廃仏毀釈と玉龍山福昌寺

 

 曹洞宗の坊さんにしかわからない話になりそう。

 

 諸嶽山総持寺二世峨山韶碩禅師は優れた弟子を多く輩出され、それらの方々と其の法孫の方々が今日の曹洞宗教団を作られてきた。峨山韶碩禅師の弟子には高名な方々が多く居られ、峨山二十五哲と呼ばれ、其の筆頭格が三田市永澤寺開山通幻寂霊禅師です。通幻寂霊禅師には通幻十哲と呼ばれる高弟がおられ、特に最乗寺開山了庵慧明禅師と福昌寺開山石屋真梁禅師から多くの門人が育ち、多くの門葉寺院が展開しています。

 私は、通幻寂霊禅師➡石屋真梁禅師➡竹居正猷禅師➡器之爲璠禅師➡大庵須益禅師➡全巖東純禅師と続く祖師方の法孫に当たります。石屋真梁禅師は、長門大寧寺、薩摩妙円寺、薩摩福昌寺の御開山です。応永元年(1394年)、島津一族出身の石屋真梁禅師が、島津氏第7代当主・島津元久により開山として招かれ建立されました。後に島津家宗家の菩提所となっています。江戸時代に書かれた『三国名勝図絵』には、大伽藍を備えた南九州屈指の大寺院であり、最盛期には1500人の僧侶がいたと記されている。

 明治維新後、廃仏毀釈という暴風にさらされ、薩摩藩内では多くの寺院が廃寺となり、島津家菩提寺である福昌寺も例外ではありませんでした。

 福昌寺復興のための活動が続けれたそうですが、なかなか願いはかなわず、鹿児島市内での再建を断念し、明治31年(1898年)、宝亀観道(72世)により現在の薩摩川内市向田町地に後裔寺院にあたる「福昌寺」が建立されました。

 

 5月28日、朝8時に指宿のホテルを出発し、薩摩川内市の福昌寺様に向かう。前日に電話して、28日に訪問したい旨をお伝えいたしました。鹿児島県川内市(現在は、薩摩川内市)の方に「宮城県のせんだいしの・・」と告げたら、向こうの電話からちょっと笑い声が漏れてました。行く途中、コンビニで休憩したりしたので、着いたのが午前10時ちょっと前。本堂は鉄筋コンクリート造りで比較的新しいように感じる。

玉龍山福昌寺の建物と庭園

玄関で「宮城県せんだいしの洞林寺です。」と挨拶し、本堂の本尊様に焼香三拝させていただく。

福昌寺本堂の金仏と内陣

 

次いで、開山堂に案内され、御開山様に焼香三拝させていただきました。御開山石屋真梁禅師の御尊像は廃仏毀釈を乗り越えて無事保護されてきたとの事。「よくぞ御無事で、」という思いながら三拝させていただきました。

福昌寺開山石屋真梁禅師像

 

 方丈の間でお茶をいただきながら、御住職富永国俊老師(74世、復興後3世)から廃仏後の復興の歴史を拝聴いたしました。現代の我々の感覚からみれば、なぜ廃仏毀釈が行われたか理解に苦しみます。私も自分の研究分野で多少関わっているので、関心をもってまいりました。多少は勉強しましたが、残念ながら勉強不足です。明確な答えは出せません。地域地域で微妙な温度差があったのでしょう。飽くまでも神仏分離に留まったケースもあれば、廃寺となり仏像仏具が悉く打ち壊されたケースもありました。

 福昌寺を辞した後、鹿児島市の福昌寺跡に向かいました。福昌寺の寺族様から「幹線道路からの入り口がわかりにくいから注意して、」と言われましたが、確かに初めての者にはわかりにくい。カーナビに随って運転してても。危うく通り過ぎるところでした。福昌寺の御開山様歴住様の墓所をお参りさせていただきました。併せて薩摩藩主島津家の墓所もお参りさせていただきました。

福昌寺開山石屋真梁禅師の墓碑

 

福昌寺跡の墓石と石段

 

