東海林 順の一人旅 -3ページ目

父が脳梗塞で入院しました⑤

さて、おかげさまで父の手術は無事終わりました。

手術後に面会に向かったのですが、呼ばれて行った時間からさらに一時間ちょい待って

集中治療室で面会となりました。

しかし術後の麻酔が効いている状態だったため、いびきかいて寝ている・・・

顔だけならただ寝ているだけのようですが・・・

ということで、手術当日は面会できたものの、父はまだ意識のない状態でした。







で、月が替わって5月2日は普通にお仕事に。

いつも通りに洗濯物等の受け渡しに行ったのですが、

医者のスケジュールがちょうどよかったということで、医師の説明を聞いていくことに。

昨日と同じ集中治療室に入ります。

・・・と、ここでなにやら父が動いている。

近くに行ってみると、何やら一生懸命左半身、

左足と左腕、そして首を振っている・・・?

何となく様子をみて声をかけてみると目を開けてなんとなく私を見てわかったような感じ・・・

一生懸命体を動かそうとしているのかな?

落ち着け、と話しかけてみるといったんは静かになるものの、

しばらくするとまた体を動かし始めるという・・・

医師が来て状況を見て、「本人が病状把握ができていない状態かも」とのこと。

もしかしたらいつも通りに目が覚めてみたらなんか身体が固定されていて

一生懸命動こうとしていたのかもしれない・・・

真相は分かりませんでしたが、

なんとなく動こうとしている父の意思を感じることができた気がして

ちょっとホッとしている自分がいました。









で、父の様子が落ち着いてきたころを見はからって医師のいるブースへ。

手術の経過と状況の説明を聞いてきました。

ひとまず手術の効果は出たようで、

脳の左右で血流の差があまりない状態になっていました。

ただ、血流が通常とは異なっているので、

脳の状況が落ち着くまでに1~2週間かかるらしいです。

その間リハビリなども治療と同時に取り掛かっていって、

今後のリハビリ転院も検討していくということですが、

現時点ではまだ何とも言えないとのことで。

入院もかなりの長期になりそうです。

あとはもう、本人の回復力と運に任せるほかありません。








医師の説明を聞いたあと、もう一度父の様子を見てきたんですが、

相変わらず体を動かそうとしている。

そして時々頭を起こすんですね・・・

ここまで自力で動いているというのは、

手術前のつねっても反応しに状態から比べると格段に改善したように思えますが・・・

やはり何も言葉にはならないようで。

なんとなく自分を見て何か言いたそうな感じではあるんですが、

こちらからはみんな待ってるよ、とか頑張れ、くらいしか言えず。







そうこうしているうちに父も疲れたのか、だんだん眠そうな感じに。

とりま、また来るからな!と声をかけて集中治療室を後にしました。

何とか快方に向かってくれることを祈るしかできません。





















父が脳梗塞で入院しました④

いつもと様子の違った父が救急搬送されてしまいました。

検査の結果、脳梗塞が発見され、緊急入院となっていましたが

ここまでの投薬治療では抜本的解決とはならず、

急遽ですが手術することになりました。

医師の話では日本ではかなり古くからおこなわれていた術式で、

手術自体のリスクは低いらしいのですが、

繊細な手術になるので、とにかく時間がかかるとのこと。

幸い父の体力的には問題ないだろうということと、

このまま投薬だけ続けていては悪化のリスクが高いことなど

家族でもいろいろ考えた結果、手術を受けることになりました。

GWということもあり、手術するならこの日しかない、ということで

本日、5月1日、手術室まで付き添いで行ってきました。

急遽アメリカから帰国した弟もつれていきました。

病室から手術室に行くまで付き添いで一緒にいってたのですが、

父は終始寝っぱなし・・・

これまでの経過からして脳梗塞の影響なのか、時折意識がぼーっとして

すぐ寝てしまうことがあると聞いていたので、そういうことなのか・・・?

とりま、手術室まで行ってきました。

脳外科の大規模な手術室というのは初めてみましたが、ほんとにでかい・・・

まるでアリーナの入り口のような・・・

私も小さな頭の手術をしたことがありますが、

頭皮にできたできものを切除するだけだったので局所麻酔でしたし、

脳外科ではなくて整形外科だったんだっけか・・・?

なんだか朝から病院の施設に圧倒されっぱなしでしたが、

無事、付き添いの任務は完了してきました。








医師から手術の目安として5~7時間かかると聞いているので、

これを書いている今からでもかなりの時間がかかることになります。

医師の体力、集中力はほんとに凄いな・・・

家族には無事を祈ることしかできませんが、

なんとか術後の経過もうまく流れていってほしいところです。









とりまこの後、病院から手術の終わりに連絡が来ることになっているので

それまでは何となく落ち着かない時間を過ごすことになります。

とにかく無事の手術完了を願って!





















