蜷川2class=
蜷川宏子+蜷川実花著
「蜷川宏子のパッチワーク・キルト—collaborate with Ninagawa Mika 」
インデックスMOOK

不定期に更新しております、上のメッセージ欄の<当たり本ベスト5>。本日、順位が入れ替わりましたので、古い方を保存。すみません~、記憶力がやばくなってきた自分のためです(笑)。

1・蜷川宏子+蜷川実花「蜷川宏子のパッチワーク・キルト」インデックスMOOK
2・森博嗣「ナ・バ・テア」中公文庫
3・三谷龍二「木の匙」新潮社
4・お勝手探検隊編「ずらり料理上手の台所」(クウネルの本)マガジンハウス
5・河合隼雄「人の心はどこまでわかるか」講談社+α新書

オキーフ3
ローリー・ライル 著+道下 匡子 訳
「ジョージア・オキーフ―崇高なるアメリカ精神の肖像」Parco出版局

ジョージア・オキーフについて昨日ちょびっと触れたので、記事をアップしてから念のため、要チェックの類縁書がないかをamazonで確認したところ、あわわわ、という事実を発見しました。長らく入手できなかった名著、ローリー・ライル 著+道下 匡子 訳「ジョージア・オキーフ―崇高なるアメリカ精神の肖像」Parco出版局 の新品が購入可能です~。うわ~、びっくり。

刊行されてから24年ほど経過してますが、この本は膨大な資料とインタビューを元に書かれたオキーフ伝記の決定版。訳者の道下匡子さんはあとがきで、この本の執筆過程をこう記しています。

ーーもとニューズウィーク誌の記者、ローリー・ライルが、のべ三年をかけて二十四州を訪れ、無数の美術館や図書館で資料を調べ、クラスメイト、家族、友達など、オキーフを直接知る人々をインタビューして書かれたものです。p391

道下2
400ページ近い厚みの本を開くと、今となっては珍しい(昔は多かったです)活字2段組み。文字がぎっしり詰まった大著ですが、オキーフの誕生から90代後半(原著は1980年発行)まで、さまざまなエピソードとともに語られるオキーフ像が面白く、ぐんぐん進めます。優れた日本語訳を付けた、道下匡子さんの力量も忘れてはならんでしょうね。

右の画像は、本に挟み込んだまますっかり忘れていた(;^_^A、マガジンハウス時代の「Elle JAPON」の記事。道下さんを犬飼智子さんがインタビューする内容で、左の髪の長い女性が道下さんです。当時、道下さんは「ビデオ作家」という肩書きで活動されており、専業の翻訳家ではないんですね。自身の制作の合間に、大著の訳も手がけられたというのは、オキーフに対する並々ならぬ興味と共感の証でしょう。

思い入れのある題材に、がしっと向き合うような仕事は、たとえその人にどんなに能力があったとしても、一生のうちにそう何度もできるもんじゃありません。著者と訳者の組み合わせだけでも、読者として本を読める幸運に、なんか感謝したくなるですよ。

オキーフ1 もちろん内容だけじゃなく、見た目(ブックデザイン)も高い水準に仕上がっており、持ってることがうれしいかどうか、という私の基準を軽くクリアしてます。あの、画像の本はなにぶん四半世紀近く前のもので、ぼろいのは、どうかご了承ください(笑)。

あまりに大事だったので、「借りたい」という友人のリクエストにも「ごめん。この本だけは貸せないの」と断り続けてん十年。古書店でプレミアが付いてるのを見かけたことがあるような…。新刊が手に入るなら、迷わず薦められるです。やたっ。

それから蛇足でございますが、記事のテーマを便宜上visualにしました。アンセル・アダムズ など有名な写真家が撮影した写真が多数収められていますが、この本は伝記という読み物ですので悪しからず。小説でもないし~、エッセイでもないし~、いろいろのカテゴリーに入れるにはビジュアルに特徴がありすぎるし~ということで、仕方なくこうしました。分類方法の甘さが出ちゃったな(笑)。

