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ほんのにちようび

心に残った本のあらすじと感想をつづります。

(時に映画、マンガ、音楽などについても)

海堂 尊
チーム・バチスタの栄光
宝島社 ★★★☆

[あらすじ]

窓際の万年大学講師である田口が勤務する大学病院には、バチスタ手術(心臓手術の一種)のために結成された栄光のチーム・バチスタが存在する。彼らは、極めて難易度の高いこの手術で連勝記録を重ねていたのだが、あるときを境に連続して患者が術死するようになってしまった。そこで、その真相を探るために調査員として白羽の矢が立てられたのが田口だった・・・。


宝島社が1200万円という破格の賞金を提示して募集したのが「このミステリーがすごい!大賞」。記念すべき第一回受賞作品「四日間の奇蹟」で肩透かしをくらったので、それ以降スルーしていたのだが、これは対象の名にふさわしい、読み応えのある面白い作品だった。キャラクターは立っているし、謎解きの部分にも引き込まれるし、医師が書いた医者ものというだけあって、リアリティも抜群。


医龍やブラック・ジャックによろしくなんかより、こっちをドラマ化したほうがよっぽど面白いんじゃなかろうか。あ、それともそのうち映画化するのかな。



BGM:My brand new eden/山田タマル

司馬 遼太郎
新潮社 ★★★

[あらすじ]

幕末、雪深い越後長岡藩からひとりの若者が江戸へ、横浜へ、そして各地へと遊学の旅に出た。藩の持て余し者だったこの男、河井継之助はひとつの学問を究めようとするのではなく、それらの学問を究めた人々の言葉からものごとの原理を知ろうとするのだった。やがて遊学を終え、藩に戻った継之助に課せられたのは、激動の時代にいかにして藩を存続させていくかというあまりにも大きな命題だった・・・。


これこそ、司馬遼太郎の才能がいかんなく発揮された作品だろう。というのも、司馬作品の魅力は「登場人物の魅力」に尽きると思うのだ。こんな発言、こんなエピソードどこで調べてきたの?と思うような、詳細かつ人物像を表すのに的確な小ネタがどの作品にも随所にちりばめられている。


とはいえ、「才能がいかんなく発揮されている」理由は、この作品に小ネタが多いからではない。


主人公の河井継之助は、見ようによっては決して英雄ではないのだ。30過ぎまでふらふらし、芸者をあげて踊るのが趣味で、乱世のために藩の重役に取り立てられたものの、最終的には己の信念のために藩をつぶしてしまうのだから。でも、だからと言っていい加減な人物だったわけでは決してなく、やはり傑出した人物だった。そういう傑出した存在にもかかわらず、結果を出せなかった主人公であるのに、その才能、特異性、カリスマ性などを余すところなくきちんと描けているところが司馬遼太郎のすごさだろう。


高校生のとき習っていた日本史では、幕末ってちょっと苦手だったんだけど(覚えること多いし)、こうやって小説で読むと改めて面白い時代だったんだなあと思う。



BGM:R.G.B./Spangle call Lilli line


玄田 有史
希望学

「希望学」という学問ができたらしい、ということは同僚から聞いていたのだけれど(テレビをほとんど見ず、新聞も取っていないという編集者にあるまじき生活を送っている私にとって、同僚と同居人はかなり貴重な情報源である)、本が出たのを最近知ったので読んでみた。


ついに「希望」が研究されるようになったか・・・。なんだか社会の発展(退廃?)が行き着くとこまで行き着いた感がなくもない。「希望」を失った現代社会において、希望の意味とあり方を問う学問。


ざっくり研究結果を抜き出すと、

「家族から期待されていた人は希望を持ちやすい」

「友達が多い人は希望を持ちやすい」

「希望を持っている人の方が幸福度が高い」

「挫折経験のある人の方がない人よりも希望を持っている」

「やりがいのある仕事を経験したことがあると答えた人のなかで最も多かったのは、かつて希望する仕事があったが、その後断念して他の仕事についた人である」。


最後の結果について補足説明をすると、希望の職があってそれを達成した人よりも、希望の職につけずに軌道修正というプロセスを経て違う職についた人の方が仕事にやりがいを感じている、ということらしい。挫折によって自分の適性などをより的確に知ることができたとも推測できる。


