミングを探し、試行錯誤している。
頭の中で創造した世界を
世の中に届けることは本当に難しい。
一人ではできることではないし
だからこそ、みんなで話し合いながら造り上げるものだと思う。
この世の中で一つしか無い街
一人一人表情が違うように
建築だって一つ一つ個性があるんだぁ。
創造って言ったて、
最初は全てがはっきりわかっているわけじゃないんだぁ。
カメラのピントを合わせるように
最初はボヤってしているけれど、
いろいろな問題や情熱を明白にしてゆくことで
思っていなかったような世界まで見えてくる。
だから問題は必要だし、
難しいことが条件なんだよねぇ。
ゆっくり、あせらず、じっくりと。
みんなを信じて進めば
必ず答えが見えてくる。
ピントが合う瞬間は
必ず絶対絶命のような
辛い出来事を経験する。
でも、ピントがあった時、
“みんなの心が一つになるんだぁ”
みんなの心が一つになれば、
指揮者がいなくなっても音楽が自然と流れ始める。
普通のビジネスではあり得ないことだけど、
これが僕たちのデザインプロセスなんだぁ。
真剣に考えるから言い争うこともあるだろう。
情熱を抱いているからやりすぎることもあるだろう。
創造したアイデアが世界へ生まれるためには
沢山の痛みを感じるだろう。
辛く、痛く、悲しいことを経験するだろう。
そんな経験があるからこそ、
新しい生命が誕生するのだろうなぁ。
デザイン作業を終える時、
言葉では表現できない達成感がある。
同時に、なんだか終わらせたくないような
切ない気持ちも込上げてくる。
「もう少しここで見つめていたいなぁ。。」
「この街でどんな命が育つのかなぁ?」
「この街でどん経験が生まれるのかなぁ?」
そんな心とは裏腹に
ドライバーは腕時計を見ている。
フライト時間に遅れちゃうなぁ。
「そっか。。だから世の中にはプライベートジェット機があるんだなぁ。」
大好きな建築を好きな時に好きな場所で。
ライフスタイル・デザイン進行中
次はどんな街に住もうかなぁ。
→限定期間公開
http://ameblo.jp/e-volution/entry-10546161936.html
See ya,
:D
初めて会った時はムスってしてた。
じっくり話しをしてみると
ニコって笑ってた。
建築ってオーケストラの演奏に似ているんだぁ。
オーケストラの指揮者って
バイオリンが世界一上手く弾ける訳でもなく、
ピアノを天才のように弾ける訳でもない。
でも一つ一つの楽器を良く知っていて、
各楽器を上手く表現できる音楽家を知っている。
一つの楽器が上手く弾けても、
みんなと波長が合わなければ
一つの音楽として演奏することはできないからねぇ。
練習後、みんなが去った楽屋でも
常にどうすればもっと上手く表現できるかって考えているし、
一人一人の音楽家を最大限に生かすように
常にタイミングを探し、試行錯誤している。
頭の中で創造した世界を
世の中に届けることは本当に難しい。
一人ではできることではないし
だからこそ、みんなで話し合いながら造り上げるものだと思う。
この世の中で一つしか無い街
一人一人表情が違うように
建築だって一つ一つ個性があるんだぁ。
創造って言ったて、
最初は全てがはっきりわかっているわけじゃないんだぁ。
カメラのピントを合わせるように
最初はボヤってしているけれど、
いろいろな問題や情熱を明白にしてゆくことで
思っていなかったような世界まで見えてくる。
だから問題は必要だし、
難しいことが条件なんだよねぇ。
ゆっくり、あせらず、じっくりと。
みんなを信じて進めば
必ず答えが見えてくる。
ピントが合う瞬間は
必ず絶対絶命のような
辛い出来事を経験する。
でも、ピントがあった時、
“みんなの心が一つになるんだぁ”
みんなの心が一つになれば、
指揮者がいなくなっても音楽が自然と流れ始める。
普通のビジネスではあり得ないことだけど、
これが僕たちのデザインプロセスなんだぁ。
真剣に考えるから言い争うこともあるだろう。
情熱を抱いているからやりすぎることもあるだろう。
創造したアイデアが世界へ生まれるためには
沢山の痛みを感じるだろう。
辛く、痛く、悲しいことを経験するだろう。
そんな経験があるからこそ、
新しい生命が誕生するのだろうなぁ。
デザイン作業を終える時、
言葉では表現できない達成感がある。
同時に、なんだか終わらせたくないような
切ない気持ちも込上げてくる。
「もう少しここで見つめていたいなぁ。。」
「この街でどんな命が育つのかなぁ?」
「この街でどん経験が生まれるのかなぁ?」
そんな心とは裏腹に
ドライバーは腕時計を見ている。
フライト時間に遅れちゃうなぁ。
「そっか。。だから世の中にはプライベートジェット機があるんだなぁ。」
大好きな建築を好きな時に好きな場所で。
ライフスタイル・デザイン進行中
次はどんな街に住もうかなぁ。
→限定期間公開
http://ameblo.jp/e-volution/entry-10546161936.html
See ya,
:D
【杭州市・西溪湿地】 その6
【杭州市・西溪湿地】
その6
中国浙江省杭州市西溪湿地
(Hangzhou / ハンジョウ)
杭州の西湖から更に西へ車で30分。
西溪湿地公園がある。
生態機能をこれ以上ダメージを広げないために
保護されている公園というわけだねぇ。
ぎゃ~ぁ!
これはあの、ゾォードォーフ。
文字とおり “臭(い)豆腐”
好きな人は大好き。
ダメな人はダメ。。
僕もいろいろな食べ物を食べてきたけど、
これだけは。。 (汗)
コンセプトは納豆と同じなのにねぇ。
変わった所でピースサインですねぇ。。
あれ。左斜め上の家。。
みんな気がついているのかなぁ?
