第11次瀬戸内カヤック横断隊⑤ | DriftWoodBeach

第11次瀬戸内カヤック横断隊⑤

2013年11月19日
リーダー:赤塚
潮汐:来島航路 満潮11:33(364)22:58(326)
           干潮4:15(22) 16:55(111)
天候:晴れ
メンバー:シングル22艇




18日の着岸とともに、吉村ケンちゃんが離隊した。そのためメンバーは一人減った22艇となる。

早朝6時にブリーフィングの予定だったが日が昇らず暗くて海の様相がわからないので一時間延長して7時のブリーフィングに変更した。しかし潮が引いた海岸には瀬戸内とは思えない波が打ち寄せて物凄い波濤をとどろかせている。ほとんどのメンバーが今日の出艇をためらっているのはわかっていたがリーダーとして諦めるのはまだ早い。


7時、空がだいぶ明るくなったところで全員着替え終わってブリーフィング。まずはすぐ近くにある観音崎の上にあるお寺に登り、反対側の海を見てみようということになった。急な坂道を蛇行しながら登っていくと岬の上に展望台を兼ねたお寺が祭られてある。ここから東側を見るとさすがに風裏だけあって波風こそたってはいないものの、うごめく海面の気味の悪さだけは感じ取れた。
岬の先端から大三島をのぞみ、その手前にある大下島と大下瀬戸を眺めるとはたから見る限りのぺっとしているがカヤックからの目線ではかなりのうねりと波が予想された。潮が走っている。時間的にもちょうどそんなタイミングだった。

「こりゃ無理だな・・・」


僕は浜に戻ると皆にその主旨を伝え、とりあえず待機の指示を出した。正午まで風待ち及び潮待ちをすることにした。昨晩から木村先生が来ていて、今朝は肉うどんを作ってくれていたがリーダーの仕事がら食べるタイミングを逃した。食べたかった…。











追い風というのは「確実に安全な場所がその先にある」場合には最強の味方になる。
だがもし引き返さなければならない状況になった時、最悪な条件になる。潮が複雑に絡み合うこの時間帯の、この大下島周辺では僕は隊を進ませられる自信がなかった。もしそこに船舶が通過したら隊をまとめきれるか?誰かがトラぶった時分散させずにいられるか?沈したら?…そう考えるとリスクがでかすぎる。なにより一番手前にあるビバークできる浜まで行けるかが微妙だ。


ならばせめて風や潮が弱まるのを待つしか手段はないと踏んだのだ。
 
その後、風は弱まるどころか強くなってきた。浜の防波堤から安芸灘を眺めると、タンカーがザブザブと甲板を上下させながら前進し、そうかと思えば追い風追い潮に乗ってあり得ないスピードでフェリーが移動している。単純に「こんな海には出たくない」という海が目の前にあり、多少自分の判断に安堵する反面、これでよかったのか?漕ぎ進む手段はあったのではないかと自問自答を繰り返していた。

隊のメンバーはこれといって焦る風な人はおらず、のんびりと構えて焚火でくつろぐ人が多くて助かった。
多くの人が歩いて周辺を探索しに行き、港近くにあるAコープなどで買い出しをしていた。本来、瀬戸内カヤック横断隊は「無補給」が前提なのだが、補給目的というよりは嗜好品目当ての部分もあるし現場にある施設ならば利用するのもシーカヤッキングではないのかと思うので停滞中くらいは良いかな…と、僕も菓子パンやミカンなどを買い食いした。

停滞している間も島の人たちが心配してか、うざがって出て行けというのではなく寒いだろうからと薪をくれたり、ミカンの差入れをくれたりと、いたせりつくせりの歓迎を受けた。これが車で来た旅行者なのなら話は別なんだろう。カヤックという人力の小舟で島に来たことでこれほどの歓迎というか、優しさをもらったのではないかと思う。



約束の12時になったが風は止む気配がない。そして何より、誰もこの海を漕ぐ気力が失せていた(笑)
この日は停滞と決めた。
これで気が抜けたのか、それともこの決断を待っていたのか、楠さんがいきなりビールの栓を抜いた(笑)誰よりも真面目に瀬戸内横断を心掛けているように思う楠さんのこの行動にみんなの気持ちが和らいだように思う。パドリングウェアを脱いであったかい恰好になると皆くつろぎだした。


