フォールハントシャワークライミング
久しぶりの投稿。
台風9号が来たおかげで、若干水不足だった西表島も川に水があふれるようになりました。
台風後の楽しみと言えば・・・・・・?
そう、僕らこの島でガイド業をやっている者にはタマラナイ増水の滝を目指すことです!
元同僚二人と今日は西表島でもかなり深い谷にある川に行ってきました。
写真を見れば、わかる人にはわかるのですがあえて名前は出しません。これはみだりに人が入って事故を起こされることを防ぐことが目的です。ご了承下さい。
ランチセットをバックパックに入れて持って行ったものの、歩いたり泳いだりするのに夢中で結局飲まず食わずで往復歩いてしまった。これはいわゆるアルパインスタイル・・・なのだろうか??
ボルダリングを連続で行うので全身運動でなかなか疲れます。
でも水に打たれながらの遡行はこの暑い夏にはタマリマセンな~。
滝もいつも以上にでかかったし。
あー、面白かった。
バジャウトリップ西表フィールドサービス
ホームページ「bajautrip」の方では4月から告知していましたが、こちらでは何もしてませんでした。
ご存じない方は申し訳ありませんでした・・・。
2012年7月1日からシーカヤック、トレッキングを中心としたアウトドアガイドを西表島ですることになりました。
「バジャウトリップ西表フィールドサービス」
7月1日最初のツアーは一泊二日でのキャンプツアー。
男三人でシングル艇のシーカヤックでサバ崎、網取、外離島と漕ぎまわって遊びました。
カーチベーも落ち着き、いよいよ夏本番の西表島です。
ニュージーランドから帰ってきてからすぐに西表島に行ったことからもわかるとおり、僕の中に西表島にいる自分が一番、しっくりきているように感じています。
もちろん、僕はナイチャーです。島の人間ではありません。エコツアーはその島に生まれ育った者がおこなえばいいという意見があります。確かにそう思います。だから僕はなかなか島に定住もせず、自分が今さら西表島にいて、何かをやるという気にもなれませんでした。
しかし、西表島はアウトドアフィールドとして世界に誇れる島だと思います。
島の文化や自然環境を伝えるには僕のような島の人間ではない不十分な人間かもしれない。でも僕は長年、シーカヤックをやってきました。シーカヤックのガイドはいきなりやりたいからと言ってやれるものではない。ましてや風の通り道でもある南西諸島でシーカヤックをやるというのは、太平洋高気圧に覆われた夏の一次期は誰にでもでできるような環境ですが、それ以外の時期は非常に風も強く吹き、判断が難しい。ましてや流されてもすぐに携帯電話の電波の届かない場所まで、つまり外洋まで流されてしまう環境です。
このような場所でガイドをやるというのはシーカヤックガイドとして、とても意義があることだと思います。
僕はこの島でアウトドアガイドになろうと思いました。
西表島シーカヤックの老舗に入ったのが2003年。
それから出たり入ったり、プラプラとカヤック担いでいろいろ漕ぎまわっていましたが、9年たってついに巣立つときが来ました。
いろいろな人にお世話になりました。今度は人に何かできることがあればいいなと思っています。
もちろん、これからもカヤックの旅には行くつもりですけどね。
皆さん、これからもよろしくお願いいたします。
野田さん
「野田さんって、だれですか?」
最近知り合う若い人と作家の野田知佑さんを知っていることを前提に話をしていると、突然そんなことを言われて驚くことが多々あるようになってきた。
今これを読んでいる方にも、野田さんをご存じない方もいるかもしれない。
野田知佑。
この人がいなければ、今の川カヌー、シーカヤック人口はこれほどまでに増えず存在までもマイナーだったのではないだろうか?一部の昔からの先鋭的カヤッカーは野田さんの存在とは関係なくカヌーをしている人もいるが、現在40代になるカヤック業界の人達は青春ど真ん中で野田さんの著書と出会い、カヌーを漕ぎ始めたり、海外の大河に挑戦したりした人も多いのではないかと思う。
かくいう僕も野田さんの著書によってカヌー、カヤックの存在を意識し、始めたキッカケであったことは否定しない。
80年代初頭から作家の椎名誠さん達と「あやしい探検隊」「いやはや隊」として各方面で活躍し、チキンラーメンのCMに出て、各アウトドア雑誌、旅行誌にエッセイを発表してきた野田さんは、まさに日本におけるカヌー旅のパイオニア的存在である。アラスカやカナダの大河を単独行、もしくは愛犬のガクとともにくだり、鳥を撃ち、魚を釣って自然の中で身一つ旅する姿。ダム開発に反対し国を相手に戦う姿に尊敬と憧れを抱いた人も多いと思う。
そんな野田さんを今の若い人は知らないという!