国指定史跡 鹿児島島津家墓所

福昌寺跡に着いたのが、12時ちょっと過ぎ。

明治2年まで福昌寺が有った場所には、昭和25年から玉龍高校が建てられ現在に至っています。かっての福昌寺はかなり広い敷地だったようです。高校名の玉龍とは、福昌寺の山号です。福昌寺の歴史と伝統に敬意を込めたのかもしれません。ちょうどお昼休みの時間でしたが、島津家墓所に通じる道路を高校生たちが清掃しておりました。藩主島津家への敬意、それとも広い意味での地域貢献なのか、いずれにしても心洗われる光景でした。

 

 

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知覧特攻平和会館に行って思ったこと

 

1,知覧特攻平和会館を訪ねて

知覧の武家屋敷群から車で15分ぐらいの場所に知覧特攻平和会館があります。太平洋戦争当時、多くの特攻隊員が飛び立った航空基地があった場所です。会館に行く途中、そして会館の周辺にも石灯籠がたくさん並んでました。特攻作戦で亡くなられた方々の慰霊のために建てられたもののようです。

 平日でも駐車場には多くの車が止まっており、この施設を訪れる人は多いようです。

知覧特攻平和会館と日本国旗

 

知覧特攻平和会館の入口と看板

知覧特攻平和会館設立の趣旨については、同会館のホームページを参照させていただきます。

 

「 この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
 私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
 特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。
 この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。」

 

特攻平和会館に到着したのが、午後3時近くでした。内部は撮影禁止なので、内部の写真は有りません。展示内容の概要については、知覧特攻平和会館のHPを参照ください。

 展示で最初に目を引いたのは、特攻に使用された戦闘機でした。昔、少年画報で辻なおき先生の「ゼロ戦太郎」や冒険王で貝塚ひろし先生の「ゼロ戦レッド」や少年マガジンでちばてつや先生の「紫電改の鷹」を読んでいたことを思い出しました。

 

2,特攻隊員の遺品

 一番スペースを割いていたのが、特攻隊員の部隊ごとの写真展示と渡航隊員の遺品の展示でした。特攻で亡くなられた方々の年齢は19歳から23歳ぐらいの方が多いようでした。隊長を勤めた方は20代後半ぐらい。志願された方もいたでしょうが、志願させられた方も居たようです。「御国を守る。故郷を守る。家族を守る。」そういう気持ちで出撃されたのでしょうが、戦争の作戦としてはどこまで有効であったのか、更なる検証が必要だと思います。戦闘機の生産能力の低下、飛行機部品の不足、燃料の不足と質の低下、操縦士の飛行訓練時間の不足、アメリカ軍の特攻対策等、様々の要因から特攻作戦の戦果は次第に挙がらなくなったと言われています。

 アメリカ軍の記録映像がビデオで流されていましたが、「特攻機がアメリカ軍の戦艦に体当たりして、戦艦が炎上した」戦果はあったようです。特攻作戦がアメリカ軍兵士に恐怖心を植え付け、アメリカ軍の日本本土進攻を遅らせる効果が有ったという見方もあるそうですが、今の時代の我々の立場からは「もっと早く終戦交渉を進めろよ。」と言いたくなります。その当時、こんなことを言えば、「非国民!」と罵られたでしょうが。

 

 隊員の日記、手紙、愛読書、軍服、軍刀等が特攻隊員の遺品として展示されていました。或る隊員の遺品の中に『戦陣訓』という冊子がありました。

「ああ、これかあ。」と思いました。

戦陣訓の冊子

『戦陣訓』は1941年に当時の陸軍大臣・東条英機の名で全陸軍に示した軍人の行動規範です。過酷な戦場での規律や道徳を定めたもので、特に「生きて虜囚の辱めを受けず」という捕虜になることを厳しく戒めた一節が有名です。この「「生きて虜囚の辱めを受けず」は敵軍の捕虜となることを禁じ、避難撤退をも禁じる意味に敷衍され、後に部隊の玉砕や民間人の集団自決の要因となったと言われています。

 特攻作戦は生きて帰還することを否定する作戦であり、死ぬことを前提とした作戦でした。しかし、現実には戦闘機のエンジントラブルのため不時着したり特攻基地に帰還したりするケースは少なからずあったそうです。そういう「不本意ながら帰還した兵士」は居心地悪かったでしょうし、辛かったでしょう。実際のところ、どうだったのだろうか、疑問が湧きました。

