
ひとつ捨てるごと、「私にもできた」を取り戻す。
◆今日の断捨離
━━━━━━━━━━━━
ごきげんさまです。
断捨離やましたひでこです。
9月に入り、めっきり涼しくなって。
……と思いきや。
雨が降れば肌寒く、
晴れれば、まだ暑い。
はい、天の「気分」は、
まったくもって
気まま、気まぐれ。
私たちが太刀打ちできる世界では
ありませんね。
ならば、せめて家の中くらいは。
そう、だからこそ室内は、
気持ちよく過ごせる空間に
しつらえておきたいもの。
だって、こちらは、自分の手で
いかようにもできることなのだから。
さて。
断捨離の現場に赴くと、
時折、こんな光景に出会います。
それはもう、
なかなか惨憺たる有り様の寝室。
ベッドの上には衣類が溢れ、
その隙間で、
毎晩、丸くなって眠っている。
思わず、
「えっ、ここで寝ているのですか?」
と声を上げると、
ご本人は、
「だって、どうせ寝るだけでしょう。
目を閉じれば見えないじゃないですか!」
と、のたまう。
ああ、そうきましたか<笑>
でもね、こんなやりとり、
実は珍しくないのです。
こちらは驚いただけなのに、
ご本人には
「責められた」と聞こえてしまう。
なぜなら。
本当は、自分でも分かっているから。
この状態が気持ちいいわけではないことを。
けれど、自分ではどうにもできない。
どうにもできない自分が悔しい。
そこへ第三者から言葉が飛んでくれば、
「いや、別に困ってないし!」
と、つい弁明したくもなる。
人の心とは、
なんとも面白く、そして厄介なものですね。
本来なら、
「もう、自分ではどうにもなりません。
助けてください」
と素直に言えればいいのだけれど。
それが、なかなか言えない。
自分で自分に失望している時ほど、
意地という鎧を着込みたくなるものです。
けれど、私たちが感じているのは、
目に見えるものだけではありません。
視覚だけではなく、
匂いも、肌触りも、空気も。
五感すべてが、
その空間を受け取っています。
だから、
散らかっていたって、別に困っていない。
人間、ホコリくらいでは死なない。
なんて、嘘ぶいているとしたら。
それは、ちょっと、
いえ、かなり残念なこと。
意地を張ったところで、
心地よくなるわけではありませんから。
断捨離とは、
ひとつ捨てるごとに、
「私にもできた」
を取り戻していくプロセス。
小さな選択。
小さな決断。
その積み重ねが、
失いかけていた自己効力感を、
少しずつ取り戻してくれる。
そして、いつの間にか。
モノに対しても、
人に対しても、
自分自身に対しても、
少し素直になっている。
まずは、ひとつ。
目の前の不要なモノに、
始末をつけてみる。
今日も、そこから。
有難うございます。
やましたひでこ

PS
来月10月は、福岡へ参ります!
開催まで1ヵ月を切りました。
ぜひ会場でお会いしましょう!
2026年10月8日(木)
断捨離提唱者やましたひでこ
in 福岡
『なぜ、今、断捨離なのか?』
2,000人で響きあう これからの断捨離
詳細・お申し込みはこちら
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What’s danshari ? Let’s danshari ! Viva danshari ♪
◎編集後記
━━━━━━━━━━━━━━
愛犬と一緒にいると、思います。
何ひとつ持たず、欲しがらず、、、
(あ、ご飯はいつだって欲しがるけれど笑)
小さな体で、圧倒的な存在感で、
素直に、純粋無垢に、「ここ」にいる。
とてもシンプル、とても美しい。
私なんて、紙切れひとつ、
ああだこうだと捨てられないのに(汗)。
ワンコに笑われますね。
目の前の不要なモノを、まずひとつ。
今日もそこから。はい、行動あるのみです。
山本 響子<断捨離事務局>
どうぞ、あなたの「ごきげん」なクリックを!
有難うございます。
"Danshari is not an act of letting go,
but of returning.
Returning space to breath, time to flow,
and the soul to its rhythm."
