DriftWoodBeach -5ページ目

第11次瀬戸内カヤック横断隊⑤

2013年11月19日
リーダー:赤塚
潮汐:来島航路 満潮11:33(364)22:58(326)
           干潮4:15(22) 16:55(111)
天候:晴れ
メンバー:シングル22艇




18日の着岸とともに、吉村ケンちゃんが離隊した。そのためメンバーは一人減った22艇となる。

早朝6時にブリーフィングの予定だったが日が昇らず暗くて海の様相がわからないので一時間延長して7時のブリーフィングに変更した。しかし潮が引いた海岸には瀬戸内とは思えない波が打ち寄せて物凄い波濤をとどろかせている。ほとんどのメンバーが今日の出艇をためらっているのはわかっていたがリーダーとして諦めるのはまだ早い。


7時、空がだいぶ明るくなったところで全員着替え終わってブリーフィング。まずはすぐ近くにある観音崎の上にあるお寺に登り、反対側の海を見てみようということになった。急な坂道を蛇行しながら登っていくと岬の上に展望台を兼ねたお寺が祭られてある。ここから東側を見るとさすがに風裏だけあって波風こそたってはいないものの、うごめく海面の気味の悪さだけは感じ取れた。
岬の先端から大三島をのぞみ、その手前にある大下島と大下瀬戸を眺めるとはたから見る限りのぺっとしているがカヤックからの目線ではかなりのうねりと波が予想された。潮が走っている。時間的にもちょうどそんなタイミングだった。

「こりゃ無理だな・・・」


僕は浜に戻ると皆にその主旨を伝え、とりあえず待機の指示を出した。正午まで風待ち及び潮待ちをすることにした。昨晩から木村先生が来ていて、今朝は肉うどんを作ってくれていたがリーダーの仕事がら食べるタイミングを逃した。食べたかった…。











追い風というのは「確実に安全な場所がその先にある」場合には最強の味方になる。
だがもし引き返さなければならない状況になった時、最悪な条件になる。潮が複雑に絡み合うこの時間帯の、この大下島周辺では僕は隊を進ませられる自信がなかった。もしそこに船舶が通過したら隊をまとめきれるか?誰かがトラぶった時分散させずにいられるか?沈したら?…そう考えるとリスクがでかすぎる。なにより一番手前にあるビバークできる浜まで行けるかが微妙だ。


ならばせめて風や潮が弱まるのを待つしか手段はないと踏んだのだ。
 
その後、風は弱まるどころか強くなってきた。浜の防波堤から安芸灘を眺めると、タンカーがザブザブと甲板を上下させながら前進し、そうかと思えば追い風追い潮に乗ってあり得ないスピードでフェリーが移動している。単純に「こんな海には出たくない」という海が目の前にあり、多少自分の判断に安堵する反面、これでよかったのか?漕ぎ進む手段はあったのではないかと自問自答を繰り返していた。

隊のメンバーはこれといって焦る風な人はおらず、のんびりと構えて焚火でくつろぐ人が多くて助かった。
多くの人が歩いて周辺を探索しに行き、港近くにあるAコープなどで買い出しをしていた。本来、瀬戸内カヤック横断隊は「無補給」が前提なのだが、補給目的というよりは嗜好品目当ての部分もあるし現場にある施設ならば利用するのもシーカヤッキングではないのかと思うので停滞中くらいは良いかな…と、僕も菓子パンやミカンなどを買い食いした。

停滞している間も島の人たちが心配してか、うざがって出て行けというのではなく寒いだろうからと薪をくれたり、ミカンの差入れをくれたりと、いたせりつくせりの歓迎を受けた。これが車で来た旅行者なのなら話は別なんだろう。カヤックという人力の小舟で島に来たことでこれほどの歓迎というか、優しさをもらったのではないかと思う。



約束の12時になったが風は止む気配がない。そして何より、誰もこの海を漕ぐ気力が失せていた(笑)
この日は停滞と決めた。
これで気が抜けたのか、それともこの決断を待っていたのか、楠さんがいきなりビールの栓を抜いた(笑)誰よりも真面目に瀬戸内横断を心掛けているように思う楠さんのこの行動にみんなの気持ちが和らいだように思う。パドリングウェアを脱いであったかい恰好になると皆くつろぎだした。


村上さんが言った一言に何名かが喰いついてきた。
「おいしい大衆食堂が一軒あってね・・・」
大衆食堂 < 瀬戸内の海の幸 < 冷えた生ビール

!!!
横断隊原則無補給はどこにいったのやら、おっさん6人が歩いて隣の大崎下島の御手洗に行くことになった。歩いて行っても30分ほどで着くだろうとのことだ。

参加したのは村上隊長、白石島の原田さん、本橋さん、平田さん、碇さん、赤塚、そして途中から追いかけてきた植村さん。

和気あいあいとミカン畑を眺めたり、「歩くのも久しぶりだと新鮮だねーw」などと語らいながら歩いて行く。島と島の間に行けば行くほど風がなくなり「停滞でよかったのか!?」という焦燥感もあったが、もう今からカヤックに乗ってもビバークできる場所なんてないのだと開き直るしかない。瀬戸内の海を一番知っている横断隊のブレーン的存在の原田さんも「こんな海になんか、でれんけんねー」ときっぱりと言い、この歩き旅を楽しんでいた。


しかしそれも束の間、行けども行けどもまだ道は続いた。


「どこが30分じゃーいっ!!」


大崎下島と岡村島の間にある3本の橋に着いた頃、これはやばい時間になると誰もが悟りだした。かと言ってここまで来たら後戻りはできない。何しろ大衆食堂が待っているのだ…!


「お!愛媛と広島のさかいじゃ!」

橋の真ん中に県境の境界線がご丁寧に引いてあった。その線に横一列に並んでおっさんたちが「せーの」でまたいだ。
「あいのりか!」


カヤックにこそ乗っていればカッコいい雄姿の我々も、陸の上でペタペタ歩く姿はただのおやじ集団でしかない。そもそも地図で見る限り30分で着くはずのない道のりを何故30分で着くと思ったのか?海上ナビゲーションについてはプロフェッショナルな我々も陸に上がって油断したのか、こんなあほなミスを何故したのか、よくわからん。「大衆食堂」と生ビールに弱いオヤジの性質が五感と脳を狂わせたに違いない・・・。



  



大崎下島に到着したころには誰もが疲労を隠せない姿になっていた。時刻は13時30分を過ぎ、昼食を食べていないせいか、集中力が失われつつあった。
「道の駅」ならぬ「海の駅」が現れ、「ここでいいんちゃう?」という意見も出たが「大衆食堂」というブランドはどうしても捨てがたい。ここまで来たら最高のパフォーマンスを期待してしまう。見なかったことにして先に進む。


フェリーターミナルの前にあったあやしいネーミングの食堂「オレンジハウス」も素通りし、村上さんおすすめの食堂を求めてさらに進む。しかしここにきて隊の数名がハンバーノック気味にスタミナが失われてきていた。そんな折、目の前に「ミカンジュース一杯100円」の張り紙があらわれたではないか!

