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伊那谷も飯田の北隣、下伊那郡高森町には段丘が小さな沢状に分断された田切地形に築かれた城がまとまった数残っている。吉田古城はその中でも市田地区の中心地から2km弱北、天竜川右岸の段丘を胡麻目川が東西に分断する南側にある。すぐ南東に隣り合う吉田本城との間にも胡麻目川の方へ小さな谷が落ちていて、田切地形を利用した城のようすがよく分かるところか。

源平合戦の頃からこの地に住んでいた吉田氏の城と伝わるが築城時期や詳しい歴史などはよく分かっていないらしい。すぐ隣の本城や南500メートルの吉田南城との関連も、古城と新城なのか本城と支城なのかもはっきりしないという。


翌日に岐阜県可児市での城イベントに参じるべく途中の伊那谷で道草を食うことにしていたが、珍しく事前に目星を付けておいて出来るだけ多くの城を回ろうとしたが体調がイマイチで、到着したのが昼前になってしまった😅


JR飯田線下平駅あたりで国道153号から段丘の上の下伊那広域農道の1本下の道に入って南下してゆくと、吉田本城・古城の道標が左側に現れるので(→Googleマップで表示)入ってゆくと、「出曲輪」という案内が立っているところで突き当りになる。

これは本城の出曲輪だが、この付近に車は停められない。


現在位置(Googleマップで)

左へ入って少し進むと、正面に現れる城塁😮

これが古城。


傍らには、標柱と全体図が立っている。


この図が分かりやすくて良いのだが、入り込めるかどうか分からないところに土塁や櫓台などが描かれている…

この広場の城塁と反対側には総構堀もあったとのことだが、眺め回した限りでは見えなかった。


まずは城塁の周囲に見えるものから。

右手の方、城の南側には壮絶なヤブの堀が見える😂

これは突っ込めない…


城から南の方に伸びるように描かれている土塁や空堀は、この堀の城内側から出ているようなので、まずは城内へ入ることにした。

高さ3メートルぐらい、土の切岸✨


奥に見える横矢掛かりのような出っ張りのところに嵌め込まれている、この石積は本物か?


この石積の向こう側に、主郭に登る坂道がある。

これは軽トラとかが登れるように改変されたようにも見える…


そして、北端にはまたまた🌿🌿に覆い尽くされた堀…

トラロープが忘れられたよう…


ここも入るのは怖いので、このぐらいにして主郭へ。

基本的には、城塁に仕切られたこの主郭だけの城。それにしてもフットサルぐらい出来そうな広さ😮


南側の切岸。

車を停めた場所の横から始まった空堀は、もう遥か下まで降りてしまっている…

🌿🌿がひどくて見通せないが、ここも田切地形を堀に取り込んでいるのが見える。


このぶんだと、南東へ降りてゆく土塁もダメかなぁと思っていると、急傾斜の尾根を降りてゆく踏跡があった。

が、降りた先は視界ゼロの🌿🌿の園だった😂


これは、ムリ。


胡麻目川の谷に面した東側も、この通り😂


まぁ田切地形を利用した城だってことは全体を見て回れば分かるので、佳き。


さて北側へ回ると、縁がわずかに盛り上がっているのが見えてくる。これが土塁なのだそうだ。


先ほどは入ってゆくのを遠慮した北側の空堀も、🌿🌿の間から何とか見える。

南側と違って、田切のように奥ほど深くはなっていないように見える…


この土塁はトラロープで規制されている。

何かと思ったら、高森町の巨樹、古木、名木のひとつ『高森古城桜』の表示。


オオシマザクラ系で花は半八重、桜色を帯びていて新品種の可能性があるとか。

この桜は城内の主郭にもたくさん植えられていて、春には華やかな風景に変わるだろう✨

目立つ曲輪はこの主郭だけらしいが、たしかに田切地形の険しさを守りに上手く組み込んでいるようすが見える、面白い城だった。


さて、続いて吉田本城へ💨


(伊那谷 高森 吉田本城に続く)


★吉田古城

長野県下伊那郡高森町吉田

城の目前が駐車スペースと思われる草地。道は狭い。

丘城

 

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(2025年11月18日 記)

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毛呂氏館はJR八高線毛呂駅からすぐ南、毛呂山霊園の脇にある長栄寺のある丘の先端部にあったという。