オキーフ2 オキーフ4
左は表紙、右はスティーグリッツと一緒のオキーフの写真を使った裏表紙
ダチュラ1
<アメリカチョウセンアサガオ>ジョージア・オキーフ 1932年 個人蔵

一昨日の記事(残暑お見舞い申し上げます )で夾竹桃のことを書いたんですが、キョウチクトウとノウゼンカズラ以外にも、強烈な毒を含むあでやかな夏の花があるじゃん、と思い出しました。ジョージア・オキーフが好んで描いたことでも有名かな。キチガイナスビとも曼荼羅華とも呼ばれる、チョウセンアサガオです。

花の直径は、大人の男のこぶしくらいありそう。夕顔の花も目立つけど、チョウセンアサガオも大きくて遠くから開花を確認できるです。Wikipediaのチョウセンアサガオ の項を読んだら、10~15センチ程度の漏斗状の花を咲かせるとありました。郷里の秋田では見たことがなかったので、初めて目撃したときは「なんじゃこりゃ」と、ぎょっとしましたよ。

ダチュラ2 上の画像は1993年に横浜美術館で開催された<ジョージア・オキーフ アメリカン&モダン」の図録から。久しぶりに開いたんですが、図版の色もいいし、解説、年譜などの内容・構成がしっかりしていて、とても良くできている本ですね。絵を見に行くたび、図版を買うか買うまいかを悩むんだけど(お財布に超響くので・笑)、これは買って大正解。

オキーフの花の絵は、真上から覗き込むようにしたアングルのものが少なくない。チョウセンアサガオ、ペチュニア、グラジオラスなど、彼女が好んだ題材(花)に漏斗状のものが多いのは、上から見たときの奥行きが画面に面白い効果をもたらすからかもしれませんねえ。

あわわ。ハナシがずれてしまった(笑)。毒ですよ、毒。荒俣センセイの「花の王国2薬用植物」平凡社 から引いてみましょう。

アサガオに似た花をつけるのでこう呼ばれるが、ナス科に属し、アサガオの近縁種ではない。ヒヨスやトリカブトとならぶ有名な毒草で、日本では最初の麻酔薬として知られる。p70

ダチュラ3 薬用植物
荒俣宏「花の王国2薬用植物」平凡社

毒の正体(?)はヒヨスキアミンというアルカロイドの一種だそうです。チョウセンアサガオには、白花のほか、ピンク、オレンジ、黄色などの色花を付ける木立性の種類もあり、エンジェルトランペットという園芸名をご存知の方も多いのでは。昔は白花と色花を区別せずに、いっしょくたにチョウセンアサガオといってましたが、近年、主に色花を付ける種類をキダチチョウセンアサガオ属 に分けたらしいです。

もうちょっと詳しく説明いたしますと、白い花が上向きに咲くチョウセンアサガオは1年草。一方、色花が下を向いて咲くキダチチョウセンアサガオは、<木>なんですね。草と木という大きな違いがあるのに、なぜ名前が一緒なのかずっと不思議でしたが、別属に扱うようになったことを知ってほっとしました(なんか違う?)。

編集者時代、職場のあった代官山には、今はなき同潤会アパート(1927年竣工。草創期の日本の集合住宅)が建っておりまして、おしゃれで小さな美容室や洋服屋、小規模なアパレル関連のメーカー等々と一般の方の住宅が混じる、興味深いエリアを成しておりました。仕事の合間にお昼ご飯を代官山食堂に食べにいったり、洋服屋さんを冷やかしたり、小物を撮影するロケーションに使ったりもしたな~。

道路沿いのある棟の庭に植えられていたのが、大きく育ったキダチチョウセンアサガオ。夕闇に浮かぶように咲く大量の花を見上げるたび、「すごいな~」とあまりの非現実感に口を開けて(たぶん)おりましたよ。再開発のために同潤会アパートが取り壊されてから、用がなくなったこともあって代官山にはとんと出かけなくなりましたが、「あの見事な花を咲かせる木はどこへ行ったのだろう」と、ふと思います。どこかに移植されて、咲き続けてるといいなあ。
松子 DVD「嫌われ松子の一生」
「ぜったい見に行くぞ~!」と力んでいたにもかかわらず、もたもたしているうちに映画の公開が終わってしまったこと(中には不入りを理由に打ち切られる場合も)が、私には極めて頻繁にありまして、この映画もそう。「嫌われ松子の一生」 でございます。近所のレンタル屋さんをなんとなくぶらぶらしていたら、「そういえば見逃していた」と思い出し、オリンピックの合間に見ましたです。

