- 内田 樹
- ためらいの倫理学―戦争・性・物語
- 角川文庫 →殿堂入り
内田樹(うちだ・たつる)にすっかりはまってしまった。いや、出会ってしまった、といった方がいいかもしれない。
私は常々、本当に頭のいい人とは、難しいことをわかりやすくかみくだいて説明できる人だと思っている。そして、内田樹氏は私にとってまさにそんな人。フランス現代思想などの膨大な知識に裏打ちされた説得力ある主張と、長年の武道経験から培われた、ある種超自然的な感覚がほどよくブレンドされた彼のエッセイは、とてもバランスが良く、読んでいて心地よい。
この本のなかで彼は、現代の若者は「わからないことを気にしなく」なり、その知識の欠如を埋めようとしなくなった、という。私はまさにその世代だ。自分が興味のあることについてはかろうじて調べるときもあるけれど(インターネットがなければそれすら調べずに放っておくかもしれない)、一般常識とされていても自分の興味のないことについては、「いや、よくわかんない」の一言のもとに忘れ去ることが日常化している。
でも、言い訳をするなら、これって、情報の供給過多が引き起こしている弊害とはいえないだろうか。激しくうろ覚えなのだけど、「Time1冊には、19世紀に生きた人が一生分に得たのと同程度の情報量が詰め込まれている」というような文章を読んだことがある。これが事実だとすれば、私たちの周りにはかつてなかったほどの情報が氾濫しており、それらの不明点にいちいち拘泥していたら情報処理が永遠に終わらない。
まあ、これは私が勝手に思った単なる言い訳なのだけど、内田さんの本を読む前はこんな風に「この出来事が起こっているのはこういうことが原因なんじゃないか」ということを、いちいち考えることがあまりなかった。そういうのって、基本的にめんどくさいし。でも、彼の本を読んで、「考えること」ってちょっと面白いなと思った。たぶん、頭の体操をしている気分になるんだと思う。エッセイの中ですごく納得できたのは、たとえばこんな部分。
はっきり言っておくが、中学生が暴力的な行為に出るのは「偏差値教育」や「受験のストレス」のせいではない。というのも、「予備校講師」や「学習塾の講師」がストレスフルな中学生に刺されたという事件を私は寡聞にして知らないからである。(中略)それは予備校や塾は受験勉強だけを教え、成績「だけ」を重視し、子どもたちの「人格」をきっぱりと無視しているからである。(中略)おおかたの人々が信じているのとは逆に、学校が抑圧的なのは、そこが個人の「人格」を無視しているからではなく、個人の「人格」や「個性」だのというものが過剰に言及されるせいである。
ちなみに既読本。
・ためらいの倫理学 →殿堂入り
・知に働けば蔵が建つ →★★★★
・「おじさん」的思考 →★★★★☆
・健全な肉体に狂気は宿る →★★★
・子どもは判ってくれない →★★★★
・身体の言い分 →★★★
・先生はえらい →★★★★☆
・態度が悪くてすみません →★★☆
・寝ながら学べる構造主義 →今読んでるところ
『先生はえらい』は高校生向けにやさしく書かれている本なのだけど、そのなかで、ものすごく心を打たれた一節があった。でも、それはとても大切なことばで、こんなただで読めるブログに垂れ流すのがもったいないので、ここには書きません(いじわる)。
BGM:Day after day/BEAT CRUSADERS