賜る旅 ~その参 横断隊出発前~ | DriftWoodBeach

賜る旅 ~その参 横断隊出発前~


 ◎ダイドック オーシャンカヤックス 

  http://daiduk.sunnyday.jp/


11月12日。

福岡博多のバスターミナルから高速バスに乗って山口県徳山を目指す。

徳山に昼ごろ着き、櫛ヶ浜にいるダイドック原さんに電話をする。


原さんは現在のショップとは別に新居を平生町の佐賀にかまえたのでどちらにいるか聞いてみたのだ。

どうやらまだ櫛ヶ浜にいるということで電車で伺おうかと思っていたら迎えに来てくれるという。


駅の前で待っているとほどなくして息子の海醒とともにやってきた。


そもそも今回の旅は例年参加している「瀬戸内カヤック横断隊」に参加するのが第一の目的で、横断隊の出発地である祝島に行く前に色々行っておこうと思ったのが発端だ。

今年は祝島に行く前に佐合島で個人的にキャンプをしてから単身カヤックを漕いで祝島に行こうと思っていたので、佐合島に近い原さんの新居にお邪魔する予定だった。

ここからカヤックを組み立てて13日には出発しようと思っていた。ところが会って話をしていると送ったはずのカヤックがまだ届いていないというのだ・・・!

電話で追跡確認したがどうも答えがあやふやで、直接営業所に行って聞いてもらうとやはり船便なのでどこにあるのか正確には答えられないという返事が返ってきた・・・。ともかくどうも佐合島でキャンプ計画は流れそうだ。あとからカヤックは発見され、14日の昼ごろ、ダイドックに届くことがわかった。やれやれ。けっきょく原さんと共にゆっくりと出発までの時間をつぶすことになった。



2006年5月。

山口県油谷で行われたシーカヤッカーのためのイベント、「シーカヤックアカデミー」に僕は参加した。理由はその前年に参加した「知床EXPEDITION」の新谷暁生さんが参加すると聞いたからだ。前々から興味はあったがこれといったキッカケがなく、二の足を踏んでいたのだがここぞとばかりにいい機会だと、行くことにした。


なんとも辺鄙なところで、知り合いも誰もいない中、一人参加した僕はただひたすら孤独感に苛まれながらの参加だったが、このイベントのおかげで何点かいい出会いもあった。前回登場したサザンワークスの松本さんや、今でこそお世話になりまくっているグランストリーム大瀬さんと出会ったのもこの時が初めてだった。しかし何と言っても一番の出会いは「瀬戸内カヤック横断隊」という存在を知ったことだ。

海洋ジャーナリスト内田正洋さんが講義をし、それに参加した隊員たちがいろいろと横槍を入れるというものだったが、この横断隊が妙に気になった。


7日間で約300㎞の距離の瀬戸内海を原則無補給でチームを作って横断する。

参加するまでメンバーはわからない。離脱も途中参加も自由。潮流の影響を色濃く受ける日本有数の内海。


この年の夏に僕は香川県小豆島で「島風(しまかじ)」というショップでガイドをすることになるのだが、そのガイド経験もあって瀬戸内海というものが後々とても大きなイメージを創っていくことになる。

アカデミーに参加している時は先ほど話した通り周りに知り合いもいなく、何となく話を聞いてばかりいる状態だったのだが、この時ばかりは質問をしてみたく話しかけたのが、地元山口のカヤックガイド、原康司さんだった。原さんはインドネシアで真珠養殖の仕事をしながらカヤックを漕ぎ、周辺の島々の漂海民と交流をしていたというエピソードが気になっていたこともある。



2006年5月。シーカヤックアカデミー油谷で講義する内田正洋氏。


この縁があってか、2007年の第5次に参加するためにメールのやり取りを原さんと行い、なんとか参加にこぎつけた。ほとんど知り合いもいない当時の横断隊によくもまぁ参加したもんだと今も思う・・・。何せその原さんすらあまり知らない仲だったのに。


第5次横断隊は僕が参加した横断隊の中でもかなりハードで、かなり男臭いパートだったと思う。ペースも速いし、海況もシビアだった。でも初参加で初完漕、なにより祝島までゴールすることができた。ハルさんは男泣きし、高橋さんは2回目の完漕で納得し新たな仕事を見つけ、村上さんはスズキを拾った。そして僕は調子に乗って大酒を飲んだ。

