トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

柴崎城は虫生城あるいは田中城などとも呼ばれ、坂田城から栗山川を挟んで北東の入り組んだ丘陵にある。このあたりから北の方には小規模な城郭が密集していて、東北東に2km弱のところに小田部城もある。
匝瑳党の柴崎氏(小田部氏とも)が持っていた城らしいが詳細不明らしい。
Wikipediaに記事があり、ネットで調べたところでは柴崎城あるいは田中城としているところが多いようだったので、ここでは柴崎城(田中城)とした。

 

見るからに駐車場難に見舞われそうだったので、坂田城から徒歩で訪問した。

 

城へは、『虫生路傍板碑」の前を通ってゆく。

この板碑、中世に極楽往生を願って立てられたもので、城とも何かの関係がありそうな感じ…

横芝光町指定の有形文化財。

城には指定なし…

 

 

ここから谷戸の奥の方へと入ってゆく道を進んでゆくが、どうにも入口が分からない…

 

現在位置(Googleマップで)

この道、人の家に入ってゆくように見えるが、少し入ると左に丘へ登ってゆくコンクリ道が出ている。

ここが城のある星宮神社への入口。

 

少し登ってゆくとコンクリ道は終わり、尾根をザックリ掘り込んだ階段道に変わる。

いかにも遺構のように見えるが、何しろ神社の参道…

 

ここにも、城を守る兵が…💓

 

竪堀状通路を登りきると、向こうの方に主郭らしい立ち上がりが見える、東西に細長い曲輪に出る。

 

反対側に、尾根のてっぺんを削平したような細長い平場が伸びていて、その真ん中あたりに北側から登りつくような感じ。

 

この北側斜面は相当に鋭いのだが、竹ヤブの茂り具合が強烈で写真映りはサッパリ…💦

 

奥に進むと、星宮神社のある主郭への切り通しが右へ入っている。

左には小さな小屋のようなものが見える。

 

左の小屋のようなやつの前にも、鳥居が立っている😮

これも祠か…

 

祠の奥にも、曲輪のような平場が伸びている。

 

さらに奥へと入ってみると…

 

なんとまぁ〜空堀になってる😮

 

周りが竹ヤブに変わるあたりで外側に土塁が現れて、北の方に向かって完全な横堀になって伸びていた。

外側の土塁、これだけハッキリしてる😮

 

土塁からはるか下には、曲輪のような平場が見える。

ここからでは様子は窺えないが…

 

間の切岸、とくに下の方がこんなに急傾斜😮

このちっこい山の防御力も、なかなかに侮れないようす…

 

横堀になった曲輪は、北の端から竪堀状になって降りていた。

ここも動線だった??

 

さて戻って星宮神社へ💨

 

城の主郭には星宮神社があって、虎口に鳥居が立っている。

城の大きさを考えるとビックリするぐらい立派な虎口だが、さっきの横堀状とかとスケールがぜんぜん違っている…

後補なのか?

 

星宮神社は台地区の城郭遺構に立つそれと同じように、大きな覆いの中に立っていた。

主郭の広さはテニスコートぐらいか。

コンパクトな城。

 

西と北を土塁に守られているが、なかなか立派✨

 

東側も一段高くなっているが、ここは独立した曲輪。

だが、ごらんの有り様で中に何があるかサッパリだった…🥶

 

こんな中は、もうエエわ…

 

ざっとこれだけの、小さな城だった。

 

東側の正面には、支城なのか丸塚城の小山も見えたが、ここは人の家の直ぐ側からでないと登れなそうで、トラブルになりそうだったので止めておいた。

 

このあたりの城らしい、尾根と谷戸が複雑に入り組む地形をうまく取り込んで防御力をつけたコンパクトな城、という感じだった。

星宮神社があるとなると、ここも千葉一族の城ということになるのかな…?

