相承

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

( 仏の教えを受け継いでいく

                ―瑩山禅師七百回大遠忌予修法要―

 

                             洞林寺住職

 

1、總持寺での大遠忌予修法要

 

 11月28日、曹洞宗宮城県第二教区主催の団体参拝旅行で大本山總持寺に参拝して参りました。参拝団の参加者は、教区の住職と副住職が十七名、檀信徒三十七名、総勢五十四名でした。洞林寺からは護持会副会長の横田俊明さんと護持会役員の黒川利博さんがご参加いただきました。

 大本山總持寺に団体バスで到着し、檀信徒の方々は本山内を修行僧に案内されて拝観して本堂である大祖堂へ。我々僧侶は法衣に着替え、大祖堂の東側に立ち並びます。参拝団の檀信徒は須弥壇上の

)太祖瑩山禅師様に向かって正面の八尺間に座ります。殿鐘が鳴り始め、總持寺の役寮と修行僧約五十人が入ってきて大祖堂の中央大間に並びます。そして、焼香師、第二教区長大林寺御住職が本山役寮に先導され上殿して、太祖瑩山

)禅師七百回大遠忌予修法要法要が始まります。

大本山總持寺 大祖堂(だいそどう) 

 

焼香師は初めに太祖瑩山禅師の遺徳を讃える法語を読み上げます。

 

光を伝え 徳を弘むる諸嶽山

大祖堂裏 報恩の(えん)

法灯七百 忌景(きけい)を迎え

心香一片 真前に拝す

 

法語の意味を意訳し補足しますと、

「瑩山禅師様が提唱録『伝光録』で述べられているように、お釈迦様の教えが祖師方に伝えられ、瑩山禅師様が更にお弟子様たちに伝えて、そして我々にも伝えて来られました。そして瑩山禅師様は貴賤を問わず多くの人々の心に寄り添い、徳を弘めて来られました。それが、ここ諸嶽山總持寺という道場です。今ここ總持寺大祖堂で報恩のための法要を勤めさせていただきます。瑩山禅師の法灯を今に伝え、七百回忌という大きな節目を迎えております。心を込めて御香を焚き、謹んで瑩山禅師様にお拝させて戴きます。」

 

 焼香師は法語を唱え終わると、須弥壇

()前に進み、太祖瑩山禅師様に蜜湯、菓子、御茶を御香に薫じ、瑩山禅師様の御真前にお供えいたします。これを献供(けんぐ)と言います。

 

 

 献供(けんぐ)  焼香師が蜜湯、菓子、御茶を香に薫じてお供えします

 

 献供が終わり、読経が始まります。第二教区参拝団一同、本山役寮の案内で前に進み、太祖瑩山禅師様にお焼香させていただきました。続いて参拝団の先祖代々を供養する総諷経をお勤めいただきました法要終了後、大祖堂前で記念写真を撮り、總持寺を辞しました。

 

2、大悲真読(だいひしんどく)

)と二祖

()

()禅師

 

 總持寺では毎日の朝課の御両尊諷経や歴代禅師様の正当法要の際に、大悲陀羅尼(だいひしんだらに)というお経を唱えます。この度の大遠忌法要でも大悲心陀羅尼をお唱えしました。總持寺では、大悲真読と言って非常に非常にゆっくりと唱えます。

 

  読経 大悲真読

 

 瑩山禅師様が亡きあと、峨山(がさん)禅師様が總持寺二祖となりました。峨山禅師様は瑩山禅師様終焉の地である羽咋の永光寺(ようこうじ)の住職を兼務していた時期がありました。どちらも瑩山禅師が開かれた大事なお寺です。峨山禅師様は毎朝未明に羽咋・永光寺の朝課を勤めてから、能登半島を南北に貫く十三里の道(峨山道)を走り抜け、能登・總持寺の朝課に駆けつけたと言われております。日々、師匠瑩山禅師様ための報恩の行を繰り返されたのでした。能登總持寺では峨山禅師の到着を待つため、大悲心陀羅尼をゆっくりゆっくりと読むようになったと言われております。その伝統が大悲真読という形で今日に受け継がれています。

 

        輪島市門前町 大本山總持寺祖院の大祖堂

                  總持寺祖院側の「峨山道」入口

  羽咋市 永光寺(ようこうじ)の本堂


      永光寺側の「峨山道」入口

 

3、相承   ―「両箇(りょうこ)の月」という逸話ー

 大本山總持寺では、大遠忌のテーマを「相承(そうじょう)」としております。相承とは、師匠から弟子へ正しい仏の教えを伝え、途絶えることなく次の弟子たちへ伝えていくことです。釈尊からわった正伝の仏法は、インド、中国と嫡々相承して大本山永平寺開祖道元禅師様そして大本山總持寺開山瑩山禅師様に至り、瑩山門下のお弟子様たちが全国へと教えを広め、寺院が建立され、日本一の寺院数を誇る曹洞宗となりました。

  

   大本山總持寺御開山 太祖瑩山禅師様

大本山總持寺二祖 峨山禅師様

 

 瑩山禅師様が弟子峨山禅師様を指導された時の「両箇(りょうこ)の月」という逸話があります。

 

若き日の峨山韶碩禅師は瑩山禅師の徳望を伝え聞き弟子入りし加賀大乗寺で修行に励まれました。或る時、瑩山禅師が「月が二つあることを知っているか」と峨山禅師に問われました。しかし峨山禅師は意味が分からず、その答えを求め修行に没頭する日々を過ごしました。ある日、月夜の坐禅中、近くに来た瑩山禅師の弾指した音により大悟されました。

佐藤俊明著『二つの月』表紙

 

 “二つの月”とは、天上に輝く月と、 自らが宿している月のことです。天上に輝く月は、仏法そのものを指します。そして、私たち一人一人にも、月(仏法)が宿っているのです。仏様の教えを象徴する“月”は、外側から常にその光を私たちに注いでくれています。その教えをいただく私たちは、言葉や文字を通じてそれをわかったつもりになっているようですが、それは仏様の示された教えそのものではありません。自分の外側に見えている月、それは実のところ月を指し示す指でしかないのです。私たちが仏様の教えを受け止めて自分のものとし、自らの生き方や生活の中に活かすことが出来て初めてその教えは本物の“月”となるのです。

「仏様の教えを受け止め、実践する私たち一人一人にも同じ月が宿っているのだ。」と瑩山禅師は峨山禅師にお伝えになられたのです。そして、峨山禅師に伝えられた教えを受け継いで、我々もしっかり学び修行していく。それが、大遠忌のテーマである「相承」なのです。

 お檀家の皆様の御先祖は御戒名を受けて仏弟子となっております。皆、道元禅師様瑩山禅師様の門下生です。皆様もいずれ門下生になります。正伝の仏法を学び、次世代に相承してまいりましょう。

 

                洞林寺護持会会報『錦柳』令和6年新年号 掲載

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