毛呂氏は藤原北家出身の藤原季光が祖で、保元の乱後にここに住み着いて毛呂氏を名乗るようになった。源頼朝の信任篤かったとのことだがその後の歴史はよく分かっていないようで、戦国時代になって長享の乱中の永正元年(1504年)立河合戦に山内上杉方として現れる。のちに後北条麾下に鞍替えし、天正十八年(1590年)の小田原合戦で八王子城で戦い全滅したという。

館は毛呂氏の滅亡をもって廃されたらしく、いまは館内に建てられた長栄寺が面影を伝える。


一日休みしかも雨降りのこの日、高麗川流域の山城2つほど歩いたらいい時間になったので、ラストはお手軽城と思ってここにした…😅


現在位置(Googleマップで)

右手奥に館のある小山を見ながらアプローチ。

遠くか見ると、なるほど丘の先端に構えた館のような雰囲気がある。ただし麓は広い墓地。

毛呂氏館跡と長栄寺、墓地


遺構は寺の背後に曲輪一つと浅い堀が1本だけとのことだが、谷戸の奥にある毛呂山霊園の駐車場に車を置き、見て回ってみる。

長栄寺の境内が、上下二段のうち下の曲輪があったところという。

毛呂氏館跡 長栄寺へのアプローチ


本堂

長栄寺入口と本堂


傍らに埼玉県選定重要遺跡の標柱が立っている。

長栄寺は館を引き払った跡地に創建されたのだという。

毛呂氏館跡の標柱と石畳の道


さて、館の遺構は上の方に残っているというので、寺の横から登ってゆく道へ。

毛呂氏館跡への道と長栄寺


すぐ上に歴代住職の碑、さらには毛呂氏の供養塔が並ぶ一角があった。

毛呂氏館跡の供養塔と説明板


供養塔の説明板

毛呂氏の供養塔(毛呂山町教育委員会)


館を構えていた毛呂氏の事績は確かに伝えられてきたようだ。


現在位置(Googleマップで)

さて、道はすぐ上で左にカーブしてゆくが、ここで右に入ってゆくと毛呂氏館跡の道標が現れる😮

踏跡程度の道もちゃんとある。これはしたり❗️

この左側がラストで登場するが、この時そんな事は露ほども知らなかった…😅

毛呂氏館跡への道標と森


小さな墓地を通り抜けたところのここが、館の主郭らしい。

手作りっぽい案内も立っている😮

毛呂氏館跡への道標がある森


入ってゆくと、たしかにテニスコートぐらいの広さの平場が現れた🙌

手前の墓地も含めて館跡らしい。

毛呂氏館跡の森、静かな雰囲気


下の長栄寺側の切岸は、墓地などの造成時にかなり崩されたようだが、東の方はちゃんと残っていた✨

毛呂氏館跡の藪と土塁


下に幅3メートルばかりの段郭らしいものも見える。

毛呂氏館跡の森、落ち葉と倒木


この主郭は斜面の中腹に拓かれたようで、山側はかなりの急斜面で登っている。

裾に堀などは無い。

毛呂氏館跡の森、藪が残る山側


この主郭の上には堀が走っているということだが、この斜面の直登は崩れそうなので止めて、東側の端から回り込むことにした。

すると、主郭を出てすぐ上から竪堀状が降りてきていた😮

毛呂氏館跡の土塁と堀


主郭側は人の背丈ぐらいの土塁、外側は数十センチしか掘られていないような小さいやつだが、少し登ると左へカーブしてゆく。

埼玉県 毛呂氏館跡の森


そして、登り切ると主郭の北側の縁と並走するようになった。
毛呂氏館跡の森の小道

内側の土塁もちゃんとしている。

ただ、右側に見える堀底より左側の主郭のほうがずっと低い位置にあるのが、いつも見る城と違う…

毛呂氏館跡の山林、土塁と空堀


それにしても、幅5〜6メートルといったところで、埋まってはいるのだろうけど深さも2メートルぐらいだったか。

城の背後を断つ堀切としては、いかにも浅い…


さらに西へ入っていったら、ヤバめのヤブになってきた😂

しかし、こっち側のほうが断面が埋まらずに残っているように見える😮

毛呂氏館跡の自然な風景


西端の方なんて、深さが人の背丈ぐらいになってた🤯

毛呂氏館跡、山道の堀切


毛呂氏館跡、森の中の遺構

そして出たところが、主郭に入るところの道標の横だった。

よく見たら、さっき入っていった道標のところから踏跡が入り込んでたわ😮

というわけで、土塁空堀コンボは主郭の山側外周をしっかり守っていたのだった。いささかスケールは小さいようながら…


★毛呂氏館

埼玉県入間郡毛呂山町小田谷

毛呂山霊園の駐車場利用。お彼岸などは満車になる可能性あるか?