監督は「下妻物語」で評価を得た方なのかな。私は未見なので、 中島哲也作品は初めて。CGやアニメを駆使した、派手で凝った映像が見ものであることは事前に知っていましたが、ここまでとは思わなかった。2時間以上、鮮やかな色彩が「これでもか~! これならどうだ~!」という勢いで画面から吹き出してくる感じ。ほとんど花火です。

色彩だけじゃなく、お話が進むテンポも花火並み。学校の先生→風俗嬢→犯罪者→美容師→ヤクザの情婦と、ヒロイン松子の人生はあれよあれよという間に転落(?)。「なんでこうなるよ」と突っ込む間もなく、ストーリーがどんどん展開するの。見る人をつかんだまま考える間を与えない、というスピード感を可能にした脚本は、どんなふうに書かれたのでしょうね。興味をそそられます。

主演の中谷さんは、いわゆる汚れ役をやった、ということなんでしょう。でも、ですね、汚れて見えないんだな。メイクも衣装も演技も、その時々のお仕事に沿った「らしい」雰囲気に仕上がってるんですが、映画を見終わって思い返すと、汚さやくどさが残らない。清潔感が漂うといっては言い過ぎかもしれないけど、辛く重苦しいムードはありません。試しに松子の役を、若いころのヨシナガサユリあたりに置き換えて想像すると、中谷美紀の演技力と生物としての持ち味のようなものが見えてくるかも。

しょっちゅう画面に飛び出してくるポップな色合いの花々が、プリクラのフレームのように情景を縁取りながら、「映画は現実とこんなに離れているから、安心して見てね~」と監督の意図を強調している気が。こうした映像的な工夫以上に主演女優の力が、暗く切ないお話を大きく助けていると思いました。

特に、終盤の河原のシーンがいかったな~。中谷さん演じる松子は、「えええ~っ」と目が点になるような、ものすごい風体で登場して、遊んでいる中学生を諌めるんですが、その時の声がすごくいいの。ああ、助かった、という感じ(なんのこっちゃ、といういい方ですみません・笑)。あと、知らない女優さんでしたが、黒沢あすかさん演じる<沢村めぐみ>の姐さんぶりがかっこえかったです。

エレンディラ
「嫌われ松子の一生」 は、大好きっていうわけではないけれど、かなり好きな部類に入るですね。10年経っても忘れない気がする。頭の中の棚に整理するとしたら、長らくベストワンの位置にあった1983年の「エレンディラ」の隣あたり。左に公開時のチラシの画像を貼りましたが、この映画はノーベル賞作家ガルシア・マルケスの小説を、作家自身がシナリオ化し、リュイ・グエッラが監督した文芸作品なり。

ギリシア悲劇などを演じる本格派大女優イレーネ・パパスが、実の孫娘を娼婦に仕立てるという、無慈悲な遣り手婆のような役を怪演してます。悲惨ながらも幻想的なストーリーと、シュールな映像美が素晴らしい。ずっとDVDが欲しくて、思い出すたびアマゾンを検索してるんだけど、未だリリースされませぬ。ほんとに美しい映画なのになあ。残念です…。

一般人が到底及ばないレベルまで俗を極めれば、俗はある時から聖なるものに変化するといったらいいだろうか。「嫌われ松子の一生」 も「エレンディラ」も、そういう極端さが到達した異世界を描いていると思うです。ダークなファンタジーもしくは寓話といってもいいと思うけど、安易に教訓を探してはいかんでしょう。ざらりとした苦い味を時々思い出して、「あれはなんだったのだろう」とふと考えるのが、大人の寓話の楽しみ方のような気がするなあ。

