
総理交代より、今日のお天気!?
◆今日の断捨離
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ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
本来ならば、もう少し爽やかな初夏を
堪能できるはずが──
すでに空模様は、
しっとりと湿り氣を帯び始めました。
そう、私が滞在していた南九州・指宿は、
なんと沖縄よりも早く、
全国で最も早い梅雨入りに。
例年並み、観測史上、平均気温──
そうした統計の「外れ」に反応しては、
「異常気象だ」
と声高に嘆く風潮もありますが、
天の氣は、そもそも
「人間の予定」などとは無縁の流れ。
気まぐれに見えるその営みも、
天なる法則に従い、いのちの呼吸を
しているだけなのかもしれません。
……そう語りながら、実は、私自身が
けっこうな“気まぐれ屋”だったりして、
つい、天候の自由さにシンパシーを
感じてしまうのです(笑)
さて、私のリトリート
「リヒト」に滞在している間、
人は驚くほど世の中の情報に疎くなります。
もしかしたら、
総理大臣が交代しても気づかないかも──
なんて冗談のようでいて、
本気でそんな予感もするのです。
それほどまでに、関心ごとは
「この時、この瞬間の、この空」。
朝陽のやさしさ、
雨音の変化、
夕焼けの余韻。
自然という「氣の変奏」に、
ただただ身を委ねていると──
人の世界の“争いごとの速報”に、
心が向かなくなるのです。
強固な建物に守られながら、
響きあう仲間たちと、地の氣の恵みに
感謝を寄せながら食卓を囲む。
それだけで、
「いま・ここ・わたし」
の充足が立ち上がるのですね。
──自然に親しみ、社会に疎くなる。
この、ある意味での“感覚のリセット”こそ、
現代に生きる私たちにとっての
深い癒しのデトックス。
からだの疲れよりも、
こころのざわつきよりも、
もっと奥底にある、
「情報まみれの頭の中」こそ、
断捨離という整えの対象。
だからこそ──
断捨離とは、
単にモノを減らす技術ではありません。
それは、
自己回復、
自己探訪、
自己成長──
本来の自分へと還るための、
氣の巡りを呼び戻すプロセス。
空間を整えるとは、
人生という“いのちの場”を調えること。
今日も、ごきげんに。
あなたの「氣」の微細なふるえを、
断捨離とともに味わってまいりましょう。
ありがとうございます。
やましたひでこ
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◆やましたひでこ断捨離®︎塾
『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。
離れて、繋がる。モノと人と。
離れる、ということ。
それは、「断つ」でもなく、「捨てる」でもなく、
ただ──静かに、離れるという所作。
ホワイトタラ
このところ続いた、目まぐるしい人間関係。
心がざわつき、波立つような時もあったけれど、
今はもう、驚くほど静かで。
離れるべき人。
離れていく人。
繋がるべき人。
繋がっていく人。
それぞれの氣が、
まるで霧が晴れるようにクリアになって──
なんだか、自分の輪郭までもが透き通っていくような感覚。
ということで、
昨夜からは、空間の断捨離へと意識を移す。
資料と書類。
なかでも厄介なのは、会計関連。
確定申告が終わり、税理士事務所からドカンと戻ってきた紙の山。
これは“保管義務あり”ゆえに、捨てるわけにもいかず。
ただただ、ひたすらに分類と整序。
──そう、私は「終わったこと」はすべて、潔く手放したい性分。
(ええ、捨てたくて仕方ない<笑>)
保存や保管という言葉に、どこか“重さ”を感じてしまうのです。
そして、衣類。
季節が行ったり来たり、
気温も揺れ動くなかで、
衣替えも進まぬまま、気づけば初夏。
今年も袖を通さなかった服。
もう役割を終えた服。
それらに、
「ありがとう、卒業おめでとう」
と声をかけて、
さっさと次の旅へと送り出しましょう。
さらに、化粧品の数々。
鏡の前でつい手に取ってしまった新商品たち。
シミ対策。しわ対策。