電気ボートで村を一回り。
以前訪ねたアマゾンもこんな感じだったなぁ。
(あちらはもっとハードコアだったけど。)
村についてみると
昔懐かしい雰囲気。
建物の幅、高さ、
そして人との距離。
高かすぎでもなく、
狭すぎでもない。
調和が取れた街だねぇ。
※777の当選者さん。 おめでとうございます。
なにか気に入った場所を見つけてスケッチしますねぇ。
その6
中国浙江省杭州市西溪湿地
(Hangzhou / ハンジョウ)
杭州の西湖から更に西へ車で30分。
西溪湿地公園がある。
生態機能をこれ以上ダメージを広げないために
保護されている公園というわけだねぇ。
ぎゃ~ぁ!
これはあの、ゾォードォーフ。
文字とおり “臭(い)豆腐”
好きな人は大好き。
ダメな人はダメ。。
僕もいろいろな食べ物を食べてきたけど、
これだけは。。 (汗)
コンセプトは納豆と同じなのにねぇ。
変わった所でピースサインですねぇ。。
あれ。左斜め上の家。。
みんな気がついているのかなぁ?
電気ボートで村を一回り。
以前訪ねたアマゾンもこんな感じだったなぁ。
(あちらはもっとハードコアだったけど。)
村についてみると
昔懐かしい雰囲気。
建物の幅、高さ、
そして人との距離。
高かすぎでもなく、
狭すぎでもない。
調和が取れた街だねぇ。
※777の当選者さん。 おめでとうございます。
なにか気に入った場所を見つけてスケッチしますねぇ。
【Lucky :D777】
おっと!緊急ニュースだよ!
読者登録の数が776ではないですか!
Lucky :D 777の方にDさんからスケッチをプレゼントいたします。
※郵送しますのでお名前/住所を教えていただけるかたに限ります。
See ya,
:D
読者登録の数が776ではないですか!
Lucky :D 777の方にDさんからスケッチをプレゼントいたします。
※郵送しますのでお名前/住所を教えていただけるかたに限ります。
See ya,
:D
【アフュ〜の使い方】A few を英語で
Good morning!
さて、みんなは上の単語を今頭の中でどうやって読んだかなぁ?
“グッド・モーニン(グ)”
それとも “おはよう”?
大半以上のみんなは前者の“グッド・モーニング”と読み込んでいると思う。
実はね、みんなの頭の中は半分以上英語の頭になっているんだよ。。
後はいくつかのスイッチをオンにするだけ。
がんばれ!
【質問】
一部省略
アメリカに来て3年ほど過ぎ生活英語はなんとかできるようになりました。
特に先日教わった発音のコツはとても参考になり、実際に試してみると創造以上に効果があり毎日自信がついてきました。 ~部分省略
最近は微妙な表現が明白ではなく少々悩んでいます。。
英語で「ほんのちょっと」という表現をしたい場合、“few”って使いますが
“A few” と “few”の違いがなかなかわかりません。
ローカルの友達に聞きましたがあまりはっきりした答えをくれません。
教えてください。
Oh, easy! それは簡単!(笑)
文法の本を読んでみるとなんだか難しく思えるよねぇ。
それから現地の友達(アメリカ人)に聞いてみると、逆に混乱してしまうことだってあるから。。(汗)
僕も一時悩んだことがあるなぁ。。
例えば「ほんの2、3日」っていう表現。
“A couple of days”っていうと「2、3日」
つまり、ただの2、3日だから、“ほんの。。”という表現ができないだぁ。。
「大丈夫。。。“ほんの”2、3日ですから。。」
そんな時は“A few”を使うといいよ。
でも。。
「A few day?」 かな?
「Few days?」 かな?
【Some vs. Many】
Fewは“少数”
Someは“多少”
Manyは“多数”って考えるといいねぇ。
だから次にくる名詞はいつも複数型。
沢山時間がある訳ではなくて(多数)、
でもある程度の時間は取れる(多少)けど、
全然時間があるわけではない(少数)。
“ほんの少しだけ。。”は
「A few days」が正解となるわけだねぇ。
とってもシンプルでしょう?
"There are a few people waiting for you outside."
「外で何人か待ってるわよ。」(ファンクラブの方かしらぁ!)
"I have a few pieces of chocolate left, but I want to eat them all."
「チョコレート少しだけ残しておいたけど、本当は全部食べたいのよねぇ」
"I have a few bucks." ※bucks=dollars
「ちょっとならお金あるよ。」
もし、
“A few”から“A”をとって“Few”だけで話したらどうなっちゃうかなぁ?
“Few”だけだと、「多少もない」という
少しマイナスのニュアンスに変わってしまうんだぁ。
【Few = Not Many】
"There are few people waiting for you outside." (There should be more.)
「なんだぁ。数人しか君のこと待ってないみたいよ。。汗」
"I have few pieces of chocolate left." (I don't have a lot of chocolate)
「ほんのちょっとしかチョコレート残さなかったわぁ。。汗」
"I have few bucks." (Nobody really likes him).
「全然お金ないよぉ。。 大汗」
ちょっとしたニュアンスの違いでこんなに意味が違ってしまうんだよねぇ。
See ya,
:D
さて、みんなは上の単語を今頭の中でどうやって読んだかなぁ?
“グッド・モーニン(グ)”
それとも “おはよう”?
大半以上のみんなは前者の“グッド・モーニング”と読み込んでいると思う。
実はね、みんなの頭の中は半分以上英語の頭になっているんだよ。。
後はいくつかのスイッチをオンにするだけ。
がんばれ!
【質問】
一部省略
アメリカに来て3年ほど過ぎ生活英語はなんとかできるようになりました。
特に先日教わった発音のコツはとても参考になり、実際に試してみると創造以上に効果があり毎日自信がついてきました。 ~部分省略
最近は微妙な表現が明白ではなく少々悩んでいます。。
英語で「ほんのちょっと」という表現をしたい場合、“few”って使いますが
“A few” と “few”の違いがなかなかわかりません。
ローカルの友達に聞きましたがあまりはっきりした答えをくれません。
教えてください。
Oh, easy! それは簡単!(笑)
文法の本を読んでみるとなんだか難しく思えるよねぇ。
それから現地の友達(アメリカ人)に聞いてみると、逆に混乱してしまうことだってあるから。。(汗)
僕も一時悩んだことがあるなぁ。。
例えば「ほんの2、3日」っていう表現。
“A couple of days”っていうと「2、3日」
つまり、ただの2、3日だから、“ほんの。。”という表現ができないだぁ。。
「大丈夫。。。“ほんの”2、3日ですから。。」
そんな時は“A few”を使うといいよ。
でも。。
「A few day?」 かな?
