ナチュラル ハイ!④
5月25日。
ナチュラルハイ最終日。
この日はそれほど聞きたいトークショウも少なかったので仲間と焚火周りでだらだらすごすことをメインに考えていた。
だけど、これだけは…!というトークショウがあった。
それがこの日のみ参加する角幡唯介氏の話である。
◎角幡 唯介
NH紹介文:http://naturalhigh.jp/stage/kakuhata
ブログ(ホトケの顔も三度まで):http://blog.goo.ne.jp/bazoooka
なんというか、ベタな言い方をすれば僕はこの人のファンなのです。
有名な著書に「空白の5マイル」というのがあるのだが、この本があまりにも久々に僕の中でヒットした本だったもので、色々な賞を受賞もしているけどそんなの関係なくこの人のファンになったのだ。
「空白の五マイル」
ブログもくだらないことが面白く書いてあり、時に真面目な考察などもあってついチェックしてしまう。
まわりくどい文章の構成なども何となく自分に似ていて好感が持てる。
勝手に「気が合う人」という印象を持ってしまっていた(こういうの、一番危ないのだが)。
◆
最初は角幡さんと前出の服部さん、そして北極男として有名な荻野泰永さんの対談。司会進行役は小学館BE-PALの編集長、大澤竜二さんという豪華メンバーによる「探検・冒険の身の上話」みたいなものだった。
昨日までが田舎暮らしのロハスでもエコでもない新しい暮らし方…みたいな話だったのが、ここにきてアウトドアガテン系のガッツリ硬派な男のロマン話になり、この切り替えが意外なまでにがっちりハマった。まだまだ僕もカヤック担いで世界を旅したいのだなと安堵にも近い確認をし、最前線で遠征を繰り返す人たちの危機管理や資金調達、出発するまでの経緯、遠征するために嫁さんをどうするか…などが聞けたのは「なるほどね」という感じだった。
お約束なテーマになるが「探検とは何か!?」という話が中心にあり、地理的探検をする時代が終わった中でなぜ俺たちは探検をするのか?という自虐的な内容にもとれる対談は、なかなか各個人の探検に対する考え方がわかって面白かった。
「自分にとって魔界だと思う場所を旅することが探検だ」
現在、厳冬期の日が差さない北極圏をグリーンランドからカナダまで歩いて行こうとしている角幡さんにとって、日の差さない北極圏こそ、魔界なのだと語り、確かにそれは多くの人が知らず、地元のイヌイットの人たちもしない世界らしく、確かに魔界なのだろう。
探検という言葉の意味合いは過去のものと違ってきているかもしれないし、だからこそ探検という言葉が陳腐に感じてしまうのかもしれないけど、それにあえて今も取り組んでいるという角幡さんはやはり個人的にはヒーローに近い存在だ。
僕が角幡さんを好きなのはもう一つ大きな理由がある。
それは「書く」ということだ。
対談の最後で質問コーナーがあり、何人か質問を4人にしていたのだが、ここぞとばかりに僕も質問をした。
それが、表現者として文章を書いたり写真を撮って発表して遠征資金の足しにもしているが、その探検をやりたくて仕方なく書いているのか、それとも書くことが目的になってしまい、それほど自分がやりたくもない探検をしてしまうのか。書くことか、やることか、どちらが大切か?…と、いうような質問をした。
何故かというと、人によっては自分のやったことを何にも発表せず、自己完結している人もいて、それこそが純粋な行為であるという思想がある。その一方で何でもかんでも書いたりしてマスコミに取りざたされてタレントのような扱いを受けている人もいる。
服部文祥さんなんかも最初のころはバラエティー番組などにもよく出ていたし、やったことを文章に書くことによって自己表現をしているのだが、しゃしゃり出ることを気に入らないと思う人たちも多くいるわけで(やってることもやってることだし…)ネット上で誹謗中傷をやたらと受けてテレビに出るのは止めるようになったそうだ。
荻野さんも著書などがあるが、逆にこれといって表には出ずにひたすら北極に情熱を傾けているような気がする。
角幡さんは肩書に探検家とあるが、もう一つノンフィクション作家というものがある。
自分の中の謎を自分で体験して解決し、それを文章に起こして発表する探検家…というとこだろうか。
僕は10年前から自分のカヤック旅の模様をネットで誤字脱字の迷惑も顧みず発表してきた。
自分が体験したこと、考えたことを書くことによって自分の中で反芻することができるし、それを読んでそのフィールドの情報として役立ててもらっても良いし、体験を共有してもらっても面白と思うし、色々な意見をもらいたいという願望もあった。
皆がやっていることを自分も体験してみて「面白かったです」みたいな感想文のようなものもネット上には多くあるが、それなどは必要ない人には読まなければイイだけの話だ。しかしあまり情報がないようなこと、誰もやっていないようなことをやった人間はそれを公の場で発表するべきだと僕は思うわけで、それによって後続が続いて行く気がする。
「やってみればわかるから」とカヤックを説明してもその面白さはまったく伝わらず、ある程度の体験を提供することで「やってみようかな」という気分になると思う。
僕の質問に対し、「書くことが目的でもありますから、書くことも出かけることも、僕には大切なことです」と、ややムキになった感じで応えた角幡さんに僕は内心、にやりとほくそ笑んだ。
書くという行為は人によっては売名行為と思われたり、冒険や探検に対して純粋ではないということを言う輩がたまにいる。僕はそれが許せない。すげえことをやってる奴はいっぱいいる。だけどそれを誰かに発表しなければもっとすげえことを後輩はできないのではないか?自分が初めてやったことだと思っていたら、実はもっと前の人間がやったことのある行為だったら…?単純にそれは悔しいと思わないだろうか?
だから僕は「書く」ということを職業とし、それで得た資金のみで遠征に出る。ただし自分の興味のあることしかやらないという角幡さんのスタイルは、昔僕が描いていた最高の生き方だと思うので、書くということを強調した角幡さんのその言葉が嬉しかったのだ。
やはり面白いひとだ。
残念なのはその後、角幡さん単独での今回の遠征スライドショーを見た後に少し話をさせてもらったのだが、こっちはあちらのことを良く知っているが、あちらはこっちを全く知らないという状況でうまく話ができるはずもなく(できる人はできるんだろうけど)、なんだかよくわからないまま挨拶をしてえらく恥ずかしくなってしまい、無意味に後悔したのが印象的だった。
角幡さんの文章、巧みで面白いです。読んだことない人は是非。
◆
そうこうしているうちに時間となり、仲間も撤収を初めていそいそとキャンプ場を離れることとなった。
初めてのフェスで一回も音楽ステージを見ずに終わり、買い物も砥石のみ…というかなり一般の人たちとは違うすごし方をしたのですが、まぁこれはこれでよかったかなと。
仲間との再開や、ここには書いていない出会いなどもあって、よきイベントでした。
来年はどうするかね~。
ナチュラル ハイ!③
今回のフェス、「ナチュラルハイ」に参加する動機になったのが、「ヨホ研」のテンダーさんと、前出のサバイバル登山家、服部文祥さん、そして狩猟女子として最近よく見る畠山千春さんの出演だった。
この組み合わせは明らかに「狩猟」「とって食べる」「命」「田舎に生きる」ことを連想させた。
このメンバーを呼んだ企画側の興味の矛先が顕著に表れているが、僕自身もそのことにはかなり興味を傾けているので抵抗なく「これは行ったら何か面白いことがあるかもな」と思ったのだ。
実際にフェスに参加してみると、出演者の熱いトークとは裏腹に、参加者のほとんどがそれほど彼らの話に耳を傾けているとは思わなかった。
やはりそこはフェス。仲間とキャンプしながらたまに音楽聞きに行って遊んで帰る。そんなノリで来ている人たちがほとんどで、トークショウの出演者を目当てに来たというのはあまりいなかった印象を受けた。
ただ…。話を聞いていた人たちは出演者のその先鋭的(かどうかは知らんが表現としては新しい)な話にかなり興味を持って聞き入っていたように思う。
韮塚さんのブースで砥石を買った後、服部さんと畠山さん、そして司会進行役といった形でジャーナリストの佐々木俊尚さんの3人の対談、スライドショーが行われて狩猟をするということに関しての話が行われた。
◎畠山千春
http://chiharuh.jp/
◎佐々木俊尚
http://www.pressa.jp/aboutme.html
3.11以降、エネルギー、食糧、衣類、医療、住居、土地、流通など生きる為に必要なこと、最低限のライフライン、インフラなどに興味を持つ人、もしくは考え直させることが多くなっている気がする。その「なんかこのままでいいのか?」という考え方を真っ先に考えて行動し、発表してきた人たちが今回出演してくれている方がただと思う。ただ、イベントである以上メジャーでなくてはならない(人が集まらない)から表現者である人たちが壇上に上がりお話をする形になっている。
命の大切さとか、殺さなければ食べられないとか、そういうことは僕もブログでよく書いているし話がややこしい方に流れるのでここでは僕の考えや彼ら彼女らの考え方に触れませんが、何はともあれ服部さんも畠山さんも、後述に出るテンダーさんも、いやはやネット上では罵詈雑言書かれ、ブログは炎上し、大変なことを経験している。
しかしそれはネット上での表現者の宿命なのだと思う。
僕は今回、対談を聞いただけで畠山さんと直接お話をすることはなかったのだけど、印象としては「普通の女の子だな」というものだった。ブログ等でも自分の顔を良く出しているし女性らしい、かわいらしい感じで「狩猟女子」を演出しているから、まー鼻につく人にはたまらないのだろうな…と思う。一時期の「山ガール」を「けっ!」と言っていた人種と同じだろう。
サバイバル登山を始めた初期の頃の服部さんも同じだけど、それまで考えてもいなかったことに気付いて、「じゃ、やってみるか」という決断を下し、その行程を記録、発表しているのが彼らであり、あくまで「素人の挑戦」から始まっていると思うのだ。そりゃ多少は過程の中で知識がつくから一般的な人に比べれば専門的な話も多くなるだろうけど、どうしてもまだまだ青臭いところもあるはず。見栄もあるし功名心もあると思う。そういう人たちが色々な発見や失敗をすることで、彼らや彼女らと等身大の人たちが共感していくのであって、面白いと思うのだけど、どうだろうか?
