仙台気象台は桜の満開を発表しましたが

 

 我が寺の桜は散り始めました。

地面にも花が咲いたと思えばいいんでしょうね。

 

 

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」という林芙美子の一節は有名ですね。でも全文を読んだことは無いなあ。そういう意味で、インターネットは便利で有難い。

 

全文を紹介している記事が有ったので、引用させていただきます。

 

風も吹くなり 

雲も光るなり

 生きてゐる幸福(しあわせ)は 波間の鷗のごとく

 漂渺とたゞよひ

 生きてゐる幸福は 

あなたも知ってゐる 

私もよく知ってゐる

 花のいのちはみじかくて

 苦しきことのみ多かれど

 風も吹くなり 

雲も光るなり

 

全文を読めば、決してネガテイブな詩で無いことはわかります。花の命は短い。だから、咲いた瞬間の美しさは尊いのだと思います。我々を感動させ、我々の心を潤してくれるのだと思います。

 

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4月8日は降誕会ー花まつりーです

 

4月8日はお釈迦様の誕生日です。命式名称を降誕会(ごうたんえ)と言います。一般には、花まつりと言われてます。

 

花御堂をつくり、水盤に甘茶を入れ、そこに誕生仏を祀ります。小さな柄杓で甘茶を汲み、誕生仏に注ぎ、手を合わせてお参りします。

 

 

昔から本堂の本尊様に前に祀っておりますが、一般の方はどうしても本堂まではいることを遠慮してしまいます。5年前から本堂前ににも誕生仏を祀るようにしました。お花見がてら散策する方が洞林寺の桜を見て境内に入って来られ、本堂前の誕生仏をお参りしておられました。

 

 

 

 

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今年もライトアップしました

 

 4月4日で枝垂れ桜は満開になりました。

 

 4月3日からライトアップしました。

 

 

 

4月6日は雨天だったため、ライトアップは中止しました。

4月7日、4月8日はライトアップしようと思います。

 

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枝垂れ桜が満開です 仙台 洞林寺

 

3月28日に開花した枝垂れ桜が満開になりました。

 

 

 

今朝の時点ではソメイヨシノは少ししか咲いてませんでした。

日差しが暖かかったせいか、日中にかなり開きました。

明日明後日が最高の見頃だと思います。

今晩からライトアップしようと思います。

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伝道標語 令和6年 新年

 

 

謹賀新年

新しい風に

思いを手放す

まっさらな私

美しい私になる

 

 

この標語は、弟子が考え書いてくれました。

 

人間とは生きている限り、我欲と執著にまみれて生きていく。そういう存在です。我欲と執著にとらわれない、我欲と執著を日々洗い流していきましょう。そういうメッセージです。

 

禅語では、放下着(ほうげじゃく)といいます。

 

 

道元禅師様が敬愛してやまない禅僧に宏智正覺(わんししょうがく)禅師(1091~1157)という方がおられます。道元禅師様は「宏智古仏」と称えて居られます。中国太白山の天童山景徳寺住職を長く勤められた方です。この宏智禅師は頌古百則という語録を残されており、万松行秀(1166~1246)禅師が示衆・著語・評唱などを付して『従容録』というた公案集に編纂しました。

 

 『従容録』の第57則に、次のような問答があります。

 

 厳陽尊者が趙州禅師に、

「一物不将来の時、如何」と尋ねます。

(私はすべて捨ててしまって、何も残っていません。どうしたら良いでしょうか?)という意味の質問です。

 

 そこで、趙州禅師は、一言「放下著」と答えます。

 

 すると、厳陽尊者が、

「已(すで)に是れ一物不将来、這(こ)の什麼(なに)を放下せん」

(何も持っていない、と言っているのに捨てろと言うんですか。何を捨てたらよいのか。)と尋ねます。

 

 そこで、趙州禅師は、

「恁麼(いんも)ならば則ち担取し去れ」

(それでは、捨てたという思いをかついで行け。)と答えたのであります。

 