「Few days?」 かな?
【Some vs. Many】
Fewは“少数”
Someは“多少”
Manyは“多数”って考えるといいねぇ。
だから次にくる名詞はいつも複数型。
沢山時間がある訳ではなくて(多数)、
でもある程度の時間は取れる(多少)けど、
全然時間があるわけではない(少数)。
“ほんの少しだけ。。”は
「A few days」が正解となるわけだねぇ。
とってもシンプルでしょう?
"There are a few people waiting for you outside."
「外で何人か待ってるわよ。」(ファンクラブの方かしらぁ!)
"I have a few pieces of chocolate left, but I want to eat them all."
「チョコレート少しだけ残しておいたけど、本当は全部食べたいのよねぇ」
"I have a few bucks." ※bucks=dollars
「ちょっとならお金あるよ。」
もし、
“A few”から“A”をとって“Few”だけで話したらどうなっちゃうかなぁ?
“Few”だけだと、「多少もない」という
少しマイナスのニュアンスに変わってしまうんだぁ。
【Few = Not Many】
"There are few people waiting for you outside." (There should be more.)
「なんだぁ。数人しか君のこと待ってないみたいよ。。汗」
"I have few pieces of chocolate left." (I don't have a lot of chocolate)
「ほんのちょっとしかチョコレート残さなかったわぁ。。汗」
"I have few bucks." (Nobody really likes him).
「全然お金ないよぉ。。 大汗」
ちょっとしたニュアンスの違いでこんなに意味が違ってしまうんだよねぇ。
See ya,
:D
【前向きに進むためには】その2
【前向きに進むためには】その2
→前編を読む
http://ameblo.jp/e-volution/entry-10509913915.html
前向きに考えるということは
“目線を変えてみること”だったよねぇ。
それでは、前向きに歩くということは
“歩き方を向上する”。。
これはどういうことなのかなぁ?
【努力だけではダメ】
前向きに進むためには歩き方を変える。
どんなに頑張っても前に進まないことがあるよねぇ。
一生懸命歩いているのに前に進まない。
「なぜだろうか?」
一般ではこの「なぜだろうか?」に時間を沢山使ってしまうんだよねぇ。
自分の思うようにならない時、当然なぜ?って聞くのは当然さ。
前を歩いていると思っていたら、逆乗りのエスカレーターに乗っていたり、
前を歩いていると思っていたら、方位磁石が壊れていて右側に進んでいたり。。
前を歩いていると思っていたら、階段を降り続けていて太陽が見えなくなってきたり。
なぜ前に進んでいなかったのか?
は大切だけど思っているほど重要ではないんだよねぇ。
僕は「どうやったら前に進む事ができるのか?」ということが重要だと思うなぁ。
頭の中では
WHY (なぜ?)には20%の時間を与え、
HOW (どうやったら?)に80%の時間を費やす事にしています。
この“考え方”(マインドセット)は世界中で会った成功者や達成者という方々から共通して何度と繰り返して教えてもらったことなんだぁ。
WHYは過去を見ている時。
言ってみれば、この時間帯では、後ろを見て歩いていることになるよねぇ。
HOWは“今”に集中している時。
言ってみれば、きちんと前を見て歩いている時なんだぁ。
だから、自分が期待していたことや、思うようにいかないことが続いた時は
まず最初に“歩き方”を正すようにしてみようよ。
一度考え方を“どうやったら。。”に変えてみると世界が一瞬にして変わる事になる。
今までは「どうして。。」などと世界が自分に与えた影響を考えていた自分。。
「なんで俺はいつもだめなんだろう。。」
「なぜ、世の中は私にチャンスをくれないの?」
「どうやったら」って思うようにするだけで、
「どうやったら、この状態を脱出できることができるのかなぁ?」
「どうやったら、私にチャンスが回ってくるようにできるのかなぁ?」
つまり、自分が世界に影響しようという方向へ変わるわけなんだよねぇ。
どんなことが起きても、なぜ?より、”どうやったら”
これを“どうやったら人”、または“Doers”って呼ぶんだよ。
“どうやったら人”の心の中はいつも前向きに考えている。
「私は3日徹夜して頑張っているのに。。。」
「僕はこんなに沢山ノートをとって綺麗にまとめたのに。。。」
「自分の英語力ではどうしても不利だ。。。」
などの“ストーリー”はあまり問題ではなくなってくるんだよ。
“努力してるのに。。”はあまり効果的ではないんだよねぇ。。残念ながら。。
ちょっと厳しく聞こえてしまうかもしれないけれど、
これからの社会生活でも一緒なんだよねぇ。
「私、この企画書を一週間寝る暇もなく考えてきました。。」とか、
「僕はこの仕事を25年ほど携わっていますから。。」とか、
「自分はどこどこの大学を出て、どこどこの資格があります。。」
「我々は◯◯千万円、これまでに投資してきましたから。。。」
などの“ストーリー”は実力社会ではただの“言い訳”になってしまう。。。
本当に大切なのは、
大学生の時どんなことを身につけてか?
資格をとることできちんと専門知識を身につけたか?ということ。
つまり、
努力しているだけでは不十分。
効果が現れていないということをすぐに認め、受け入れること。
時として、“受け入れる”ためには勇気がいるよ。
通常、自分が予想していないことは目をつぶりたいものだからねぇ。
努力することは当たり前。
努力してダメだったら、努力の仕方を変えればいいんだよ。
これが“歩き方を向上する”ということ。
歩き方は間違っていない。
ちゃんと右足も左足も動いている。
でも、方向に向かっていなかったら、頭の中の地図が間違っていたのか。。
それとも、頭を傾けながら歩いていたから、知らない間に斜めに歩いていた?
決して自分は間違っていないし、自分は不良品でもない。
もしかしたら、(←なぜ?20%)
乗り物に原因があって、前に進んでいないのではないか?