それだけ今のアウトドア業界、カヤックの世界が幅広くなり、カヌーやカヤックをやるきっかけを得ることが増えたという意味では業界の層が厚くなったいい証拠かもしれない。
しかし、このレジェンドの存在を知らないでカヤックをやっているというのは、僕からすれば信じがたい。
そんな時代背景ではあるが、現状とは関係なく、僕が野田さんに憧れていることは変わらない事実である。
雲の上の存在。そういう人がいるとするならば、野田さんはまさに僕にとってそういう存在であった。文章の中の世界でしか知りえない、書いたものの中からしか野田さんを知ることはできない存在だと思っていた。
ところが、そんなワッパが野田さんと知り合うことになった。
そのいきさつやこれまでの成り行きはプライベートなことなので省くが、いつしかなんとなく顔と名前は覚えてもらえるようになり、たびたび仕事の手伝いで各フィールドに野田さんと出向く機会がでてきた。
先日、野田さんのお宅に訪ねた。
6年前に一度だけ友人と訪ねたことがあったが、それ以来振りで無事行けるか心配だったが、何とかたどりつくことができた。氏は現在、徳島県の日和佐町に在住だ。深い山々の間にきれいな小川が流れ、その川のふもとに広がる平野に田んぼが作られている。空にはヒバリが鳴き、山には山桜。田には水を引いて川は少し濁っていた。さすが野田さん、良いところに住んでいるなと思いながらお宅に向かう。
家が見えると、アレックスとハナが駆け寄ってきて僕の周りをくるくる回りじゃれながら吠えてきた。野田さんが手を振っているのが見えた。
野田さんはもうおじいさんだ。僕とちょうど40歳違う。僕らが野田さんのカヤック旅行の本を読むとき、たくましい筋骨隆々の写真が載っている。まだまだ若いイメージがあったが、カヤックを始めたのはそれこそ40歳を越えてからだという。
「なんだ、まだ30代か。いいな、俺なんかカヌー漕ぎだしたの40からだぞ」
20代をふらふらと過ごしてきた僕にとって、野田さんの言葉には助けられていた。そして実際に本人と会ってそんな話をすると、僕もまだまだだな…という気分になってくる。
しかし野田さんと出会うのがもう少し早ければ、もっと一緒に面白いことができたのではないかと思ってしまう。時間の経過とは誰しもに平等だと思わざるを得ない。そのこと自体は事実である。さすがに今の野田さんと一緒に海に潜って魚を獲ってキャンプしましょうとか、言えない。
でもその存在感、発言は重い。
今回、野田さんのところに行ったのは僕が7月から自分でガイドツアーを行うことになったことと関係する。昨年11月に雑魚党の仕事で西表島に来島してくださった際にその話をすると、非常にいいことだと応援してくださったのだ。今年の春に出たmont-bellの会報誌「OUTWARD」にはそんなことも書いてくださった。野田信者である僕にはションベンがちびりそうなくらい嬉しいことだった。
今回、野田さんと話をした中で一番合点がいったことに、現在アウトドアを行う人たちというのは、自然の中でスポーツはするのだが自然自体のことを知っている、面白がっている、楽しんで遊んでいる人というのは少ないということ、そしてもしくは逆に自然は好きなのだが体力がなく、遊ぶ技術がない人たちが多くなっているということ。
前者は競技やスポーツとして行うことをしているために団体を作り、組織化してガイドにしても何にしてもライセンス制にしたりして、誰かが儲けるためにアウトドアが使われているだけ…というもので、野田さんの書いていることから例を挙げれば川を下るにしてもしっかりとしたプロから講習を受けて、しっかりルールの中で遊ばないといけない…ということがまかり通っている事実が間違っているというものだ。そんなものは川のことを多少知識として持っていれば、その中で個人が自由に遊べばいいと思っている野田さんからすれば、カヌーという遊びのくくりは窮屈なのだろうな…と、昔から野田さんの著書を読んで思っていた僕には実際に会ってその話を聞くのは事実確認のような要素があった。