丘城?

 

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(2025年11月17日 記)

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このアプローチはハイキングと思えばさほどでもないけど、早く城に出会いたい向きからすると色々なものがあり過ぎて、果てしなく長い道のりのように感じる(?)

何とか吉田山の山頂までやって来たが、『吉田山城』というからにはここが城なのかと思ったら、さらに北に少し下ったところに構えているのだという。

吉田山城 445m 登山道


山名標の掛かる木の幹に「通行不可」とある方へ入ってゆくことに少しだけ背徳感を覚えつつ、北の尾根を下ってゆくと…


あった🙌

埼玉の山林、城址への道


尾根を下った先で尾根がボコっと太くなっている。

よく見ると、そこは丸くて周囲を切岸加工された平場のようだった。


そして…


堀切や〜😮

吉田山城の林道と木の根


尾根続きを、小さいながらちゃんとした堀切で区画していた。

尾根の側方へ少し出て見ると、尾根線を土橋で渡るタイプのようだ。

吉田山城の掘切と土橋

この土橋が、なかなか美麗✨

堀切の両側をしっかり繋いでいる。

山道に露出した木の根と落ち葉


土橋を渡ると、最初に見えた曲輪。

少し凸なようだが削平はしっかりしているようで、アパート一室ぐらいの広さか。

吉田山城の森、落ち葉と木の根


その奥には…


立派な堀切あるわ〜🤗

吉田山城の堀切と土橋


これを見られただけでも、来た甲斐があった🙌

尾根の幅が10メートルもないぐらいの狭さだが、深さ2メートルばかりの堀切でしっかり守っている。

薬研堀の断面がちゃんと残っている✨

吉田山城の堀切と土橋


ここは、城内側の側壁を覆う木の根が印象的😮

房総とはまた違う感じ…

吉田山城の巨木の根、埼玉県の山城


ここから眺める、城の東側の城塁もまた、ドッシリしていてステキ✨

吉田山城の森と登山道


この堀切を越えると、幅3メートルばかりの細い尾根の天端が削平された空間が続く。

吉田山城の尾根道と森


その向こう側は一段高くなり、露岩がゴロゴロするようになる。ここが主郭か。

吉田山城、堀切と土橋


主郭とは言っても平坦な空間はごく狭く、幅2〜3メートルぐらいの、たくさん並んだ大岩に囲まれたような空間がひょろひょろと奥に続いている…

埼玉県 飯能市 吉田山城 堀切


20メートルばかり入ると先端になるが、なんか下の方からの寄せ手を狙撃する銃座のようにも見える。

吉田山城:自然の中の石と落ち葉


ここから下には堀切のようなものは見えず、そのまま急な尾根になって下っているようだ。

堀切などは見えなかった。

吉田山城の山頂付近の森


そして、ここは東西の側壁がスゴいことになっている。

西側の下にはかなり広そうな平場らしいところが横たわっているようすだが、ここから下降して見に行くのはムリ💦

岩肌と木々のある山道


東側

吉田山城の険しい岩場と木々


これは、側面からの直登はムリなやつ😨

そして、登山道を麓まで繋げなければ、迂闊に入り込むと危ないやつだな🥶


ともかくも山城としては長いアプローチと、その奥に細い尾根を切って削平しただけの素朴な城という組み合わせは、なかなか足を遠のかせるかも…


★吉田山城

埼玉県飯能市吾野

麓の東郷公園駐車場を利用。

山城

 

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(2025年11月14日 記)

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吉田山城は西武秩父線吾野駅と西吾野駅の中間やや西寄り、高麗川右岸の山中にある。北側400メートルほどの麓を高麗川と国道299号が通っているが道はなく、東側の東郷公園から秩父御嶽神社を通ってのアプローチとなって、かなり長い道のりになる。

最近見つかった城のようで、歴史などはまったく不明らしい。


一日休みと2つ目玉低気圧の通過がガチンコになったこの日、それでも高麗川沿いは小雨程度で順調に平野砦を攻め落とし、続いて訪問。


現在位置(Googleマップで)