前に進むためには、(←どうやったら 80%)
乗り物に限界があったのではないかなぁ?
乗り物を変えてみるのはどうだろうか?
どんな乗り物に乗り換えようか?
どんな乗り物に改造しようか?
どうやったら、もっと早く進めるだろうか?
【どん底の状態】
面白いことに、今までこの“どん底の状態”を何度経験しただろうか?
当時ではどん底なんだけど、
未来から過去を考えるとどん底では無かった。。というのが殆どだなぁ。。
逆に考えると、
どん底を経験すればするほど、“最高じゃん!”も次々と経験していることになるなぁ。
“これって最高じゃん”を経験する条件として
“ぎゃ~!。これはどん底状態だ!”を経験する事なのかもなぁ。。。
だから、
どん底にいるからこそこんなチャンスはないと思うなぁ。
だって考えてみて?
どん底にいる以外にいつ自分が信じていた方針を変える時があるの?
どん底にいる時以外にどうやったら全身全霊をもって体当たりする機会があるの?
この機会を“不辺りした不運な出来事”と受け入れるのではなくて、
“人生に一回しかないチャンス”って思うようにするんだよ。
人生に一回しかこないチャンス!
このチャンスを見逃してはいけないよ!
“もう失うものはない”。。。
だったら、とことんやってみようよ!
逆立ちして歩いてもいいじゃん! ←実際にやってみました。。(汗)
辞書を食べてみてもいいじゃん! ←あまり効果無し。。(多汗)
カンニングシートを造ってもいいじゃん! ←シートを造ったら覚えてしまった (笑)
一生に一回でいいから「もうこれ以上やりのこしたことはないよ。。」
という経験をしてみるのはどうかなぁ?
しかも“楽しみながら”。。。
【前向き族の習慣】
1 復習型から予習型のライフスタイル
a) 授業は教授の目の前に座る!
あたかも、教授が一対一で話している状況を造り出す。
b) 必ず質問すること
脳に経験として焼き付けることが目的。
c) 授業中にノートをとることは極限にさけること。
後で見てわかることは書かない。撮らない、聞かない。
今日一日の授業の内容を一言で説明できるくらい授業中は集中するようにする
2 過去形から現在系のライフスタイル
なんで僕は。。。からどうやったら。。。に変化させる
もう説明はいらないねぇ。
3 効率より効果がでる乗り物を手に入れる
a) ケジメをつける
勉強する分、遊ぶこと
b) 記憶術を習得する
勉強する前にこんな質問をする
「もし、教科書やカンニングシートをテスト上へ持って行ったらAが取れるだろうか?」
答えが“YES”だったら記憶術を利用。
答えが“NO”だったら、内容の意図だけをノートに書き写すようにする
c) 速読術を習得する
a), b)をやってもまだ“どん底状態”の場合、速読術をアクティベートする。ただし、速読は記憶/学習とは違った分野にあるため、一時的対処法として利用すること。
※速読も記憶術と同様誰でもできるようになります。 一般では魔法のように報道されているけど、いくつかの決まりを理解して練習すれば車の運転と同じように考えなくても運転できるようになります。
興味のある方はメッセージまで。
【金の卵を生むニワトリ】
成績のために授業を受ける事だけは必ずさけるようにしようね。
金の卵を生むニワトリを飼っていた百姓が
お腹が空いたからニワトリを食べてしまった。。 これじゃぁねぇ。。汗
確かに成績は大切だと思う。
誰だって“C”より“A”の方がいいよねぇ。
頑張っているのだから“A+”を狙うのは当然かなぁ。。
でも、“A+”を取る事だけに夢中になって、なぜわざわざ勉強してるのかを忘れてしまったら。。。さっきのニワトリの話になっちゃうよねぇ。
社会生活もそれからその先も、人生には成績表なんてないんだなぁって思うよ。
学校では成績ってとても大切で、AはCより優れていたはずなのに。。
社会では“A”も“C”みんな一緒に働いている。
その先の世界では学校では“D”や“F”だった人が自由気ままに人生を楽しんでいるケースが沢山ある。。
みんなと一緒にいたいなら、
みんなと一緒のことをしていればいい。
みんなとちょっと変わったことをしたいなら、
やっぱりちょっと変わったことをしなくちゃねぇ。
この両者を使いこなせる人にならなくっちゃ。
成績は他人が計る尺度であり、自分の価値を示す評価ではない
どん底から前向きに歩く時、
辛く悲しい涙の川が君を襲うこともある。
でも、自分を信じ流れに沿って進めば、
やがて美しく嬉しい涙に変わり、広大な海へと導く。
そっか。 だから海って塩っぱいのかぁ。
See ya,
:D
→前編を読む
http://ameblo.jp/e-volution/entry-10509913915.html
前向きに考えるということは
“目線を変えてみること”だったよねぇ。
それでは、前向きに歩くということは
“歩き方を向上する”。。
これはどういうことなのかなぁ?
【努力だけではダメ】
前向きに進むためには歩き方を変える。
どんなに頑張っても前に進まないことがあるよねぇ。
一生懸命歩いているのに前に進まない。
「なぜだろうか?」
一般ではこの「なぜだろうか?」に時間を沢山使ってしまうんだよねぇ。
自分の思うようにならない時、当然なぜ?って聞くのは当然さ。
前を歩いていると思っていたら、逆乗りのエスカレーターに乗っていたり、
前を歩いていると思っていたら、方位磁石が壊れていて右側に進んでいたり。。
前を歩いていると思っていたら、階段を降り続けていて太陽が見えなくなってきたり。
なぜ前に進んでいなかったのか?