また後者は、僕自身ブログにも過去に書いたが、西表島に来るお客さんの例を見ても昔に比べて体力がない、もしくは人任せなお客さんが増えていることからも認識できることだ。野田さん自身も各地で行われる「川ガキ養成塾」のようなイベントで多くの子供たちやその親御さんたちを見ているので実感していることなのだろう。
「あんまり、ハードなツアーはさせなくていいんだよ」
野田さんの口からそんなことが出てきたのは多少驚いた。でも、それは実感として出てきた素直な意見なのだと思う。
僕ら、カヤッカーの間やアウトドア愛好家の間で野田知佑の著作で何が一番好きか?という話題が出ると一番はアラスカやカナダの荒野を流れる大河を下る著書が上位を占める。
「北極海へ」「ユーコン漂流」「ゆらゆらユーコン」
確かに僕も好きだ。日本の川を下りながら、その人工物のありように罵詈雑言をぶつける野田さんが、かの地では全くの愚痴を書かず、己の生き方とはどうあるべきか?というようなことを書いている。日本の自然でも満足している僕らが、それを嘆いている野田さんが絶賛している場所に行ったらどんな感動が待っているのか!?考えるだけでも武者震いが起き、俺も行きたいっ!俺も全身全霊をかけて自然と真向勝負したい!! …と、願っていた時代もあった。
だが、僕は野田さんの本の素晴らしいところは里山や日本の昔ながらの自然の描写にあるのだと思う。そしてあまり取沙汰はされないが、魚獲りが大好きであるという描写にこそ、僕は惹かれるのである。
「昭和30年代の大歩危小歩危に潜ったことがあってね。そりゃーきれいだったよ」
「アマゴが群れになって目の前を泳いでさ。川底には鯉が群れでいるんだよ。二ゴイじゃなくマゴイだぞ!?」
「透明度が凄くてなー、あんなすばらしいところはなかったよ。僕はそこでアマゴを突いて一週間潜っていたよ。はっはっは。」
本で読んではいたが、野田さんから直接話を聞くと、実際にそのイメージが頭の中に流れ込んでくるようだ。よく会う人にすれば、しょっちゅうその話をするのでウンザリしているようだけど…(笑)でも昔の長良川や琵琶湖で潜った話などを聞くのは僕にはたまらないものがあった。ニュージーランドではえ縄をして60㎝近いニジマスを何匹も獲った話や、長良川でサツキマスを銛で突くなんて、今じゃまず無理な話だ。
カヌーやカヤックの話だとウンザリしたような顔をして話す野田さんだったが、こと話が魚獲りの話になると、打って変わって饒舌になり、トロンとなった目で雑魚党の人たちの凄さを語り、自分の経験談を語った。
野田さんはただ、川遊びが好きな人なのだ。カヌーはあくまで手段でしかない。ただの移動手段だ。だから別に野田さんがカヤッカーとして優れているとかいないとか、僕はどうでもいいと思う。職業も作家だし。勘違いしてはいけないのは、野田さんのスタイルがカヌーの正しいスタイルではないということだ。あれは野田流なのである。そのリスクがわかる人達が真似すべきスタイルなのだ。
僕自身、海遊びが好きなだけの人間です。カヤックはあくまで海を移動するための手段だと思っているし、カヤックにこだわるのは滑稽とすら思う。ただ、僕は作家ではなくカヤックガイドなのでそれなりのシーカヤックの技術が求められる。それは認識しているつもりだ。ただ、根本的なところは野田さんと一緒だ。
僕は海が知りたい。海や川、湖、水辺環境すべて含めて知りたいと思うし、楽しみたいと思っている。そしてその楽しむ技術、方法。手段を伝える仕事をしようとしている。
その認識を、僕のカヌーの原点である野田さんと話すことで再認識した次第である。
ちなみに僕が野田さんの著書で一番好きなのは、「新・放浪記」。これは青春ド真中に読んだ譲れない人生の教科書なので万人に好まれるものではないのかもしれない。
もう一つあげるとすれば…。
悩むな。
野田知佑氏を知らない世代がアウトドアをする時代。
日本のアウトドアも変わりつつあるのではないでしょうか?