この軌道修正のプロセスにおいて、他者の関与を受けることが必要である、と筆者は述べている。確かに孤独に挫折してるのって辛いもんなあ。玄田有史は、この「他者の関与」は家族・友人などの強いつながりに限らず、かえってウィーク・タイズ(日ごろあんまり深くかかわっていない人たち)における一言などがとても重要だ、と言っている。つまり、あんまり親しくない人の言うこともちゃんと耳に入れとけよ、ってことだ。確かに、遠くから見た方がはっきり見えることもあるだろうな。



BGM:SAKURA/いきものがかり




bungakukai


文学界の6月号に、「世界は村上春樹をどう読むか」という特集があることを聞き、借りて読んでみた。


面白かったのは、前半部分。柴田元幸が中心になって、村上春樹を訳した世界各国の翻訳者たちと、彼の作品を訳すことの難しさ、面白さを語っている。


たとえば、「グシャッ」というような擬音が悩みの種になるらしい。確かに擬音語・擬態語は日本語特有のものが多いから、これはなんとなく想像がつく。ほかにもひらがなとカタカナの使い分け(これは大文字と小文字の使い分けで対応している、という訳者がいた)や、海外では違う名前で販売されているスカイラインなどの車種名などをどう訳したか、というあたりに各国の訳者の工夫が感じられた。


面白かったのは、翻訳の過程において、原文にはなかった言葉遊びが生じることがあるということ。たとえば、「スパナで鎖骨を砕いた」という原文をチェコ語に訳すとき、チェコ語でスパナは「鍵」という意味を持ち、鎖骨は「鍵の骨」という意味になるので、訳文が「鍵で鍵の骨を砕く」という、一種洒落めいたものになるらしい。多言語が読める人だと、こういう原文になかった言葉遊びを訳書で発見できるという楽しみがあるんだろうなあ。ちょっとうらやましい。


ところで、内田樹が村上春樹の作品について、こんな見解をブログに載せていた。


村上文学には「父」が登場しない。

つまり、「父」的な支配者、抑圧的な存在がいないのだ。

村上春樹は、地図もなく、自分の位置をしるてがかりの何もない場所に放置された「私」が、それでも当面の目的地を決定して歩き始め、ランダムに拾い上げた道具をブリコラージュ的に使い、偶然出会った人々から自分のポジションと役割について最大限の情報と最大限の支援を引き出すプロセスを描く。
その歩みは足跡を残したごく狭いエリアについての「手描き地図」のようなものを作り上げるだけで終わる。

「父のいない世界において、地図もガイドラインも革命綱領も『政治的に正しいふるまい方』のマニュアルも何もない状態に放置された状態から、私たちはそれでも『何かよきもの』を達成できるか?」
これが村上文学に伏流する「問い」である。

(一部補足&省略してあります。あしからず)

今まで読んだ中で、もっとも納得のいく村上春樹の捉え方かも。



BGM:My brand new eden/山田タマル


内田 樹
ためらいの倫理学―戦争・性・物語
角川文庫 →殿堂入り

内田樹(うちだ・たつる)にすっかりはまってしまった。いや、出会ってしまった、といった方がいいかもしれない。


私は常々、本当に頭のいい人とは、難しいことをわかりやすくかみくだいて説明できる人だと思っている。そして、内田樹氏は私にとってまさにそんな人。フランス現代思想などの膨大な知識に裏打ちされた説得力ある主張と、長年の武道経験から培われた、ある種超自然的な感覚がほどよくブレンドされた彼のエッセイは、とてもバランスが良く、読んでいて心地よい。


この本のなかで彼は、現代の若者は「わからないことを気にしなく」なり、その知識の欠如を埋めようとしなくなった、という。私はまさにその世代だ。自分が興味のあることについてはかろうじて調べるときもあるけれど(インターネットがなければそれすら調べずに放っておくかもしれない)、一般常識とされていても自分の興味のないことについては、「いや、よくわかんない」の一言のもとに忘れ去ることが日常化している。


でも、言い訳をするなら、これって、情報の供給過多が引き起こしている弊害とはいえないだろうか。激しくうろ覚えなのだけど、「Time1冊には、19世紀に生きた人が一生分に得たのと同程度の情報量が詰め込まれている」というような文章を読んだことがある。これが事実だとすれば、私たちの周りにはかつてなかったほどの情報が氾濫しており、それらの不明点にいちいち拘泥していたら情報処理が永遠に終わらない。