──そう、「対策」の名のもとに集まってきた、私の小さな不安たち。
それらを使い切れずに残してしまった、
開封すらしていない瓶やチューブたちが、
静かに私に問いかけてくる。
「あなたは、わたしを“補う道具”にしていませんか?」と。
──そう、モノは、いつも語りかけてくる。
捨てる前に、私の奥にある“響き”を呼び起こす。
だからこそ、断捨離とは、モノを通して己を知る所作。
離れること、
繋がること、
終わること、
始まること。
今日もまた、モノたちと共に、
静かに自分と向き合うことになりそうです。
夢で再会するということ。
夢の中で、ふと再会を果たすことがある。
それも、すでに「離れたはず」の人と──。
不思議なもので、
完全に縁が切れて清々している相手なら、
夢にすら現れることはない。
(はい、私の場合ですが──笑)
だからこそ、夢で再会するというのは、
どこか心の奥で「まだ気にかけている」証なのかもしれない。
その理由は、おそらくふたつ。
ひとつは──
すでに終えた関係であることを、自分の内で再確認したいとき。
つまり、関係に区切りがつき、「終わった関係」や「終わらせた意志」が、ようやく無意識層で安定してきたという“しるし”。
もうひとつは──
夢に登場したその人が、何らかの“方向転換”をした兆し。
かつての「離れの理由」となった価値観や態度に、
変化の兆候が生じている可能性もある。
もちろん、今の時点でそのどちらかは定かではない。
けれど確かなのは、私の魂が「霊的に納得のいく離れ方=離(はなれ)」を選んだ相手は、夢にすら現れないということ。
つまり、“夢に来る”というのは、
まだどこか、響きの残余があるということ。
この4月から、いくつもの「離」が私の人生に訪れてきた。
そのひとつひとつが、静かに私に問いかけてくる。
それは、「断」や「捨」とは異なる、
“余白”を含んだ「離」の構造。
そんな「離れ」の気配と、
夢の中での小さな再会を通して──
今日もまた、自分自身の歩みを静かに見つめてみようか。
それを見極める感性こそ。
**リヒトを離れる朝に。**
東京へと戻る朝。
ご満悦の朝食
毎度、毎回、駄々をこねるアタクシ。
──「まだ帰りたくないの」って。
だって、ずっと居たいのです、ここに。
この光、この風、この静けさのなかに。
とはいえ、今日も、自家用車で空港へ。
気がつけば、しっかりと現実に戻る準備万端。
これからは、また「お仕事モード」。
ふんわり、ではなく──踏ん張って。
そう、「頑張る」ではなく「踏ん張る」。
踏ん切ること。
踏ん張ること。
人生には、どちらも必要な“霊的着地”があるのですね。
──ここで手放す。
──ここで堪える。
それを見極める感性こそ、
風のようでいて、根を張る生き方。
さて、今日もごきげんに。
空を越え、氣を越えて、またひとつ自分へと還る道の途中にて。
過去にも、未来にも縛られず、 “今”に立つこと、それが「リリース」という断捨離の所作。
静けさのなかに、満ちる日
リヒトは静か。
そして、私も静か──心も、体も、すっかり鎮まっている。
朝は、展望大浴場でゆったりと湯に身を沈め、湯気に包まれながら丁寧に身繕い。
パソコンに向かい、湧いてくる思いとともに原稿を綴る。
昼食は、冷蔵庫のあり合わせで薬膳カレーを。
はい、グルテンフリー仕様にて。
午後のお茶は、抹茶ソイラテ。
お抹茶を点て、たっぷりと豆乳を注ぎ入れる──静かなる贅沢。
それから、今後のスケジュールを確認し、調整し……
気がつけば、予定は再来年まで詰まっていて。
ふと、ぐったり。
そう、私は「先のことを考える」のがちょっと苦手。
未来のすべてが決まっているかのような予定表に、息が詰まりそうになる。
何がどうなるか分からないのに。
だから、ラウンジのソファで、ひととき、うたた寝。
ああ、こういう時間こそが「幸せ」なのだと思う。
バランス──
それは、「未来」に偏らず、「過去」に囚われず、
今ここで、ただ“生きている”ことに宿る静けさ。
思い出は、もちろん大切。
けれど、あえて還すことで、人生の自由度を取り戻せるなら──
Release your hold, not your heart.