は大切だけど思っているほど重要ではないんだよねぇ。
僕は「どうやったら前に進む事ができるのか?」ということが重要だと思うなぁ。
頭の中では
WHY (なぜ?)には20%の時間を与え、
HOW (どうやったら?)に80%の時間を費やす事にしています。
この“考え方”(マインドセット)は世界中で会った成功者や達成者という方々から共通して何度と繰り返して教えてもらったことなんだぁ。
WHYは過去を見ている時。
言ってみれば、この時間帯では、後ろを見て歩いていることになるよねぇ。
HOWは“今”に集中している時。
言ってみれば、きちんと前を見て歩いている時なんだぁ。
だから、自分が期待していたことや、思うようにいかないことが続いた時は
まず最初に“歩き方”を正すようにしてみようよ。
一度考え方を“どうやったら。。”に変えてみると世界が一瞬にして変わる事になる。
今までは「どうして。。」などと世界が自分に与えた影響を考えていた自分。。
「なんで俺はいつもだめなんだろう。。」
「なぜ、世の中は私にチャンスをくれないの?」
「どうやったら」って思うようにするだけで、
「どうやったら、この状態を脱出できることができるのかなぁ?」
「どうやったら、私にチャンスが回ってくるようにできるのかなぁ?」
つまり、自分が世界に影響しようという方向へ変わるわけなんだよねぇ。
どんなことが起きても、なぜ?より、”どうやったら”
これを“どうやったら人”、または“Doers”って呼ぶんだよ。
“どうやったら人”の心の中はいつも前向きに考えている。
「私は3日徹夜して頑張っているのに。。。」
「僕はこんなに沢山ノートをとって綺麗にまとめたのに。。。」
「自分の英語力ではどうしても不利だ。。。」
などの“ストーリー”はあまり問題ではなくなってくるんだよ。
“努力してるのに。。”はあまり効果的ではないんだよねぇ。。残念ながら。。
ちょっと厳しく聞こえてしまうかもしれないけれど、
これからの社会生活でも一緒なんだよねぇ。
「私、この企画書を一週間寝る暇もなく考えてきました。。」とか、
「僕はこの仕事を25年ほど携わっていますから。。」とか、
「自分はどこどこの大学を出て、どこどこの資格があります。。」
「我々は◯◯千万円、これまでに投資してきましたから。。。」
などの“ストーリー”は実力社会ではただの“言い訳”になってしまう。。。
本当に大切なのは、
大学生の時どんなことを身につけてか?
資格をとることできちんと専門知識を身につけたか?ということ。
つまり、
努力しているだけでは不十分。
効果が現れていないということをすぐに認め、受け入れること。
時として、“受け入れる”ためには勇気がいるよ。
通常、自分が予想していないことは目をつぶりたいものだからねぇ。
努力することは当たり前。
努力してダメだったら、努力の仕方を変えればいいんだよ。
これが“歩き方を向上する”ということ。
歩き方は間違っていない。
ちゃんと右足も左足も動いている。
でも、方向に向かっていなかったら、頭の中の地図が間違っていたのか。。
それとも、頭を傾けながら歩いていたから、知らない間に斜めに歩いていた?
決して自分は間違っていないし、自分は不良品でもない。
もしかしたら、(←なぜ?20%)
乗り物に原因があって、前に進んでいないのではないか?
前に進むためには、(←どうやったら 80%)
乗り物に限界があったのではないかなぁ?
乗り物を変えてみるのはどうだろうか?
どんな乗り物に乗り換えようか?
どんな乗り物に改造しようか?
どうやったら、もっと早く進めるだろうか?
【どん底の状態】
面白いことに、今までこの“どん底の状態”を何度経験しただろうか?
当時ではどん底なんだけど、
未来から過去を考えるとどん底では無かった。。というのが殆どだなぁ。。
逆に考えると、
どん底を経験すればするほど、“最高じゃん!”も次々と経験していることになるなぁ。
“これって最高じゃん”を経験する条件として
“ぎゃ~!。これはどん底状態だ!”を経験する事なのかもなぁ。。。
だから、
どん底にいるからこそこんなチャンスはないと思うなぁ。
だって考えてみて?
どん底にいる以外にいつ自分が信じていた方針を変える時があるの?
どん底にいる時以外にどうやったら全身全霊をもって体当たりする機会があるの?
この機会を“不辺りした不運な出来事”と受け入れるのではなくて、
“人生に一回しかないチャンス”って思うようにするんだよ。
人生に一回しかこないチャンス!
このチャンスを見逃してはいけないよ!
“もう失うものはない”。。。
だったら、とことんやってみようよ!
逆立ちして歩いてもいいじゃん! ←実際にやってみました。。(汗)
辞書を食べてみてもいいじゃん! ←あまり効果無し。。(多汗)
カンニングシートを造ってもいいじゃん! ←シートを造ったら覚えてしまった (笑)
一生に一回でいいから「もうこれ以上やりのこしたことはないよ。。」
という経験をしてみるのはどうかなぁ?
しかも“楽しみながら”。。。
【前向き族の習慣】
1 復習型から予習型のライフスタイル
a) 授業は教授の目の前に座る!