趙州禅師からみれば、厳陽尊者が「何も持っていない。全部捨てた。」と語っていることに慢心が感じられたのではないでしょうか?だから、趙州禅師は、厳陽尊者に「何もかも捨てた」という気持ちそのものをも捨ててしまわなければ本当に捨ててしまったことにはならないと諭したのでしょう。

 

この逸話は単なる昔話ではありません。現代の人間にも言えることです。今の時代でも、SNSや動画サイトに画像や動画を投稿し、多くの方から「いいね!」という評価を欲しがる方は少なくないようです。こういう「承認欲求」は自分を高めるためのモーテイベーションともなりますので、一概に悪いこととは言えません。しかし、行き過ぎると独善的なったりハラスメントになったりというケースもあるようです。注意も必要です。増上慢にならないよう、「いいね!」を欲しがる「欲求」を洗い流すことも必要なんじゃないでしょうか。

 

 『放下着』の「放下」とは、執着を離れる・こだわらない・捨てる・去ると言う意味です。 『着』は、命令を表す助字で、「~せよ」と言う意味です。「執着を離れよ」・「こだわるな」・「捨てよ」と理解すれば宜しいと思います。

 

 

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境内の桜が開花しました 2024年年3月30日

 

 

1月2月は暖かい日が多かったので、今年の桜は早いだろうなあと思ってました。ところが3月が結構寒い。お彼岸になっても、寒い日が続いてました。お彼岸が過ぎても、晴れた日は少なかった。でも、3月30日の午後に数輪咲きました。

 

写真を撮るのが、夜になってしまいました。

 

 

 

 

明日は昼間に撮りたいと思います。

仙台気象台の開花宣言は4月1日頃でしょう。

 

 

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能登半島地震に思う事

           

                                                      洞林寺住職

 

1、群発地震と言う前触れは有ったが、

 既に皆様ご承知のことですが、一月一日十六時十分に能登半島から北陸各地にかけてマグニチュート7・6の強い地震が発生し、最大震度7の揺れを記録しました。気象庁の発表によると、発生場所は「石川県能登地方(輪島の東北東30㎞付近) 深さ 十六㎞」とのことです。気象庁は今回の大規模な地震を「令和六年能登半島地震」と命名してます。

石川県能登地方では、令和2年(2020年)12月から地震活動が継続しており能登群発地震と命名され警戒していたとのこと。気象庁によると、2020年12月以降、2024年1月2日13時の時点で震度1以上の揺れを六七五回観測しているそうです。能登半島にお住いの方々も全く警戒していなかった訳ではないでしょうが、こんなに凄い地震が来るとは思っていなかったでしょう。

 

 

 思い返しますと、2011年の東日本大震災の時にも、3月11日の前日にも前々日にも結構強い揺れの地震がありました。後で振り返れば、「大震災の前触れだった」と気が付きますが、たとえ「大地震の前触れかも。」と思ったとしても、いつ発生するかわからない大地震のために避難生活に入ることは現実には有り得ません。万全の対策なんて無理だあ、と思います。東日本大震災並みの地震なんて二度と来て欲しくないが、来ないという保証は無い。東日本大震災で無事であったとしても、もし直下型の強い地震が来たら、安全とは言えない。能登半島の被災状況は決して他人事ではない。其の事を肝に銘じたい。

 

2、復興への道のりは険しい

 能登半島を中心に自衛隊・警察・消防・医療関係者・全国の自治体から派遣職員・ボランテイア団体等、多くの方々が被災者支援と復旧復興活動に当たっている。しかし、其の道のりはかなり険しい。3月1日付の毎日新聞に、能登半島に支援のために派遣された神戸市の課長さんへの取材記事が載ってました。

 