残っている城の数とか範囲の広さとか考えただけでも、千葉一族恐るべしというところか😨

 

★柴崎城(田中城)

千葉県山武郡横芝光町虫生

周囲に車を停める場所が無く道も狭い。城の入口も分かりにくいので間違えて人の家に入らないよう注意。

山城

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

(2024年4月26日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

二郭にあたる登城の外側に折れを伴って横たわる空堀をコンクリ舗装された土橋で渡ると、北端の外城に入る。

ここも、現役の畑だった。

 

その中央付近、交差点の傍らにも説明板が立っている。

入口や登城にあったものと違うもので、縄張図はモノクロだが詳しい。

ここが「外城」と呼ばれる曲輪なことも、この図にしか記載がなかった。

 

ここから東に向かって道が伸びている。

この道は東の斜面を斜めに降りていて、その北側に帯曲輪が横たわっているらしい。

行ってみると、たしかに直線状に進ませない虎口の名残をとどめるような、左〜右にくねるカーブになっている。

 

この下り坂の途中から左へ入ったところにある帯曲輪は、シロウト時代にも存在に気づいて覗き込んでみたが、よくは見ていなかった。

何年か色んな城を見てきた目に何が映るか、いざっ💨

 

細い踏跡があったので入ってゆくと、すぐ右の斜面を竪堀らしいのが降りている😮

シロウト時代には気づかなかったやつ、さっそく発見😅

  

奥に入ると、意外と広い曲輪だった。

 

そして、聳え立つ外城の切岸の威圧感ったら😮

これ、舌状台地を囲む段丘を取り込んだこの城にとっては防御力の源泉だもんね✨

 

もう、そんな季節ですかい💓

 

さて、城の見どころはもう一つ、外城の北端に大手虎口がある。

畑の中の車道を北に進んでゆくと土塁にぶつかり、クランク状に右に折れると虎口が現れる。

今は舗装された道が、断面のデカい土塁を見事にぶった切っている。

 

この外は二重の空堀になっていて、今の道は間の土塁もぶった切って土橋条で越えている。

ここから内側の空堀を覗くが、左側はやっぱりヤブ…

 

右側は、少しヤブが薄い…

 

シロウト時代も同じことを考えたが、今回も右側の堀に降りてみる。

真ん中の土塁の脇から、降りる道らしい平場があるが、倒竹がそうとう…

 

少し行くと、土塁をすっぱりぶった切って、切り通しが入っている。

今の車道は、内側の空堀はもともとの土橋上を通過しているが、真ん中の土塁をぶち抜いているところや外の堀を渡る土橋状などは後補で、往時はこの切通しが食い違い虎口を形作っていた。

前回は倒竹で埋め尽くされて通れないほどと思ったけど、なんか通れそうだぞ😨

 

そして東へ竪堀になって降りているのだが、こんなに鋭い薬研だったのか🤯

 

さらに、ここのところをよく見ると、東側の竪堀から登ってきた動線が切通しの前で二叉になって、切通しと大手虎口のほうに向かっているように見える。


これ動線だとしたら、なかなかに奇妙…

いちど城内に入ってきた道が、切り通しを通って一旦外の空堀に出ている…??

まぁ素人目だけど…

 

さて切り通しから二重堀の外側へ行ってみるか。

なんか覆っていた倒竹をバキバキ踏み潰した跡が、あちこちにあるな…😨

 

外側の条へ出ると、今までヤブに覆われている部分が多かったのがウソのように、土がキレイに見えている😮

堀の断面が、他の部分とは比べ物にならないぐらい、よく見えている。


出たところは空堀の東端で、数メートル右で終わっている。


下には小さな帯曲輪のようなものがあり、祠らしい小屋が立っているのが見えるが、ここへ登って来れそうな道は他にない。


車道は西の方を土橋状で渡っているが、往時からのものだろうか?

その向こう側は、ここも壮絶なヤブで堀がどこを通っているのかも分からないほど…💦


しかし、いま来た方を振り返ると、折れも入った見事な空堀なことが見て取れた。


見どころはこんなところ。

 

何しろ戦国時代の終わりまで使われただけあって城自体も土木工事の規模も周りの群小城郭と比べて群を抜いて大きく、強力な外敵に対抗しなければというプレッシャーを強く感じる。

いちばんの見どころだろう場所が未整備のままになっているのが惜しまれるが、大切にすれば百名城や続百名城にも引けを取らない名城だろう。

 