 

平和会館の売店で買い求めたドキュメンタリー小説『月光の夏』(毛利恒之著 講談社文庫)が私の疑問に答えてくれました。

月光の夏 書影:グランドピアノと毛利恒之

 

この小説の元となったエピソードについて以前何かの記事で読んだことがありました。これについて述べるとかなり長くなりますので、別記事に書かせていただきます。

 

 

3,平和会館の周辺

 平和会館の右側に、特攻隊員たちが出撃するまでの起居していた半地下式の兵舎を復元したものがあります。「三角兵舎」と呼ばれています。

知覧特攻平和会館の三角兵舎

 

知覧特攻平和会館の三角兵舎内部

 

特攻兵士を慰霊する観音堂があります。

特攻平和観音堂の扁額と入口

 

 「特攻勇士の像」が建てられています。

知覧特攻平和会館に展示された零戦レプリカ

特攻像の由来、知覧特攻平和会館

 

 映画撮影用に制作された戦闘機「隼」のレプリカもありました。

知覧特攻平和会館の零戦レプリカ

陸軍 一式戦闘機「隼」レプリカ 

 

家へのお土産用に知覧茶を買い求め、宿泊する指宿のホテルに向かいました。

 

  

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知覧町の武家屋敷を訪ねて

 

今回、鹿児島に行くまで「日本遺産 武家屋敷群」については全く知りませんでした。

 

「勇猛果敢な薩摩の武士を育んだ地,鹿児島。
そこには,本城の鹿児島城跡や,県内各地の山城跡の周辺に配置された麓と呼ばれる外城の武家屋敷群が数多く残っています。
麓は,防御に適した場所に作られ,門と玄関の間に生垣を配置する等,まるで城の中のように敵に備えた構造を持っていました。
そこでは武士達が,心身を鍛え,農耕に従事し,平和な世にありながら武芸の鍛錬に励みました。
鹿児島城跡や麓を歩けば,薩摩の武士達の往時の生き様が見えてきます。」文化庁のホームページから

 

 5月27日の午前中で全国教誨師大会が終了したので、レンタカーで南九州市知覧町に行きました。

 

知覧町は、武家屋敷群と知覧茶と知覧特攻平和祈念で有名な街です。その見どころの一つに、日本遺産の「薩摩藩 武家屋敷群」の中の構成遺産の一つなのだそうです。「知覧 武家屋敷」という案内標識をかなり見かけました。

 

「知覧麓の武家屋敷群は、薩摩の麓の典型的な作例の一つであり、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣が織りなす景観は優れており、我が国にとって価値の高いものです。このため、昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
また、同時に地区内の7つの庭園が「優れた意匠で構成され、その手法は琉球等の庭園と共通するものがあり、庭園文化の伝播を知る上でも貴重な存在である」として、国の名勝に指定されています。指定された7つの庭園のうち、森重堅邸庭園のみが池泉式で、その他はすべて枯山水式です。今に残る枯山水の伝統美と時代の息吹を感じさせてくれます。」

知覧武家屋敷庭園 有限責任事業組合ホームページより

 

入園料530円払い、公開してい武家屋敷と庭園を見学させていただきました。

 

 

 

 

 

なかなか趣のある街並みでした。「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されていることは素晴らしいことなんでしょうが、維持・保存していくのはなかなかたいへんでしょうね。

 

武家屋敷でカフェやレストランを営んでいるところもあるようですが、この日このカフェは休業でした。土日のみのなのでしょうか?レストランは予約制のところもあるようです。

 

 

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加治屋町にある「維新ふるさと館」

 

 5月25日、鹿児島中央駅近くのビジネスホテルに泊まりました。教誨師大会は午後からなので、ホテル近くを散歩し、少し観光しました。「維新ふるさと館」という施設がホテルから徒歩10分ぐらいの場所にあるようなので、行ってみることにしました。

 

「維新ふるさと館」の周囲には、「西郷隆盛。従道 生誕の地」はじめ有名人の生家跡があります。「維新ふるさと館」を含む一角が「維新ふるさとの道」という名称の公園として整備されてます。

 

維新ふるさと館、歴史ロードの看板

加治屋町の維新ふるさと館MAP

維新ふるさと館周辺地図

維新ふるさと館 大久保利通像

歴史ロード 維新ふるさとの道

 

