徳山城は大井川を河口から40kmほど遡った左岸の山塊、無双連山のある尾根上にいくつもの曲輪などを並べていた。
南北朝時代の始め、観応の擾乱のところで土岐(鴇)彦太郎なる有力領主が足利直義方とともに南朝に与したため、文和二年(1353年)に北朝方の今川範氏の攻撃を受けて陥落したとのこと。
この前年の観応三年には安倍城を追われて大津城に立て籠もった南朝方の佐竹兵庫入道が、同じ今川範氏に攻められ徳山城に逃げのびるという合戦があり、駿河での南北朝動乱では重要な舞台となっているらしい。
この城の存在を知ったのは、佐竹兵庫が籠もった「大津城」の候補の一つ野田の城山について調べていたときだった。
敗れた佐竹兵庫が逃げ込んだぐらいだと、この地域における南朝方の「最後の砦」的な城だったのだろう。
これは訪問せずにはおれないだろう。
「大津城」が今残るどの城趾かはまだ特定されていないらしい
しかし、とにかく標高1000メートル超えはワタシが登った城の中では甲州の御坂城、信州の松尾古城に次いで三番目、登り始めの文沢地区からの比高600メートルは前の週末に登った甲州の古城山烽火台の540メートルを上回ってベストとなる(たぶん😅)。
軽登山の部類なのだろうが、山城攻めとしては大がかり💦💦
(電子国土webの図上に筆者作図)
注意!GPSログではない!経路は必ずしも正確でない
平日休みが取れて三連休になったこの日は、前日に瀬戸谷城を首尾よく攻略したものの「大津城」の有力候補とされる滝沢西城は駐車場所を見つけられずに敗退、前夜のうちに中川根まで移動し、気合を入れ直して朝一番で攻略開始した。
それでも出で立ちは普段と変わらず😅目撃者がいたら普通の観光客が迷い込んだようにしか見えなかったろう…
↑危ないから装備整えなさいって😮💨
案内は付いているが…
道というには痕跡だけになったような感じで、しかもかなり急💦
これは、ヤバい登りを覚悟せねば💦
この道は、わりと傾斜のある尾根上をつづら折れなど無しでまっすぐ登ってゆくので、とにかく疲れる😵💫
登り始めから尾根線ちかくを登ってゆく感じ。
しばらく上ると植林地に変わる。
こういう尾根道を登るコツは、やはり十分な時間を取って、無理のないペースで一歩々々ゆっくり登ってゆくことだろう。
ペースを上げすぎて息が続かなくなって休憩、またオーバーペース…を繰り返すとインターバルトレーニングみたくなって、よけいにキツイ。
途中には土橋みたく見える細尾根も出てくるが、城の遺構ではない。
道は標高900メートルあたりから尾根を離れて東側をトラバースしてゆく。
途中で沢を2本横切ったりして、このまま尾根に出られないのではと心配になる頃、正面に傾斜の緩い尾根が現れてそこへ登ってゆく。
登ってきた尾根の主稜線とぶつかるあたりには崩壊地が多く、道を拓くにはキツすぎたのだろう。
ホント、誰がこのルートを考えたのかと感心するほど、絶妙だ🤗
隣の尾根に取り付いて、登ることさらに比高100メートル以上💦
この矢板までくれば傾斜も落ちてきて、稜線はすぐ。
稜線に登り詰めると、今まで登ってきたところの険しさがウソのように、幅の広い尾根が伸びている。
徳山城のある北に向かって少し進むと、すぐに「鍛冶屋敷」という立て札が現れる。
遺構も何もないが、こんなところまで城域だったのか😮
とにかく寒いところに登りで汗をかいて冷たいので、先を急ぐ。
汗をかいた後に身体が冷えると消耗する🥶
すぐ北の鞍部から、いよいよ本城山に向かっての登りが始まる💦
このまま道を進むとピークを右から巻いていってしまうが、ちょっと寄り道。
ここが無双連山(むそれ山)の山頂。
横に三角点。
「本城山」という二等三角点だそうだ。
そう言えば、今まで城趾で見てきた三角点より標示が立派なような…
ここに建物などを示すものは無かった。
切岸加工などの跡もない、丸い山頂だった…
山頂を後にし、本城山を目指す。
少し下ると、また建物をたくさん並べられそうな平坦な尾根になった。
南側が土塁のように盛り上がっているが、防御のために盛ったにしては少しなだらかすぎるように見える。
あとで見た、城の中心部に立つ説明板によれば、このあたりは陣屋平と呼ぶそうだ。
尾根は平坦なまま登り、本城山の山頂でパッと視界がひらける。
このアンテナみたいの、何だろう?
後で見たネット上の記事には中部電力の反射板とあった。
山頂は、このアンテナの南側が盛り上がっているのがそうらしい。
曰くありげな岩が…
横に碑が2基立っているが、登頂記念碑だった😮
ここが主郭だったのかも知れないが、それを示すものは何もなかった…
後で分かったが、ここはまだ外郭の範囲だった😅
本城山山頂からふたたび尾根を北上してゆく。
この辺の尾根は完全に丸くて、建物などは置けそうにない。
だんだん細尾根みたくなってきたな、と思ったところ…
あの盛り上がりの裾、切れ込んでないか…?
まさか…
(川根 徳山城 本編に続く)
(2024年3月14日 記)