でも野田さんの本は、読んでもらいたい。
僕も野田さんのこれから書くものを読みたいと思う。
徳島、ちょっと愛媛旅行
少し前になりますが、西表島を離れておりました。
4月9日から13日まで、四国は徳島に行ってきました。
目的は、徳島の日和佐にいる野田知佑さんのお宅に行くことだったのですが、もう一つは前々から気になっていたお二人に会うことでした。
吉野川の支流、穴吹川で「TRIP」という、川旅と水遊びのショップを開いている牛尾さん夫婦と一緒に遊ぶことが第二の目的でした。
野田さんのお宅でお二人と合流し、その日は野田さんを交えてどこかでキャンプしようと考えていたのですが、急遽野田さんが大阪に行くこととなり、3時間ほどお話をした後、牛尾さん夫婦と三人で日和佐の海岸で焚火、キャンプとしゃれ込みました(野田さんとのお話の話はまた今度)。
牛尾さんと最初に出会ったのは第5次の瀬戸内カヤック横断隊の時。当時まだ牛尾さんたちは独立はしていませんでしたが、吉野川のラフティングガイドで、魚突きをするということで話が合い、あまりお会いする機会はなかったのですが気になる存在ではありました。
翌朝はそんなわけで二人で海へ。
しかし春の海は濁っているし魚影が乏しい・・・。
牛尾さんが一匹魚を突き、僕は魚を突かずに生えていたアラメを3枚ほど拝借しあがりました。
せっかくの合同潜りだったのにお互いイイとこなし・・・。次は焚火で魚焼いて食いたいですね。
「じゃ、帰りますか~」
日和佐を出て徳島を北上、途中徳島の誇れる名川、吉野川に突き当たると牛尾さんの提案で第十堰の取り壊し反対運動に使われた「お堰の家」に遊びに行くことに。
ここはもともとNPO法人吉野川みんなの会が中心になって作った吉野川の資料館で、宿泊も可能。
現在は「川塾」を主宰する塩崎さん夫婦が住み込んでおり、お茶をしながらおしゃべり。
これがずるずるといつまでも話し込んでしまい、気づいたら夕方。
「ご飯食べていきませんか?」
「ん~、そうしますか(笑)」
僕も牛尾さんたちもかな~りゆるいので、結局夕飯どころか宿泊までさせてもらいました・・・!
炉辺があって最高でした。
牛尾さんの突いた魚の刺身と、アラメの海藻サラダ、僕の持ってきたイノシシの肉、途中参加した地元農家のホープ、通称おでん君(リリーフランキー参照)が持ってきた鶏肉を焼き、思いのほか豪勢な夕食となりました。
夜遅く、奥さんが仕事からご帰宅。やぶ遅く、そして急に来て宿泊させてもらい、ありがとうございました・・・。
川塾
その次の日は特に予定も決まっていなく、東京に帰るつもりだったのだが車の中で愛媛にいる楠さんたちの話をしていたら
「ちょっと、行ってみますか?」
という、提案を受けた。
「行ってみますか~!」
なんだこのノリ・・・。このゆるさ。牛尾さん、なかなか僕と相性いいですw
この日は牛尾さん宅に泊まり、翌日愛媛に行ってその足で僕は深夜バスで帰ることに決まった。
穴吹川のほとりにある牛尾さん宅兼「trip」のベースはまさに桜が満開。
青く澄んだ河原と四国一の水質を誇る穴吹川をバックに、ひらひらと散る桜の花はかなり素晴らしい光景だ。雨が降っていたのは残念だが、それもまたよし!牛尾さん、花実企画を出した方がいいですよ~ホント!
そして翌日、高速ぶっとばして四国横断!
愛媛、松山にある老舗アウトドアショップ「コンパス」に遊びに行く。
ここには瀬戸内カヤック横断隊で一緒に漕いでいる楠さんと篠原さんがいる。
ランチを一緒に食べて今年の横断隊の話などを聞き、その後はショップに行ってブツブツと言いながら商品を物色、なかなか掘り出し物もあって思いのほか、買い物してしまいました(笑)
アウトドアーズ コンパス
松山からの帰り、
どうせここまで来たのだから・・・と、有名な道後温泉をあくまで見学に行った。
なかなか撮らないという夫婦の写真を撮ってあげた(上の写真はスナップですよ)。
兵庫出身の瀬戸内育ちの健さんと、地元徳島出身の愛子さん。アウトドアガイドが元都会出身者が多いのに対して、この二人の生い立ちは面白い。
ラフティングというホワイトウォーターのガイドだったのにもかかわらず、川旅や魚釣り、水遊びを楽しむギャップ。簡素にして優雅な生活をしている姿は羨ましい限りの夫婦だと思う。
徳島に行った際は、是非この二人の川旅に参加してみてはどうでしょうか?
