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益子古城は益子の町のすぐ東、陶芸美術館などがある丘ほぼ全体が城だった。周囲の平地からボコッと盛り上がった丘のほぼ全体を城にしていたらしい。

土佐守紀貫之の子孫と伝わる益子氏が平安時代に住み着いたところで、宇都宮氏の下で源平合戦、南北朝の戦いなどで活躍した。戦国時代になると周囲の勢力との衝突が絶えないようになり、最後は主家であった宇都宮氏の一門笠間氏と争ったことに激怒した宇都宮国綱に攻め立てられ領地を没収されたという。

築城時期などは分かっていないようで、発掘調査により建物跡と中国製陶磁器などが出土したとのこと。最終的に戦国時代まで使われ、ここが平時の居館、南東の高館城(西明寺城)が戦時の詰城となっていたと考えられているとのこと。


2月の三連休を利用した遠征初日、芳賀町の舟戸城から南下して益子町に入り、2つ目の目標にした。舟戸城で思いのほか時間を食ったので、お気軽登城のつもりだった😅


現在位置(Googleマップで)

城域内に駐車場があることを知らず、城へ登るのに一番便利と思った北側の駐車場に車を置いた。

町の東側、陶芸美術館のある丘全体が城だったらしい。

そのようすを駐車場から見上げる。

益子古城の駐車場と丘陵の風景


樹木はあるが、土色の山は城の雰囲気を盛り上げてくれる✨

もっとも、近づいてみると切岸加工とかの感じはなく、ふつうの山という感じ。

益子古城の秋の森、落ち葉が積もる風景


城内のいちばん東の曲輪にあたるところに立っている旧濱田庄司邸への道が分かれてゆく。

その手前側が益子陶芸美術館や工房広場などの敷地。

益子古城の入口、丘への道


そして、尾根上へ登ったところ。

美術館の北側、工房広場への入口前のロータリーみたくなっている。

益子古城の駐車場、石垣の壁


長屋門みたく造られた工房広場の入口。

益子古城の入口、長屋門風の工房広場入口


反対側へ登ると遺跡広場の駐車場があり、そちらへ車は置いておけるらしい。ただイベントなど開催時は混雑するだろう。


現在位置(Googleマップで)

この遺跡広場駐車場へと登ってみると、広場の少し手前…


立派な堀っ‼️🤯

益子古城の堀跡と落葉した斜面


反対の右の方にも続いているが、🌿🌿で見えづらくなっている…

しかし、すぐに横堀に突き当たるようだ😮

益子古城の遺構、堀と広場


けっこう、遺構のこってるじゃんか🙌

公園内で横堀はガードレールの向こう側。他にこれが見える場所は無かった…


さてこの堀、遺跡広場の東側に沿って丘を南北に横断していたらしい。

車道に一部崩されていたが、遺跡広場の端を伝って南へ行くと、こっちの方も芝生を植えられて遺っている✨

益子古城の堀と土塁


堀のサイズは、直前に行った舟戸城と同じくらいらしい。


さて遺跡広場。

礎石の位置をレプリカにしたか?

その様子をイメージしたか?

そんな感じに石が並んでいる。

益子古城の石組遺構と広場


説明板もあった。

ちゃんと城の遺跡として売り出されてはいるみたいで、訪れる人もけっこう居られた。

益子古城(御城山遺跡)の縄張り図


南側の斜面は、間に段とか入ってすっかり公園の雰囲気になっていた。

発掘調査の前はツルンとした斜面だったか?

益子古城の土塁と樹木


さて、この本郭の西には堀切を挟んで西郭がくっついていたらしいが、いまは西郭の芝生広場までひと続きになっている。

恐らく後世に埋められたんだろうが、こういう跡は丘の端の斜面あたりに堀の跡が出てきていることもあるので、まずは北側を見おろしてみる。


広い帯曲輪みたくなっているが、堀切のようなものは見えない…

益子古城の森、落ち葉と木漏れ日


反対の南側は、完全に公園の出入り口になっているようで、それらしいものは見えなかった…


そして、芝生広場となっている西郭。

本郭と同じくらいの広さ。

益子古城の芝生広場と石


南〜西の縁に土塁らしいものが盛られているが…

益子古城の丘陵、落ち葉と木々


広場の端には舞台のようなものが建っているが、腐朽が激しいようで立ち入り規制されている。

車道は西郭に立てられた城門ふうのレプリカのところでコンクリブロック敷きの歩道に変わって広場の端を西に通り抜けていたが、西郭から西に出ても階段などを連ねながらそのまま降りて行っている。

ここには段郭とか虎口空間とかがあったか?