★坂田城

千葉県山武郡横芝光町坂田

ふれあい坂田池公園の駐車場を利用し南西から登るのが無難。

丘城

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

(2024年4月25日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

坂田城はJR総武本線の西1km少々、栗山川沿いに広がる水田地帯の西側に北から伸びる舌状台地の南端にある。南北の差し渡しが500メートル超、東西も広いところで150メートルの規模があり千葉県内でも有数という。

室町時代中頃に千葉氏の一族三谷氏が築城した。戦国時代になると内紛に乗じて井田友胤が三谷氏を滅ぼして城を乗っ取り、子の井田胤徳が改修して南の正木氏の侵攻に備えた。天正十八年(1590年)の小田原合戦で開城、そのまま廃されたとのこと。

Wikipediaに記事あり(当該ページへ)


ワタシが今よりぜんぜんノーマルな城ファンだった4年ぐらい前に一度訪問しているが、多古町から始まった周辺の城訪問がこの近くまで及んできたので、いい機会と追試のつもりで訪問した。


城への訪問は、すぐ南西の『ふれあい坂田池公園』の駐車場利用が確実だろう。

城内まで車道は通じているが、幅が狭い上に終点まで行っても車を停める場所は草茫々…


車を停めてすぐにも出発っ❗といきたいところだが、せっかく超望遠レンズなんてオモチャ買ったもんで、上空を飛んでゆく🛫撮ってこっと😅

ちょうど、復活したてホヤホヤ、JALカーゴのボーイング767がA滑走路に向けてアプローチしていたので、1枚📸ゲットしてから出発💨


現在位置(Googleマップで)

城への登り口は何ヶ所かあるが、一番近いのは主郭の西側から切岸だったろう斜面を登ってゆく、この入口。


隣に説明板が立っている。

立派な縄張図も描かれていて、ここで予習も出来る😊


成田空港がらみの事業による助成で立てられたとのことで、上空を通る飛行機と無縁ではなかった😨


さて、道は斜面にぶつかると整備された階段に変わって、グイグイ登ってゆく。


途中、城の西側を守る急斜面が見える。

しっかり切岸加工されていたようで、今でもかなりの急傾斜。

このあたりにたくさん残る城郭のボスの片鱗が、さっそく見えている。


それほど長くない階段を登りきると、道が二手に分かれる。

左へ行くと登城(二郭)、右へは無城(主郭)や見台(馬出郭)だそう。


まずは登城の方へちょろっと行ってみるか…

この道を説明板の縄張図と照らし合わせてみると、西側斜面の縁を走る空堀だったところか??


少し進むと、空堀が斜面に飛び出しているらしいところに、曲輪へ登る階段が設えられているのが見えてくる。


その右側から、登城と無城の間を仕切る大きな空堀が始まっているのだが、ご覧の有り様…


ここを整備するには杉の大木とかもあって大変そうだが…

大きな空堀は城の醍醐味。


ここから西の斜面に降りてゆく竪堀のようなものもわずかに見えるが、ヤブの中…


上の曲輪は梅畑になっている。

梅の出荷用に植えられたもので、春には梅まつりも開かれる。


あとは、戻って無城のほうから見て回るか💨

分岐まで戻って、無城の方へ進む。


この経路はシロウト時代に訪問したときも通ったが、様子はその時と変わっていなかった。

歩道の両側は壮絶なササや雑木のヤブで、土木の跡が全く見えない😮


そして、歩道の脇にこの説明板が立っているのも、以前と同じ。


主郭の南側中央部には、搦手口らしき開口部があるというのだが…

何しろ、そこへの行く手がコレ…🥶

上空をひっきりなしに飛んでゆくヒコーキに薙ぎ払ってもらいたい気分…


しかし、先週末に近くの大堀城や小田部城のドヤブを突破したばかりのワタシにとって、ここで怯むワケには行かない🥶

ここで引き下がってはシロウト時代からの進歩はないのだ🥶🥶


…なんて思っているうちに、気づいたらヤブの薄そうな経路を探していた😅

もう引き下がるなんて選択肢は、失われていた…


というワケで、突入〜っ😭💨

結局躊躇したの一瞬だけだったという…😂


ところどころに野バラなどのトゲのある雑木があるので、ムリに突っ込むと生傷人間になる。

視界が3メートルもないぐらいだが地面は見えるし、草木のトゲの有無とかも分かるので、真南を目指しつつ少しでも薄そうな、トゲのあるやつの無さそうなところをかき分けながら進むと、上手く行く。