執着は手放しても、想いまでは捨てない。
過去にも、未来にも縛られず、
“今”に立つこと、それが「リリース」という断捨離の所作。
さてさて、夕食は?
地元の方から、嬉しい差し入れが。
そら豆とグリーンピース──朝採れの今年最後の恵み。
気の早い指宿の野菜たち。
ビールのおつまみにぴったりですね。
断捨離の所作「天の雨、ひとの意思」
天の雨、ひとの意志
早き梅雨入り──と、私たちは言うけれど。
「早い」「遅い」は、人間社会の都合のこと。
天は、ただ、
降るべきときに、降る。
降らせたいから、降らせる。
その素直さに、抗う術などありません。
昨日の嵐ののち、
激しく地を洗った雨が、
今朝のリヒトを、静かに美しくしてくれました。
──視界良好、透明な朝。
さて。
私たちはどうでしょう。
やりたいから、やる。
行きたいから、行く。
会いたいから、会う。
別れたいから、別れる。
──とは、なかなかまいりませんね。
ましてや、モノひとつ。
必要ないから、捨てる。
もう相応しくないから、手放す。
心地よくないから、距てる。
それだけのはずが──
言い訳を重ね、
逡巡の言葉で、自分をごまかす。
本当はもう、
「断りたい」のに、
「捨てたい」のに、
「離れたい」のに、
なぜでしょう。
言葉に出すことも、
行動に移すことも、
怖れに包まれてしまうのですね。
だからこそ。
願望を、希望へ。
希望を、行動へ。
その流れを、
天の雨のように、ただ自然に。
そして同時に、自分が──
断られ、捨てられ、離れられることを、
どこかで覚悟しておくこと。
それが、「選び取る」という断捨離の所作であり、
共鳴と離反の交差を、
恐れず歩む道なのかもしれません。
今日もまた、
断捨離という音霊のなかで、
ひとしずくの静けさと共に。
断捨離『モノを捨てるは、モノを愛する道』ー三枝龍生誠
【モノを捨てるは、モノを愛する道──三枝龍生誠先生のことばより】
「モノが多くなるほど、クリエイティブ性は失われていく」
これは、断捨離を“捨てる技術”とだけ思っている人には、意外な響きかもしれません。
けれど、本来、断捨離とは──
「モノの命に向き合い、本当に活かすべきものを見極める行」。
決して、モノを嫌って手放すのではなく、
“今の自分”に対して響いていないモノたちに、潔く祈りの決別を捧げる所作なのです。
三枝先生は、こうも語られます:
「大切にするために、捨てる」
「優劣も構造もないモノの山は、やがて“ゴミ”と化す」
「活かせるモノを目の前に整えてこそ、場も心も機能する」
はい、それはまさに──
**“空間を整えることは、人生を創造すること”**に通じます。
モノの命を活かすとは、
場を整え、氣を通し、霊の流れを清くすること。
だからこそ、断捨離とは、
空間・心・魂を一貫して調える、創造的な霊的実践であり、
その本質を音霊から解き明かす叡智が、まさに「カタカムナ」であります。
🔻三枝龍生誠先生の断捨離論、ぜひご覧ください。
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カタカムナ国學講 × 指宿リヒト 合宿セミナー開催!
開催日:2025年7月25日~27日(2泊3日)
場所:鹿児島・指宿断捨離®️リトリート「リヒト」
断捨離の“空間哲学”と、カタカムナの“音の宇宙原理”が重なり合う場。
「モノ」「氣」「響き」──そのすべてを霊的に再編成する時空間を、
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あなたの霊性の再起動、心よりお待ち申しあげております。
これって、まるで、私、やましたひでこの氣質?