「今回は発生から五日たった1月6日から12日まで被災地入りした。情報連絡員として石川県珠洲市の災害対策本部で情報集約に当たり、避難所も回った。

 半島に足を運ぶと、至る所で民家が倒壊し、津波や海底の隆起があった港湾は使えなくなった。道路は積雪の影響で寸断され、各地に点在する避難所や集落に向かうのは困難だった。一週間がたってもライフラインが復旧する兆しが見えず、阪神大震災時より悪条件が重なっていた。これだけの被害は想定外。現地で初めて分かることが多く打つ手がなかった。」と問題点を指摘しておられる。問題点や課題はまだまだあるが、到底ここに書ききれるものではない。

シャンテイ国際ボランテイア会のホームページより

 

 災害から二カ月が経つが、電気水道が復旧していない地域はかなりあります。仮設住宅もいくらか完成し入居が始まるようですが、数が足りないそうです。仮設住宅が完成したとしても、飽くまでも復旧への一歩に過ぎない。生活・産業・医療・教育等、課題は有りすぎる。政府も自治体も鋭意取り組んではいるのだろうが、被災者の方々の不安と不満は大きいでしょう。

 

3、被災者を力づけるには

 今横浜市にある大本山總持寺は明治までは能登半島の輪島市門前町にありました。現在も本山別院である總持寺祖院として護持されてます。總持寺祖院の近所にある曹洞宗興禅寺という寺があり、そこの御住職市堀玉宗師が門前に掲示したポスターが幾つかの新聞に紹介されたそうです。

 

石川県の地方紙『北國新聞』令和6年1月9日付けの記事を引用させていただく。

 

「負けてたまるか!!」 

  不屈の住職、地域励ます

 07年全壊、門前の興禅寺 

 〈1.1大震災〉

 

「負けてたまるか‼」。昨年の第8回赤羽萬次郎賞で優秀賞を受けた輪島市門前町の法輪山興禅寺の住職市堀玉宗さん(68)が、通りに面した寺の掲示板の張り出しで被災者を懸命に励ましている。2007年の地震で寺が全壊し、再建。再びの大地震に、「みんなに響くかは分からないが、自分への呼びかけでもある」と思いを語る。

 境内の灯籠や石像が軒並み倒れ、市堀さんは地震発生以降、片付けに追われていた。再建した本堂は難を逃れたが、「揺れは前の比じゃなかった」と振り返る。

 通りからよく見える掲示板は、さまざまな言葉とともに地域を見守り続けてきた。今回の地震後には「人生いろいろある。でも諸行無常の中であきらめないでほしい」との思いを強め、墨でしたためた。

 地震後の混乱の中でも、近隣住民が菓子を持って訪れてくるほど愛されている。「ありがとう」と顔をほころばせる市堀さん。「進んでいた人口減が、地震でさらに加速するかもしれない。それでも寺を続ける。最後の一人になるまで」。地域住民のよりどころであり続ける覚悟だ。

 輪島市門前町 興禅寺の掲示板  市堀住職がFacebookに投稿した写真

 

地震直後でも安否を気遣ってくれる方、励ましてくれる方、物資を届けてくる方が居たそうです。そういう励ましが有ったからこそ市堀住職は「負けてたまるか」の標語を書き、周囲の方々を励ましています。

 東日本大震災の時、仙台に住む、宮城に住む、東北に住む多くの人々が力を失い落胆し打ちひしがれていました。そういう我々を力づけてくれたのは、全国各地からの支援であり、世界各地からの支援である。

其の事を忘れてはならない。そして、其の時の感謝の気持ちを、能登半島の復旧復興支援に向けましょう。

 行動可能な方は現地で支援し、現地に行けない方は義援金に託して気持ちを届けましょう。道は険しい。でも、みんなの支援で被災者の背中を押してあげましょう。  (洞林寺護持会会報『錦柳』令和6年春彼岸号 )

 

 

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あの日から13回目の3.11

 

東日本大震災から13年が経ちました。

沿岸部に行けば、震災の傷跡を見ることは出来るでしょう。津波被害の無かった地域の場合、震災の記憶が風化する可能性があります。震災伝承施設を有効に活用することも大事ですが、一人一人が常に高い防災意識を持ち、周囲への思いやりをもった生活を送る事こそが大事だと思います。