そんなわけで、数分かけて20メートルばかりを進むと、無城南端の土塁らしい盛り上がりにぶつかった。

全く見えないので写真は無しっ😵‍💫


土塁の天端を少しだけ西に進むと…


あった〜っ🙌

写真じゃまったく分からんな…😅


南に向かって下がっているラッパのような凹みが見えてきた。

これが搦手口に違いない。


南は急斜面で下に落ちていて、竪堀とかが繋がっていた様子はない。

土塁の外側に帯曲輪のようなものが走っていてそこに接続しているらしいが、何しろ🌿🌿で足元がどうなっているか見えない…

それでも、深さ3メートルぐらいあるらしい様子は、見て取れた。


さて、こんなところに長居してたらマダニの餌食になっちまう🥶

さっさと戻るぞっ💨

また同じようなヤブの中を進んで、説明板の脇に戻った。


そして東の虎口へ。

ここは緑が美しい。


そして、外には土橋がつづく。

周りがヤブで土橋らしい雰囲気はだいぶ削がれているけど…


それにしても、両側に伸びる折れを伴った空堀、そうとうにデカいんだが、ヤブは以前よりも酷くなってるような…


土橋を渡って振り返ると、教科書に出てきそうな空堀と虎口、何とか見える✨

遺構は、ちゃんと残ってはいる。


その外に広がる見台は馬出のような曲輪とのことだが、無城よりもさらに濃いぃヤブに覆われていた。

こんなん中へ突っ込むのはヤダ―ッ😭

無城とちがって外縁に土塁があるだけらしいし😅


見台からは道が北に曲がり、同じような虎口と土橋を通って退出する。


土橋の両側には空堀が伸びている。

東の方は、奥で右へカーブしている。


左の方は、見台と無城の間の空堀と合流して、北に続いている。

いちおう見えるけど…


外に広がる登城は、現役の畑だった。


多古の並木城の主郭がこんな感じの畑だったが、あまり他所の者を入れたくない、というのが本当のところなのだろう…

北の大手口の方へ向かう道端にも、入口と同じように説明板が立っている。

その背後あたりの空堀が、無城まわりではいちばん雰囲気残ってるかも…


この登城の北端には、外の外城へ抜ける虎口がある。

いまは通り抜けているのがコンクリ舗装の車道だが、しっかり土塁を切り込んでいて、雰囲気は残っている。


その外へ伸びる土橋の両側には、折れを伴う空堀が伸びていると説明板にはある。

シロウト時代にはよく見ていなかったところだが、改めて覗き込んでみると…


まず、西側。

たしかに、クランク状に折れ曲がっている😮

が、雑木のヤブが濃くて、よく分からない…💦


東側は、西側と違って下草が薄めで地面が見えるので、降りてみた…

少し進むと、同じようにクランクしている様子が見えてくる。

が、何しろボコボコ生える杉の木と灌木で、見栄えがそうとうに悪い…💦


最初のクランクの奥が、堀の断面をいちばんよく見渡せるかも知れない。


天端間の幅は10メートルをゆうに超え、深さも5メートルぐらいある。

このあたりに多い小さな城に比べて、土木工事の規模は明らかに大きい。


さらに進んで奥のクランクまで行くが、なかなか見渡せないなぁ…🥺


少し登って振り返ったりして良いアングルを探してみるが、こんなもんか…


そして、東の末端が目の前…


でけー竪堀になって降りてる〜🤯


幅10メートル超えのまま底が深く掘り下げられて、最後は東の麓に向かってそのまま降りている。

写真映りは例によって悪いが、これには心底ビックリした。

こんなデカい土木工事をしてたのか😮


下草というか雑木だけでも取っ払えば、素晴らしい戦国の遺産が目の当たりに出来るだろう。


さて、外に出て外城っと💨

 

横芝 坂田城 その2に続く)

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ


(2024年4月24日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

国道296号の起点になる匝瑳市の西の方から多古町あたりにかけての周囲には、わりと小規模な城郭がたくさん残っている。

一般にはほとんど知られておらず、町を挙げて中世城郭の整備に取り組んでいる多古町を別にすれば発掘調査や整備の手が入っていないらしいところも多いが、ざっと挙げられるだけでもこれだけあり、けっこうな密集地帯になっている。