「おおーっ!こりゃうめぇ!」


ここは大長みかんという広島でもかなりブランド力の強いみかんの産地で、その100%ジュースがその場で飲めるスタンドを見つけた我々はビールのために喉の渇きを我慢することも忘れてそのジュースをがぶ飲みした。まるでその群がる姿はテレビで見たことのあるような「オヤジ7人、御手洗の街でぶらり旅気分」である。売っていたおばちゃんに別れを言い、さらに先へ。


「あれ?」


やっとのことで到着した大衆食堂の前で、ただでさえ高い声をさらに裏返させて村上さんが戸惑いの表情を見せた。同時にやってきたサイクリストの兄さんもきょろきょろと店の周りをうろついている。時刻を見ると14時すぎほど。

何と店は閉まっていた・・・。


現実を捉えきれない我々は店に殴りこんで店員に無理やり作らせようかと試みたが、そんなことは無理なわけで、判断5秒とカヤッカーらしく潔く見切りをつけて次の店を探すことにした。


こんな時に限って雨まで降ってきて、村上さんは責任感を感じてか交番を探して何とか食べ物にありつける場所を懸命に探していた。





御手洗の町はそもそも昔、瀬戸内海を行き来する船が潮待ち、風待ちをするために栄えた港町であった。有名なのは「おちょろ舟」といって潮待ちをしている間、船長や主要な人物は陸に上がって色々楽しめるが、水手(かこ)などは船の上で待っていなければならない。そんな彼らを狙って娼婦がこのおちょろ舟に乗って彼らのもとまで行き、一晩遊ぶ…という遊び、仕事があったようなのだ。


「そ、それは今もあるの?」と真顔で村上さんに聞いた人もいるが、もちろん現代では行われることはなく、年に何回か街のイベントで「花魁祭り」のような催しが行われるらしい。
そもそも今回の僕らも風待ち、潮待ちで対岸の岡村島に到着したわけで、ここ御手洗は天然の良港なわけだ。昔の人がそうしたように僕らもこの場所で待機して風がやむのを待っているというのは面白い事実だと思う。


だがこの時の僕らの思考はそんなことよりもいち早くビール、そして海の幸を得たいことでいっぱいだった。行けども行けども店は閉まっており、一般の観光客のおばさん達まで店を求めてブラブラと街をさまよっている始末だ。

「も、もう、我慢できんは・・・」


そういって平田さんは寂れた商店に入り、賞味期限が切れ過ぎて変色したポッキーを買って食べだした。強面の平田さんが一本づつポキポキとポッキーを御手洗の風情ある街中を歩きながら食べている姿は実にシュールで僕にはかなりのツボだった・・・(笑)。


残念無念と引き返すことにし、途中にあったオレンジハウスになだれ込む。
突然入ってきた色黒の異臭を放つ職業不明年齢バラバラな男たちに一瞬たじろいだ様に見えた主人だったが、席に通されて何とかかんとかキリンラガーにあり付くことができた。
喫茶店のような食堂だったが思いのほかメニューは多く、時間が中途半端だったのにもかかわらず注文がたのんでから出るまでは早かった。ただ、最初に原田さんがたのんだ刺身が出てこず、最後に注文したアナゴ丼×3が最初に出てきたので「これはもしや食事が終わったころに刺身が出てくるんじゃ…」とドキドキして待っていたら、すんなりと刺身が出てきて安心。瀬戸内のアワビとサザエは適度なコリコリ感で柔らかく美味しかった。その後出てきた魚定食も真鯛の尾頭付きで、味噌汁とは別にうどんがついてきて、先ほどのアナゴ丼に付く味噌汁だったんではないか?と思ったくらいボリューム感もあって満足このうえなし。急に寒いところから暖かいところに入り、満腹+アルコールとあって全員が怠惰な空気に呑まれていた。

「もう歩いては帰れん・・・」


わざわざ隣の豊島からタクシーを呼び、それに8人(途中でまさやんが合流した)乗り込んで岡村島のビバーク地へ送ってもらった。
こうして「オヤジ7人、御手洗ぶらり旅」は終わった。
行きに2時間かかった道のりは、一人250円で済んでしまった・・・。












風は一向にやむ気配なく吹き続け、この日の停滞の判断は正しかったと確信した。途中、風が弱まったり、島の北側を見て「行けたんじゃないか?」と思う場面もあったが、萎びた隊員の心を奮い立たせて前進させることができるという確かな確証もなかった。よかったのかどうかはわからないのが停滞の判断である。誰もが僕の決断に異を唱える人がいなかったのが救いだった。


この日の夜のミーティングで今日の反省会、考察をすませると隊長から翌日も僕がリーダーということに決まった。なかなかシビアだなーおい。


天気図的にはさほど今日と変わらない様相、若干まだましなような気がする。

浜にはもう流木がなくなりかけていた。

朝の出だしが勝負だと、自分に言い聞かせた。まずは早朝のサーフがどうなっているか?

それは起きてみないとわからないので、いつものごとく酒をかっ喰らって寝るのだった。


続く・・・!

第11次瀬戸内カヤック横断隊④

2013年11月18日
リーダー:西原(サポートに本橋)
潮汐:呉 満潮10:04(362) 21:52(325)
     干潮3:39(14) 16:07(103)
天候:晴れ
メンバー:シングル24艇






3日目の朝は昨日までと異なり7時ビリーフィング、その後の出発となった。
四国の山並みの向こうから神々しい明かりが昇ってくる。瀬戸内横断隊をやっていて海から見る四国の山筋が僕は好きだ。本州側より四国を見てしまうのは何故だろうか・・・。


この日は亀ヶ首から南西風を避けるように岸沿いに北上する案をリーダー西原さんは出していた。西原さんはガイドではないが広島周辺をホームグランドに漕いでいるので土地勘はある。そのせいか妙に自信満々にリーダーを引き受けていたように思えた。


浜から出発し、いよいよ亀ヶ首を回り込んだところで誰もが思い出した。
「これ、行けるんじゃねぇか?」
風が思いのほか弱く、このタイミングなら下蒲刈島までの海峡横断が可能なように思えた。するとリーダーもそれを悟り、一気に下蒲刈島に向かうことに。前日の怒和島から鹿島までの海峡横断と同じように今回もかなり運が良い。ただ、それも朝方の方が風が弱いという方程式に従っているともいえる。




無事海峡横断が終わり下蒲刈島が近づくころ、そうは問屋が卸さないと南西風が強く吹き始めた。最終的には9m/s近くあったはずだ。何とか沿岸にとりつき梶ヶ浜海水浴場の入江に入るとなんとか風裏で一息つけた。下蒲刈島東海岸は嘘のように穏やかだ。


リーダーは先を急いでいるのか後ろを全く見ない。後ろから何かを言っても振り向かない。これは致命的だ。
前回書いたように、今回もアンが遅れていて後続隊がそれをサポートする形になると前後に大きく隊が分かれてしまう。経験者が多い後続隊とはいえあまりにも距離が離れれば追いつくのは時間がかかるし何より危険だ。後ろを見ないリーダーなんてのは前代未聞。
キツい書き方になるかもしれないが、これは多人数ツーリングの「基本」だと思う。西原さんにはぜひ反省してもらいたい。


その後も上蒲刈の南岸を行くという案があったが見事に却下され、下蒲刈と上蒲刈の間を北上して上蒲刈島北岸を東に進む形となった。これが追潮との相乗効果でかなりいい感じで漕ぎ進めて北岸に着くころには西風になった追い風で距離を伸ばした。ところがここでも隊が大きく前後で離れる。後ろから追いかける隊長と僕…。頼むから後ろ見て。


