仁 と 義
これでも学生時代には東洋思想を少々齧っていたのだけれど、
詳しい事はすっかり忘れてしまった。
それに市井の生活に思想などというものが必要となったためしが一度としてない。
思想を持つことは大いに害にはなれど、寸分の得にはならない。
”変わり者”扱いされるのがせいぜい関の山である。
生活というのはとやかく言わずにただただ実践することである。
だから、四書五経を読破する必要は微塵もない。
”仁”も”義”もその言葉の響だけ聞くと随分大上段に構えたものだと嘲笑されるのかもしれないが、
生活に於いてそれらは当然至極の理である、
と昭和初期の岩波の本のやうに書き始めてみた(笑)。
人に恩を受けたら義の心にてその恩に報いる。
”仁”とはおそらく天然自然のア・プリオリな、人と人との愛情の受与関係だと思う。
都会で生活をしていた、何か一人アバンギャルド風を装っていた今よりもずっと若かった頃は、
率直に言うと自分はそういう規律に目盲いていた。
当時の自分の無分別な分別顔、その厚顔無恥さは今思っても赤面するが、
若かったのだから仕方がない、ということにしてお茶を濁そうと目論んでいる。
今までお世話になった皆様、小生これからその恩に報いたいと思いますので、
どうか長い目で見てくださいまし。(お辞儀)
と、糞詰まりな独り言を久々に呟いてみた。
十二月なのだから当然なのだけれど、雪がちらつくほど田舎も寒くなった。
明日から会社の泊りがけの忘年会でここよりももっと寒い栃木の山奥の温泉宿に行く。
こんなことは初めての経験なので少々楽しみではあるのだが、
ペイペイの僕はなにがしかの出し物を強要されるのだろう、きっと。
こんなことに頭を悩ます、パックス・ロマーナ IN 東北。