南九州地方、梅雨入りの報。
そうして、ここ指宿も──
視界ゼロ
しとしと…ではなく、ざあざあ…
いえ、大雨の朝。
「早い梅雨入りですね」とは言われるけれど、
自然に“早い”“遅い”はないのかもしれませんね。
ただただ、天の氣は、
その巡りのままに降り注ぐ──
激しい雨脚を見ながら、ふと思う。
これって、まるで、私の氣質?
普段は、たいてい、ごきげん。
──あら、自分で言ってしまいましたが(笑)
けれど、ひとたび怒りに触れた時には…
はい、それはもう、容赦なく、雷鳴轟く空模様のごとし。
そんな“圧倒的な天の氣”に包まれながら、
今日は、ここリヒトの内側を、静かに整えていきましょうか。
雨音に包まれながら、
安心と安全のこの場の氣を、
ひとつひとつ、掃き浄め、拭き整えながら。
はい、今日もまた、
ごきげんに、お掃除です。
梅雨とは、“地水火風”が沈み、中心に還る季節なんだそう。
そして、お掃除とは、その湿の氣を、
御火に転じる最も美しい行い。
神さまは、一番ふさわしい霊のところへ、そっと舞い降りる。
モノは、その時に、必要とされるヒトのところへ。
そして、
神さまは、一番ふさわしい霊のところへ、そっと舞い降りる。
ちょうど一年前、ブータンで出会った神──
力と智慧の守護神 チャクラサンヴァラ。
そして今回、
その神さまは、私ではなく──
**“次なる場”に選ばれた方のもとへと移られた。
そう、いちばんふさわしい方のところに。
さてさて。
この数日、私の元に訪れてくださっている中国のダンシャリアンの方が、こんな美しい言葉を教えてくださいました。
一屋不掃、何以掃天下
(いちおくをはらわずして、いかにしててんかをはらわんや)
直訳すれば:
「ひとつの家すら掃除できずに、どうして天下を整えることができようか」
まさに、その通り。
モノを整えることは、空間を整えること。
空間を整えることは、氣を整えること。
氣を整えることは、己を整えること──
そしてそれが、
“天下”という名の大きな循環を導く所作となるのです。
<参照>
「イチオク=一屋」とは、霊学的に“自らの内宇宙”を指す。
つまり、外の世界を変えんとする前に、己の中にある“家”を清めよとの言葉。
「内なるヒビキが、外界を写す」という法則
リヒトより、ほんわかの風便り
リヒトにて。
ここでも、お仕事はつづいております。
……なんと、私。
また一冊、新しい本の執筆を始めてしまいまして。
はい、どうやら私は、“物書き”という生きもののようです。
たいていは、出版社さんからのご依頼を受けて書き始めるのですが、今回はちょっと違う。
まだ出版も決まっていないのに、
なぜだか、自分の中から言葉があふれ出してきて、
気がつけば、綴りはじめておりました。
摩訶不思議。
我ながら、ちょっぴり訝しい。
さてさて、今ここリヒトには──
上海からはるばる、中国のダンシャリアンズがご滞在中。
今日は、学びの合間の遠足デイ!
みんなで、開聞岳自然公園へ。
途中、池田湖にも立ち寄って。
在来種・野生のトカラ馬と遊んだり。
広がる緑、輝く湖面、静かな風。
美しい景色の中で、笑顔がこぼれます。
普段、室内でパソコンに向かいがちな私ですが、
今日は、天の氣、地の氣をたっぷりと浴びるひととき。
そのあとのお楽しみは──
指宿市民のソウルフード、回転そうめん!
湧き水の清らかさと、カツオ出汁の香る麺つゆ。
そこに、涼やかに泳ぐそうめん。
とびっきりの美味しさ!
たまには、こんな一日があってこそ、ですね。
自然と遊び、ことばと遊び、
今日もまた、暮らしが豊かに響きますように。