かなり広がってから後ろに気づいて前進を止めて待つのではなく、こまめに後ろを見て進行ペースを遅くしたりすれば隊全体の漕ぐモチベーションを一定にしつつ、まとまって進ませることができると思うのだ。カヤックを止めてしまうと休憩だと思って油断する人も出て急な発進に対応できず、再び隊をばらけさせる原因になる。何にせよ、止まるなら流れない場所で止まり、漕ぎ進むときは常にパドルを動かす。それにはまず隊全体を「見る」のは必要不可欠だ。






風裏のつもりだったが、強くなったのか風向きが西寄りに変わってきたのかだいぶ海も荒れてきた。潮が転流したことも大きい。結構厳しい状況もあったが追い風に流されながら12:30、三角島南西岸の浜に上陸、休憩となった。沖には風紋が走り、通常のツーリング、ツアーをするような海ではなくなっていた。




一時間の休憩の後、大崎下島に渡り、だいぶチョッピーな海を漕いで初崎をまわり岡村島との海峡に入り込んだ。ここは平羅島、中ノ島、小島などに北の入口が塞がれているために中はひじょうに穏やかで、潮も追い潮で流れるように岡村島南岸にある観音崎の手前にある乗越海岸(サンビーチ)に15:10、上陸した。


これで安心して焚火で温まれる~と思いきや、昨年と同じように今やこの浜は野営・バーベキュー禁止の看板が。有志のメンバーが何人か歩いて役場まで行って野営許可を得に行くと、しばらくして戻ってきて○印!今年も何とか許可を得ることができた。何でも昨年来たことも覚えてくれた人がいるようで、主旨を説明すると何も問題ないとのこと。ありがたいことです。

岡村島は橋を渡って呉から車でやってこれるとびしま海道端っこの島。だから夏になると多くの観光客がやってきて、そして心無い人たちによって荒らされるのだろう。すると結果的にこういう「禁止」看板が立つことになる。皆さんもモラルを持って他所の土地で遊びましょうね。






風が強くなってきたせいで完璧な風裏でないこの浜ではところどころで風が抜ける。時々辻風が起こって落ちているゴミごと干している衣類を巻き上げるほどだった。

許可を受けてからは焚火を起こして暖を取る。
焚火はありがたい。
この日は毎回サポートとして車で追っかけてくる篠ちゃんが勤め先の会社社長の差し入れを持ってきてくれ、たらふくビールにありつけることができた。

三宅社長!ありがとうございました!


 ◎アウトドアーズ・コンパス(楠大和・篠原佳美:愛媛松山) 
                          http://www.kompas.co.jp/





夜は反省会。
風が多少弱くなって助かった。何より月も出て晴れているのがありがたい。
しかし翌日は今日並み、それ以上に風が強くなることは人に見せてもらったスマフォからの天気図でわかりきったことだった。西高東低、間違いない西風。


そんな中、隊長が翌日のリーダーに任命したのは僕、赤塚だった。

さてさて、どうしたもんか…。


第11次瀬戸内カヤック横断隊③

2013年11月17日
リーダー:楠(午後から平田)
潮汐:情島 満潮 8:43(328)20:23(310)
      干潮 2:12(27)14:39(103)
天候:曇りからの雨、のち曇り
メンバー:シングル23艇




初日の夜に谷口さんが急に倒れてしまった。救急車に運ばれすぐに病院に運ばれて事なきを得たが、何が起きるかわからない横断隊。その後谷口さんは急激な過労による低血糖が原因で倒れたようで後遺症はまったくなく、のちに復帰する。
天候が良いからと一気に漕ぎ進んできたものの、隊員全員が余裕を持っているわけではないということが如実に出た結果だったと思う。サポートメンバーが付いている状況で車が来れる場所だったからよかったがこれが無人島やひと気のない浜だったらと思うとぞっとする。気をつけなければならない。

翌日からは小豆島の方一つのショップ、「自然舎」の山本さんと今井さんが加わり、一人離脱、二人参加の計23艇で行われることになった。


 ◎自然舎(山本貴道:小豆島) http://jinensha.com/





リーダーは副隊長と言ってもいい存在、楠さん。この日も6時集合、6:30出発となった。

7時になると朝日が昇り、この日も天気が良くなるように思えたがそれも束の間、風が次第にあがってきて空も曇り空になってきた。


周防大島の東の先端、片山瀬戸は地味ながら潮が速い。そして情島と諸島の間、諸島水道は激烈に潮が速いことで有名だ。
この時はちょうど満潮の潮止まりにこの地点に来ることができ、難なく諸島南側を通って津和地島の東側に抜けることができた。「難なく」と言っても潮と風がぶつかりかなりチョッピーな海を漕いで行くことになる。


津和地島と怒和島の間を北上し、津和地島の北で休憩してそのまま北上、鹿島まで渡ると思っていたのだがここでリーダーが怒和島に渡ると言い出した。怒和島の北にある浜にいったん上陸し、そこから態勢を整えて海峡横断する。そういう案だと思ったのでそれでは遅すぎる、早くしないと鹿島まで渡れないと焦った。
あとで聞いたところ、津和地島北は西に流れる潮流があり、それに乗ってしまうと間にある島をまわりこむ必要ができて遠回りになってしまうというのだ。なるほど。早く言ってよと思ったが伝達はできない状態だったから致し方ない。リーダーのいうことには従っておけという典型的パターンだった。






そこからの海峡横断直前になってこれまたアクシデント。
楠さんが体調不良をうったえて急きょ、平田さんにリーダーのバトンが渡された。
海峡横断は最初のうちは静かなもので、特に問題はないと思われる凪いだ海を漕いで行けた。後続グループは余裕をかまして「歌しりとり」までしていたしまつ。
ところが終盤になって南西風が強くなり、波浪の追い波が大きくなってきた。
ここにきてアンのスピードが落ちるようになってきていた。
今回の横断隊が始まった時、今回はこの子がキーパーソンになるな…と直感した。彼女のペース次第で隊は動く。初日は平田さんがファイバー艇、アンがポリ艇を乗っていたがそれをこの日は逆にすることになった。これで少しペースが速くなったが、いかんせんパドリングフォームが安定していない。女の子にしてはひじょうに根性があり、練習も重ねているだけに止まらないパドリングはさすがだが、言葉があまり通じないうえに何か言っても「ニコっ」と笑って済まされてしまう…。
とにかくアンが遅れるたびに後続者は彼女をサポートし、なるべく隊全体のペースが落ちないように努めていた。






鹿島に到着し、そのまま倉橋島の南端を目指した。
隊長の村上さんが「パラダイスが待っているよ」と含み笑いをし、平田さんにそこに行くように指示を出した。
そこは小さな入り江になっておりなんとか風をしのげる場所になっている。その頃には風の勢いは増し、雨もぱらついてくるようになっていた。砂浜に上陸すると、その丘の上で多くの人がバーベキューをしているじゃないか!
「いいところに来たよー、喰ってけ喰ってけ!」
そう言われるがままに陸に上がり、ドラム缶の焚火にあたると勢いよく薪が投入された。皿が配られこれでもかとカキやらエビやらサザエやらを渡され、日本酒を回された。