*芋蔓本*
撮影時のエピソードが少し綴られている中谷美紀のエッセイ。
かなり大変だった様子がうかがえます。中谷美紀「ないものねだり」幻冬舎文庫
映画「エレンディラ」の原作は文庫本で入手可能。
ガブリエル ガルシア・マルケス「エレンディラ 」ちくま文庫

ないもの エレンディラ2
夾竹桃
毎日、ほんとうに暑いですね。もともとインドア系ですが、外出するのを極力控え、テレビのオリンピックとスイカが友達状態です。近所のスーパーにスイカを仕入れに行くだけでも、滝のように汗が出て、アレルギーの私は痒くて大変(笑)。なんぼ夏が好きとはいっても、さすがに飽きてきましたよ。

上の画像は近所に咲いてる夾竹桃を、道路から見上げて撮ったの図。さっきWikipediaのキョウチクトウの項を読んでたら、花はモモ、葉はタケに似ていることから、この名がついたとありました(夾の字は葉が狭いことの意)。大気が汚染された環境でも元気に育つため、高速の脇などにもよく植えられてますわね。私の中ではこの花が、ヒマワリとともに夏の顔だったりします。

あちこちで見られる園芸種なんですが、意外に知られていないかもしれないのが、この植物の毒。植物画満載の荒俣センセイの花の本「花の王国1 園芸植物 」平凡社には、こんなエピソードが載ってました。
 
花の王国荒俣宏「花の王国1 園芸植物 」平凡社

かつてスペインに進駐したナポレオン軍の兵士がこの木の枝に肉をさして焼いて食べたために中毒死している。ギリシア、イタリアでは葬式の花である。p42

うううむ。日本でいったら、キクの花が有毒って感じだろうか。ポピュラーな植物に毒があるっていうのも、身近なだけに不気味です。オレンジ色のあでやかな花が咲くノウゼンカズラが有毒なことは、小学校の時、自由研究の押し花を作りながら母から教わりましたが、キョウチクトウの毒性の方が強力らしいです。くわばら、くわばら。肉を枝に刺して、バーベキューをしないようにいたしましょう。

オランダーDVD「ホワイト・オランダー

夾竹桃といえば、白花のキョウチクトウが物語の鍵になってる、ピーター・コズミンスキー監督のホワイト・オランダーっていうのもありますわね。美貌の造形作家(?)役に、ミッシェル・ファイファー。その娘、アストリッドにアリソン・ローマン、このふたりに絡む心優しい元(?)女優が、レニー・ゼルウィガー。女優陣だけでも豪華です。

ミッシェル・ファイファーとアリソン・ローマン演じる母娘は、キャラは全然違うけど、ともにブロンドの長い髪をなびかせる美女という設定。映画のテーマは、やたら濃くて異常でもある母-娘の葛藤ですが、私はなぜか作中に出てくるふたりの美術作品に目を奪われました。我ながら目の付けどころがおかしい(笑)。

母(M・ファイファー)が手がける作品は、写真などを材料にしたストイックな感じのコラージュなど。一方、娘(A・ローマン)は、ストーリー前半ではスケッチブックを広げて身近な人の顔を、ひっそりクロッキーしてるだけなんだけど、終盤では小さめスーツケースを使った立体作品の連作を作るまでに表現者としての力を伸ばします。

少女っぽい甘さと微妙なえぐさが同居している感じで、娘の作品はかなりいいです。登場人物が作ったアートが印象に残った映画なんて、今まで見た記憶がないので、この映画はけっこう小道具(美術)に力を入れたんじゃないでしょうか。感心しました。

ビジュアル(役者、カメラワーク、美術)の美しさとは裏腹に、お話はかなり苦く厳しいため、好きずきは分かれるかもしれないけど、私は悪くない映画だと思うです。しかしですね、先だって昔の雑誌を整理していたら、公開時の映画評を発見。あるイラストレーターさんが、「いわゆる女性映画。胸くそが悪くなる内容」と、「けっ!」といわんばかりにこき下ろしているのを読んでびっくら。

