三十路過ぐ迄。。。
日にちがたった1日過ぎただけだけど、なんとかかんとか三十路になった。
全然重要なことではないのだけれど、モニュメントというのは、
このダラダラの時間の流れを一旦ズバット打ち切ることができる良い道具であることは確かだ。
感覚的には随分と前から三十路というか、壮年の気持ちで日々を過ごしていたわけで、
精神と肉体のアンマッチ感がこれから徐々になくなっていくのだと思う。
最近、おこっりっぽくなったというか、
公共秩序に反する無礼なやからを易々と見過ごす訳にはいかない、
あわよくば、即制裁を下したいという正義感、
自分には似つかわしい衝動もそのせいかもしれない。
全く親しくない知人に、
「随分と老けたね。」
とまだ三十路になる前に言われたが、
それだけ自分は疲弊し、擦り切れているという認識はある。
9月に入ってから、本当に下らなく馬鹿げているが日々の大半を費やしている
仕事というものに更に追い込みをかけられ、
休息というもが殆ど無くなった。
(現在進行形でこの状態は続いている。)
終りが見えないものほど疲れるものはなく、
そういうわけで大分自分は疲れている。
疲労が全身を覆い込み、
彼岸の墓参りに娘をおぶって階段を上ったら、久しぶりに不整脈が発症し、
それから2日間、動悸が一向に治まらなかった。
危うくミイラ取りがミイラになるところだった。
おとついの晩は先日の不整脈発症以来、普通に死が身近に感じるくらいの疲れだった。
酒も体が欲さなくなり、煙草も今日でやめなくてはいけないので、
今日、OMEGAの腕時計でも買って憂さ晴らしといこうと思っています。
嫁と二人でディナーを摂り、
夜は夜でまた仕事です。
1歳半の娘の唄のレパートリーが15曲を越えたのを祝し、
VANSのスニーカーを履いて、ダーツを2ゲームした三十歳の夜、というか朝の四時だ、もう。
続・或る阿呆な日々
このブログを始めた当初は、意図して世間からするすると滑り落ち、
斜め下45℃あたりからビール片手にぼんやりと世間を眺めていた僕だったが、
いつまでもそういう訳にはいかないもので、
いつの間にか何となく、そしてずるずると、しまいには毎日どっぷりと世間の潮を頭からかぶり、
整髪料で髪をベタベタにしながら、日々をおくるようになったし、
娘はとうに一歳になった。
そういうわけでビールを2日口にしていない。
煙草も止めざるを得ない。
ただもう一度阿呆に戻りたい。
明日は6時起き。
~ 黄昏 06‘ ~
休日の西日のきつい晩方に娘をおぶって、犬を引き連れ外に出る。
脚の悪い母が石のようだと形容する娘の重みでおんぶ帯がタンクトップに深くくいこむ。
犬は幾分気を使ってか、散歩の逸る気持ちを抑え、歩調を僕にそろえてくれた。
背中にいる時の娘はいつも頗る機嫌がよい。
深く黒いその瞳で生まれてからまだ日の浅い彼女は何を見て何を思っているのか、
ふと気になる。
着古したタンクトップと短パンにビーチサンダル。
背中に赤ん坊、足元には犬コロ。
近所の老夫婦が僕のそんな格好を面白がってしわくちゃな笑顔で声をかけてきた。
あぁ、こうやって知らず知らず年をとっていくんだなぁ、と尻を掻きながら思った。
日が傾くにつれて、ヒゲが徐々に伸びはじめる。
僕には芥川龍之介のような透明な歯車なんか見えはしないが、
だが、確実に生活の歯車はグルグル回っている。
歯車と歯車の間に時間が滑り込み、一周一周、緩やかにぎこちなく時は流れ過ぎ去っていく。
明日の晩飯に思いを馳せて、鼾を掻こうと思ひます。
酒を飲まずに1日を終える月曜日。
独り言 馬鹿一代
随分と長いことぼーっとしていたら、酒もあんまり飲めなくなり、すっかり老け込んでしまった自分が居た。
友人のブログをこれまた久方ぶりに覗いたら、彼女はあまりにも饒舌で、今、少しばかり心配でいる。
勢いついて、書きはじめてはみたが、何だかもう嫌気がさしてきた。
こんな時間に飲むハイボールは本当にまずい。
この1年やみくもに仕事ばかりしてきたし、これからもしばらくはこの状態がつづくだろうけれど、
それはそれで別にどうでもいいことだし、今更かといって他に何かをするわけでもないし。
うちの一粒種はすくすくと育っていて、家に帰れば、彼女の笑顔がみられるということを心からうれしく思っております。
僕はたしかに当たり障りのない、無害無益な大人になった。
仁 と 義
これでも学生時代には東洋思想を少々齧っていたのだけれど、
詳しい事はすっかり忘れてしまった。
それに市井の生活に思想などというものが必要となったためしが一度としてない。