「ね、パラダイスでしょ?」


あまりのそれまでの過酷な状況と現実の変わりように唖然とする僕をよそに、隊長の村上さんはホクホク顔だ。
どうも村上さんの知り合いらしく、ここで休憩できると知っていたらしい。まさかこんな宴会をしているとは知らず偶然だったというがすごいタイミングだ。
僕らが陸に上がった瞬間、風が一気に上がり雨が降りしきった。どうやら前線が通過したようだ。雨はじきにやんだがその後は急激に冷たい風が吹き出した。

とても出発する雰囲気ではなかったが13時に出発する。
楠さんはかなり吐いたりしていたが意識はしっかりしている。大丈夫そうだ。


  





この日はそれから一時間半ほど漕ぎ、14:40に亀ヶ首にある浜でビバークとなった。
この浜はいつも通過ポイントでしかなく、トイレにしか使われていなかったが結構砂浜が広くて僕は前から気になっていた。カキ筏の孟宗竹やその他多くの流木が打ちあがっておりウハウハの環境である。
この日も風こそ強いものの、風裏の浜で非常に快適なビバークをすることができた。僕は時間に余裕があったので海でおかずを獲ることができた。ここもいい海でした。






昨夜病院に運ばれた谷口さんも夕方に合流。近くの場所からカヤックで合流することができた。すごいガッツだ!


月明りもあり、焚火の薪に不自由しない最高のキャンプではあったが翌日からの行程は考え物であった。
西風が強くなる見込みなのでこのまま倉橋島の東海岸を舐めるように移動して、情島に渡り、下蒲刈島まで一気に海峡横断するか…。そのまま北上して呉港の方に行くか…。
難しいシチュエーションの中で翌日のリーダーは西原さんに決まった。
プロガイドでない西原さんがどういうナビゲーションをするか?みんなの注目が集まったところでこの日の夜は更けていった。






ps:ちなみに楠さんの体調不良はまさかの二日酔いだった説が有力です…(笑)

第11次瀬戸内カヤック横断隊②

2013年11月16日
リーダー:吉村(補佐役:本橋)
潮汐:室津 満潮7:41(279) 19:27(271)
      干潮1:14(45) 13:38(94)
天候:晴れ
メンバー:シングル22艇



  





朝6時10分頃にブリーフィングが行われた。
初日は地元山口のガイドが吉村さんのみで自動的に決まったようなものだった。補佐役として本橋さんが就いた。
この日は天候は良いものの、午前中は向潮で午後から追潮になりどのくらい後半で距離を伸ばせるか、もしくは午前中に行けるかがポイントだった。



祝島から長島までは問題なく海峡横断でき、長島から平郡島、沖家室島という直線的な案が海況コンディションの良さから出てきたが、結局長すぎる海峡横断に隊のメンバー全員が耐えられるかどうかが微妙だったこともあり、定石通り長島から室津、周防大島南海岸にとりつく形となった。






上関海峡を横断して千葉埼の手前にある断崖のある浜に10:30上陸し昼休憩。一時間休憩ののちに出発。ペースとしてはかなり良い。


荷内島の海峡横断は特に問題なくベタ凪で無事通過。法師埼の周辺は透明度が良く藻場が発達していた。皆が海底を覗き見る。こんな場所が瀬戸内海にあるなんてカヤッカー以外には漁師以外知らないのではないだろうか?









周防大島南岸は意外にも退屈なパドリングが続き、ひたすらに漕ぎ続けること15:30、沖家室島との海峡にたどり着く。

サポート役に回っていた原さんが「片添ヶ浜の東にビバーク可能な浜がある」という情報をくれ、それに従いこの辺りでビバークしたいという意見もチラホラ出てきたが体にムチ打って夕闇も迫る16:50、その和佐集落の西にある浜にたどり着いた。


ここでは原さん、大田さん(ユージさん)、高橋さんなどが出迎えてくれるということで派手な編隊を組んで上陸しようとたくらんだ。するとこれがどうだ、小魚を追い込む形になり上陸すると無数のカタクチイワシが打ちあがってくるではないか!挨拶も忘れて魚を獲りまくった(笑)何故が隊長の村上さんがタモ網を持っていたのもビビったが…(笑)



  





  

この夜はユージさんが持ってきてくれたイノシシ肉とシカ肉を原さんが炭火で焼いてくれた。
初日にして相当な距離を稼ぐことができた。
この時点の天気予報では明日(17日)から北西風が上がってくる感じで、18日から19日にかけては大荒れになる予報になっていた。怒和島水道を何としても明日は通過したい。そしてできることなら早い段階で下蒲刈島まではたどり着きたいと思っている横断隊レギュラーには、この日の夜は一時の安らぎでしかなかったと思う。




第11次瀬戸内カヤック横断隊①



2013年11月15日。

山口県の熊毛郡にある原さん新邸に横断隊のメンバーの何名かが集まってきた。

前日から来たのは和歌山県湯浅湾でショップを開いている日本一周の経験もある平田さん。

カナダからのワーキングホリデーで来ているアンと共に二人で参加。

平田さんは昨年からの参加だが、その経験と貫禄により横断隊に昔から参加しているように感じる。頼もしい。


 ◎アイランドストリーム(平田毅:和歌山湯浅湾) http://homepage3.nifty.com/creole/


その後も小豆島から連河さんとそのショップのガイド太田君二人、三重県から本橋さんと途中でピックアップされた同郷西表島の碇さん、地元山口県でラフティングのガイドをしている吉村さんと次々にやってきてはカヤックを下し、出発の準備をしている。


 ◎ドリームアイランド(連河健仁 :小豆島) http://www.dreamisland.cc/


 ◎サニーコーストカヤックス(本橋洋一:三重) http://sunnycoastkayaks.s2.weblife.me/index.html


 ◎まんさくツアーサービス(碇昌之:西表島) http://www.cosmos.ne.jp/mansaku/


 ◎ラフティング NEO(吉村健次:山口錦川) http://www.nishiki-neo.com/


僕も遅ればせながらカヤックを組み立てて港まで運ぶ。今回も僕のカヤックはフェザークラフトのk-1。西表島にいながらにして瀬戸内海の海を誰からも道具を借りることなく漕げるのはまさにこの舟のおかげです。

しかしさすがに最近ガタが出始めて防水能力が低下。今回はハッチカバーを最新式のものに変更して参加することに。これで幾分、カヤック内への浸水が防げるはずだったが、今回の旅で不十分だったことが判明。どうもシーソックスに穴があったようだが、それ以上に船体布に傷があるようだ・・・。困ったものである。

食料約9日分(二日は予備と前後の日用)と水10リットル、酒はビール6缶と箱ワイン3リットル分、バーボン一本を持った。また昨年に続き今回も瀬戸内海の海の中も見てみたいのでウエットスーツとフィン、7㎏のウエイトも持参した。毎度重くてスミマセン・・・。

あとは基本的なキャンプ道具や衣類など、一眼レフカメラの入ったペリカンケースを入れるとキッカリカヤック内にパッキングできる形になる(デッキバックもあり。フィンは外付け)。


皆で順番にカヤックを下し、出発。

なんだかんだで13時ちょうどという時間になった。

佐賀から佐合島と馬島の間を通り、海況が良かったので牛島経由で祝島に行ってしまおうかという案もあったが、平田さんと一緒に来たアンちゃんのペースが心配だったこともあり、定石通り長島経由で行くことに。