罵詈雑言の対象になるような作品じゃないと思うけどな~。ちなみに「シカゴ」(これにもレニー・ゼルウィガーが出演)を褒めていたので、単に好みの問題かもしれませぬ。踊るリチャード・ギアがぎくしゃくカクカクしている気がして、私は「シカゴ」はつまらなかったです(笑)。

それにしても、女性映画っていういい方を最近、あんまり耳にしませんねえ。女性の内面や生き方を繊細かつていねいに描いた作品を、一時は「女性映画」とくくってPRの柱にする傾向があったけど、最近はこの手の作品の背後にある、女にとっては近しい感覚がフツーになってしまい、カテゴライズするほどのものではなくなった、ということなんでしょうかあ。いつ頃、女性映画っていわなくなったんだろ。妙に引っかかるぞ~。
あざみ1 あざみ
ご近所の植物最新情報でございます~。
いつもの土手に薊(あざみ)が開花中。
しげしげと見ると花は3~4センチあるですね。
けっこう大きいので華やかさがあります。

痛そうな刺がなかったら手折って持ち帰り、
本棚の上のガラス瓶に生けてたかも。
いかん、いかん。なんぼ雑草に分類されるとはいえ、
むやみに摘んでいいものではあるまい。
近所の方も楽しんでるかもしれないし~。
薊の身をしっかり守ってるトゲよありがとう、といっておきます(笑)。

アザミはアザミ以外の何ものでもないでしょ、
と思っていたんですが、
念のため、雑草のあんちょこ本を見たら、記載がないの(@_@)
「あんれま」とびっくりして2冊めを確認するも、見当たらず。

ノオト2
3冊めの柳宗民「柳宗民の雑草ノオト 」ちくま学芸文庫 を見たら、
p100にやっとありましたよ~。

本州から九州に至るまで広く分布していて、名のように(注:ノアザミのこと)野原や路傍などで最もよく見掛けるアザミだ。六○~九○センチメートルに伸びる硬い茎を立て、先が枝分かれして紫紅色の花を咲かせる。羽状に鋭く切れ込む葉先には刺がある。アザミ類は秋咲きものが多いが、ノアザミは晩春から夏にかけてが花時で、平地で五~六月に咲くアザミを見れば、それがノアザミと思ってよい。p102

なるほど。しかしですね、今は8月なんですけど。ということは、土手に咲いてるのはノアザミじゃないってことですか??

ノオト
いつもお世話になっている植物雑学事典 (岡山理科大学 植物生態研究室)
に飛んで、キク科アザミ属を探してみましたよ。
開花時期から判断するとモリアザミ の可能性が高いような。
見た目も似ているので、たぶんこれじゃないでしょうか。
ちなみに、柳宗民「柳宗民の雑草ノオト 」ちくま学芸文庫 によると、
モリアザミのモリは、<森>ではなく<銛>だそうです。

総萼片が細長く尖っていて周囲へ開き、その一片が銛のようだからということで名付けられたようだ。p103

よく見かけるフツーのアザミだと思って気にしてなかったけど、
アザミは深い。日本にはアザミ属が50~60種もあるらしいです。
検索しながら、「ほお~」と力強くゴージャスな姿に打たれたのが、
フジアザミHT Nature's Paradise というサイトの画像が特に美しい☆)。
お花の直径は7~8センチ。
富士山の溶岩礫地に多く野生しているそうですよ。

スカイ
森博嗣 「スカイ・イクリプス」中央公論新社

映画「スカイ・クロラ」の公開日は、「スカイ・クロラ」シリーズの最終巻である「スカイ・イクリプス 」の表紙に貼られたシールで知りました。「アニメの完成が楽しみ~」と心待ちにしていたわりには、なんて原始的で受動的(笑)。

作家として森さんは、かなりのくせ者(いい意味で)とお見受けしてます。特にスカイ・クロラのシリーズは、発表順に読んじゃうと、お話の流れがちんぷんかんぷんになるという手ごわさ。5冊めの「クレィドゥ・ザ・スカイ 」が出た時点で「こう読むべし」という正しい(?)順番が、氏のウェブサイト森博嗣の浮遊工作室ミステリィ制作部 で紹介されてました。最初に教えてほしかったよ(笑)。