断捨離とは、
手放すことではなく、「還す」こと。
空間に呼吸を、時間に流れを、
魂に調律を── 還してゆく行為。
◆やましたひでこ断捨離®︎塾
◆やましたひでこプロデュース リトリート
断捨離®️
指宿リトリート
リヒト
『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。
何の集まりか分からない。その分からなさこそが、始まりだった。〜カタカムナ学会シンポジウム
9月6日。
カタカムナ学会 学術シンポジウム
『カタカムナとは何か』
登壇させていただきまして。
まあ、「登壇」と申しましても。
私の役どころは、
錚々たる三先生方のご紹介係、と申しますか。
前座、と申しますか。
あるいは、
場違い担当?<笑>
武田崇元先生
カタカムナ学会会長<八幡書店店主>
三枝<龍生>誠先生
カタカムナ学会最高顧問<整体師・合気道家>
横山天聞先生
カタカムナ学会事務局長<真言宗沙門>
そして、そこに、
断捨離のやましたひでこ……
はい。
こうして並べてみても、
やっぱり、なんの脈絡もありません。<笑>
出版社の店主。
整体師にして合気道家。
真言宗の沙門。
そして、断捨離®️言い出しっぺ。
いったい、
何の集まりなのでしょうね。
もっとも。
強いて共通項を探すならば、
全員、既成概念を打ち壊すのが、かなり好き。
<実は、とっても好き!!!>
それから、
普通なら結びつかないものを、
「いや、そこ、つながっているでしょう」と見つけ出すのも好き。
そんな面々なのかもしれません。
さてさて。
そんな、一見すると、
どこからどう見ても「バラバラ」な登壇者たちを前にして。
その「バラバラであること」そのものを、
ものの見事にシンポジウムの意味へと変えてしまったのが、
武田崇元会長の冒頭のご挨拶でした。
これが、なんとも素晴らしく。
しかも、いきなり、
「断捨離、ちいかわ、大日本史。
いったいこれのどこがカタカムナなんや」
ですから。<笑>
はい、ごもっとも。
私だって、そう思います。
けれど——
そこからのお話が、
まさに、この日のすべてを言い表していたのです。
なので。
ここからは余計な口を挟まず、
武田崇元会長のご挨拶を、
そのまま皆さまにご披露させていただくことに。
◇◇◇◇◇
本日は「カタカムナ学会 学術シンポジウム」にお集まりいただき、
ありがとうございます。
今日の演題をご覧になって、まずこう思われた方も多いでしょう。
「断捨離、ちいかわ、大日本史。いったいこれのどこがカタカムナなんや」と(笑)。
しかし、むしろそこが今日のシンポジウムの狙いです。
カタカムナというものを、特定の宇宙論や健康法、
あるいは一つの解釈体系の中に閉じ込めてしまえば、
それはそこで終わってしまいます。
本来カタカムナが私たちに突きつけているのは、
もっと根本的な問いではないかと思います。
世界をどう見るのか。
言葉とは何なのか。
生命とは何なのか。
目に見えるものと、見えないものは、どうつながっているのか。
今日は、その問いに対して、まったく違う場所から四人の登壇者が接近します。
断捨離から見る人がいる。
「ちいかわ」という現代の物語世界から見る者もいる。
そして古代史・縄文史から見る人もいる。
さらに、真正面から八十音の解読に挑み、
カタカムナそのものの核心に迫る議論もあります。
普通なら同じ壇上に並ばないものが、今日は並ぶ。
しかし、最初から「これがカタカムナである」と答えを決めてしまわなければ、
一見ばらばらに見えるものの間に、思いもよらない線が見えてくることがあります。
カタカムナとは何か。
今日は、その答えを一つに決める日ではありません。
むしろ、それぞれの講演を聞きながら、何がつながり、何がつながらないのかを、
皆さん自身に考えていただく一日にしたいと思っています。
そして最後のパネルディスカッションでは、
四人の話を無理に一つの結論へまとめるのではなく、
違いは違いとして残しながら、
その間から何が見えてくるのかを探ってみたいと思います。
「カタカムナとは何か?」