父が脳梗塞で入院しました③

ということで、父が脳梗塞で入院して三日目です。

一説には魔の三日間というらしいですね・・・

一般的にも発症して三日間は症状が大きく上下するらしいです。









一応この日は朝から普通に出勤していました。

大体の状況と今後の入院の見通しとか当面の勤務形態とか話をさせてもらって、

なるべく給料が減らないように出勤時間をずらすとかの調整をしてもらえることになりました。

と、当面のめどが立って一安心していたところに

今度は病院から連絡が。

なんでも今朝方、手足の動きが悪くなってきているということで

状況の説明を医師からしたいというのです。

で、12時から医師との面談ということで予約をもらって会社にその旨伝えました。









で、11:30で早退させてもらって、いったん家に帰って一路病院へ。

ほぼ時間ぴったりに病院へ到着。

こういう時職場や家から病院が近いということ自体がありがたいですね。

担当の医師に事の経緯と現在の様子を聞きました。

かいつまんで言うと、脳梗塞の範囲が少し広がって、結果半身まひの状態が出たとのこと。

その後、回復してきて今は動かせる状態になっているが、この週末にかけては

容態が大きく変化するかもしれないとのこと。

病院側の考えでは、長年の糖尿病による動脈硬化で血管が全体的にダメージを

受けていることもあって、外科的手術は推奨できないとのこと。

投与できる最大限の薬を入れていて、それでも容態が変化することがあるとのこと。

仮に今後リハビリをして退院できたとしても次の脳卒中のリスクが付きまとうこと。

こんな感じの説明がありました。

医師からも「厳しいことばかり言って申し訳ないけれども」とまで言われてしまいました。

かなり高い確率で半身不随もしくは重度の障害が残ることを覚悟してくれと。









父の年齢とこれまでの働き方とか食生活を考えると、

ある程度の納得はできるものの・・・

これまでずっと 疲れた疲れた 言いながら70歳まで働いてきた父への報いがこれかと

こちらもやるせない気分にはなりましたが、

入院するとき、最後まで入院を渋っていた父の方がよっぽど無念だったろうなとも思うのです。

普通ならもう仕事も引退して、趣味の絵でも描きながら年金もらってゆっくり生活していただろうに

なんて思うと、ほんとにやるせない気持ちになってきます。

話を聞いて帰った後、庭のバイクのところで今回初めて泣きました。










人間というものは感情を開放すると多少落ち着くようで、

その後は比較的落ち着いて家事なんかしていたような気がします。









で、医師の説明を聞いた後、看護師さんが父の病室へ連れて行ってくれました。

何かの配慮だったのかもしれません・・・

と、ある程度の覚悟をしていったのですが、

父は何やら右手を挙げて体操のようなことをしているではありませんか・・・

とりあえずベッドのそばまで行ってみると、私のことが分かったのか表情が緩みました。

しかし発する言葉が日本語になっていない・・・意味の分からない音を発している。

私が話しかけることは理解できるようでしたが、それに対する返答が支離滅裂というか

言葉になっていない感じです。

父は一生懸命考えて言葉を出そうとしていることはわかるのですが・・・

とまぁ、そんなことを繰り返しているうちにちょっとだけつながってくることがありました。

私の想像も入りますが、

「仕事はもう無理だな」とか「(右手が)動かない」とか「わかりません」とか。

この期に及んで仕事かよ、とも思いましたが、

なんというか、こんな状態になっても父らしいなと。

かれこれ一時間くらい話をさせてもらっていましたが、さすがに疲れてきたようなので

切り上げて帰ることに。

帰り際に「マイホーム」と言っていたので、帰りたいんだろうなと思いました。

みんな待ってるから、帰って来いよ!といってその日は病院をあとにしました。









自宅に帰ってきて一応の報告を母と父の二人の姉に伝えます。

この日は何食べても味がしなかったかな・・・















父が脳梗塞で入院しました②

ということで、その②です。





父が脳梗塞で緊急入院となって、病室から帰ってきて次の日。

なんだかんだで、いつもの時間(5:40)頃起床。