横断隊が終わった後、山口組に紛れて徳山の原さんの実家に行き、一緒に焼肉を食べ、原さんの家で内田さんの高校時代の後輩であり、漕ぐ植木職人ユウジさんと遅くまで語らい、あまりに遅くまで飲んでいたので家主(原さん)に怒られた。そのくらい僕はこの横断隊にのめりこんでしまっていた。

そして原さんという人物に勝手な兄貴像を持ってしまった。




2007年。第5次横断隊終了後。ダイドックショップ前にて

原さんといえば、こんな映像がある。

http://www.youtube.com/watch?v=3NC_Eehj0UA

これほど実力があり、大それた遠征を行っているのに今まで知らなかったのが嘘みたいだが、実際カヤックの実力は並みならぬものがある。

個人的な遠征を繰り返しているために自分勝手な人なのかと思えば、自分のことよりもまずまわりのことを考えて行動するような人柄がある。

冒険家がよくあるように酒を飲むと非常に達が悪い部分もあるけど・・・。毎回横断隊に参加するたび、たまにしか会わないのに旧友の様に気を留めてくれて色々と世話をしていただいている。


上関長島の先端にある田ノ浦に建設予定である上関原発に反対する中心人物でもあり、中国電力からは4800万円の損害賠償請求をうける、所謂「上関原発SLAPP訴訟」を受けた一人でもある。

http://kaminoseki-genpatsu-slapp.jimdo.com/4800%E4%B8%87%E5%86%86%E6%90%8D%E5%AE%B3%E8%B3%A0%E5%84%9F%E8%A3%81%E5%88%A4/


今でこそ福島第一原発事故の影響で建設計画も一時中断しており、社会的にも新規の原発をつくることに関して不信感を持つ人間は多いが、田ノ浦の対岸、沖合約2㎞にある祝島の人々はこれを30年近く反対している(ちなみに横断隊は常に祝島をゴール、もしくはスタートにしている)。

瀬戸内海を漕いでいるカヤッカーとしてその海を守るのは当然のことであり、祝島の人々の反対運動を後押しする気になるのも当然とばかりに原さんは行動している。それが僕にはとても冒険的なことだと思うし、自分の意思を揺るがせない発言や行動は目が離せない。


第10次を区切りに、内田さんは隊長の座を降り、今年の11次からはこの原さんが隊長をやることになっていた。これは誰にも異論のない当然のことだ。

内田さんには悪いのですが、原さんが隊長になることで横断隊もまた今までとは違った動きを見せる感じになり僕は個人的にかなりワクワクする形になっていた。そんな原さんとこの11次横断隊、初日から行動を共にしていろいろどんな感じに隊が進行していくのか興味深かった点もある。


西表島のガイドである僕が瀬戸内海のガイドやカヤッカーが集まる「瀬戸内カヤック横断隊」に参加するのはどういう理由があるのか?それはいろいろあるのだが、兎にも角にもこのように原さんのような類まれなるカヤッカー、興味深く面白い人物と漕げるというのも楽しみの一つでもあるのだ。



と、ところがだ・・・


なんと原さん・・・


横断隊3週間前に事故って大怪我。なんと初回から不参加決定!!


だ、大丈夫なのか今回の横断隊・・・!!!


結局今回は「村上水軍商会」の村上さんが隊長ということで行われることに。

原さん自体は当初は命すら危ない状況ではあったがいたって元気であり、ただ後遺症が若干残っていて首に巻いたコルセットが痛々しかった。



息子の海醒と遊んだり、佐賀の家でゴロゴロしたりしていたら舟も無事届き、佐賀の家を出発地に選んだ横断隊員たちもボチボチと集結してきた。

原さんは周防大島までは車でサポートにまわってきてくれるらしい。


非常に残念なことだったが、今後のことを考えて安静を願うのみだった。


11月15日。

何人かと僕らはカヤックを漕ぎ、佐賀から祝島を目指した。

昨年はバジャウトリップのホームページのコラム欄で大きくまとめて書きましたが今回は横断隊の模様をこちらのブログから発信していきたいと思います。もちろんノルマのレポートも書きますので横断隊隊士の皆さん、横槍はおやめくださいw



本来、乗るはずだった新艇ウォーターフィールド:シメスタを前にして。原さん新居にて