村上さんが言った一言に何名かが喰いついてきた。
「おいしい大衆食堂が一軒あってね・・・」
大衆食堂 < 瀬戸内の海の幸 < 冷えた生ビール

!!!
横断隊原則無補給はどこにいったのやら、おっさん6人が歩いて隣の大崎下島の御手洗に行くことになった。歩いて行っても30分ほどで着くだろうとのことだ。

参加したのは村上隊長、白石島の原田さん、本橋さん、平田さん、碇さん、赤塚、そして途中から追いかけてきた植村さん。

和気あいあいとミカン畑を眺めたり、「歩くのも久しぶりだと新鮮だねーw」などと語らいながら歩いて行く。島と島の間に行けば行くほど風がなくなり「停滞でよかったのか!?」という焦燥感もあったが、もう今からカヤックに乗ってもビバークできる場所なんてないのだと開き直るしかない。瀬戸内の海を一番知っている横断隊のブレーン的存在の原田さんも「こんな海になんか、でれんけんねー」ときっぱりと言い、この歩き旅を楽しんでいた。


しかしそれも束の間、行けども行けどもまだ道は続いた。


「どこが30分じゃーいっ!!」


大崎下島と岡村島の間にある3本の橋に着いた頃、これはやばい時間になると誰もが悟りだした。かと言ってここまで来たら後戻りはできない。何しろ大衆食堂が待っているのだ…!


「お!愛媛と広島のさかいじゃ!」

橋の真ん中に県境の境界線がご丁寧に引いてあった。その線に横一列に並んでおっさんたちが「せーの」でまたいだ。
「あいのりか!」


カヤックにこそ乗っていればカッコいい雄姿の我々も、陸の上でペタペタ歩く姿はただのおやじ集団でしかない。そもそも地図で見る限り30分で着くはずのない道のりを何故30分で着くと思ったのか?海上ナビゲーションについてはプロフェッショナルな我々も陸に上がって油断したのか、こんなあほなミスを何故したのか、よくわからん。「大衆食堂」と生ビールに弱いオヤジの性質が五感と脳を狂わせたに違いない・・・。



  



大崎下島に到着したころには誰もが疲労を隠せない姿になっていた。時刻は13時30分を過ぎ、昼食を食べていないせいか、集中力が失われつつあった。
「道の駅」ならぬ「海の駅」が現れ、「ここでいいんちゃう?」という意見も出たが「大衆食堂」というブランドはどうしても捨てがたい。ここまで来たら最高のパフォーマンスを期待してしまう。見なかったことにして先に進む。


フェリーターミナルの前にあったあやしいネーミングの食堂「オレンジハウス」も素通りし、村上さんおすすめの食堂を求めてさらに進む。しかしここにきて隊の数名がハンバーノック気味にスタミナが失われてきていた。そんな折、目の前に「ミカンジュース一杯100円」の張り紙があらわれたではないか!

「おおーっ!こりゃうめぇ!」


ここは大長みかんという広島でもかなりブランド力の強いみかんの産地で、その100%ジュースがその場で飲めるスタンドを見つけた我々はビールのために喉の渇きを我慢することも忘れてそのジュースをがぶ飲みした。まるでその群がる姿はテレビで見たことのあるような「オヤジ7人、御手洗の街でぶらり旅気分」である。売っていたおばちゃんに別れを言い、さらに先へ。


「あれ?」


やっとのことで到着した大衆食堂の前で、ただでさえ高い声をさらに裏返させて村上さんが戸惑いの表情を見せた。同時にやってきたサイクリストの兄さんもきょろきょろと店の周りをうろついている。時刻を見ると14時すぎほど。

何と店は閉まっていた・・・。


現実を捉えきれない我々は店に殴りこんで店員に無理やり作らせようかと試みたが、そんなことは無理なわけで、判断5秒とカヤッカーらしく潔く見切りをつけて次の店を探すことにした。