西郷隆盛・従道生誕の地碑

「西郷隆盛、西郷従道 生誕の地」

 

維新ふるさと館の看板

 

維新ふるさと館:維新への道と薩摩スチューデント展

維新ふるさと館:教王護国寺と鳥羽伏見の戦い

幕末・明治維新・明治の近代化と対外戦争、そういう内容を展示しています。

 

薩摩藩の人間はこの時代の日本を主導的立場で動かしてきました。それは紛れもない事実です。しかし、戊辰戦争については、いろいろと思うところがあります。この戦争は何だったのか?新しい政治体制に移行するための主導権争いであり、徳川幕府と幕府寄りの諸藩を制圧するための戦争でした。さすがに資料展示では敵対した藩を「賊軍」とは表記してません。でも、薩摩は官軍という表記には憤りを感じました

 

仙台藩は奥羽越列藩同盟に入っており、いわゆる「新政府軍」に抵抗する立場にありました。戊辰戦争では仙台藩も新政府軍と戦いました。洞林寺の檀家さんでお亡くなりになられた方も居られます。戊辰戦争は他人事ではありません。会津藩や長岡藩の被害に比べれば早く降伏したので、被害は少ない。とは言え、賊軍とされ、藩主助命のため家老が処刑されてます。

 

 明治維新をどう評価するかについては、いろいろと意見は分かれるでしょう。徳川慶喜が大政奉還した直後に出た『王政復古の令』とは何だったのか?「錦の御旗」とは何だったのか?孝明天皇の御崩御は何だったのか?憤りともやもやを感じながら、展示を眺めました。

大久保利通像と維新ふるさと館

大久保利通の像です。西郷隆盛に比べれば、人気は落ちます。大河ドラマでも、冷徹な人物のように描かれる場合が多いと思います。とは言え、明治維新政府の体制を整える上では、最も功労のあった方でしょう。道半ばで暗殺されたことは、無念だったでしょう。

 

 

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全国教誨師大会

 

全国教誨師連盟主催の『全国教誨師大会』が5月26日、27日に鹿児島市の城山ホテルを会場に開催され、参加して参りました。

 

 

薬物依存症治療の専門家である精神科医 松本俊彦先生

テレビでみたことがある先生ですね。かなり高名な先生ですね。依存症患者の治療に長年にわたって取り組んでこられ、「完治は難しく、何度も繰り返してしまう方も多い。繰り返しても、「失敗した者を受け入れてあげる場を設けることの必要性。」「医療や行政の中で、依存症患者をすくいとっていくシステム構築の必要性」を熱く語って居られた。

 

 

オープンダイアローグを日本に導入した精神科医 齋藤環先生

正直、私の勉強不足も有って、講演内容へ理解が追い付かなかった。実行委員会の九州雨教誨師会が齋藤先生を講師に招聘したのは、オープンダイアローグそしてリフレクテイングに注目しているからなのだろう。統合失調者治療や受刑者の更正にリフレクテイングという手法が注目されている中、その第一人者の斎藤先生を講師にお迎えした意義は大きいと思いました。

 

  講演する齋藤環先生

 

宮城県教誨師会でも、研修の中でリフレクテイングを取り入れていこうという機運が高まっている。教誨活動の可能性を高めていくためにも、学んでいくことは必要だろうと思いました。

 

 

 

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先祖に感謝の気持ちを伝える

 

                                              洞林寺住職

1、根の力で枝葉は繁る

 

 春を迎える嬉しさは、木々の梢の芽吹きや開花に象徴されます。木の芽は芽の力だけでは芽吹きしません。花はつぼみの力だけでは開きません。根があってこそなのです。

 このことは私たち人間にも言えます。私たちは一人で生まれ、一人で生きているわけではありません。父と母がいて、この世に生を受けてます。そして、両親家族そして周囲の多くの方々からの力をいただいて、肉体的にも精神的にも成長し、一人前になっていきます。当たり前のことですが、両親には、其々の両親がいます。其々の両親には、更にそのまた両親が居ます。と遡っていくと、わずか10代前(約300年前)でも1024人の先祖がいます。それだけの人数の命によって我々は支えられているのです。