あたかも、教授が一対一で話している状況を造り出す。
b) 必ず質問すること
脳に経験として焼き付けることが目的。
c) 授業中にノートをとることは極限にさけること。
後で見てわかることは書かない。撮らない、聞かない。
今日一日の授業の内容を一言で説明できるくらい授業中は集中するようにする
2 過去形から現在系のライフスタイル
なんで僕は。。。からどうやったら。。。に変化させる
もう説明はいらないねぇ。
3 効率より効果がでる乗り物を手に入れる
a) ケジメをつける
勉強する分、遊ぶこと
b) 記憶術を習得する
勉強する前にこんな質問をする
「もし、教科書やカンニングシートをテスト上へ持って行ったらAが取れるだろうか?」
答えが“YES”だったら記憶術を利用。
答えが“NO”だったら、内容の意図だけをノートに書き写すようにする
c) 速読術を習得する
a), b)をやってもまだ“どん底状態”の場合、速読術をアクティベートする。ただし、速読は記憶/学習とは違った分野にあるため、一時的対処法として利用すること。
※速読も記憶術と同様誰でもできるようになります。 一般では魔法のように報道されているけど、いくつかの決まりを理解して練習すれば車の運転と同じように考えなくても運転できるようになります。
興味のある方はメッセージまで。
【金の卵を生むニワトリ】
成績のために授業を受ける事だけは必ずさけるようにしようね。
金の卵を生むニワトリを飼っていた百姓が
お腹が空いたからニワトリを食べてしまった。。 これじゃぁねぇ。。汗
確かに成績は大切だと思う。
誰だって“C”より“A”の方がいいよねぇ。
頑張っているのだから“A+”を狙うのは当然かなぁ。。
でも、“A+”を取る事だけに夢中になって、なぜわざわざ勉強してるのかを忘れてしまったら。。。さっきのニワトリの話になっちゃうよねぇ。
社会生活もそれからその先も、人生には成績表なんてないんだなぁって思うよ。
学校では成績ってとても大切で、AはCより優れていたはずなのに。。
社会では“A”も“C”みんな一緒に働いている。
その先の世界では学校では“D”や“F”だった人が自由気ままに人生を楽しんでいるケースが沢山ある。。
みんなと一緒にいたいなら、
みんなと一緒のことをしていればいい。
みんなとちょっと変わったことをしたいなら、
やっぱりちょっと変わったことをしなくちゃねぇ。
この両者を使いこなせる人にならなくっちゃ。
成績は他人が計る尺度であり、自分の価値を示す評価ではない
どん底から前向きに歩く時、
辛く悲しい涙の川が君を襲うこともある。
でも、自分を信じ流れに沿って進めば、
やがて美しく嬉しい涙に変わり、広大な海へと導く。
そっか。 だから海って塩っぱいのかぁ。
See ya,
:D
【前向きに進むために】その1
【質問】 (一部省略あり)
「。。。ただどれだけ努力しても勉強についていくのが大変で大変でいつももし日本に帰らなければならなくなったらという恐怖と戦いながら勉強しています。」
「今までは努力すればどんなことも可能だと思ってきたのがこちらに来て努力してもどうにもならないというのを経験してつらくてしょうがないです。」
「思考もだんだんとネガティブになり寝ていないので結局ラボでもミスをしたりと悪循環です。しかしテストが近いと恐怖で寝ることもできません。なんとか状況を好転させたいと思っています。」
「ただもう気持ちが疲れ果ててしまいポジティブに物事を考えられなくなっています。」
「Dさんはどのように、
どん底の状況から前向きに進まれるようになったのでしょうか。」
~匿名希望の頑張る象さん
【はじめに】
ぞうさんがここまで頑張った行動力。そして試行錯誤されながら生き抜いている生命力。
本当に誇りに思います。
ぞうさんのおっしゃること身に染みるように感じます。。
いくら頑張ってもなかなか結果がでない。。。
どんなに時間をかけても、時間そのものがなくなってしまう。。
時間に追われながら毎日生活をするほど、つらいことはありませんね。
時間には“性質”がありませんから、
受ける側によって良くも悪くも、長くも短いとも感じるものですよねぇ。
また、不思議なことに、“時間”が全てを解決してしまうということもあります。
今回は、時間がたった後の立場、つまり、学校を卒業して、社会に入り、
現在はその社会からも半分離れた視野から話してみたいと思います。
さて、前向きに進むためには。。。
“前向きに進むようになる”ためには、
前向きに考え、前向きに歩けば良いだけです。。
全然、特別な答えでなくて。。スミマセン 汗
「そんなの誰だってしってるよ。」
それでは、
前向きに考えるとはどういうことか?
前向きに歩くとはどういうことか?ということを紹介したいと思いマス。
前向きに考えるということは
“目線を変えてみること”だと思ってください。
前向きに歩くということは
“歩き方を向上する”と思ってください。
【学校は教えてもらうために行く場所ではない】
まず、“学校”という場所を考えてみましょう。
学校とは学ぶ場所であって、先生と生徒がいます。
Rさんは生徒であり、先生は職員です。
つまり、Rさんの為に職員が学校へ来ていると考えてみましょう。
社会に例えると、Rさんはクライアントであり、お客さんです。
先生はサービス業で働く社員であり、同時に社会貢献をしているわけです。
だからRさんが学費を払いサービスを買い、先生はサービス料として給料をもらっています。
この関係を早い時期から理解することで、
“必要なことを学ぶために、お金を払っている”。。。と考えることが大切だと思っています。
つまり、Rさんがわかるまで、先生は教える必要があるということです。
そのためには、Rさんがしっかりする必要もあります。
学校は教えてもらうために行くのではなく、
質問をするために出席すると考えるようにしてください。
僕もそうでしたが、授業が終わると宿題があり、
宿題をこなすために夜があるような学生生活を満喫?していました。汗
お金、資源のない状況にプラスして睡眠不足が加わるかけですから、
できる事もできなくなってしまうは当然のことですよねぇ。
この状態では、相手(学校)のペースにコントロールされてしまい、
お客さんである自分はお店が展示したい品物だけしか見る事ができなくなってしまいます。
「皮のハンドバックが欲しいのに、
お店の都合でビニール製のベルトを進められいる状態です。」
これでは、いつになっても自分の目的のアイテムを手に入れることができません。
自分のペースで学校そのものをコントロールすることはできないでしょうか?
しかも、学校のルールに従って。。
答えは、
“相手の一歩、二歩先を進むようにすることです”
まず、
各学科から配られるカリキュラムを自分なりに事前に理解することから始めます。
大学では学科をもつ時、教授は必ずカリキュラムを組むことが求められています。
シンプルに例えると、カリキュラムとは先生側が考えるStrategy “戦略”であり、
各クラスが終了する時点で生徒に最低限どの程度の内容を理解させる必要があるか?ということを定義する義務があります。
この戦略を“お店側”から理解し、“お客さん”として徹底的に分析し利用してしまいます。
教科書のどの場所からどの場所までカバーするのか。
なぜ、この課題が大事なのか?
この課題が終わると次にどの課題へ進むのか?
テストはどのような視点から出されるのか?
週一なのか、それとも毎チャピターごとなのか?
去年のクラスはどのように行われたのか?
落第生はいなかったか? いた場合、原因はなぜか?