Trip
http://www.trip-yoshinogawa.com/
3.23
3月に入り、沖縄西表島も夏のような日差しが照りつけるようになりました。
今日は26℃まで気温は上がり、午後からは風もなくて蒸し暑く、日陰に入っても安心できないようなそんな天気でした。
ところがこれを書いている今は、北風が強く、雨も降っています。
8時過ぎでしょうか、風がやんでいたと思ったら、急に風が吹き出し雨がドサドサっという感じで降ってきて、急いで洗濯物をしまった次第です。
「ニンガチカジマーイ」
旧暦の2月は低気圧が突然発生して風がいきなり回ることがあることから、沖縄ではこの時期をそう呼ぶそうで、海人もこの時期の天気は読みにくく、海に行くのをためらうといいます。
実際のところ、厳密には明日が浜下りなので今日は旧暦で言えば3月なのですが、人間の暦などあまり関係なく天気は変わります。今日はまさにそんな「ニンガチカジマーイ」な日でした。
そして、そんな風が回った瞬間、「あ、今日はあの日だ・・・」と、思い出したのでした。
2005年3月23日。
この日は沖縄の、いや、日本のシーカヤック業界全体に衝撃を与えた日です。
西表島のシーカヤックガイドがお客2名とともに行方不明になってしまった事故が起きた日です。あの日もこんな、急に風が回り、強風が吹き荒れた日だったといいます。
この事故はその後、沖縄カヤックガイド協会の立ち上げのきっかけになったり、日本中のカヤッカーがその検討、安全管理、危機管理を考える機会を与えました。
しかしそれ以上に、僕には痛烈に記憶に残る出来事であり、今現在、シーカヤックというものを生業にしようと決めた出来事でもあります。それはこのシーカヤックガイドが僕の仕事の先輩であり、シーカヤックの可能性を教えてくれた本郷雅則氏だったからです。
あれから今年で7年目。
シーカヤック業界も多少変わり、西表島の観光やガイド業者も変わり、僕も変わりました。
ただの事故なのかもしれません。
ガイド業をやりにくくさせただけなのかもしれません。
カヤックは危ないものだと思わせただけなのかもしれません。
そんなことはどうでもいい。
僕にはただ、好きな先輩が一人いなくなったという寂しさと、カヤックガイドという仕事のあり方を考える機会を与えたものでした。
危険だからやらない。
怖いから避ける。
シーカヤックは金にならない。
海はリスクがデカすぎる。マングローブの中なら安全だ。
そうじゃないでしょ。
僕は海が好きだ。
凪いでいる海はもちろん安心できるし、平和で楽しい。
でもそれと相反する時化たときの海も嫌いではない。
全部含めて「海」だし、海で生きることを考えればそれらすべてを受け止めて、その中で生きる方法を知ることが必要なのだ。僕らシーカヤックガイドという職業はそれを理解して実践する者たちだと思っている。
しばらく陸の仕事に就いていましたが、来週から海の仕事に復帰です。
本郷さんの事故が無駄にならないように、精進していきたいです。
2000 MASANORI HONGO AT ARAGUSUKU ISLAND
裏話って奴ですね
以前に告知した小学館のBE-PAL1月号が12月10日に発売されました。
◆小学館 BE-PAL
雑魚党ニュース5ページぶんすべて使った、なかなかパンチのある企画になったようで、こちらとしてもだいぶ嬉しはずかし、一番貧乏で、一番遊べるガイドならではの仕事だったと思います(笑)
今回のコーディネイトで、一番焦ったのがカヤックを使った絵を撮ること。
野田党首(なんか現日本の首相みたいですが・・・)の撮影可能日が少なく、先方が予定していた日付が生憎、僕の働いているショップ「南風見ぱぴよん」が満員御礼でカヤックを使えない状況にありました。
そこで、僕のお願いを聞いてくれたのが、頼るべき先輩、「シーカヤックツアー海月」の金田さんでした。
雑誌では紹介されてませんが、南風見ぱぴよん出身の頼れるガイドです。
◆シーカヤックツアー海月
http://www10.ocn.ne.jp/~umitsuki/
イザリのシーンで登場するおばぁ。
本当に偶然、立ち寄った食堂で良い味を出してお話ししてくれて、僕よりも雑魚党の人たちが大喜び。
西表島の人なら御存知、上原にある波止場食堂のオバァです。
一人で切り盛りしているので、大勢で行く時はちょっとピークが過ぎたあたりが良いと思います。
オバァが獲ったタコ、カーナ、旬のパインなどがオーダーしたもの以外に「勝手に」出てきます(笑)
もちろん、おばぁが海に行っている時はやってません。
雑魚党が今回泊まったのは西部、船浦にある「民宿マリウド」
◆民宿マリウド
http://www2.ocn.ne.jp/~mariud/
今回の取材を担当した藤原書生が勝手に選んだのですが、それは彼が西表島に遊びに来た際、泊まっていたのがこの民宿が経営する「ミトレアキャンプ場」だったからなのでしたが、偶然にもここのオーナーと僕は知り合いだったのでした。取材中は僕も泊まらせていただきました。ここだけの話、西部の民宿に泊まったのは今更ながら初めてでした・・・!