1 ナ・バ・テア
2 ダウン・ツ・ヘヴン
3 フラッタ・リンツ・ライフ
4 クレィドゥ・ザ・スカイ
5 スカイ・クロラ
6 スカイ・イクリプス

初めて読む方は、こう進むとよろしいかと思います~。

映画の公開前にシリーズ6作目にあたる短編集が出ることを、森さんのサイトで読んでいたので、アマゾンにしっかり予約。けっこう熱心なファンみたいで、恥ずかしいなり(;^_^A。 この本には30ページ前後の短篇がが8つ収められていまして、それぞれ主人公が異なります。上の1~5までを5作で構成される大きな絵になぞらえるなら、6冊めの「スカイ・イクリプス 」は、絵の部分を拡大した図版のよう。「スカイ・クロラ」シリーズの補遺のような作品といってもいいかもしれません。

空 スカイ・イクリプスの裏表紙の部分

内容にあまり触れるとネタばれになって他の方の楽しみを奪いそうなので、控えめにしか書きませんが、読みながら「ああ、やっぱり…」と思ったのが、2番目の「nine lives(ナイン・ライブス)」。

ゴーグルを一度外し、冷たい新しい空気を入れる。
深呼吸。
首を左右に捻った。
肩を軽く上下させる。
力を抜け。
流れるように。
奇麗に飛ぼう。
それだけを考える。 p63

ほとんど草薙水素(すいと)のことを描写しているようですが、違うんだな。これはたぶんティーチャのことでありましょう。ううむ。水素とティーチャは、ここまで同族だったのか。性は異なるけど、きわめて似たキャラのふたりが出会った時、どういうことが起こるのかを、私の好きな「ナ・バ・テア 」は描いているのかもしれないです。あと、タイトルのnine lives(ナイン・ライブス)が妙に気になる。9回の人生ってことですかしらね。とすると水素は…。また、全部読まなきゃ。

ぼく
こんな感じで、収録された8つの短篇を読むうちに、スカイ・クロラのお話に深みが出るという体験ができるんですが、1981年に発行された内田善美「空の色ににている 」ぶーけコミックス も、同じテーマを扱っている作品ではないかね、とトートツに思いつきました。

たしか(本は実家にあるので記憶とアマゾンのレビューを元に書いてます)ヒロイン浅葱(あさぎ)は、感性の似た者と、自分に欠けている要素をもつ者の違いについて、陸上競技少年である蒼生人(たみと)に、シェル・シルヴァスタイン 「ぼくを探しに」講談社 を例に説明するんですね。

似た者はいっしょに歩める--と「ナ・バ・テア 」とは逆方向に話が帰結したと思うんだけど、どうだったっけか。肝心のところがぼんやりしてて、自信ないです(笑)。今度帰省した時に、マンガの棚を掘って確認してみようと思います。そ、それにしても内田善美のアマゾンでの値段が…。プレミアついてる(@_@)
クロラ
森博嗣「スカイ・クロラ」中央公論新社

いよいよ今週末公開ですね。森博嗣の小説、「スカイ・クロラ」の映画版でございます。監督はアニメファンの中ではカルト的な(?)人気を誇る、押井守。攻殻機動隊などのシリーズが代表作なのかな。宇宙戦艦ヤマトで盛り上がった世代なので、アニメは嫌いじゃないんだけど、長じてから積極的に見たことはなく、アニメ事情にはとんとうといです。

が、しかし、上のベスト5にも載せていますが、森博嗣の「ナ・バ・テア」中公文庫を読んで「すっげ~」(記事のタイトルです・笑)とたまげ、森博嗣のスカイ・クロラシリーズ5冊を読破(おおげさ)。昨年夏に放映されていた、NHK/BSの押井守特集を見ていたところ、監督ご本人が新作としてスカイ・クロラの製作を進めているとお話されているじゃありませんか~。
「これは、見ねば」と、ん十年ぶりにアニメの公開を心待ちにするようになりました。

