国立大を目指す高3長女。
娘が自分で志望校変更を決断し、一つの区切りがついた今、ふと冷静になってこれまでの子育てを振り返っている。
その反省の核にあるのは、
第一子ゆえの手探りという、どうしても埋められなかった経験の差だ。
一般的に、受験の世界では弟や妹の方が要領よく受験をこなすと言われる。
これには、親の中に「成功と失敗のデータ」が蓄積され、戦略的なサポートができるという明確な理由がある。
第二子以降の家庭では、「
高1の夏には文理を意識させる」「
3年後のゴールから逆算して今何をすべきか」といった、全体像に基づく逆算のスケジュールが用意されている。
しかし、我が家はすべてが初めてで、目の前の課題をこなすのに精一杯。3年間の全体像を描く余裕は全くなかった。
長女が第二子ならもっと、幅広くサポート出来たのかも?と考えてしまうのだ。
この手探りの中で、最も反省しているのが高2の文理選択だ。
娘は数学が好きだったが、結果として選んだのは「文系」であった。
理由はシンプルに「理系は大変そうだから、なんとなく」だ。
この頃、反抗期が強かったのもあり、親子で話す時間はほとんど取れていなかった。
将来の職業、大学で学ぶ学問の意味、就職の選択肢といった
「大学の先」にある現実を、親として具体的に提示し、深く話し合う機会を持つことができなかった。
もし私に時間的余裕と、経験があれば、多角的な情報提供や、より戦略的な選択肢を示すことができたかもしれない。
親として「手厚いサポート」をしたいという願いはあったが、自身が進路指導や受験サポートの具体的なモデルケースを持っていなかったため、
どうサポートすれば正解かがわからず、「
わからないから、口を出さない」という消極的な見守りになってしまった。
それは「見守り」という言葉で飾った、ある種の「戦略なき放置」だったのかもしれないと自責の念がある。
しかし、そんな戦略なき第一子の受験にも、一つの結果が出た。
模試の結果という厳しい現実に大泣きした娘は、誰に言われるでもなく、自分で志望校を変更し、スマホの待ち受けを変え、次の目標へ覚悟を決めて切り替えた。
「自分で悩み、自分で決め、自分で責任を取る」という、社会で最も必要な力が育ったことは有りがたい限り。
まさに目指すところなのだが、
親としてその決断の「質」を高めるための「ベース情報(選択肢の提示)」を戦略的に提供できなかったことへの後悔が残る。
もちろん、受験勉強に限らず、日常的な関わりでの積み重ねであるのだけれど。
親の役割は、「レールを敷くこと」ではなく、「地図(選択肢と情報)を渡すこと」だと、痛感している。
あと8年後、10年後には弟たちの大学受験がある。
毎年受験制度や出題傾向は変わるだろうが、ゴールへの捉え方など、受験において主軸となる普遍的な要素は変わらない。
今回の長女の経験から、弟たちの受験に活かすべき主軸は以下の3点。
高1での職業・学問の掘り下げ
なんとなくの文理選択を防ぐため、「大学で何を学ぶか、その先に何があるか」を具体的に話し合い、進路選択を自己決定のプロセスとすること。
現状認識の習慣化
模試の結果を、単なる点数ではなく「目標と現実のギャップ」を示す客観データとして捉え、感情論ではなく事実に基づいて戦略を修正する訓練をすること。
切り替え力の育成
厳しい現実に直面したとき、長女が見せたように、大いに悩んでも良いが、最終的には自分で決断し、即座に次の目標に焦点を合わせる精神的なタフネスを育てること。
長女の経験は、親にとって初めての貴重な経験となった。
この経験がなかった頃と比べれば、弟たちに対しては、より具体的な示唆と指導ができるだろう。