範囲はワタシの独断と偏見でふ😅

太字は説明板などが整備され一般の観光客でも気軽に訪問できそうな城

 

土橋城 多古町 ※入れるのは天之御中主命神社境内

・久保城 多古町

多古城 多古町

志摩城 多古町

分城 多古町 ※妙見神社あり

並木城 多古町

中城 多古町

物見台城 多古町 ※説明板周囲が畑や民家

土やぐら城 多古町 ※入れるのは主郭隣の櫓台と堀跡

大堀城 匝瑳市

吉田城 匝瑳市 ※星宮神社あり

久方城 匝瑳市

寒風城 横芝光町

新善光寺館 横芝光町

亀崎城 匝瑳市

田久保城 匝瑳市 ※稲荷神社あり

新村城 匝瑳市

・飯倉城 匝瑳市

・長岡城 匝瑳市

・大浦城 匝瑳市

・篠本城 横芝光町 ※遺構消滅

小川台城 横芝光町

岩室砦 横芝光町

台城 横芝光町 ※星宮神社あり、城名不明

小田部城 横芝光町 ※星宮神社あり

・田中城 横芝光町

坂田城 横芝光町

 

(紫色で示した城は記事あり。随時追加)


狭い地域に固まっていること以外の共通点を見出すのはなかなか難しいし詳細が不明な城も多いが、かつて多古町あたりにあった千田荘が鎌倉時代からの豪族千葉氏の拠点であったことから、これらの城も千葉氏との関係が深いと考えられているとのこと。岩室砦のように千葉一族から分家した武士が居城としていた記録が見えるところもあるし、千葉氏が守護神として祀っていた妙見神社、星宮神社さらには稲荷神社が城内や近くにある城もいくつかあって、千葉氏との関係を物語っているのだろう。

 

★立地

立地でいうと、舌状台地になっているところの先端とか段丘側面など急斜面を城内に取り込み、上に曲輪を配置しているところが多い。丘城という分類になるのだろうか。

このあたりは川沿いの広い平地と比高30メートルぐらいの平坦な台地が広がり、間を谷戸が複雑に切れ込んでいるような場所が多い。この特徴をしっかり築城に活かしていることがうかがえる。特に舌状台地の先端にある大堀城は、城内が猛烈なヤブで郭内の見通しは利かないが北端の奥城の縁まで行けば土塁の外側が急斜面で切れ落ちていて、防御力を高めるために段丘を取り込んだ様子を見ることができる。


分城(多古町)主郭の妙見神社
かつては北側に隣接する寺山地区にあったとのこと

国道296号側から望む分城(多古町)のある森


大堀城(匝瑳市)奥城東側、土塁外の斜面
高低差はだいたい30m、斜度60°で台地下まで落ちる

 

★現状

これらの城のうち、町を挙げて中世城郭の整備とPRに取り組んでいる多古町にある城は、整備が行き届いているところが多く、安心して訪問できる。なかでも道の駅から南に1kmほどの並木城は規模もこのあたりの城では大きく、畑の脇を通る見学順路にウッドチップが敷かれるなど訪問者への気遣いも随所にうかがわれる。このあたりでは随一の名城だろう。

匝瑳市や横芝光町にある城は整備が手つかずのところが目立ち、ヤブの重囲で身動きが取れないような城もある。また集落の裏山のような場所で入城を憚られる城も多く、神経を使うところ。


ほとんどが超マイナーな部類の城だろうが、御城印が作られた城がいくつかある。

それに匝瑳市などは保存会が発足しPR活動に力を入れ始めたようで、ここに挙げたような超マイナーな城も日の目を見ることになるか、注目だろう。

 