スカイ1
「スカイ・クロラ」シリーズの中で、私が一番好きなのは「ナ・バ・テア」なんですが、この作品を含めてシリーズ全体が人物の関係や事件等々、あらゆることがフィルター越しに展開している感じの、謎に満ちた書かれ方をしているんですね。
「おそらくこういうことだろう」というおぼろげな線は見えるんだけど、違うかもしれないというギモンも拭えず、なんともはっきりしない。

そこで、アマゾンのレビューを読んでは、
「なるほど、卓見ですな」とか
「ほお、こういう関連があるのか。見逃していたぞ」などなど、
読みが足りない部分を他の方の力を借りて埋めるようなことをしておりました。

気になったのは、「スカイ・クロラ」シリーズのヒロイン(一応)草薙水素(くさなぎ・すいと)の名前は、攻殻機動隊のヒロイン草薙素子(くさなぎ・もとこ)を連想させると、何人かの方が指摘していたこと。最初に小説を読んだ時はアニメの攻殻機動隊について全く知らなかったので、「なに、それ??」と思っていたんですが、レンタル屋さんで全シリーズ(やりすぎ)借りてきて見たほか、だめ押し(?)で原作のマンガまで読了。結果、なるほどね~と唸りました。

アニメGHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
とコミック士郎正宗 「攻殻機動隊」講談社

機動隊機動隊2 
厳密なことをいえば、水素(すいと)と素子(もとこ)の物語は、名前が似てることを除けば世界観も筋書きも全く違うんだけど、ちょっと作品から身を引いて共通点を探すと、ニンゲンとしては特殊なタイプに属する生物で、戦うという仕事を選んだ孤独なヒロインという点では重なり合う部分が確かにあるんだな~。

「スカイ・クロラ」シリーズが好きな人はアニメの攻殻機動隊シリーズが嫌いじゃないだろうし、逆もありだと思いました。ほんで両方の監督が押井守なんだもん。世の中はこういうふうにつながってゆく、という見本のようです。
北園
金沢 一志「カバンのなかの月夜—北園克衛の造型詩 」国書刊行会

恐ろしく昔のハナシになりますが、小学校の3年だか4年だかになると、通っていた秋田の某市立小学校では、学級委員のバリエーションとして図書や保健などの委員会活動に参加する決まりでした~。以来、高校を卒業するまで、私はワンパターンの図書委員。昼休みや放課後は、小学校も中学校も高校も、図書館のカウンターに座って、貸し出し当番なんかをしとりました。

お当番、最大の仕事(?)は、裏の見返しにはってある紙に、返却日のはんこをぺったん、ぺったん押すこと。かんたんすぎる…(^_^;)。学校の図書館は今、どうやって貸し出しをしているんでしょうね。近所の公立図書館は電子化されているので、スタンプもスタンプ台も見当たりませんよ。

はんこ業務と同じくらい大事だったのは、本棚の整理。これがけっこう好きでして、床に座り込んでタイトル、著者名、背のラベルの番号などをチェックし
「なんでこの本がここに入ってるよ」などと、ぶつぶつ独り言をいいながら黙々と整理してました。

人気のない本は古くても角がしっかりしてて、静かに年を食ってる感じといいますか、妙に手に取りたくなる雰囲気を発しているですね。ページを開くと埃の匂いがして、アレルギーの私は鼻がむずむずしましたが、それでも、「これはどういう本なのかな~」といろんな本を覗き見するのが気に入ってました。

古賀2
<海>古賀春江 1929年 東京国立近代美術館蔵

このところ書いていた西脇順三郎は、西日が差し込む高校の図書館の開架書庫の整理をしながら、ふと手に取った筑摩の文学全集(薄茶色のクロス張りだったような)に、「ambarvalia(アムバルワリア)」が収められていて、それを読んだのが最初だったと思います。いっしょに収録されていた北園克衛の「円錐詩集」にも
「おお~、すごい。これなら読んでも恥ずかしくない」と感激した記憶が。正直いって教科書に載ってるような<詩>は、ウェットすぎてむずむずするような居心地の悪さを感じてたんです。