写真は野田さんに叱咤される藤原書生の図
今回、色々な場所でロケをしましたが、彼らが来る3日前からロケハンを繰り返していた僕にとって、最も報われたのはターポン釣りでした。のべ竿でフライフィッシングの憧れである対象のターポン(正確には西表島のは標準和名イセゴイ。英名はインド・パシフィックターポン。大西洋のアトランティックターポンとは近似種)をまさかの魚肉ソーセージで釣るというのが雑魚党らしいと勝手に思い描いていたので、釣らせることができたのは嬉しかったです。シーカヤックガイドですが、釣りのガイドってこんな心境なのでしょうか?
他にも雑魚党にやってもらいたい釣りはあったのですが、それはまた次回ということになりました。
マングローブ釣りのロケも、昔、陸ッパリからマングローブ釣りをやっていた頃の経験が生かされました。人生、何が役に立つかわかりませんね(笑)
写真は紙面にも使われている夏丸さんが釣ったオキフエダイを撮影しているところを横から撮ったもの。
ウルトラライトのルアー竿でスプーンやスピナーで釣るマングローブフィッシングも楽しいですが、のべ竿でチンを釣るのは、あの「ギューンッ!」って、感じが堪りませんでした!
今回の仕事は友人である藤原書生がまわしてくれました(相当ぶっちゃけな話ですが)。
彼は何年か前のspear fishing japan cupで優勝してしまい、それ以来ちょっと調子に乗ってしまいましたが実力は確かです。投網の腕も相当あります。ある意味、僕の投網の先生であります。とにかく魚を中心とした生き物を獲ることがめっぽう好きな男でありますが、これでも生粋のアウトドア雑誌編集者、業界人です。
彼のように本当に遊べる人がアウトドア雑誌を書いて、情報を発信してくれればアウトドア業界も盛り上がり、面白い世の中になるんじゃないでしょうか?・・・と、とりあえず仕事をくれたお礼に褒めてみました(笑)
◎
今回の取材とは直接関係ありませんが、ちょうどこのロケをやっている最中にある映画のロケも西表島の東部を中心に行われ始めていました。
僕は島を出ていたので直接見てはいませんが、有名俳優達が近所のレストラン&バーに立ち寄っていたようです・・・悔しい。
西表島の自然がどう表れているかはわかりませんが、来年夏に公開予定らしいです。是非ご覧になって西表島自然を知ってもらいたいものです
◆映画「ぱいかじ南海作戦」
楽しいは楽ではない
毎年、有志で行われる瀬戸内カヤック横断隊。
お気付きの方もいるかもしれませんが、今期は来年の2月に延期ということになりその時には参加できない僕は、ぽっかり予定のあいたこの一週間の数日を使って個人的に瀬戸内海を漕ぐことにしました。
他にも2月に参加できない、もしくは2月も参加するけど今回も漕ぐ…という人達がいて、彼らも瀬戸内遊撃隊としてバラバラにチームを組んで瀬戸内海各地を漕ぐことになりました。
僕は今回、なるべく瀬戸内横断隊では漕がないであろう瀬戸内海海域をやりたかったので、当初は小豆島から祝島の先、周南方面までかつて原さんがやったコースを一人でやろうと思っていたのですが挫折…。日程的にも色々予定が入ってきたので(沖縄から送ったカヤックがなかなか届かなかったということもあるが…)、広島から広島湾内を縦断して周防大島まででて、そこから祝島を経由して光市の虹が浜海水浴場まで行くことにしました。
今回のログをまとめるとこんな感じ(※風力は体感です)
◆11月15日
天気 :晴れ 風 :北東6m/s
15:30 広島県前空駅前から出発
16:00 大鳥居前
17:15 厳島鷹ノ巣浦 キャンプ
◆11月16日
天気 :晴れ 風 :北 2~3m/s ほぼ無風
8:30 厳島鷹ノ巣浦 出発
10:20 江田島 是長 買い出し