まあ、これは私が勝手に思った単なる言い訳なのだけど、内田さんの本を読む前はこんな風に「この出来事が起こっているのはこういうことが原因なんじゃないか」ということを、いちいち考えることがあまりなかった。そういうのって、基本的にめんどくさいし。でも、彼の本を読んで、「考えること」ってちょっと面白いなと思った。たぶん、頭の体操をしている気分になるんだと思う。エッセイの中ですごく納得できたのは、たとえばこんな部分。


はっきり言っておくが、中学生が暴力的な行為に出るのは「偏差値教育」や「受験のストレス」のせいではない。というのも、「予備校講師」や「学習塾の講師」がストレスフルな中学生に刺されたという事件を私は寡聞にして知らないからである。(中略)それは予備校や塾は受験勉強だけを教え、成績「だけ」を重視し、子どもたちの「人格」をきっぱりと無視しているからである。(中略)おおかたの人々が信じているのとは逆に、学校が抑圧的なのは、そこが個人の「人格」を無視しているからではなく、個人の「人格」や「個性」だのというものが過剰に言及されるせいである。


ちなみに既読本。


・ためらいの倫理学      →殿堂入り

・知に働けば蔵が建つ    →★★★★

・「おじさん」的思考      →★★★★☆

・健全な肉体に狂気は宿る →★★★

・子どもは判ってくれない  →★★★★

・身体の言い分        →★★★

・先生はえらい        →★★★★☆

・態度が悪くてすみません →★★☆

・寝ながら学べる構造主義 →今読んでるところ

『先生はえらい』は高校生向けにやさしく書かれている本なのだけど、そのなかで、ものすごく心を打たれた一節があった。でも、それはとても大切なことばで、こんなただで読めるブログに垂れ流すのがもったいないので、ここには書きません(いじわる)。



BGM:Day after day/BEAT CRUSADERS

2月半ばから、ちょっと集中的に児童文学作品を読んできたのですが、最近別にはまっているものがあるので(それについては次のブログで書きます)、いったんここでまとめます。


・二年間の休暇/ジュール・ベルヌ           ★★☆

・長くつ下のピッピ/リンドグレーン            →殿堂入り

・ふたりのロッテ/ケストナー              ★★★☆

・三銃士/アレクサンドル・デュマ            →殿堂入り

・不思議を売る男/ジェラルディン・マコーディアン ★☆

・五月三十五日/ケストナー               ★★☆

・やかまし村のこどもたち/リンドグレーン       ★★☆

・私たちの島で/リンドグレーン              ★★★☆

・冷たい心臓/ヴィルヘルム・ハウフ          ★★★★

・レ・ミゼラブル/ビクトル・ユーゴー          →殿堂入り

・トムは真夜中の庭で/フィリパ・ピアス        ★☆


何かを集中的に読んでいると、反動で違うものが読みたくなる。そういうときに自分の雑食性をあらためて感じます。でも、海外児童文学は、引き続き少しずつ読んでいく予定です。


BGM:Sunday Morning/Maroon 5

3月に読んだ主な本たち。


穂村 弘
にょっ記
文藝春秋 ★★☆

半歩引きこもりの中年歌人(とかいいつつ、結構魅力的な人なんだろうけど)ほむほむの最新作。装丁がなんとも素敵。中身はちょっぴり幻想的かつゆる~い日記風の雑記。

〈4月15日 四十過ぎてスタジャンなんか着てるのは、ほむらさんか変態だけですよ、と云われてショックを受ける。ほむらさんか変態……〉

なんてところが、くすっと笑える。中身云々というよりも、穂村弘がこれほどゆるい本を出版することを世間に容認された、というその事実が興味深い。



冷たい心臓

ヴィルヘルム・ハウフ

福音館書店 ★★★★


入れ子構造のストーリー(千夜一夜物語みたいに、話の中に別の話が登場するもの)は基本的に苦手なのだけど(視点が頻繁に切り替わって、途中で読むのがめんどくさくなってくるから)、これはすごく面白かった。それぞれの挿話が面白い場合に限っては、入れ子構造の小説もなかなか良いかも、と見直した。個人的には、冷たい心臓よりも、同時収録されている『隊商』がおすすめ。