そんな狩猟話が終わると、今度は別のステージにてテンダーさんのトークが始まった。
◎テンダー
ヨホ研2.0 http://yohoho.jp/
企画者の友人一押しの人物がこのテンダーさん。
まー最初はどんな人なのかよくわからなかったし、自称ヒッピーということで若者のヒッピーという人種にあまり好感を持つ事がなかった僕には窺いの眼差しで話を聞いていたのですが、今回のトークイベントで「この人すげぇや」と思ったのはこの人でした。
経歴はこんな感じ↓
http://yohoho.jp/about-tender
とにかく話が上手い。非常に人を引き込む話し方をする人だなと思ったし、展開がスムーズ、無駄がない。
この後、他の人との対談などもあるのだけど自己主張の強い人たちの中で自分を殺してスムーズに話を運ぶ感じが「やるなこの人」的なオーラを醸し出していた。しかし何より、やってることもこの人が一番すごいような気がする。
話の中で一番記憶に残ったのが、「この先、人口が減っていくということは空き家が増えるということ。だったら新しい家など建てずに古くて安い家を借りていた方がいい」ということ。年間数十万も払って家を借りているならいっそのことローンで買った方が良いと言われる中で、田舎に行けばかなり大きな家が格安で借りることができる時代になっている。将来はどうなるかわからないけど現時点ではそうなのだから、田舎に住みたい人は今がチャンスであるという指摘。住宅事情の厳しい島はともかく、地方の山間部やインフラの整っていない海岸部の集落などは確かにそうかもな…と思う。
何より、利便性や経済性ではなく、「限りがある、底が見えてきた資源をなるべく使わずに生きる為にはどうすればいいか?」という考え方にはいたく感動した。
それなりにやっていることもむちゃくちゃなのだけど(道路でひかれた生き物を食べるとか。ま、それがもとで炎上したらしいが)、それを強要しようとはせず、一つのアイデアとして提供、発表しているところも大人だなと思う。
この夜の「焚火バー」でトーク出演者の多くが集まってみんなで焚火を囲んで話をする(聞く)というものもそうだったけど、今回のナチュラルハイで繰り広げられたトークは基本的に都会的なアウトドアーというよりは、水や燃料(薪など)が確保できる田舎に住む、自分の目のとどく範囲で食料を調達して生活する、そんな中で文明的な生活をするにはインターネットがかなり活躍している…というような話が中心だったような気がするし、企画運営側のそういう意図が読み取れた。
参加している人たちはもちろん都会に住んでいる人がほとんどで、出演者の多くは田舎に住みながら話していることをそのまま実践している。でももとは都会の中で過ごしてきた人たちだ。
僕自身の話をすれば西表島という秘境と呼ばれる島に移住し、魚を自分で採ってイノシシの狩猟もし、観光客相手にカヤックのガイドをして現金を得ている、まさにそんな田舎暮らしをしている元都会っ子である。
しかし実際島に住み、地元の人たちと話をしてリスペクトしてくると、もはやそれが当たり前になってしまい逆に何をいまさらそんなことを騒いでいるのだ?という気持ちにもなる。
その一方で田舎出身の後輩と話をしていると「それでもやっぱ都会の便利さは良いですよ」ということがこういう人達の話を聞いていても出てくるので、スタンスの違い、スタートの違いによる思考の変化の流れはやはり様々だなとも思う。
事実、これだけ自然環境が失われ、福島原発事故で現地の凄惨さが表に出てきているにもかかわらず未だに原発を推進して新たに作ろうとしている地域の人たちもいるし、バブル時代のような公共工事やリゾート施設の開発を推進している地域もある。
「アウトドアー」という遊びを通して都会の人間も自然というものに触れることができる。
過去の投稿で僕は「アウトドアをする人間は野良犬みたいなものだ」と書いたことがある。
「狼と野良犬」:http://ameblo.jp/driftwoodbeech/entry-10426962578.html
簡単に書くと、自然の中で遊んでいても所詮は犬。犬は狼(天然、自然)にはなれない…といったことで、アウトドアをやっているというのは自然の中の生活に憧れているだけでけして本当の自然の中では生きていけないという意味のことを書いた。
しかしアウトドアという遊びを通して、人間は思考が変わり、生活サイクルが変わってくる。先鋭的なアウトドア業界の人たちはやはり決まって都会を離れ、自然の中で生活することが比較的容易な田舎に拠点を移していっている。ネット社会になり、ネットが繋がっている場所であれば世界のどこにいてもできる仕事を持つことで都会の情報を得つつも田舎の生活ができる。
職業のやりがいを優先する、金銭を獲得する喜びではなく、「生きる」こと、単純に生活が楽しくなるライフスタイルにシフトしてきているような気もする。
都会や郊外で工場生産されたパソコンを使い、宅配システムの恩恵を受けなければできないような生活はむしろ危険だし、結局文明の恩恵を受けているに過ぎないという、自然崇拝原理主義的な考え方は置いておいて、とりあえずはそういう生活で新しい価値観が生まれるんじゃないかと思う。
釣りが流行ったり、「獲ったど~」が流行ったり、山登りが流行るというのは、「まだまだ自然のことはよくわからないけど、何となく自然の中に身をおいてみたい、おきたい」という流れなんだと思う。
一時的な流行でそれを行う人もいるだろうけど、アウトドアフィールドってそんなにつまらないものじゃないでしょ?
必ず何かしらの感動があるはずだから、ぜひともそのまま続けてその先の何かを感じ取ってほしいと思う。
ガイドという仕事をしていても、やりがいはそこにある気がする。
変なことを考えている人たちがいて、それに興味がある人達がどのくらいいるのか?
そんなことがわかっただけでも今回のフェスに参加した甲斐はあったと思う。
ナチュラルハイレポート、もうちょっと続きます。
ナチュラル ハイ!②
5月24日。
ナチュラルハイ初日。
関東にいた時の海仲間(アウトドア仲間)が着々と集まりだし、タープのあるベースを中心にテントを張りだした。
僕は萌木色の新緑の森に差し込む木洩れ日の美しさにいきなりやられ、ふかふかの苔の絨毯にアラスカのレインフォレスト、ニュージーランドのフィヨルドを思い出して久しぶりの寒冷地の自然の美しさに酔ってしまった。
「いやいや、ヒノキの植林だからここ」
友人が突っ込んできて確かにそうなのだが、常緑照葉樹の森の島に住んでいる僕にはたまらない感慨があったのだ。
そんなわけでフラフラと写真撮影をしていたら皆がイベントに顔を出しに行く時間となっていた。
初日、午前中最初に向かったのは何といってもこの人。
◎韮塚 順一
http://naturalhigh.jp/stage/nirazuka_jyunichi
正直、日本のアウトドアの創成期にフライフィッシングを始め、ニュージーランドと日本を行き来する生活をしていたという現代でも羨ましい生活をすでにしていた人とは知らず、ただ何となく「庖丁を研ぐのが上手い人」というふれ込みだけを頼りにベースを伺った。向かうと既に包丁と砥石を何本か購入していた当バジャウトリップのオープン時の写真撮影も手伝っていただいた焚火料理の達人、健康さんがすでにがっぷりといい場所を陣取っている。
◎海でごはん。海のごはん。
http://www8.ocn.ne.jp/~hayama/index.htm
とてもにこやかな韮塚さん。
購入してもらった包丁と砥石でその場で包丁の優しい研ぎ方を教えていただいた。
何しろ韮塚さんが取り扱っているのは京都でのみ採掘できた(現在は採れないらしい)、天然の砥石。値段は物や質にもよるのですがピンきりで、数百円の物から高級なものは数十万円するものまで!何故こんなに高いのかというと、良質のものであることは当然、先ほども書いたとおり採掘が現在できないのでこのような値段になってしまうらしい。
細かい包丁の研ぎの技術に関してはここでは書けませんが(笑)、色々な道具の工夫、技術の詳細は非常に興味深かった。
これでも東京の飲食店で板前の手伝いをしていた僕、そこそこの包丁の知識はありました。でも料理人の話しか聞けず、砥石のことや研ぎ方、または鍛冶の行程のことなどはほとんど素人です。行商で包丁研ぎをしている、そしてライターという表現者でもある韮塚さんの説明は非常にわかりやすくためになりました。
一通りお客さんが去った後、いよいよ僕の番となり狙っていた砥石を購入。
しかし自前の包丁を持ってきたというと、その包丁をおもむろに持つと韮塚さんは様々な砥石を選んで研いでくれました。
刃物の鉄はその刃物によって硬さに個性があり、それにあった石を使うのがやはり良いそうで、僕の選んだ砥石が結局のところ一番よかったのでそれを購入する運びになりました。
ところが
「んー、ちっとこれじゃ可哀そうだな~」
僕の包丁(正夫)はモノはかなりいいのですが、それまでの研ぎ(砥石)があまりにも酷すぎたようで細かい刃こぼれが多く、研いだときの筋がひどく残り、本来の能力を発揮できていないという指摘をいただいてしまいました・・・。
いや…離島に住んでるもので…砥石があまり良いのがなくて…
そんな言い訳もむなしく空回り。
普段、刃物について熱く語ってはいてもなまくらにしていた自分の醜態がとても恥ずかしく感じてしまいました。
「じゃー、これもつけてやるからさ、しっかり磨きなよ」
「せっかく西表なんて遠くから来たのにさ、こんくらいイイ事でもなかったら面白くねぇだろ?」
そういって中研ぎ用の砥石を一本つけてくれ、安く売ってくれました。
「関東にいる時さ、刃物研ぎを知っていればもう少しストレスなく過ごせたのにな」
刃物を研ぐとき、物凄い集中できます。僕も受験勉強の時、学生時代のレポートで行き詰った時、庖丁やナイフを研いで気分転換していました。だから韮塚さんの言葉はとても理解できました。
なんだかとても久しぶりに、自分に素直になって話ができるおじさんと会った気がしました。
話は少し後になりますが、翌日、四角大輔さんと韮塚さんとの対談も面白かったです。
日本のフライフィッシング創成期の時代にフライをはじめ、フライロッドビルダーでもある韮塚さんは「無いものは自分で作る」人です。輸入製品のフライ用具しかない時代に日本の渓流に合うフライ用具を製作してきた韮塚さんは道具の必要性と、不必要性を判断できる人だと思うし、在来の物に頼らず創意工夫をして実用性のあるものを生み出す想像力と技術があります。
本来のアウトドアの楽しみとは文明にとらわれないところから野生の中で生きる為に必要な物を作る楽しみもあるのだと思います。そういう意味ではアウトドアという文化はアウトドアを「創る」人達にのみ、理解できる遊びなのかも知れないとも思いました。
便利な道具を買ってから野外に行くのではなく、野外の中で必要な物を創っていく。
その道具を販売して商売(経済活動)になってしまったのが現代のアウトドア業界で、その中にいては本当のアウトドアマンにはなれないんじゃないか・・・とも気づかされました。
刃物というのは物作りにとってとても欠かせない道具です。
料理にしろ、家にしろ、家具にしろ、何にしろ。
その刃物を大切にすることから何かが始まるような気がした韮塚さんとの出会いでした。
ナチュラル ハイ!①
5月23日から28日まで、西表島を離れて関東に行っていました。
主な理由は以下のイベントに参加するためでした。
◎EARTH DAY CAMP Natural High !