並木城(多古町)主郭北側の空堀
東西100mにわたって続いている

大堀城(匝瑳市)の奥城虎口から西に続く土塁
ヤブに覆われているが、人の背丈より高い

岩室砦(横芝光町)西側の曲輪南辺の空堀
倒竹が夥しいが薬研堀のV字がハッキリ見える

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

(2024年4月19日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

小田部城は光町スポーツ公園から南東に小川台城、岩室砦と並んだ城郭群からさらに1kmほど南東に行った集落の裏山にあり、主郭に星宮神社が祀られている。

小田部地区から北に伸びた舌状台地の北端近くを占めているが、城郭遺構は先端より台地基部寄りに見られるとのこと。

史料なく未調査でもあって来歴などはまったく不明のようだが、立地や星宮神社が祀られていることから千葉一族と関係があると考えられているらしい。


スポーツ公園から小川台城岩室砦、そして台地区の城と徒歩で辿ってきた群小城郭グランドツアーも、この日はこれで最後。

 

現在位置(Googleマップで) 

城への入口は、民家の間を通り抜けてゆくような、この道。


庭先をかすめてゆくような道かと心配したが、ちゃんと生け垣で仕切られ、コンクリで舗装もされている。

S字にカーブする階段の上に、星宮神社の鳥居が見えてくる。


鳥居をくぐると、そこはもう中世城郭の雰囲気いっぱいの世界だった😮


星宮神社が上の高くなった主郭に構え、その下から右の方に大きな曲輪が広がっている。


まずは、こっちの曲輪から行ってみるか。

 

この曲輪は2段になっていて、鳥居から少し入ると一段高くなって、北の方へ伸びている。

野球の内野ぐらいはありそう。


南の端っこ、土塁のような盛り上がりの上に小さな祠が座っている。


主郭の立ち上がりは、風霜にさらされたか大分おとなしくなっている…

往時は切り立った切岸だったのだろうか…


北端にも、低いながら土塁が残っていた。

ちょうど、ここから奥が竹ヤブになっている。

この土塁の向こう側に入ると、打って変わって荒れた竹ヤブになる。

とりあえず地面は見えていて、主郭の裏側へと続いている。


ここから西に行くと、外側に土塁が立ち上がって空堀のようになるらしいが、そのトバ口はご覧のありさま…🥶

やべぇ地面見えなくなる〜💦

何とかして空堀らしくなったところを見てみたいと思って、比較的ヤブの薄い北側の縁を進んでみた。

主郭から西につづく切岸はよく見えているが、堀底はヤブに埋もれっぱなし…💦


少し進むと土塁が高くなり、空堀はだいぶ狭くなっているようす。

その場に立つとよく分かるが、写真では🌿🌿しか見えんね😅


このあたりの北側、土塁の外には広い曲輪が連結しているが、ご覧のありさま…🥶


しかしここの土塁はけっこう立派で、高さ2メートルを超えるぐらいある。

🌿ばっかり目立つけど…


この土塁の主郭と反対側が舌状台地の先端になるが、この外に遺構らしいものは無いらしい。

結局このあたりがクリアーに見渡せる場所はなかったので、ここで戻ることにした。

この空堀状は東の曲輪の奥から城内を東西に貫き、南へ曲がった先で小さな曲輪に接続しているらしい。

幅も狭いし、城内を区切ったり守ったりする空堀というよりは、城内の各曲輪を連絡する通路のように見えた…

 

見どころと期待していた空堀状がこの有り様で少し残念だったが、中世城郭なんてこんなもの。

最後に主郭を見て終わりにするか。

 

コンクリの階段を、手すりにつかまりつつ登ってゆく。

主郭はコンクリで舗装され、奥に星宮神社が鎮座していた。

このあたりの他の城に祀られている神社よりも立派で、しかも新しいようだ。


西、北、東の三方を土塁に囲まれているが、往時の姿をとどめているのか、神社を改修するときに手が入ったか、よく分からない…


西側にはこれまたけっこうな広さの曲輪が接続しているが、ご覧のありさま…


北側の空堀状がヤブで追えなくなった時点で、この外側は探索ムリや…


退散っ💨

 

やっぱり城内を東西に横堀状が貫いているのが、いちばんの特徴なのだろう。これが思いのほか狭かったのが印象に残った。

このままヤブに埋もれて忘れられてしまうのは勿体無いなぁ…

 

★小田部城

千葉県山武郡横芝光町小田部

車を停めるスペースが無い上に周囲の道が狭い。近くに場所を探して徒歩が無難。

丘城

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

(2024年4月23日 記)