11:10 江田島 大矢鼻
12:05 長島 休憩
13:45 保高島
15:30 鞍掛島
15:50 頭島 キャンプ
◆11月17日
天気 :晴れ のち 曇り 風 :北東 4~7m/s
7:35 頭島 出発
8:30 周防大島 大崎鼻通過
9:35 周防大島 長浦近くの島
10:20 大畠瀬戸手前 偵察
10:50 大畠瀬戸 通過
11:15 小松港 買い出し 休憩
13:40 黒崎鼻
13:45 スナメリと遭遇
14:20 上関瀬戸通過
15:10
15:50 佐合島 キャンプ
◆11月18日
天気 :雨 風 :北東→東→東南 6~10m/s
7:45 佐合島 出発
8:25 馬島
8:40 梶取岬 光市へ
9:05 象鼻ヶ岬へ横断開始
9:40 杵崎
9:55 フィッシングパーク光
10:30 武田薬品工業沖
10:55 虹ヶ浜海水浴場 到着
10月中旬に沖縄の慶良間から本島に向かって漕いだものの、一か月もすると体はすぐに戻ってしまうようで初日は小手調べだったので問題なし。2日目はかなりしんどくて、3日目は筋肉痛。最後の4日目は天候が荒れたものの、体はパドリングにだいぶ馴染んだ感じでした。
天候が悪化することが途中でわかったので、自分の漕ぐペースと、風向き、潮を考えると祝島経由はキツイと思い、長島には渡らずに上関瀬戸を通過して佐合島へ向かいました。
結果的にだいぶ余裕を持って最終目的地に到着できましたが、ちょっと思ったよりも漕げないなと思ったのが本音です。
瀬戸内横断隊では皆でペースを合わせているので、自分でガシガシ漕いだらどのくらいのペースで漕げるのかと思っていたのですが、潮や風を考えるとやはりどんなに頑張っても7~8時間で40kmそこそこ…というのがこの時期の、瀬戸内海のペースみたいです。
このツーリング?遠征?のレポートはこちらブログか、もしくはホームページのログブックに書くと思います。
年内には仕上げたいので是非読んでみてください。
今回の題名は漕いでいる時に思ったもの。楽しいって、けして楽じゃないんですよ。遊びって、本気でやると、けっこう辛いですよね。そんな感じでした、今回。
世の中にはこんな大会もある
ひっさしぶりに参加しました、魚突きの祭典!
◆Spearfishing Japan Cup 2011
2011年 11月5日
毎年、この時期になると伊豆諸島で行われるこの大会ですが、今年ははじまって8年目にして初の中止!!
風はそうでもないのですが、大会開催地に大きなうねりが入っており、できない訳ではないけど、大会として行うにはちょっと…という微妙なライン。大会主催者の英断によって、今回はこういう形になりました。
上の写真は海を見て溜息をつく人達。
最初に参加したのは6年前の2005年、第二回大会でした。
初期のころから大会主催者と交友があった為に色々と話は聞いていましたが、開催当時はすぐに終結するとか、主催者の変更などもあり、ごたごたしつつももう8年も続いている訳です。これはひとえに主催者、参加者の魚突きに対する情熱あってのことでしょう。
役場、都の水産課、現地漁協との話し合いなど、魚突きという表に出しにくい題材。ギリギリのラインでの開催ではあるとは思うけど、やるのか、やらないのか。やってしまう行動力、そしてその情熱。批判的な意見は聞くものの、けしてそういう人は本人たちとは討論しようとしない。僕はこの団体のエネルギーを感じていたいと思っています。
今回、あんまり写真を撮っていないので大会の様子はこのブログからは感じとれないと思います…。
基本、大会はなかったので皆、体力が有り余っていたために四六時中、飲んでました(笑)
でもその内容が濃い!
純粋に楽しい!!
海が好き、魚が好き。それのどこが悪いのだ!