 

3月11日午後2時46分から鎮魂の祈りを込めながら梵鐘を九声撞きました。

その後、本堂の須弥壇に「東日本大震災物故者諸精霊」の位牌を祀り、家族で読経焼香いたしました。

 

震災の犠牲となられたすべての方々のご冥福を祈らせていただきました。

 

 

 

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2月15日は涅槃会でした

 

 午前6時に梵鐘を撞き、本堂へ。

 

通常は、本尊聖観世音菩薩に向って朝課を勤めますが、この日は本堂東序に架けてある涅槃図でお勤め。

 

 

点燭し線香を立て香を焚き、「仏遺教経」(正式には、仏垂般涅槃略説教誡経 ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう)を唱えました。

 

 

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相承

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

( 仏の教えを受け継いでいく

                ―瑩山禅師七百回大遠忌予修法要―

 

                             洞林寺住職

 

1、總持寺での大遠忌予修法要

 

 11月28日、曹洞宗宮城県第二教区主催の団体参拝旅行で大本山總持寺に参拝して参りました。参拝団の参加者は、教区の住職と副住職が十七名、檀信徒三十七名、総勢五十四名でした。洞林寺からは護持会副会長の横田俊明さんと護持会役員の黒川利博さんがご参加いただきました。

 大本山總持寺に団体バスで到着し、檀信徒の方々は本山内を修行僧に案内されて拝観して本堂である大祖堂へ。我々僧侶は法衣に着替え、大祖堂の東側に立ち並びます。参拝団の檀信徒は須弥壇上の

)太祖瑩山禅師様に向かって正面の八尺間に座ります。殿鐘が鳴り始め、總持寺の役寮と修行僧約五十人が入ってきて大祖堂の中央大間に並びます。そして、焼香師、第二教区長大林寺御住職が本山役寮に先導され上殿して、太祖瑩山

)禅師七百回大遠忌予修法要法要が始まります。

大本山總持寺 大祖堂(だいそどう) 

 

焼香師は初めに太祖瑩山禅師の遺徳を讃える法語を読み上げます。

 

光を伝え 徳を弘むる諸嶽山

大祖堂裏 報恩の(えん)

法灯七百 忌景(きけい)を迎え

心香一片 真前に拝す

 

法語の意味を意訳し補足しますと、

「瑩山禅師様が提唱録『伝光録』で述べられているように、お釈迦様の教えが祖師方に伝えられ、瑩山禅師様が更にお弟子様たちに伝えて、そして我々にも伝えて来られました。そして瑩山禅師様は貴賤を問わず多くの人々の心に寄り添い、徳を弘めて来られました。それが、ここ諸嶽山總持寺という道場です。今ここ總持寺大祖堂で報恩のための法要を勤めさせていただきます。瑩山禅師の法灯を今に伝え、七百回忌という大きな節目を迎えております。心を込めて御香を焚き、謹んで瑩山禅師様にお拝させて戴きます。」

 

 焼香師は法語を唱え終わると、須弥壇

()前に進み、太祖瑩山禅師様に蜜湯、菓子、御茶を御香に薫じ、瑩山禅師様の御真前にお供えいたします。これを献供(けんぐ)と言います。

 

 

 献供(けんぐ)  焼香師が蜜湯、菓子、御茶を香に薫じてお供えします

 

 献供が終わり、読経が始まります。第二教区参拝団一同、本山役寮の案内で前に進み、太祖瑩山禅師様にお焼香させていただきました。続いて参拝団の先祖代々を供養する総諷経をお勤めいただきました法要終了後、大祖堂前で記念写真を撮り、總持寺を辞しました。

 

2、大悲真読(だいひしんどく)

)と二祖

()

()禅師

 