友人が企画運営を手伝っており、トークとワークショップの出演者がヤバいから来い!…と言う誘いを受け、どれどれ誰が参加するのかな?と思って見てみたら、確かにマニアックだがドンピシャで僕好みの人選で、こりゃ行くしかないと「尻軽女」ならぬ「足軽男」として行ってまいりました。
こういう時、格安航空券があると西表島から内地に行くのも安くて助かりますね(とか言いつつ、今回はマイルで行きましたが・・・)。
羽田空港に夕方に到着し、そこから一緒に行くメンバーと合流してイベントの行われる山梨県の道志の森へ車で向かいます。
いたって普通の行程ではあるのですが、ここでいきなり企画運営をしている友人からドッキリというか、とんでもないミッションが。なんと出演者の一人、サバイバル登山家の服部文祥さんを一緒にピックアップしてこいとの指令。
「それでいいのか、主催者側!」
と思いつつも、僕らからすればじっくりと服部さんとお話ししながらキャンプ場まで行けるので、これは最高の展開となったのでした。
服部さんはサバイバル登山家として著書も多く、各バラエティー番組などにも出ているので説明はいらないかもしれませんが、以下にリンクしておきます。
◎服部文祥
NH紹介文 http://naturalhigh.jp/stage/hattori
情熱大陸(Youtube) https://www.youtube.com/watch?v=-UzIUhu3KKQ&feature=related
僕は服部さんの「サバイバル登山家」を読んで「これなら俺もできる!」とかなり影響、触発されて2007年に八重山諸島をカヤックで一周した際、できるだけ現場で魚などを獲って食料にすることを心がけてやってみたことがある。いわゆる「米味噌ツーリング」なのだが、結局僕は酒の誘惑に負けてしまった・・・というエピソードがある。
狩猟や採集、漁労が好きで、アウトドアスポーツをする僕にとって、それを同時に行う服部さんは非常に興味深い存在の人だった。だが狩猟をして山も好きという人はたくさんいる。服部さんはそれを細かく著書に文章として書き連ねているのがまた素晴らしいのだ。
初期のころの服部さんの釣りの技術の未熟さや鹿を打ちながら山に登るという一見無駄な行為は、それだけの行為自体は人の失笑をかうようなことでも、「なぜそこに至るのか?」ということが書かれていることで、行為自体の理由、理屈ではなく服部文祥という人物の思考の変化、技術の向上が最初から最後まで本を読むことで読み取れて面白いのだ。
だからけして「面白いことしている」「変わったことをしている」「こんな大物を獲っている」という自慢がしたくて本を書いているのではないと思う(本人はそういう時期もあったと言っていたけど)。
で、実際のところどんな人物でどんなこと考えているんだろ?ということが興味あったので、そんなことをいろいろと話しながら行けたのは最高だった。あまりにも時間が足りず、都内から2時間ちょっとで道志の森に着いた頃には「もっと遠いキャンプ場にしておけ!」と、思ってしまったほどだ。
キャンプ場に着くと、もうそれでも深夜なのでテントを立て、服部さんは仕事に取り組み始めた。
僕らは先発隊と合流し、隣にいたスエーデン人3人組とビール飲みながらお話しして寝ることに。
まぁこうして僕の「初めてのフェス」が始まったのですが、だらだらあったことを書いてもツマラナイので、次からは印象的だった人物との出会いと、全体的な流れを書いて終わりにしたいと思います。
それにしても久しぶりの萌木色の落葉広葉樹の森を歩きました。
こういうのは西表島にはないので、じつに素晴らしく感じてしまい、独りパシャパシャと写真を撮っていました。今回の写真はそんな感じで撮った写真です。このキャンプ場、素晴らしいです。
◎道志の森キャンプ場
GW終了~
いつの間にかまたブログ更新を怠っている自分がいる・・・!
僕らカヤックガイドには忙しいゴールデンウィークが終わりました。
西表島に来てくださった皆さんはもちろん、皆さん今回のゴールデンウィークも楽しみましたか?
バジャウトリップもおかげさまで多くのお客様が来てくださいました。
GWダイジェストです!
GW前半はワンデイツアー。あいにくの天気でしたが時折晴れ間も出て、ある意味カヤッキング日和でしたね。漕げるお客様2名をタンデムに乗せてガイドしたので、グイグイ進んでいろんなところに行くことができました。
デイツアーが終わると今度はキャンプツアーが続きました。
4月最後の二日間はご夫婦でキャンプ。普段山登りが趣味ということでアウトドアにはなれたもの。
初日は風が強くてほとんど漕がなくてもキャンプサイトについてしまいましたが、2日目は前日の時化が嘘のような凪!舟浮湾を漕ぎまくって遊びました。カヤックを漕ぐのも息があって、上達も早かったですね。夕陽も見れて最高のキャンプでした。
キャンプツアー、お次は男だけの2泊3日!
昨年の夏に参加してくれたMさんが先輩を連れてきてくれました。天候も比較的安定している3日間でちょっと遠出してみました。
初日は何とも平和な凪。暑くもなく寒くもない非常に気持ち良い気候でした。
・・・が、昼から小雨がぱらついてきました。
タープを張ってその下でまったり。結局翌日の朝まで雨は降り続けましたが、大型タープの下で雨音を聞きながらまったり過ごすの・・・僕は好きなんですよね~。
朝は珈琲の匂いと共に起きる。
今の時期はテッポウユリが至る所に咲いています。
午前中はカヤックで移動して岬をまわり、マングローブの中に入り、寄り道しながら次のキャンプサイトへ。
みるみる潮が引いてしばらくしたらサンゴが丸出しになるくらい。タイドプールのイソギンチャクも干上がり気味でカクレクマノミも緊急避難!?
海岸を探索してみると漂流ゴミがわんさかあるのが目につきます。ゴミはゴミでもこういう風にテーブルになったり椅子になったり、意外にキャンプでは使えます。海乞食といわれる所以・・・。
3日目は帰路につくだけ。
ひたすら漕いでゴールを目指します。それでも距離にしたらわずか。行きはかなり寄り道してきましたからね。急ぎ足といっても、やはりそこからの景色は最高ですよ。西表島、すごいところいっぱいです。
そして最後はカヤックから飛び込んでのシュノーケリング。
さすがにまだ水温が低いので3人ウエットスーツを着て泳ぎましたが、透明度が高くてきれいだったな~。
海の中もさすがです!
そしてゴールデンウィーク後半、最後のキャンプは初日はまさかの晴れ間がさしました。
イダの浜に着いた頃には最高の天気。まさにシュノーケリング日和になってウハウハです。冷えた体に温かい汁そばを食べて温めます。これがまた美味い!自分で言うのもなんですが、うちのそばは美味いですよ!?
この日の夜、予報で翌朝に前線が通過することがわかり、お客さんともどもちょっと緊張した空気になりました。テントを移動して風の影響をあまり受けない場所にして、タープテントを低く張り、翌日は天気が回復するまで耐える作戦に出ました。そんな中、まさかのイリオモテヤマネコに遭遇!
こんなに逃げない物だとは思いませんでした・・・!
まさにラッキーではあったけど、何となく出来過ぎてて不安もよぎります。
案の定、翌朝天気予報を見るとこりゃ想定外。急いで知り合いの船を呼んで今回はそれで緊急撤収することにしました。
ドシャ降りの雨の中、テントを畳んで船に乗った時は間一髪感があって皆で一安心。色んなことがあってかなりの非日常感を味わってもらえました。
そんなこんなで八重山地方は梅雨入り宣言され、ゴールデンウィークは終了しました。
梅雨の影響を受ける、また風も吹くことが多いゴールデンウィークですが、蒸し暑くないので汗をかくこともなく、でも日がさせば常夏気分が味わえ、ある意味キャンプには良い時期かな?とも思います。
ゴールデンウィークかお盆、正月くらいしか長期休暇が取れない方!この時期の西表島、けっこうおススメですよ!?