思想を持つことは大いに害にはなれど、寸分の得にはならない。
”変わり者”扱いされるのがせいぜい関の山である。
生活というのはとやかく言わずにただただ実践することである。
だから、四書五経を読破する必要は微塵もない。
”仁”も”義”もその言葉の響だけ聞くと随分大上段に構えたものだと嘲笑されるのかもしれないが、
生活に於いてそれらは当然至極の理である、
と昭和初期の岩波の本のやうに書き始めてみた(笑)。
人に恩を受けたら義の心にてその恩に報いる。
”仁”とはおそらく天然自然のア・プリオリな、人と人との愛情の受与関係だと思う。
都会で生活をしていた、何か一人アバンギャルド風を装っていた今よりもずっと若かった頃は、
率直に言うと自分はそういう規律に目盲いていた。
当時の自分の無分別な分別顔、その厚顔無恥さは今思っても赤面するが、
若かったのだから仕方がない、ということにしてお茶を濁そうと目論んでいる。
今までお世話になった皆様、小生これからその恩に報いたいと思いますので、
どうか長い目で見てくださいまし。(お辞儀)
と、糞詰まりな独り言を久々に呟いてみた。
十二月なのだから当然なのだけれど、雪がちらつくほど田舎も寒くなった。
明日から会社の泊りがけの忘年会でここよりももっと寒い栃木の山奥の温泉宿に行く。
こんなことは初めての経験なので少々楽しみではあるのだが、
ペイペイの僕はなにがしかの出し物を強要されるのだろう、きっと。
こんなことに頭を悩ます、パックス・ロマーナ IN 東北。
____木枯らしブルース”‘、・’。
寒波がやってきたんじゃないかというくらい、僕の住む田舎は大変寒くなりました。
恒例の週1回のプール通いからの帰り道、
くさめを連発して一人にやにやしておった午後9時。
みなさんお元気でしょうか?
転職を真剣に考えていたM君の近況が妙に気になります。
もしあれでしたら連絡くださいまし。
今日は珍しくまだお酒も飲んでいません。
なんせやることがたくさんあるようで、気ばかりがせっております。
その結果がこの虫食い状態のブログの更新頻度。
そして己の薄弱な意志と不甲斐なさ。。
気恥ずかしくてまだ何人かの友人には申し上げておりませんでしたが、
けれど、こんな僕も近々家族を持つことになりました。
お嫁さんと、それから春にはおそらくキカンボウの赤ん坊がひょこっと現れて、
家族皆の心に火を灯しにやってくる予定であります。
計、家族8人、久々の大所帯であります。
そんなこんなで、いつまでも馬鹿を言ってばかりもいられなくなった次第、
ではありますが、これからも変わりなく素面でも管を巻いていきたいな、とは思い ます。
今後もどうかご贔屓に。
” 万物は流転する ” (「ヘラクレイトス断片」)
インナー・ワールド
背広に袖を通し、鈍感な神経をすり減らせて残業をしているだけの毎日だから、
体力も気力も無闇に消耗してしまい、僕にとっての”世界”は縮小の一途を辿っている。
剃り残した髭が何とも惨めな一日だった。
数字に翻弄され、視力がさらに0・1悪くなった。
”世界”はアルコールの前に本来のその多様さを隠蔽し、単色の日々が僕を覆う。
その重力に眩暈を感じ、唾を飲み込む。
気がつくとまだ9時前だった。
僕自身、日々に多くを求めはしないが、ヴァリエーションが余りにもなさ過ぎる今日この頃。
第一、無意味に疲れすぎている。
そして、いつまでも10代の精神を引きずっている。
肉体と精神が刹那、乖離する。
疲労がどっと押し寄せて来る。
グラスの氷が消え入りかけてる。
根本的な何かが欠乏している。
この飢餓感は内的な何かなのだ、きっと。
ガランとした部屋で頬杖を衝いてみる。
薄汚れた壁を漫然と眺めてみる。
ヒーターが静かに 唸る。
何も浮かんでこない。
一リットルのビール ・・・~ 酔中獨語 ~・・・
今週はベタに毎日残業をしているので、帰りがいつもよりも遅い。
僕が帰る頃には祖父と祖母はとうに夢の中にいるわけで、今週はまともに口もきいていない。
でも、毎日残業をしているとはいっても、何も夜中の2時3時まで働いているというわけではないので、
一リットルのビールを胃袋に流し込むだけの余裕は充分にある。
「経験は力なり」。
かの偉大なる髭面、フランシスコ・ベーコン卿はそう嘗てのたまったが、
たしかにそれはそうである。
労働によって、肉体と精神を極限の疲弊まで追い込んだことのある経験がここではじめて生きてきた。
上司の説教くらいじゃ全然へこたれない。
はっきし言って、元気満点、まだまだいけるよ、というわけである。