 

 木に例えると、ご先祖様は「根」であり、私たちは「花」であり「実」であり「枝葉」です。 花をきれいに咲かせようと思ったら、枝葉を繁らせようと思ったら、、目に見えない根に水をやり栄養を与える必要があります。 根(先祖)を大切に敬う心を持つことは、自分自身の土台を整えることです。土台が安定している人は、人生の荒波の中でも折れにくい「心の強さとしなやかさ」を持つことができます。

感謝の木、生命のありがたさ

 

私たちは御先祖から命をいただき、生かされています。そのことに感謝するために、日々お仏壇にお供えをして香を手向け手を合わせます。折々にお墓や菩提寺の位牌堂にお参りします。そして、節目節目に菩提寺で年回供養をお勤めするのです。故人そして御先祖のための儀式ではありますが、自分自身と子孫のための儀式でもあるのです。これらの儀式には、次のような大事な意味が込められています。

 

①、先祖からいただいた「自分の命」を再認識する

供養には、自分が生きていることの有難さを感じ、この先しっかりと生きていく励みとするという意味も有ります。

 

②、子や孫のための家庭教育の場とする

「親の背を見て子は育つ」という言葉が有りますが、親が先祖を大切にする姿を見せることで、子供は「目に見えないものや、過去の恩恵を大切にする心」を自然に学んでいくのです。

 

 

2、感謝の気持ちを形にあらわす

 曹洞宗の高祖道元禅師様の教えを示す言葉に「威儀即仏法作法是宗旨という言葉があります。 正しい振る舞い(形)そのものが仏の教えであり、日々の作法の中にこそ、私たちが目指すべき悟りの姿がある。という意味です。

「心がこもっていれば形はどうでもいい」と考えがちですが、道元禅師から見れば、浅はかな考えなのです。形を整えるからこそ、後から心がついてくる。ご先祖さまを敬う心も、形を整えることから養われるのです。日々のお仏壇へのお供えとお参りを始めとした一つ一つに大事な意味が有るのであり、「丁寧な日常」「丁寧な暮らし」が大切なのです。

 

と、説明しますと、難しく感じる方も居るかもしれません。具体的に何をすれば良いか、どう整えれば良いのか迷います。藤本幸邦老師は「はきものをそろえる」という詩で、とてもわかりやすく説明してくださっています。

 

はきものをそろえる

 

はきものをそろえると 心もそろう

心がそろうと はきものもそろう

ぬぐときに そろえておくと

はくときに心がみだれない

だれかが みだしておいたら

だまってそろえて おいてあげよう

そうすればきっと 世界中の人の心もそろうでしょう

 

玄関で靴を揃える。これはたった数秒でできる『作法』です。しかし、この数秒を疎かにしない姿勢が、自分自身の心を穏やかにし、ひいてはご先祖さまから受け継いだこの命を大切に扱うことにつながります。脱ぎ捨てられた靴を、黙って揃えてあげる。その優しさは、自分だけでなく周りの人の心も整えます。ご先祖さまを敬うとは、難しい理屈ではありません。 ご先祖さまが繋いでくださったこの命を、丁寧に、美しく扱うこと。その第一歩が『はきものをそろえる』ことです。足元が整えば、心に余裕が生まれ、自然と生かされていることへの感謝が湧いてきます。日々の仏壇へのお参りも同様なのです。親から子へ、子から孫へ、身を以て示し、伝えていくことが大事です。

 

靴を揃える子供と和風庭園

 その感謝の心を形に表していくことこそが、私たちを本当の幸せへと導いてくれるのです。形を整え、心を整え、日々の生活を整える。そのことが御先祖のためにもなります。そして、自分自身と子孫のためにもなるのです。

 

洞林寺護持会会報『錦柳』令和8年春彼岸号掲載の記事を加筆改訂したものです。

 

 

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映画「ほどなく、お別れです」を見ました

           

    葬儀と葬儀社を題材とした映画『ほどなく、お別れです』を見ました。原作は、「小学館文庫小説賞」大賞を受賞した長月天音のベストセラー小説です。

 

映画「ほどなく、お別れです」の書影

込由野しほという漫画家さんがコミカライズ版を書いています。ほのぼのとした暖かい感じの絵を描く漫画家さんのようです。私は電子版でコミカライズ作品を一応読みました。

 