潮が悪かったのか、てきとうに漕いでいたからか、はたまた距離があったのか(?)思いのほか時間がかかる。

長島の西にある漁礁、叶島に着いた頃には14時半になっていた。

祝島には余裕で到着できる時間だが、個人的に僕は今日は早めに祝島について潜ってみたかった。

そこでみんなとは別行動をとり、チャー漕ぎで叶島から直接祝島に向かった。




何とか4時前に祝島に到着。

ちょうど船をチャーターしてカヤックごと島に向かった人たちも港に到着したところだった。

カヤックや荷物を運ぶ手伝いも全くせず、一心不乱になって潜りの準備をしてポイントに向かった。

前から祝島には潜ってみたかったのだ。この島の魚の豊かさを是非とも海中から見てみたかった。


潜ると思ったよりも透明度は高くはなかった。夏に比べてこの辺りは冬の方が濁るという。

しかし瀬戸内海に潜るのは意外になれているので「こんなもんだろう」と思い海底が見えるか見えないかのあたりで空潜りを繰り返した。

ホンダワラがものすごい。その根元にはメバルの子供が無尽蔵といえるほど泳いでいる。

岩の隙間にはベラがひらひらと泳ぎ、とどまるとウミタナゴ、ウマズラハギの子供が近寄ってくる。物陰をのぞくとクロダイが飛び出してきて、岩かと思ってつかもうと思ったらカサゴだったりする。上を見上げればマアジの群れが乱舞する・・・。

すごい海だ。

夢中になって泳いでいたらあっという間に日が暮れてしまった。

夕まず目になってクロダイやスズキが活性が高くなってきた。悔しいがタイムアップ。皆が心配するのも悪いので上ることにした。


一人港で着替えて今日の宿泊予定地である「老人の家」に向かうと、強力な熱気と共に賑やかな声が聞こえてきた。中は今回の横断隊に参加するメンバーと島の人たち、お迎えに来た原さんなどでどんちゃんしていた。

毎年、初日の夜は久しぶりに会う仲間との美酒に酔っ払う人、明日からの横断に向けて気合を入れる人、島にいる人たちとの情報交換、交流を楽しむ人など様々な人間模様が見れる。そしてこれも毎年だが、初日だというのに酔っ払う人が大半を占めていた(笑)。




祝島といえば311の前から原発建設に反対している島として有名であり、311後はさらに注目されることとなった島だ。そしてその反対運動に横断隊もややかんでいる。

ただ反対しているばかりの島というわけではない。ここの島では島にある資源を有効利用した農業や特産品、観光の在り方、漁業など、他の企業などに依存しない底力のある産業を目指す人々が多い。それが最大の魅力だと思う。今回も多くの協力、応援をくださってこの島をスタート地点にすることができた。ありがたいことです。


何とか酔っ払いたちが静まり返った頃、こんどはイビキの合唱を聞きながら皆寝袋にくるまって就寝。




翌日はそんな中でも4時には起きて出発の準備が始めった。

いよいよ横断隊はじまります。


昨年はホームページのコラム欄でまとめて書きましたが、今年はブログを復活させたこともあり、こちらで一日ごとのログをアップしたいと思います。間にいろいろ挟むとは思いますが、御来読、よろしくお願いいたします。

謹賀新年


2014年元旦 ナイヌ浜にて


やや時期を遅くしましたが、あけましておめでとうございます。


昨年は2シーズン目を迎え、個人的にも結婚、島内での引っ越しなどありいろいろと環境の変化が多い年でもありました。

観光業としても3月に石垣島に新空港が開港し、6月、7月とLCCが来るようになってますます多くの観光客が来島するようになりました。


当店はそれほど多くの人を相手に商売をすることができないのであまり関係はないと言ってもいいのですが(笑)、それでもネックであった航空券の値段がおさえられてお客様としてはありがたい時代になったと言えます。


ただ島に来て、レンタカーで観光地を回り石垣に帰ってしまうというようなスタイルではなく、じっくりと西表島という場所をベースに旅をしたいという方々に満足いくサービスができる、そんなツアーができたらと思っています。


今年は3シーズン目。

ありがたくもリピーターの方にも来ていただき、なんとか店としての軌道は乗っているかのように思えます。

カヤックやアウトドアが初心者の方々でも楽しめるツアーを随時開催するとともに、西表島に長年通っている西表マニアをも唸らせるツアー、シーカヤックの中級者、上級者向けのスペシャルなツアーも早め早めに今年は組んでいこうと思っています。


皆様、今年もよろしくお願いいたします。




                                                年男、ガイド 赤塚義之

賜る旅 ~その参 横断隊出発前~


 ◎ダイドック オーシャンカヤックス 

  http://daiduk.sunnyday.jp/


11月12日。

福岡博多のバスターミナルから高速バスに乗って山口県徳山を目指す。

徳山に昼ごろ着き、櫛ヶ浜にいるダイドック原さんに電話をする。


原さんは現在のショップとは別に新居を平生町の佐賀にかまえたのでどちらにいるか聞いてみたのだ。

どうやらまだ櫛ヶ浜にいるということで電車で伺おうかと思っていたら迎えに来てくれるという。


駅の前で待っているとほどなくして息子の海醒とともにやってきた。


そもそも今回の旅は例年参加している「瀬戸内カヤック横断隊」に参加するのが第一の目的で、横断隊の出発地である祝島に行く前に色々行っておこうと思ったのが発端だ。

今年は祝島に行く前に佐合島で個人的にキャンプをしてから単身カヤックを漕いで祝島に行こうと思っていたので、佐合島に近い原さんの新居にお邪魔する予定だった。

ここからカヤックを組み立てて13日には出発しようと思っていた。ところが会って話をしていると送ったはずのカヤックがまだ届いていないというのだ・・・!

電話で追跡確認したがどうも答えがあやふやで、直接営業所に行って聞いてもらうとやはり船便なのでどこにあるのか正確には答えられないという返事が返ってきた・・・。ともかくどうも佐合島でキャンプ計画は流れそうだ。あとからカヤックは発見され、14日の昼ごろ、ダイドックに届くことがわかった。やれやれ。けっきょく原さんと共にゆっくりと出発までの時間をつぶすことになった。



2006年5月。

山口県油谷で行われたシーカヤッカーのためのイベント、「シーカヤックアカデミー」に僕は参加した。理由はその前年に参加した「知床EXPEDITION」の新谷暁生さんが参加すると聞いたからだ。前々から興味はあったがこれといったキッカケがなく、二の足を踏んでいたのだがここぞとばかりにいい機会だと、行くことにした。


なんとも辺鄙なところで、知り合いも誰もいない中、一人参加した僕はただひたすら孤独感に苛まれながらの参加だったが、このイベントのおかげで何点かいい出会いもあった。前回登場したサザンワークスの松本さんや、今でこそお世話になりまくっているグランストリーム大瀬さんと出会ったのもこの時が初めてだった。しかし何と言っても一番の出会いは「瀬戸内カヤック横断隊」という存在を知ったことだ。

海洋ジャーナリスト内田正洋さんが講義をし、それに参加した隊員たちがいろいろと横槍を入れるというものだったが、この横断隊が妙に気になった。


7日間で約300㎞の距離の瀬戸内海を原則無補給でチームを作って横断する。

参加するまでメンバーはわからない。離脱も途中参加も自由。潮流の影響を色濃く受ける日本有数の内海。


この年の夏に僕は香川県小豆島で「島風(しまかじ)」というショップでガイドをすることになるのだが、そのガイド経験もあって瀬戸内海というものが後々とても大きなイメージを創っていくことになる。