それに反して相変わらずぐだぐだなブログではあるのだけれども。
会社帰りにコンビニで買ったビール2本で得られるこの至福。
明日は鳥肌実
時局講演、”靖国神社 で会いませう”を聴講しにいく予定。
何気に今から楽しみだ。
愛すべき面々 ~ 僕の国際問題 ~
先週、久々になんやかんやと忙しかったからなのか昨日から頭痛がして、
なんだか体調がおかしい。
なので、今日はビールを飲んでゆっくりとした時間を過ごしている。
元々バタバタと立ち回るのは性分に合わない。
大人しく自室であれやこれやと考えを巡らす時間が何よりの贅沢に感じる。
それにしても腰が痛い・・・。
一昨日、会社の若い連中数人と宴を共にして、
自分が周囲から或る種の可思議さの眼差しでもって見られているということを知らされ、
そのこと自体を不思議に思う。
これでも自分では出すぎた真似をしないように気を使っているつもりなのだが、
どうやら十分ではないらしい。
「どうしたものか。」と一瞬考えたが、結局どうもしないことにした。
僕にはこういう偏屈なところが多々ある。
けれど、こんな僕にもありがたいことに数多くの友人が居る。
ゲージツを生業とする人、世界中を飛び回る人、
若くして会社を経営している人、一途に学問に励む人、
世のため人のために奉仕する人・・・etc、
僕なんかよりもみんなずっとずっと個性的な面々だ。
とりわけ、異国から来た友人達はみんな陽気でそして真面目だ。
音信がすっかり途絶えてしまったけれど、中国からやってきた友人は今は一体何をしているのだろう?
博士号の称号を無邪気に振り回して、相変わらず彼は周囲に哲学的な議論を吹っかけているのだろうか?
今でも時々連絡をくれる南国の友人(ブログの一番初めにこの友人のことを書いたような・・)は今日もきっと愉快に踊っていることだろう。
アルコールなど必要としない、天然自然の底抜けの明るさ。
人種も国籍も年代も、何もかもが違う僕をまるで弟のように可愛がってくれるその無差別な愛情。
そんな彼女もこの冬に娘の待つ母国へと帰り、おそらくもう日本に来る事はないのだという。
政府の気まぐれ的な対外国人制度の改定によって、友人と会うことが一層困難になった。
さびしいばかりだ。
と、今月のはじめにここまで書いて、アップもせずにそのあととんとご無沙汰しておりました。
日々思うところは色々とあるのだけれど、そのどれもこれもがどこか泡沫のようで、
するすると指の間からこぼれ落ちていくような、そんなもどかしさを感じる。
切々なるイメージに一定の統一感が欲しいと思い、
- 小林 秀雄
- 考えるヒント
のページをパラパラとめくってみるが、面白いけれどほとんど参考にはならなかった。
こんな断片的な週の初め。
ー 東北の片隅で宣伝をしてみる。 -
① book mark を勝手に一つ追加させていただきました。
キン・シオタニ氏のウエブサイト
です。
先日東京に行った折、二日酔いで公園をフラフラと歩いていたら、
ポストカードをシートに広げて売っている氏の姿を偶然見かけまして、
そういえば、僕は彼の作品がどことなく好きだったなぁ、と思い出し、
昨日本棚をやおら引っ掻き回した次第です。
↑ この作品は、
『「前向きに生きよう」と心に誓ったものの、どっちが前か分からずに途方に暮れる青年』
という長いタイトルがついているのですが、なんかよいです、
僕の懐古癖を助長するのにもってこいだと思われます。
他にも、
『生きれば生きるほど死に向かっていくという現実にたじろいだものの、
とりあえず今はコーヒーを入れようと思う青年』
とかその他諸々、憂鬱をユーモアに昇華させる氏の作品にきっと魂がカタルシスされること受けあいであります。
② 天明屋 尚氏
目黒はミヅマアートギャラリーにて氏の個展『分身』が現在開催されております。
わざわざお知らせいただいたのですが、貧乏暇ナシの身の上、時間の都合をとることが出来ず、
大変残念に思います。
この得も言われぬ迫力と大和めきたる荘厳な雰囲気。
作品中にスパークする古今のコラボレーションがたまらない魅力かと僕は思うんですけど。
・・・・と今日、会社でモノの頼み方を知らない横柄なこわっぱの物言いに堪忍袋の尾が切れてしまった、
若年寄りがお送りしました。
久しぶりに怒髪天を衝き、怒りのあまり体がワナワナと震えました。
「僕にも怒ることがあったんだなぁ」などと我ながら驚いております。
次回は『僕の国際問題』と題しましてお送りします。
たいしたことはありませんが。
それではごきげんよう。