カリキュラムは紙一枚のように見えますが、クラスによって様々であり、
このカリキュラムを理解することは、先生を理解することにも繋がります。
カリキュラムがない授業(これだけで、クラスのレベルがわかります)や、
わからない場合は必ず自分でわかるまで教授の部屋を訪ねるようにします。
ルールがわからないゲームはどんなに努力しても上手くプレイできませんよねぇ。
学校や社会も同じだと考えるようにしています。
この“真剣身”が時として人の心を動かすことがあります。
先生に同情を買うのではなく、真剣に学びたい意欲を見せることで、
先生も自ずと丁寧に説明しようという姿勢へと変わります。
学校のコツは“事前リサーチ”つまり事前に自分で調べておく習慣が学生生活を苦労でつまらなかった経験から充実した楽しい経験と変化することができます。
この“事前リサーチ”は社会人になった後もとても役立ち、
“知られざる武器”として活躍します。
“仕事ができる人”と“できない人”の徹底的違いはこの“事前リサーチ”にあるといわれているからです。
ですから、学生の時、知識を得ることと同時にこの習慣も一緒に練習してみるのはどうでしょうか?
始めは大雑把でいいですから事前に予習しておくことで、
“受ける授業”から“参加する授業”と変わり、
脳にとっても記憶しやすい環境をつくりだします。
これだけでも、アメリカのような早い授業ペースで頑張る学生生活の例で例えても、
以前から200%以上の効率を上げることができます。
もう少し詳しく考えてみましょう。
授業でカバーすることを事前に予期して参加するだけではなく、
プラスαに授業中「生」で質問を必ずします。
質問をすることで、ちょっとした緊張感、違和感、そして特別感を体全体で経験し、先生の表情や自分の心境などを経験として脳に蓄積することができます。
授業中に覚えてしまえば、復習する時間もセーブできます。
→D流:記憶術を使うとより効果的です。詳細はメッセージボードでねぇ。
授業の参加の仕方として、「ノートをとらない」という究極の授業参加法もありますが、
ここでは保留したいと思います。
※興味がある方メールください。
確かに。。。
学校が始まってからペースを変えることは簡単ではありませんが、
不可能ではありません。
時間に追われる前に、時間の波をサーフィンのように利用してしまうことができれば、
どんな難しいと言われている学校に進学しても卒業することができます。
それは、学校のシステムに利用されるのではなく、学校のシステムを利用してしまうマインドセットで毎日を過ごすからです。
与えられた課題をこなす自分から、次の課題を創造しながら学生生活を満喫する。
前向きに考えるということは
“目線を変えること”
つまり、毎日与えられた課題について行く“復習型”の学生生活から、
目線をちょっとだけ変え、次に携わる課題を先取りし、授業中は質問をする「予習型」の学生生活へと変化させるわけです。
目線で例えると、足下を見ていて前進していた自分から、
ちょっと地平線の上ぐらいを見ながら歩く「モデル系」スタイルへと変えた印象です。
前向きに進むためには
前向きに考え、前向きに歩く。
こんなシンプルなことだけど、
なかなか、実際には前を向いて人生を歩いている人は少ないようです。。
過去の事を考えながら歩く。
つまり、後ろを見ながら歩いては当然転んでしまいます。
将来のことばかり考えて歩く。
つまり、上を見ながら歩いていれば小さな凹みにもつまずいてしまいますものねぇ。
今だけを考えて歩く。
つまり、足下だけを見ていても、次に来る水溜まりを避ける準備ができていないのでやっぱり転んでしまうでしょう。
前向きに歩くためには、地平線からちょっと上を見て歩く必要があるんですよねぇ。
“背筋を延ばして、目線からちょっと上を見ながら歩く”
是非、試してみてください。
次回はどうやったら「歩き方を変えること」ができるようになるのか?を紹介しマス。
See ya,
:D
→関連記事を読む ~学校でおしえてくれなかったこと
http://ameblo.jp/e-volution/entry-10375909540.html
「。。。ただどれだけ努力しても勉強についていくのが大変で大変でいつももし日本に帰らなければならなくなったらという恐怖と戦いながら勉強しています。」
「今までは努力すればどんなことも可能だと思ってきたのがこちらに来て努力してもどうにもならないというのを経験してつらくてしょうがないです。」
「思考もだんだんとネガティブになり寝ていないので結局ラボでもミスをしたりと悪循環です。しかしテストが近いと恐怖で寝ることもできません。なんとか状況を好転させたいと思っています。」
「ただもう気持ちが疲れ果ててしまいポジティブに物事を考えられなくなっています。」
「Dさんはどのように、
どん底の状況から前向きに進まれるようになったのでしょうか。」
~匿名希望の頑張る象さん
【はじめに】
ぞうさんがここまで頑張った行動力。そして試行錯誤されながら生き抜いている生命力。
本当に誇りに思います。
ぞうさんのおっしゃること身に染みるように感じます。。
いくら頑張ってもなかなか結果がでない。。。
どんなに時間をかけても、時間そのものがなくなってしまう。。
時間に追われながら毎日生活をするほど、つらいことはありませんね。
時間には“性質”がありませんから、
受ける側によって良くも悪くも、長くも短いとも感じるものですよねぇ。
また、不思議なことに、“時間”が全てを解決してしまうということもあります。
今回は、時間がたった後の立場、つまり、学校を卒業して、社会に入り、
現在はその社会からも半分離れた視野から話してみたいと思います。
さて、前向きに進むためには。。。
“前向きに進むようになる”ためには、
前向きに考え、前向きに歩けば良いだけです。。
全然、特別な答えでなくて。。スミマセン 汗
「そんなの誰だってしってるよ。」
それでは、
前向きに考えるとはどういうことか?