この単純で、実はたいへん難しい問いを、
今日は一日かけて皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
どうぞ最後までお楽しみください。
カタカムナ学会 会長 武田崇元
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『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。
からだは、私より先に知っている。
さてさて。
綴りたいことは山ほどあれど。
あえなく、ドクターストップ。
で、なにがストップになったのかといえば、
スマホ、そしてパソコン。
しばらく、作業を控えるように、とのこと。
まあね。
現場に出ている時以外は、ほぼ引きこもり。
見て。
読んで。
そして、書く。
ずっと、こればかり。
となれば当然、
首の凝りも尋常ではなく。
からだ全体にも、
「そろそろ休んだら?」のサインが出ているようで。
膵臓も、胆嚢も、
かなりお疲れ気味とのこと。
はい。
からだは、ちゃんと知っている。
こちらが知らん顔をしていても。<笑>
ということで、
未病のうちに手当てを、と。
私、やましたひでこの親分でもある、
稀代の整体師にして、
合気道家、
そしてカタカムナ研究家でもある、
三枝<龍生>誠先生からのお達し。
ありがたく従うことにいたしました。
そんなわけで、
このブログもしばらくは、
五月雨更新となりそうです。
書きたい。
けれど、休む。
これもまた、
今の私に必要な断捨離なのでしょうね。
そして、あなたも。
どうぞ、くれぐれも、
スマホ首にはお気をつけくださいませ。
目も。
首も。
肩も。
そして、からだ全体も。
黙っているようでいて、
じつは、ずっと語りかけてくれていますから。
そんな「からだの言い分」に耳を傾けるために。
三枝龍生誠先生のこちらのご著書も、
ぜひ、ご参考になさってくださいませ。
『からだの持ち主』
からだは、
私たちより先に、
私たちの限界を知っているのかもしれませんね。

有難うございます。
やましたひでこ
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『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。
思わぬ休みの行き先は?
思わぬ休みとなった今日。
有り難き哉。
たまには、
ぼーっと過ごす日も必要ですから。
とはいえ、
日々、仕事が詰まっているとはいっても、
夜遅くまで拘束されることは、
めったにないので。
案外、ぼーっとは、しているのだけど。
そうですね、どちらかといえば、
ぼーっとする時間がないことよりも、
ふらっと美術館に出かけるとか、
ふらっと友人に会いにいくとか。
そう、
あらかじめの予約や約束なしには、
なにも出来ないことの方が、
とっても残念。
親しい友人と会うのも、
半年も先の予定された出来事だなんて。
悲しすぎる。
ああ、私は、
気儘に行動したい性分なおだから。
で、今日の午前中、
思い立ってどこに赴いたかといえば。
お医者さんのところ。
なんだか、残念な選択。
美術館でもなく。
カフェでもなく。
友人とのランチでもなく。
皮膚科。
ああ、地味。
めったに病院に行くこともなければ、
ほとんど薬も飲まない身。
それが、なぜか皮膚科に。
放置していた皮膚の痒みが、
若干気になってきたので。
副腎皮質ホルモン系の外用薬。
で、その結果、
どっと、疲れが。
お医者さんにかかるのは、
こんなにも消耗するものなんですね!?
たいして待たされた訳でもなく、
診療に時間がかかった訳でもなく、
つらい治療を施された訳でもなく。
なのに、やたらと睡魔が襲ってくる。
つくづく思う。
気力、体力が充実していないと、
病院通い、医者通いは、
できないのではないかしら、と。
これは、なかなかの矛盾。
元気がないと、
病院にも行けない。
病気だから行くはずなのに、
元気がないと行けない。
ああ、なんということ!?
