今日は時間がないのでごまかします。毎回ごまかしてますが(^ ^;)。


 学校というシステム自体が閉鎖的でサティアンみたいなもん―という意見を見て、教育の社会化という機能はある種洗脳。本物の洗脳は人間の内面、良心の自由に踏み込んできますけど


 洗脳と教育を隔てるとしたら内心の自由を尊重するかしないかとされてますけども実際それを区別するのは容易ではないですね。まあ、己は義務教育は特に内面の自由を侵害されたと個人的体験から思っているので、そういう教育システムは反対なんですけどね。義務教育反対論者になりましたわ(笑)。教育改革の最重要ポイントはそういうことをしない教員を揃えることに始まるんですけどそういう話を聞かないですね。


 内面の自由だとわかりにくいから、簡単に説明すると生徒に学校・教師が好かれるかどうか。要するに子供にとって一番大事なのはその教師・学校が好きであるかどうかがポイント。嫌いな人間だから侵害されたと感じるわけですからね。好きだけど侵害された!っていう感情、ケースはあまりない。好きだから許すっていうロジックが働くからね。教育の成功・ 失敗の要諦はたった一つ、生徒に好かれるか否か、そんだけ考えていればいい。


 ↑暴論(笑)。あ、もちろん内面の自由と生徒に好かれるかって話は別次元の話よ。じゃあ内面の自由を守るにはどうしたら良いかって、まずわかんないでしょうからね。


 義務教育の結果、「反学校教育」者が多数生み出され、その一翼がネトウヨ現象となって現れているのを見ると、教育のコストというのは入り口・初等教育は低いく済む。が、はじめの段階軽視してしまうとリスクが社会に跳ね返ってくる。計り知れないものになるわけですね。まあ、軽んじたというより、教育というものをそもそも解っていなかったことに問題があるんですけどね。近代人を作るんじゃなくてムラで生きていける日本的社会にのみ生きていける奴隷を作るのがこれまでの教育の目的でしたから。