アカデミーに参加している時は先ほど話した通り周りに知り合いもいなく、何となく話を聞いてばかりいる状態だったのだが、この時ばかりは質問をしてみたく話しかけたのが、地元山口のカヤックガイド、原康司さんだった。原さんはインドネシアで真珠養殖の仕事をしながらカヤックを漕ぎ、周辺の島々の漂海民と交流をしていたというエピソードが気になっていたこともある。



2006年5月。シーカヤックアカデミー油谷で講義する内田正洋氏。


この縁があってか、2007年の第5次に参加するためにメールのやり取りを原さんと行い、なんとか参加にこぎつけた。ほとんど知り合いもいない当時の横断隊によくもまぁ参加したもんだと今も思う・・・。何せその原さんすらあまり知らない仲だったのに。


第5次横断隊は僕が参加した横断隊の中でもかなりハードで、かなり男臭いパートだったと思う。ペースも速いし、海況もシビアだった。でも初参加で初完漕、なにより祝島までゴールすることができた。ハルさんは男泣きし、高橋さんは2回目の完漕で納得し新たな仕事を見つけ、村上さんはスズキを拾った。そして僕は調子に乗って大酒を飲んだ。

横断隊が終わった後、山口組に紛れて徳山の原さんの実家に行き、一緒に焼肉を食べ、原さんの家で内田さんの高校時代の後輩であり、漕ぐ植木職人ユウジさんと遅くまで語らい、あまりに遅くまで飲んでいたので家主(原さん)に怒られた。そのくらい僕はこの横断隊にのめりこんでしまっていた。

そして原さんという人物に勝手な兄貴像を持ってしまった。




2007年。第5次横断隊終了後。ダイドックショップ前にて

原さんといえば、こんな映像がある。

http://www.youtube.com/watch?v=3NC_Eehj0UA

これほど実力があり、大それた遠征を行っているのに今まで知らなかったのが嘘みたいだが、実際カヤックの実力は並みならぬものがある。

個人的な遠征を繰り返しているために自分勝手な人なのかと思えば、自分のことよりもまずまわりのことを考えて行動するような人柄がある。

冒険家がよくあるように酒を飲むと非常に達が悪い部分もあるけど・・・。毎回横断隊に参加するたび、たまにしか会わないのに旧友の様に気を留めてくれて色々と世話をしていただいている。


上関長島の先端にある田ノ浦に建設予定である上関原発に反対する中心人物でもあり、中国電力からは4800万円の損害賠償請求をうける、所謂「上関原発SLAPP訴訟」を受けた一人でもある。

http://kaminoseki-genpatsu-slapp.jimdo.com/4800%E4%B8%87%E5%86%86%E6%90%8D%E5%AE%B3%E8%B3%A0%E5%84%9F%E8%A3%81%E5%88%A4/


今でこそ福島第一原発事故の影響で建設計画も一時中断しており、社会的にも新規の原発をつくることに関して不信感を持つ人間は多いが、田ノ浦の対岸、沖合約2㎞にある祝島の人々はこれを30年近く反対している(ちなみに横断隊は常に祝島をゴール、もしくはスタートにしている)。

瀬戸内海を漕いでいるカヤッカーとしてその海を守るのは当然のことであり、祝島の人々の反対運動を後押しする気になるのも当然とばかりに原さんは行動している。それが僕にはとても冒険的なことだと思うし、自分の意思を揺るがせない発言や行動は目が離せない。


第10次を区切りに、内田さんは隊長の座を降り、今年の11次からはこの原さんが隊長をやることになっていた。これは誰にも異論のない当然のことだ。

内田さんには悪いのですが、原さんが隊長になることで横断隊もまた今までとは違った動きを見せる感じになり僕は個人的にかなりワクワクする形になっていた。そんな原さんとこの11次横断隊、初日から行動を共にしていろいろどんな感じに隊が進行していくのか興味深かった点もある。


西表島のガイドである僕が瀬戸内海のガイドやカヤッカーが集まる「瀬戸内カヤック横断隊」に参加するのはどういう理由があるのか?それはいろいろあるのだが、兎にも角にもこのように原さんのような類まれなるカヤッカー、興味深く面白い人物と漕げるというのも楽しみの一つでもあるのだ。



と、ところがだ・・・


なんと原さん・・・


横断隊3週間前に事故って大怪我。なんと初回から不参加決定!!


だ、大丈夫なのか今回の横断隊・・・!!!


結局今回は「村上水軍商会」の村上さんが隊長ということで行われることに。

原さん自体は当初は命すら危ない状況ではあったがいたって元気であり、ただ後遺症が若干残っていて首に巻いたコルセットが痛々しかった。



息子の海醒と遊んだり、佐賀の家でゴロゴロしたりしていたら舟も無事届き、佐賀の家を出発地に選んだ横断隊員たちもボチボチと集結してきた。

原さんは周防大島までは車でサポートにまわってきてくれるらしい。


非常に残念なことだったが、今後のことを考えて安静を願うのみだった。


11月15日。

何人かと僕らはカヤックを漕ぎ、佐賀から祝島を目指した。

昨年はバジャウトリップのホームページのコラム欄で大きくまとめて書きましたが今回は横断隊の模様をこちらのブログから発信していきたいと思います。もちろんノルマのレポートも書きますので横断隊隊士の皆さん、横槍はおやめくださいw



本来、乗るはずだった新艇ウォーターフィールド:シメスタを前にして。原さん新居にて

アウトドアに騙されるな

つい先日、北海道の新谷暁生さんの5冊目の著書「北の山河抄」を読み終えた。


◎北の山河抄

新谷暁生 東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/tbook/shoseki/tko2013100101.html


新谷さんの著書はすべて読んでいる。
何しろ最初の著書「アリュートヘブン」を読んで感銘を受け、実際に知床半島で行われる「知床エクスペディション」に参加したくらいだ。夏の知床を漕ぎ、その後春の知床、秋の知床と4回も行くことになった。
それはまずもってこの人との最初の出会いが僕の人生を変えたといってもいいからだ。



DriftWoodBeach
2007年83’知床EXPEDITIONにて。春の知床。


最初に出会った2005年。西表島からファルトボートを持って公共交通機関を使い知床まで旅をした。その最終目的が知床エクスペディションに参加することだった。
72回目の知床はそれはそれは好天に恵まれ、奇跡的な凪の知床を旅する平和な物だった。
本来はこれで知床を去る予定だったのだが、次の知床エクスペディションに年配の方が参加するとあってガイドも少なく、西表島でガイド経験もあった僕にサポートの依頼が来たのだった。僕はチャンスとばかりに喜んで参加することにした。
ところがこの73回目が、新谷さん3冊目の著書の名前にもなったほど壮絶なもので、今思い返してみれば非常に勉強になったカヤッキングだった。
その時の模様は以下のリンクから読んでもらいたい。