前向きに歩くとはどういうことか?ということを紹介したいと思いマス。
前向きに考えるということは
“目線を変えてみること”だと思ってください。
前向きに歩くということは
“歩き方を向上する”と思ってください。
【学校は教えてもらうために行く場所ではない】
まず、“学校”という場所を考えてみましょう。
学校とは学ぶ場所であって、先生と生徒がいます。
Rさんは生徒であり、先生は職員です。
つまり、Rさんの為に職員が学校へ来ていると考えてみましょう。
社会に例えると、Rさんはクライアントであり、お客さんです。
先生はサービス業で働く社員であり、同時に社会貢献をしているわけです。
だからRさんが学費を払いサービスを買い、先生はサービス料として給料をもらっています。
この関係を早い時期から理解することで、
“必要なことを学ぶために、お金を払っている”。。。と考えることが大切だと思っています。
つまり、Rさんがわかるまで、先生は教える必要があるということです。
そのためには、Rさんがしっかりする必要もあります。
学校は教えてもらうために行くのではなく、
質問をするために出席すると考えるようにしてください。
僕もそうでしたが、授業が終わると宿題があり、
宿題をこなすために夜があるような学生生活を満喫?していました。汗
お金、資源のない状況にプラスして睡眠不足が加わるかけですから、
できる事もできなくなってしまうは当然のことですよねぇ。
この状態では、相手(学校)のペースにコントロールされてしまい、
お客さんである自分はお店が展示したい品物だけしか見る事ができなくなってしまいます。
「皮のハンドバックが欲しいのに、
お店の都合でビニール製のベルトを進められいる状態です。」
これでは、いつになっても自分の目的のアイテムを手に入れることができません。
自分のペースで学校そのものをコントロールすることはできないでしょうか?
しかも、学校のルールに従って。。
答えは、
“相手の一歩、二歩先を進むようにすることです”
まず、
各学科から配られるカリキュラムを自分なりに事前に理解することから始めます。
大学では学科をもつ時、教授は必ずカリキュラムを組むことが求められています。
シンプルに例えると、カリキュラムとは先生側が考えるStrategy “戦略”であり、
各クラスが終了する時点で生徒に最低限どの程度の内容を理解させる必要があるか?ということを定義する義務があります。
この戦略を“お店側”から理解し、“お客さん”として徹底的に分析し利用してしまいます。
教科書のどの場所からどの場所までカバーするのか。
なぜ、この課題が大事なのか?
この課題が終わると次にどの課題へ進むのか?
テストはどのような視点から出されるのか?
週一なのか、それとも毎チャピターごとなのか?
去年のクラスはどのように行われたのか?
落第生はいなかったか? いた場合、原因はなぜか?
カリキュラムは紙一枚のように見えますが、クラスによって様々であり、
このカリキュラムを理解することは、先生を理解することにも繋がります。
カリキュラムがない授業(これだけで、クラスのレベルがわかります)や、
わからない場合は必ず自分でわかるまで教授の部屋を訪ねるようにします。
ルールがわからないゲームはどんなに努力しても上手くプレイできませんよねぇ。
学校や社会も同じだと考えるようにしています。
この“真剣身”が時として人の心を動かすことがあります。
先生に同情を買うのではなく、真剣に学びたい意欲を見せることで、
先生も自ずと丁寧に説明しようという姿勢へと変わります。
学校のコツは“事前リサーチ”つまり事前に自分で調べておく習慣が学生生活を苦労でつまらなかった経験から充実した楽しい経験と変化することができます。
この“事前リサーチ”は社会人になった後もとても役立ち、
“知られざる武器”として活躍します。
“仕事ができる人”と“できない人”の徹底的違いはこの“事前リサーチ”にあるといわれているからです。
ですから、学生の時、知識を得ることと同時にこの習慣も一緒に練習してみるのはどうでしょうか?
始めは大雑把でいいですから事前に予習しておくことで、
“受ける授業”から“参加する授業”と変わり、
脳にとっても記憶しやすい環境をつくりだします。
これだけでも、アメリカのような早い授業ペースで頑張る学生生活の例で例えても、
以前から200%以上の効率を上げることができます。
もう少し詳しく考えてみましょう。
授業でカバーすることを事前に予期して参加するだけではなく、
プラスαに授業中「生」で質問を必ずします。
質問をすることで、ちょっとした緊張感、違和感、そして特別感を体全体で経験し、先生の表情や自分の心境などを経験として脳に蓄積することができます。
授業中に覚えてしまえば、復習する時間もセーブできます。
→D流:記憶術を使うとより効果的です。詳細はメッセージボードでねぇ。
授業の参加の仕方として、「ノートをとらない」という究極の授業参加法もありますが、
ここでは保留したいと思います。
※興味がある方メールください。
確かに。。。
学校が始まってからペースを変えることは簡単ではありませんが、
不可能ではありません。
時間に追われる前に、時間の波をサーフィンのように利用してしまうことができれば、
どんな難しいと言われている学校に進学しても卒業することができます。
それは、学校のシステムに利用されるのではなく、学校のシステムを利用してしまうマインドセットで毎日を過ごすからです。
与えられた課題をこなす自分から、次の課題を創造しながら学生生活を満喫する。
前向きに考えるということは
“目線を変えること”
つまり、毎日与えられた課題について行く“復習型”の学生生活から、
目線をちょっとだけ変え、次に携わる課題を先取りし、授業中は質問をする「予習型」の学生生活へと変化させるわけです。
目線で例えると、足下を見ていて前進していた自分から、
ちょっと地平線の上ぐらいを見ながら歩く「モデル系」スタイルへと変えた印象です。
前向きに進むためには
前向きに考え、前向きに歩く。
こんなシンプルなことだけど、
なかなか、実際には前を向いて人生を歩いている人は少ないようです。。
過去の事を考えながら歩く。
つまり、後ろを見ながら歩いては当然転んでしまいます。
将来のことばかり考えて歩く。
つまり、上を見ながら歩いていれば小さな凹みにもつまずいてしまいますものねぇ。
今だけを考えて歩く。
つまり、足下だけを見ていても、次に来る水溜まりを避ける準備ができていないのでやっぱり転んでしまうでしょう。
前向きに歩くためには、地平線からちょっと上を見て歩く必要があるんですよねぇ。
“背筋を延ばして、目線からちょっと上を見ながら歩く”
是非、試してみてください。
次回はどうやったら「歩き方を変えること」ができるようになるのか?を紹介しマス。
See ya,
:D
→関連記事を読む ~学校でおしえてくれなかったこと
http://ameblo.jp/e-volution/entry-10375909540.html







