そういえば、断捨離の訪問現場で、
よく驚くものがこれ。
大量の処方薬の山。
引き出しにいっぱい。
プラスチックケースにぎゅうぎゅう。
カウンターにも、
薬の入った100均カゴがいくつも。
薬も、モノなのですね。
飲むための薬が、
いつのまにか溜め込むための薬になっている。
これもまた、
なんともおかしな話。
幸い、私の家には、
そういった薬の山はひとつとしてなく。
それは、それで有り難いこと。
さてさて、この昼間の眠気は、
どうにもならず。
さっさと昼寝と決め込んで。
それから、食品庫を、
うっとり空間にしていきましょうか。
このところの断捨離現場では、
悲惨な食品庫や冷蔵庫ばかりに遭遇してい<涙>
思いがけない休みの日。
ふらっと行ったのは皮膚科。
どっと疲れて昼寝。
そして、目覚めて取り組むのは断捨離。
なんとも地味。
なんとも私らしいか…
ありがとうございます。
やましたひでこ
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『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。
取り出すためにしまう、しかも、美しく。
◆今日の断捨離
━━━━━━━━━━━━━
ごきげんさまです。
断捨離やましたひでこです。
八月が終わり、九月へと。
暑い、暑いと嘆き<呻き?>ながらも、
この夏が終わってしまったのが、
なんだか少し切ないような。
そうですね。
たとえ同じ気温だとしても、
八月の暑さと、
九月の暑さは、
やはり違うもの。
この感覚、
どうにも言葉では
説明しようもないのだけれど。
盛りの暑さと、
衰えに向かう暑さとは、
やはり違うのでしょうね、きっと。

さて。
これは、断捨離の現場宅でも、
よく感じること。
たしかに、一応は片づいている。
モノは整えられている。
棚に収まっている。
箱に入っている。
ラベルも貼られている。
見た目も、それなりに整然としている。
けれど、私は思うのです。
これは、収納であって、
断捨離ではない、と。
では、収納と断捨離は、
何が違うのか。
その理由は、大きく二つあるのです。
ひとつは、
モノの整理整頓に終始していて、
そのモノたちと自分との関係性
についての問い直しが、
欠けているということ。
目の前のモノたちは、
今の自分にとって、
どんな意味のある存在なのか。
好きなのか。
そうでもないのか。
気に入っているのか。
別に、なんの感慨もないのか。
必要なのか。
すでに役割を終えているのか。
今の私を助けているのか。
それとも、
ただ場所を取っているだけなのか。
その精査が、あるのか、ないのか。
ここが大きな違い。
断捨離とは、
モノを動かすことではなく、
モノとの関係を問い直すこと。
ただ分類するのではない。
ただ並べるのではない。
ただ箱に入れるのではない。
このモノと、
今の私との関係はどうなのか。
そこを問うのが、断捨離です。
そして、もうひとつ。
実はこちらの方が、
さらに重要なこと。
それは、
しまうことが目的になっていないか、
ということ。
多くの場合、片づけというと、
どうしても「しまうこと」に
意識が向かう。
きっちりしまう。
隙間なくしまう。
見えないようにしまう。
とにかく、しまう。
けれど、
やましたひでこの断捨離は、
そこが違うのです。
しまうのではなく、
取り出すためにしまう。
しかも、美しく。
ここです。
モノは、
しまわれるためにあるのではなく。
次に使われるために、
次の出番を待つために、
そこに在る。
だから、収納とは本来、
モノたちの待機場所。
次の出番が来るまで、
そのモノたちが心地よく待てる場所。
たとえ、それが押し入れであっても、
クローゼットであっても、
引き出しの中であっても。
見えない場所だからこそ、
乱暴に押し込むのではなく、
美しく待機させてあげたい。
心地よいスタンバイ。
ゆったりとしたスタンバイ。
美しい姿でのスタンバイ。
そう考えてみると、
収納の意味が、変わってくるでしょう。
出番があるモノなら、
大切に待っていてもらえばいい。
けれど、出番もないのに、
いつまでも待たされているモノたち
はどうでしょう。
もう呼ばれることがない。
もう使われることがない。
もう必要とされることがない。
それなのに、
押し入れの奥で、
段ボールの中で、
クローゼットの隅で、
じっと待ち続けている。
そのやり切れなさを、
一番よく知っているのは、
私たち人間なのかもしれませんね。
出番がないのに、
待ち続ける辛さ。
声がかからないのに、
待ち続ける寂しさ。
必要とされていないのに、
そこに居続けなければならない哀しさ。
だとしたら、
きっちり詰め込み、
二度と取り出すことのないモノたちの
哀れさも、慮ってもいいですね。
もちろん、モノは人ではありません。
けれど、
モノとの関係を雑に扱うことは、
自分との関係を雑に扱うことにも
つながるはず。
だからこそ、断捨離。
このモノは、
今の私にとって、出番があるのか。
このモノは、
心地よく待機しているのか。
それとも、
ただ忘れられ、押し込められ、
出番のないまま
留め置かれているだけなのか。
収納を見直すとは、
モノの置き方を見直すことではなく、
モノの出番を見直すこと。
そして、
自分の暮らしの流れを見直すこと。
あの八月の暑さも、
盛りから衰えへと移っていくように。
モノとの関係にも、
盛りがあり、
終わりがある。
使った季節。
愛した季節。
役に立ってくれた季節。
そして、
役割を終える季節。
それを見届けるのも、
断捨離なのですね。
しまうのではなく、
取り出すためにしまう。
待たせるのではなく、
出番を与えるために残す。
そして、
出番のないモノには、
ねぎらいと感謝とともに、手放す。
九月の始まりに、
どうぞ、ひとつ
収納を開けてみてください。
そこにあるモノたちは、
心地よくスタンバイしていますか。
それとも、もう長いこと、
出番を待ちくたびれているでしょうか。
有難うございます。
やましたひでこ
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◎編集後記
━━━━━━━━━━━━━━
今日のメルマガ、耳が痛いです(・・;)
20年以上前に便利そうだと思って買った
A4サイズが入る10段の洒落た白い引き出し。
実際は意外と入るモノが限られてしまって、
ずっとうまく使いこなせていないのです。
それこそ“開かずの引き出し”化している段も
あって、、、。九月の始まり、私はまず、
その引き出しを開けてみることにします。
山本 響子<断捨離事務局>
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『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。
キチキチでも、ブカブカでも。狭すぎても、広すぎても。
私の元には、
手のひらサイズの小ちゃなE.T.はいるのだけれどね。

とあるスタジオに、鎮座しておりました。
大きなE.T.