◎bajau trip 「チーム レタラワタラ」

http://www.bajautrip.com/shirietoku4.html



「アウトドアに騙されるな!」

新谷さんは最後に僕にそう言ってアツい握手をして去った。

「アウトドア(Outdoor)」という言葉は僕が物心ついた時にはすでにあった言葉だと思う。自然の中で遊ぶ行為を外来語のアウトドアという言葉で使っていたのだと思う。自然の中で遊ぶのだから登山やマリンスポーツも含まれると思うのだが、実際のところこれらは含まれない気がしていた。だから僕はこの新谷さんの言葉を理解しているつもりだったが、だからと言ってはっきりそれを口にすることも文章に起こすこともできないでいた。

今回、この「北の山河抄」を読んでそれがはっきりとした気がする。


あれから8年経ち、僕はあの頃のどっちつかずの自分探しの旅人ではなく、はっきりと「シーカヤックガイド」という職業を生業に決め、西表島という土地にベースを構えた。都会生まれの僕ではあるが自然の中で今は暮らし、島という環境で生きている。その過去との立ち位置の違いを感じることで、新谷さんの書いていること、語っていたことがさらにはっきりしてきた気がする。

新谷さんが一貫して伝えたいことの一つがこの本の中で何回も書かれている。
イケないことかもしれないが、一部抜粋してみたい。

「現代は経験を積むことの大切さを忘れた時代だ。簡単に知識や情報、道具や技術が手に入る。そしてそれを経験と勘違いする。経験豊富な漁師であっても、回を積み重ねればときに運が尽きる。事故には必ず原因があり、不可抗力の事故はない。が、無知ゆえの事故は痛ましい。仏教の教えにもあるとおり「無知は罪」なのだ。」(北の山河抄 p85)


「時代はアウトドアブームの到来で混沌としている。アウトドアとは知識と道具の文化だ。経験の積み重ねを重視する登山とは本来、相容れない。」(北の山河抄 p234)

僕の場合、登山の経験はそれほどないのだけど、これは「カヤッキング」に置き換えられる。シーカヤックも経験の積み重ねこそが一番必要なことだ。


新谷さんはこうとも言っている。経験は役に立つとは限らない。しかし経験が役に立つかどうかは経験がないとわからない。73回目の知床で新谷さんは自分の過信を恥じていた。


アウトドアという言葉に罪はないと思う。だから僕自身アウトドアという言葉を使うし、自分自身をアウトドアガイドだと思っている。しかし僕は一度たりとも、アウトドアに騙されたりはしない。
アウトドア業界の枠の中に入ることが騙されていることとは思えない。それは個人の考え方次第だ。
どれだけ真面目にカヤックに対峙しているかだと思う。


西表島という場所に他所からきてガイドをしている僕からすれば、辺境の地に出向き現地の人たちと接する新谷さんの考え方もひどく痛感させられる。
この本に書かれていることはシーカヤッカーの先輩として、ガイドの先輩として素晴らしい言葉が散りばめられている。
何度読んでも考えさせられる。

それと同時にほぼ同じことを新谷さんは会うと必ず話する。だからこの本を読んでいるとまるで知床のゴロタ浜の上で焚火をし、ハードリカーをラッパ飲みしながら語る新谷さんといるような気分になる。


万人に支持されるような本ではないと思う。
八重洲ブックセンターで平積みで売っていたが、正直それほど売れるかは疑問だ・・・。
でも僕には素晴らしい本であった。
もし本気で自然と向き合っていたり、ガイドという仕事をしている人には読んで損はないと思う。
是非購入していただきたい本です。



DriftWoodBeach

賜る旅 ~その弐 九州編~


DriftWoodBeach


11月11日。

 東京羽田空港から福岡空港へ。

 16日から行われる瀬戸内カヤック横断隊が山口県祝島から出発なので、福岡にLCCで空から行って陸路山口に向かうことにしたのだが、個人的に九州が好きなのでどうしても何かと理由を付けて九州経由にいつもしてしまうのです・・・。


 福岡空港に着くと、今度は電車で北九州に行く途中にある宗像に向かいます。

 宗像になぜ行くかというと、8年前にここのミカン農家でミカンちぎりのバイトをしていたことがあって、久しぶりに結婚のあいさつにでも行こうと思っていたのでした。

 最寄りの駅まで行くと奥さんが迎えに来てくれて、相変わらずの大きな荷物を当たり前のように車に詰め込んで家に向かいます。


 そもそもここには8年前、西表島から知床までカヤックをもって旅行した後、もぬけの殻の様になっていた僕を見かねて友人が紹介してくれたのが縁で、ミカンにとって一番忙しい12月と年明けしばらくまでのわずかな期間しかお世話にはなっていないのですが、紹介してくれた友人との関係もあってずいぶんよくしてもらい今に至っています。


 ミカンは無農薬、除草剤も使わずに栽培し、温州以外にも多くの柑橘類をつくっています。米も作っており、これまた減農薬のアイガモ農法。その米で作った日本酒まであります。

 農園の主、川上直幸さん(以後おじさん)はいろいろと新しいことに挑戦するのが好きで、また多くの旅人を受け入れ外の情報を得るのが好きな人です。今回も前回はなかった炭焼き小屋の横に囲炉裏と五右衛門風呂がある小屋を建てて、そこで宴会を開いてもらい、僕は寝泊まりさせてもらいました。


DriftWoodBeach

知り合いを集めて皆で手作りしたというからたいした家です。囲炉裏も最高でした。もちろん燃やしている炭も自分たちで焼いています。


DriftWoodBeach   DriftWoodBeach

写真左:ズガニ(モクズガニ)飯。カニの出汁と味噌の味が炊き出されてたまりません…。

写真右:地元の猟師野田さんが猪肉をさばく。病気で今でこそよぼよぼですが、年間100頭近く罠で獲る凄腕ハンターです。西表島の猪猟の話を興味深く聞いてくれ、いろいろと面白い話ができました。なにより人間としてこの人面白い方でした。


DriftWoodBeach   DriftWoodBeach


僕がお世話になっていたころいたメンバーと、一緒に屋久島旅行に行った人も飲めや歌え。アイガモ汁、クロ(メジナ)、アジの干物、ソデイカのスルメ、丹波の枝豆、そして猪肉。自家製の柚子胡椒と日本酒。ごちそうでした。


 今回は僕が来るということで、BE-PAL12月号にも載った罠猟師の野田さんが猪肉と海の肴を持参してきてくれました。

 懐かしいメンバーが集まってくれて宴もたけなわ。

 みんないなくなったあと、昔お世話した(?)ケーイチと野田さんが残って込み入った話をし、彼らもいなくなってせっかく沸かしてもらった五右衛門風呂に入って寝ました。あったまった~。


 翌日午前中いっぱいはミカンの仕分けの仕事を手伝い。

8年前にやっていたとはいえ、けっこう体が覚えているもので妙に懐かしんでひたすらダンボールをつくっていました。

昼前におじさんに駅まで送ってもらい、お土産をしこたまもらって電車に乗りました。



DriftWoodBeach

現在は息子のコータ君と三人体制+α。僕がいたころは次女のシノブちゃんがいたけど今は嫁に行って不在。看板犬、サクラに会えてよかったです。有名なミカン産地でないので全国的には有名ではないですが、宗像、川上農園のミカン美味いです!全国発送してます。


  ◎川上農園  http://www.kawakami-nouen.com/index.html



 昼食は天神でニュージーランドに行っていた時、一緒にラウンド(車で旅する事)していたショーコとこれまた久しぶりに会って昼から軽く飲む。相変わらずの放浪癖も少し落ち着いてきた様子。わずかな時間ではあったけど昔の友人と会うのはいいもんです。