ちなみにキャンプツアーをこの時期にやるの、他のショップではあまりないでしょうね(苦笑)
KAYAKとSUP ~個人的見解~
すでに10年ほど前から存在したSUP(Stand Up Paddle boarding)がここ最近注目されている。すでに人気があるといった方がいいかもしれないが西表島も軒並みSUPのガイドサービスが現れ、2013年12月にはレース大会のイベントまで行われるようになった。
◎SUPA 日本スタンドアップパドルボード協会 http://supa-japan.org/
◎IRIOMOTE SUP Festival 2013 http://isf.festivalexpress.net/
僕自身は関東にいたころすでに葉山などで先鋭的な人たちがSUPで沖に出てシイラなどを釣っていたことも知っていたし、海上を仙人のように立って移動するSUPは興味を引いていたが実際にやったのはつい最近のことだ。
最初に乗ったのは屋久島で、たまたま試乗会がありそれに便乗させてもらった。安房川の静かな渓谷をカヤックとは違う目線で眺めるのはとても新鮮で透明度が高いところほど宙に浮いているような独特な感覚を味わえる。西表島のマングローブ林内やベタ凪のサンゴ礁では良いだろうなと思った。静水面での試乗のみでは飽き足らず、本来のSUPの使用目的である波乗りにもトライしたが、通常のサーフィンとテイクオフのタイミングが違うのか皆悪戦苦闘していて、これはこれで実に面白そうだなと思った。
その後、西表島でツアーに参加してくれたお客さんがツアー終了後にインフレータブルのSUPを持ってきていたので乗せてもらう機会ができた。夕まずめのいい時間帯、マルマビーチで乗ってみたが、レース用の不安定なものであったにもかかわらず、やはりこいつは面白いなと思った。特にウレタン製ではなくインフレータブル(空気注入式)で持ち運ぶことが容易なことが興味を引いた。自分なりの遊び方がホイホイ浮かんできて久しぶりの物欲が湧いてきた。
さらにその後、別のお客さんがSUPをやってみたいというので西表島でSUPをやっているショップを紹介したのだが、せっかくなので僕自身も参加させてもらうことにした(その日の自分の別のお客さんにドタキャンされてしまい、西部まで行った用がなくなってしまったという理由もあったのだが)。
最初はカヤック屋で初対面の同業者ということもあり警戒された節も無きにしもあらずだったが、SUPを漕ぎながら話をしていくうちに、なかなか面白いことになってきそうな予感がしてきた。そして西表島でSUPガイドサービスをするうえでの話など聞いて、なるほどとSUPに対する理解が深まった。
ちょっとこれはまず、本格的にやってみようと意志が固まり11月に内地に帰った際、僕がカヤックを買ったショップがパドルスポーツ全般を扱っているためそこでインフレータブルSUPを試乗、購入へと進んだのだった。まずは一枚自分のために購入し、いろいろやってみようと思ったのだ。インフレータブルを買ったのも、まさに自分なりの使い方に関係がある。
何故今ここでSUPなのか?カヤックで十分ではないのか?サーフィンもろくにやらないのに何でSUPなのだ?お前も仕事としてやるのか?色々とSUPを買った理由を聞かれるのだけど、まぁ色々と理由はあります。でも一つあげるとすれば、それはSUPが現れたことによって僕はよりカヤックの存在意義を少し冷静になって考えてみたいと思った。同じ水面を漕いで移動する遊び、カヤックとSUPだが、SUPを知れば知るほどカヤックと同じことができ、同時にカヤックにはない長所が見受けられるようになった。
あまりにもSUPのポテンシャルが高いと思ったのだ。
カヤック関係者とSUPの話をすると、あまり喰いつきは良くない。一時的な流行だとか初心者には立って漕ぐのは大変じゃないかとか、安全面が不安だとか、いろいろ言われる。冬のアクティビティーとして最高だとか謳われているものの、それこそカヤックの方が向いているし、そういう意味で今やり始めている人は流行に乗っているだけなのかな?とも思うこともある。弱点もよくわかる。
でもSUPのあの軽さと携帯性は重いカヤックを上げ下ろしして運んでヒーヒー言っている僕にはうらやましいし、Stand up paddleだからと言って無理して立たなくても座って漕げばいいとも思う。マングローブ林などの浅くて細い水路を行くのならば、SUPはなかなか素晴らしい道具だ。何より水面から立ち上がった目線で眼下のサンゴやマングローブを眺めるのは陸上にいる時と同じ目線で安心できると思うのだ。あれはカヤックにはない面白さだ。
漕げるか漕げないかの各個人の漕力は置いておいて、SUPの潜在能力はかなり高い。
正直これまでリクリエーションカヤックなどで行っていた商業ツアーならSUPで十分可能なのではと思える。防水バックを使用すれば少々の荷物でも持ち運びできる。濡れるのが嫌だという人もいるだろうが西表島の水質と水温なら慣れてしまえば問題ない。安全面もライフセーバーのレスキューボードと同じようなものだからこれからレスキュー技術の向上とその普及活動が広がればかなり解決できる問題だと思う。かなりノビシロの広い遊びじゃないだろうか?
そもそもSUPは立ったままパドリングすることで波に乗りやすく、小さな波でもパドル操作でテクニカルな遊びができるサーフィンの中で生まれたもので、サーファーの遊びなのだ。サーファーからすれば波に乗るばかりでなく、さらに水上を移動してツーリングもできるのだから新鮮さも加わり楽しいに決まっている。その水面移動もアイランドホッピングや島一周など本格的な漕行、ツーリング、遠征を行う人も出てきて、もはやカヤックはのっそりとした時代遅れのようなものにも思えてしまう。
「では何故カヤックなのか?」
それを考えることが多くなってきた。それにはまず人の話や噂ではなく、自らSUPで遊んでみて、どの様なものかを体験的に理解する必要が出てきた。もちろんSUP自体を楽しむ目的もあるけれど、そうすることでやはりカヤックの利点と必要性が掴めてくると思う。
今のところ僕の結論だと、カヤックはやはり「旅」をするものだ、ということである。
ただ水面の上を移動する手段としてならば、むしろ何でもいいのである。SUPでもカヌーでもカヤックでもスワンボートでもボートでも。それぞれの面白さがある。マリンスポーツであるSUPは漕ぐことを純粋に楽しんでいるように思える(サーフィンはもちろん、ダウンリバーや釣りする人もいるけど)。もちろんカヤックもそういう面はあるのだが、あくまでそれは「パドリング」であって「カヤッキング」ではない。こういう楽しみはある一定の水域で短期間、短時間で楽しむことができる。レースがその典型だろう。
カヤッキングとは海のバックパッキング。生活道具一式をすべて舟に積載し、海を移動する、旅する楽しみ方はカヤックならではのものだと思う。点ではなく線の場所、天候、海況を味わうのだ。
カヤックは舟に多くの荷物を積載することができ、サーフィンするような砂浜にも静かな入江、浅い干潟にも、荒れた岩礁帯にも上陸できる。上陸できればビバークできるし、上陸できない航海でも改造すればカヤックの中で眠ることもできる。SUPでもできないことはないと思うが、そういう性能で言えばカヤックの方が優れている。
カヤックでは長距離・長時間の航海(移動)が「独立して」行うことができるのである。最小にして最高の性能を備えた船舶なのだ。カヤックがマリンスポーツのくくりに入らないのはそういうことだと思う。
カヤックも今では使用する手段によって専門的な用途に分かれている。カヤックフィッシングを行う人にはポリエチレンのシャープな形状のシットオントップカヤックが使われるし、レース目的のアスリートにはサーフスキー、サーフィンをカヤックでやるウェイブスキーというのもある。そして長距離ツーリング目的で使用されているのが通常のカヤック、シーカヤックを呼ばれているものだ。でも本来のツーリング目的に使われるのではなく、海の上を散歩する程度の使用で留まっていることが多い現状の使い方では手に余る道具であり、そこをより海や川、水に親しめるSUPの出現によって浮き彫りにされたのだと思う。
僕も含め、カヤックツアー会社がSUPの人気にビクビクしているのはそこが理由だろう。
やはりカヤックは海を旅するためにその存在意義があるのだなと思い、その楽しさと性能の凄さを再認識する次第である。そして仕事(ツアー)としてもそういう使い方をすることがカヤックガイドとしての務めだと思う。長距離ツーリングを主に行ってきた僕としてはカヤッカーとして、その立ち位置がはっきりしたものになった。
僕はカヤックガイドであり、カヤッカーなのである。
もちろん、カヤックの方がSUPより勝っているというわけではない。事実、僕は今SUPがひじょうに楽しい。初心者でも楽しめる一方、極めれば色々なことができるという意味ではポテンシャルの高い遊びだ。順序は逆だが、サーフィンを覚えればもっと面白いだろう。しかし仕事で使うほど僕はプロフェッショナルではないので、もしSUPをやってみたい方がいるのならば専門業者、詳しいカヤックショップを紹介します。
餅は餅屋。
そしてSUPは遊びとして楽しみ、やはり自分はカヤック屋としての分相応な仕事をやっていこうと思っております。
実際、色々な手段を通して同じ海を見ると新しいものが発見できますからね。手段にこだわらず、自分の面白いと思ったことをやっていく、やっていこうという仕事をしていきたいです。
第11次瀬戸内カヤック横断隊⑧
2013年11月22日
リーダー:碇
潮汐:与島 満潮0:40(264)13:53(305)
干潮7:17(45) 20:10(120)
天候:晴れ
メンバー:シングル21艇
最終日の朝は毎年早いものだ。この日も5時半ブリーフィング、6時には出発した。皆ヘッドランプやストロボライトを灯しての出艇だった。天気予報とリーダーの予想では安定した北西風が吹いて海はそれほど荒れることはないというものだったが出発時から風が強く、海はざわついていた。海を塞ぎ伏せるような雲の隙間から朝日が昇り光をさしはじめる。きれいではあるが、何か得体のしれないことが起こるような、そんな海況だった。
