城峰山城は大町の中心地から山稜ひとつ隔てた東、旧八坂村の横瀬集落の北東にある標高760メートルの小ピーク周辺を占めている。
県道469号から一ノ瀬付近で分かれてくる林道がすぐ裏を通っていて、アクセス至便。
築城者や来歴などは全く不明とのこと。このあたりは仁科氏の勢力範囲で山城が多く築かれているが、関連も分かっていないと思われる。
せっかく信濃大町までやってきたが午後から生憎の雨となった。それでもどこかの城には登らないと勿体無いと探し回って、林道から近く手頃に登れそうなこの城に行くことにした。
本降りの☔で、もちろん傘差し登城😂
登り口は、ロータリーみたいな交差点の向こう側で、草地ながら駐車スペースらしいものもある。
斜面を道みたいなのがジグザグに登っている😮
雨の中でも土はしっかりしていて、傘差しでも何とかなるか…
しばらくジグザグに登ってゆくと、ほどなく尾根の上に出る。
すぐに植林地に入り、下草は無くなる。
多くの場所は最初の見た目よりずいぶん歩きやすくて、傘差しでも何とかなりそう。
右の方に、最初の曲輪の切岸らしいものが見えてくる。
曲輪は4メートルぐらい上。
虎口もない、ただ丸く盛り上がっているだけに見えるが、斜面を歩いて登れる。
登ってみると、六畳一間より少し広いくらいの小ぢんまりとした空間だった。
ここには、明らかに切ったり表面をはつったりしたような石が、いくつも転がっている。
城にゆかりのあるものかどうかは分からないが、神社や祠があったのかな?
曲輪から道を挟んで反対側には、短い土塁が横たわっている。
高さは3メートルぐらいありそう😮
ここは、侵入してきた寄せ手を曲輪と土塁の間の細く絞られた動線で1列縦隊にさせて、上の曲輪から側面攻撃するためのキルゾーンだな…😨
この中を通り抜けてゆくと、こんどは右前方に尾根状が見える広い空間に通される。
少し谷の方に外傾しているが、建物などは建てられそう。
ここが、城内で一番広い曲輪で、兵の駐屯や司令所的なものがあったのかな…?
谷に面した南側の端は凄い急斜面になっていて、土を切ったり盛ったりして作り出した空間なことは、間違いないだろう。
反対の尾根側は一段高くなっていて、先ほど登った曲輪と西の尾根との間に広い空堀のような空間が広がる。
この尾根上にも曲輪があるようだが、前が見えないほどのヤブになっていて、ちょっと傘差しで登るのはムリだった…😅
裾の斜面は、しっかり切岸加工されているようす。
その足元には、井戸らしい穴が空いていた。
逆にハッキリし過ぎて、往時のものかどうかは…
この広い空間には、城の主郭部が構える尾根の東側の裾を通って南に回り込む道がある。
この道、急斜面の中腹に付けられているが、幅が30センチもないぐらいでしかも外傾していて、怖いのなんのって…
この道、見た目の頼りなさとは裏腹に、下まで降りられそうな感じ。
横瀬集落あたりに降りられるのだろうか…
しかし、先へ進むほど道は険しい斜面のトラバースになって足を滑らせようものならかなり下まで落ちてしまいそうだし、主郭部へ登りも高く厳しくなるので、登るならここからではなく戻った方が良い。
この南側の斜面、かなりダイナミックに落ちている😮
尾根に登ると、そこは先ほどの猛烈なヤブだった曲輪と、主郭部の方との間だった。
丸い尾根が直線的に伸びていて、北の方は植林が途切れ、すごいヤブになる。
主郭部のある南の方は、大きく盛り上がっている。
それほど急傾斜ではないので歩いて登ってゆくと、上はバドミントンコートより少し広いぐらいの曲輪だった。
わりと小ぢんまりとしていて、虎口や周囲を囲む土塁などは全く無い。
向こう側に主郭の盛り上がりが見える。
その裾には、井戸らしい浅い穴が2つ並んで開いていた。
向こう側の方が少し高い。
この斜面もさほど急傾斜ではないので、歩きやすいところから登ってゆく。
上には平場があるのかと思ったら、山のように盛り上がっていた。
それでも、先端の盛り上がりのこちら側に曲輪らしい平場が広がっていたような感じはする。
ここが主郭らしい。
先端が城内の最高点だが、六畳一間ぐらいも無さそう…😨
そして、この曲輪の西側…
こえ〜よ🥶
その下は、落差30メートルはあろうかという崖になっていた。
しかも端のほうの下はエグれてるっぽい🥶
なんか、あきる野の戸吹城を思い出す光景…
庇のように突き出しているであろう足元が万一崩落なんぞしたら、ひとたまりもない🥶
退散ーん💨💨💦
全体としては尾根の裾の広い空間に居住や政務をとる要地を置いて、虎口側をキルゾーンで守り、南に突き出した細尾根上の櫓台で周囲を監視する城だろう。
街道を押さえる関所、番所みたいな城かな…?
★城峰山城
長野県大町市八坂
登城口前に草地の駐車スペースあり
山城
(2024年7月22日 記)