能登半島地震に思う事

           

                                                      洞林寺住職

 

1、群発地震と言う前触れは有ったが、

 既に皆様ご承知のことですが、一月一日十六時十分に能登半島から北陸各地にかけてマグニチュート7・6の強い地震が発生し、最大震度7の揺れを記録しました。気象庁の発表によると、発生場所は「石川県能登地方(輪島の東北東30㎞付近) 深さ 十六㎞」とのことです。気象庁は今回の大規模な地震を「令和六年能登半島地震」と命名してます。

石川県能登地方では、令和2年(2020年)12月から地震活動が継続しており能登群発地震と命名され警戒していたとのこと。気象庁によると、2020年12月以降、2024年1月2日13時の時点で震度1以上の揺れを六七五回観測しているそうです。能登半島にお住いの方々も全く警戒していなかった訳ではないでしょうが、こんなに凄い地震が来るとは思っていなかったでしょう。

 

 

 思い返しますと、2011年の東日本大震災の時にも、3月11日の前日にも前々日にも結構強い揺れの地震がありました。後で振り返れば、「大震災の前触れだった」と気が付きますが、たとえ「大地震の前触れかも。」と思ったとしても、いつ発生するかわからない大地震のために避難生活に入ることは現実には有り得ません。万全の対策なんて無理だあ、と思います。東日本大震災並みの地震なんて二度と来て欲しくないが、来ないという保証は無い。東日本大震災で無事であったとしても、もし直下型の強い地震が来たら、安全とは言えない。能登半島の被災状況は決して他人事ではない。其の事を肝に銘じたい。

 

2、復興への道のりは険しい

 能登半島を中心に自衛隊・警察・消防・医療関係者・全国の自治体から派遣職員・ボランテイア団体等、多くの方々が被災者支援と復旧復興活動に当たっている。しかし、其の道のりはかなり険しい。3月1日付の毎日新聞に、能登半島に支援のために派遣された神戸市の課長さんへの取材記事が載ってました。

 

「今回は発生から五日たった1月6日から12日まで被災地入りした。情報連絡員として石川県珠洲市の災害対策本部で情報集約に当たり、避難所も回った。

 半島に足を運ぶと、至る所で民家が倒壊し、津波や海底の隆起があった港湾は使えなくなった。道路は積雪の影響で寸断され、各地に点在する避難所や集落に向かうのは困難だった。一週間がたってもライフラインが復旧する兆しが見えず、阪神大震災時より悪条件が重なっていた。これだけの被害は想定外。現地で初めて分かることが多く打つ手がなかった。」と問題点を指摘しておられる。問題点や課題はまだまだあるが、到底ここに書ききれるものではない。

シャンテイ国際ボランテイア会のホームページより

 

 災害から二カ月が経つが、電気水道が復旧していない地域はかなりあります。仮設住宅もいくらか完成し入居が始まるようですが、数が足りないそうです。仮設住宅が完成したとしても、飽くまでも復旧への一歩に過ぎない。生活・産業・医療・教育等、課題は有りすぎる。政府も自治体も鋭意取り組んではいるのだろうが、被災者の方々の不安と不満は大きいでしょう。

 

3、被災者を力づけるには

 今横浜市にある大本山總持寺は明治までは能登半島の輪島市門前町にありました。現在も本山別院である總持寺祖院として護持されてます。總持寺祖院の近所にある曹洞宗興禅寺という寺があり、そこの御住職市堀玉宗師が門前に掲示したポスターが幾つかの新聞に紹介されたそうです。

 

石川県の地方紙『北國新聞』令和6年1月9日付けの記事を引用させていただく。

 

「負けてたまるか!!」 

  不屈の住職、地域励ます

 07年全壊、門前の興禅寺 

 〈1.1大震災〉

 

「負けてたまるか‼」。昨年の第8回赤羽萬次郎賞で優秀賞を受けた輪島市門前町の法輪山興禅寺の住職市堀玉宗さん(68)が、通りに面した寺の掲示板の張り出しで被災者を懸命に励ましている。2007年の地震で寺が全壊し、再建。再びの大地震に、「みんなに響くかは分からないが、自分への呼びかけでもある」と思いを語る。

 境内の灯籠や石像が軒並み倒れ、市堀さんは地震発生以降、片付けに追われていた。再建した本堂は難を逃れたが、「揺れは前の比じゃなかった」と振り返る。

 通りからよく見える掲示板は、さまざまな言葉とともに地域を見守り続けてきた。今回の地震後には「人生いろいろある。でも諸行無常の中であきらめないでほしい」との思いを強め、墨でしたためた。

 地震後の混乱の中でも、近隣住民が菓子を持って訪れてくるほど愛されている。「ありがとう」と顔をほころばせる市堀さん。「進んでいた人口減が、地震でさらに加速するかもしれない。それでも寺を続ける。最後の一人になるまで」。地域住民のよりどころであり続ける覚悟だ。

 輪島市門前町 興禅寺の掲示板  市堀住職がFacebookに投稿した写真

 

地震直後でも安否を気遣ってくれる方、励ましてくれる方、物資を届けてくる方が居たそうです。そういう励ましが有ったからこそ市堀住職は「負けてたまるか」の標語を書き、周囲の方々を励ましています。

 東日本大震災の時、仙台に住む、宮城に住む、東北に住む多くの人々が力を失い落胆し打ちひしがれていました。そういう我々を力づけてくれたのは、全国各地からの支援であり、世界各地からの支援である。

其の事を忘れてはならない。そして、其の時の感謝の気持ちを、能登半島の復旧復興支援に向けましょう。

 行動可能な方は現地で支援し、現地に行けない方は義援金に託して気持ちを届けましょう。道は険しい。でも、みんなの支援で被災者の背中を押してあげましょう。  (洞林寺護持会会報『錦柳』令和6年春彼岸号 )

 

 

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