島渡りは最初から苦難を思わせた。チョッピーな波が立ち不規則でパドルが思うように水をキャッチできない。明らかに潮と風がぶつかっている。大飛島の南を通りそのまま真鍋島の南沖を通り抜けて佐柳島の南岸にとりつく。距離と時間を意識しているためか最短距離を攻めようとするがそれを潮と風が妨げる…といった感じである。休憩時間も3分と短い。
佐柳島南沖でアンの舟の浸水がひどく、潮と返し波でかなりチョッピーな中、平田さんとアンを筏にくみ、ビルジーで排水する。水を跳ね上げるパドリングのためかアンは何故か全身びしょ濡れになり、スプレースカートを2重にしているにもかかわらず水が入っている。一度彼女の体に合ったウェアーを新調して同じように漕いでみてほしい。最後までこの濡れて浸水する原因はわからなかった。
佐柳島南岸にゴロタ浜がありそこに上陸する指示があるが、風裏に漁港と浜があるというのでそこまで何とか移動する。ほんのちょっとだ。ちょっと移動するだけで地獄が天国に変わる。それが海だなと思う。この浜で少し休憩し、その後広島を目指す。風が南西になっており本線航路とかぶることもあって北に上がった方が良いという案が出ていたが結局広島への島渡りの際、風が弱まったことをいいことに南岸を行くことになる。最初はラフだったが、東側に回り込むと嘘のように静かになり、そのうえエディ(反流)に押されてかなり良いペースで進むことができるようになった。
ここまで26㎞をほぼ休憩なしで漕いできていた。かかった時間は6時間。疲労の色がみな隠せない。どう考えても今日中に小豆島に着くのは無理だろう。そんな中、リーダーは風裏での休憩もとらずに一気に本島まで向かうように指示を出した。
「やり過ぎだ!誰か止めろ!」
「隊全体が見えてない!!」
しびれをきかせた楠さんがそう叫んだ。後続者が大声で先頭を行く人たちを止めた。隊長の指示もあり、いったん広島東岸の浜にあがって休憩とこれからの予定を話し合うことになった。明らかにリーダーは先へ行くことばかりに気を取られていた。事実、自分が指定した女性二人のサブリーダーを振り切るように先頭を漕いで行く姿がそれを表していた。現時点での時間、場所、隊員の体力気力、撤収可能な場所までの距離、そういう物を考えると、もう僕らがとれる手段はほとんどなかった。この話し合いで僕らの目指す場所は小豆島から岡山県の渋川海岸へとなった。
目的地が変わると隊の雰囲気が少し和らいだような気がした。それまでは絶対に小豆島に行くという緊張感が隊を取り巻いていたが、それが解けたので皆ホッとしているように見えた。けして気が緩んだわけではない。やはり皆、無理をしている部分もあったのだろう。
その中でリーダーの碇さんと数名が海図をにらんだまま物思いに耽っていた。
碇さんは西表島でもかなり昔からガイドをしている、いわば僕からすれば先輩ガイドだ。その経験値は昨年、初参加にも関わらず余裕の漕ぎっぷりからもわかる。カヤックはもちろんサーフィン、ダイビング、その海の経験値は申し分ない人である。でも瀬戸内海は一筋縄ではいかない。そして通常のツアーの人数を越えるこのメンツでのカヤッキングは仕事とは違うものを求められる。もうこれはやってみた者にしかわからない経験だと思う。
行動食の昼食後再び出発。本島南岸に渡り岸沿いに東へと進む。ここまで来ると正面には常に瀬戸大橋が見えている。瀬戸内海のシンボルともいえるその壮大な人工物は自然海岸を見てきた僕らにはとても異質なものに思えるのだがそれでもこれだけ巨大で立派だと人間の技術の高さという物はとんでもないものなのだなと、感嘆せずにはいられない。
本島から瀬戸大橋のかかる与島までの間で本船航路を横切らなければならない。船はおらずこのまま行ってしまおうかという時に北から巨大な貨物船が見えてきた。
「こりゃー、一万トンクラスじゃないか!」
「いやー、これは8400トンってとこじゃないですかね~」
造船所で働いている人が何名かいるので会話もマニアックで具体的だ。でっかい橋とでっかい船を見ているとカヤックという舟の小ささが良くわかる。そしてこんな小さなカヤックでもすでに200㎞以上漕いできているのだ。同じ海に同時に浮かんでいるとなんとも不思議な感じで、印象的であった。
合図とともに航路(水島航路)を横断する。航路の横断は全員無事通過することができたのだが、潮止まりに来たはずなのにまだ潮は川のように橋脚周りを流れており、瀬戸大橋の下は轟々と唸り声をあげていた。流れを避けていくもの、突っ込んでいくもの、ロディオのようにカヤックを揺さぶられながらもここも無事通過し島陰で一息つくと、遥か向こうに小豆島の島影が見えた。寒霞渓も見える。
「あー、もう小豆島見えてるやん、帰りたかったな~」
小豆島の山本さんが愛郷にかられてつぶやいた。時間はすでに3時をまわり、見えてはいるものの今日中には到着できないことがわかると、さすがの僕もギュッと胸が締め付けられ悔しくなった。
目の前にラスタカラーのド派手な漁船が見えていた。いや、むしろ漁船とわかっていなかったら何の船かわからない異様さ。アナゴ漁師のビンテンさんのヤポネシア号だ。僕らが近づくとしばらく並走し、しばらくすると操縦室から出てホラ貝を吹いて僕らを見送ってくれた。ゴールで会おうと一足先に港に向かっていく。
海は釜の中の湯のように潮がうごめいていたが、波はなく風は穏やかに吹いていた。西日が差して瀬戸大橋をシルエットにカヤックを漕ぐ皆がまぶしかった。正面には製鉄所の煙突が並んでおり、その西隣に目的地の渋川海岸らしき場所が見えた。
「今年もこれで終わりか…」
完漕できなかったことよりもこの瀬戸内海横断隊という旅がもうすぐ終わってしまうという事実の方がさびしさを感じさせる。笑いあり、涙あり、良い出会い、面白い出来事、新しい発見、老若男女の仲間との生活。365日のうちのたった7日間ではあるがそのとても濃い7日間を共にしたメンバーとの旅が終わってしまう、この最後のパドリングが毎度のこと、たまらない。
「最後はビシッとかっこいい編隊を組んで上陸しよう!」
そう決めて渋川海岸が近づきはじめるとフォーメーションをあれこれと工夫し始めた。
ところがだ。広い砂浜のどこに誰がいるのかがわからない…!何より上陸地が不明瞭だった。あっちじゃないか、こっちじゃないか、今電話してみる、え?〇×さんいないの?そっちへ行くな!何で止まる!?風に流されてるぞー!!
結局浜の端の方に内田さんが来ていることがわかる頃には編隊はグズグズに崩れ、皆バラバラのタイミングで上陸するという、なんともグダグダなゴールとなった・・・。
「おーっ!おまえら、かっこいいぞ~!」
そんな僕らの気持ちとは裏腹に内田さんが陸から横断隊がやってくるのを初めて見たといい、夕日をバックに上陸する横断隊士達を感無量な感じでカメラを向けながら迎えてくれていた。僕自身もなんだかんだ思いつつ感慨にふけりながら初の未完漕ゴールを踏みしめると、内田さんがやって来てニコニコしながらこう言った。
「はっはーっ!ザマー見やがれ、完走できねーでやんの、アー面白れぇ~これぞ横断隊だの~」
さすがだ。まさに内田さんらしい、内田節を最後に聞いて不快になるどころか逆になんかやっと横断隊に必要な要素がそろい、終わりを迎えることができた気がした。
第11次瀬戸内カヤック横断隊、これにて終了である。
完漕してはいないものの、妙な達成感があった。皆で握手をし、ハグしあい、ありがとうを連発した。その中にあって自分はその達成感を味わえず傍観している内田さんが羨望のまなざしで僕らを見ている。ふふふ。
明日からもう仕事だったり、出張だったり、忙しいスケジュールを縫って参加している人たちは急いで撤収しこの日のうちに家に帰る人も多くいた。その中の一人が多くの人に今回のカヤックをレンタルしてくれた原田さんがいる。相方に頼んでトレーラーを運んできており、それにカヤックを積んで白石島に帰っていった。翌日から東京で離島関係のイベントがあるらしかった。
原田さんは横断隊において特別な人だ。多くの人たちが海に縁がなかったのにシーカヤックを始めて海に目覚めているのに対し、原田さんは瀬戸内の島に生まれ育った正真正銘の島人で、生活の中で船に乗り、遊びでウィンドサーフィンなどをしていた。カヤックも日本のシーカヤック創成期から始めており孫もいる年齢ではあるが、ほぼ毎年のように横断隊に参加している。ふつう、漁師や船乗りはエンジン船があるからワザワザ人力手漕ぎのカヤックなどやりたがらない人が多いのだが、原田さんは違う。カヤックの面白味、楽しさというものを一番理解している人の一人ではないかと思う。そんなわけで毎回、僕はカヤッカーではなく島人としての目線で海を見ている原田さんの話はとても興味深く聞かせてもらっている。今回もいろいろとお話ができて良かった。
◎民宿はらだ(原田 茂:笠岡諸島白石島) http://ww3.tiki.ne.jp/~harada-/public.html
この夜は内田さんも加わり碇リーダーの反省会となったのだが、横断隊が終わってみんな緊張の糸が切れたのか、カヤックに残ったツマミ、酒が大量に振る舞われ、ビンテンさんが特大アナゴの白焼きを作ってくれた。飯も食わずに飲んだせいか大いに盛り上がった。政治、経済、環境、東日本大震災、福島第一原発、上関原発予定、カヤック、冒険、安全対策、商業カヤックツアー、男と女、ちんぽ、うんこ…と、話は上から下まで森羅万象にわたり、酔いつぶれた人が現れ始めたところで勝手に皆寝始めた。
僕は何名かと隣接するホテルの温泉に行き久しぶりの湯船に浸かって(沖縄には湯船がないのでホントウに久しぶり!)史上最強に美味い黒ラベルを飲んでから眠った。
風呂に浸かったことで何かが体から抜けたような、すっきりとした気持ちになった。
横断隊の話、もう少し続きますが…いつアップするかは微妙です。
→続き、海旅塾ワークショップ編はまた!
