ド地元でありながら、遺構がないことをイイワケにして長いこと放ったらかしていた、毛利氏発祥の地😅
ここには軍事政権としての鎌倉幕府の屋台骨を築いた大江広元の子、毛利季光が屋敷を構えていた。宝治元年(1267年)に三浦泰村と組んで打倒執権北条氏の兵を挙げたが敗れ、鎌倉法華堂にてもろとも自刃し果てるという悲劇的最期を遂げた人物。
所領の越後にいた四男の毛利経光がこの合戦に関与していなかったことから生き残り、越後と安芸の所領を継いだ。この越後に生き延びた毛利氏の館が新潟県柏崎市の南条毛利氏館、後に安芸国の所領を継いだ経光の四男時親が安芸毛利氏の始祖。
遺構や遺物は無いが、伝承や古地名などから此処と比定されたらしい。恩曽川右岸の段丘上に広がる館跡は三島神社の境内になっていて、谷戸を望む高台のようすに往時の面影を微かに残している…のだろう😓
なお毛利の姓は愛甲郡にあった毛利荘(もりのしょう)という、大和国春日社のものらしい荘園に由来する。この毛利荘はいまの厚木市内の北から南西までの範囲に広がっていて、今ではそのものが地名として残ってはいない。しかし館の南の方に「毛利台」という地名がある他、「南毛利村」という旧村名そして今は市内の地区名「南毛利」「南毛利南」として名残をとどめている。ただし館跡がある場所に字レベルの地名は残らなかったようで、明治の町村制施行以前は飯山村、それ以降は小鮎村に属していた。
この日は甲府盆地の東側に構える大野城からスタートし、甲州街道ぞいを戻りながらいくつかの小さな城を見て回ってきた。自宅ちかくまで帰ってきても日没まで時間があったので、少し前に講演のネタにもなったここを訪問した。
シロウト時代から5年ぶりぐらいの訪問だったが、当時は城にカウントしなかったけど今回はするやつ😎
土木の跡が見たくて城攻めをしてきたが、最近遺構が僅かなところを続々カウントするズル…😅
館の外側の段丘崖はほとんどがコンクリで固められていて、面影を残しているのは谷戸より一段高いという地形だけになっている。
館跡へは、西側を登ってゆく道へと入ってゆく。
ここも法面コンクリ…
傍らには、立派な祠。
お地蔵様が祀られているという。
さてこの道を登ってゆくと、老人憩いの家の前から館跡に入ることができる。
坂の途中に階段もあり、三島神社の鳥居の前に出る。
いまは三島神社の境内になっていて、館の様子は妄想するだけ…
館跡にはいくつかの建物などが立っているが、端のほうにクスの大木が生えている。
厚木市の保存指定樹木になっているが、樹齢などは分からなかった。
見た感じだと、さすがに館があった時代からの木では無さそう。館跡に生えてきて三島神社が守ってたか…?
傍らには、毛利氏発祥の地の石碑。
いまでは館があったことを語る唯一のものか…
立てられたのは最近。
三島神社。
大山祗命を祀っていることは分かったが、創建時期とか由来とかは分からなかった。
いま見えるのはこれぐらいで、武士団が山城を築き始める時代が来る前に廃されてしまったせいか、背後の下古沢の丘陵地帯にも遺跡らしいものは無さそう。
それでも、恩曽川沿いの谷戸を見下ろすこの池に根を下ろそうとしていた毛利一族郎党の生活が、静かに脳裏に浮かんできた…
★毛利季光館
神奈川県厚木市下古沢
麓の道路沿いの舗装された空き地は駐車場か?遺構は無し。
丘城?
(2026年3月17日 記)










































