益子古城の石段と園路


外側の斜面はそれなりの傾斜だったが、これもふつうの山という感じだった…

益子古城の森、枯葉と竹笹に覆われた山肌


ハッキリ遺構が残っているのは、このぐらいか。


いまは周囲の斜面が緩くて要害堅固な場所には見えないが、平時の居館ならそれも頷けるというやつか…?

それでも意外と土木の跡が残っていて、城らしい地形も楽しめるところだった。


★益子古城

栃木県芳賀郡益子町益子

本丸の遺跡広場に駐車場あり。満車の場合は城山周囲にも駐車場あるがイベントの際など混雑しそう。

山城

 

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(2026年2月27日 記)

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舟戸城は国道408号鬼怒テクノ通り清原工業団地南ランプから東に2kmほどの丘の上にある。

城内は宇都宮霊園なる墓地になっていて、平坦なところはどう弄られているか分からない状態。なお北隣に芳賀天満宮があるが、そちらから入城は出来ない。

歴史はよく分かっていないようで、応永年間に水沼主水勝侶が築いたという伝承があるが、戦国時代の天文年間の築城ともいわれるという。戦国時代には宇都宮氏の支配下にあって風見信濃守が城主だったらしい。


2月の三連休を利用して前夜発で栃木県に入り、初っ端の目標を先月見逃したここにした。


鬼怒テクノ通りから県道1号に降りて、東へ。

名前のないこの交差点(Googleマップで表示)で北に入って芳賀天満宮方面に少し進むと、舟戸城跡の道標がある。


現在位置(Googleマップで)