シャングリ・ラ

池上永一

角川書店 ★★★


地球温暖化の影響で熱帯都市へと変化した東京。人々はすべてランク付けされており、安全地帯である「アトラス」に住むためには一定のランクが必要になっている。その中で、3人だけAAAというランクをつけられている人物がいて・・・、という話。この話、ゲームにしたら面白そう。ライトノベルかRPGゲームっぽい。



イトウの恋

中島京子

講談社 ★★☆


明治時代に通訳のさきがけとして活躍した伊藤亀吉。屋根裏部屋からその手記を発見した高校教師が、ルーツをたどっていくうちにひとりの女性につきあたり・・・という話。さくさく読めて面白かったが、期待していた歴史小説の面白みはいまひとつ。前作『漢方小説』と登場人物(女性)のキャラがかぶっているのも新鮮味に欠けた。



ぼくのおじさん

北杜夫

旺文社 ★★★


ひさびさに読んだ北杜夫。ぼくのおじさん、と言いつつ、おじさんのモチーフとなっているのは居候だった自分自身らしい。半分ニートみたいなおじさんがいい味を出している。コーラを飲みまくって懸賞を当てて海外旅行に行こうとしたりとか。ふふふ。



レ・ミゼラブル

ビクトル・ユーゴー

岩波書店 ★★★★★ →殿堂入り


最初に出てくる神父さまからして、なんとも魅力的。『ああ、無情』っていう邦題だし、悲劇の話なのかと思っていたら、こういう話だったのか! ジャン・バルジャンは最初から最後まであまりにも人間的だった。善と悪を合わせもち、そのあいだで葛藤することを定められた存在を人間と呼ぶのなら。 



おじいちゃんの休暇
イヴォン・モーフレ

偕成社 ★★★


おじいちゃんがずっと帰っていなかった故郷の島に突然帰ると言い出し、孫であるぼくが同行することになったのだが・・・。おじいちゃんの恋愛って、なんだかセピアがかっていてなごむなあ。自分の老後にこういうことが起こるのも悪くない。


BGM:June/Natalie Wise


kamome


[あらすじ]

フィンランドの首都ヘルシンキの街角に、「かもめ食堂」という名の小さな食堂がオープンした。オーナーは日本人女性。メニューは日本食。開店一ヶ月でまだ1人の客も来ないお店に、ある日青年が入ってきたことをきっかけに、「かもめ食堂」には新しいスタッフが入ることになり……。


スローライフ。LOHAS。手間暇かけたあたたかい食事と、適度な運動、健全な精神。そういうものとは程遠い生活を送っている人に、ぜひ見てほしい映画。


「かもめ食堂」のオーナーであるサチエ(小林聡美)は、心の健康な女性だ。お店に誰1人来ない日が1ヶ月続いても毎日ほがらかに開店してグラスをふき、店が終わったらプールで泳ぎ、合気道の型を終えてから寝る。恋人はいないようだ。そんなサチエと、フィンランドを旅する2人の日本人女性(片桐はいり、もたいまさこ)が出会い、「かもめ食堂」で一緒に働くようになる。出会うきっかけをつくったのは、トンミというフィンランドの青年で、「かもめ食堂」のお客第1号だ。彼もその後、常連客になる。


登場人物はみなゆるい連帯感のもとで、ここちよくつながっている。もちろんみんな幸せな日々ばかりではないけれど、誰の過去もここでは語られない。食堂でのつながりに、過度な親密さは必要ないのだ。ただ一緒においしいものを食べ、気持ちのよいことをしているだけでも、人は結構癒される。


そんななかで、人生に迷っている風な片桐はいりが1人、生々しい。サチエに対して、「世界が終わる最後の日は、食事に呼んでくださいね」とか、「私が日本に帰ったら寂しいですか?」などとことあるごとに言う。それによって、どこまでも芯がぶれないサチエの強靭さが浮かび上がる。「人は変わっていくものだから」と淡々と言えるあのさりげない強さがほしい。今の私は片桐はいりだもんなあ。


BGM:Eternal Memories/Crystal Kay


bunsyun


編集者というのは基本的に黒衣(くろこ)的な存在で、担当書籍に名前すら記されないことも多い。しかし、そんななかで例外的に一般に知られる存在になった人が、近年では2人(私の知る限り)いる。1人は幻冬舎を作った元角川書店編集者の見城徹、そしてもう1人が自称スーパーエディター安原顕だ。