欲しいな〜。
こんな大っきなE.T.
とはいうものの、
この大きさだと、
我が根城マンションでは、
鬱陶しくなるのは必定。
この子が生きるには、
このスタジオほどの空間が必要なんですね。
そう、モノには、
そのモノが生きるための空間がある。
小さなモノなら、小さな空間で。
大きなモノなら、大きな空間で。
当たり前のことだけれど、
これが案外、難しい。
ところで。
あのコロナ禍の最中は、
とんでもなく広いマンションにいて。
しかも、48階というタワマンの最上階。
おかげで、
山城に籠城する気分で、
コロナ籠城日記を発信し続けていた。
こんなことがあってはならない!
という、怒りの発信。
で、コロナ禍が癒えて、
あまりに広いマンションを持て余し。
今度は、思いきってダウンサイジングしてお引越し。
が、どうしても、狭い。
狭すぎた。
ということで、
同じマンション内で、
またまたお引越し。
7階から28階の少し広い部屋に。
が、やはり、なんとも狭い。
で、眺望もイマイチ。
そう、部屋が狭いと、
心と身体まで、萎縮していきそうな。
そして、またまた引越しをしたのが、
今年の六月の初め。
今度は、広さもちょうどよく、
眺望も抜群。
申し分なく。
でもね、
築18年という、微妙なお年頃で。
電気設備の老朽化で、
いろいろありまして。
まっ、この件については、
いずれ、じっくりと。
それにしても、
今日の断捨離TVロケ現場のお宅も。
滅茶滅茶、広くて。
無茶苦茶、モノがいっぱいで。
とっても立派な大きな一軒家。
広ければいい、
というものでもないのですね。
狭ければ悪い、
というものでもない。
居住空間は、洋服と同じ。
キチキチでも、不愉快。
ブカブカでも、不愉快。
自分に合っていること。
今の自分に相応しいこと。
その空間で、呼吸が深くなること。
家も、広すぎても、狭すぎても、
難儀なもの。
E.T.にも、私にも、
ちゃんと居心地のいいサイズがあるのです。
ありがとうございます。
やましたひでこ
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◆やましたひでこ断捨離®︎塾
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九月、あなたをカタカムナに。
九月朔日。
西に向かう新幹線の中。
旅のお伴は、この本。
三枝龍生誠先生の、
発売されたばかりの御本。
先生、ついに小説をお書きになられたのですね。
さあ、九月となって。
これまで思い、考えていたことが、
ようやく軌道にのってきたような。
いえ、軌道にのりかけてきたような。
そんな気持ちに。
まあ、勘違いかもしれないけれど<笑>
だとしても、
少し余裕が出てきたことは、たしか。
その証拠に、
ずっと遠ざかっていたお茶のお稽古も復活できたし。
俳句だって、
句会誌への投稿もできた。
と言いつつ、
八月末締切の投句が、まだ……。
あらら。
詰めの甘さは、
なかなか断捨離できませんね。
それにしても。
稽古嫌いのくせに、
かぼそく、けれど、しぶとく。
お茶と俳句が続いているのは、
なぜかしらね。
お茶。
ああ、日本人でよかった。
日本人の女性でよかった。
そう思うこと、しきり。
俳句。
ああ、日本語が母国語でよかった。
そう、しみじみと思うのです。
日本に生まれたこと。
日本人であること。
女性であること。
それらは、
変えようのない私の出自。
ならば、その変えられない出自を、
よかったと思うのか。
残念に思うのか。
それによって、
自分の在り方は、
ずいぶん変わっていくのでしょうね。
そして、さらに。
この年齢になってなお、
学ぶ機会をいただけたことを、
本当に幸運だと思っているものがこれ。
カタカムナ。
はい、カタカムナ。
わかるようで、わからない。
触れたようで、触れきれない。