道標にしたがって城内に入り、郭内を眺める。

完全に墓地やねん…
舟戸城跡の墓地と木々

墓地入口付近のフェンス外側は、階段状になっているようにも見えるが…

舟戸城跡の竪堀と曲輪


さらに北端、フェンスの外の竹ヤブには土塁空堀コンボらしいものも見える…

もちろんフェンスから出るのはアウトだろう。よって槍衾みたいな竹ヤブの向こうを眺めるだけ…

舟戸城跡の竹林


これらは城の遺構かどうかも定かでなく、このへんを見ただけではどんな城だったのかサッパリ分からない…


城域は墓地から南、丘の上に続いている。

およそ城らしくない森の中の散歩道っぽい雰囲気だが、丘ぜんぶが曲輪ならアリだろう。

南につづく道へ入って行った。

竹林の道、舟戸城跡への案内


すぐに、右手に盛り上がりが見えてくる。

これは西へ折れながら降りてゆく竪堀の、南側の土塁。

舟戸城跡 遺構の竹林


向こう側に、丘を下ってゆく竪堀。

けっこう大きくて立派やん✨

舟戸城跡の竪堀と竹林


この竪堀は足元で北にクランクしているが、クランクから上は細くなっていて、🌿🌿にも埋もれてサッパリ見えん💦

舟戸城跡の竹林と土塁


堀の南隣は、かなりの広さのある平坦地になっている。曲輪らしい。

少し外傾しているようだ…

舟戸城跡の竹林と土塁


丘の縁に近づくと、かなりズリ下がってくる。

半月状の一段低い空間があった。

竹林に覆われた舟戸城跡の竪堀


そのさらに下は2〜3メートルぐらいの段、下にはこれまたかなり広い帯曲輪状が広がっていた…

舟戸城跡の竹林と遺構


これより下まで行くとキリがないので、道へ戻った。

道の反対側は狭い帯曲輪状、その外がもう段丘崖、あるいは切岸のようだ…

舟戸城跡の竹林と落ち葉


このあたりを見たところでは、丘のてっぺん一杯に曲輪を配し、周囲の段丘崖を守りに利用した城らしい。

墓地周りに城の名残が…


道を南へ歩いてゆくと、すぐに墓地になる。

宇都宮霊園の南の方の区画らしい。

栃木 舟戸城跡 宇都宮霊園の墓地と竹林


ここも墓地だけ見ていると見過ごしそうになるが、まずは道の左側…


けっこう立派な竪堀やん❗️😮

舟戸城跡の竹藪と木々


道が丘の中心から東に偏って通っているので長さはそんなにないが、幅は7〜8メートルほどある立派な竪堀が落ちていた。

墓地の脇から俯瞰したようすが、これまたカッコイイ✨

舟戸城跡の竹林と土塁


となると…


道の反対側は特濃の竹ヤブに覆われて見えないが、確かに堀の続きが西に向かっていた。

こちら側は墓地に少し埋められたようだな…

舟戸城跡の竹林


さて墓地。

ソフトボールぐらい出来そうな広さの平坦地であること以外、城の面影は消え失せたように見える…

が、東側この土手、土塁か?

舟戸城跡の竹林と墓石


いや、登ってみると外側にも空間が広がっている。

舟戸城跡の森、木々が立ち並ぶ景観


この外側の斜面は、そこまでの傾斜は無いが45°くらいはキッチリある😨

舟戸城跡 栃木県 宇都宮霊園 森林


となると、この外側に残ったところが本来の曲輪で、墓地にする時に少し掘り下げたり土を盛ったりしたのだろう…


南の方の奇妙な土木跡


さて墓地を抜けると、もともとの曲輪もここで終わっていたらしい。

堀切と、渡る土橋が見える。土橋は微かやなぁ…

舟戸城跡の竹林と土塁


西へ落ちる竪堀。

けっこうしっかりした断面に、折れもあるようだ😮

舟戸城跡の竹林と土塁


東側へも続いて、丘を横断しているようだ。

東の端のほうは埋まって不明瞭になっていた。

舟戸城跡の竹林と倒木


そして、この南東すぐのところには、かなり高い土塁で囲まれている2メートルぐらい掘り下げられた長方形の空間がある。

競泳用プールを縮小したように見える😮

竹林の竪堀と土塁、舟戸城跡


そして、先ほどの堀切から分岐した堀が引き込まれている。

竹林と落ち葉、墓石の奥に広がる風景


他ではなかなか見ないもので、周りの遺構に対してハッキリしすぎのようにも見える。

城郭時代のものか否かも、よく分からんやつ…


さて、墓地までは車も通れる道だったのが、墓地が終わると急にハッキリしなくなる😂

ここから先は遺構を辿る旅、ということで良いのか?

舟戸城跡、竹林と土塁らしき遺構


丘の上の東寄りに、横堀のようなものが一直線状に南下している様子が見える。

かなり薄くて、途中で消えたりしているけど…

舟戸城跡の竹林と落ち葉


この横堀状から西側が曲輪になりそうなところだが、全体に西へズリ下がっている。

竹林と枯葉の絨毯


しかし、ここは間違いなく曲輪のようだ。

西の方の外側、少し下にかなり大きな横堀が這っている🤯

そして曲輪の縁もハッキリしている。

竹林の奥に土塁のような遺構が見える


この堀までの斜面はさほど傾斜がないが、堀はかなり大きい。

幅7〜8メートルはある。

竹林と森の風景


外側の土塁もしっかりしている✨

それにしても、外側は数メートルで麓なのか…

舟戸城跡の森と土塁


この横堀を南端まで進むと、丘を大きな堀切状が横断しているのにぶつかる。

これまた幅7〜8メートルばかりあるが、さっきの競泳プールのように囲まれた空間と同様、ほかの遺構と比べてハッキリしすぎているようにも見える…

舟戸城跡、森の中の竪堀と土塁


それでも、西にも東にも竪堀のようなものは降りている。

最近作られた道というような感じではない。
舟戸城跡の竪堀と竹林

が、この堀切状からは城内に向かって深い竪堀状が登っている。

これは堀切そのものよりさらに鋭くて、違和感を覚えるほどだった…

舟戸城跡の竪堀と土塁


郭内から見下ろす竪堀状。

舟戸城跡の竹林に眠る土塁と空堀


曲輪の南端にある土塁や切岸をぶっ壊して通している感じがしないでもないやつ…

しかしこの竪堀状、郭内を南北に走っていた浅い横堀状に、ちゃんと繋がっているんだよなぁ…🤔


曲輪は堀切状で終わっていて、端には土塁状も積まれている。

舟戸城跡の土塁と竹林


土のプール状といい南端の堀切や竪堀状といい、同時代のものか分からないような違和感を覚える土木の跡が混ざり込んでるの、どうにもスッキリしない…

それでも間違いなく城時代のものと分かる遺構が随所に残っていて、丘全体が要塞のようになっていた面影は窺うことが出来た。


★舟戸城

栃木県芳賀郡芳賀町西水沼

城域内の『宇都宮霊園』の駐車場を利用。

丘城?