そういう気持ちにならない作品がちゃんとあるだけでなく、文学全集に収録されるという形で評価を得ていることを知り、安堵。
「メジャーものにぴんとくることはさほど多くない」とか、
「探せば好みのものが必ずある」とか、
自分の好みの傾向と対策を、当時、なんとなくつかんだような気がします。

教科書におもしろさや共感を求める気持ちは、歳ふるごとに限りなくゼロに近づいてましたが、「まったく変なものを教材にするもんだ。この編者のセンスは何ですかい」としばしばギモンに感じてましたね。つまんないんだもん。それをネタにしたテストをうけなきゃいけないことにも、かなりげんなり(根に持ってる・笑)。なので順三郎が教科書に掲載されてるという話を聞いて、「いいな~」と反応しちゃったわけなんです。「???」と思う人も多いだろうにね。勝手だぞ<ジブン。

西脇順三郎と北園克衛はオッケーな詩人と分類したものの、このおふたりの本は長らく、手に入れやすいものがなかったんです。なので講談社文芸文庫から「アムバルワリア—旅人かへらず 」が発行された時は、やった~という気分でした。あまりにうれしかったので、各種のアンケートにほとんど答えたことのない私が、「ずっとこの本を待っていたので本当にうれしい。北園克衛の円錐詩集もお願いします」と講談社の編集部に愛読者カードを出したほど。

後に担当の編集さんから「ご愛読ありがとうございます」と力強くも美しい万年筆の文字のお返事をいただいた時は、出版界って悪くないところだな~じんわりいい気持ちになりました。でも、北園さんの文庫本を出す出版社は、いまだ現れず。

さっき、<北園克衛>でアマゾンを検索したら、写真で構成したおもしろそうな詩集(?)、金沢 一志「カバンのなかの月夜—北園克衛の造型詩 」国書刊行会 を発見しました。こんな本が出ていたとは。機は熟したとみた(独断できっぱり)。講談社さん、文芸文庫で北園克衛はどうでしょうか~。 
西脇
順三郎さまのお姿について触れましたので、みなさんにも見ていただこうと思って引っ張りだしてきた、昔の現代詩手帖。1982年7月号です。表紙の写真は神保町(たぶん)の古書店で本を品定めをするの図。右下に<西脇順三郎追悼>の文字がありますが、読めるかな~。

亡くなったことを新聞で読んだ時は、
「大好きなおじいさまがまた一人亡くなったよ」と、悲しかったです。幼いころよりなぜか私は、やせーた鳥のような容姿のじじ様たちに引きつけられ、確か最初にファンになったのは、ラヴェルなど、フランス近代の楽曲を得意とする指揮者、ジャン・マルティノン。ラヴェルの管弦楽曲は、聞き慣れているせいか今もマルティノンの演奏が、一番好きだったりします。

おっと、話が横道にそれてしまった(笑)。この現代詩手帖をぱらぱら読んでいて、「ぷっ」と吹いてしまった一節があるんですね(不謹慎かも)。ちょっと長いけど、ご紹介します~。

ーー新宿に茉莉花というバーがあり、そこに「アイヨクウドン」なる、深夜の飲み助にとってはありがたくも奇態に美味な食べ物があるが、それを発案して店にすすめた人が、ほかならぬ西脇さんだという話を亡くなられてから初めて聞いた。西脇さんのソバやウドン好きはかねがね聞き知っていたものの、その余波がこんな身近にまで及んでいるとは露知らぬまま、もう長年その恩恵にあずかっていた私はあらためて唸ったが、西脇さんはそんなふうに、まだまだわれわれを驚かすようなことをいっぱい残していかれたのだろうと思う。p60 渋沢孝輔 <永遠の解放-西脇氏を悼む>

ノーベル賞に近いといわれた詩人にして英文学者が、よくぞうどんに愛欲と名付けたもんだ。マルドロールの歌あたりの境地を、軽く超えてる気がするです。ジンセーにくさくさする時があったら、
「アイヨクウドン、ひとつね」
なんてオーダーしてる酔っぱらいの姿を想像することにしようっと(笑)。