登り口は、秩父御嶽神社からになる。

東郷公園の駐車場に車を置いて、いざスタート💨

秩父御嶽神社 鳥居と紅葉


ここからしばらく車道を歩くと、車止めの奥から階段になる。

東郷公園駐車場から吉田山城への登り口


さっそく階段か💦というところだが、ここは終わりが見える。

登りきると、上に狛犬そして鳥居。

狛犬と石段がある秩父御嶽神社参道


上には東郷元帥像。

すっかり紅葉に囲まれていた。

石獅子と石段のある秩父御嶽神社参道


その前を登ると、弾痕の三笠甲板。

分厚い鉄板がこんなに捻じ曲げられボコボコ…
弾痕の三笠甲板

さらに続けて登ると、東郷神社。

秩父御嶽神社の鳥居と社殿


車道に出て登ってゆくと、ここが秩父御嶽神社への参道。

368段の階段とな🥵💦

秩父御嶽神社の長い石段と鳥居


こりゃ、アプローチでバテてしまうパターン💦

それでも、ひと休みして仰ぎ見ると、雰囲気伝わってくる✨

秩父御嶽神社へ続く石段と幟


途中踊り場のような分岐とかを何ヶ所か横切りつつ、土の城の切岸を直登するような急斜面をへばり付くような階段で登りつつ、秩父御嶽神社に登りつく。

明治二十八年(1895年)の勧請というから新しい✨

秩父御嶽神社と紅葉


ここまでで麓から150メートルばかり登ってきたんだから、少しはラク出来たよね?🥺

 

ここからは、拝殿の前を右へ進むと「休暇村奥武蔵」や吉田山へという道標が掛かっているので、

それに従って進む。

一人通るのがやっとの狭い山道に、いきなり変わる😮

吉田山城への道、古民家と紅葉


ここから城はほぼ真西だが、地形図を見ると南へ北へと尾根線を折れ曲がりながら辿ってゆくようだ。

平坦な尾根の先の急登を登りきったところが御岳山の山頂とのこと。

吉田山城への森の道標


手作りの山名標がかかっていた。

吉田山城への案内標識


ここは突き当りになっていて、城へは吉田山の指示に従って左へ。

尾根はこんな感じで小ピークに登ったり、少し下ったりしていて快適💦

森の中の道標がある木


しばらく進むと、正面から右に向かって高い尾根が伸びているのが見えてくる。

この先に吉田山があり、道はトラロープに掴まりながら登るスゴい急登になっている💦

吉田山城への山道と森


尾根線に端から回り込むあたりなんか、こんなんだし🥶

滑るとかなり下までズルズル行きそうな感じ💦

吉田山城への急峻な山道


ここはトラロープを忠実に辿って尾根の反対側へ回り込んで上に出る。

平場などはない、細めの尾根が北西に向かって続いている。

少し進むと、正面にまたまた大きな盛り上がりが見えてくる😮

吉田山城への急な山道


こんどはさほどの急登ではなく、少しで登りつくことができる。

ここも平場はなく、城とは無関係のようだ😮

埼玉の山林、吉田山城の風景


木の幹に『通行止』とあるのは、私有地の山ということもあるのだろうし、ここから直進した先が迷いやすくて危険ということもあるのだろう。

ともかくも、城へは踏跡のある右へ進む。


道は少し下ってから平坦な尾根上を進んでゆく。

そして少しだけ下ると、いよいよ吉田山への登り💦

吉田山城への山道 樹木と根道


そして登りきったところが吉田山の山頂。

ここからは子の権現方面への道が南西の方へ下っている。

山道、太い木の根、森


山名標の下に、「←通行不可(馬返)」と彫られた木…

城へはそちらへ進む。少しだけ先💦

吉田山城 445m 登山道


…ん?

吉田山城への山道(登山道)


吾野 吉田山城 本編に続く)

 

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(2025年11月13日 記)

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平野砦は飯能の町から国道299号あるいは西武秩父線を正丸峠に向かって10kmほど進んだ高麗川右岸の山中にある。

ネット上には砦の情報は少なかったが、高麗川の南側に沿う山稜、所謂飯能アルプスへ登降するバリエーションルートの経由地になっているらしく、山行記事にはけっこう登場していた。歴史などはまったく不明らしい。


この日は1日休みだったが、前後の日が晴天だったのに朝から雨降り、天気予報とにらめっこして少しでも雨が少なそうなこの辺りの城へ登ろうとやってきたが、降りつ降らずみの中での登城になった。


西武線吾野駅少し下の国道旧道から山腹へ登ってゆく道は、地形図では細く描かれているがちゃんとした車道で、急坂ではあるが普通乗用車でも安心。


現在位置(Googleマップで)