第11次瀬戸内カヤック横断隊⑦
2013年11月21日
リーダー:連河
潮汐:鞘 満潮0:21(320)13:19(360)
干潮6:52(36) 19:30(128)
天候:晴れ
メンバー:シングル21艇
起きると風は止んでいた。天気も快晴。これ以上ないコンディションだ。今年は一時間早く出発する案が多く、この日もできるだけ距離を伸ばすために6時ブリーフィング、日も昇らぬうちに出発した。
大三島南岸を東へ漕いで行く。この辺りは風の通り道なのか小さな岬の先端など海も時折ラフな場所が現れる。
ちょうど潮止まりの時間帯に鼻栗瀬戸に到着。ここを越えてしまなみ海道を通過するようだ。瀬戸に入ると潮もそれほど流れてはおらず、山に囲まれて風はほとんどなくなった。隊は二列になって余裕の通過。伯方島大橋を越えてしばらくしてから伯方島にとりつき、北岸を東へ漕いで行く。よく見ると小さいがビバークできそうな浜もあるではないか。それも結構僕好みのこぢんまりとした、バックに森のある浜である。今後の為に頭に入れておく。第5次で利用した浜はあいにく確認することができなかった。
伯方島北端から今度は岩城島を目指す。この辺りは詳細な海図を見ると潮の流れが複雑に表示されている。複雑に流れが絡む潮の中でどのラインを通って進んでいくかでその後の体力、距離に差が生まれる。
ただし…だ。
「こっちの方が潮が良いですよ~」
リーダーと先頭集団のとるラインではなく、後方の人間が反流や別の流れをつかむ方が良いと知るとそちらにまわっていくことが今回よくあった。横の流れや明らかに対流に飲まれている状況なら指示するのは良いと思うが、結果的に合流して進んでいるわけだし逆に隊がバラける原因になっている気がして僕は「どうなのそれ?」と思っていた。
実際リーダーたちは先を急いでいるのか最短距離を選ぶことが多く流れを上手く使えていないことも後ろから見てあったけど、細かな自分勝手な行動が後々隊全体のまとまりを崩すことも考えられる(特にこういう場所では)ので、訂正を促す指示でない限りはリーダーの後について行く方が良いと思う。
岩城島と赤穂根島の間を通り抜け、その先の弓削佐島にとりつく。生名島と弓削佐島、弓削島との間ではちょうどフェリーが各港に着岸する時間帯とかぶってしまった。結構高速で港から出たり入ったりするフェリーにリーダーも胆を潰したことだろう。潮も流れていてなかなかの難所だった。
因島の造船所も見えてきて弓削島の神社のある浜に上陸してトイレ休憩。この辺で昼かと思っていたら一気に横島までの海峡横断になる。攻めるね~。確かに素晴らしいペースでここまで来ている。この流れを維持したい。
横島までの海峡、三原瀬戸も地味ながら潮が流れている。そして島々の間をすり抜けて吹き降ろす風も厄介だ。横島を目指すと百貫島の方へ行ってしまうというので当木島よりやや西側を狙って漕ぎ進む。ここでも横島に着くか着かないか…というところで風が強く吹きだしてきた。
12時20分、横島の横山海岸に到着。ゆっくりとはしていられないが村上隊長のおひざ元で昼食をとる。ここでも村上さんのお知り合いが解禁したばかりのボジョレーヌーボーを差入れに持ってきてくださった。今夜のビバーク地で皆でいただくことに。
約6時間で約34㎞漕いだことになる。残り半日でどこまで行くことができるか?多くの人が仙酔島を目立てていたが、この進撃で勢いに乗った僕らは翌日のことを考えて走島に行くことも考えていた。
横島から田島南岸を漕いでいたが阿伏兎観音がある阿伏兎瀬戸を渡る手前で隊長が「走島へ行くならそろそろ進路を変えた方が良い」ということを言ったのかどうか忘れてしまったけど、これで進路が直線で走島に向けられた。この約8㎞の海峡横断が長かった…。一気に午前中の疲れが出てきたのか黙々と皆漕いでいる。後続組だけがカラ元気にシリトリなどしていたが島が近づき定置網が現れ始めると海もだいぶラフになってきていた。大きく島を回り込む。漁船がこちらに気付いているのかいないのか、猛スピードで港に入っていく。村上さんの知り合いが船で差入れを持ってきてくれるというのでその漁船かと思って近づくのを待っていたらまったく違って、危うく轢き殺されそうになった…。
何がなくとも、エンジン船からは逃げようと思う。
金山鼻の手前にある唐船天女浜に無事到着。日も暮れはじめて急激に冷えてきたので皆疲れてはいたがカヤックをあげ、薪を拾い、焚火を起こす。さすがに6日目ともなると皆の手順が円滑で素早い。沖に村上さんの知り合いの方が来てくれ、タコ2杯とメヒカリをいただいた。
それにしてもこの村上さんのネットワークは半端ないなと思う。知り合いがいるだけならともかく、どこに行っても手厚く接待され、差入れをいただける。誰とでも友達になれるこの温和な村上さんはやはり我侭で自己顕示欲の強いカヤッカー集団である横断隊にはいなくてはならない存在だと思った。
◎村上水軍商会(村上泰弘:鞘の浦、瀬戸内全般) http://www.suigunkayak.com/
この日の夜はとても冷えた記憶がある。焚火の火にあたり、タコをゆでて刺身にし、メヒカリは燠を作ってじっくり焼き、もう一匹のタコを燻した。いただいたボジョレーとともに最後の横断隊の夜を楽しむ。まさか瀬戸内でメヒカリ(アオノメエソ)を食べられるとは思いもしなかった。しかしそんな楽しい時間も一刻で、その後いよいよ最終日に向けてのミーティングが始まった。
「僕にやらせてください!」
最終日のリーダーを決める、特に判断が難しい状況では隊長にとっても人選は難しいと思う。そんな中、碇さんが明日のリーダーを名乗り出た。自分からやるというのならばその人に任せるのが横断隊の定石である。
リーダーは決まった。そして碇さんの明日のプランを皆で聞くことになるのだが「絶対に小豆島に行くためのプラン」をたてる碇さんに対し、もう無理なのだから別の到着地を考えて予定を決めなければならないという現実的な二つの意見に分かれた。
走島から小豆島まで最短で約67㎞。今日漕いだのが55㎞。追い潮、ほぼ無風の状態で55㎞進んだのだ。明日からは笠岡諸島手前から潮の流れが逆になるので昼過ぎまで逆潮になる。そして瀬戸大橋という難所があり、そこを越えてもまだ小豆島は遠い。物理的に、まともに考えても僕は瀬戸大橋を越えることができれば御の字と考えていた。そしてそれは横断隊経験者ならば誰しも察しが付くと思うのだ。碇さんは自分なりのプランを作り、小豆島までの必勝法を語って皆を説得しようとした。自分の中にある経験、知識をフル活用して計画を立てた碇さんの熱弁はアツかった。その熱にやられて「行ける」と思う人も多く現れたと思う。その考え方は非常に能動的であり、ポジティブで、横断隊としては素晴らしいと思う。だが状況が悪すぎた。細かい数字を具体的に出してリアリティーを醸し出し説得していても、行く先の海が想像できる経験者には敵わない。やったことのない者同士であればやってみる価値はあるが、過去何回もこの海を漕いでいる人たちの前では実体がないプランでしかない。
リーダーの絶対に行くという無謀じみた計画に抵抗を感じた人たちと、そうでない人たちとの熱がぶつかり合って激しい口論が始まってしまった。今回参加したばかりではあるが、五さんは小豆島を目指すならリタイアすると離隊を表明。続いて口論の末ではあるものの、植村さんも離隊を表明した。お二人とも本気で小豆島へ行くのであれば足手まといになってはいけないという配慮があったのだと思う。事実、初日から参加して手首を痛めていた植村さんには相当体に鞭を打って頑張っていたのだと思う。隊がゴールを意識してしまったための離隊。少し寂しいものを感じた。
殴り合いになるんじゃないかと思った激しい口論ではあったが、皆さんさすがに大人なので多くの人が仲裁に入ったりして何とか話は収まった。まずは小豆島をめざし、ある段階までで時間が来たらその中で最終到着地を決定するという運びになった。多くの人にカヤックを貸している原田さんなどはそのカヤックのピックアップの問題もあったし、最終日に合流するという内田正洋さんにゴールの場所を伝えるというやや業務的な理由もあった。
何とか話がおさまって安心した一方で、ここまで大人が激しく言い争って自己主張をするというのも近年なかなか少ない出来事なんじゃないかと、他人事のように感心してしまった。
みんな、アツいなー…と。
飄々と生きているように思える僕らカヤッカー。でもその中は熱い血潮がたぎっている。どこかに発散させたい、派手さはないが熾火のような熱をときどき発散させてしまう。特に酒の席で…。そんなアツさを僕も嫌いではないのです。
何はなくとも、悔いがないようにシーマンシップにのっとり最終日を漕ぐことを誓うのだった。
次回、いよいよ最終日です!