近づいたつもりで、また遠くなる。
けれど、どうにも惹かれてしまう。
言葉の奥にあるもの。
音の奥にあるもの。
日本語の奥にあるもの。
そして、命の奥にあるもの。
それらに触れようとする営みが、
カタカムナなのかもしれません。
だからこそ、どうぞ、あなたにも、
ぜひ、ぜひ、
カタカムナに触れていただきたいと思うのです。
いよいよ、今週の日曜日、9月6日
カタカムナ学会学術シンポジウム。
白状すれば、
私はもう、心許ないかぎりではあるけれど。
武田崇元先生。
三枝龍生誠先生。
横山天聞先生。
この錚々たる先生方のお話しの前に、
断捨離やましたひでこ、
前座を務めさせていただきます。
前座。
はい、実に相応しい立ち位置です。
けれど、前座には前座の役目がある。
カタカムナという宇宙の入口に、
皆さまをご案内すること。
わからなくても、
知ろうか。
知らなくても、
触れてみようか。
触れられなくても、
まず、見てみようか。
この不思議な宇宙を。
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まだ、間に合います!
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夏の終わりに、選ぶこと
夏の終わり。
そう、私の夏もお仕舞いに。
そのフィナーレが、
昨日の名古屋での講演会だったのですね。
この日、講演会に参加することを選んだ人々。
この日、講演会を主催することを選んだ、
東海地区の公認断捨離トレーナーたち。
この日、講演会をサポートすることを選んだ、
全国の公認断捨離トレーナーたち。
そして、この私。
断捨離を伝え説く道を選んだ、
やましたひでこ。
それぞれの「選ぶ」が折り重なって、
会場は、ひとつになったようでした。
ご参加くださった皆さまの、
選択と決断に。
断捨離トレーナーたちの、
心意気に。
いっぱいの感謝を。
有難うございます。
それにしても、
会場いっぱいの皆さまを前にして、
マイク一本で語らせていただく時間。
ああ、やはり私は、
この道を選んできたのだなと、
あらためて思うのです。
その理由は、今以って、定かではないのだけれど。
さてさて。
今日、八月の晦日。
東京の根城マンションに戻った私が、
いったい何に勤しんだかといえば。
テーブルいっぱいに書類を広げて、
断捨離。
はい、書類です。
はい、紙です。
はい、保留グッズです。
ああ、講演会で偉そうに、
「保留グッズを溜め込んでいませんか!」
なんて、雄叫んでいるのですから、ね。
言った本人が、
まずやる。
語った本人が、
まず取り組む。
断捨離提唱者とは、
なかなかに因果な稼業…
けれど、不思議なことに。
講演会のたびごとに、
私は、もっともっと自分の断捨離を極めたくなるのです。
皆さまに語りながら、
実は、いちばん自分に語っている。
皆さまに問いかけながら、
実は、いちばん自分に問うている。
何を残すのか。
何を手放すのか。
何を選ぶのか。
捨てることは、選ぶこと。
名古屋の会場で分かち合ったその言葉を、
今度は、我が根城マンションのテーブルの上で、
黙々と実践している八月の晦日。
夏の終わりに、
またひとつ、選び直す。
有難うございます。
やましたひでこ
やましたひでこ断捨離講演会 in 名古屋
捨てることは、選ぶこと
〜断捨離で調える私と暮らし〜
コンプリートです。
どうぞ、あなたの「ごきげん」なクリックを!
What’s danshari ? Let’s danshari ! Viva danshari ♪
有難うございます。
"Danshari is not an act of letting go,
but of returning.
Returning space to breath, time to flow,
and the soul to its rhythm."