そして砦の下を通る林道へ。

駐車場など無いので路駐するしかなく、コンクリの法面防護のないところを選んで急斜面を適当に登ってゆく💦

平野砦への林道と山道


尾根上に出ると傾斜は緩くなる。

踏跡があるぐらいだが、尾根線を忠実に辿って登れば良い。

森の中の石と枯葉の道


尾根の分岐もなく砦まで距離もないので、道はないが迷う心配は無いだろう。

標高250メートルの等高線あたりまで登ると、傾斜が緩くなって右後方から沢のようなものが登ってくる。

大手道?😅

森の木々、地面には落ち葉や枝


下の方はかなり下まで続いているように見えたが、雨の中で下って確かめる気にもならず、そのまま登り続けた😅


ここから尾根線あたりは登れないほどの急斜面になっているので、左に寄って登るのが良いだろう。

この斜面、上が平坦っぽくて城塁にも見えてくる…

だが上はかなり外傾していて、曲輪とか堡塁とかにはちょっと足場が不安定…

森の中の土塁跡、埼玉県飯能市


それでも、ネット上の情報を探してみた限りでは、この上に遺構らしいが分かりにくい?ものがあるとのこと。

となると、ここが砦の始まりだった可能性もあるか…?


ここで左手の奥の方を見ると、左下から竪堀のようなものが登ってきて、その奥が土塁状になっているのが見える。

埼玉の山林、平野砦の土塁跡


あの辺が虎口らしいとのことで、まずはそちらへ行ってみるか。

近づいてゆくとまず目立つのが、外側の土塁状の上に乗った大岩。

平野砦、飯能アルプス、山道


その裾は、虎口とも何とも…

森の斜面と木々


土塁状は下の方に20メートルばかり低くなりながら続いて、そのうち消える。

しっかり積んでありそうじゃないの😮

飯能の山道、平野砦への道


さらには、尾根の東側を這うように北へ降りてゆく竪堀状が続いていた。

平野砦、土塁と竪堀跡の森林


これは50メートルばかり下の急斜面で途切れていたが、その先は登ってくる途中で出会った沢状に続いているような感じだった…


この虎口の上には、テニスコートぐらいの広さがある平場があった。

埼玉の山林、倒木と木々


右手に主郭らしい盛り上がりが見えるので、副郭だろうか。

飯能の森、平野砦への道


この曲輪らしきの外側、虎口のところからちゃんと土塁っぽいのが続いている😮

平野砦の土塁と自然の地形


しかも外側は、かなりの急斜面で落ちていた😮

こちら側は、ちゃんと守ってるじゃんか❗️

埼玉の山林、平野砦への道


ここのすぐ南がごく小さなピークのようで、平場のすぐ前から急な登りになっている。

平野砦の山林、土塁と竪堀


その裾、先ほどの曲輪らしきの西側緩斜面の上に、これまた広大な平場がある。

間が切岸加工などされずに緩斜面のまま。

林道の木々、茶色の地面


西側の縁は何も土木工事されていないようで、緩斜面でかなり下まで降りてゆく。

飯能の山林、平野砦への道


この曲輪らしい平場からすぐ南にそびえるピークとの間に仕切るものが何も見えないので、上に物見台でもあるかと思って登ってみた💦

土塁のようにも見える細い尾根の東は急斜面、西は緩斜面になっている。

平野砦の土塁と雑木林


そして、ピークはこんな感じ。

ひいき目に見ても六畳一間ちょっとぐらいで、見た目はふつうの丸いピーク。

曲輪になり得るか…?

平野砦の森、土塁と竪堀状の遺構


西の緩斜面の下に曲輪みたいなのが見えるな…

飯能の森、木々が生い茂る様子


ここから先の尾根は、いったん少し弛んでから再び急登になっていて、堀切などは見えなかった。

しかし西側に見えた平場は、削平されたらしくキレイな平面✨

森の中の獣道と倒木


この周囲も切岸加工などは無さそうで、緩斜面のまんまのような感じだった。

全体にこんなもんで、結局3面のかなり大きな曲輪と北東のほうの虎口や土塁、そして登ってくる竪堀状だけらしかった。東側は割としっかり守っているが反対側や南の尾根続きは自然のまんまのようで、設計思想がよく分からない印象の砦だった…


★平野砦

埼玉県飯能市坂石町分

スペース無いので登城口付近の林道に路駐。無余地にならぬよう注意。

山城

 

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(2025年11月12日 記)