第11次瀬戸内カヤック横断隊⑥
2013年11月20日
リーダー:赤塚
潮汐:来島航路 満潮12:07(359)23:29(321)
干潮4:48(24) 17:31(115)
天候:晴れ
メンバー:シングル22艇
朝、風は収まっているように思えた。風向きが北寄りになったのかサーフの激しさは和らぎ、波濤も小さく聞こえる。前日と同じく日が昇る7時ブリーフィング。天気図ではまだまだ風は吹きあがる感じであった。浜にはもう流木はなく朝の焚火もわずかに残った薪しかない。それに二日間もの停滞はいくらなんでも隊の士気を落し精神的にも滅入る。この浜を出るなら朝の凪にかけるしかない。まずは大三島の南岸、第8次の時にビバークした浜を視野に捉える。
一昨日リーダーをした西原さんの舟はラダートラブルがあり心配だったのだが今回はキムラ先生のカヤックを借りて続行することになった。ひとまず安心だ。
ブリーフィング後出発。
サーフエントリーになれていない瀬戸内カヤッカーには辛い波だった。原田さんが先陣を切って出艇すると、海上で待機してくれていた。バラバラに出艇されていたら困ったのでこれには助かった。本橋さんなどサーフエントリーにも慣れた経験者がバックアップに回るので僕も海に出る。こういう時濡れたくない格好をしていると躊躇ってうまくエントリーできない。完全防水の足まわり、装備が穏やかだと思われる瀬戸内海でも必要だという良い例になった海況だ。いい波を一発もらってしまった。
海に出て海上で排水しながら隊をまとめる。岸近くにいたかったが思いのほか風、潮ともに強く、沖に出て進路とは逆になる風上を向いて待機してもらう。
「全員OKでーす!」
最後の本橋さんが出発したことでバウの向きを変えて大三島方面に向かおうとした。すると西原さんと連河さんが何故か岬の方へ吸い込まれている…!皆で「こっちにこい!」と言っているが本人たちは困惑した顔でこちらを見る限り。岬を大回りして大三島に向かうつもりだったがそのまま西原さんたちの方に急転回して東を向いた。どうやらラダーがこの舟もトラぶったようだ。本人が一番「なんで!?」と思っただろうが、リーダーの僕も当然そう思った。
何より進むのか、様子を見るのか、隊員の「??」マークが顔に出始めたので「とにかく漕げ!無理ならだれか引っ張ってそこから出て!!」と指示を出す。
再上陸を考えるべきだったのか?と、後から考えたが、ラダーがなくてもスターンラダーなどで何とかなるだろうと追い風ということで考え、できるだけ隊がバラつかないようにスピードを落として進むことにした。これが追い波に乗ることもなくかえって良かった。
風は順風だからかほとんど感じない。瀬戸内海とは思えないのっぺりとしたうねりが後ろから入り、まるで凪の外洋を漕ぐような感覚の中進む。一年生が上手く横一列になるように意識しうねりにビビッているようなら話しかけたりして進んだ。
ここで横断隊の「編隊」について説明。
僕らにはもう当たり前になっているのだが人数が多く、実力もバラバラな横断隊では一定のペースで漕ぎ進むために5年ほど前からカヤックによる船団での編隊をつくっている。リーダーを中心に一年生(初参加もしくは初心者、負傷者など)を前列に。そして経験や実力にそって二年生、三年生と後ろに並んでいく。最後尾は隊長と経験者が漕ぐことになり、22艇の場合、5、5、5、5、2といった編隊になる。
これ明け多くのパドラーが水をかくと船団の後方に流れが生まれてひじょうに漕ぎにくくなる。これを横断隊では「パドルカレント」と呼んでいる。
大下島南端の灯台あたりが多少ざわついたものの潮の流れもそれほど気にせずあっという間に大三島沖に到着。島の南岸にとりつこうと近づき始めたころ、再び風が強まった。
島渡りをしていると沿岸の方が風が強く、沖に出ると静かになり、また島に近づくと強くなり風裏に入ると凪になる…ということがある。だからこの時も島に近づいたことでふきおろしにあったのかな?近づけば凪になるだろうと思っていたのに一向にやむ気配がない。テトラポットに囲まれた浜と小さな漁港が見えたのでその中に入り休憩することに。西原さんと連河さんはラダーを修理するために上陸したが、トイレに行きたい人以外は基本海上待機にしてすぐに出発するつもりでいた。
ところが風が妙に強い。休んでいるカヤックがスイスイ先に進んでしまう。予定を変更して皆、いったんこの浜に上陸して修理を待つことにした。気づいたらもっと先にあると思っていた予定していた浜がここだということに気付いた。
風が次第に強まっていく。西原さんのカヤックのラダーはワイヤーではなくラダー本体がいかれているのでワイヤーを固定してフットペダルが動かないように臨時修理を施していた。風は暴風へと変わった。
「またかよ・・・」
そう落胆すると同時にしばらく待機するように指示を出した。
風裏の浜でみんなで集まり小さい焚火を起こしてゆんたくしたり、日向ぼっこして温まっていると、すぐ近くに住んでいる隊長の知人で有機無農薬のみかんを作っているHさんがミカンとミカンジュースの差入れを持って現れた。これがまた、ンまい!御手洗の大長みかんも美味かったが、こいつがまたみかんそのものといった感じで最高だった。ごちそうになりました!
天気は良いが風はアホみたいに強い。潮が満ちてきて風裏の浜の寛ぎスペースはほとんどなくなり、カヤックの置いてある浜に移動すると、本格的にこちらで待機することにした。
それにしてもよく吹く風である。またも移動ができない。
理由はここから先、鼻栗瀬戸、船折瀬戸までの間にこの人数が上陸できる浜がないということだ。船折に入る前に伯方島伯方ビーチがあるがここは風がモロにぶち当たって一度上陸したら先に進めるかどうか微妙だ。ビバークも危うい。
この風とうねりの中を先に進むのはリスクが大きい。各瀬戸に入る前に上陸し様子を見たかったし、いったん気持ちをまとめたかった。もちろん隊員の何名かは問題なく漕ぐことができるだろうが隊全体を統率しながらかつ全員を把握し、安全を確保しながら行ける海況ではないと思った。周りでは好き勝手なことを思い思いに言っていたが…。
具体的な案として、午前中の追い潮、それからの潮止まりに船折瀬戸に行けなかったのでここはもう諦める。鼻栗瀬戸は引潮時に追い潮になるのでこいつを捕まえる作戦になるが、まずはそこまで行けるかだ。そして抜けた後、無事にビバークできる場所があるかどうかがポイントだった。
昼前に明日から参加の五さんたちが車でやってきた。
「これだ!」
お久しぶりですとあいさつしたのも束の間、隊長と二人で「偵察に行きたい」と切り出した。鼻栗瀬戸を越えた後のビバーク地が微妙で海図と過去の経験から何カ所か目星をつけていたのだが、最近のビーチの減少で現在もあるかどうか微妙だったのだ。特に問題なく了承を得たので隊長と二人車に乗り込み大三島東岸と伯方島の偵察に向かった。今回で2度目の車移動である!な、なんて快適なんでしょうか…。暖かくて不覚にも眠ってしまいそうだった…。
「ええ匂いがするな」
焚火の煙の臭いが車中に広がる。体臭の匂いでなくてよかった。
道路から見下ろす海は特に問題なく、いくぶん凪いだように思えた。これは行けるんじゃないか!?
伯方大橋を渡って伯方島に着くと目的の浜へ。着いてみるとただの人工海岸ですぐそばに民家がある。いちおう、公民館長に挨拶しに行っとこうと家を聞いて探し回るもなかなか見つからない。五さんが奮闘してくれたが結局留守だったので、もしこの浜に来ることがあればまた挨拶しに来ることにする。
帰りの車から海を見ると、先ほどとは打って変わってウサギが飛んでいる。風も出てきたし、何より潮が逆なのがすぐにわかった。小さい岬の先がとんでもないことになっている。
「あ…やってもうた…」
車で偵察なんていらん事やって出艇のタイミングを逃してしまったと思ったが、それはほんの数時間でしかなかったのである意味、出発しなくてよかったかな…と後で思う。
浜に到着すると大島のクマさんが大量の差入れとともにやって来ていた。なんでも対岸から双眼鏡で様子を眺めていたらしい。
今回も再び停滞の指示を出した…。
もんどりうっている海を背景に「当然」と云々頷いている人もいれば「そうかな?行けるんじゃない??」という顔もあり、「これで酒が飲めるー!」と喜び勇んでいる顔もある。僕の中ではこれで今回(第11次)の横断隊はまず完走は無理だと悟った。その決断を下すのが過去無敗である僕がするというのがなんとも因果を感じたが、そういうことには皆それほど関心はなかったようだ。
ただ、初参加した人たちや初心者の人たちにはまだ絶望感がなく「まだなんとかなるんでしょ?」という無邪気さを感じ、ある程度経験者は今後どうするかを早速頭の中でシミュレーションしていたと思う。問題なのはそんな中僕が「今回の横断隊は完漕する見込みがほぼなくなりました」ということを思わず言ってしまったことだ。これによって初参加の人などを含め隊全体の士気が落ちてしまったんじゃないかと心配した。まったくそれは杞憂だったが…。
2日間にわたるリーダーとしての役割。
前日の停滞の決定、そして今日の出発と途中上陸。もし西原さんのラダートラブルがなかったらもっと先に進めたかもしれないと思う人もいるかもしれないが、むしろ僕はあれがなかったらそのまま前進し、この暴風の中、引き返すこともできず鼻栗か船折に突入してとんでもない目にあっていたんではないかと思いゾッとしてしまう。何がきっかけになるかわからない。ただ運が良かった場面も多々あるものの、この状況としては自分はリーダーとしての仕事を全うしたかなと思う。特に今日の朝の出艇はラダートラブルの中やや強引だったかもしれないがタイミング的にはベストだったと思う。こうやって違う浜にビバークできること、わずかではあるが前進したことに自分の仕事は間違いじゃなかったと思うしかない。
夜も更ける頃、西原さんが今夜で隊を抜けることを決断、発表した。
ラダーとともに漕ぐ心も折れてしまったようだ。まさに踏んだり蹴ったりのトラブルで気の利いたことは何も言えないのだが、このラダートラブルと西原さんの離隊は本人にとっても隊にとっても、様々な課題を与えたと思う。是非また参加して完漕してもらいたい。
翌日のリーダーは今回参加2回目、小豆島の連河さんが行うことになった。サブに楠さんが就く。
直線距離にしてあと150㎞あまり。それを二日間で行かなければならない。その距離も半端ないが、単純計算一日75㎞漕げば着くことができる。75㎞。カヤックの漕行能力としては決して不可能な数字ではない。しかし限りなく不可能に近い。それは潮と風の影響を受けやすい瀬戸内海だ。数字で物事を把握できる海ではない。でも可能性がある限り諦めるには早い。
我々は与えられた条件の中でもがくしかない。
天気図は良くなってきている。大陸性高気圧がかなり張り出して来て風は落ち着きそうだ。距離を伸ばすなら明日の満潮までの午前中が勝負だろう。瀬戸内横断のかなめ、しまなみ海道ごえである…!