    映画の主演に浜辺美波と目黒蓮と人気俳優を起用してます。脇役にも、浜辺美波の母親役に永作博美、葬儀社社長役に光石研を配置。個々のエピソードの登場人物には、北村匠、志田未来、新木優子、古川琴音、久保史緒里等知名度の高いキャストを起用しております。制作サイドとしてもこの作品に力を入れているんだなあ、と感じられました。

 

映画「ほどなく、お別れです」ポスター

 

◇「 あらすじ 」

 就職活動に苦戦する大学生清水美空(浜辺美波)には、「亡くなった人の声を聴くことができる」という、誰にも打ち明けることができない秘密があった。そんな彼女に運命を変える出会いが訪れる。彼女の能力に気づいた葬祭プランナーの漆原礼二(目黒蓮)から、葬祭プランナーの道に誘われたのだった。葬儀会社「坂東会館」のインターンとなった美空は、漆原とタッグを組み、妊婦の妻を亡くした夫、幼い娘を失った夫婦など、様々な家族の葬儀を通して、「残された遺族だけでなく、故人も納得できる葬儀と は何か?」という問いに向き合っていく。

 

◇コミカライズ版を読んでの感想

①、良く取材していると思います。遺体搬送、納棺、通夜、葬儀、火葬の流れきちんと把握し、その中で葬儀社の人間はどう動くか、遺族の心はどう動くか、よく考えて書いている。

 

②、主人公には、特別な能力が有り、死者の霊も見える。同様に、死者の霊を見る力が有る僧侶が登場する。小説やドラマなら有り得る設定だろうが、非現実的であり、共感しにくい。

 

③小説版漫画版では、お坊さんが登場し、御遺族に寄り添って葬儀を勤めている様子が描かれています。しかし、映画では、葬儀会場からBGM的に読経の声が流れてきたけれど、僧侶や宗教者は登場していません。僧侶も牧師も神主も登場せず、映画のストーリーでは葬儀社と納棺師だけで葬儀が進行しました。

ほどなく、お別れです コミックカバー

 

◇映画に宗教者が登場しないのは、何だかなあ

 映画館で購入したプログラムにプロデューサーのインタビューが載ってました。プロデューサーは「宗教者が登場しないことは、原作者を得ている。」旨のことが書かれていました。映画の上映時間という制約からの処置なのか、制作サイドが宗教者を軽視しているのか、真意はわかりません。

 SNS上で、葬儀にまったく僧侶が登場しないことに違和感に感じる旨を投稿されていた僧侶が何人か居られました。私も有る程度同感です。宗教者を必要としない遺族も一定数居るかもしれません。葬儀社も「無宗教の葬儀がある」ことをパンフレットやホームページに明記している場合も多い。しかしながら、全体数でみれば、宗教者が葬儀に関わるケースの方が多いはずです。葬儀をテーマとして映画を製作する上で、宗教儀礼抜きのストーリーは偏っている、と言わざるを得ない。

正確なデータはわかりませんが、無宗教葬儀の割合が増えてきているのかもしれません。「葬儀に宗教者の関与が必要であるとは思わない。」という考えの方が増えているとしたら、その原因は宗教者側にもあります。宗教者の説明不足か教化不足ということになります。宗教者として、この点に ついては真摯に反省しなければなりません。私も反省しなければなりません。

私なりに故人に敬意をはらい御遺族に寄り添い、心込めて丁寧に葬儀を執り行っているつもりです。自分ではそういうつもりであっても、思っていることやっていることが相手の方に其の通りに伝わるとは限りません。「独りよがりになってないか?」と謙虚に振り返ることも必要だ、とあらためて思いました。

 

 

◇この映画で感じた問題点

 

葬儀社そして葬儀社職員は故人を思いやり、遺族に寄り添って葬儀を執行しています。そういうストーリーになっており、観客にも好意的に受け留められていると思います。でも、映画に出てくる葬儀社さんがあまりにも良心的すぎる、と感じました。

 

