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彼女の母親は
機嫌が良く家庭の中が平和で
穏やかな時
時として彼女に面と向かって
「〇〇ちゃんが可愛くて仕方がない。〇〇ちゃんは私の宝物」と
目を潤ませ 、
微笑み、
愛おしそうに、
頭や髪や頬を撫でながら
臆面もなく言いはなちました。
彼女も子どもを産み
育て上げ
このようにデトックス行為をし始めて
毒母が面と向かって
「〇〇ちゃんが大事・・」発言は
毒母が自分可愛さ故の無神経な愛情手法だったとわかるようになりましたが
当時は彼女は
母親から
とても愛されているのだと思っていました。
まして
子供は無条件に母親に微笑んで欲しいし
母親の自分への愛情(自己愛の勘違いだとしても)は
今生のご褒美でしかなく、
この母親の幸せのためなら
なんだってしようと思うものです。
もし母親に
「あの人がいなければ私は幸せになれる」と聞いたら
その人を殺しに行ってしまうかもしれないのが
子どもなのです。
そして彼女も
毒母に愛されていると長いこと勘違いをし続けます・・・
彼女は
自分が親になって
我が子が可愛いものだということを知ると同時に
自分たち都合で起きている夫婦喧嘩を仲裁をさせたり
夫の暴力の盾になれと言ったり
人前で素っ裸にして着替えをさせたり
自分のおねしょを子供のせいにするなんてことが
ありえないことであり
子供が可愛いより自分可愛さからくる行為だということにも気づかされます。
そしてそれにより
毒母が面と向かって言ってきた
「〇〇ちゃんが可愛い」
も、自尊心を満たすためのものでしかなく
その後の彼女の人生を縛り付ける「呪いの言葉」でしかなかったことにも
気づかされました。
人として成熟していれば
我が子は可愛いものです。
何を引き換えにしても
子どもがどれほど可愛か・・・
どれほど大切か・・・
通常の精神状態で人格であれば当然のことです。
だからあえて
子どもに面と向かって行ってはいけない言葉なのです・・・
子供を大事に思うこと
愛していることは
言葉に出して言う場合は注意が必要です。
今になって思えば
毒母の場合
愛情に溢れた「親」だという自分を
空々しい言葉だけで
何も知らない無垢な我が子の洗脳にしようしていただけなのです。
そんな上っ面の言葉よりも
気分次第で接することをせず
日常的に
会話をたくさんする
黙って抱きしめる・・・
ことの方が愛情や
大切に思う気持ちが
正しく伝わるのではないか・・・
と
彼女は思うところです。
彼女は自分の子育てをするときに
我が事の距離のとりかたにとても苦慮しました。
ついつい我が子は可愛く
毒母同様
目を潤ませて切なそうに
いかにあなたが愛おしいか。を
言葉にしてしまいそうになるからです。
しかし
その言葉は子どもにとっては
呪いであり
子どもの自立を妨げるものであることを知っているので
決して口にはしませんでした。
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