 

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(2026年2月26日 記)

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まずは露岩をガッツリ穿っていることで知られる袋狭間から主郭たる本城山に登った。

そして周囲の切岸はどうじゃと思って西側へ寄ってみると、下に帯曲輪状が伸びてきているのが見えた。

ここからは北西へ尾根が伸びているのが分かったが、ここからは降りられまい…


というわけで、袋狭間の上まで戻る。

ここからは、本城山の背後を回って北西の尾根に向かう道が出ている。

ここへ入って、少し行ったところから振り返る尾根が…

本城山の急峻な切岸と帯曲輪


すんげぇ迫力🤯


帯曲輪だか何だかよく分からないところを通る道をゆくと、本城山の北西に広がる曲輪らしいところへ出る。

森の中の小道と枯葉


ここから本城山の切岸に沿って南に入ってみるが…

視界無いじゃんか😮

竹林に倒木がある山道


ここは本城山の西側の下に横たわる帯曲輪で、上からでも存在は分かる。
千葉県 本納城 帯曲輪への道

が、この通りの🌿🌿で切岸の鋭さがかすみがちなので、さっさと引き返して道に戻った。


尾根の付け根を道が通り抜けてゆく。

千葉県本納城の帯曲輪と森


道は尾根の向こう側へ降りているが…


下に堀切通ってね?

本納城の林道と竹林


実際には踏跡の右手で尾根が北西へ繋がっていたので、これは堀切ではなかった…

ただ、南西の方へ降りてゆく立派な竪堀だった✨

千葉県本納城の森、竹と雑草の茂る山道


このあたりは🌿🌿が多くて見づらいが、これを左から回避して少し下まで降りていったら…


この断面ヤバくない?😨

本納城:鋭い切岸と竹林の森


左側上の方の側壁もヤバくない…?🤯

本城山の急峻な切岸と帯曲輪


いよいよ、暴走する房総が本領発揮のようだ😨

しかも、こんなんが見る限り数十メートル下まで続いているような感じ…


さて、竪堀の向こうへ…

完全なる踏跡が登ってるやん🤯

本納城の帯曲輪と山道


ここを登ると、尾根の西側一段下の帯曲輪のようなところに出た。

本納城:秋の山道、落葉の獣道


ここから上の曲輪へ登ってゆく踏跡があったので登ってみたが、この通りの🌿🌿😂

本納城の帯曲輪と急斜面


こりゃ、ダメだ…


幸い、下の帯曲輪あたりは🌿🌿が少なく、まだ奥へ入って行けそうだったので、行ってみる。

山道の様子と木々


やがて帯曲輪はダランと傾いてよく分からなくなる。

そのあたりの上の尾根は、高低差こそ人の背丈ほどだがガッチリ垂直の段になっている。

本城山の切岸と帯曲輪


尾根上へ登ると…

向こう側へ道が降りている😮

しかもロープがフィックスされている🤯

本城山 北西の帯曲輪跡


尾根は、少し外からまた濃密なササヤブだった😂

この少し先で終わっているように見える。

倒木と竹林の森


尾根を辿ってゆくのはムリなようだが、道はさらに先へ伸びている。

もう少し先へ行ってみるか…


ロープにつかまって、慎重に降りる。

そして振り返ったところ。

本納城の険しい竪堀と帯曲輪


たしかに登降できそうな傾斜ではある。

脇に、けっこうシッカリした穴開いてるな…

遺構っぽくはない…
竪堀の断面と周辺の自然

降りた先は、わりと平坦な場所だった。

本納城:林道に倒木と枯葉


平坦地はしばらく続いたが、その先で小さな鞍部になっていた。

道はその東側を越えている。

本納城 掘切のある山道


ん…⁉️


コレ、堀切だろ⁉️

千葉県本納城の竹林と崩れた斜面


ごく浅いようで、じっさいの掘り込みは数十センチだったか?