 總持寺では毎日の朝課の御両尊諷経や歴代禅師様の正当法要の際に、大悲陀羅尼(だいひしんだらに)というお経を唱えます。この度の大遠忌法要でも大悲心陀羅尼をお唱えしました。總持寺では、大悲真読と言って非常に非常にゆっくりと唱えます。

 

  読経 大悲真読

 

 瑩山禅師様が亡きあと、峨山(がさん)禅師様が總持寺二祖となりました。峨山禅師様は瑩山禅師様終焉の地である羽咋の永光寺(ようこうじ)の住職を兼務していた時期がありました。どちらも瑩山禅師が開かれた大事なお寺です。峨山禅師様は毎朝未明に羽咋・永光寺の朝課を勤めてから、能登半島を南北に貫く十三里の道(峨山道)を走り抜け、能登・總持寺の朝課に駆けつけたと言われております。日々、師匠瑩山禅師様ための報恩の行を繰り返されたのでした。能登總持寺では峨山禅師の到着を待つため、大悲心陀羅尼をゆっくりゆっくりと読むようになったと言われております。その伝統が大悲真読という形で今日に受け継がれています。

 

        輪島市門前町 大本山總持寺祖院の大祖堂

                  總持寺祖院側の「峨山道」入口

  羽咋市 永光寺(ようこうじ)の本堂


      永光寺側の「峨山道」入口

 

3、相承   ―「両箇(りょうこ)の月」という逸話ー

 大本山總持寺では、大遠忌のテーマを「相承(そうじょう)」としております。相承とは、師匠から弟子へ正しい仏の教えを伝え、途絶えることなく次の弟子たちへ伝えていくことです。釈尊からわった正伝の仏法は、インド、中国と嫡々相承して大本山永平寺開祖道元禅師様そして大本山總持寺開山瑩山禅師様に至り、瑩山門下のお弟子様たちが全国へと教えを広め、寺院が建立され、日本一の寺院数を誇る曹洞宗となりました。

  

   大本山總持寺御開山 太祖瑩山禅師様

大本山總持寺二祖 峨山禅師様

 

 瑩山禅師様が弟子峨山禅師様を指導された時の「両箇(りょうこ)の月」という逸話があります。

 

若き日の峨山韶碩禅師は瑩山禅師の徳望を伝え聞き弟子入りし加賀大乗寺で修行に励まれました。或る時、瑩山禅師が「月が二つあることを知っているか」と峨山禅師に問われました。しかし峨山禅師は意味が分からず、その答えを求め修行に没頭する日々を過ごしました。ある日、月夜の坐禅中、近くに来た瑩山禅師の弾指した音により大悟されました。

佐藤俊明著『二つの月』表紙

 

 “二つの月”とは、天上に輝く月と、 自らが宿している月のことです。天上に輝く月は、仏法そのものを指します。そして、私たち一人一人にも、月(仏法)が宿っているのです。仏様の教えを象徴する“月”は、外側から常にその光を私たちに注いでくれています。その教えをいただく私たちは、言葉や文字を通じてそれをわかったつもりになっているようですが、それは仏様の示された教えそのものではありません。自分の外側に見えている月、それは実のところ月を指し示す指でしかないのです。私たちが仏様の教えを受け止めて自分のものとし、自らの生き方や生活の中に活かすことが出来て初めてその教えは本物の“月”となるのです。

「仏様の教えを受け止め、実践する私たち一人一人にも同じ月が宿っているのだ。」と瑩山禅師は峨山禅師にお伝えになられたのです。そして、峨山禅師に伝えられた教えを受け継いで、我々もしっかり学び修行していく。それが、大遠忌のテーマである「相承」なのです。

 お檀家の皆様の御先祖は御戒名を受けて仏弟子となっております。皆、道元禅師様瑩山禅師様の門下生です。皆様もいずれ門下生になります。正伝の仏法を学び、次世代に相承してまいりましょう。

 

                洞林寺護持会会報『錦柳』令和6年新年号 掲載

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