舟戸城は国道408号鬼怒テクノ通り清原工業団地南ランプから東に2kmほどの丘の上にある。
城内は宇都宮霊園なる墓地になっていて、平坦なところはどう弄られているか分からない状態。なお北隣に芳賀天満宮があるが、そちらから入城は出来ない。
歴史はよく分かっていないようで、応永年間に水沼主水勝侶が築いたという伝承があるが、戦国時代の天文年間の築城ともいわれるという。戦国時代には宇都宮氏の支配下にあって風見信濃守が城主だったらしい。
2月の三連休を利用して前夜発で栃木県に入り、初っ端の目標を先月見逃したここにした。
鬼怒テクノ通りから県道1号に降りて、東へ。
名前のないこの交差点(Googleマップで表示)で北に入って芳賀天満宮方面に少し進むと、舟戸城跡の道標がある。
道標にしたがって城内に入り、郭内を眺める。
墓地入口付近のフェンス外側は、階段状になっているようにも見えるが…
さらに北端、フェンスの外の竹ヤブには土塁空堀コンボらしいものも見える…
もちろんフェンスから出るのはアウトだろう。よって槍衾みたいな竹ヤブの向こうを眺めるだけ…
これらは城の遺構かどうかも定かでなく、このへんを見ただけではどんな城だったのかサッパリ分からない…
城域は墓地から南、丘の上に続いている。
およそ城らしくない森の中の散歩道っぽい雰囲気だが、丘ぜんぶが曲輪ならアリだろう。
南につづく道へ入って行った。
すぐに、右手に盛り上がりが見えてくる。
これは西へ折れながら降りてゆく竪堀の、南側の土塁。
向こう側に、丘を下ってゆく竪堀。
けっこう大きくて立派やん✨
この竪堀は足元で北にクランクしているが、クランクから上は細くなっていて、🌿🌿にも埋もれてサッパリ見えん💦
堀の南隣は、かなりの広さのある平坦地になっている。曲輪らしい。
少し外傾しているようだ…
丘の縁に近づくと、かなりズリ下がってくる。
半月状の一段低い空間があった。
そのさらに下は2〜3メートルぐらいの段、下にはこれまたかなり広い帯曲輪状が広がっていた…
これより下まで行くとキリがないので、道へ戻った。
道の反対側は狭い帯曲輪状、その外がもう段丘崖、あるいは切岸のようだ…
墓地周りに城の名残が…
道を南へ歩いてゆくと、すぐに墓地になる。
宇都宮霊園の南の方の区画らしい。
ここも墓地だけ見ていると見過ごしそうになるが、まずは道の左側…
けっこう立派な竪堀やん❗️😮
道が丘の中心から東に偏って通っているので長さはそんなにないが、幅は7〜8メートルほどある立派な竪堀が落ちていた。
墓地の脇から俯瞰したようすが、これまたカッコイイ✨
となると…
道の反対側は特濃の竹ヤブに覆われて見えないが、確かに堀の続きが西に向かっていた。
こちら側は墓地に少し埋められたようだな…
さて墓地。
ソフトボールぐらい出来そうな広さの平坦地であること以外、城の面影は消え失せたように見える…
が、東側この土手、土塁か?
いや、登ってみると外側にも空間が広がっている。
この外側の斜面は、そこまでの傾斜は無いが45°くらいはキッチリある😨
となると、この外側に残ったところが本来の曲輪で、墓地にする時に少し掘り下げたり土を盛ったりしたのだろう…
南の方の奇妙な土木跡
さて墓地を抜けると、もともとの曲輪もここで終わっていたらしい。
堀切と、渡る土橋が見える。土橋は微かやなぁ…
西へ落ちる竪堀。
けっこうしっかりした断面に、折れもあるようだ😮
東側へも続いて、丘を横断しているようだ。
東の端のほうは埋まって不明瞭になっていた。
そして、この南東すぐのところには、かなり高い土塁で囲まれている2メートルぐらい掘り下げられた長方形の空間がある。
競泳用プールを縮小したように見える😮
そして、先ほどの堀切から分岐した堀が引き込まれている。
他ではなかなか見ないもので、周りの遺構に対してハッキリしすぎのようにも見える。
城郭時代のものか否かも、よく分からんやつ…
さて、墓地までは車も通れる道だったのが、墓地が終わると急にハッキリしなくなる😂
ここから先は遺構を辿る旅、ということで良いのか?
丘の上の東寄りに、横堀のようなものが一直線状に南下している様子が見える。
かなり薄くて、途中で消えたりしているけど…
この横堀状から西側が曲輪になりそうなところだが、全体に西へズリ下がっている。
しかし、ここは間違いなく曲輪のようだ。
西の方の外側、少し下にかなり大きな横堀が這っている🤯
そして曲輪の縁もハッキリしている。
この堀までの斜面はさほど傾斜がないが、堀はかなり大きい。
幅7〜8メートルはある。
外側の土塁もしっかりしている✨
それにしても、外側は数メートルで麓なのか…
この横堀を南端まで進むと、丘を大きな堀切状が横断しているのにぶつかる。
これまた幅7〜8メートルばかりあるが、さっきの競泳プールのように囲まれた空間と同様、ほかの遺構と比べてハッキリしすぎているようにも見える…
それでも、西にも東にも竪堀のようなものは降りている。
が、この堀切状からは城内に向かって深い竪堀状が登っている。
これは堀切そのものよりさらに鋭くて、違和感を覚えるほどだった…
郭内から見下ろす竪堀状。
曲輪の南端にある土塁や切岸をぶっ壊して通している感じがしないでもないやつ…
しかしこの竪堀状、郭内を南北に走っていた浅い横堀状に、ちゃんと繋がっているんだよなぁ…🤔
曲輪は堀切状で終わっていて、端には土塁状も積まれている。
土のプール状といい南端の堀切や竪堀状といい、同時代のものか分からないような違和感を覚える土木の跡が混ざり込んでるの、どうにもスッキリしない…
それでも間違いなく城時代のものと分かる遺構が随所に残っていて、丘全体が要塞のようになっていた面影は窺うことが出来た。
★舟戸城
栃木県芳賀郡芳賀町西水沼
城域内の『宇都宮霊園』の駐車場を利用。
丘城?
(2026年2月26日 記)














































































































