特定の葬儀社や葬儀社団体がこの映画の「後援」となってますから、葬儀社さんを悪くは描けません。当然と言えば当然です。この映画は葬儀社さんの働きを通して、いのちを考え、家族の在り方を考え、人生の送り方を考えることをテーマにしているんだと思います。映画の中で葬儀業界の問題点を追及するようなことはできません。火葬場の予約や搬送等の経費を度外視して、葬儀執行している部分もあります。それ故に、現実離れしているという印象は禁じえません。葬儀にある程度関わる方から見れば、突っ込みどころがかなりあると思います。この点については、別に機会に述べたいと思います。

 

本題に戻ります

 

 葬儀社さんは、我々寺院が葬儀を執行する上で不可欠な存在です。葬儀を執行する上で「大事な仲間」です。とは言え、葬儀社さんもいろいろあります。実際に、とても良心的な業者もおられます。大部分はそういう葬儀社さんです。ご遺族に寄り添い、心のこもった葬儀となるよう努めている葬儀社員も多いと思います。

 しかし、其の一方で悪質といわざるを得ない葬儀社もあります。社員個人としては故人のため御遺族のため心のこもった葬儀を行おうと努めていると思います。しかし、社員個人の思いよりも会社側の事情が優先する場合も多いのです。何故なら、会社は利益を追求します。土地を購入し葬祭会館を建てて設備を揃えます。テレビやインターネットでCMを流します。従業員を雇います。かなりの経費が掛かってます。その経費を回収するためには、それに見合う売上げが必要です。個々の葬儀の単価を少しでも上げて、売り上げを伸ばすよう営業努力します。営業努力と言える範囲内なら良いのですが、経費の水増し請求や不要なサービスの強要という事例もあります。

 

 昨年実際に有った事例ですが、御遺族はCMにあった44万円の家族葬プランを頼みました。ところが、葬儀社からの見積は145万円でしたので、御遺族はびっくり。葬儀社も必死だから、安くしないでそのまま押し切ろうとする場合も多いんです。この点についても、話が長くなりますので、別の機会に詳しく説明致したいと思います。

 

 

洞林寺護持会会報『錦柳』令和8年春彼岸号掲載の記事を加筆改訂しました。

 

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散り始めました

 

枝垂れ桜は3月26日に開花し、4月4日に満開になりました。

 

4月9日から少しずつ散り始めました。昨晩の雨でかなり散ったようです。今年もきれいに咲いてくれて、ありがとう。

枝垂れ桜の散る様子と石碑

枝垂れ桜、散り始め、花びらの絨毯

 

川に散った様子を「花筏」と表現していますが、地面に散った花びらのことは何と表現するんでしょうか?

桜の絨毯とでも言えば良いのでしょうかね。

散り始めの桜、地蔵と石碑

明日の日曜日には、葉桜になりそうです。

 

 

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区役所主催の「街歩き」ツアー

 

4月10日、仙台市若林区まつづくり推進課が主催する「街歩き」の方々がお花見を兼ねて、洞林寺に来られました。

 

事前に区役所の職員の方から「洞林寺の歴史等について少し説明していただきたい。」という依頼がありました。資料を準備し配布しました。

 

寺の歴史

鎮守である菅谷不動尊と祭典のこと

枝垂れ桜と花塚のこと

「北限のイペー」のこと

手短に説明しました。

 

「4月8日が花まつりなので、甘茶を用意しましたので、お召し上がりください。どうぞ飲みながら私の説明をお聞きください。」と言って甘茶を召し上がっていただきました。

洞林寺での街歩きツアー、花見とお釈迦様誕生仏

 

洞林寺の桜とお花見ツアー参加者

説明を終え、「4月8日がお釈迦様のお誕生日ー花まつりーだったので、ここに誕生仏をお祀りしています。お釈迦様に甘茶をかけてお参りしてください。」と申し上げました。ツアー参加者の方々は、誕生仏に甘茶をかけて、お参りして帰られました。

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洞林寺婦人会の降誕会とお花見会

 

4月6日、洞林寺婦人会の例会が有りました。

4月の例会は、本堂で降誕会の法要を勤め、庫裡でお釈迦様の誕生を祝い、花見を楽しむお食事会です。

 

私の下手な法話を聞いていただき、食事をして、おしゃべりをして、

庭に出て、桜の木の下で写真を撮りました。

 

 

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