そんな性質の悪い、変な人達と絡むのは悪い気はしませんでした(笑)
場所はどうなるかわかりませんが、来年も開催されることを祈ります
行きの船の中で。女の子二人に挟まれて鼻の下を伸ばしている僕をニヤニヤしながら眺める男たち・・・。
BE-PAL
本日発売した小学館のアウトドア雑誌、BE-PAL12月号に、先月行ったフェザークラフトミーティングでロケをした、まぁ間接的ではありますが仲村さんのたき火の模様が載っています。
BE-PAL 12月号
◆
BE-PALといえば、先月終わり、この雑誌に連載されている雑魚党の人達が西表島にやってきて、いろいろふんづかまえては食べる…というロケをしていきました。
そのメンバーにはなんとあの野田知佑さんもいらっしゃいました。
上の写真はロケ後、ひとり砂浜でハーモニカを吹く野田さん。バラスの浜に打ち寄せる波がキャラキャラと鳴き、その音の中ハーモニカの優しい音が夕暮れ時にとけこんでいました。
さすが。絵になる人です。
今回、僕は現地コーディネイトという大役を抜擢され、島じゅう駆け回っていました。
この模様は来月、12月10日発売のBE-PAL1月号に載るようなので、西表島が気になる方、是非お手にとってみてください。
◆
ロケ終了後、漁労長と書生が遅い夏休みを過ごして行きました(ほとんど仕事の残りをやることだったけど)。
書生は嫁さんと息子も来ていたので前半は彼らと遊び、後半は漁労長と遊んでいました。
釣りしたり、ガサガサしたり、ヤマネコの足跡追ったり、クワガタ探したり…。
西表島の生き物が普通に感じてしまっている僕らからすれば、やたら生き物に詳しくて、ひたすら探し回って遊んでいる人と行動を共にするのは、島に来たばかりの頃の、忘れてしまった感動を思い出すきっかけになりました。奥山英冶さん、オモシロいにぃにぃです。
日本野生生物研究所
http://nihonyaseiseibutuken.blog123.fc2.com/
仲村さん
今回のfeathercraftミーティング、一つの大きな収穫があった。
それは沖縄カヤックセンター、仲村忠明氏と一緒に漕ぐ事が出来たということだ。
仲村さんは僕にとってシーカヤックを始めたころから憧れつづけた人の一人だ。20年近く前に沖縄で「エコマリン沖縄」を始めたことからわかるように、沖縄という南国で北方民族の作った舟を用い、ツアーを行い始めた一人である。僕の師匠でもある南風見ぱぴよんの山元さんも最初は仲村さんのもとにシーカヤックを学びに来たという。
山と渓谷社「OUTDOOR」、ネコパブリッシング「OUTDOOR EQUIPMENT」、小学館「BE-PAL」、そして仲村さん、堀田さんなどが中心となって編集発行した「海風」。
これらの雑誌を読みあさっていたカヤック習いたての頃の僕は、南国でのカヤック旅のあり方を登場する仲村さんのスタイルに見ていたような気がする。
しかし実際に一緒に漕ぐ機会はなかなか巡り会えなかった。
2006年の浜比嘉島でのfeathercraftミーティングで初めて面と向かって会ったものの、それほど交友関係が強くなることはなく、名前も覚えてもらえなかった。
2009年、ニュージーランドから帰ってきて若狭湾で行われたfeathercraftミーティングで再びお会いする機会を得たが、その後関東での館山で行われたミーティングの後、ひょんなことから一緒に酒を飲む機会を得て、そこで深くお話しすることができた。
それから沖縄に寄ることがあると那覇の仲村さんの家に遊びに行くことが多くなり、うちのオーナーの山元さんとの間もあり、交友を持つことができるようになっていた。それでも、仲村さんのツアーに同行するような機会には巡り会えなかった。
今回、沖縄で開催するというので軽い気持ちで参加するにいたったのだが、その後有志で慶良間から本島まで漕ぐということを聞いて、よく考えると仲村さんのツアーを垣間見る機会を得たということで途中から妙に気持ちが高ぶっていた。
新谷暁生さんが気になって北海道まで行って知床を漕いだ。内田正洋さんが気になって瀬戸内横断隊に参加した。そして今回、仲村さんと漕ぐ事が出来た。
仲村さんは天然だ。ひょこひょこした雰囲気、すっとぼけた感じ。だけどそんな緩そうなオーラとは別に鋭利な刃物のような気概を垣間見る。それはズドンと背中に走る、しっかりとした筋があるのだと思う。譲れない何かを持った人だ。その気概と雰囲気のギャップがたまらなく魅力的なのだと思う。
何より、海のこと、カヤッカーとしての生き方を含めたシーカヤックの魅力を一番知っている、純粋に伝えたいと思っている人だと思う。
沖縄カヤックセンターは来年から息子のタカノリ君と仲村さんとで再びカヤックビジネスに力を入れていくようだ。
そのスタイル、シーカヤックに対する考え方、海の捉え方はさすがとしか言いようがない。思わずもっとそばにいて学びたいという気持ちにもなってしまう。
昔の僕ならともかく、でも今は僕にも考えがある。あくまで参考にするしかないが、でも、仲村さんと漕げたことは僕にとってとても重要な事だった。
仲村さんをはじめ、今回のミーティングに(バケーション)スタッフとして呼んでくれた大瀬さん、その他多くの先輩たちに感謝します。
◆沖縄カヤックセンター http://www.qajaqcentre.com/