さて、時間も押してきたので、本城山から北東に伸びる尾根をサッと見て終わりにするか💨


袋狭間の上まで戻って、北東へ伸びる尾根へと入ってゆく。

尾根上はかなり幅があり、平坦になっている😮

本納城 帯曲輪状の道


途中から、急に両側が🌿🌿になる…

しかし、まだ続いているようだ。

本納城 帯曲輪への道


それでも、15メートルばかりでデッドエンドとなる。

🌿🌿で分かりづらいが、間違いなくデッドエンド。

茂原市本納城の竹林と小道


これ以上入らないよう規制する縄に紙垂が付いて、注連縄になっている😮

まさか、凸入して遭難した人がいるとか、無いだろうな😨

注連縄と紙垂が結ばれた登山道


🌿🌿で全く見えないけど、唯一ヤブの少なかった北側の斜面、コレだからな🥶

本納城 本城山の森の小道


悪いことは言わん。素直にここで引き返す。


この日はこれで日没間近となり、キリも良いのでここまでにした。

本納小学校裏の尾根が残っているが、追試で行くか。

というわけで全部は見られなかったが、尾根の側壁が全体に鋭いのと天端が平坦なところが多く歩いて往来できるようになっている等、尾根が城塁化されたようすがよく分かる城だった。


★本納城

千葉県茂原市本納

蓮福寺の駐車場が利用できるらしい。ここから本城山周辺と東側へ入ることができる。

山城

 

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(2026年2月25日 記)

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本納城はJR外房線本納駅の西に1km足らず、本納小学校や蓮福寺の裏の丘陵地帯の尾根上に曲輪や城塁を並べていた。城域は東西500メートル、南北300メートルは下らないだろう。近くの永田城鞘戸城が支城だったとも。

このあたりに多い、複雑に枝分かれする尾根に堀切や切岸などの加工を施し、小ピークを削平して城に仕立てたタイプの城。

戦国時代の享禄二年(1529年)に築かれたといい、黒熊大膳亮景吉なる人物が城主だったとのこと。永禄十二年(1569年)に北から土気城の酒井胤治の軍勢に奪われ、天正十八年(1590年)まで酒井氏が城代を置いて支配したとのこと。小田原合戦とともに廃されたらしい。


この城には駆け出しにもなる前の7年前ぐらいに一度訪問していたが、本城山まで往復したぐらいだった。その後に一帯の尾根を整備した城と知り、どこまで入れるか腕試しも兼ねて訪問した。

しかし昼頃に永田城を訪問してそのまま徒歩でアプローチしたので、入城が15時を過ぎてしまった…😅


現在位置(Googleマップで)

主郭まわりへの入口は、麓の蓮福寺境内にある。

黒熊景吉の菩提を弔うために、土気城主酒井康治が天正八年(1580年)に日遊上人を招いて開創したという。

住宅地の奥に立派な門✨

蓮福寺の山門と石柱、避難場所の看板


参道が本堂の前まで続いているが、城へは途中で右に折れる。

蓮福寺参道と大公孫樹


その折れるあたりに、『蓮福寺の大公孫樹』という大木。これで「おおいちょう」と読ませるのだそうだ😮

茂原市の天然記念物。

蓮福寺の大公孫樹


冬のいまは大公孫樹も参道の桜も枝だけの姿だが、春には芽吹き花を咲かせてくれるのだろう。


さて、城へは大公孫樹の手前から右に入り、この案内にしたがって山の方へと入ってゆく。

本納城址への道、左に古木、右に標識


その左側、少し奥に説明板が立っている。

誰も気づかなそうな奥まった場所…

本納城の歴史と特徴を記した説明板


道は境内の奥の尾根に向かって突っ込んでゆくのだが、その右側が早くも房総らしい土壁、そしてヤグラ…?

