今日も当ブログに
お越しいただき
ありがとうございます
ここで
少し
お伝えしておきたいのは
毒母には
悪気が全くなく
彼女も
お母さんが大好きだということです。
毒母は
我が子を愛せないことで
苦しんでいたりしていたわけではありません。
毒母は
彼女が可愛くてしかたないと思っており、
それは
ペットが可愛いのと同じような浅い愛情とは
自分で気づいていなかっただけです。
その証に
自分の手作りの服を
取っ替え引っ替え着せて
連れて歩きました。
その姿を近所や親戚に褒められ
「まめな母親、子供思いの母親、
愛情こもった手作り服しか着せない
母親の鏡のように囃し立てられ
いい気分になっていました。」
自分が
兄弟のおさんどんや
中卒のせいで
読み書きそろばんもおぼつかず
疎んじられてきた毒母にとって
自分のお手製の服を着せて
つれあるく歩く我が子を可愛いと褒められるのは
自分の低いキャリアを忘れることもできましたし
作品(我が子と服)が褒められることで
虚栄心と自尊心を存分に満たしてくれました。
そして
自分が時代のせいで
為しえなかったことを
彼女がなし遂げるたびに
自分も認められたような気になり、
少し遅れて生まれた自分の片割れが
自分が境遇のせいで
我慢したり
為しえなかったことや
諦めてきたことを
叶えるたびに
環境さえ整えば
私も同じようになれたんだ!
きっと勉強だってできたんだ!
という
都合の良い
すり替えの
格好の材料でとなったのです。
例えば
幼稚園で
リレーの選手に選ばれたら
自分のことのように喜ぶ
のではなく
自分も
時代が違えば
選ばれたんだ・・・となってすり替えられてしまうし、
モダンバレエを習わせて
センターを取ることができれば
自分のことのように喜ぶのではなく
この子がなれたんだから
きっと時代が違えば
私もなれたにちがいない
だって私の子ができることなんだから
私はそれ以上にできるはずだ
という具合にです。
毒母は
彼女が華々しい成果をあげるたびに
自分のことのように
自慢して歩くようになっていきました。
彼女も幼いうちは
親が喜ぶ姿を嬉しく感じ
近所や親戚などに自慢げに吹聴して歩く毒母の姿に
違和感や嫌悪感を感じることもなかったのです。
なぜなら
子供の活躍を喜ぶ母
という立ち位置として
喜んでくれていると思っていたから・・・
しかし
それは違っていました。
毒母にとって
彼女は
愛おしい
我が子などではなく
時代のせいで
読み書きそろばんができず
惨めな思いをしていることを
払拭するための道具
私だってやればできた
と
世間に認めさせ
起死回生するための
証明書でしかなかったのです。
同じような境遇の方
彼女の言いたいこと
境遇を
理解してくださるようでしたら
ぜひ
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