 せっかく天神まで来たのでお買いもの。

 ノースフェイスをのぞくと沖縄の「漕店」にいた酒井さんと見事に目があった。後述に出てくる松本さんと福岡で会うとき、いつもこのノースフェイスで待ち合わせするのでなんか毎年会っている気がする(笑)

 横断隊に参加するために数点買い物をし、仕事の話や魚獲りの話などをして店を出た。地方で買い物する際、知り合いがいるとありがたいもんですね。カヤッカーってアウトドア業界の中でもマイノリティーなせいか横のつながりが強い気がします。


 その他、ダイビングショップや書店などによってからまた電車に乗り今度は糸島へ。

いつもお世話になっている「サザンワークス」のテツ松本さんが今年から糸島に店舗を移したのでそちらにお邪魔しに行く。

 最寄りの駅に到着するとちょうどサザンワークス号が近所のスーパーに入って行くところが見えたのであとをつけてスーパーの中に。すぐに見つけられる風貌の松本さん(笑)声をかけると「どわー!」という良いリアクションで驚いてました(笑笑)


 本来なら友人たちも含めて博多で飲む予定でしたが僕一人になったために松本さんの自宅で飲むことに。スーパーの魚屋で好きなものを買っていいというので迷わず牡蠣とマニアックなハガツオ、対馬産マサバを購入。松本さん宅に着くと台所を借りてもちろんワタクシがお料理いたします。



DriftWoodBeach

ハガツオが売っているところがさすが糸島のスーパー。皆さんも見つけたら即買いしてください。カツオより美味いです!


 ハガツオが美味すぎる・・・。マサバもかなり美味しかったですがハガツオにはかないません。松本さんも唸ります。やっぱ、この魚の美味さは九州さすがですよね・・・。九州良いなー。


DriftWoodBeach   DriftWoodBeach

日本で一番わかりずらい店舗というのはよく聞きますが、サザンワークスのニュー店舗もかなり探すのに難儀する立地です・・・。でもカヤッカーにはピンポイントのアイテムが手に入りますヨ!右は松本さんの愛犬ロッキー。良い子です。


◎サザンワークス  http://www.southernworks.com/




 食事も済んで子供たちも寝付かせたところで大人の時間。

場所を店舗内に移して松本さんと今年のツアーのことや今後の予定などを話しました。焼酎をキで飲みながらじっくりとカヤック話。濃いです。

 防水効果のまったくなくなったk-1のハッチカバーを新たに購入し、翌日は博多バスターミナルから高速バスに乗って山口県徳山へむかいます。


                              →賜る旅 ~その参 横断隊出発前~に続きます・・・

賜る旅~その壱 房総編~


DriftWoodBeach


11月8日から仕事を休み、西表島に新婚の嫁を一人残して内地へ昨日まで行っていました。

なんてひどい男なんでしょうか(笑)

でもおかげで島にいては得られない見聞を多く得ました。

言葉にするといつもの簡単な事のようですが、内容は非常に濃いもので忘れないように十分咀嚼して考えていかなければいけませんね。


主な目的はほぼ毎年参加している「瀬戸内カヤック横断隊」に参加することでした。

海洋ジャーナリスト、内田正洋氏が中心となって行われていたこのシーカヤッカーの実践的勉強会ですが今年からは氏のもとを離れ、新たな隊長のもとに行われるようになりました。

その為か新しい動きを感じさせる、非常に今後も興味深く楽しくなりそうな動きです。


  ◎瀬戸内カヤック横断隊     http://oudantai.blog98.fc2.com/


11月8日に西表島から石垣島に渡った僕はその足で空港から直行便で羽田空港へ。

羽田から東京駅に向かい、そこのバスターミナルから千葉の館山に向かいました。

丸々一日を移動時間に費やし、夕方5時にやっと館山駅に着くと電車で一つのぼって那古船形で下ります。ここにうちの親父が住んでいるのです。


この日は親父の家から歩いて5分というところにあるスクープアウト事務所に向かい、そこの堀川さんと館山でシーカヤックガイドをしている藤田さんと合流してお食事。

堀川さん、藤田さんとも東京海洋大学の非常勤講師をやった頃に知り合い、堀川さんにはとくにショップオープンの際に大変お世話になりました。


  ◎スクープアウト Scoop Out        http://www.scoop-out.com/

          http://scoop-out.com/shop/html/

  ◎シックスド-サルズカヤックサービス  http://www9.ocn.ne.jp/~dorsals/



DriftWoodBeach



DriftWoodBeach



DriftWoodBeach


翌日は岩井に移動し、そこでこの房総に来た最大の目的、SUPを試乗することに。

SUPを買うだけなら沖縄県内でも良いのですが、僕がフェザークラフトを購入したセタスがインフレータブルのSUPも取り扱っており、これも何かの縁と思い、内地に来るタイミングで問い合わせたのでした。もちろん久しぶりにオーナーの笠原さんに会いたいということもありましたが。


  ◎セタス Cetus http://www.cetusk.com/

  

DriftWoodBeach   DriftWoodBeach  

「なんでSUPを買うの?」

そう思われる方も多いと思いますが、こいつの出現によってカヤックという乗り物についてよくよく考えらせられることが最近多くなってきました。

僕のこの「遊び道具」に対する考え方は手元に届いてからじっくりと書いてみたいと思いますが、まずは何より西表島島内で商業的に使える、使えないというよりかは‘僕の遊びに非常にマッチする’のではないか?同時に‘何故カヤックを僕は使うのか?’という比較案を出したいというあくまでプライベートなことです。だからインフレータブルなんですよね。


それにしても岩井海岸から北上し、浮島に行ったのですが実はここカヤックでも行ったことなかった場所で、ちょっと感動しました。東京湾にもこんなところがあるのですから。透明度の高さも良いですね。

もっと関東で漕ぎまくればよかったなと今さら後悔・・・。


午後からはもう一人会いたい人がいたのですが、連絡が取れず笠原さん達とお食事をして船形まで送ってもらいました。この日は親父と家族や親戚のことなどの話をゆっくりして翌朝帰宅。



DriftWoodBeach


10日、この日は2006年に小豆島で働いていた時の上司と都内で合流。

夕方から参加するイベントまで新宿の街をぶらつきカメラなど物色。一緒に行く別の人と合流すると表参道まで移動して軽く一杯。

夕方からは「知床エクスペディション」で新谷暁生さんのアシスタントをしている新井場隆雄さんが参加した「なまら癖-X」のグリーンランド遠征の報告会へ。


http://www.norte-sapporo.com/JP/2013/10/greenland.html


ほぼスキー関係者で埋め尽くされた観客の皆さん・・・。カヤッカーはほとんどいなくてかなりのアウェイ感は否めませんでしたが新井場さんやパタゴニアの辻井さん、フルマークスの大内さんなどに久々に会えたのは嬉しかったです。

なにより、一緒に行った元上司、芳地(旧姓)直美さんに会ったのも久々で、これまたまったく変わっていないので、かってに安心しましたw。


別れてからは友人と合流して恵比寿で飲み直し。
明日には福岡へと飛びます。


                                    →次は賜る旅~その弐 九州編~に続きます