本納城の袋狭間と遺構


麓から一段登ったところにある、蓮福寺の本堂。

名刹らしいキリッとした姿✨

そしてここは城のある尾根の麓。あたりに居館が置かれていたようにも見える…

蓮福寺本堂と大公孫樹


城への道標は要所にあるので、それに従って墓地の中の道を登ってゆく。

最後だけ少し迷うかもしれないが、正面左側に高い土壁が見えている下へと入ってゆく。

そして、墓地の終わり、尾根が見えるところで山道に変わる。

本納城への山道、木製階段と石垣


ここにも説明板が立っている。

茂原市本納城址の景観資料


それにしても、露岩の壁が恐ろしいほどスッパリ😨

本納城址の土壁と案内板


さて、山道を城へと登ってゆく。

途中から墓地を見下ろしたところ。

この向こう側に見える山並みにも城塁が眠っているという。

墓地から見える連なる墓石


道は南へ折り返して、階段で登ってゆく。

この道は後補かも知れないけど、ほとんど垂直のまま露岩が崩れないのスゲー😮

本納城の険しい切岸と登城道


そして道が折り返すと、すぐ上に岩盤をザクッと穿った竪堀状が現れる。

これが袋狭間で、岩盤むき出しのスゴい姿😮

本納城への山道、岩壁と緑


しかし、以前は左側の壁がこんなモッサモサでなかったような気がするが…

なんて思ったら、前回ちょうど7年前に訪問した時の同じ場所の写真が出てきてしまった…

本納城の袋狭間と道

(2019年2月24日撮影)

こういうところの維持も大変なのだろう💦


この周りにも、いくらか遺構らしいものがある。

まずは、手前で階段道がカーブするあたり。

ここからは、寺の境内の方に向かって細い竪堀状が降りている。

これが往時の登城道のような感じがする🤔

本納城の竪堀状の通路


そして、その上で左に分かれてゆく道のようなやつ…

本納城への登城道、竹林と枯葉の風景


トラロープで仕切られて入ることは出来ないが、これは袋狭間の上に構える本城山の帯曲輪だろうか…


さて、袋狭間。

細いがザックリ掘り込まれた竪堀状。

本納城 袋狭間への山道


そして、抜けると左カーブしながら尾根上へ出るのだが、早く通過しなければ💦💦


何しろ、上から見ると…


寄せ手を頭上から袋叩きの図😨

本納城の袋狭間と竪堀


狭間の両側には人が立てるぐらいの空間があり、その中を掘り込まれた狭間がカーブしながら通り抜けている、というやつ。

歩兵中心の防衛戦なら鉄壁。
見ててゾクゾクしてくるわな…😨

ともかくも、袋狭間を通過すれば、主郭たる本城山は目の前。

ここも段になっていて、いまは二又に竪堀状が登っている…

本納城の山道と土塁


ここから振り返る、袋狭間の上部。

ここもヘアピンに近い急カーブで方向転換😨

本納城の山道と落葉の丘


なお、ここから本城山の北側を通って、北西へ伸びる尾根の方へ入ってゆくことができる。

これが、登城日現在整備がきちんとされて、初心者向きとは言えないながらも歩けるようになっていた。

後ほど…


虎口から登れば、野球の内野より少し広いぐらいの本城山。

本納城址の草地と枯れ木


南側に立派な城址碑が立っている。

遊具などはないが公園のように整備されていて、訪れる人も結構いらっしゃる✨

本納城址碑と石碑、背景の木々


さすがに主郭で、眺望は良い。

ただ、ここが谷戸の奥のような場所で、左右の丘の背後に死角があるような感じ…

本納城跡から見下ろす長閑な田園風景


さてこの本城山、広さがあるだけでなく切岸加工もなかなかシッカリしているようす。

西の方の鋭い切岸✨

千葉県本納城の土塁とヤグラ


で、下をみると帯曲輪状が伸びてきているようす。

ここから北の方へ伸びる尾根の基部に曲輪があるらしいんだが…


茂原 本納城 その2に続く)

 

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(2026年2月25日 記)

(2026年2月26日、前回訪問時の写真と説明追記)

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矢口神社の裏から城内に入り、中央を占める曲輪の南端まで来たんだが…