メインの森とイリオモテの森
加藤則芳さんの遺作ともいえる「メインの森をめざして」(平凡社)を読み終えた。
◎メインの森をめざして-アパラチアン・トレイル3500キロを歩く
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%97%E3%81%A6%EF%BC%8D%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AB3500%E3%82%AD%E3%83%AD%E3%82%92%E6%AD%A9%E3%81%8F-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E5%89%87%E8%8A%B3/dp/4582542085
◎加藤則芳オフィシャルサイト:http://www.j-trek.jp/kato/
全行程3500㎞、2200マイルにおよぶロングトレイル、アメリカ東海岸に隣接するアパラチアン山脈にある南はジョージア州のスプリンガー・マウンテンから北はメイン州のマウント・カタディンまでのアパラチアン・トレイル。そのトレイルを全歩破したノンフィクション、紀行文なのだが、マウント・カタディンがネイチャーライティングの元祖ともいえるヘンリー・ディビット・ソローの「メインの森」の舞台であり、彼の地に思いを寄せてきた加藤さんの熱い思いが詰まった珠玉の一冊だと思う。日本のバックパッキングの中心的な人物で、国内初のロングトレイル信越トレイルの企画アドバイザーもしている人だ。
分厚く、読むのも大変だが長編であることが3500㎞を歩く長旅を共にしているような、読み終えた後の達成感を味わうことができる。そして最後に加藤さん自らが赤裸々に告げる自分の病のことが、心に複雑な余韻を残す。何か、難しい課題を投げかけられたのに爽やかさもある。とても読み終えて気持ちが良い本だ。
この本を読んでいる間、常に海外に行ってバックパッキングかシーカヤックをまたやりたいと思わずにはいられなかった。
長距離を時間かけ人力で旅する魅力は実際にやった者にしかわからない。そしてそれがとても無意味な時間であったとはだれもが思わない。だからその感動を伝えようと多くの経験者が「みんなやろうよ!」とネットを使ったり著書を書いて伝えているのだが、なかなかやる人がいない…できない…と、いうのが現代社会。この現代だからこそやってほしいという気持ちもあって、難しいことだ。
後半、メインの森に入ってからの描写は東南アラスカのグレイシャーベイ国立公園に行ったときに歩いたバートレットコブトレイルのレインフォレストを思い出させた。針葉樹林と地を這うコケ類。様々な緑色の絨毯の上にひかれた一本のトレイル。北米特有のあの空気や森の香りが思い出されてたまらなくなった。
僕の海外でのトレッキングはNZ南島のエイベルタスマン国立公園のコースタルトラック55㎞を贅沢にも4泊5日で歩いた。またグレートウォークとよばれる11コースのうちの一つ、ケプラートラック3泊4日がある。距離も時間も問題にならないくらい短いが、生活道具すべてを背負い、その重さを感じながら自然の中を旅する感覚は知っているつもりだ。
ニュージーランドも多くロングトレイルが整備されていて、今思い出せる南島の物でもヒーフィートラック、ダスキートラック、スチュワートアイランドトラック、ミルフォードトラックなど、歩いてみたいトレイルがいっぱいある。そんな海外へ行く欲求が急に増加され妄想がモクモクと湧いてきて困ってしまった。
そしてやっぱり考えてしまうのが、西表島だ。
日本全体のトレッキングコース、トレイルの話は置いといて、まずもってこの西表島のみの話をしたい。
西表島は自然豊かな島だ。全面積の90%が森林に覆われ、道路は南風見田浜から白浜までの約60㎞が繋がっているのみ。島の南西部は急峻な山岳地帯で人工物のない自然そのままの姿が残っている。自然が残っているという一方でその自然にアクセスする手段がひじょうに限られているとも言える。
代表的なものが船浦湾に流れるヒナイ川のピナイサーラの滝に行くためのコースと浦内川の軍艦岩からマリュドゥの滝、カンピレーの滝に行くためのコースだ。そしてこのカンピレーから大富まで浦内川沿いに歩いて行く「西表島縦走道(横断道)」こそ、この島を代表するトレイルだと思う。他にもユツン三段の滝や大見謝川、クーラ川などに最近コースができているが、これらはとても短いコースであり日帰りでも十分なものだ。西表島エコツーリズム協会が出しているガイドブックやガイド付き図鑑などには仲間川から波照間森を経由して仲良川に抜ける「笹森儀助コース」や南海岸をクイラ川に抜ける「南海岸コース」なども記載してあるが、これらは道と言える道はなく、昔の大学探検部や営林署の付けたテープなどの目印を頼りに、ルートファインディングしながら進まなければならないルートでとても一般の方におススメできる代物ではない。唯一、環境省が道標を設置して何とかコースとして維持されているのが横断道である。
しかしこの横断道、一日で歩くにはチトしんどすぎる。距離にすればわずか19㎞ほどのコース(そのうち山道はわずか11㎞。残りは舗装された大富林道)だが、細かいアップダウンが多く視界が悪くて道を迷いやすい。さらに亜熱帯特有の湿気と高温で体力がある人でも慣れないと少し歩いただけで結構な体力を消耗する。時々現れる沢でクールダウンしたり、浦内川支流のイタジキ川にあるマヤグスクの滝、その他多くの見どころなどに寄ったりしていればあまりゆっくりすることもできないのだ。ちょうどイタジキ川の出合いや第一、第二山小屋跡、中間広場などテン場になる場所もあったのだが、2013年から西表島の特別保護区域が拡張した関係で、横断道上でのキャンプが事実上不可能になってしまった。つまり西表島縦走は日帰り限定になってしまったのである。
正直言って西表島縦走道のコース上には、よほど動植物の造詣が深くマニアックな人でもない限り、同じような風景が続くつまらないコースに映る。僕自身、あまり面白いフィールドとは思えない。一日で歩ききるのであれば、足元を見ながらただひたすら歩いていかなければ体力がある人でない限り、周りを見渡す余裕も生まれないと思う。
現在は自然観察路としてではなく、タイムトライアル、体力試しや根性試しのような意味合いで歩いている人がほとんどな気がする。それゆえに当店(バジャウトリップ)では縦走をツアーとして行っていないというのもある。
だが一泊すれば違う。早く歩けなくとも長くじっくり歩ける年配の方などでも、滝を見に行ったり亜熱帯特有の植物を観察したりする余裕が生まれるのではないか。そうなればこのコースも面白くなる。
何よりこの自然の中で夜を過ごすということ。これこそがまさに非日常を味わえる空間であり、時期によってはホタルの乱舞が見られ、川には無数のテナガエビが徘徊する。ハブの恐怖に怯え、コノハズクの鳴き声に聴き入り、ヤマネコの気配を感じながら過ごす一夜は自然の中で過ごす醍醐味を深く味わえる。
だからこそ、西表島にもテント泊を要するロングトレイルができれば最高なのにな…と僕は思ってしまうのである。
もろもろの問題はある。毎年のようにある遭難騒ぎでそのたびに地元の消防団や猟師などが救助に向かわなければならない。そのため地元の人としてはあまり登山者を好んでいない風潮がある。なにより縦走者の山歩きの経験があまりにも未熟だったり、装備が不十分だったりする。また内地の山歩きには慣れているものの、こちらのジャングル特有の視界の悪さ、藪漕ぎ、湿度の高さを甘く見て熱中症にかかるなど体力の限界に達する人もいる。
しかしだからといって縦走を禁止することまではしない。
そうであるならば十分な余裕をもって行動できる山中一泊のプランができるように、指定されたキャンプできる場所があればより無理のない、安全な山歩きができると思うのだ。
亜熱帯林であるがゆえ植物の繁殖力の強さもあるし、台風などで倒木や土砂崩れが多いなどから管理するのにえらい苦労をするという点もあるだろうが。
いっそのこと特別保護区域や森林生態系保護区域にあたるのであれば、それに準じない区域でのトレイル開発をしても良いと思うのだ。一般車は入ることはできないが歩いてなら行くことができるトレイルを作れば、より多くの人が西表島の自然を楽しむことができる。これはこれから世界自然遺産にむけてもよい手段だと思う。日本にはあまりなじみのない自然の中を歩くだけのトレイルというのは馴染まないかもしれないが、自然の豊かな西表島こそそういうトレイルがあって、そういうアクティビティーを観光資源として捉えても良いと思う。これだけ民間ガイドがいるのだから運用の仕方次第では完成した後のソフト面もカバーし切れると思う。
トレイルなど創らなくても南海岸コースのように海岸を歩いて獣道を歩くような状態でいいのかもしれない。でもそれならばせめて人力での移動に限っての立ち入りや野泊を禁止してほしくない。
僕はカヤックガイドなので正直言って、トレイルなどなくても手つかずの自然の中に入る手段を持っている。もっとも自然に優しく、インパクトのない手段で自然に入り楽しませることができる。しかしすべてを保護の枠に入れて利用できなくするのであれば、これ以上もったいない話はない。
最近の傾向からして、南西海岸などの人が立ち入りにくい場所から完全に人を入れないようにしようとする動きがあるように思う。その無人地帯という環境こそが適正な利用を考えなければならない西表島の観光資源ではないだろうか。保護区域を増やし、一般の人間が入れない区間を拡張したためなのか年々観光客が減少しているという知床半島のようにならない為にも魅力ある自然を楽しめる場所を残してほしい。もちろんそれには細かなルール作りは必要不可欠だ。無秩序な自然の利用はただの荒廃を招くだけだ。
西表島の自然をガイドしている自分が言えば「商業目的だろ」と思われるかもしれないが、この島に自然目的でわざわざ遊びに来てくれる多くのリピーター、自然愛好家、アウトドアマンに落胆されるのが僕は嫌なのだ。日本の端であり、秘境であることが西表島の最大の魅力なのだと思う。
外国のロングトレイルのような素晴らしいものを見聞きすると、この日本でもぜひそのような遊びができる環境が欲しいと思うしこの西表島こそ、そういう場所であってほしいと思う。
歴史の浅いアメリカ合衆国という国を政治、経済、宗教、人種、思想、文化、音楽など色々な角度から考察し、物事を客観的に捉えながら旅をする加藤さんのこの本を読みながら、僕自身も比較的歴史の浅いと思われている西表島という島を引き合いに出してあれこれ考えるようになっていた。
西表島のトレイル構想はあくまで僕の理想論なので、実際には多くの表に出ない学術研究者の研究や行政の取り組み、住民の取り組みなどの前例や、僕の誤解、難題があるのだろうけど、色々なことを考えるきっかけにはなりました。
是非加藤さんがご存命であるのならば、お話を伺いたかったです…。
ちなみに西表島縦走道は3年に一回、船浦中学校と大原中学校が全生徒で歩くことになっている。この時は大々的に道が整備されて(草を払うくらいだが)歩きやすくなるのでおススメです。単独での縦走は禁止されているのでメンバーを募るか、ガイドを雇ってください。営林署か駐在所に入山届を提出して無事ゴールした後も報告するのがルールです(今は浦内川観光の事務所で入山届を提出できます。到着の報告を忘れる人が多いので要注意です)。






























































