父が脳梗塞で入院しました③
ということで、父が脳梗塞で入院して三日目です。
一説には魔の三日間というらしいですね・・・
一般的にも発症して三日間は症状が大きく上下するらしいです。
一応この日は朝から普通に出勤していました。
大体の状況と今後の入院の見通しとか当面の勤務形態とか話をさせてもらって、
なるべく給料が減らないように出勤時間をずらすとかの調整をしてもらえることになりました。
と、当面のめどが立って一安心していたところに
今度は病院から連絡が。
なんでも今朝方、手足の動きが悪くなってきているということで
状況の説明を医師からしたいというのです。
で、12時から医師との面談ということで予約をもらって会社にその旨伝えました。
で、11:30で早退させてもらって、いったん家に帰って一路病院へ。
ほぼ時間ぴったりに病院へ到着。
こういう時職場や家から病院が近いということ自体がありがたいですね。
担当の医師に事の経緯と現在の様子を聞きました。
かいつまんで言うと、脳梗塞の範囲が少し広がって、結果半身まひの状態が出たとのこと。
その後、回復してきて今は動かせる状態になっているが、この週末にかけては
容態が大きく変化するかもしれないとのこと。
病院側の考えでは、長年の糖尿病による動脈硬化で血管が全体的にダメージを
受けていることもあって、外科的手術は推奨できないとのこと。
投与できる最大限の薬を入れていて、それでも容態が変化することがあるとのこと。
仮に今後リハビリをして退院できたとしても次の脳卒中のリスクが付きまとうこと。
こんな感じの説明がありました。
医師からも「厳しいことばかり言って申し訳ないけれども」とまで言われてしまいました。
かなり高い確率で半身不随もしくは重度の障害が残ることを覚悟してくれと。
父の年齢とこれまでの働き方とか食生活を考えると、
ある程度の納得はできるものの・・・
これまでずっと 疲れた疲れた 言いながら70歳まで働いてきた父への報いがこれかと
こちらもやるせない気分にはなりましたが、
入院するとき、最後まで入院を渋っていた父の方がよっぽど無念だったろうなとも思うのです。
普通ならもう仕事も引退して、趣味の絵でも描きながら年金もらってゆっくり生活していただろうに
なんて思うと、ほんとにやるせない気持ちになってきます。
話を聞いて帰った後、庭のバイクのところで今回初めて泣きました。
人間というものは感情を開放すると多少落ち着くようで、
その後は比較的落ち着いて家事なんかしていたような気がします。
で、医師の説明を聞いた後、看護師さんが父の病室へ連れて行ってくれました。
何かの配慮だったのかもしれません・・・
と、ある程度の覚悟をしていったのですが、
父は何やら右手を挙げて体操のようなことをしているではありませんか・・・
とりあえずベッドのそばまで行ってみると、私のことが分かったのか表情が緩みました。
しかし発する言葉が日本語になっていない・・・意味の分からない音を発している。
私が話しかけることは理解できるようでしたが、それに対する返答が支離滅裂というか
言葉になっていない感じです。
父は一生懸命考えて言葉を出そうとしていることはわかるのですが・・・
とまぁ、そんなことを繰り返しているうちにちょっとだけつながってくることがありました。
私の想像も入りますが、
「仕事はもう無理だな」とか「(右手が)動かない」とか「わかりません」とか。
この期に及んで仕事かよ、とも思いましたが、
なんというか、こんな状態になっても父らしいなと。
かれこれ一時間くらい話をさせてもらっていましたが、さすがに疲れてきたようなので
切り上げて帰ることに。
帰り際に「マイホーム」と言っていたので、帰りたいんだろうなと思いました。
みんな待ってるから、帰って来いよ!といってその日は病院をあとにしました。
自宅に帰ってきて一応の報告を母と父の二人の姉に伝えます。
この日は何食べても味がしなかったかな・・・