そこには、かなりの大きさの堀切が穿たれていた🤯


土塁のように盛り上がった奥に、ザックリ堀切が刻まれていた。

俯瞰したようすでは、少し浅くなっていそう…


だが底へ降りてみると、思ったよりしっかり掘られていた。

底が少し平坦だが、ちゃんと薬研のV字✨


この堀切、西側の帯曲輪の中を通って城外の方まで刻まれているらしい。

こんな様子まさしく立鳥城で見たのと一緒…


そして南側の側壁も、そこそこシッカリしている。


ここから尾根がグンと立ち上がって南の曲輪に入ってゆくところだが、途中の盛り上がったところに大きな穴が穿たれている😮


思えば、ここは海に面した平地の奥の丘陵地…

第二次世界大戦中の防空壕とかだろうか…


そんな場所からなおも進むと、少し下って広大な曲輪。


今までの曲輪は尾根の天端だけ削平したような狭い場所だったが、ここは横方向にもかなり広がっている😮


ここまで東側には設えられていなかった帯曲輪も、ここで復活している。

ただ、荒れっぷりがメチャクチャ…💦


曲輪の南の端まで行くと、正面に大きな盛り上がりが見えてくる。

これが城の中心、天守台みたいなやつだろうか。


その裾には、東側の帯曲輪から登ってくる動線らしいものが…

最初は堀切かと思った…😅


降りてゆくと、右手に天守台裾の帯曲輪を眺めつつ、さらに薬研の断面が降りている…


下の帯曲輪は荒れているようなので敬遠しようと思ったが、降りてみるとかなり幅のあるやつだった。


上の曲輪の縁に切岸加工を入れるために、もともと緩かった斜面をそうとう削平したのだろうか…


さて、南の大きな盛り上がりには踏跡が刻まれているので、それを辿って上へ。

途中に、さっきと同じような大穴が…


さっきの穴と同じような、ユンボか何かで掘り込んだような穴…

そして、ちゃんと柵で囲まれている😊


そして、盛り上がりの上は狭い平場だった。

もともと狭かったか、南の駒形神社に削り取られたかは分からん…


ここに三角点あったか😮

『高田』という三等三角点だそうだ。


そして、傍らの木に掛けられていた案内。

我らが余湖さんの図ではありませんか✨


ここからは、南側に構える駒形神社の境内に向かって、東側から降りてゆく。

ここが、どうやって今の形にされたかを如実に物語るようなところ…


それにしても、土の壁でこんなバッサリのまま長い年月持ちこたえているというのが、スゴいところ。

壁の上がいま通って来た土塁状。


で、境内はめちゃくちゃ狭く、社殿がいっぱいに立っている。


これで城は終わり…

この階段を降りて退散💨


と行きたいところだが、ここから西にもう少しだけ城域が残っている。

取りあえずは、階段を降りてゆく。


そして、西側に明らかな平場が現れるんだが…

どう見ても、荒れ放題🥶


参道を挟んで反対にも…


これが、さらに西へ続く曲輪たちへの入口…

仕方がないので、入って西へ向かってみる。


内部は見ての通りの荒れっぷりだが、意外と広さがある😮

帯曲輪のようなものと思ってたら、幅もある。


末端は高さ2メートル足らずの段になっていて、下には奥へ続く曲輪が横たわる。

高低差2メートル足らずながら、ちゃんと行き来する動線らしいものも刻まれている😮


ここから降りて、段を振り返る。

思いのほか切岸加工がしっかりしているだけでなく、裾に堀のようなものがめぐっている😮


曲輪内は、お約束の荒れっぷり。

まぁ、ここまで来ればもう慣れっこ😂


そして、南側の縁に沿うように細い堀状が這っている😮

時々こういうの見かけるが、なんか不思議な感じ…


この曲輪を奥の方に入ってゆくと、堀状の外側がどんどん高くなって、いっぱしの土塁のようになる😮


奥の方まで入ったところ。

ここだけ、奇跡的にヤブや倒木が少なかった。


南側の土塁みたいな尾根、いつの間にか背丈よりはるかに高くなっているし…😮


何なら反対側の切岸も、城内中央あたりよりシッカリしてるし…😮


ラストは、尾根先端から細い竪堀状が降りていた。

これが往時の南側からの登城道か?


なお、こちらから城外へ出ると段郭っぽい墓地に出て、ここから退出することもできる。

ただ、墓を荒らさないことはもちろん、城への出入口が倒竹で塞がれているので、それを壊さないようにも気をつけたいところ。


全体的に🌿🌿なところがかなり多いが、主要なところは刈払いの手を入れて下さっているようで、ややワイルドめが好きな向きに丁度良いターゲットと思った。

そして全体的には立鳥城と共通なところが多いなぁと思った次第…


★永田城

千葉県茂原市高田、大網白里市永田

矢口神社に駐車場あるが、登城に利用できるかは微妙。

山城

 

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(2026年2月24日 記)