朝ごはんの買い出しにコンビニへ。

適当に食べられそうなものを買ってきて朝ごはんにします。

食べながら今日の段取り。

まずは父の二人の姉に連絡。

続いて父の職場その1へ連絡。

ここで自分の会社の出勤時間が近くなってきたので、事情を話して休みの連絡を入れます。

次に父の職場その2へ連絡を入れ、レッカーの手配の関係で折り返しをもらうことに。

この時点でだいたい9:30くらいだったかな。

で、次に救急搬送された最初の病院へ大体の支払金額を確認。

このときは折り返し連絡ということになっていましたが、その後連絡が来ました。

緊急搬送の際、保険証が確認できなかったので、全額自己負担だと約14万円になるとのこと。

CTとかMRIとかいろいろやりましたからね。

でもま、会計時に窓口で保険証を確認できれば、その保険の負担割合によって

再計算してくれるということで一安心。

で、病院の営業時間を確認して、段取りを決めました。








ということで、いったん自宅アパートに荷物を取りに行っていたのですが、

結局午後からの強行スケジュールっぽくなって、

13:30~14:00 クルマのレッカー立ち合い

14:30~15:00 病院支払い

15:30 入院セット搬入

という大まかな流れになりました。

最初に搬送された病院と入院先が近かったのが僥倖でした。

午前中に実家の車も洗車できましたし。








で、当初の時間通り、父の会社の人とレッカーの人と合流して、

クルマの保管場所へレッカーを伴って向かいます。

自分の予想とちょっと違った場所に車はありました。

一応状況を確認します。

(会社の敷地内だったので公道での事故報告のようなものはなかったみたいです)

結局父が言っていた通り、ガソリンタンクに穴が開いていたようで自走は不可。

それにしても見事に全部ガソリンが漏れてしまっていました・・・

19日は真夏日近い陽気で、万一エキパイとかに漏れたガソリンがかかったりしたら

即、車両火災に発展していたことでしょう・・・

そういう意味では運がよかったとしか言いようがない。

で、会社の人が念のためバッテリーも外しておいてくれたようで。

そのあと会社の人も手伝ってくれてレッカーに車を積み込みました。

そのまま登録してあるディーラーに持って行ってくれて、作業は終了。

入っていた自動車保険でレッカー代はカバーできるようでしたので

そちらも一安心。

あとは修理するとしたらどのくらいの費用になるかというところ。

これまた連絡待ちということになります。









で、思ったより早く作業が終了したので、支払いに行くことに。

窓口で救急搬送の支払いだということを伝え、保険証を提出して・・・

総合病院なので結構待ちました・・・と言っても30分くらいだったか?

とりま、手持ちの現金で十分間に合ったのでよかった。







ということで支払いも終わったのでいったん家に帰って

父の入院グッツにちょっと思い立ったものを追加して持っていきます。

なんだかんだで段取り通りに用事はすべて完了できました。

とここで病棟の看護師さんから提案が。

タオルを多めに持ってきてもらいたいとのこと。

それから紙おむつの支給を契約した方がいい状況だということで、契約してきました。






で、すべての用事が終わったところで自分の会社に状況を報告します。

なかなか自分の中で状況をかみ砕いて理解するのに時間がかかりました。

で、ついでだったので自分の車も洗車してくることに。

まぁこの時期なのですぐに汚れることはわかっているのですが、気分の問題です。







で、帰ってしばらくすると父の姉から状況確認の電話が。

おおよその報告をしたところ、父の姉は自分の父母と義理の父母と看取ってきた

ある意味先輩で、いろいろ今後の経過の予測とか、気を付けることなど

いろいろ教えてくれました。

ありがたいことです。






そんなこんんで、この日はもう19時過ぎたころから疲れというか、眠気が襲ってきて

21時ごろシャワって来たところまでは覚えているのですが、

いつのまに寝てしまったのか覚えていません。
















父が脳梗塞で入院しました①

標題のとおりなのですが、父が入院しました。(備忘録も兼ねて 長くなります)