断捨離とは、
手放すことではなく、「還す」こと。
空間に呼吸を、時間に流れを、
魂に調律を── 還してゆく行為。
◆やましたひでこプロデュース リトリート
断捨離®️
指宿リトリート
リヒト
◆やましたひでこ断捨離®︎塾
『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。

捨てることは、選ぶこと。in 名古屋
昨夜、名古屋に入り。
朝は、早く起きて。
しっかりと、朝食をいただき。
和洋折衷にて。
はい、頭と心を、講演会モードに切り替える。
やましたひでこ断捨離講演会 in 名古屋
東海地区のやましたひでこ公認断捨離®️トレーナーたちの主催
そう、自主企画なんですね。
捨てることは、選ぶこと
〜断捨離で調える私と暮らし〜
おかげ様で、
定員いっぱいのお申し込みをいただいて。
有難うございます。
主催メンバーは、
この日の暑さを心配していたけれど、
不安定な気候がつづき、
大雨の心配も。
はい、お天気は、大丈夫そうですね。
ご参加の皆様、どうぞ、お気をつけて。
ありがとうございます。
やましたひでこ
どうぞ、あなたの「ごきげん」なクリックを!
What’s danshari ? Let’s danshari ! Viva danshari ♪
有難うございます。
"Danshari is not an act of letting go,
but of returning.
Returning space to breath, time to flow,
and the soul to its rhythm."
断捨離とは、
手放すことではなく、「還す」こと。
空間に呼吸を、時間に流れを、
魂に調律を── 還してゆく行為。
◆やましたひでこプロデュース リトリート
断捨離®️
指宿リトリート
リヒト
◆やましたひでこ断捨離®︎塾
『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。
自分を認めるということ。
昨日は、久しぶりに、
とある句会にまぜていただいて。
相変わらずの凡句、駄句しか詠めない自分に、
ひどく落胆。
ああ、才能とは、
いったいどこに落ちているのかしらね。
拾えるものなら、
拾いたい。
けれど、呻きながら句を作っているその過程が、
なんとも面白いのだから、それも致し方なく。
それにしても、思う。
俳句とは、格闘技。
言葉との格闘は、
非常にエキサイティング。
で、当然のことながら、
終わるとぐったりです。
五七五という、
たった十七音の世界。
たった十七音なのに、
余計なものを削り、
残す言葉を選び、
捨てる言葉を諦める。
あら、これも断捨離ではありませんか。
言葉の断捨離。
しかも、容赦なし。
さてさて。
新しいYouTube対談がアップされました。
はるな愛さんとの対談です。
なぜ、人は自分を愛せないのか?
はるな愛さんが語る、「自分を認める方法」
https://youtu.be/7SghES_Awy4?si=uuSX-hAW1e_kkwJo
はるな愛さんのスマホで自撮りのツーショット♡
やました、ピカピカに若返っておりまする…
これが、とてもいい対談なのですよ。
自分を認める。
簡単なようで、
これほど難しいこともありませんね。
私たちは、つい、
足りないところを見つける。
できないところを責める。
人と比べる。
過去の自分を悔やむ。
未来の自分を心配する。
そして、今の自分に、
なかなか丸をつけてあげられない。
俳句で凡句を詠んで落ち込む私も、
まあ、似たようなもの。
けれど、凡句でも、
詠まなければ始まらない。
不出来でも、
出してみなければ始まらない。
未熟でも、
今の自分を認めて、
そこからまた一歩。
そう思えば、
俳句も、断捨離も、人生も、
なかなか味わい深いものです。
はるな愛さんとの対談。
どうぞ、ぜひご覧くださいませ。
自分を責めることに慣れてしまった人にこそ、
届いてほしい対談です。
ありがとうございます。
やましたひでこ
どうぞ、あなたの「ごきげん」なクリックを!
What’s danshari ? Let’s danshari ! Viva danshari ♪
有難うございます。
"Danshari is not an act of letting go,
but of returning.
Returning space to breath, time to flow,
and the soul to its rhythm."
断捨離とは、
手放すことではなく、「還す」こと。
空間に呼吸を、時間に流れを、
魂に調律を── 還してゆく行為。
◆やましたひでこプロデュース リトリート
断捨離®️
指宿リトリート
リヒト
◆やましたひでこ断捨離®︎塾
『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。





