こんな時に限って雨まで降ってきて、村上さんは責任感を感じてか交番を探して何とか食べ物にありつける場所を懸命に探していた。





御手洗の町はそもそも昔、瀬戸内海を行き来する船が潮待ち、風待ちをするために栄えた港町であった。有名なのは「おちょろ舟」といって潮待ちをしている間、船長や主要な人物は陸に上がって色々楽しめるが、水手(かこ)などは船の上で待っていなければならない。そんな彼らを狙って娼婦がこのおちょろ舟に乗って彼らのもとまで行き、一晩遊ぶ…という遊び、仕事があったようなのだ。


「そ、それは今もあるの?」と真顔で村上さんに聞いた人もいるが、もちろん現代では行われることはなく、年に何回か街のイベントで「花魁祭り」のような催しが行われるらしい。
そもそも今回の僕らも風待ち、潮待ちで対岸の岡村島に到着したわけで、ここ御手洗は天然の良港なわけだ。昔の人がそうしたように僕らもこの場所で待機して風がやむのを待っているというのは面白い事実だと思う。


だがこの時の僕らの思考はそんなことよりもいち早くビール、そして海の幸を得たいことでいっぱいだった。行けども行けども店は閉まっており、一般の観光客のおばさん達まで店を求めてブラブラと街をさまよっている始末だ。

「も、もう、我慢できんは・・・」


そういって平田さんは寂れた商店に入り、賞味期限が切れ過ぎて変色したポッキーを買って食べだした。強面の平田さんが一本づつポキポキとポッキーを御手洗の風情ある街中を歩きながら食べている姿は実にシュールで僕にはかなりのツボだった・・・(笑)。


残念無念と引き返すことにし、途中にあったオレンジハウスになだれ込む。
突然入ってきた色黒の異臭を放つ職業不明年齢バラバラな男たちに一瞬たじろいだ様に見えた主人だったが、席に通されて何とかかんとかキリンラガーにあり付くことができた。
喫茶店のような食堂だったが思いのほかメニューは多く、時間が中途半端だったのにもかかわらず注文がたのんでから出るまでは早かった。ただ、最初に原田さんがたのんだ刺身が出てこず、最後に注文したアナゴ丼×3が最初に出てきたので「これはもしや食事が終わったころに刺身が出てくるんじゃ…」とドキドキして待っていたら、すんなりと刺身が出てきて安心。瀬戸内のアワビとサザエは適度なコリコリ感で柔らかく美味しかった。その後出てきた魚定食も真鯛の尾頭付きで、味噌汁とは別にうどんがついてきて、先ほどのアナゴ丼に付く味噌汁だったんではないか?と思ったくらいボリューム感もあって満足このうえなし。急に寒いところから暖かいところに入り、満腹+アルコールとあって全員が怠惰な空気に呑まれていた。

「もう歩いては帰れん・・・」


わざわざ隣の豊島からタクシーを呼び、それに8人(途中でまさやんが合流した)乗り込んで岡村島のビバーク地へ送ってもらった。
こうして「オヤジ7人、御手洗ぶらり旅」は終わった。
行きに2時間かかった道のりは、一人250円で済んでしまった・・・。












風は一向にやむ気配なく吹き続け、この日の停滞の判断は正しかったと確信した。途中、風が弱まったり、島の北側を見て「行けたんじゃないか?」と思う場面もあったが、萎びた隊員の心を奮い立たせて前進させることができるという確かな確証もなかった。よかったのかどうかはわからないのが停滞の判断である。誰もが僕の決断に異を唱える人がいなかったのが救いだった。


この日の夜のミーティングで今日の反省会、考察をすませると隊長から翌日も僕がリーダーということに決まった。なかなかシビアだなーおい。


天気図的にはさほど今日と変わらない様相、若干まだましなような気がする。

浜にはもう流木がなくなりかけていた。

朝の出だしが勝負だと、自分に言い聞かせた。まずは早朝のサーフがどうなっているか?

それは起きてみないとわからないので、いつものごとく酒をかっ喰らって寝るのだった。


続く・・・!