ことの発端は19日、実家で父母と昼食をとって会社に戻ったところ、

14時くらいだったか、珍しく父から電話があったので折り返したところつながらない。

メールを見ると事故を起こしてしまったという内容が書かれていました。

で、何度かかけなおしてみると15時ごろようやくつながりました。

このときは(もともと喘息もちにしては)はっきりと喋っていて、

勤務先の敷地内での事故ということでこれからレッカーを手配するとのこと。

結果として会社の目の前にあるコンビニまで18時に迎えに行くことに。






で、定時ダッシュして迎えに行くと、何となく呆けた感じの父を発見。

コンビニによくある車止めに腰かけてるような感じで、遠くから呼んでも聞こえない模様。

そばに行って声をかけるとようやく反応しましたが、なにやらぼそぼそ言っているが聞き取れない。

とりあえず車に乗せて帰宅渋滞を縫って帰ってきました。

と、自宅の駐車場についたので、車から降りると思ってドアを開けたらなかなか出てこない。

ひとまず立ち上がったがバランスを崩して転倒しかけるので慌ててキャッチ。

転倒はしなかったものの、全身が脱力してる感じだったので、そのまま抱えるようにして家に。

ひとまず椅子に座らせて荷物を取りに車に戻ります。

で、荷物をもって家に戻ると、母が「やっぱりおかしい」と言います。

たしかに何か喋っていますが、全く意味をなさない言葉ばかり。

言葉というよりも何か音を発しているという感じ。

しばらくすると19時過ぎくらいになってようやく意味のある言葉を発するようになり、

どうやら会社に通勤用の車を登録する書類を書きたいらしい。

で、もらってきたと思われる書類を書こうとしている・・・







とここで父が発した言葉は「書けない」。

平仮名もカタカナも漢字もアルファベットも「書けない」。

試しにいつも使ってるiPadとかノートPCを渡してみますが、タイプもできない。

さすがにおかしいと思った私も救急通報を考え始めます。

と、ここで車のレッカーをすると言ってたのを思い出し、

クルマのディーラーの担当さんに電話してみることに。

すると、確かに電話はかかってきていて、サポートセンターの電話番号を伝えたとのこと。

で、担当さんも父の様子がちょっと普段と違った、と言います。

そこで念のため、レッカーの受付がされているか確認してみることに。

電話をかけてみると、受付の形跡はありませんでした。

確かに電話番号をメモした紙はあったのですが、電話まではできなかったのか、しなかったのか?

で、父に会社のどこに車を止めてきたのか聞いてみるも、覚えていないのか、言葉が出てきません。

いったんレッカーの話は保留にしてもらって、確認できたら改めて依頼することにしました。







で、近くの脳外科のある病院に電話してみるも、患者がいっぱいで受付できないとのことで、

茨城県の救急相談に電話して症状を伝えてみることに。

すると直ちに救急車を呼びなさいということになり、何年かぶりの119番通報。

状況を説明すると急行するとのこと。というか話している間にもう向かっていると。








救急隊が到着したところでは、ある程度受け答えができていた父ですが、

ろれつが回らないような状態があったということで、救急搬送することに。

結果的にひたちなか市の病院に決まって自分も車で後を追います。

奇しくも借りてるアパートに近かった・・・

で、20:30くらいに病院着。検査開始。

CTとかMRIを使うのでかなり時間がかかりました。

で、結果が出たのが23:00頃。

MRI 検査の結果は脳梗塞。

すぐに脳外科のある病院へ搬送するとのことで、日立市の病院へ。

奇しくも私が最初に電話をした病院でした。

検査結果がはっきりしていたので急性期の対応として受け入れてくれたのでしょう。

ということで、日立市の病院に到着したのがちょうど日が変わるころ。

救急車とほぼ同時に現着しました。

夕飯も食べてなかったので途中で牛丼屋さんに寄ったんですが、それはまた別の話。








で、すぐに引継ぎと救急対応が行われます。

私は医師から状況の説明を受けて緊急入院の手続きするのですが・・・

そこでちょっと父の声が聞こえたので行ってみると、

なんとこの期に及んで入院しない、とごねているとのこと。

確かに去年末の血糖値での入院時もなかなか入院の決断をしませんでした。

しかし今回は下手すると命にかかわります。しかも直ちに。

ということでちょっと検査室にお邪魔して説得。

何とか折れてもらって緊急入院となりました。







で、父が病室に入ったのが20日の2:00過ぎくらい。

病棟の看護師さんから入院の説明と書類を受け取って、私も病室へいって父と面会へ。

一応受け答えはできるみたいでしたが、さすがにしょげているのか、力が入らないみたいな感じです。

その後2:30くらいまで「これはしょうがないか」とか「家のことは任せろ」とか

いろいろ話をしていました。このときははっきり喋っていたかな。

で、この日は「みんな待ってるから帰って来いよ」と声をかけて帰宅しました。

今も病院はコロナ対策で家族でも面会は禁止です。

決まった時間に看護師さんに着替えとかの荷物を受け渡すだけで、

次に会えるのは退院時、みたいな感じなんですね。









で、そんなこんなで帰宅したのが3:00ちょっと前くらい。

さすがに疲れましたが、入院の書類は簡単だったのでサクッと記載してシャワって寝ました。

ついでに明日のやることリストを作って・・・

・父の職場への連絡と会社側とレッカーの対応(時間・場所)
・自分の会社への連絡
・保険会社への連絡とレッカーの手配(時間・場所)
・(決まったら)レッカーの立ち合い
・救急搬送と検査の支払い
・入院書類の提出
・入院グッツの準備と持ち込み、今後についての面談







初日の動きはこんな感じです。
備忘録替わりなのでいろいろ書いてます。