安原顕は中央公論社に籍を置き、文芸誌『海』、女性誌『マリ・クレール』などの編集長として活躍した(その後、スーパーエディターを名乗り、フリーに転身)。村上春樹がまだ作家になる前からの知り合いで、一時期村上の担当編集をしており、かなり深い付き合いをしていたようだ。ただ、あるときを境に村上を敵視するようになったという。


安原氏は数年前に癌で死去。その彼が、村上春樹の直筆原稿を生前から古書店に売りさばいていた、というのが最近明らかになった。この文藝春秋4月号には、その問題に関して村上本人が手記を寄せているというので読んでみた。


俺がハルキを育てたんだ、と安原が吹聴していたことに対して、書き直しを要求されたこともないし、特に育てられたという感覚はない、と村上春樹はいう。安原顕が生前小説を書いていたことに触れ、それを村上が熱狂的に評価しなかったことに対して、安原が怒りを表したときのことにも触れている。その後、突然手のひらを返すように冷たくなった安原に対して、彼は不可解な思いと悲しみを抱き続けていたという。そして今回、さらに追い討ちをかけるようなニュースがあり、彼の文章からは悲痛なまでの辛い感情がにじみ出ていた。


編集者と作家の関係は、おそらく他のどんな仕事よりも「人間らしさ」、もっと言えば「生々しいぶつかり合い」を許されているのではないか。いい編集者といい作家の関わり合いほど、お互いがお互いを生きるよすがとしているところがある。


ノンフィクション作家の佐野眞一は、

長い書き下ろしの仕事に入ると、物書きの生活は島流しにあった囚人のようなものになる。誰も読んでくれない手紙を空瓶に入れて無人島から流すような生活が延々と続く。唯一の句読点は、時折、沖合いを通る船だけである。私にとって編集者とは、無人島から流した手紙の入った空瓶をきちんと拾って解読し、励ましの便りを空瓶に入れてまた送り返してくれるような存在である

という。


そのような信頼を寄せられている編集者にとって、作家の直筆原稿を勝手に売るというのは何よりも許されない行為だ。もし、安原のしたことが、一流の書き手になれなかったことによる嫉妬のなせる業だったとすれば、それはあまりにも理性を欠いた行いであり、編集者の品格を貶めるものだと思う。


Happyend/Ryuichi Sakamoto

東野 圭吾
容疑者Xの献身
★★★☆

[あらすじ]

おべんとう屋で働きながら娘と暮らす元ホステスの花岡靖子は、ある日以前の夫に勤務先を突き止められ、しつこくよりを戻そうと付きまとわれる。そのままもみあいになり、靖子は元・夫を殺してしまう。靖子の隣人で、靖子にひそかな思いを寄せる数学教師の石神は、殺人事件に気づき、彼女に殺人隠蔽の協力を申し出た。


東野作品はいままで面白いと思ったことがなかったけど、期待せずに読んだ本作が意外にも面白くて驚いた。相変わらず3流ドラマの台詞回しのような会話部分が気にならなくもなかったが、話の筋とキャラクター設定の面白さで一気に読めた。50年の一度の逸材と言われながら、運命のいたずらで一介の高校教師にならざるをえなかった石神。石神と大学時代の同級生で、今は物理学の助教授である湯川。ふたりは事件をきっかけに再開し、旧交を温めるようになるのだけど、湯川は途中で石神の恐るべきトリックに気がついてしまう。推理小説か、と思ってうっかり電車の中で読んでいたら、途中で泣きそうになってびっくりした。


で、(電車で)行きに「容疑者xの献身」を読み終わってしまったので、帰りに湯川シリーズ(実は、この本は物理学者・湯川が登場するシリーズの中の1作だったらしい)第1作の「探偵ガリレオ」を買って読んだ。こっちは軽い短編集。物理学者が、物理学的アプローチでちょっと不思議な殺人事件の種明かしをしていく。


それにしても、数学者が「コミュニケーション不全だけど、心は純粋」というわかりやすい記号として、映画や小説に出てくることが最近多いような気がする。それはそれでまあいいんだけど、「ものすごいネクラな大阪人」とか、「女性関係が乱れているやたらイケメンの数学者」とかが登場する本も読んでみたいなあ。


BGM:すばらしい日々/ユニコーン ←ソニーのCMで流れてくるとつい聞き入っちゃう。